ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第65話  剣下の再会(前編)

 第65話

 剣下の再会(前編)

 

 殺戮宇宙人 ヒュプナス 登場!

 

  

 謎の宇宙人の手により、書き換えられた舞台となったハルケギニア。

 そこでは彼によって、今日もなんらかの陰謀が進められている。

 しかし、忘れてはいないだろうか? この世界には、数々の災厄の発端となったあの侵略者がまだ健在でいることを。

 そして、奴は当然他人の事情などを鑑みたりなどしない。腐肉にたかるハゲワシやハイエナが譲り合うことなどしない。

 

 

 『それ』が、いつハルケギニアにやってきたのか。そんなに昔の話ではない。

 『それ』は、ハルケギニアが破滅招来体によって闇に閉ざされている時期のいずれかに、嵐に包まれる聖地から現れた。

 『それ』は、巨大な宇宙船に乗ってやってきた。

 送り込んできたのはヤプール。奴は、まだ動けない自分に代わって、ハルケギニアに混乱を巻き散らすエージェントとして『それ』と契約し、送り込んだのだ。

 しかし、『それ』が底に秘めた邪悪を、ヤプールさえまともに理解しているわけではなかった。

 悪は正義の敵となる。しかし、悪が悪の味方となるとは限らない。『それ』が誰を傷つけ、誰を利するのか。

 そして時が経ち、解き放たれた美しき殺戮者の魔の手によって彩られる、短くも真紅に満ちた日々が始まろうとしている。

 これは、物語の大筋のほんのすきまに挟まれた、悪夢のような数週間の記録。その始まりである。

 

 

 トリステイン魔法学院の遠足や、トリスタニアを騒がせた三面のバカどもの騒動からもしばらくして、トリステインは再び平穏な日々を送りつつあった。

 だがその影で、無視できない凶事が進行していることを、新聞の一面を見た市民は暗然とした思いで感じ取っていた。

「子供の行方不明事件、昨日もタルブ村で三件発生。トリステインだけでも、これで二十四人の子供が突然いなくなっている……か。うちのガキにも外に出るなって言っとくか」

 ある日、なんの前触れもなく子供が姿を消す。子供を持つ家庭を震え上がらせる事件が、このところトリステインやガリアで頻発していた。

 身代金の要求などはなく、消える子供も貴族や平民を問わずに、子供であるという共通点以外はない。

 

 もちろん、こういった事態を官憲が見逃すわけはない。近年禁止になった奴隷取引の密売目的と見て、すでに水面下では動き始めている。

 しかし、敵もさるもので、いまだに誘拐団の検挙にはいたっていない。しかし、少ない手がかりを元に、少しずつ捜査の網を絞り込んでいっていた。

 そして、その捜査をおこなう人間たちの中に、青髪の女騎士の姿もあった。

「では、お子さんを最後に見たのは三日前の……わかりました。ご協力感謝します」

 ある村で、突然息子が消えた家での聞き込みを終えて、浮かない様子で彼女は出てきた。

 ここもほかと同じで、目ぼしい手がかりはなかった。だがそれ以上に、憔悴しきった様子の両親の姿が痛々しかった。目を腫らして、恐らく子供がいなくなってからろくに寝ていないに違いない。

 しかし、捜査に進展がないというわけではなかった。彼女の手には、真新しい報告書の写しが握られていて、それには約一年半ほど前に解決したはずの、ある事件の顛末が記されていた。そして、その首謀者の名前に目をやったとき、彼女の眉が不快気に揺れた。

「やはり手口が似ている……今さら出てきて今度は何をしようというんだ。それともお前、まだあの頃の遊びの続きをしているつもりなのか……?」

 書類をしまい、彼女は歩き出した。まだ、どこの衛士隊も犯人の足取りさえ掴めていない。しかし、彼女の足取りには迷いがなく、やがて彼女の姿は真夏の陽炎の中に消えていった。

 

 

 

 そんなある休日のことである。才人はルイズやティファニアとともに、トリスタニアにある修道院の孤児施設を訪れていた。

「あっ、テファお姉ちゃんだ。おーいみんな、テファお姉ちゃんたちが来てくれたよーっ!」

 子供の元気な叫び声が施設にこだまして、たいして大きくもない施設から子供たちがわっと飛び出してきた。

「テファおねえちゃん!」

「わーい! テファおねえちゃんだ」

「みんな、ただいま。いい子にしてた?」

「はーい!」

 子供たちは、親同然に慕っているティファニアがやってきたことで、踊るように喜んで集まってきた。

 その子供たちに、ティファニアや才人は手にいっぱいに持ったお菓子やおもちゃなどのお土産を差し出した。たちまち群がる子供たちの手に奪われて、才人たちの手は空になる。

「みんな、久しぶりだな。元気してたかよ」

「うん、サイトおにいちゃんたち、ありがとう」

 クッキーを手にした子にお礼を言われて、才人はまとまりの悪い髪をかいて照れた。

 この施設の子供たちのほとんどは、才人やルイズにとっても見慣れた相手だ。彼らはウェストウッド村にティファニアといっしょに住んでいたが、ティファニアがガリアにさらわれた際に子供たちだけで村に残すのは危険だと判断してトリステインへ連れてきた。その後も、何もない森の中よりは人のいる場所で生活させたほうが子供たちの将来にとって望ましいということで、この施設に預けられたのである。

 もちろん、子供たちはティファニアと離れ離れになるのはつらかった。しかし彼らは健気にも聞き分けて、慣れない土地での共同生活を受け入れた。そして、彼らが楽しみにしているのが、ときおりのティファニアの訪問なのである。

「オッス、サイトのあんちゃん。テファねえちゃんに手ぇ出してないだろうな」

「ようジム、お前も元気そうだな。前より背が伸びたか? てか太ったかコラ」

「やべっ、やっぱそう見えるかい。まじいなあ、最近メシがうまくってついつい……これじゃテファねえちゃんに見せられないよ」

 少年のひとりと憎まれ口を叩きあいながら才人は笑った。子供たちはみんな血色がよくて元気そうだ。ウェストウッド村で遊んだ時と変わらないわんぱくっぷりは、彼らがこのトリステインになじんだ証なのだろう。

 また、ルイズはこの修道院の管理人である老神父と和やかに話していた。

「ありがとうございます、貴族さま。遠路お越しいただきまして、おかげで子供たちもとても喜んでおります」

「かまわないわ。わたしにとっても浅い仲じゃないもの。あはは、サミィにマリー、後で遊んであげるから、今は神父様とお話があるから、ちょっと我慢してね」

 子供のパワーには、さすがのルイズもたじたじであった。そんなルイズに、しわだらけの顔をした老神父が穏やかに話しかけてくる。

「皆、元気で素直で、健やかに育ってくれております。よほど、あの子たちを育てたティファニア殿の教育がよかったのでしょうな。私共としても、あの子らが育つのを見るのが楽しくて仕方がない毎日なのです」

「そうね。この子たちが大きくなれば、きっとトリステインはいい国になるわ。それより、運営費のほうは大丈夫? もし足りないなら、女王陛下に上申してあげるけど」

 孤児院は主に教会の寄付などで運営されているため、正直安定しないのが実情だ。ほかにロングビルことマチルダも資金を出してはくれているものの、子供を育てるには本当に金がいくらあっても足りないものだ。幸い、ここは神父様がよくできた方なので子供たちの教育については心配ないけれど、金銭についてはロングビルが今でも不安を感じていることはルイズも知っていた。

 けれど神父様はにこやかに首を振った。

「いいえ、実は最近ゲルマニアのお金持ちの方が援助をしてくださるようになったので、今では子供たちにお腹いっぱい食べさせることができております」

「ふーん、ゲルマニアにも奇特な奴がいるのねえ。キュルケに爪の垢を煎じて飲ませたいものだわ」

 ルイズは素直に感心した。ゲルマニアの金持ちといえば守銭奴のイメージが強いが、中には例外もいるものだ。

 だが、これでアンリエッタに余計な心労をかけさせないですむのはありがたい。ルイズはたまにアンリエッタに送る手紙の中で、市政の様子を簡単でもいいから報告してほしいと頼まれていた。今回、ティファニアに付き合ってここに来たのもその一環で、トリステインの財政は現在安定しているけれど、あらゆる場所を満足させるのは不可能だ。当然、どこかでゆがみが生じるため、そこに民衆の不満が集まることになるのだが、どうやら次に出す手紙に心苦しいものを書かなくてもよさそうでほっとした。

 しかし、老神父は少し顔を曇らせると、ルイズにだけ聞こえる声で不安を口にした。

「ただ、心配なのは最近新聞を騒がせている誘拐事件です。もうかなりの数の子供が消えていると言いますし、我々も心配で」

 するとルイズも顔を曇らせた。

「そうね。どこの誰かは知らないけど、性根の腐った奴がいるものね。わたしが見つけたらトリステインから叩き出してやるところだけど、犯人が捕まるまでは子供たちから目を離さないほうがいいわね」

「おっしゃるとおりです。ですが、なにぶんみんな遊びたい盛りの頃。大人の我々では抑えきれないものがありましてなあ。よいことなのですが、複雑なことです」

 確かに、子供たちのパワーはすごいものだ。真面目に考え込んでいたルイズの前で、才人が悲鳴をあげながら、あっちからこっちへと引っ張られていく。ウェストウッド村のときと変わりない光景に、ルイズの頬も緩んだ。

「あはは、あれじゃサイトが一番のおもちゃね。テファ、サイトを助ける必要なんかないわよ。無駄に頑丈だからその程度じゃ死にゃしないって」

「お、おいルイズ、そりゃねえって! いてて!」

「なに言ってるの。テファにいっしょに来ないかって誘われて、即答したのはあんたでしょうが。もうしばらくそこで遊ばれてなさい」

 にべもないルイズの言葉に、才人は悲鳴をあげながら子供の波の中へと消えていった。

 とはいえ、ルイズのほうもいつまでも高みの見物とはいかず、何人かの子供に誘われると仕方なくついていった。そこで、女の子に編み物を教えようとして毛糸玉を作り、逆に教えられて顔を赤くしているのはルイズらしいと言うべきか。

 しかし、子供たちに翻弄されながらもティファニアだけでなく、才人やルイズの表情は明るい。ちびっこと遊ぶのが大好きというのは全宇宙のウルトラマンたちの共通点かもしれない。

 

「つ、疲れた」

 しばらくしてやっと解放された才人は息をついた。下手な訓練やドンパチよりよほど体力を使う、これを日常的にやってるんだから子供というのはたいしたものだ。

 教会の古ぼけた椅子に座って才人が休憩していると、そこにとことこと一人の少女が寄ってきた。

「サイトおにいちゃん、大丈夫?」

「ん? おっ、アイちゃんか。元気そうだな、みんなと仲良くしてるか?」

「うん、男の子たちはアイの子分なんだよ。いつかアイの騎士団を作って、おじさんに見せてあげるんだ。えっへん」

 小さな胸をはる少女を、才人は優しく頭をなでてあげた。

 才人にとって、この幼い少女の成長を見届けるのは感慨深いものがある。今となっては懐かしい思い出になるが、自分がハルケギニアに来て間もない頃の事件で、彼女と彼女の育ての親であったミラクル星人をテロリスト星人の魔の手から救い出したことがある。その後、星に帰ったミラクル星人からこの少女、アイを引き取り、ティファニアのところに預けて成長を見守ってきた。

 アイは才人になでられて、うれしそうに笑った。それに釣られて才人も笑みを浮かべる。兄弟のいない才人にとって、アイは年の離れた親戚の子のような存在であった。

「おじさんと会えなくて、寂しくないか?」

「うん、少し……でも、アイが寂しがってるとおじさんが安心してお星さまに帰れないもの、我慢するの。それに、今はみんながいるし、サイトお兄ちゃんたちも会いに来てくれるもん」

「そっか、偉いねアイちゃんは。ほんと、ルイズもこれくらい素直なら可愛げがあるんだがなあ」

「あーっ、いけないんだいけないんだ。ルイズお姉ちゃんに言っちゃうぞ」

「げげっ、それは勘弁してくれ。ほら、飴あげるから」

「わーい」

 子供は意外とリアリストなもので、大人を出し抜く術をいくらでも知っている。才人は、冷や冷やしながらポケットの中に菓子を残していた自分の賢明さを褒めたたえていた。

 教会の中にいるのは、休憩に入った才人とアイだけで、涼しい空気が流れてがらんとしている。掃除が行き届いているようで清潔なものだが、子供たちの遊び場にもなっているようで、ところどころの椅子が乱れていた。

「みんなといっしょに遊ばなくていいのか?」

「うーん、ちょっとくたびれちゃった。だってみんな子供なんだもの。でもアイは大人だから、サイトおにいちゃんをおもてなししてあげるの」

「はは、ありがとうな」

 才人はもう一回、アイの頭をなでてあげた。

 精一杯背伸びをする子供というのはかわいいものだ。才人にも、あまり思い出したいものではないがこういう時期があった。もっとも、今でも抜けきったわけではないが、人間は自分以外のことはよくわかるものだ。

 耳をすませば、子供たちの遊ぶ声がまだ教会の外から聞こえる。ティファニアはひっぱりだこだろうし、ルイズのヒステリーを起こす声が聞こえるところからすると子供に負けてむきになっているようだ。

「ありゃあ、今は近寄らないのが身のためだな」

「じゃあ、お兄ちゃん。こっちに来て、おもてなししてあげるから」

「おっ、なにかななにかな?」

 才人はアイに手を引かれて教会の裏手に入っていった。

 子供たちや職員はほとんどが庭のほうへ行ってしまったようで、人気のない廊下を走ってゆくと、そこには素晴らしい光景が広がっていた。

「ひゃあ、教会の裏庭はひまわり畑だったのか」

 驚く才人の前に、太陽の畑が広がっていた。

 夏の日差しに照らされて、背の高いひまわりが何百と空へ向かって伸びている。そのまぶしい光景を誇らしげに、アイは才人に語って聞かせた。

「むふん、ひまわりはね。そのまま売ってもいいし、種をとって油を搾れば売れるしで、教会のうんえーひになるんだって。ついでに、わたしたちのじゅーそーきょーいくにもいいんだって、神父様が言ってた」

「そうなのか。おれなんて、小学校の頃にハムスターのエサにしたくらいしかしてないのに、みんな偉いな。それで、これをおれに見せたいのがおもてなしかい?」

「ブッブー、こっちに来て。奥の小屋で、ひまわりの蜂蜜から作ったジュースを作ってるの。サイトお兄ちゃんにだけ、特別に飲ませてあげる」

「おっ! そりゃ楽しみだ」

 喉が渇いていた才人は一も二もなく飛びついた。

 ひまわり畑の中の道をアイに手を引かれてついていく。途中で何匹もの蜂とすれ違ったが、何百という花の中では人間なんかどうでもいい様子で八の字ダンスを踊っていた。

 目的の小屋は畑の奥にあり、人の背より高くなったひまわりにさえぎられて、近くに行かなければ見えないものだった。

 アイはこっそり持ち出していた小屋の鍵を取り出し、待っててねと笑う。ところがである。小屋の影から、ひそひそと誰かの話し声が聞こえてきた。

「だから……よし……いいぞ」

「これで……終わり……やっと」

 野太い男の声。しかも二人……才人は一瞬、教会の職員の誰かかと思ったが、その身に沁みついた経験から無意識に警戒態勢に入り、そっと小屋の裏をうかがった。

「サイトお兄ちゃん?」

「しっ、ちょっと静かにしてて」

 何がとは言えないが、嫌な予感がしてならない。そして小屋の壁に隠れて、裏の気配をうかがうと、確かに人の気配がする。

 なんだ? ガサゴソという音がする。それに、「ずらかるぞ」という声も聞こえた。もう怪しいどころではない。才人は背中のデルフリンガーの存在を確かめると、一気に飛び出した。

 

「お前ら、そこでなにしてやがる!」

 

 飛び出した才人の大声に、隠れていた二人の男がびくりとなって振り返る。

 果たして、そこにいたのは教会の人間ではなかった。一般的な平民の服をまとっているものの、筋肉質の見るからに傭兵くずれじみた雰囲気を放つ男。ここは教会の敷地内、無許可の人間が立ち入ることはできないはずだ。

 だが、才人は二人の男が運び出そうとしていた荷物にこそ目がいった。ひとりが担いだ大きな麻袋から、子供の足がわずかに覗いていた。

「あの靴、マーちゃんだよ!」

「てめえら、最近噂の人さらいだな。覚悟しやがれ、ぶっとばしてやる!」

 激高した才人はデルフリンガーを抜いて切りかかっていった。男たちは、ここで人が出てくるとは予想外だったようで、才人の振りかざしたデルフリンガーにおびえて、担いでいた子供を麻袋ごと落としてしまった。

 とたんに、しまった、と声をあげる人さらいの男。それと同時に、アイも教会のほうへ向かって、「誰かーっ! 人さらいだよ! 早く来てーっ!」と、大声で叫ぶ。

 今の声は間違いなく届いているはずだ。すぐにルイズたちが駆けつけてくるだろう。

「ここが年貢の納め時だな。観念しろ、悪党ども!」

 才人はアイをかばいながら、うろたえている人さらいたちにデルフリンガーを突き付けた。

 だが、勝ったと思った才人はここで一瞬だが致命的な油断をしてしまった。

「んだ? ね、眠い……?」

 突然、急激な眠りが湧いてきた。才人がなんとか目を凝らしてみると、もう一人の男が杖を握っていた。

「しまった。メイジがいたのか」

 催眠の効果を持つ魔法を使われたのだということに気づいたときには遅かった。才人は立っていることができず、ひざをついてしまう。

 起きて、とアイが叫んでくるが、魔法の力をまともに受けては才人も気を失わないだけで精一杯だった。

 そして、逆転に成功した人さらいの男たちはほっと息をついて話し合った。

「アニキ、やりましたね。まさか、こんなところに剣士がいるとは。こいつ、どうしやす?」

「バカ野郎、こいつらには俺たちの顔を見られてる。ガキは捕まえろ。小僧は俺が始末する」

 人さらいたちは冷酷だった。アイに子分の男が襲い掛かって、たちまち手を取って捕まえる。アイは離してと叫ぶが、大人の力には抗いようもない。

 対して才人には、メイジの男が魔法の矢を放ったが、そこでメイジは自分の目を疑った。

「なにっ! 魔法が吸い込まれた。マジックアイテムの剣か!」

 デルフリンガーの効力で、才人に向かった魔法は刀身に吸い込まれて消えてしまった。メイジの男は動揺し、さらにそこにひまわり畑の向こうから声が響いてきた。

「サイトーッ!」

 危急を知ってルイズや神父たちが駆けつけてきたのだ。大勢の足音が近づいてくることに、人さらいたちは焦る。

「アニキ、まずいですぜ!」

「くそっ! 仕方ない、こいつらの始末は後だ。そっちの小僧も担げ! 逃げるぞ」

 才人をすぐに始末するのは無理と判断した人さらいたちは、やむを得ずアイといっしょに才人も担いで走り出した。

 教会の裏庭の先は、塀を隔てて小道になっている。彼らは塀に空いた穴から抜け出ると、そのまま先に進んだ通りに止めてある馬車に飛び込んで御者台で待っていた男に怒鳴った。

「すぐに出せ! まずいことになった」

 御者の男はそれで事態を理解したようで、即座に馬車を出発させた。

 馬車は通りから大通りに出ると、何事もなかったかのように淡々と進んでいく。馬車の形はありふれたもので、もし追っ手が馬車を見たとしても大通りで別の馬車列に紛れてしまえば発見は困難になると思われた。

 ただし、通報されてトリスタニアの出口に検問を張られたら出られなくなる。昔と違い、今は役人も少々の賄賂では動いてくれなくなった。

 しかし、人さらいたちは逃げ切れるという確信があるというふうに、悠々と馬車をある方向に走らせ続けた。

 

 そのころ、人さらいたちを見失ったティファニアやルイズたちは、やむを得ず衛士隊に駆けこんでいた。

「ああ、こんなことになってしまうなんて。サイトさん、アイちゃん、どうか無事でいて」

「落ち着いてテファ、衛士隊が動いた以上、どのみちもう犯人たちはトリスタニアからは出られないわ。サイトたちはまだ必ずトリスタニアにいる。あきらめずに探すのよ」

 必死に冷静になるように自分をはげまし、ルイズはなんとしても才人を助け出すと誓った。しかし広いトリスタニアのどこを探せばいいものか、皆目見当もつかなかった。

 教会では、神父様や子供たちが必死に二人の無事を祈り続けている。彼らにできることは、神に祈ることしかほかになかった。

 誘拐事件がトリスタニアのど真ん中で起こったことで、威信を傷つけられた衛士隊は全力で捜索を開始した。が、犯人につながる有力な情報は、日没を迎えても何一つ見つからなかったのだ。

 

 一体、才人とアイをさらった誘拐団の馬車はどこに消えたのか?

 その姿は、平民の住まうごみごみとした市街地ではなく、貴族の邸宅の並ぶ高級住宅街の中の、一軒の廃屋の中にあった。

 そこは、見捨てられてしばらく経つ廃屋。しかも買い手がつかなかったと見えて、外から見たら人がいるとはとても思えないような幽霊屋敷であった。

 馬車は門をくぐると、邸宅の庭から地下に向かって空いた入り口に入っていって姿を消した。どうやらこの家では、外観の保全のために車庫を地下に設置していたらしい。目立つ馬車を隠すには、もってこいの構造と言えた。

「おら、降りろガキども!」

 車庫の奥の倉庫で、才人とアイは乱暴に馬車から引きずり出された。

 才人は馬車に揺られていた間に魔法の効果が薄れ、ある程度は意識が戻っているものの、まだ体をまともに動かせないでいる。そんな才人に、人さらいの男は才人の手から奪ったデルフリンガーを突き付けた。

「へっへっ、余計なことしてくれたなクソガキが。おかげで俺たちは姉御に雷を落とされるのは確実だ。その前に、ぶっ殺してやるぜ、覚悟しやがれ」

「てめえら……ここは、どこだ?」

「あん? 兄貴の魔法を受けて、もう目が覚めてるとは驚きだぜ。だが、いくら助けを呼んでも無駄だぜ、ここは一族郎党フーケに皆殺しにされた貴族のお屋敷、薄気味悪くて誰も近寄りゃしねえからな」

 フーケの? なるほどと才人は理解した。ホタルンガによって皆殺しにされた貴族の邸宅を、こいつらは隠れ家にしてるわけだ。

 なんとかルイズたちに知らせないと。才人は思ったが、魔法の影響でまだ体が自由に動かない。アイが、やめて! と叫んで飛びかかったが、あっさりと振り払われてしまった。

「アイちゃん! てめえら、そんな小さな子に!」

「けっ、どうせこのガキどもも、もうすぐタダじゃすまなくなるんだ。てめえは珍しい剣を持ってるけどよ、だったらこいつで串刺しになるなら本望だろ? 死ねや!」

 男がデルフリンガーを振り上げる。そしてそのまま才人の心臓を目がけて振り下ろそうとした、その瞬間だった。

 

「ああぁぁぁぁぁぁーーーーっ!」

 

 突然、それまで黙っていたデルフリンガーが大声をあげた。

 当然、インテリジェンスソードなどと思っていなかった人さらいの男は仰天してデルフリンガーを手落としてしまった。

 乾いた音を立て、才人のすぐ前に転がるデルフ。デルフは意識混濁の才人にも容赦なく怒鳴った。

「相棒、早く俺を持て! 今しかチャンスはねえ!」

「デ、デルフ」

「早くしろ! 手を伸ばせ! そこの娘っ子がどうなってもいいのか!」

 はっとした才人は、渾身の力で手を伸ばし、デルフを掴み上げた。その感触で意識が完全に戻り、雄たけびをあげながら立ち上がって男に斬りかかっていく。

「うおぉぉぉぉっ!」

 どのみち体が本調子ではないので、力任せのチャンバラだ。男は迫ってくる才人に、懐からナイフを取り出して応戦しようとしたが、才人の気迫とスピードが一瞬勝っていた。

「でありゃぁぁぁーっ!」

 袈裟懸けの一刀が人さらいの男の体を切り裂き、血しぶきが飛んだ。

 やった。才人は確かな手ごたえを感じていた。その証拠に、男は悲鳴を上げながら崩れ落ちていく。

「ぎゃああっ、そんなっ……こんなガキなんかに」

 傭兵くずれの男は才人を若いとあなどって、自らの墓穴を掘ることになった。見た目だけはたくましい肉体を、ほこりまみれの床に倒れこませてのたうつ。致命傷には一歩及ばないが、戦闘不能なだけの傷は与えたようだ。

「や、やった……」

 才人はデルフリンガーを杖にしてひざをついた。まだ魔法の余韻で体がしびれて調子が戻らない。

 だがデルフは焦った声でさらに才人に怒鳴った。

「バカ野郎! まだ終わってねえ!」

 そのとおりだった。才人が緊張を解いた、その隙にもう一人の男が杖を抜いてアイに突き付けていたのだ。

「動くんじゃねえ、さっさとその妙な剣を捨てろ。さもねえとガキの頭を吹っ飛ばすぞ」

「畜生、敵はもうひとりいたんだった……」

 まさに痛恨のミスだった。アニキと呼ばれていたメイジの男のことを忘れていたとは、自分のうかつさに歯噛みしてももう遅い。

 メイジの男の杖の先は、部屋の隅で倒れているアイにまっすぐ向いている。しかも才人から男に対してはざっと七・八メートル、アイに対しても五メートルはある。

 才人は頭の中で計算して絶望的だと思った。まだ自由に動かないこの体じゃ、男に飛びかかるのもアイをかばうのも、魔法が放たれるよりも確実に遅れてしまう。

「どうした! 早くしろ、俺は気が短いんだ」

 いらだった男が怒鳴った。メイジの男は周到にも、倉庫の唯一の出入り口のドアに背中を預けて陣取っている。車庫の入り口のほうは馬車でふさがれていて、これでは逃げ場がない。

 どうすればいいんだ? アイを度外視すれば、不自由なこの体でもなんとかメイジひとりくらいは倒せなくもない。だが、そんなことは絶対にできない。

 デルフが、相棒しっかりしろ! と、叫んでくる。せめてあと五分あれば体調も万全に戻って、アイをかばいつつ男も倒せるんだが……今はその五分が絶望的に長かった。

「畜生! 好きにしやがれ」

 才人はやけっぱちになってデルフを放り出した。デルフが、相棒! と叫びながら転がっていく。これで才人は完全に無防備になってしまった。

「いい心がけだぜ。じゃあ、死んでもらおうかい!」

 メイジの男が才人に杖の先を向けて魔法の呪文を唱える。なにを唱えているかは知らないが、まず確実に才人の命を奪えるシロモノだろう。

 だが才人は死に瀕しながらも、まだあきらめてはいなかった。あいつの魔法をなんとか一発耐えきる、そうしてデルフを拾い上げて第二撃が来る前に斬りかかる。普通に考えれば一撃目で死んでしまうか、よくて瀕死の可能性が高い。それでも、才人はあきらめだけはしていなかった。

「来るなら来やがれ! 俺はまだあきらめちゃいねえ」

「なら、死ね!」

「やめてーっ!」

 才人、男、そしてアイの叫びが倉庫にこだまする。

 しかし、男の杖から魔法が放たれることはなかった。なぜなら、男が魔法を放とうとしたその瞬間、男が背にしていたドアから鈍い音がしたかと思うと、ドアの板をぶち抜いてきた銀色の刃が背中から男の体を貫通したからだ。

「がっはっ? え、あ?」

 男は間の抜けた声を漏らすと、激痛とともに自分の左胸から生えた剣の先を見下ろし、そのまま眼球を反転させながら崩れ落ちた。

 才人やアイは、いったい何が起きたのかと訳が分からない。一本の剣がドアを貫通してきて男の心臓を貫いた。一体誰が? いや、才人はあの形の剣先を持つ剣に見覚えがあった、あれを正式装備にしている部隊といえば。

 ドアから剣が引き抜かれ、ノブが回されてきしんだ音を立てながら開いた。そして、その先から現れた青髪の剣士は。

「姉さ、ミシェルさん!」

「サイト、なぜこんなところにいる?」

 現れたミシェルの姿に、才人は困惑を隠せずに叫んだ。対してミシェルも才人がなぜこんなところにいるのか不思議な様子で、才人は自分たち二人がさらわれてきた経緯を簡単に話した。

 そしてミシェルがどうして現れたのかについては、聞かなくても才人にもだいたい見当はついた。

「ミシェルさんは、この誘拐団を追ってここに?」

「……そういうことだ。それにしても、まったくお前という奴は、わたしがたまたまお前の声を聞きつけなかったらどうなっていたか」

 ミシェルは呆れた声で言った。

 そのとき、アイが才人のところに怯えた様子でやってきたので、才人は「この人は味方だよ」と告げてあげた。

「こ、こんにちは。わたし、アイです」

「はじめまして。わたしはミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン。サイトを守っていてくれたんだね、ありがとう」

 ミシェルが優しく微笑むと、アイも緊張が解けたようににこりと笑い返した。

 しかし、空気が和んだのもそこまでだった。最初に才人が倒した男が、倒れたままだが短いうめき声を漏らすとミシェルは血相を変えて再び剣を引き抜いたのだ。

「ちっ、そっちはまだ息があったか!」

「ちょ、ミシェルさん。あいつはもう身動きできないんだし、殺しまでしなくっても」

 確実に始末しようとするミシェルに、才人は慌てて割り込んだ。だがミシェルは躊躇を見せずに才人を押しのけようとする。

「そういう問題じゃない。今のうちに……ちっ、もう遅いか!」

「遅いって……えっ?」

 才人は人さらいの男のほうを振り向いて驚いた。

 なんと、それまで普通の人間の姿だった男の体が部分的ながらも変貌していっていたのだ。手は大きく鋭い爪のようなものに変わり、肉体も人間から怪人然としたものに変化していく。

 そして男は身もだえしながら断末魔のように漏らした。

「うあぁぁ、変わる、変わっちまうぅぅ! やめろ、助けて、タスケ。グアァァァッ!」

 ついに頭さえもでこぼことしたのっぺらぼうの完全な怪人体となってしまった男は、立ち上がるとその鋭い爪を振り上げてきた。

「なっ、なんなんだこいつ!」

「話してる暇はない! 早く剣を拾え! 来るぞ」

 言ったとたんに、怪人は人間離れしたスピードで襲い掛かってきた。

 爪の連撃をミシェルが剣ではじき、突進をかわす。しかし怪人はひるんだ様子もなく、バーサーカーのように向かってくる。

 才人はその隙に、投げ出したデルフリンガーを拾い上げて構えた。幸い、もう体の不調はない。

「アイちゃん、部屋の隅でじっとしてるんだ。デルフ、行くぞ」

「おうよ!」

 才人はデルフを持ち、苦戦しているミシェルに加勢するために飛び込んだ。

「くらえっ!」

 怪人の爪と才人のデルフリンガーが激突して火花が散る。すごい強度とすごい力だと、一回のやり取りで才人は怪人の強さを理解した。

 こいつは、一回でも殴られたら人間なんかひとたまりもない。

「サイト! 油断するな。こいつはもう人間じゃない!」

「はい! この野郎めっ」

 才人も気持ちを切り替えて、化け物になってしまった男に容赦なく斬りかかっていく。

 こいつはなんだ? 見たこともないが、どこかの宇宙人なのか? いや、それを考えるのは後でいい。いや、考えている余裕がある相手ではなく、才人が加わったことで二対一になったにも関わらず、怪人は二人と互角の勝負を繰り広げていた。

 並の人間の動体視力ではとらえきれないほどの速さで繰り出される爪の攻撃を、才人とミシェルは力負けしながらもさばいた。部屋に、石と金属がぶつけ合ったような鈍い音が何度も響き渡る。

 そして一瞬の隙をつき、才人は怪人の胴を横なぎに斬り払った。が。

「硬いっ!」

 日本刀の刀身は怪人の皮膚を薄く切り裂いただけで、中の肉までは刃が通らなかった。

 怪人の青い血が刀身につき、才人は怪人が復讐の勢いで振り下ろしてきた爪をすんでのところで受け止めた。切れないわけではないが、威力が足りないのだ。

 これじゃ倒せない! 才人は怪人の攻撃を受け止めながら焦った、そのときだった。

「サイト、そのまま押さえつけていろ!」

 ミシェルが怪人の死角から、『ブレイド』の魔法をかけた剣を振り上げながら叫ぶのが見えた。

 あれならいける! 才人は渾身の力で怪人の攻撃に耐え抜き、そのチャンスにミシェルは大上段から必殺の一刀を怪人の首に叩きつけた。

「であぁぁーっ!」

 魔法の光をまとった剣が怪人の首を直撃し、吹き飛んだ首が倉庫の壁に叩きつけられて転がった。

 いくら強靭な肉体を持つ怪物でも、首を切り落とされればどうしようもない。才人に押さえつけられていた胴体のほうも力を失って倒れ、解放された才人はほっとしてようやく息をつけた。

 見ると、ミシェルのほうも楽ではなかったらしく、軽くではあるが呼吸が乱れている。才人は床に倒れこんだ怪人の死体と、転がった首を交互に見下ろして、憮然としてミシェルに尋ねた。

「なんなんですか、この化け物は?」

「わからん。ここに来る前にも、誘拐団のひとりを捕らえて口を割らせるために痛めつけたらこうなった。瀕死にしても同じだ。どうやら、こいつらは極度の苦痛を感じると怪物に変貌してしまうらしい」

「気色わりい……」

 才人は不快気に吐き捨てた。それになにがなんだかわからないが、怪物になってしまったこの男は、自分が変貌してしまうことに恐怖していた。同情できる人間ではないが、かといってざまあみろと思うにも残酷すぎる。

 しかし、思慮に興じている余裕はなさそうだった。部屋の隅で怯えていたアイが、おにいちゃん……と、不安げな声をかけてきたことで、才人は自分たちが誘拐団の本拠地にいるのだということを思い出した。

「アイちゃん……よしよし、もう大丈夫だからね。ミシェルさん、ともかくここを離れようぜ」

 才人は、自分たちはともかくアイをこんなところに置いてはおけないとミシェルにうながした。ミシェルは、才人に抱かれながら慰められているアイを少しうらやましそうに見つめたが、すぐにうなづいて言った。

「サイト、誘拐団はわたしが始末する。お前はその子を連れて、早くここから逃げろ」

「えっ? わたしがって、アニエスさんや銃士隊のみんなは?」

「今回のことはわたしの独断だ。皆はまだ何も知らん。ともかく行け、ここはわたしだけで十分だ」

 才人は、そう言われてもと戸惑った。さっきの怪人の強さを思うとミシェルを一人で行かせるのは心配だ。が、かといってアイをこんな場所でほっておくわけにもいかない。

 だが、敵は待ってはくれないようだった。才人が答えを出す暇も与えられず、馬車が入ってきた車庫の入り口が突然鋼鉄のシャッターで閉じられてしまったのだ。

「出口が!」

「ちっ、気づかれたか」

 廃屋のはずなのに、この仕掛け。ミシェルが忌々しげにつぶやくと、天井から恐らくは魔法の仕掛けによって、若い女性の声が響いてきたのだ。

『ごきげんよう、素敵な戦士のお二方。二人がかりとはいえ、ヒュプナスを倒すとはやるじゃないの。見ての通り、もう逃げ道はないわ。すぐ始末してもいいけど、あなたたち面白そうね。私はこの屋敷の一番奥にいるわ、私を倒せたらあなたたちは外に出してあげる。そういうわけで、ご機嫌よう』

 一方的に言うだけ言うと、相手の声は途切れてしまった。

 才人は、まるで遊ばれているような感じに憤って、偉そうにしやがって! と地団太を踏んだ。

「ミシェルさん、こうなったら二人でここのボスをぶっ倒してやろうぜ……ミシェルさん?」

「トルミーラ……やはり、あなたか」

 ミシェルはなぜか、声のしてきた天井を遠い目で見続けている。

 才人は何回かミシェルに呼びかけ、そしてミシェルは重い面持ちで答えた。

「そうだな、仕方ない。こうなれば、進むより道はないようだ。サイト、こうなったらしっかりその子を守ってやれ」

「はい……それとミシェルさん。さっきトルミーラって……誘拐団のボスを知ってるんですか?」

「……道すがら話そう。ここは意外と広いぞ、わたしからはぐれるなよ」

 ミシェルはそう告げると、すでに屋敷の見取り図を暗記しているらしく、迷いなく歩き始めた。

 ドアをくぐり、魔法のランプの明かりが照らすボロボロの廊下を三人は歩いていく。だが人の気配がどこからかする。誘拐団の手下が待ち伏せているのかもしれない。

 才人は、いつでもアイをかばえるよう左手でアイの手をつないで、右手でデルフを握りながら、正面の警戒を続けながら進むミシェルについていった。

 ギシギシと、不穏な音が足元から否応なく響く。才人が、こんなシチュエーションのホラー映画があったなと思ったとき、ミシェルは振り返らないまま話し始めた。

「去年の春のことだ。トリステインで、傭兵団が主犯の誘拐事件が起きた。だがその一味は通りがかったあるメイジに倒され、一味は全員逮捕されたことで解決した……はずだった。だが一か月前、一味はチェルノボーグの牢獄から脱走し、いまだに行方不明のままだ。そして、その一味の頭目の名前が、トルミーラという女メイジだ」

「って、牢獄から一味まとめて脱走って! そんな大ニュース、聞いたこともないですよ」

「当然だ。牢獄にとってはこの上ない大失態。所長以下看守たち揃ってで隠蔽され、明るみに出たのはつい最近だ。今頃は所長ら全員が捕縛されて、逆に牢獄に叩き込まれていることだろう。それも国の失態につながるから隠匿され、一般には公開されることはない」

 才人は呆れかえった。そんな馬鹿な役人たちのせいで誘拐団が野放しにされ、多くの子供が危険な目に会っている。

 ただ、才人はひっかかっていた。さっきのミシェルの口調は、単に知っているというだけではなさそうだった。すると、ミシェルは寂しそうな、あるいは忌々しげなふうにも見える複雑な表情で語り始めた。

「トルミーラは、元貴族だ。そして十年前、わたしはトルミーラと会ったことがある。いや、世話になっていたことがあると言うべきか……短い間だったが、わたしにとってかけがえのない……そして、もっとも恥ずべき恩人さ」

 ミシェルは、周囲への警戒を続けながら、静かに過去の自分の因縁を語り始めた。

 人は過去を消すことは決してできない。そして、過去は時として残酷な刺客となって人に襲い掛かる。

 

 そして、変貌した誘拐団員。それが意味するものとは何か?

 単なる誘拐事件として発したこれが、途方もない狂気の一端であることを、このときはまだ誰も知らなかった。

 

 

 続く


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