「じゃあ旭くん、上手くいったのね?」
たぶんな、とソファに身体を沈めながら言えば、隣からは嬉しそうにはしゃぐ声。
世間話のつもりで柊木とお相手さんのことをたびたびナタリーに話していたので、ナタリーも二人のことは気になっていたようだ。友人の幸せを素直に祝福する妻の姿に、ふっと口元が緩む。
柊木が「ニホンゴムズカシイ」と、お前どうしたという様子で泣きついてきたのがついひと月ほど前のこと。おそらくは柊木なりに必死に考えた結果なのだろうが、何かもういろいろ笑えたし泣けた。一応ちゃんとアドバイスはしたので許して欲しい。
その甲斐があったのかなかったのか、とにかくちゃんと気持ちを伝えることはできたと聞いたときには胸を撫で下ろした。今後も二人の関係は続いていくそうだ。
「……あの柊木がなぁ」
もちろん、俺も悪友を祝福する気持ちはある。
出会ったばかりのときは群がる女性たちから必死に逃げ回り、ときに失神、ときに号泣していた柊木が、まさか真剣に「恋愛」を考えるようになるとは。
「……感慨深い?」
「そりゃあな」
女性への恐怖は徐々に克服しつつあった柊木。それだけでも涙ぐましい努力があったというのに、そのさきにある「恋愛」への恐怖や不信感の払拭にまで進めるかどうか、正直なところかなり疑問があった。
「……たぶんあいつの中で、恋愛の定義っつーか、そういうものがぐちゃぐちゃになっちまってんだよなぁ」
おそらく柊木にとって、恋愛とは「相手を傷つける」「尊厳を踏みにじる」「支配しようとする」感情。あえてそういうふうに植え付けられたのだと俺は思っている。
かつての誘拐事件の詳細は俺も聞いていないし、聞く気もない。だが、わずかに語られた柊木の言葉と日頃の反応から察するに、柊木は具体的に何をされたというわけではない。ただ延々と見つめられ、吹き込まれ続けたのだと思う。
薄暗い部屋で手足を拘束されたまま、見ず知らずの女から気色の悪い愛の言葉を。
『ねえ、好きなの』
『大好き』
『愛しているわ、貴方だけよ』
『本当に愛しいの』
――想像するだけでぞっとするものがある。
五歳でこんな経験をすれば、そりゃあ恋愛を恐ろしいものとしか思えなくなるだろう。そのあとどれだけ「幸福な恋愛」の実例を知ったとしても、そう簡単に呪いが解けるものではない。それこそがきっと、犯人の目的だったのではないだろうか。
『私のものにならないなら、誰のものにもならないで』
『私を狂わせておきながら、貴方が幸せな恋をするなんて絶対に許さない』
――もちろんこれは俺の憶測に過ぎないが、事実としてあの理屈屋はこの手の話になると途端に理屈で話ができなくなる。植え付けられた思い込みばかりが先走り、いつもなら「必ずしもそうとは言い切れない」とストップをかけるところでも暴走してしまう。
恋愛とは、自分本位に相手を傷つけるものである、と。
自分も「恋愛」をしたらそうなってしまう、狂ってしまう、と。
大切だと思う相手を、自分の手で傷つけてしまう、と。
だから自分は恋愛なんてしない、したくない、できるはずがない、と。
柊木自身にどこまで自覚があるのかはさておき、柊木の「相手を傷つけたくない」という優しさが何よりも本人の目を曇らせているように思える。自分より他者、特に懐に入れた相手を優先してしまう柊木だからこそ。
とはいえ、柊木から「紅葉」さんの話を聞いたときは「もしかしたら」と思ったのも事実だった。
「……ま、上手くいくとは思ってたがな」
あら、と隣に座るナタリーが楽しそうに首をかしげた。
「そういえば航くん、結構最初から確信してるみたいだったけど」
何か理由でもあるの、と問われて初めて柊木から彼女の話を聞いたときのことが頭に浮かぶ。柊木の嫌がることはしないと言い切ったらしい彼女なら、と思ったのもそうだが、何よりも柊木の反応が決め手だった。
「柊木が最初からお相手さんのことは平気だったって話はしただろ」
ナタリーのことも最初から平気だったわけだが、それはおそらく俺という存在があったらからだ。
俺がいるからナタリーが柊木に靡くことはないし、何があっても俺がナタリーを守るだろうから「自分と接してもナタリーが傷つくことはない」という確信があった。つまりは俺を信頼してくれているからこそ、ナタリーのことは平気だったのだと思う。
重すぎる信頼だが、そう思えば納得はできる。柊木の女性恐怖症の根源は、「誰にも傷ついてほしくない」という思いなのだから。
では、何故紅葉さんには拒否反応を示さなかったのか。彼女はナタリーとは違う。何やら過保護な執事さんがいるという話は聞いたが、さすがにそれが理由とは思えない。
であれば、ここは別の理由があると考えるべきだろう。
「……柊木は自分のことを後回しにしがちだが、それは本人にそれじゃなきゃいけないっつーこだわりがほぼないからなんだよ。自分的には何でもいいから相手の意志を優先するだけで、逆に言うと自分の中に確固たるものがあるときは絶対譲らねえんだ」
それはもう、そうなったときの柊木は本当に頑固でただの駄々っ子だ。
自分の欲というものにあまりにも慣れてなさすぎるというか、たまにしかないからこそ「わがまま」の振りかざし方がわからなくて混乱してしまうというか。
いわゆる柊木の「末っ子気質」だが、紅葉さんに対してもそれが無意識に出てしまったのではないかと思う。
「たぶん柊木のなかに、紅葉さんに傷ついて欲しくないと思う以上の『気持ち』が生まれてたんじゃねえかな」
じゃあその「気持ち」って何だと言われれば、まあつまり。
「――あいつ、初めて紅葉さんに会ったとき、綺麗な子って思ったらしいんだよ」
確信をもって言えるが、柊木が女性に対してそんな言葉を使ったのは初めてだ。
「今まで女性と見りゃ問答無用で逃げ出して、外見も人間性も一切見なかったやつの口から『綺麗』だぞ?」
くっとつい肩が揺れる。すべては俺の憶測で、これが正しいのかきっと柊木にもわからない。だが、そうだったらいいと思う。
この奇跡のような出逢いによって、柊木は「呪い」を上回る「感情」を得たのだと。
「そういうの、世間じゃ一目惚れって言うんじゃねえか?」
作者が柊木さんを一言で表すなら「能力値高めなだけにとても面倒くさい駄々っ子」です。
お付き合いありがとうございました。