side:ティータ・ハイラル
先の赤い館の訪問から二日が経過しました。
で。
「いらっしゃいませ、お客様。当店、喫茶シグルドへようこそいらっしゃいました」
私は店のテーブルを水拭きしながら、その姿を眺めています。
「こちら、お冷やのグラスとおしぼりでございます。ご用件、ご注文がございましたら、そちらのベルをお鳴らしください」
そつなくお客さんの前にグラスとおしぼりを配膳しつつ、物静かな面持ちで一礼しています。
「それではどうぞ、当店でごゆるりとおくつろぎくださいませ」
何と言うか……、忙しく立ち回るわけではないけれど、お客さんひとりひとりにゆっくりと、ゆったりと対応していて慇懃な態度も忘れないその姿は、ちょっとウェイトレスという感じではないような。
「おい、平民」
「はい」
カウンター席を拭いているところで、シグルドさんが私に耳打ちしてきます。
「お姫サマのあれは何なんだ? あれじゃウェイトレスっていうよりメイドみたいだぞ」
「まあ、そうですよねぇ。いらっしゃいませっ、とか大声を出すわけでもないのに、お客さん相手になかなか堂に入っててある意味、いいんじゃないですかね」
「うちはメイド喫茶じゃないんだが」
「ですよねー。っていうか、こちらにもそういう概念あるんですね」
「何のことだ?」
「どうでもいいことです」
チリンチリンとベルが鳴りました。
オヴェリア様が即座にそちらへ向かいます。急ぐでもなく、ゆっくりとした歩調で。
「お待たせいたしました。ご注文を承ります」
まあ態度は慇懃なんですが、なんていうか、どうも。
「――はい、かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
なんとなく上から目線な感じがして、慇懃は慇懃でも、慇懃無礼という方が正しいような。
どこかしら、圧が凄いんですよ。
カウンターの奥まで戻ってきたオヴェリア様がシグルドさんに注文を届けます。
「店長、注文が入りました。アイスコーヒー、ランチをお二つずつ」
「あいよ。アイスコーヒーは先か、後か?」
「ランチと一緒に、とのことです」
「了解、アイコーはおまえが準備しとけ」
「ランチに併せてですので、ティータに任せた方がいいかと」
「それもそうか。じゃあ引き続き、おまえは玄関の拭き掃除でもしていろ」
「わかりました」
言いながら、やはり静々と玄関口へ向かうオヴェリア様。
お客さんが来たら、やっぱりあの瀟洒な振る舞いでお出迎えなさるんでしょうか。
私の店というわけではないのですが、なんだかこの先の営業に影響が出ないか心配です。
もう一つ、懸念要素がありますけどね。
「――いらっしゃいませ。喫茶シグルドへようこそいらっしゃいました」
と、また御来客の様子。
まだ心配することじゃないんですが、変なリピーターとか付いたりしませんよね?
あの端正な顔立ちで上から目線の対応されたら、特殊な性癖のお客さんが付きそうで。
顔バレしたら、またここから逃げ出さないといけないかしらん。
今度逃げるとしたら、北西のフォボハム領か、南のライオネル領か。
余計な心配事が増えるばかりで、頭が痛い。
と、いま考えても仕方ない。アイスコーヒー、アイスコーヒー、と。
ランチの準備が整ったところで、アイスコーヒーをオヴェリア様にお渡しします。
「たいへんお待たせいたしました。ランチのカルボナーラとアイスコーヒーでございます。ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
ぺこり。
一礼して、オヴェリア様は悠然と玄関口へ戻っていきました。
なんだかもう、次元が違いますね。私はパタパタ走りながら働いているというのに、この差は一体なんなのか!
「まあ、貴族にはあーいう接客の方が正しいのかもな。平民と違って」
「店長はもうちょっと真面目に接客すべきかと思うんですが」
「オレはいいんだよ。接客はおまえらに任せているんだからな。誰も男の接客なんて受けたくないだろうよ」
言って、カウンター奥の席に座ってパイプをふかしながら新聞を広げました。
この人はこの人で、まったくもう。
「ところで、だ」
おっと。
シグルドさんからご指名です。
「あのお姫サマ、本物の王女オヴェリアなんだよな」
「ええ、まあ」
「なんでそのお姫サマ、おまえらが拉致したんだ? 最悪の場合……というか既に最悪なんだが、バレたら国法に照らせば処刑だぞ。なんでまたそんな暴挙に及んだんだ」
それに関してはちょっと言いにくいんですけど。
「ラーグ公の件については、もう話しましたっけ」
「多少はな。ラーグ公とゴルターナ公が相争う内乱の気配があって、王女を修道院からガリオンヌ領に匿うって話までは聞いた。具体的にはどうなるんだ?」
その先を話すと途端に胡散臭くなるから、まだ話してないんですよねぇ。
でもいつかは通らなければならない道。
ここは腹を割って話すことにしましょう。
大丈夫。
多少、疑われてもお人好しなシグルドさんなら渋々でも納得してくれるはず。
「ラーグ公には国王オムドリア陛下と婚姻されている妹君のルーヴェリア王妃がおられますよね。故にその王子であるオリナス様の後見を務めるという大義があります。対して、ゴルターナ公もその立場に立って王家の実権を握りたいのですが、肝心な大義がない。そこに問題点があります」
「問題点か。詳しく聞かせろ」
「要するに、ゴルターナ公も王家を背景にした大義名分が欲しいわけです。それを狙って、オヴェリア様を自身の傍に置いておきたい。先日も南天騎士団が修道院を襲撃して、オヴェリア様をかどわかそうとして一時的に拉致は成功しました」
「それを邪魔してさらに拉致したのがおまえらってことか。その理由は何だ?」
「オヴェリア様をゴルターナ公に渡せばラーグ公が擁するオリナス王子と、ゴルターナ公が擁するオヴェリア王女が、お互いに国家の実権を主張して争うことになる。それを阻止したいんです」
「ご立派な志だな。だがひとつ疑問がある」
「なんでしょう?」
ふーっとパイプをふかしてひと呼吸置いてから、シグルドさんはその疑問を述べます。
「なら素直に、ラーグ公に王女を渡しちまえばいいじゃねえか。そうすればゴルターナ公が動く理由もなくなるし、国家の主権争いなんか起こらなくなるだろ? わざわざおまえらがお姫サマかっさらって雲隠れしているのは何でだ?」
「オヴェリア様がラーグ公に処分されるからです」
それを聞いたシグルドさん、パイプの煙をむせて吐き出しました。
ゲホゲホと呼吸を整えながら応じます。
「なんでそうなるんだよ。王女を害したらそれだけで逆賊だ。ラーグ公が王女を弑逆する理由があるって言うのか?」
「それが考えられ得る最悪のパターンなんですよ。オヴェリア様をお守りするためにも、私たちは彼女を手放すわけにいかないんです」
「王女殿下だぞ。大身であろうと一介の貴族に過ぎないラーグ公がそんな暴挙に出る理由は何だ?」
「オヴェリア様が生きていれば、彼女をお神輿として担ぎ上げる――例えばゴルターナ公のような輩が出てくるからですよ。それならいっそのことオヴェリア様を南天騎士団に誘拐させて殺されたことにすれば、王子を王家の次期後継者として安心して後見でき、邪魔な政敵も失脚させることが出来る。それがラーグ公の狙いです」
私の言葉を聞いて、シグルドさんは眼を白黒させながら思索しているようでした。
まあ、そうでしょうね。話の飛躍もいいところです。
「……おまえらが王女を匿う理屈は分かった。だが納得がいかない。何故そこまで王女の生き死ににこだわる?」
「私と同じなんですよ、彼女は」
「どういうことだ?」
「力のない者は高貴な方でもただの平民でも殺される……それがこの国の定め。私はそれに逆らいたい。理由はそれだけです」
シグルドさんはまだ納得できないのか、眉間にしわを寄せていましたが、暗い話はここまでにしましょう。
オヴェリア様もまた注文を受けてカウンターに戻ってきましたし。
「店長、ホットコーヒー三つ注文を受けました。私とティータで準備します」
「あぁ。そうしてくれ」
シグルドさん、疲れ切って椅子の背もたれに体を預けていました。
それを見て不思議に思ったのか、オヴェリア様がお声をおかけします。
「店長、どうしました?」
「何でもねえよ。おまえも結構、苦労してるんじゃないかと思っただけだ」
「? どういうこと?」
「何でもないって言っているだろ、オフィーリア。おまえはこのままここでウェイトレスやってれば、それでいい」
オヴェリア様は「?」を頭に浮かべたまま、ホットコーヒーの準備に入りました。
「何をしているの、ティータ。ホットコーヒー、早く準備なさい」
「あっはい。すみません」
やっぱりシグルドさん、いい人だ。
けれど、このまま私たちに付き合わせていいものだろうか。もしかしたら、まだ見えざる魔の手が忍び寄ってくるかもしれない。
その時、真っ先に襲われるのは、オヴェリア様を庇い立てしたシグルドさんかもしれない。
――ラムザ・ベオルブ、オヴェリア・アトカーシャ、シグルド・サダルファス。普遍で何事もない日常を送りたいなら彼らから離れるな。
あの赤い館で、レミリアさんから聞いた言葉。
シグルドさんやオヴェリアさんを巻き込みたくなかったら、四人でここに腰を据えるのも悪くないのかもしれない。
でも、私にも野望がある。
ディリータ兄さん。
私はあの人と決着をつけなければならない。
そうでないと、あまりにもこの"ティータ・ハイラル"が報われない。
大丈夫。
ひとりでは何も出来なくても、この四人でならきっと乗り越えられる。
私は自然と覚悟を固めました。誰に言わずとも、己の中で完結するように。
side:オヴェリア・アトカーシャ
先日、赤い館に行ってからというものの――細かく言えば、ティータがレミリアというお嬢様と対話してからというものの、彼女の態度がどことなくおかしい。元々おかしいところがある娘ではあるけれど、それにも増しておかしい。
なんだか、仕事中でもどこか上の空だ。
放っておくべきだろうか。
いや、そうではない。
どうも彼女は私に、いえ、私"たち"にひた隠しするような何かを持っている。得てしまっている。
じゃあそれを聞けばいいのか。
単刀直入に聞いてしまっていいものか。
もしかしたら誤魔化されるかもしれない。
誤魔化されていいものではない。
隠し事をされるのはそもそも好きじゃない。そんな自分を再発見するのも、ここでの生活に浸っているからだろう。
誤魔化されない場を作る。
ちょうど今日はラムザが非番だ。
彼と、シグルドも交えてティータから聞き出さなくてはならない。そんな気がした。
ホットコーヒーの準備をしながら、こっそりとシグルドに話しかける。
「店長」
「なんだ、オフィーリア」
「今日は早めにお店を閉めてしまっても構いませんか」
「なんでだ」
「ちょっとティータや貴方たちと、話し合いたいことがあって」
「……まあ隠し事の一つや二つ、あいつが持っているのは察しているよ。だがそこまでして聞きたいものか?」
「ええ。だから場所を変えたいの」
彼はちょっと逡巡しながら。
「……まあいいだろう。情報を共有しておきたいのはオレも同じだ。で、場所はどうするんだ」
「ラムザに頼んで提供してもらいましょう」
「当てがあるのか?」
「ええ」
「夕方からだ。それまでにおまえはその準備をしておけ」
「ありがとう、感謝するわ。シグルド」
それを後に「少し席を外します」とだけ周囲に伝えて、私は店を出て屋敷の奥の一部屋、ラムザが寝泊まりしている部屋へと向かう。
邸内は、修道院のそれと比べれば手狭なものの、綺麗に整えられてはいた。
廊下の絨毯には塵一つなく掃き清められているし、所々に飾り付けられている燭台もなかなか価値のある物と見受けられる。
ただ、窓の外は微妙に悪趣味な観葉植物の類が日の光を遮っていて、どことなくほの暗い。
そんなことを思いながら、私はラムザの部屋に辿り着いてそのドアをノックした。
中から声が返ってくる。
「どうぞ、開いているよ」
私はドアを開く。
「失礼するわ」
彼はベッドに寝転がって、本を読んでいた。
かと思ったら、私の姿を見止めて慌てて起き上がる。
「オヴェリア様? 何か僕にご用件でも?」
「ええ。いつか行ったあの酒場、予約しておいてくれないかしら」
「それは構いませんが……、何かご相談でもあるのですか?」
「場所を変えたいのよ。そうでもしないと、あの子、なかなか口を開こうとしないから」
「あの子って、もちろんティータのことですよね」
「そう。邸内で面と向かって対話しても、はぐらかすばかりで何も話したがらないから」
「それで、場所を改めて聞き出そうというんですね?」
「私は市井のルールをまだよく知らないわ。だから貴方に頼みたいのだけれど」
「わかりました。時間は今夜、日が沈んだ頃でよろしいですか?」
「構わないわ。それじゃ、お願いね」
「承知しました」
言って、彼は私の前に膝を突いて敬礼する。
もう王女としての面子も何もあったものではないから、礼儀など必要ないのに。
まあ言っても聞きそうにないので、それはそれで受け入れることにした。こういうところはアグリアスにそっくりだ。
それだけ済ませて、私はラムザの部屋を後にした。
ティータ・ハイラル。
そろそろつまびらかに事の詳細を話してちょうだい。
私は貴女に利用されるだけなんて、まっぴらごめんなのだから。