side:オヴェリア・アトカーシャ
清掃して塵一つない床面。
ピカピカに磨かれたテーブル。
水の入ったグラスは雨がしたたるように冷えた汗をかいている。
「ご注文を承ります」
「……オヴェリア様」
「ご注文を承ります」
「あのですね、オヴェリア様」
「ご注文を承ります」
「いい加減にしていただきたい、オヴェリア様!」
お客様――アグリアスの手がダン、とテーブルを叩く。
「いかがなされましたか、アグリアス様」
「いかがも何もありません! お遊びもほどほどにしてください、オヴェリア様!」
「遊びのつもりはありませんが」
「このようなこと、いくらオヴェリア様とはいえご意見させていただきます! そんなひらひらした格好で給仕の真似事をなさるなど、王女としての品位に欠けています!」
「今の私は王女ではなく、ウェイトレスのひとり、オフィーリアです」
「どうなされば元の王女に戻られるおつもりですか、オヴェリア様」
「どうもも何もございません。注文なされないなら帰っていただけません?」
「私は退きませんよオヴェリア様! ラーグ閣下のご厚情を無為にされるおつもりですか?」
「断固として退かれないおつもりですか、アグリアス様」
「そのアグリアス"様"というのもおやめください!」
頑固ね、と内心思いながらもあくまでお客様として振る舞わないアグリアスにほとほと嫌気が差す。
しかし私はただのウェイトレスのひとり、オフィーリア。
給仕である以上、ここで私も退くわけにはいかない。
とはいうものの、ここまで強情っぷりを見せつけられれば嘆息の一つや二つ出るというもの。
「……あのね、アグリアス。私は遊びのつもりでここで働いているわけではないわ。借金だってあるもの」
「借金? 聞き捨てなりませんぞ、オヴェリア様」
「私の友達がこさえているものよ。私が働いているのは彼女の為でもあるわ」
「その、彼女とやらに話をつければオヴェリア様も納得して元の王女として私たちの元に戻っていただけるのですか?」
「それは無理ね。私はここで自由を満喫したいもの」
「ここで給仕のマネをなさることが自由ですと? いくらなんでも我が侭が過ぎます、オヴェリア様」
「あのね、アグリアス」
私はあえて上から目線で、彼女を睨みつける。
「私は、貴女の命に従うつもりはないの。いい加減わかってちょうだい」
「くっ……、強情な」
強情なのは貴女でしょう。
そう言いたいのをぐっとこらえながら繰り返す。
「ご注文を、アグリアス様」
「……ホットコーヒーをひとつ」
「はい、ご注文承りました。少々お待ちくださいませ」
言って、静々とカウンターへ戻る。
「ティータ、ホットコーヒーひとつ入ったわ。準備を」
「はい、了解です」
そう言って、ティータはホットコーヒーの準備を始めた。
確認した私は、布巾を持って他の使われていないテーブルを磨きに入った。
ふう、と一息つく。
「まったく、頑固なんだから……」
「何か仰いましたか、オヴェリア様」
「遠くからいちいち意見するのはやめてちょうだい、アグリアス」
「くぅッ……、もういっその事、王家の権力を用いてでもこの店を破綻に追い込むしかないのか」
「物騒なことは言わないで。いくら貴女でもやっていいことと悪いことがあるわ」
「オヴェリア様が正気に戻られるのでしたら私は何でもいたします」
「怖いことを真顔で言わないの」
チリンチリン。
入り口からベルの音が聞こえた。
私はそちらへと向かい、新しいお客様に対応しにいく。
その傍ら、カウンターを横切って。
「ティータ、アグリアスにホットコーヒーを持っていって。新規のお客様を出迎えてくるから」
「はーい」
入り口に出迎えて。
入ってきたお客様は見知った顔でした。
「あら、ガフガリオンさん。いらっしゃいませ、喫茶シグルドへようこそ」
「おう、邪魔するぜ」
「生憎ラムザは留守にしておりますが」
「気にすンな。腹が減ってな、オレはあンたの所の軽食をいただきに来ただけさ」
「ではこちらへ」
「おう」
「お好きな席にお着きくださいませ」と告げると、わざわざアグリアスの対面に相席した。
渋面になったアグリアスがぼそりと呟く。
「ガフガリオン、おまえからも言ってやってくれ。いい加減こんな所で給仕の仕事などやめるように」
「おまえは気にしすぎなンだよ。飽きたらそのうち、お姫様も首を縦に振るだろうさ」
「それでは遅すぎるからこうやって説得しに来ているのだ……!」
「そういうもンかね」
それを横目に私はシグルドの元へ向かう。
「店長、ランチひとつ入りました」
「あいよ」
ランチの準備にはそこそこ時間がかかるだろう。
私はカウンターの隅に寄って、深々と溜息をついた。
こんな姿、お客様にお見せするわけにはいかない。
お客様、と言ってもアグリアスとガフガリオンだけだけれど。
改めてアグリアスの方へと向き直ると、彼女は頭を抱えてテーブルに突っ伏していた。
「ああ……、オヴェリア様が市井の闇に溺れていく……」
独り言のつもりだったのだろうけど、まる聞こえだ。
そもそも闇とはどういうつもりなのか。
準備の終えたランチを持って、二人の元へと向かう。
「お待たせいたしました、ガフガリオン様。日替わりランチでございます。あとアグリアス様、陰口は聞こえないように言っていただけませんか」
「陰口などではありません、オヴェリア様。私は真理を説いているのです」
「それなら尚更、行儀よくありません。他のお客様のご迷惑になりますので、早々に退店していただくようお求めしますが、よろしくて?」
「それでは私の面子が立ちません」
「たちの悪いお客様ね」
「オヴェリア様の我が侭が私をそうさせるのです」
私たちの応酬を見ていたガフガリオンが、ハッとひとつ声を上げて。
「さすがのアグリアスも王女の前じゃ形無しだな。コイツにはいい薬だ。もっと言ってやってくれ」
「ガフガリオン貴様、オヴェリア様になんという口の利き方を……!」
やれやれと、私は再び嘆息する。
「アグリアス様、そのコーヒーを召し上がったら退店していただけませんか? 出禁にしますよ」
「おいおい、そいつは一応お客様なンだぜお姫様。あンまり無礼な口を利くのは失礼じゃねえか」
「アグリアス様には良い薬になりましょう」
「だとさ、アグリアス。ハハッ」
バン、とテーブルを叩きながら、無言で席を立つアグリアス。
コーヒー代の銅貨一枚を置いて。
「また参ります、オヴェリア様。ガフガリオン、貴様も無礼は大概にしておけ」
「へいへい、王都の騎士様」
それだけ聞いて、アグリアスは足早に退店していった。
私はその後ろ姿を見ながら。
「またのお越しをお待ちしております」
とだけ一応声掛けして、一礼しておいた。
「大変だなお姫様も。あンな頑固な保護者がついててよ」
「善意で言ってくれているのだから、多少は大目に見ます」
むしゃむしゃとランチのサンドイッチを口にしながらのたまうガフガリオンと言葉を交わす。
まったく、融通が利かないのだから……。
ガフガリオンはランチを平らげて。
「オレもそろそろ帰るわ」
言って銅貨5枚をテーブルに置いた。
「ガフガリオン様、またのお越しを」
「おう。アンタも挫けるなよ」
出ていく彼を尻目に、ランチの食器を片付ける。
それと同時に、柱時計がボーンと音を鳴らした。
中休みの時間だ。
カウンターへ戻り、食器を洗いながら。
「ティータ」
「はい、何ですか? オフィーリアさん」
「せっかくの中休み、ちょっとお出かけしない?」
「おや、光栄です」
「いいわよね。シグルド」
言って、こちらに背を向けながら新聞を広げている彼に一声かけた。
「あんまり遅くなるなよ。客はいつ来るかわからんからな」
「その時は店長にお任せするわ」
「けっ、都合のいい時だけ店長呼ばわりするのはやめろ」
「いいえ、感謝してるわ。シグルド」
私の言い分にチッと舌打ちして、シグルドは黙々と新聞をめくるのだった。
その態度に、私は少し笑顔を浮かべる。
ああいう態度のシグルドも、今では好ましい。
「それじゃあ行きましょうか」
いくつもの店や屋台を広げている広場に出る。
今日はこの辺りでいいか。
「あのー」
「どうしたの、ティータ」
「今日はどうして私を誘われたんですか、オヴェリア様」
「別に。友達と一緒に食事でもしたいなって思っただけよ」
友達。
私には一生、縁のない言葉だったけれど、彼女と一緒にいるだけで気分が柔らかくなる。胸がいっぱいになる心地だ。
「今日は何にしようかしら。甘いパンでも食べたい気分だけれど」
「あっ、ならあそこの屋台はいかがでしょう。生地にはちみつと果実のかけらを練り込んであるパンが名物だそうですよ」
「それもいいんだけど、実は私、あそこのパンは食べたことがあるのよ」
「うーん、それじゃあ……」
二人してじゃれて言い合っていると。
「それならあそこの軽食屋はどうかね。ペペロンチーノが絶品だぞ」
背後から男の声がした。
振り向くと、そこには背丈の高い騎士がひとり、さわやかな笑顔を浮かべて――。
「――って、ウィーグラフさん!?」
ティータが驚きの声を上げた。
「久しぶりだな。きみもランベリー領に来ていたとは、驚きだ」
ウィーグラフ?
どこかで聞いたことがある名前だ。
そうだ、確か。
「ウィーグラフと言えば、"骸旅団"の団長のこと? ティータと知り合いだったの?」
「ええ、ガリオンヌにいた頃に少し」
「ふーん……」
少々おどろきだ。
まさかティータがあの悪名高い骸旅団の頭目と知り合いだったなんて。
「物怖じしない娘なのだな。まあティータの友人だ。そのくらい腹が据わっているのがちょうどいいのだろう」
「オフィーリアといいます。ウィーグラフさんの御高名は何度も耳にしたことがあります」
「ハハハ、私の悪名はランベリー領まで広がっていたか」
「元は"骸騎士団"の団長として五十年戦争でご活躍されていたとか。もちろん"骸旅団"のリーダーとしての悪行も耳にしたことはありますが」
「そのくらい言い切ってくれた方が逆に快いな。お二人は今、どうされているのかね?」
値踏みするような眼になってしまうけれどそれは無理もないな、と思ったのが正直なところだ。
骸旅団。王家に仇成すアナーキスト。
王家に連なる人間としては、看過していい相手ではないのだろうけれど。
しかし、実際に話してみるとそんな悪人には見えないな、とも思う。
ティータが彼の問いに応えた。
「実はシグルドさんがここの出身で、時世の流れがきな臭くなってきたのでガリランドからこちらに帰られたんです。そこをたまたま私たちが眼にして、今では喫茶シグルド・ランベリー店で働いているんですよ」
「ほう、世間というのは案外狭いものなのだな。まあ私ときみがここで再会したのも似たようなものか」
「ウィーグラフさんはどうしてここに?」
「なに、ガリオンヌ領に私の居場所はないようなのでな。しばらくはこちらに腰を据えて、王家の放埓な政治を糾弾する、要は世間の蒙を啓く活動に専念しているところだ。と言っても、私ひとりでは限界があるがね」
それはつまり、王家に反感を持つ輩をむやみに煽っているということと同義でしょう。思わずそう言いそうになった。
「よろしければお店まで来ませんか? お昼時ですし、ウィーグラフさんも何か食べられては。ご馳走しますよ」
「それはありがたい。まだ昼食は取っていなかったところだ」
「いいですよね、オフィーリアさん」
話を振られて、ハッとする。
ウィーグラフという名前を聞いて無意識に呆然としてしまっていたらしい。迂闊。
「私は構わないけど……シグルドがなんて言うのか分からないわよ」
「きっとシグルドさんも喜びますって。ウィーグラフさんが金貨を一枚出してくれれば」
「現金なのね」
「当店の笑顔はプライスレスという訳にはいきませんから」
それを聞いたウィーグラフが、ハハハとさわやかな声で笑う。
「シグルドくんも相変わらずのようだな。たまには甘いものでも頼んでみようか」
「それならいちごパフェやバナナパフェがオススメですよ。こちらのオフィーリアさんが作るパフェは絶品です」
「それは楽しみだ」
結局、私が作ることになるのか。
せっかく外に出て食事をしようと思ったのに、思わぬティータの再会で歯車が狂ってしまった。
まあいいか。
次の機会にウィーグラフが言った、そのペペロンチーノをいただくことにしよう。
「それじゃ、お店まで案内しますね。行きましょう、オフィーリアさん」
「ええ、そうね」
私はティータに代わって神様に祈った。
どうかこの再会が、私やティータにとって良きものでありますように。