~ 半刻前 テイワ=ラグ島 近海 ~
「中将、見えてきました」
「……うむ」
情報将校・レオンが、傍らに立つガープに望遠鏡を手渡した。海が赤くなり、今度は空が血の色に染まっていった事実。それはこの船の乗組員全て、異界に踏み入ってしまったのだと思い知らせるに十分な効力がある。
多くの海賊達と戦ってきた古強者が多い部隊だ。だがその大半、いやほぼ全員が"中将の武勇伝"の最大かつ最初のエピソードである『ゴッドバレー事件』の時期は知らない。その頃はまだ乳飲み子だった者もいれば、まだ生まれていない者だっている。
皆が皆、ガープが今見せている顔を見て、始めて解った。
38年前。海兵の古強者、そして古くから生きている伝説的な海賊達。そしてその時代を生き抜いてきた老市民達。彼らしか知らない、知り得ない時代の風景が今甦っているのだと。
まじまじと、双眼鏡で遠目に見える島を見やる、我らが中将。
その顔は心中複雑である事を隠しもせず、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「七割方吹っ飛んで麓の面影しか無いが、間違い無いな」
「……例の島ですか?」
「あぁ。忘れられるはずも無いわい。まるで焼き印じゃよ」
そう言って、ガープはレオンに望遠鏡を返す。
よくよく見ると、望遠鏡の幾箇所かが凹んでいた。力むにしても加減をして欲しいものである。肩をすくめながら、レオンは後ろの方、甲板の上で準備が進んでいる砲弾を見ながら、
「あの時も、これを狼煙に"例の者"とかちあった訳ですか」
「これから始められれば幾何かは楽じゃったろうが、あの時はそうもいかんかった。
奴の狙いがあの島……何故か今は新世界にある『あの島』が標的と知った上の連中が、儂含め当時の中将等と、大将も派遣しおったのよ」
それは初耳だ。ガープ中将の元で鍛錬を詰んだ時期もあるレオンであるが、彼の武勇伝の中でそのような話が出てきた事が無い。
「奴の襲撃時点で、島に大将クラスが?」
「"
「なら、彼らの話も残っていておかしくない筈」
少しの間、ガープが返答に詰まった。指でヒゲを弄り、どう言ったものかと思案している。彼ですら逡巡する程の内容なのか?
レオンは、凹んだ望遠鏡から島の光景に眼をこらす。街から煙が上がり始めているのが確認でき、既に事は始まっているのだろう。
「……残さなかったんじゃ、
「――っ!?」
その一言だけで十分だ。レオンの手にも思わず力が入る。
時の大将はきっと、討ち死にしたのだろう。先日聞いた、ロックスという古の大海賊の能力をふと思い出す。喰らって、自分のものにする能力だとガープは言った。
「という事は、今の奴は」
「安心……は出来んが、あの大将:【ノブツナ】殿は能力者じゃあ無かった。
時の大剣豪よ。拳と刀の違いこそあれ、儂と同じ"この腕一本"で上り詰めた大先輩じゃ」
「なら何故……」
「あの時、奴は
よりにもよって天竜人の子を、な。赤毛の子供だった。先輩は強かったが、一際優しいお人じゃった。赤子を斬るまいとした結果、足下をすくわれた」
それ以上は言いたく無い。ガープはレオンに態度で示した。
それ以上の詮索は野暮というものだろう。彼はそれ以上追及する事はやめにする。本人の頭にしか既に記録は残っていない類いの話であるし、非常に気になるが、強要するようなタイミングでもなければ、相手でもない。
再び、望遠鏡でよくよく遠方に見える島の様子を窺う。島の港には多くの船がまだ停泊していて、沖に出てきている様子も見えない。この状況下であれば、我先にと出港していておかしくない筈だが、よく見るとまだ無事な住民の避難を行っているようだ。
「海軍と海賊が、協調しています。そのせいか出港が遅くなってますね。
共に住民を逃がすことに躍起になっています」
「あの時と似とるの~」
「あの島に潜っていた頃から不思議でした。
海賊と海軍。埋めがたい溝すらも見ないふりをしなければならないとは」
「そうしなければ死ぬ。下手をすれば奴の一部にされるからな。
むしろ、今もなお苦しんでいる者達がいると思わねばならん」
遠方に見える船達の中に、見覚えのある旗印が見えた。レオンは思わず「あっ」と声をあげて、ガープを見やる。
「中将。由々しき、と言うべきでしょうか。心当たりのある旗が見えます」
ぴきり、と空気に亀裂が入った。少なくともレオンにはそう思えた。表情にややこわばりが増え、険しくなっているのがわかる。中将の家族状況、すくなくとも男家族については、知る人は知っている。
彼もその1人。
「旗印は?」
「……麦わら帽子」
ガープが握りしめる拳から、少量の血が流れた。
最も、あって欲しくなかった事。少なくともガープという男にとっては。心中如何ばかりであろう。後ろで着々と進んでいく"砲撃準備"の音、そして昔から変わらぬ鉄の意志だけ。それだけで辛うじて、ガープの正気を現実につなぎ止めている。
そんな気がする。
彼で無ければ、とっくに狂気に墜ちていたかもしれない。
「よりにもよって ――」
その一言が、彼の心情の全てを表している。
"麦わらの一味"
ガープ中将旗下ではないため伝聞でしか彼らの事は知らない。だが彼らと面識がある者達、通過していったとされる国々からの反応と、身内である海軍内で聞こえる印象はまるで違う。
総合的に見て、きっと彼ら……強いてはトップの"麦わらのルフィ"は……
……きっと、横で今葛藤している中将に、そっくりな青年なのだろう。
内面が。鉄の意志が。確固とした己を貫くだけの意志力が。
立場を違えて出会っていればきっと、好感を持つであろう
即ち、【ロックス】と出会えば打ち倒そうと立ち向かう。きっとそうする。
「いかん、いかんぞ。知らぬままにしておけん」
唇を噛みしめるガープが、声を漏らした。
「孫殺しだけは……祖母殺しだけはさせられん……」