特に意味もなく時計に目をやった。
少し前だったら既に空が茜色に変わっていた、そんな時間帯。けれども、まだまだ空は青いままで。徐々に増していく日の長さからも、近くに迫る夏を感じていた。
学校から自宅までのその道すがら、隣には一人の少女がいた。普段ならば家に帰るのは大抵四人揃ってか、逆に一人きりのことが多かっただけに、何というか新鮮な気分になる。
「……あっ、お団子」
「え? なんだって?」
隣を歩く日向縁と取り留めもない会話をしていると、彼女は急に立ち止まってぼそりと何かを呟いた。団子という単語が聞こえた気がしたのだが、あまりに脈略がない。それ故に自分の耳を疑って、ついつい聞き返してしまった。
「あそこほら、お団子屋さん」
「え!? あ、ああ、そうだな」
縁が指を差したその先には、確かに店先で団子を売っている店があった。他の甘味も扱っているようだし、正確にいえば団子屋かどうかは分からないけれど。
「高校に入学したての頃に、ここで唯ちゃんが私とゆずちゃんにお団子買ってくれたんだ」
「へー」
容易にその光景を頭に浮かべることが出来た。
唯は割とお金には厳しいタイプで、そんな彼女が誰かに奢るというのは珍しい。当然ケチってわけではないのだけれど。
それでもまぁ、元々ふたりに対しては甘いというか、それが緩みがちではあった。それだけ彼女にとって特別な存在なのだろう。些細な話からも、彼女のふたりに対する想いが垣間見えている気がした。
「愛されてるなぁ、縁は」
「そっかなー。えへへ」
縁は嬉しそうに、そしてほんの少し照れくさそうに笑った。
「どうせだから、食ってくか?」
「うん。食べてくー」
縁とふたり、小走りでその店へと向かっていった。
●
「ん~。おいしいねー」
店の隣に設置されたベンチに座って俺はみたらしを、縁はあんこの乗った団子をそれぞれ頬張っている。俺の隣でもぐもぐと咀嚼するその仕草は、小動物のようでとても可愛いらしかった。
人間、美味しい物を食べると自然と笑顔になるなんて言うけれど、縁を見ているとそれが本当なんだってことがよくわかる。ニコニコと幸せそうに食べるその姿は、こちらまで微笑ましい気持ちにさせてくれる。
「あんまりがっつくと喉に詰まるぞ。それに気をつけないと髪にあんこが付くって」
「らいじょうぶだよ~」
「ちゃんと飲み込んでから喋んなさい」
まだ口に団子が残った状態で、もごもごと縁は話す。基本的に育ちが良くて上品なくせに、時々こういう所を見せるのが逆に好感が持てるというか、親近感を抱かせるのでとても好きだった。
「あーあ。ほら言わんこっちゃない。ほっぺのとこ付いてるぞ」
「えー。どこー?」
「そっちじゃない。逆の方」
縁は自分の顔をなぞりながら、あんこの付いた場所を探す。しばし探し続けた後に、ようやく彼女の指先は目的地へと到着する。
そして、そのまま指で拭うだろうと思っていたら、すんでの所で縁は動きを止めた。
「……えへへー。ペロッてして~」
「はぁあ!?」
縁は突拍子もないことを言い出しながら、頬をこちらへと向ける。そんな彼女の行動に、驚きのあまり思わず大きな声を上げてしまった。
「するわけないだろ、アホ」
「え~」
「え~じゃないです。というか、なんだよ急に」
「この前の時はね、私じゃなくてゆずちゃんがほっぺにくっ付けちゃって。それでね、唯ちゃんにおんなじこと言ってたの」
「それで、唯はやったのか?」
「ううん。結局、ゆずちゃん叩かれてた」
……まぁ、そりゃあそうだろうな。これまた容易に想像がつく。
叩かれてたのなら、それを真似しちゃいかんだろうに。大体、俺が本当にやったら縁はどうするつもりだったんだろうか。
付き合いは長いし仲も良いとはいえ、こういう女子特有のノリはどうにも苦手だ。嫌いっていう訳じゃなくて、どう対応していいか分からなくなる。ましてや、ふたりきりともなると尚のことで。
ゆずこや唯はその辺を弁えてくれているのだが。
「それで、その時もね……」
縁はその後も終始笑顔で、とても楽しそうに話し続ける。彼女ら三人で団子を食べたってだけの思い出を。まるで、つい最近あった事の様。
そんな彼女を見ていると、ふとある疑問が心に浮かんでしまった。
「縁は俺といて楽しいか?」
「ふえ?」
頭で考えるよりも先に、口から零れてしまっていた。そして、口に出してしまってから、我ながら間抜けな事を言ったものだと後悔した。
日向縁という少女はいつも笑顔でいる。それが彼女のチャームポイントであり、良い所でもあると思っている。ただ、誰にでも、どんな話をしているときでも、全く同じ表情でいるかというと、当然そんなことはないわけで。
彼女にとって、櫟井唯と野々原ゆずこという二人の少女が特別な位置付けにあるのは明白だ。だからこうして、縁がふたりと会話をしていたり、ふたりのことについて語るときの彼女は、より一層の笑顔で、とても生き生きとしているように俺には映る。
それはとても喜ばしいことであり、そんな彼女を見ているだけでもこちらまで楽しい気分になってくる。それでも時折、ふと寂しさというか、疎外感のようなものを感じることがある。そして、こんなにも彼女を笑顔にすることの出来る、唯とゆずこに少し嫉妬してしまう。
「い、いや。ゴメン。何でもな……」
「私はいつも楽しいと思ってるよ」
短いながらも、はっきりとした口ぶりで縁は言った。
「……ゆずこみたいに面白い事言えないけど」
「でも、優ちゃんいつもちゃんと私たちのこと見てくれてるよ」
「そりゃ、一緒にいる時間が多ければそうなるんじゃない?」
「ううん。えっと、その……ただ見てるだけじゃなくって、何かあるとすぐ声掛けてくれたり、助けてくれたりするもん」
「……」
だからね、そう一呼吸入れてから縁は続ける。
「だから、一緒にいるとすっごく安心するの」
声も喋りかたも可愛らしいのはずなのに、なぜか今の縁の言葉には力強さというか説得力みたいなものを感じずにはいられなかった。
「……ありがと」
「えへへ~」
感謝の言葉を告げながらも、頬に熱がこもっていくのを感じた。
急に湧き出した恥ずかしさから、隣に座っている縁の顔を直視することが出来なかった。それでも、ちらりと盗み見るように様子を窺うと、いつも以上の満面の笑みを浮かべる縁がそこにはいた。
縁ちゃんマジ天使