ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第9話  イザベラのリュティス探索記!

 第9話

 イザベラのリュティス探索記!

 

 誘拐怪人 レイビーク星人 登場!

 

 

 トリステインからラグドリアン湖をはさんで南に位置する大国ガリア王国。そこは、面積だけでもトリステインのざっと十倍の広大さを誇り、人口三十万の膨大な数の力が生み出す国力によって、ハルケギニア最大の国家として知られている。

 

 しかし、そんな豊かな国の中枢では、血で血を洗う低級な権力闘争が続いており、前王の死後は弟を殺して王位を奪ったとうわさされるジョゼフ王と、そのジョゼフを廃位して弟王子の忘れ形見であるシャルロットを擁立しようとするオルレアン派とのあいだで、水面下の戦いがなおも続いていた。

 

 まこと、人間の愚かさとは古今東西判で押したように変わらないものである。だが、その馬鹿馬鹿しい争いの犠牲者であるシャルロット・エレーヌ・オルレアン王女ことタバサは、そんな権力闘争には興味を持たず、北花壇騎士として牙を研ぎながら、父の復讐の機会のみをじっと狙っている。

 

 今日もタバサは任務を命じるイザベラの書簡で呼び出され、その内容を確認するためにシルフィードに乗って、ガリアの首都リュティスにやってきた。

「あの一番高い建物の屋上に降りて」

「はーいなのね」

 街の上空を高度を上げて一巡りしたタバサは、街の様子がいつもと変わらないことを確認すると、アストロモンスに破壊されてから再建間近なプチ・トロワの代わりに、イザベラが仮の住まいにしているホテルの屋上にシルフィードを着陸させた。

「ここで待ってて」

 こういう高級な建物の屋上は、竜籠などで移動する金持ちや貴族などのために、地球でいうヘリポートのような設備を持つ場合がある。前回来たときはわざわざ玄関から入ったが、今回はイザベラの側近で、タバサにオルレアン派の復興を夢見ている東薔薇騎士団長のカステルモールが気を利かせて屋上の場所をとっていてくれたおかげで、ずいぶんと時間を節約することができた。

 だが、最上階のイザベラのスイートルームのドアをノックした後で、出迎えてくれたカステルモールの顔は、いつもとは違う意味で曇っていた。

「イザベラが、いない?」

「はい、朝からお出かけになられておりまして、昼過ぎには戻られるとおっしゃられていたのですが……」

 非常に困った顔をするカステルモールの謝罪に、タバサは「いい」と短く答えると、主のいない豪華な部屋を見渡して、軽く誰にも気づかれない程度のため息を漏らした。

「すみませんシャルロットさま。私どももできる限りおいさめしてるのですが、イザベラさまの放蕩癖はなかなか変わらず」

 あのアストロモンスの事件以来、面従腹背であったイザベラとカステルモールたち騎士団との関係は多少は改善し、またイザベラも以前のような理不尽な暴力はあまり振るわなくなっていた。でも、幼い頃からわがままいっぱいに毎日を遊びまわって育った、そんな習慣はなかなか抜けないようであった。 

「わたしは北花壇騎士、主の私生活には関心はない。それよりも、あなたたちこそ不当に扱われてはいない?」

「おお、なんとありがたいお言葉……やはりあなたさまこそ、この国の王の器にふさわしい。そのときのためなら、どんな艱難辛苦にも耐えられますとも。と、言ってはおおげさですが、昔に比べれば天国のようなものです。やれ茶がぬるいだの、料理に飽きただのと召使泣かせなのは変わりませんが、首をもらうだの、一週間食事抜きだのとはおっしゃいません。おかげで、苦労はともかく誰もおびえなくてすむようになりました」

「そう」

 本意は、不満のあまりに激発して反乱など起こさないだろうかと危惧していたのだが、この様子なら大丈夫そうだ。わがまま度は相変わらずだが、このくらいなら魔法学院の生徒たちと大差はない。

「それで、いつ戻るかもわからないの?」

「はい、市街で遊び歩くのを覚えなさってから、『フェイス・チェンジ』で顔を変えて頻繁に。このあいだなど、日帰りと言いながら三日も遊び歩かれて、冷や汗ものでした」

 困った従姉妹姫であるのはいつものことながら、今回は本当の意味で困ってしまった。イザベラが自分のことを嫌っているのは百も承知だし、罵声やら腐った卵やらで出迎えられるなら無視すればいいだけの話だが、いないとあっては任務がもらえないから話にならない。

「それに最近は、妙な事件がはやっていますから、できるだけ出歩かないでほしいのですが」

「妙な事件?」

 聞き捨てならない単語に、タバサは何のことかと問いただすと、カステルモールはここ一週間ほどリュティスで頻発している、ある事件について説明した。確かに、それはイザベラの身が危険かもしれない。

「それで、どうなさいます? ここでお待ちになられますか?」

 できる限り歓迎したいというカステルモールの誘いを、タバサは首を横に振って断った。別に歓迎されるために来たわけではないし、どこで誰が聞き耳を立てていないとも限らない。

「彼女はどこに行ったの?」

「お迎えに行かれるおつもりですか?」

「そう、急ぐ用事ならもだけど、彼女の身に危険があるとしたら、待ってたら手遅れになるかもしれない」

「はい、ですが実は……」

 言いにくそうに答えたカステルモールの返答の場所に、タバサはこれは任務よりも面倒かもしれないなと、らしくもなくずれた眼鏡を指先で上げながら思った。

 

 

 一方、タバサやカステルモールにそんな心配をかけているとはつゆ知らず、知ってても気にも止めなかったであろうが、王女イザベラは広いリュティスの中心街から外れたやや狭くて暗い路地で、一人で敷石に腰を下ろしてぶつくさぼやいていた。

「まったく、迷子になるとは使えない従者たちだよ。おかげで帰り道さえわかりゃしない」

 彼女の周りには、カステルモールがつけた東薔薇騎士の護衛数人の姿はない。この入り組んだ路地を駆け回っているうちにはぐれてしまった。本当はイザベラのほうが迷子になったのだが、それを口にするとプライドが傷つくので言わない。 

 そんな彼女は、平民の中流階級が着るような目立たない服を着て、タバサと同じ色の青くて長い髪を、動きやすいように後ろでまとめたラフな格好をしていた。

「しょうがない。腹も減ってきたし自力で帰るかい。カステルモールには、次はもう少しましな連中を貸すように言っておかないとね」

 よいこらと、男の子のようなしぐさで立ち上がったイザベラの懐から、金色のコインが一つ落ちて敷石の上を転がっていく。それは、このあたりの裏町に点在するカジノのコインで、非合法スレスレな過激な経営方針が、地下の闇カジノについで平民、貴族問わずに人気を呼んでいる。イザベラも、そんなスリルに魅了されたひとりであった。

 裏町は迷路のようで、変な連中のたまり場があったり、意味不明な看板をあげている店があったりと以外には、すれ違う人も少ない。しかしそれとは逆に、建物の中からは異様なまでの人の気配が漂っている。

「おい見ろ、なんだあの女?」

 イザベラは、暗がりや窓の中からいぶかしげに見つめる男たちの視線にいくつもさらされていた。フェイス・チェンジの魔法の効力の時間は過ぎて、目を引く青い髪とともに、タバサによく似た美貌が地味な服を着ていても強烈に人目を引いた。

 もし、その観察者たちがその気になれば、あっという間にイザベラは取り囲まれて、物陰に引きずり込まれていただろう。そうならなかったのは、実はまったくの幸運があったからである。

「ありゃけっこういいところの出だぜ。どうだ、やるか?」

「バカ、そんなのがこんなとこをノコノコ一人で歩いてるもんか。大方出て行ったところで頭上から網が降ってきて一網打尽って筋書きさ。見え透いた囮作戦だよ。あの目を見ろ、あれがいいところのお嬢さんか」

 皮肉なことに、あまりにも無防備なことと、いらだって目じりにしわを寄せていたことがごろつきどもの警戒心をあおって、襲われることを回避していた。もっとも、そんな幸運を知るはずもなくイザベラは、とりあえず歩いてれば知ってるところに出るだろうと適当に歩き回った。

 だが、山で迷えば来た道を引き返せと鉄則があるように、迷ったときに適当に歩いたらよりいっそう迷うのが世の常である。

「ああもう! この道さっき通らなかったかい!? どうなってんだこの街は!」

 ゴミ箱を蹴飛ばして、群がっていた野良犬が逃げ去るほどの怒声をあげながら、イザベラはちっとも改善しない現状にいらだっていた。なにぶん狭い裏町の路地というものは目印になるものもない上に、箱入り娘として育った彼女は方向感覚も未熟で、遊園地の迷路に勢いよく入ったはいいが出られなくなった子供と同じ状況になっていた。

 ここまでくればさしものイザベラも、自力で裏町を出ることが不可能だと理解していたが、いかに彼女が高慢な性格だとしても、こんなところにいるごろつきに道を尋ねたとしても、まともな対応が返ってくるとは思っていない。

 どうしたものか……イザベラはそろそろ焦り始めていた。

 このまま暗くなったら、いくらなんでもまずいことになる。そういえば人形娘も呼んでいたけど、そちらのほうはまあ後でもいい。でも、もし自分が帰らないことを城の連中が知ったら…… 

 不吉な予感が心を蝕んでいく。冗談ではない、こんなことでオルレアン派の連中にいい目を見せたら自分は笑いものどころではない。なにがなんでも自力で帰ってやると、駆け足になって路地をくぐっていき、ある曲がり角を曲がったときだった。

 

「きゃあっ! や、やめて、離してください」

「へっ、こんなところに譲ちゃんみたいなのが一人で歩き回ってるのが悪いんだぜ」

「そうだぜ。ここはな、俺たちの縄張りなんだ。縄張りに勝手に入り込んだ奴は、おしおきしねえとな」

「な、なにするつもりですか!」

「くくく、払うもの払ってくれればいいんだよ」

 

 見ると、路地の真ん中で、赤い髪をした十八歳くらいの少女が、見るからに柄の悪い四人ほどの男にからまれているところだった。

「や、やあっ! 触らないで」

 どうやら少女のほうは、この裏町の人間ではないようだ。町娘風の服装の袖やスカートから見える手足は華奢で、男の力に抗えてはいない。

「んったく……」

 イザベラは道を塞いでいる混雑をうっとおしく思って引き返そうかと考えたものの、戻って別の道に入るには数百メイル歩かなくてはならない。面倒くさかったが、少女の服に手をかけている男たちに向かって、思い切り居丈高に叫んだ。

「おいそこのゴミども! 目障りなんだよ。道を開けな」

 ごろつきたちは、突然浴びせかけられた怒声に驚き、とっさに声のしたほうを見た。けれどそこに立っているのが同じような少女だと知ると、とたんに下品な笑みを漏らした。

「なんだ姉ちゃん、俺たちになんか用かい?」

「ああん? 薄汚い口でこのあたしに質問すんじゃないよ。耳が悪いのかい? それとも中身が悪いのかい? ああ、顔が悪いんだね。見たらわかったよ」

「んだと……言ってくれるじゃねえか、こんのクソ女」

 まさかこんな美少女から、自分たちよりもはるかに汚い言葉が飛び出してくるとは思っていなかったごろつきどもは、額に血管を浮かび上がらせてイザベラを睨んだ。

 だが、その程度の眼光ではイザベラはひるまない。

「おっ、人間の言葉を理解する知能はあったか。あたしはてっきりサルに話しかけてたかと思ってたよ。んじゃあまあ、目障りだからさっさと消えろ」

「ざけんな! てめえ生かしちゃ返さねえ」

 イザベラの高慢な命令に、短い堪忍袋の尾を切れさせたごろつきたちは、いっせいにイザベラへと襲い掛かった。だが、イザベラは汚いものを見る目つきのままで、懐に手を伸ばすと、短く呪文を唱えた。

「なっ!? メ、メイジ!」

 先頭の男がイザベラの杖を見て驚いた瞬間、つむじ風がその男の茶色く汚れたシャツをざっくりと切り裂いていた。

「あたしはゴミを眺めて楽しむ趣味はないんだよ。ゴミのくせに、何度も人間さまにしゃべらせるな」

「く、くそっ。貴族が相手じゃかなわねえ。逃げろっ!」

 ごろつきたちは、さっきの威勢はどこへ霧散してしまったのやら、恐れおののくと尻に帆かけて、あっという間に路地の先へと逃げ去ってしまった。

「はん。ちょろいな」

 イザベラは杖をしまうと、怯えていたごろつきたちの顔を思い出して、多少溜飲を下げた。本当は、今使ったつむじ風程度がイザベラにできる限界で、四人の男をいっぺんに相手取るなどできないのだが、だからこそ愉快でもあった。

「馬鹿な連中だよ。勝とうと思えば勝てるはずなのに、こちらがメイジというだけで、ちょっと脅しをかけたら勝手に驚いて逃げていくんだから」

 はったりもまた立派な戦術のうち、幼い頃から他人をかしずかせてきたイザベラは、他者を威圧することにかけては天性ともいえる才能を持っていた。人生なにが幸いするか分からないものである。

 そうして、口元を歪めて品のない笑いを浮かべたイザベラは、しばらく勝利の余韻にひたっていたものの、ふと視線を下ろすと、さきほどごろつきたちに襲われていたあの少女が目の前にひざまづいて、感謝の視線でこちらを見ていることに気がついた。

「ど、どこのどなたかは存じませんが、危ないところをお助けいただき、ありがとうございました」

「ん? ああお前、まだいたのか」

 イザベラは謝意を述べてくる少女を、さっきのごろつきを見るのとたいして変わらない視線で見下ろした。別に、助けるつもりなどは最初からなかったし、眼中になかったというのが正しいだろう。

 少女は、成り行きとはいえ助けてもらったことになるイザベラを、キラキラと輝いた瞳で見上げている。

”うざいな。こいつもちょっと脅かして追い払うか”

 少女の心を完全に裏切るように、イザベラはもう一度杖を取り出そうと懐に手を伸ばした。

 けれど、こちらに向かって祈るように手を合わせている少女の手の甲に、さっきごろつきにからまれたときについたと思われる傷が血をにじませてるのが目に入ると、イザベラの心に一つの言葉が蘇ってきた。

 

”いいかい、ここから動いちゃいけないよ。すぐに助けがくるからね”

 

 忘れかけていた、優しく、頼もしいあの言葉。するとどういうわけか、心の中にたぎっていたドロドロした感情が溶けていき、イザベラの手は杖ではなく、胸ポケットにしまっていたシルクのハンカチを握っていた。

「怪我してるのか……ちょっと待ってな」

 もしこの光景を、カステルモールやヴェルサルテイル宮殿の人間などが見たら、夢かと自分の目を疑ったに違いない。イザベラは上質のシルクのハンカチを斜めに伸ばすと、包帯の代わりにハンカチを少女の手に巻いていった。

「あ、そ、そんなもったいない!」

「いいから、黙ってな」

 なかば強引に、結び目もいびつながらもイザベラは少女の手にハンカチをぐるぐる巻きにして、大きくため息をついた。

 ハンカチはしわくちゃになり、血がにじんで高級品としての価値が台無しになっている。本来なら、平民相手にこんなことは絶対にしないのだが、どうしてそんな言葉が出たのか、どうしてこんな気になったのか、イザベラ本人にもよくわからなかった。

「あ、ありがとうございます」

「……フン」

 だが、今度礼を言われたときには、なんとなく悪い気はしなかった。本当に、訳がわからない。

 いや……ああそうか、やってもらってうれしかったことを、誰かにやってやりたかったのか。

「……おい平民」

「あ、はい!」

「誰だかは知らないが、そこらのゴミよりかは使い物になるだろう。表通りまで案内しな」

「はい! 喜んで」

 満面に笑みを浮かべて立ち上がった少女に先導されて、まだよくわからない気持ちをひきずりながら、イザベラは薄暗い路地を歩き始めた。

 

 両側に高い石作りの建物に挟まれた路地は、昼間だというのに薄暗く、単調な風景を続けて二人の少女を見下ろすようにどこまでも壁が続いている。

「おい、この道はさっき通らなかったかい?」

「いいえ、このあたりの町は意図的に似たような風景で作られてるんです。それを知らないと、どんどん迷うばかりなんですよ」

 少女によれば、このあたりは敵が侵入してきたときに迷わせて時間を稼ぎ、あわよくば内部で殲滅するためにこんな入り組んだ構造になっているのだという。もっとも、今ではすねに傷があるものが隠れ住むのに使われているくらいだそうだが。

「ほお、この臭い町に、そんな意味があったとはな」

「大都市というのは、それ自体が要塞みたいなものなんだそうです。もっとも、これは旦那様が坊ちゃまに講義してらっしゃるのを、隣で聞いていただけですが」

 その少女は、名前はアネットといい、このリュティスに屋敷をかまえるド・ロナル伯爵家の召使をしていると自分のことを語った。

「ド・ロナル家か……確か、大臣や将軍を何人も輩出した名家だっけね。そんなところの召使が、なんでこんなゴミために一人でいるんだい?」

「それは……」

「ふん、言いたくない事情があるってかい。お前ら平民はいつもそうだ。目の前じゃあ貴族さま、貴族さまとへいこらするくせに、陰じゃあせせら笑ってやがる。そんなに人を馬鹿にするくらい偉いなら、わざとらしく頭なんか下げてんじゃねえってんだ!」

 形だけはうやうやしく礼儀正しくして、カーテンの陰でひそひそと話をしている召使や従者への不満を、なんの関係もない少女に向かってイザベラはぶちまけた。けれど、アネットはイザベラの怒声を別の意味に解釈したらしく、うーんと、なにやら深刻そうに考え込むと、ぱっと顔をあげた。

「そうですよね。怖くても、言わなきゃいけないことってあるんですよね。ありがとうございます! ……あの、その堂々たるふるまい、きっと名のあるお方とお見受けしますが、失礼ですが、お名をうかがってもよろしいでしょうか」

「ん? あ、ああ……」

 そういえば名を名乗っていなかったことにイザベラは気がついた。自分はめったに平民の前には顔を出さないので、アネットは自分が王女だということには気づいてないようだが、まさか本名を名乗るわけにもいかない。

 いくつかの偽名の案を頭の中で選定する。ニーナ、バーバラ、イオナ、ほっぽ、ウィンダ、エリアル……召使や、物語の中の登場人物の名前を思い出していくが、どうにも自分としっくりくるものがない。いっそ自分の名前をもじってイーザ、もしくはベラと名乗ろうかと思ったが、これもいまいちいい感じがしない。

 アン、グレア、ハンナ、ティナ、セリス、アブトゥー……イメージに合いそうなのは少しはあるけど、やっぱりどうしても納得いかない。どうやら、今まで意識したことはなかったが、イザベラという名前は見事に自分に合った名前だったらしい。

「名前、か……」

 イザベラ……それを名づけてくれたのは、生まれてすぐ死んだ顔も覚えてない母だという。でも、そんな愛情の欠片も感じたことのない母も、たった一つだが自分に生涯消えることの無い贈り物を残していってくれたのかと、イザベラは少しだけ感傷的な気分になった。

「あの……どうなさったんですか? もしかして、名乗るほどの者ではないと……な、なんて奥ゆかしい!」

「え!? いやいや! イ、イザベラ、そう、あたしの名前はイザベラさ!」

 結局イザベラは本名を名乗った。別に言わなくてもよかったけれど、羨望のまなざしを向けてくるアネットの視線のほうが痛かった。

 だが、アネットは王女の名前が出されたというのに驚いた様子もなく。うれしそうに言った。

「イザベラさまですね。勇敢で賢そうで、すごいいい名前だと思います」

「え? あ、ありがとう」

 拍子抜けしたが、本当にアネットはイザベラが王女だとは少しも気づいてないらしい。まあ考えてみれば、イザベラという名前の女など、このリュティスだけでもはいて捨てるほどいるだろうし、仮に王女の顔を知っていたとしても、人間は思い込みというものが強いから、本人だとはまず思わないだろう。

 ほっとしたような残念なような、やや複雑な思いをしつつ、それから二人はたわいもない話をしながら、あっちへこっちへと、迷路のような街並みを歩いた。

 ただ、いくら人通りが少ないとはいえ無人ではないので、イザベラだけならともかく、温和な雰囲気を漂わせるアネットがいては、二人は一度ならず柄の悪い男たちにからまれた。もっとも、そのたびにイザベラが軽く魔法で驚かすと逃げていった。

「あ、ありがとうございます。また、また助けていただきまして」

「ばーか、あいつらが臆病だっただけだ。しかしまあ、よくお前は一人でこんなところまで来れたな。普通だったらとっくに捕まって、下手すりゃ生きて帰れないとこになるとこだぞ」

「駆け足には自信があるもので……」

「に、したって命知らずもいいところだ」

 他人の心配などという感情にとんと無縁であったイザベラが呆れるほど、アネットは見た目どおりに無防備そのものだった。これでは狼の巣に子羊を放り込むようなものである。他者に無関心なイザベラであっても、いくらなんでも黙っていられない。

「お前さ、もう一度聞くが、なんでこんなヤバい場所に一人で来た? なんかよほどの訳があるんだろ」

「それは……イザベラさまには、関係のないことで」

「うるせえ。お前のことだ、あたしを外に出したらまたここに戻ってくるつもりなんだろ。気になるだろうが。それとも、魔法で無理矢理しゃべらせようか?」

 もし相手がタバサだったら、絶対にこんな心配はしないだろう。弱いものいじめは嫌いじゃないが、なぜかアネットがさっきのような連中に襲われたらと思うと、無性に腹が立って仕方が無かった。

 アネットは、杖を突きつけるイザベラに一瞬びくりと震えた。しかしイザベラがいっこうに呪文を唱えようとはしないので、ほっとしたように、次いで観念したように事情を告白した。

「主人が、誘拐されただって?」

 理由を聞いたイザベラはびっくりした。話によれば、数日前アネットの働くド・ロナル家の一人息子オリヴァンが突如失踪したのだという。

「馬鹿な、ド・ロナル家の嫡子が誘拐されたなんて大変な事件になるはずだ。あたしはそんなこと一言も聞いてない。家出じゃないのかい?」

「いいえ、ぼっちゃまは、一人で外に出たことはありません。それに、知られると家名に傷がつく恐れがあると、旦那様も奥様も、事実をひた隠しにしていますので」

 ちっと、イザベラは不愉快そうに舌打ちした。アネットのいたところも、宮殿となんら変わりない薄汚れた世界だ。

「で、身代金の要求とかはあったのかい?」

「いいえ、そういったものは何も……それに、こういったことはわたくしどもばかりではないのです」

 「なに?」と、いぶかしげに尋ねたイザベラに、アネットはさらに驚くべきことを語った。

 誘拐事件は、このリュティス全域で貴族、平民問わずに頻繁に起こっていたのだ。

「新聞を読んでいた旦那様の話を聞いたのですが、この一週間ほどですでに百人ほどが行方不明になっているそうです。それも、年齢、性別、職業などまったくかまわずに」

 さらに家族や友人には脅迫などは一切ないから、衛士隊も事件の頻度の割には捜査の足がかりがつかめずにいると聞き、イザベラも自分の足元でそんな大火が起こっていたのかと、正直に驚いていた。

「惜しいな。そんなうまい話があるなら、あの人形娘に……いや、だがお前がこんな場所にいた説明になってないぞ」

「それは……旦那様が、もし人攫いの集団が根城にするなら、衛士もうかつに手を出せないこの裏町が一番怪しいなと、独り言でおっしゃっていましたので」

「はぁっ!?」

 何度も呆れていたが、人生最大の呆れをイザベラはこのときした。

 なんとまあ、そんな適当な根拠で、命の危険のあるこんな場所に乗り込んできたというのか。無茶で無謀で、成功するなどとはコンマ一パーセントもあるとは思えない、大馬鹿の考えだった。

「信じられないね。それに第一、奇跡的にそのオリヴァンぼっちゃんが見つかったとして、誘拐団から、あんた一人で助けだせると思ってるのかい」

 アネットは無言で首を振った。

「ほおらね。やめとけやめとけ、しょせん平民にできることなんか、たかが知れてるんだから」

「でも!」

 小馬鹿にするように言った一言に過剰なほどの大声で反応したアネットに、イザベラのほうが一瞬気圧された。

「ぼっちゃまは、きっと今ごろ一人ぼっちで泣いてらっしゃいます。お友達もおらず、屋敷からもろくに出たことのないぼっちゃまが、そんなことにいつまでも耐えられるかどうか!」

 イザベラは本日になってから、もう数えるのも馬鹿らしくなってきた呆れをまた体感した。

 話を聞く限りでは、そのオリヴァンとかいうやつは、絵に描いたようなダメ人間みたいで、おまけにどうやらアネットのほうは、そのダメ人間に並々ならぬ愛情をもっているらしい。

 だが、アネットのこだわりがどうあれ、このままほっておいたら絶対にただではすまない。なんともとんでもないお荷物を引き受けてしまったものだ。イザベラは、こうなったら王女の身分を明かして無理矢理連れて行こうかと思った。

 そのときだった。

 

「わああぁーっ!」

 

 突然、路地の先から男の悲鳴が聞こえてきた。それも、一人や二人ではない。

「こっちだ!」

 とっさにイザベラはアネットの手を引いて、そばに放置してあった荷車の陰に飛び込んだ。

「ど、どうしたんですか?」

「しっ、黙ってろ」

 相手がごろつき程度なら、これまでどおりに脅して追い払う自信はあったが、イザベラにも備わっていた動物的な第六感が、「隠れろ、危険だ」と告げていた。

「な、なんだてめえらぁ!」

「た、助けてくれぇ!」

 路地の曲がり角の先からは、数人の男の怒声や悲鳴が木霊してくる。二人は荷車の陰から、その曲がり角を息を呑んで見守って、やがて角から一人の男が逃げ出してきた。

「あいつは、さっきの」

 それは、さっきアネットを襲っていたごろつきの一人であった。なにか、とてつもなく恐ろしいものに追われているらしく、顔中を恐怖に引きつらせている。

 しかし、彼はその何者かから逃げ延びることはできなかった。飛び出してきて、その曲がり角を曲がろうと一瞬足を止めた瞬間、青白い光が彼に照射されて、男は悲鳴と共に一瞬で消えてしまったのだ。

「なっ!?」

「人が、消えた!?」

 二人とも愕然として角を見やった。すでに男の仲間も全員消されてしまったらしく、怒声も悲鳴も一つもしない。

 そして、角の先から現れた異形の人影を見て、二人は背筋に強烈な寒気を覚えた。

「な、なんだあいつは!?」

「カ、カラス人間!?」

 それは明らかに人間ではなかった。全身は黒いスーツのような服で覆っていて見えないけれど、頭はカラスに似た兜状の鋭角のもので、黄色い大きな目がらんらんと光って周りを見渡している。

 二人は、見つかってはまずいと荷車の陰で息を潜めてカラス人間を観察し続けた。すると、そいつの後ろから別のカラス人間が数体現れたではないか。

「まだあんなに!」

「しっ! 見つかったらどうする」

 鳥類の耳がいいかどうかは知らないが、この状況、あの男たちを消したのは間違いなくあのカラス人間たちだ。それに、奴らの何体かは手にかなり大型の銃のようなものを持っている。あれがどれだけの威力を持つかは、平民の武器には無知なイザベラには見当がつかなくても、撃たれたら死ぬということくらいは知っている。

 それにしても、奴らは人間ではないのは確かだが、あんな亜人がハルケギニアにいたかと、イザベラは首をひねった。翼人、ミノタウロス、オーク、コボルド、トロール……だいたいの亜人の種類くらいは暗記しているけど、カラスの亜人なんて聞いたことも無い。

 奴らは隠れている二人にはまだ気がついていないらしく、集まってなにやら話をしているようだ。できれば内容を知りたかったが、奴らの声は鳥か虫の声を絞り出したような聞きにくいもので、人間の言語とはかけ離れていた。

「あいつら、いったい何者なんだ……?」

「あの、イザベラさま……」

「なんだ?」

「もしかして、ここ最近はやってる誘拐事件の犯人って、あの人たちなんじゃないでしょうか?」

「なに……ありえるな」

 突飛だが、その可能性は強いとイザベラも思った。犯人が人間でないのなら、普通の捜査で手がかりが見つからないのも当然で、動機や手段も人間の思うものではないのだろう。

 カラス人間たちは、その後意味のわからない会話を続けていたが、やがて二人に気づかないままに、元来た方へと立ち去っていった。

「ほっ……」

 安堵のため息をイザベラは漏らした。いや正直ほっとしていた。もし見つかっていたら自分の稚拙な魔法ではどうなっていたか。危ない危ない、ああいうやっかいなのは今度あいつに押し付けて片付けさせよう。

 そこまで考えて、荷車の陰から立ち上がろうとしたときだった。アネットが突然飛び出すと、カラス人間たちの消えていった路地のほうへ走り出したのだ。

「あっ! お、おいアネット、なにしてんだ」

「あいつらがぼっちゃまをさらったんです。追いかけて、ぼっちゃまを取り返します」

「馬鹿! あの光線を見なかったのか、お前まで消されるぞ」

「でも、やっとつかんだ手がかりなんです。わたし、行きます!」

「わからずやが! あたしゃ知らないからな」

 亜人だかなんだか知らないが、あからさまに危険なものにこれ以上関われるかと、イザベラはアネットに背を向けて逆方向に去ろうとした。が、そこで大事なことに気がついた。しまった、わたしは一人じゃここから出られないんだと。

「んったく……今日はとんでもない厄日だな。ええい、こうなったら乗りかかった船だ!」

 進むも地獄、戻るも地獄ならせめて前のめりに倒れよう。

 アネットに追いついたイザベラは、この興奮しきっている爆弾娘に騒がれないようになだめつつ、角一つごとにこっそりと身を隠しながらカラス人間たちの後を追っていった。

「やっぱりイザベラさまって、すごく優しい方なんですね」

「やかましい。じんましんが出るからやめろ」

 なんで王女である自分が平民の召使に振り回されなきゃならないのか? 魔法で脅せば簡単なのかもしれないが、下手に騒がれてカラス人間たちに見つかればこちらの身が破滅する。

 爆発させる対象がないだけに、イザベラのうっぷんはたまる一方であった。

 それでも、十数個の角や十字路を通り過ぎると、カラス人間たちはある行き止まりのところまでやってきて止まった。

「やつら、こんな袋小路でなにを?」

 例によって曲がり角から少しだけ顔をのぞかせて、イザベラとアネットはいぶかしげにカラス人間たちの動向を観察していた。だが、やがて一人が壁に近づくと、なんの変哲も無い石壁と思われていたそこが、渦を巻くように開いていって円状の門になった。

「なっ!」

 二人がその光景に唖然としているうちに、門は全員が潜り抜けると即座に収縮して、元の灰色の石壁に戻ってしまった。

「ここが奴らのアジトか。こんな方法でカモフラージュしてたんじゃあ、そりゃ誰にも見つからないわけだ」

「では、ぼっちゃまもあの中に。わたし、行きます」

「馬鹿、門の開き方を知らなきゃ壁ごと吹き飛ばすしかないが、あの分厚い石壁はわたしの魔法じゃどうにもならん」

「で、ではどうすれば!?」

「アジトの場所は割れたんだ、衛士隊に連絡して部隊をまわしてもらうしかないだろ。わたしたちにできるのはここまでだ。あきらめな」

 アネットは納得がいかないようだったが、実際彼女にはもう打つ手がないのだから仕方が無い。

 うつむいているアネットの肩を叩き、「ほら行くよ」とイザベラはほっと息をついた。

 やれやれ、これでやっと帰れる……そう思ったとき、彼女たちの後ろから突然声がかけられた。

「どこへ行くつもりかな?」

 のどにひっかかるような、人間が発したとは思えない声に、イザベラとアネットが振り返ったときには、もう遅かった。

 いつの間にか後ろに立っていた赤い目のカラス人間の銃が二人に向けられたとき、杖を抜くことも叫ぶこともできないまま、二人に青色光線が浴びせられ、二人の姿は次の瞬間には、その場から消滅してしまっていた。

 

 それから数十分後……袋小路には別の二人組がやってきていた。しかし彼女たちは、そこに他の誰かの姿を見出すことはできなかった。

「本当に、ここで間違いないの?」

「あー! お姉さまシルフィーの鼻を疑ってるのね。確かにここで、あのわがまま王女のにおいが途切れてるのね。うそじゃないのね」

 タバサとシルフィードは、イザベラを探してこの裏町を散々駆け回ったあげく、やっとそれらしい人物を見かけたという情報から、シルフィードににおいを追わせてここまでやってきたのだった。

 だが、イザベラのにおいは突然空を飛んだかのように途切れ、目の前には分厚い石の壁が聳え立っている。

「……」

 もしやと思って、タバサは石壁にディテクト・マジックをかけてみた……石壁には、魔法の反応は一切なかった。

「きゅい、お姉さま、これからどうするの?」

「……」

 石壁には、どうやら細工はないようだ。となると、フライを使って壁を飛び越えたのか? 魔法の才のないことで知られるイザベラだが、それくらいのことはできるかもしれない。ならば、においが途切れるも当然……

「行く」

 これ以上ここに手がかりはないと判断したタバサは、別のところを捜索するために、竜に戻ったシルフィードの背に飛び乗った。

 

 

 しかし、タバサも気づいてはいなかったが、それらの光景の一部始終はある男によってつぶさに見物されていたのだ。

「ふっはははは! さすがに我が姪も、あの仕掛けは見破れんか。まったくお前の連れてくる連中は、面白い道具をたくさん持っているものだなあ」

 ヴェルサルテイル宮殿の中核グラン・トロワの、大臣でも気安くは立ち入れない王の寝所のある広い部屋にその男はいた。床に張られた直径十メイルほどの大きな水鏡に、イザベラの消えた行き止まりで思案にくれているタバサの姿が、斜め上から見下ろしたように映し出されている。

 それを見物している人影は三人。まずは困り果てているタバサを愉快そうに笑っているガリア国王ジョゼフと、この水鏡型のマジックアイテムを操作しているジョゼフの使い魔の女。そしてもう一人、この場の雰囲気に合わない小太りで顔を白塗りにした奇妙な紳士姿の男。

「いえいえ、あの程度のゲートは作り出すのにそんなに難しい装置はいらないです。壁抜けならわたくしごときにだってできますし」

「ふ、だがまあそんなことは些細なことだ。チャリジャよ。一週間前に、お前がお前の世界から連れてきたあの連中はなかなか面白い仕事をする。おかげで、リュティスに不安と動揺が疫病のように蔓延しはじめているぞ」

「レイビーク星人の方々は、そろそろ切羽詰ってますから張り切ってるんでしょう。わたくしのビジネスとは少し違いますが、商売人としてコネクションは多いにこしたことはありませんからね」

 商売人らしく愛想笑いを常に浮かべながら、人間に変身した宇宙の怪獣バイヤー・チャリジャは語った。

 あのアストロモンス事件以来、ジョゼフをこのガリアでのスポンサーに選んだチャリジャは、この土地での自由な怪獣探しを手伝ってもらう見返りに、ムザン星人にガギをつけてこの世界に呼び込んだりと、ジョゼフの依頼でいくつかの怪獣や宇宙人を、この世界に送り込む手引きをしていたのだ。

「では、わたくしはまた商品の調達にまいります。取り急ぎご用事ができましたら、わたくしの携帯のほうへご連絡を」

 すっと、壁に溶け込むようにチャリジャは消えた。

 ジョゼフは、この水鏡……正確には小鳥型のガーゴイルを飛ばして、その見たものが映る仕組みになっているマジックアイテムの中で、正解が目の前にあるというのに立ち去ろうとしてるタバサを哀れそうに見つめると、独り言のようにつぶやいた。

「それにしても、まさか我が娘が網にかかるなどとはさすがに予測できなかった。いやいや、さすが現実というものはチェス盤の上とは違って、想像もしていなかったことが起こる。アルビオンのゲームは余の完敗であったが、今度のゲームもなかなか楽しめそうだ。さあてシャルロットよ。お前にとってイザベラは目障りな存在だろうが、イザベラがいなくなってはお前は北花壇騎士としての本分を果たすことができない。つまりはお前の父の仇である余に近づく機会も失われるということだな」

 途中から声の抑揚を上げていき、子供が親に手製のおもちゃの説明をするときのようにジョゼフは独奏を続けた。

「ふむ、皮肉なものだな。お前は自分の目的のために、自分に一番敵意を持つ人間を救わねばならないのだからな。しかし、ぐずぐずしていてはイザベラは二度と手の届かないところに行ってしまうぞ。どうするかな?」

 チャリジャと取引のあるジョゼフは、レイビーク星人たちがなんの目的で人攫いをしていたのかも知っている。少なくとも、このままでは無事ですむことはないだろう。

 すると、それまでじっと水鏡を操っているだけだった女、アルビオンでジョゼフの手先として暗躍していたシェフィールドが、いぶかしげにジョゼフに尋ねてきた。

「あの、ジョゼフさま。イザベラさまをお助けにならなくてよろしいのですか?」

「助ける? なぜだ」

 心底不思議そうに聞き返してきたジョゼフに、シェフィールドは主の不興を買うのは承知で、今は好奇心のほうに身をゆだねた。

「イザベラさまは、あなたさまの血を分けた娘なのでは」

「だからどうした? それがなにか問題になるのか」

 なんの感慨も無い、履いて捨てるような返答に、シェフィールドは息を呑んだ。すでにアルビオンでワルドに憑依したブロッケンから受けた傷はほぼ完治しているはずなのに、胸のどこかがにぶく痛む。

「イザベラさまを、愛してはいらっしゃらないのですか?」

「イザベラ? まさか、子を愛さぬ親はいないなどと世間ではいうが、そんなものは余にとってはただの美談だ。自らの子の血肉と金貨を交換する親などいくらでもいる。まあシャルル……あいつは、自分の娘を、シャルロットを愛していただろうな」

「だから……シャルロットさまを」

「ああ、最愛の弟の最愛の娘を絶望に沈んだ顔を見てこそ、我が心は再び痛むかもしれん。あの日……この手でシャルルを手にかけたとき以来、余の心はなにも感じなくなってしまった。あとに残されたのは恐ろしいまでの退屈さだけ。それまでは当たり前に感じていたはずの愛情や良心の呵責など、あのときを境に消え去った。だから、余はもう一度それを取り戻したい。ああ、余の望みはそんなちっぽけなことなのになあ」

 本気とも冗談ともつかない口調で語るジョゼフの言葉。だが、シェフィールドは答えがそのどちらに属するのか理解している。そして、主人がそれ以上の言葉を自分に求めていないことを知って、黙って水鏡の操作に戻った。

「ああシャルル、我が弟よ。お前は誰よりも魔法の才に長けていた。お前は誰より賢かった。お前は俺にできないことはなんでもできた。そしてお前はいつでも優しかった。そんなお前を、いつも俺はどんな目で見ていたと思う? うらやましかった。それはそうだろう、あたりまえのことだろう? でもな、憎くはなかったんだよ。本当だ。あんなことをしてしまうほど、憎くはなかった。あのときまでは……そう、お前が俺に向かって、あの一言を言った、あのときまでは……」

 つらつらと、過去何十ぺんと繰り返した独白を続けるジョゼフの声が、ただ機械的に仕事をこなすシェフィールドの耳だけを通り過ぎて、室内の湿った空気を空虚に揺らした。

 

 

 続く

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