事件からしばらく経ったあと。
相良の呟き
俺が大学を卒業したときにひーらぎさんからもらいうけた黒い手帳は、刑事として働く今でも何となく持ち歩いてしまっている。お守りかわりだなんて絶対に言いたくはないが、家に置いておくのも何だか違うような気がしたからだ。
いつも警察手帳とまとめてポケットにいれているそれは、いま何故か日頃お世話になっている先輩兼ひーらぎさんの悪友さんの手の中で開かれている。いや何故かっていうか俺がうっかりそれを取り落とし、善意で拾ってくれた伊達さんが「これ柊木の字じゃねえか?」と気付いてしまったからなのだが。別にひーらぎさんは気にしないと思うが、当時のひーらぎさんを知るひとたちにそれを見られていることに何となくの罪悪感を覚える。しかし、だからといって返せとは言えないのが警察の縦社会というもので。
伊達さんの手元を覗き込みながら、萩原さんはいつもの軽い調子で手を振った。
「だーいじょうぶだって相良くん、旭ちゃんそういうの全然気にしないから!」
「何なら
「見られて困るもんならお前に渡したりしねえよ。俺らに見せるなとも言われなかったんだろ?」
あいつはそういうのきっちり釘を刺すから、と悠々と椅子に座って手帳を開く伊達さんは歯を見せる。だな、と同じく手帳を覗き込んでいた松田さんは、視線を逸らすことなく手を伸ばしてページをめくった。
「だいたいこれマジでたいしたこと書いてねーじゃねえか。何だよわざわざ俺らに説教した回数とかメモしてんじゃねえよ。書かなくても覚えてるくせに当てつけか?」
「俺らに見られること見越してたまであるじゃんねえ? 性格わる~」
「説教した内容書いてないだけ温情なのかもしれねえぞ、説教常連の問題児ども」
「言ったな伊達よォ。見てみろここ、ちゃんと書いてあんぞ『伊達パソコン破壊事件』」
「うわっ掘り起こすな俺の黒歴史!」
「あっはっはっあれは笑ったわ~! 旭ちゃんも笑いすぎて腹抱えて蹲ってたかんね!」
手帳特有の薄い紙がめくられるたび、笑い声とともに思い出話に花が咲く。
常は「刑事」として難しい顔をしていることも多い先輩方も、たまにこうしてただの「悪友」としての顔を見せることがあった。いつもその話の中にはひーらぎさんがいて、降谷さんがいて、諸伏さんがいて、アンタら同期の桜にしてもちょっと仲良すぎやしませんかと言いたくなるような気安さが滲み出ている。
しかもただのナカヨシでなく、事件ともなればきっちり成果を示す有能すぎる化け物たちの集まりなのだから恐ろしい。いつぞやこの化け物たちが勢揃いした奇跡のような事件など、犯人に同情……はしなかったが、このひとたちの手綱を握らなければならない上長たちはちょっと気の毒に思えた。ひーらぎさんの上司である大河内監察官が何か白い錠剤を噛み砕いているのを見かけたことがあるが、あれひょっとして胃薬なのだろうか。正直かわいそう。
あの事件では、刑事・公安だけでなく前線にでないひーらぎさんまで捜査に引っ張り出された。事件捜査の経験などほぼないはずなのに少しも怯んでいなかったひーらぎさんはさすがと言えばさすがだったが、あれは単純にはしゃいでいただけだとそこそこ付き合いの長い俺はわかっている。
実は頭の中がわりと単純なひとだから、同期の皆さんと一緒に捜査できるの嬉しかったんだろうな、と思うと同時に、たぶんはしゃいでいたのは柊木さんだけではないんだろうと改めて
はしゃいでいたというか、明らかに張り切っていたと思う。基本的に仕事が早い松田さんだが、心底嫌そうだった被害者のSNSのチェックだって結局は班の誰よりも数をこなしていた。伊達さんとペアを組んでいた先輩は「伊達さんが休まなすぎて俺が保たない」と愚痴をこぼしていたし、萩原さんの班にいた先輩も「いつにもまして聞き込みに気合いが入ってる」と感心していた。きっと、降谷さんや諸伏さんもそうだったんじゃないだろうか。
同じ釜の飯を食い、認め合った仲だからこその意地というか、何というか。本当にすげえひとたちなんだよな、と繰り広げられる漫才を眺めながら思う。
「なあ『柊木号泣事件』があったのこれくらいの時期だよな? あいつ自分に都合の悪いことは全然書いてねえじゃねえか。ふざけてんのか?」
「ゲーセン行ったことは書いてんのに降谷ちゃんにエアホッケー負けたことは書いてないの可愛いよねえ。書き足したれ」
「おいおい今は相良のもんだぞ? 書き込んだの写真に撮っとけよ、柊木に送りつけてやろうぜ」
でも問題児通り越して悪ガキになるのはどうなのかな、とも俺はちょっと思います。
大河内さんの白い錠剤っぽいものは公式通り薬の類いではないですが、いつか本当に胃薬になってもおかしくないなとは思っています。