星アキラは自由に生きたいっ 作:Magical forest
----------- 山野上花子視点 -----------
羅刹女の稽古の後に、私はホテルのバーで王賀美陸を待っていた。
バーのカウンターには、私の反対側の端の方に初老の老人が一人で飲んでおり、後ろのテーブル席には、仕事帰りの男女が仲良く飲みながら会社の愚痴をこぼしている。
六本木にあるバーのためなのか、はたまた二次会には早い時間のためか、お客さんは比較的少なくて静かだ。もっとも、メンバーズバー (会員制バー)だからそもそも人が少ないのかもしれない。
私は、メニュー表を見た。
・ジントニック 3800円
・季節のフレッシュフルーツ・カクテル 5000円
・白州 18年 5200円
・山崎 25年 55000円
・ルイ13世(コニャック)75000円
「高っか。」
私はドリンクの値段に眉をひそめた。
このバーが空いているのは、場所でも、時間帯でも無くて、単純に高いからだわ。
王賀美陸と飲むことにしたけど、あっちからここに誘ったんだから、ここの飲食代はあっち持ちよね? 割り勘とか言い始めたら、また男への恨みが・・・。
私は、王賀美陸に割り勘とか言われた時のことを想像して、心の炎が燃え広がった。
初老の老人の老人は、バーテンダーと何も話さずにウイスキーだけを静かに飲んでいる。
愚痴をこぼしている二人は、両方とも親が会社の役員で古く臭い昭和の会社体質について愚痴を言い合っているので、コネ入社した良いところのボンボンかもしれない。
私はバーの内装をぐるりと見る。黒と白の幾何学模様に、クロームの金属光沢。アール・デコを八〇年代風に再解釈したような内装だった。世間的に言うアール・デコ・リバイバルと言った様式だけど、私の趣味ではない。
線が綺麗すぎる。面が整いすぎている。人間が定規を当てて、ここからここまでが美しいのだと決めつけたような空間だ。
私はもっと、勝手なものが好きだった。雪の重みで歪んだ枝だとか、岩肌を這う苔だとか、薪の中で形を変え続ける炎だとか。左右が揃っていなくても、同じ形が二度となくても、そこにはちゃんと美しさがある。むしろ、そういう物の方が信用できる。
クロームの柱に映った自分の顔を見て、私は少しだけ眉を寄せた。
「・・・綺麗だけど、息苦しいわね。」
美術館ならまだ分かる。けれど酒を飲む場所まで、こんなふうに寸法通りでなくてもいいだろう。
芸術に幾何学的なパターンは重要なファクターだけど、幾何学だけを抜き出した無機質な世界は面白くない。
バーは六本木の高層ビルの中にあって、ガラス窓からは幾何学的なビルの夜景が綺麗に見える。
私は頬杖を付いて美しい夜景を見ながら、幾何学的に統制が取れた無機質で平和な六本木の街が、炎に覆われて燃えつくされる姿を妄想をした。
ビルが炎で崩れ落ちながら、幾何学的な美しさが壊れて自然に還って行く様子は、取り繕った人工物が自然に負ける綺麗な情景だった。
「よっ。待ったか?」
「待ったわ。レディーを待たせるなんて最低ね。」
王賀美陸が来た。
「マスター、ルイ13世を一つ。」
・・・・こいつ容赦なく高い酒を・・・。
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「ずっと飲んでばっかじゃないか。寂しかったのか? 一人の夜が。」
「違います。お酒が好きなだけです。マスターおかわり。」
「何杯目だよ。そろそろ本題に入ろうぜ。」
「・・・・そうですね。」
そう言って、私は王賀美陸の腕を抱いて体を擦り付けて媚びる。
「私、さっき嘘をつきました。本当は寂しかったので王賀美さんの誘いに乗ったんです。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・アリだと思いましたか?」
「・・・ああ、据え膳食わぬは男の恥と言うしな。」
「男が女の弱さに弱いように、女も男の弱さに弱いんです。それは羅刹女にしても同じ事。」
「やっと本題か。」
「あなたの牛魔王は強すぎる。弱さを演じてください。王賀美さん」
「あなたには生まれ持った存在感がある。無意識に観客を虜にできるあなたは、それゆえに役作りを必要としてこなかった。」
「しかし、私の孫悟空は変化する。演じ分けこそ肝になる役です。第一線で活躍を続けるあなたに私がこれを進言するのは恐縮ですが、このままでは明神阿良也や星アキラに遅れを取り・・・。」
「観客が弱い俺を望んでいると思うか?」
「どういう事ですか?」
「今まで俺にふさわしくない役は断って来た。俺に相応しくないセリフは変えて来た。俺は俺である事を守りながら戦ってきた。それでこそ俺だ。」
「・・・今回の羅刹女は言わばコンペティションです。お互いが死力を尽くしてお互いのサイドを打ち負かそうとしている。死に物狂いで来るF4や魑魅魍魎の俳優達、そして天才演出家相手にそのプライドは命取りになりますよ。」
そう言って私は王賀美陸を真正面から見て睨みつけた。
「逆だよ。プライドを捨てる事が命取りになるんだ。安心しろ、俺は俺のまま誰よりも輝き続ける。次の稽古でそれを証明してやるよ。」
「・・・・チッ。」
私は苛立ちのあまり、ハンドバックからジッポーの1941 Replicaのライターを取り出して 、ボッと火を付けては蓋を閉じて火を消して、また火を付けては蓋を閉じて火を消す行為を繰り返した。
上手く行かない苛立ちの自己鎮静だった。一定の動作を繰り返し、炎の形を目で追うことで、昂った神経を少しずつ沈めていく。
このジッポーライターは1941年に第2次世界大戦下のアメリカ軍に供出したモデルのレプリカ品だ。戦場の兵士も戦場のストレスの前に、こういった行為を繰り返していたのかもしれない。
「苛立ってんな? 山田花子?」
王賀美陸がニヤつく。
「山野上です。」
「はっ。おおかた、サイド乙の百城千世子を見て完成度の高さに苛立ったか。」
「苛立ちますよ。百城千世子は私の羅刹女を体現していました。羅刹女は私の作品だと言うのに、作者である私よりも優れた再現するなんて、ああ、腹が立つ腹が立つ、自分に腹が立つ。」
「はははっ。稽古中にダースベイダーになったり、ドラゴンボールの孫悟空で羅刹女を演じる夜凪景とは雲泥の差だからな。この前もかめはめ波で火焔山の火を消そうとしていたし。」
私は爆笑する王賀美陸を睨みつけた。こいつマジでムカつく。
「王賀美陸、あなたはわかっていませんね。私は夜凪景が百城千世子に負けているなんて一言も言っていませんよ?」
「・・・は?」
「王賀美さん、女は面白いのですよ。宝石のように綺麗な顔をしていても、全員が腹の中に禍々しい炎を宿しているのです。」
「・・・・・・。」
「夜凪景の腹の中の炎は禍々しすぎて、どす黒くて暗くて見えないだけです。」
「なんだと?」
「ねぇ、王賀美さん、彼女の炎に焼かれて、真っ黒の見えない炭にならないでくださいね。消し炭ぐらいの価値しかないモブのあなたなんて、誰も見たくありませんから。」
「・・・・・この女ムカつく。」
王賀美陸は私を睨みつけてきた。
「王賀美さん、初めて私を見てくれましたね。あなたをイメージする鉄壁の鎧に籠って、臆病に体を守ろうとするあなた自身の鎧。私はその鎧の中の本当の弱いあなたを見たいのですよ。」
「・・・・・・・・。」
そう言って、私は席を立つとそのまま料金を払わずに店を出た。
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こうして私は、王賀美陸に飲み代を押し付ける事に成功した。
あんなアホな酒をガバガバ飲む男と割り勘なんてしたくない。
翌日から王賀美陸はこれまでの余裕は消え失せて、余裕なく本気で稽古をするようになった。
王賀美陸を本気にする目的は達成したけど、この時の私も王賀美陸も、後ろのテーブル席に座って会社の愚痴を言い合っていた男女が、変装して会社員を演じていた星アキラと夜凪景である事に気が付く事は無かった。