ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第5話  憎悪の緑

 第5話

 憎悪の緑

 

 バリヤー怪獣 ガギⅢ

 植物もどき怪獣 ゾラ 登場!

 

 

 トリステインの各地で怪獣が暴れ、ガリア軍の侵略が迫る中で、トリステインは最大の危機にさらされていた。

 シェフィールドやコウモリ姿の宇宙人によって解き放たれた怪獣はトリステインの平和を乱し、ウルトラマンたちは罠だとわかっていながらも人々の命を守るために立ち向かっていく。

 すでにトリスタニアは甚大な被害を受け、タルブ村やほかの辺境でも被害が出ている。家や仕事場を失った人々からは怪獣への怨嗟の声が立ち上っていた。

 

 けれど、明らかに人間への悪意があって暴れていたグエバッサーやスーパーグランドキングらはともかく、すべての怪獣が悪なのだろうか? 怪獣はその存在自体が人間にとって恐怖となるが、そもそも自然の生き物に善も悪もない。

 人里に現れた熊のように、それが人命の危機に繋がるならば駆除の対象となるのはやむを得ない。しかし、相容れない者同士の結末は、弱肉強食でなければならないのだろうか?

 人間と敵対しない怪獣との共存は、すでに様々なところで芽吹いているが、怪獣との対立も終わってはいない。

 そして逆に、人と相容れぬ者たちは人のそんな心の機微をどう思うのだろう? 矛盾をはらみながら、現実は人にそれを突きつけてくる。

 トリステインの危機の中で、ジョゼフの引き起こした嵐がそれぞれに迫り来る。その中で、嵐に隠れて、ある邪悪な意思がウルトラマンコスモスの守るトリステイン魔法学院に迫っていた。

 

 その日、学院は戦争勃発を受けて休校措置がとられていた。すでに高級貴族や外国からの留学生には帰省の指示が来ていたが、一般の貴族の子弟たちはむしろ学院のほうが安全だろうと、大半の生徒が寮や学内にいた。そこに地震が起こり、学院近くの森の地底から一匹の怪獣が現れたのだ。

「おわーっ! 怪獣だ、怪獣が出たぞーっ!」

 学院の尖塔の掃除をしていた用務員がいち早く気づき、学院中に非常の鐘が鳴り響く。その数分後には学院の外壁の外に広がる草原を踏み荒らして、怪獣が学院に向かってくる姿が、フライの魔法で空に飛び上がった教師や生徒たちの目にも映った。

「なんだあいつは!」

 その怪獣は、教師や生徒たちにとって初めて見る怪獣であった。しかし、メイジである教師や生徒たちと視角を共用する彼らの使い魔の幻獣や獣たちにとっては、その刺々しい体や太い鞭の生えた腕などは、まだ記憶に新しい相手だった。

”おいおい、ありゃあシルフィードのやつがからまれた、あのときの奴じゃねえか”

 使い魔のバシリスクが、使い魔仲間たちに人間では理解できない言葉で言った。

 そう、そいつは以前に学院近くの山に巣を作り、シルフィードと仲間たちに最期を看取られたバリヤー怪獣ガギの同族であった。

 こいつはあの時に親のガギがオーク鬼を餌にして育てていた子供の最後の一体で、前にジュリオがこの巣からガギを繰り出したときには、一番未熟であったから使えないと見なされて放置されていた。しかし後にその存在を知ったシェフィールドによって、この時間に目覚めるように仕掛けられていたのである。

 現れたガギは、周囲で一番目立つ建物である魔法学院に向けて一直線に進んでくる。

「ミス・ロングビル、すぐに全校生徒を避難させたまえ」

 女子更衣室の盗撮から頭を切り替えたオスマン学院長の指示で、学内の生徒たちに避難警報が出された。

 生徒たちの慌てふためく声が学院に響き渡る。教師たちはその間時間を稼ぐために出動を命じられるが、学院の教師たちは戦いには向かない者が多く、実戦経験者であるミスタ・コルベールは今ある理由で学院にいなかった。

 学院に近づいていくガギは、校門から校外に逃げていく生徒たちに目をつけて方向を転換した。目覚めたばかりで空腹のようで、動くものへと一直線に向かい、捕獲用の道具でもある両手の鞭を伸ばしていく。

 こんなとき、一番に飛び出す水精霊騎士隊のような命知らずな連中は今いない。教師や少数の勇敢な生徒たちの魔法では怪獣は止められず、逃げ惑う生徒たちやメイドにガギの触手が届こうとしたときだった。

 

「コスモース!」

 

 この学院でできた友達を守ろうと、ティファニアは迷わず駆け出した。戦い傷つく恐れなどは少しも考えず、自分に一体化しているウルトラマンコスモスの力をコスモプラックを掲げて解放し、ガギの前に天から光が降り注ぐ。

 この光は!? 驚く生徒たちとガギの間に、その光の中からふわりと降り立つ青い巨人、ウルトラマンコスモス。突然の乱入者に、ガギは驚いて後ずさり、青い姿のルナモードは手のひらを広げて太極拳に似た構えをとった。

「シュワッ」

 学院の生徒たちを背にして、ガギに「これ以上近寄るな」と牽制するコスモス。しかし、空腹のガギは引く気配はなく、両手の鞭を振り回しながら威嚇してくる。

 残念だが戦闘は不可避。それを覚悟したティファニアは、コスモスの身を案じて言った。

〔コスモス、大丈夫? あなたの体はまだ〕

〔心配することはない。私のダメージはすでに癒えている。戦いは私に任せて、君は君の戦いを考えなさい〕

 コスモスは以前、メカゴモラに手酷いダメージを与えられて、ティファニアはそれを心配していた。だが、コスモスは自身の回復をティファニアに優しく伝えた。

 そして、コスモスは意識を眼前のガギへと向ける。ティファニアは戦闘にはまったく向かないので、以前に地球に居たときとは違ってコスモスの意思が完全に主導権を持って戦いに臨む。

「がんばってーっ! ウルトラマーン!」

 真っ先にシエスタたち学院メイドの声援が背中を押し、構えるコスモスは向かってくるガギを押し返す。

「シュゥワッ!」

 両手を前に構えてガギの胸を突き、進撃を阻んだコスモスは、ガギの振るってきた鞭を手刀ではじいて懐に飛び込んだ。そしてそのまま掌底を連打してガギをじりじりと押し返していく。

 だがガギも餓えていて必死だ。押し返されてばかりでなるものかと、くるりとトゲだらけの背中を見せながら尻尾をぶつけようとしてくるが、コスモスは尻尾を掴むと勢いを利用して逆にガギを投げてみせた。

「デヤッ」

 ガギの体がくるりと回転して背中から地面に落ちた。ガギは攻撃したはずなのに逆に投げられて、地面でもだえながら目を白黒させている。

 相手の力を利用して返すのがルナモードの基本戦法だ。がむしゃらに突っ込むだけでは、よほどパワーがある怪獣でない限りは攻撃の力を受け流されて消耗するだけなのである。

 それでもガギは起き上がると、菓子を欲しがる幼児のように暴れながらコスモスに向かってくる。

 いや、それは暴れ方だけでなく、このガギはよく見れば以前に現れたガギとはかなり違っていると、使い魔たちは気がついていた。

”あの怪獣、まだガキなんじゃないか?”

 カラスの使い魔がそう言うと、スキュラやパグベアたちもうなずいた。

 それは洒落ではなく、落ち着いて見てみれば前に見たガギよりもざっと十メイルばかり背が低い。それにガギの特徴である鼻先の長い角も短く丸っこく、両手にあったはずの巨大な鍵ヅメも短くて武器に使えそうもなかった。

 明らかに成長が間に合っていない未成熟な個体だ。また、ガギの必殺技であった角からのビームや代名詞のバリアもいっこうに使ってくる気配が見えない。本来ならば、地中でもっと時間をかけて成熟してから地上に出てくるべきだったのだが、シェフィールドに無理矢理起こされたせいで不完全な体で暴れざるを得なくなっていたのだ。

 使い魔たちは正門から出たあたりで、生徒たちとは別にグループを作って戦いを見守っている。そうしながら使い魔たちは、暴れるガギの叫び声を聞くうちにそれが泣き声であることを悟った。

”あいつ、腹をすかせてるだけじゃねえ。怖がって泣いてやがるのか?”

”いいえ違うわ、ただなにもわからないから暴れてるだけ。本当に生まれたばかりの赤ちゃんなのよ”

 雄のバジリスクの言葉に、雌のスキュラが答えた。

 彼ら使い魔は人語を話すことはできなくとも人語を理解できるほどの知能を持っているが、野生で生きていたときの本能までは忘れていない。種族が違っても、鳴き声がどんな感情から来ているのかはなんとなく理解できる。

 幻獣で最強を誇るドラゴンでさえも、幼体の時は親の庇護を必要とする。生まれてすぐ自立する生き物も多いが、そういうものは生まれてすぐに大人と同じ力を持っているか、もしくは大量に産んで99パーセントが1パーセントが生き残るための犠牲になることを前提としているかのどちらかだ。今回のガギは親怪獣も兄弟もすでに亡い未熟児である。

 頼るものもなく、自分自身の力も中途半端。自然界ならば、自力で生きられないならば死んでほかの生き物の餌となれというのが鉄則だ。使い魔として召喚される前は厳しい自然の中で生きていた彼らは、当然そうなってしかるべきだと考えていた……が、人間と長く暮らした彼らの中には、ガギの不運を他人事のようには思えないものもいた。

”なんで死んで当たり前の奴だってのに、こんなに見てて気持ち悪いんだよ”

 ヤマネコの使い魔が吐き捨てるようにつぶやいた。

 もちろんそれで自分たちを食いに来ている奴を許す理由にはならない……けれど、必死に生きようとしているガギの気持ちは、厳しい自然の中で生きてきた彼らにはよくわかった。

 戦い方の下手なガギは体力をどんどん消耗し、もう立っているのもやっとなくらいふらふらになっている。それでも唯一まともに使えている両手の鞭を振ってコスモスを攻撃しようとしているが、最初の手合わせでガギの力量を確認したコスモスには通じず、鞭を掴んで軽々と放り投げられてしまった。

『ルナ・ホイッパー』

 ふわりと宙に浮いたガギは、自分になにが起こったのかもわからないままに地面に墜落した。そのまま芝生と土で体を汚しながら、ガギは赤ん坊のように起き上がろうともがいている。

 もうガギがコスモスに勝てないのは誰の目にも明らかな姿に、学院の生徒やメイドたちは喝采をあげていた。

「やった! そのままどーんとやっちゃってください」

 シエスタをはじめとしたメイドたちは万歳し、生徒たちも杖を振り上げて我が事のようにはしゃいでいる。

 ガギは起き上がろうとしていたものの、ついに疲れ果てて、完全にのびてしまったようにへたりこんでしまった。もうウルトラマンの勝利は確実、あとはとどめを刺すだけだと、皆が歓声をあげてそれを期待している。

 地面に倒れ、もう立ち向かっても無駄だとあきらめてしまったガギは、弱虫が「来るな来るな」と棒切れを振り回して泣きわめくように、無意味に手足をじたばたさせるだけで隙だらけだ。ここで光波熱線を撃てば、一瞬でかたはつくだろう。

 しかし、コスモスは立ちながらじっとガギを見下ろし続けている。その瞳はティファニアが子供たちを見守るものと同じで、なにかを待っているようであった。

 動かないコスモスに、生徒たちもいぶかしんで歓声がおさまっていく。すると、使い魔たちが主人の命令なしで歩みだしてきて、コスモスに向かって吠え出したのだ。

 それはワンワンやニャンニャンなどのほか、ウォンウォンやウッホウッホなどの様々な鳴き声が混ざっていたが、なにかをコスモスに訴えているのは人間たちにもわかった。

「おいお前たち、いったいどうしたんだよ?」

 ひとりの生徒が自分の使い魔の狼に尋ねると、使い魔の狼は主人にもなにかを訴えるように吠えて、主人の顔を見上げてきた。その視線は主人も見たことないくらいに真剣で、使い魔たちのそんな姿を初めて見る生徒たちは、自分たちになにか落ち度があったのではないかと困惑したが、使い魔たちが言葉を返すことはなかった。

「お前ら……なにが言いたいんだよ……?」

 使い魔の契約が結ばれても、人間の主人に人語を話せない動物や幻獣の本心を知ることはできない。けれど、初めて見せる使い魔たちの無言の訴えを、生徒たちは真剣に考えた。

 そのときである。弱ったガギがすがるように弱々しく鳴いた声に、使い魔たちの食事の支度も仕事にしているメイドたちははっと気づいた。

「あの怪獣……もしかして。ねえ!」

「うん。ウルトラマンさーん! やめて、その怪獣さんを殺さないであげてくださーい!」

 シエスタやメイドたちが叫び、生徒たちは何を言い出すのかと騒然とした。けれど使い魔たちは逆に喜ぶように吠え、それを聞き届けたコスモスは光のエネルギーを手のひらに集め、ガギを優しい光のシャワーで照らした。

『フルムーンレクト』

 興奮を鎮める鎮静効果のある光線を受けて、発狂していたガギの表情が和らいでいく。

 そうして、やがてガギが落ち着いておとなしくなると、コスモスはガギの前に膝をついて優しく頭をなでた。するとガギは子犬のように喉を鳴らしてコスモスに身を任せ、その素直になった姿に生徒たちは唖然とした。

 ……どういうことだ? すると、メイドたちが使い魔たちを見ながら言った。

「やっぱりあなたたち、あの怪獣が戦いたくないって言ってるのをわかってたのね」

「えっ? どういうことだい君たち!」

 ひとりの生徒が戸惑いながら問いかけると、シエスタが振り返って物おじせずに答えた。

「あなた、それでも使い魔の主人なんですか? 使い魔の世話をちゃんとしてるんですか?」

「な、なにを、無礼な」

 その生徒は平民に言われて腹を立てかけたが、メイドたちは今では前ほど貴族を恐れてはおらず、また生徒たちも、短い間だが教師として学院に在籍したカリーヌに「平民に対して貴族は凛とすることを揺るがすなかれ」と教育を叩き込まれていたのを思い出して無礼打ちを思いとどまった。

「あの怪獣はですね、たとえば使い魔の子たちが召喚されてすぐのころには、主人以外からはエサをもらいたがらずに逃げちゃうでしょう? それと同じですよ。突然知らないところで目が覚めて怯えてただけなんです。使い魔は自分にだけは懐くからって、飽きたらほったらかしにする人のためにわたしたちがどれだけ苦労してると思ってるんです?」

 確かに、と生徒たちは気まずくなった。使い魔を召喚してすぐは物珍しさもあって大事にするが、飽きて世話を忘れるものもいる。それは前々から問題になっていたが、人間がそれだけで変われれば苦労はない。

 一部の使い魔たちからの非難の視線を受けて、一部の生徒たちが反省の色を表す。そしてほかの者たちも落ち着いて、あの怪獣も使い魔たちと同じように生き物だから暴れて、使い魔たちはそれをわかって止めようとしたんだと理解した。

 そういえば前に、ベアトリスが連れてきた怪獣の子供を取り戻すために親が乗り込んできた事件を、生徒たちは思い出した。怪獣も生き物、懸命に生きようとし、人と同じように心を持っている。

 悪意がない存在ならば、殺すまでの必要はない。しかし、今は良くても怪獣はいずれ成長して肉を求めて暴れるようになる。そうなれば殺すしかないと思われた時、コスモスはガギを救うために金色に輝く奇跡の光を解き放った。

『コスモリダクター』

 コスモスの手から放たれる光線はガギの細胞を縮小させていき、みるみるうちに身長一メイル程度の子犬サイズにまで縮めてしまった。

 そして少し大きめの人形くらいにまで小さくなったガギに、使い魔たちが駆けよっていく。ガギは、最初は使い魔たちに囲まれて怯えていたが、ヒュドラの使い魔が干し肉を差し出すと、恐る恐るながらそれを口にして小さく鳴き、それを使い魔たちの後ろから見ていた女の子たちはハートをわしづかみにされたように叫んだ。

「かわいいーっ!」

 さっきまでのことはどこへやら、女の子たちは硬い肉を一生懸命に食べるガギを見て、すっかり小動物を愛でる表情になっていた。

 それを見ると使い魔たちも、ここぞとばかりに可愛いアピールをして場を盛り上げた。幻獣たちだけでなく、猫やゴリラなどの一般的な動物も主人以外の生徒にも媚びて緊張を解きほぐし、そうして女子が盛り上がると、男子も自然とガギへの敵愾心を薄れさせていった。やがて場からは恐怖心などが消えてなくなると、使い魔たちは顔を見合わせてひそひそと話し合った。

”これでいいかな。まったく、なんで俺たちがこんなことしなきゃならないんだか”

”まあいいじゃねえか。俺たちもそれだけ人間に毒されたってことだろ。前にも、こんなことはあったしな”

 使い魔たちは、以前にガギの巣に捕まった人間の子供を助けるために一致団結した時のことを思い出した。利益もなく他者のために働くなど、自然界ではあり得ない。使い魔となった今も、主人以外のために働くなんてなんの益にもならないはずなのに……だけど、こうして種族もごちゃごちゃでわいわいやっている楽しさは自然界で今日を生きるのに精一杯だった頃には考えられもしなかった。

 小さくなったガギは、使い魔たちに囲まれてまだ少し戸惑っていたが、人の良さそうなゴリラにバナナを渡されて、少しずつではあるが使い魔たちを仲間と認識し始めたようである。

 それをメイドたちは温かく見守り、生徒たちは使い魔たちに一本とられてしまったことに複雑な思いはあったが、使い魔たちが主人への気遣いを忘れずにいてくれたことで、使い魔たちとの絆を再確認して多くの者が思うところを得ていた。

 そして、その光景を見て、コスモスとティファニアは穏やかに語り合っていた。

〔どうやら、受け入れてもらえるようだ〕

〔よかったわ。でもコスモス、本当にこれで正しかったのかしら?〕

〔あの怪獣はどうやら雄だし、繁殖する危険はない。それに、時間があれば問題を解決する方法も見つけることもできる。希望は、明日へ繋げてこそ意味があると、私はある若者から教わった〕

 ティファニアは、異なるものが交わるには大きな困難も伴うことを知っていた。今は受け入れられても、様々な問題が襲ってくるかもしれない。

 けれど、コスモスは今すぐベストの答えを出さなくても、時間をかけて解決していけば良いとティファニアを諭した。かつて、ひとりの若者が苦難を乗り越えて怪獣との共存の夢を果たしたように。そして、ティファニアもまた苦難を乗り越えて今日を掴んできたから、コスモスの言葉を受け入れて、あの小さな怪獣の未来に幸あれと願った。

 

 事件は解決し、コスモスの役割は終わった。コスモスは後を人間たちに任せ、飛び立つために空を見上げる。

 

 だが、実はその光景を最初からずっと見つめ続けてきた視線が他にもあったのだ。

 それは学院から数百メイル離れた小さな丘の上。そこにフードを目深に被った怪しい人影が立っていた。そいつはガギが学院を襲い、コスモスに縮小化されるまでをじっと見守り続けていたが、小さくされたガギが生徒や使い魔たちに受け入れられるのを見ると、憎々しげに呟いた。

「ウソつき……」

 それは人間とは思えない音程の外れた声だった。そしてそいつは、手を上げると憎悪を込めた声で歌うように唱えたのである。

「顔出せ、芽を出せ、悪の種。芽を出せ、ツル出せ、暴れて壊せ!」

 すると、コスモスのそばの地面から緑色の植物の芽が生えたかと思うと、それはまるで動物のようにみるみる茎とつるを伸ばして巨大に成長していった。

 そしてそのとき、コスモスはちょうど飛び立とうとしていた。だが、空を見上げて飛び上がろうとした瞬間、コスモスの足にツルが絡み付いてコスモスは地面に引き倒されてしまったのだ。

「ムワアッ!?」

 突然のことに、なにが起こったのかわからないコスモス。ガギや使い魔たちとの戯れに夢中になっていた生徒たちも驚いて、倒れたコスモスに目を移すと、そこには地面から伸びてきた大量の植物のツルがコスモスに巻き付いていっている光景があった。

「なっ、なんだありゃあ!」

 男子生徒が叫んだ。地面から這い出してきた不気味なツルはどんどん増えて、コスモスだけでなく生徒たちにも伸びてきた。コスモスはそれを防ごうと、腕を使って生徒たちの前に身を乗り出した。

「ヘヤアッ!」

 コスモスが体でかばったおかげで、ツルは生徒たちの前で食い止められた。

 しかしツルはさらに伸びてくる。コスモスは生徒たちを振り返って「逃げろ」と促し、生徒やメイドたちは使い魔たちといっしょにいっせいに駆けだした。

「みんな逃げて!」

 シエスタが叫んで、メイドたちも駆けていく。ガギはゴリラが背負って、生徒たちに向かうツルを食い止めようとコスモスは必死にこらえた。そして生徒たちがある程度離れると、コスモスは体に巻き付いたツルを引きちぎって立ち上がった。

「イヤッ!」

 コスモスは生徒たちを背にして、正体不明のツルの塊に向かって構えた。

 すると、ツルもコスモスから離れて集まっていき、小山のように盛り上がったかと思うと、ツルを寄せ集めて人型の塊にしたような怪獣に変化したのである。

〔な、なに? これ〕

 ティファニアはあまりの気味の悪さに戸惑った。コスモスも見たこともないが、見た目から恐らく植物生命体の一種だろうということは推測できた。

 だがなぜこんな場所に? それを考えるまでもなく、怪獣は襲い掛かってくる。

「ハッ!」

 コスモスは怪獣の突進をかわし、振り回してくるツルを避けようとした。しかし、なんと驚いたことに怪獣はコスモスが避けるために身をかわすと、植物のくせにジャンプしてコスモスに飛びかかってきたのだ。

「ウワッ!」

 思ってもみない攻撃に、コスモスは頭を叩かれて弾き飛ばされてしまった。

 生徒たちが、「ウルトラマン!」と叫んでくる声が聞こえるが、怪獣はさらにジャンプしてドロップキックをかけてきた。ツルで覆われた植物がトランポリンでも使ったように軽やかに飛んで向かってくる。

 なんなんだこいつは! 本当に植物か!

 コスモスだけでなく、生徒たちや使い魔たちも、怪獣の体操選手のようなアクロバティックな動きには目を丸くしていた。確かに、植物怪獣の中にもケロニアのようにアグレッシブな奴もいるけれども、こいつはいかにも鈍重そうな見た目とはまるで正反対だ。

 驚くコスモスを翻弄する怪獣は、さらにツルを鞭のように振るってコスモスを攻め立ててくる。コスモスもしだいに相手の動きに慣れ、鞭攻撃を手刀でさばいて体制を立て直そうとしていたが、戦いを風下で見守っていた生徒たちの何人かが突然倒れ始めた。

「うう……」

「お、おいどうした?」

 急に気を失っていく生徒たち。さらにそれを助け起こそうとした生徒やメイドも同じように倒れていき、使い魔たちが怪獣に向かって吠え出した。

 あの怪獣がなにかしているのか? コスモスは攻撃をさばきながら怪獣を観察したが、特に毒ガスを出しているようには見えない。

 しかし、怪獣の周囲の草が枯れ出しているのを見てはっとした。生徒たちの症状は酸欠に酷似し、植物の枯れ具合は以前にエレキングが二酸化炭素を放出した時に似ている。

〔この怪獣は、植物とは逆に酸素を吸って炭酸ガスを吐き出しているのか!〕

 まさしくそのとおりだった。植物に見えるが植物とは正反対の特性を持つ、いわば植物もどき。かつてウルトラマン80が戦った植物もどき怪獣ゾラこそがこいつの正体であった。

〔コスモス、あの怪獣のせいで、みんな死んじゃうの?〕

〔そうだ、あれは思ったより危険な怪獣らしい。ここで止めなければ〕

 ティファニアとコスモスは、ゾラがガギ以上に危険な怪獣だと認識した。こいつがいるだけで、周囲から酸素が奪われて生き物はみな窒息死していく。なんとしても止めなければならない。

 コスモスは左右から襲ってきたツルの攻撃をはじき返すと、ルナキックでゾラを押し返した。間合いが開いたことで、光線を撃つ余裕ができると、コスモスはゾラを沈静化させようと、再び癒しの光を放った。

『フルムーンレクト』

 光の雨がゾラに降り注ぎ、ゾラの動きが一瞬止まったように思えた。しかし、ゾラはすぐに動き出してコスモスの首にツルを巻き付けてきてしまった。

「ウェアァッ!」

 首をツルで絞められてコスモスから苦悶の声が漏れる。ゾラのツルの威力は強烈で、ウルトラマン80もこれでかなり苦しめられた。

 フルムーンレクトが効かなかったということは、こいつには心がないということか。いや、それだけではない。かすかだが、こいつを邪悪なオーラが覆っているのを感じる。この気配はどこかで……。

 だが、考えている余裕はなかった。ゾラが呼吸を続けるせいで風下にいる生徒たちが倒れ続けている。メイドや使い魔たちが助け出そうとしているが、彼らも次々に酸欠で倒れていき、シエスタの悲痛な叫びがこだました。

「ウルトラマンさん、このままじゃみんなが……うぅ」

 だが、危機を訴えるシエスタも酸欠で倒れ、もはや一刻の猶予もなくなった。コスモスの目を通じて、ティファニアの目にも仲良く共にメイドの仕事をしたシエスタが苦しげな表情で倒れたのが映り、その焦りのままにコスモスは燃える戦いの姿へとチェンジした。

『ウルトラマンコスモス・コロナモード』

 ツルに掴まれたままコロナにチェンジしたコスモスは、そのパワーでツルを一気に引きちぎった。

「ハアッ!」

 コロナの力には二重巻きにしたツルもかなわず、火花をあげて千切れ飛ぶ。すると、動物なら腕に当たる部分を破壊されたことでゾラは痛みでのけぞり、その隙をついてコスモスはゾラの胴体に当たる部分に気合を込めた左と右の両拳を炸裂させた。

『サンメラリーパンチ!』

 コスモスの鉄拳でゾラの巨体が押し返され、コスモスはさらにパンチを連打してゾラを押し込んでいった。

 ゾラとの距離が離れたことで、酸欠状態になっていた生徒たちにも風が送られていく。だがまだ不十分だ。コスモスはパンチの連続でゾラを押していくと、ゾラの頭部に向かって鋭くキックを繰り出した。

「デヤッ!」

 強烈なコロナキックがゾラの頭部に炸裂する。しかしゾラもさるもので、命中したキックをツルでからめとってコスモスを捕まえようとするが、コスモスは掴まれた足を起点にしてさらに逆の足でのキックを叩き込んだ。

「デワアッ!」

 頭部への連打でゾラもふらついて倒れこむ。そこへコスモスはゾラの足を掴んで思い切り投げ飛ばした。

『コロナ・レイジホイッパー!』

 重さが消滅してしまったような強烈な投げ技で、ゾラは紙細工のように飛んで行って、学院から離れた場所に墜落した。

 これで生徒たちが酸欠に陥ることはない。しかしゾラは緑色の体を土に汚しながら、ツルを振り乱してまだ起き上がってくる。

 まだだ! コスモスはゾラに向かって手裏剣を投げつけるように、手から矢じり型の光弾を放った。

『シャイニングフィスト!』

 連続発射された光弾はゾラに当たって小爆発を起こした。しかしゾラはそれでもまだダウンせず、なおも半分千切れたツルを振りかざして襲ってくる。

 迎え撃つコスモスは、ゾラにチョップを加えてダメージを与え、さらに中段蹴りを浴びせた。しかしゾラも狂ったように暴れながらコスモスに応戦してくる。

「テェヤッ!」

 ゾラのツルで体を打たれながらも、コスモスは回し蹴りでゾラを吹っ飛ばした。

 さらに追撃にかかるコスモス。しかし、ゾラは掴みかかってくるコスモスに向かって口から黄色い花粉をスプレーのように吹き付けてきた。

「ムォォッ!」

 花粉には毒が含まれていたらしく、花粉を浴びてしまったコスモスは口を押さえて苦しんだ。

 形勢逆転と、ツルを掲げるゾラ。しかも、ついにコスモスのカラータイマーが点滅を始めてしまった。ウルトラマンコスモスが活動できるのは、約三分間だ。「がんばれ! ウルトラマンコスモス!」。

 生徒たちの声援を受けて、膝をつきながらも立ち上がるコスモス。そこへゾラはさらに花粉を吹き付けようとしたが、コスモスは両手を前に突き出して金色に輝くバリアでそれを防いだ。

『サンライト・バリア!』

 バリアに遮られて花粉がコスモスの手前で食い止められた。しかしそれだけでは終わらない。コスモスはバリアをそのままゾラに向かって前進させて、花粉をゾラに向かって逆流させたのだ。

 吐き出した花粉を逆に全身に浴びせられて、ゾラはその毒にのたうって苦しんだ。フグは自分の毒で死ぬ、特に植物もどきのゾラにとって自分の毒は有効だった。

 動きの止まったゾラに対して、コスモスは空高くジャンプした。そしてそのまま空中で軌道を変えるとゾラに向かって超高速のキックをお見舞いした。

『ソーラーブレイブキック!』

 マッハ9の超高速で繰り出されたキックでゾラの頭部が吹き飛ぶ。しかし、なおもしぶとく生き残って攻撃の意思を見せてくるゾラに対して、コスモスはとどめの一撃の体勢へ入った。

 鳥のような構えをとったコスモスの体が輝き、胸の前で腕を回してエネルギーを集めていく。そして、固めたエネルギーの塊をゾラに向かって圧縮波動として解き放った。

『ブレージングウェーブ!』

 超高熱エネルギー波が直撃し、ゾラの体が一瞬で燃え上がった。ツルの一片、細胞の一かけらにいたるまで邪悪なパワーを焼き尽くされ、ついにゾラは大爆発して塵一つ残さず燃え尽きたのだった。

 

「よぉし! やった!」

 

 生徒たちから歓声があがり、コスモスは酸欠に陥っていた生徒やメイドたちを見渡した。

 どうやら、ゾラを倒すのが早かったおかげで命に別条がある者はいなさそうだ。使い魔たちも、すっかり仲間入りしたガギとともに勝利をはしゃいで祝っている。

 気を失っていた生徒やメイドたちも意識を取り戻し、シエスタもメイド仲間たちといっしょに手を振ってきている。

 良かった、悪いことにはならなかったようだとティファニアはほっとした。だがその時、一瞬ぞっとするような視線を感じた気がしたが、その方向には誰もいなかった。また、コスモスは感覚を集中して周辺を探ってみたが、これ以上怪獣が現れそうな気配は無かった。

 なにか引っかかるものがある……けれどエネルギーの残りもこれ以上は危ない。コスモスは空を見上げて飛び立った。

「シュワッチ!」

 コスモスの姿が空へと消えていく。その姿を、生徒やメイドたちは眩しい眼で見上げていた。

 しかし、空へ消えゆくコスモスの姿を、遠く離れた丘の上から冷たく見守っていた人影があったことを誰も知らない。

 

「今日はこれくらいにしてあげるね。お姉ちゃん……クスクスクス」

 

 もう怪獣が出てくる気配は無くなり、騒動は終わった。

 生徒たちは校舎に戻っていき、同じように仕事に戻っていくメイドたちに向かってティファニアは手を振りながら駆けていった。

「シエスタさーん」

「あっ、ティファニアさん。どこに行ってたんですか、心配してたんですよ」

「ごめんなさい、うっかり反対の方向に逃げちゃってて。でも、みなさんご無事でよかったです」

 どうにか怪しまれないように合流できたティファニアは、シエスタや友達のメイドたちと談笑しながら歩いて行った。

 と、見ると使い魔たちが列をなしてついてきている。どうやら餌を求めているようで、シエスタはメイド仲間たちと顔を見合わせて微笑んだ。

「もう、仕方ないわね。今日から一匹分追加ね、今マルトーさんのところから持ってきてあげるから待っててね」

 使い魔たちは喜びの声をあげ、その中で小さくなったガギはゴリラに肩車されながら同じように吠えていた。

 ティファニアも、手伝いをするためにシエスタたちといっしょに駆けていく。

「でもシエスタさん、小さくなったといっても怪獣がいて、その……大丈夫なんですか?」

「えっ? んーん、まあ大丈夫だと思いますよ。平民のわたしにはわかりませんけど、使い魔の皆さんって普通じゃない生き物がいっぱいいますから」

 シエスタは肝の座った顔で答えた。確かに使い魔たちには普通の動物や幻獣の他に、人ほどの大きさのカマキリやヤゴ、コウモリっぽい鳥みたいなどこから召喚されたのかわからないものも多く、使い魔になったことでおとなしくはなっていても平民の彼女たちは当初かなり怖がったものだった。

 けれど、今度は先程のことを反省してか、自分の使い魔に自分で餌をやろうとして来ている生徒の姿も見られる。いつまで続くかはわからないが、ひとまずは良い兆候と言ってもいいだろう。

「でも、一度に二匹も怪獣が出るなんてびっくりですよね。こんなこと、もうたくさんですよ」

「はい……大変でしたね」

 ティファニアはシエスタに合わせて笑いながらも、安心することはできずにいた。

 今回、学院が怪獣に襲われたのは悪意のある何者かのためだ。すでにトリステインのあちこちに怪獣が現れだしたという知らせは学院にも入り、純真なティファニアでも学院がその一環で狙われたのだということはわかる。

 しかし、ガギを出現させた者と、ゾラを出現させた者は違うとティファニアは感じていた。なんとなくだが、ゾラにはコスモスに……いや、自分に対する憎悪が宿っていたように思えてならない。

 そして、あの心の底から冷えきったような悪意はもしかして……ティファニアは、近い将来にその本人と対峙しなければならない日が来るかもと、かなたの空を見上げた。

 

 

 学院に一応の平穏が戻った。だがその一方、学院の戦いを遠くに見ながら街道を急ぐ者たちもいたことをここに付け加えておこう。

「学院で、なにか起こったようだな」

「急ぎましょう。もうどこでなにが起きても不思議じゃないわ」

 街道を急いでいるのはファーティマとルクシャナの二人である。彼女たちは学院の方向から煙が上がっているのを見て不安になったが、戻ることはなくトリスタニアの方向へと歩を進めていった。

 

 そして別の街道では、ゲルマニアの方向へと向かう馬車に乗って、キュルケが憂鬱な表情を見せていた。

「なにかしら……どうしてか、このまま帰ったらだめな気がおさまらないわ……」

 実家からの帰省命令に素直に従った自分を、キュルケは自分じゃないように感じて仕方がなかった。

 ルイズたちを置いて自分だけ安全な母国に帰るのは恥ずかしい。しかし、それを別にしても、いつもだったら必ずとどまる理由がある気がしてならない。けれどいくら考えてもそれがわからず、あえて帰省命令に従ったものの、焦燥感がつのるばかりであった。

 馬車の窓から覗くキュルケの表情はいつもの快活さはなく、ゲルマニアとの国境が近づくほどに焦りばかりが強くなっていく。

「違う、なにかが違う。なに? わたしはなにを置いてきたっていうの? なんなの? なにか、なにか大切なものが……っ。教えて、フレイム……」

 わからない。こんな気持ちになることは前からあった。何か、あって当たり前だった何かを忘れているような気持ち。これまでは気のせいと流してきたが、トリステインを離れようとしている今、どうしようもなく激しく心から「行くな」という声が響いてくる。

 それなのに、心の中の何かは正体を掴ませてくれない。キュルケにとって大切だった、何かが……。

 キュルケの使い魔のサラマンダーは、主人の問いかけには答えられない。だがそれでも案ずるように、大型犬にも勝るたくましい体を彼女の足元で丸ませながら喉を鳴らしてじっとしていた。

 そして、とうとうトリステインの国境を超えようとした二日目の夜のことだった。うとうとしかかっていたキュルケを、突然のフレイムの吠える声が叩き起こしたのだ。

「きゃっ! フ、フレイム、どうしたの? 落ち着きなさい!」

 急に騒ぎ出したフレイムは、ドラゴンのように激しく吠えながら、狭い馬車の中をキュルケの制止も聞かずに暴れまわっている。

 どうしたのだろう? フレイムが言うことも聞かずにこんなに興奮するなんて初めてだ。困惑するキュルケの前で、フレイムは馬車のドアに何度も体当たりを繰り返している。

「外になにかあるの、フレイム?」

 フレイムが外に出たがっていると感じたキュルケは、馬車のドアを開いた。するとフレイムはすぐに馬車から飛び降り、続いてキュルケも馬車を止めさせて降りた。フレイムは馬車から降りてすぐにその場にとどまって、夜空を見上げながらじっとしていた。

「フレイム、急にどうしたのよ?」

 キュルケが問いかけても、フレイムは首を上げて夜空を見上げているだけである。その、見ろと言っているような態度に、キュルケも夜空を見上げてみた。

「もうすぐ双月の満月ね……」

 その夜は二つの月が天頂に輝く美しい夜だった。周辺には他の馬車や人影はなく、街道を静かに月光が照らしている。

 だが、一瞬月光に見とれてはいたが、夜空にはフレイムが興奮するような相手は見当たらなかった。てっきり竜でも通りかかったのかと思ったのだが、それにしては殺気のひとつも感じない。

 だがキュルケが、「なによフレイム、なにもいないじゃない」と、言おうとしたその時だった。突然フレイムが一鳴きしたので反射的に空を見上げると、月を横切って巨大な何かが飛び去っていったのである。

「何? 今のは……竜? いえ、違う?」

 火の系統であるキュルケは夜目が利かない。目をこすって夜空を見上げてみても、そこにはもう何もいなかった。

 今のは何? 幻? いいえ、一瞬だったけど確かに見えた。それに、あのシルエットはどこかで……。

 そのときだった。呆然としているキュルケのおでこに、空からなにかが落ちてきてコツンと当たったのだ。

「痛っ? 今度はなによ、もう!」

 落ちてきたのは小さな固いもので、それはキュルケの額で一回跳ねると、ぽよんとキュルケの豊かな胸に受け止められた。キュルケは少し腹を立てながらも、谷間に挟まっているそれを取り出して月光にかざしてみると、それは何の変哲もないガラクタのようなものだった。

「なあに? 宝石の外れた指輪の土台じゃない。こんなもの、一スウの価値だって……」 

 ゴミだと思ってキュルケはそれを捨てようとした。しかし、投げようとしたときに、指輪の土台に残っていた小さな宝石の欠片がキュルケの指に触れると、キュルケの頭の中に電流のように何かが走ったのである。

「あっ! うっ、ああぁぁ……ら、らぐ、あれは……そう、そうだったわ」

 思い出した。あの日、あのとき、誓った。あのことを……あの子と!

 それはキュルケの求めていたビジョンのわずかな一ピースだったが、それで十分だった。

 なんで忘れていたんだろう。あの子のことを……でも、まだ名前も顔も思い出せない。思い出さなきゃいけない。その答えは、あそこにある!

 キュルケは馬車に駆け戻ると、行者のガーゴイルに迷わずに叫んだ。

「行き先変更よ! ラグドリアン湖へ、全速でとばしなさい!」

 馬車は来た道をUターンし、キュルケの命じたラグドリアン湖へと夜道を疾走し始めた。

 ゲルマニア国境からラグドリアン湖まではトリステインの反対側になる。間に合うか……キュルケは焦りながらも、自分の足元で安心したように寝息をたて始めたフレイムを優しく見下ろしていた。

「ありがとうフレイム……あなたはやっぱりわたしの最高の使い魔ね」

 キュルケの手の中には、一見ガラクタにしか見えない指輪の土台がぎゅっと握られている。だがこれがあれば、無くしていた大切な何かを取り戻すことができる。

 焦りと共に希望を抱きながら、微熱のキュルケはその瞳に本来の炎のような情熱を蘇らせていった。

 

 

 続く

 


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