ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第6話  清水の人魚姫(前編)

 第6話

 清水の人魚姫(前編)

 

 幻覚宇宙人 メトロン星人 登場!

 

 

 トリステインの各地で怪獣による騒乱が起こり、今トリステインはその存亡をかけた危機の渦中に置かれていた。

 首都トリスタニア、王立魔法学院。国内の名所が襲われ、さらにガリア軍の進撃は確実にトリステインの領土を侵している。

 今やトリステインの首都圏からは避難民が続々と地方に脱出している。タルブ村や、あの温泉の豊かなド・オルニエール地方も今では騒乱と無関係ではいられず、逃げ出してきた民で少なからぬ混乱を呈していることだろう。

 だが、そんな騒乱の中でも、人は人としての生き方を止めることはない。

 ある地方において、闇の中で巨大な邪悪がひとつ生まれた。それはかつて地球人も辿った過ちの道で、その光景を見たひとりの女は無表情のまま憮然とつぶやいた。

「人は星は違っても、同じ愚行を繰り返す」

 それは文明の性か。かつて、ある星の人間は愚行の末に滅亡し、後にある昆虫が進化した生命体に乗っ取られてしまったという。

 ハルケギニアも、その一歩目に足を踏み入れかけている。そして、その歩みは戦火が迫る中でも止まることはなく、この騒乱の中にあっては小さく、しかしトリステインの将来に対しては大きな足跡を残していったことを付け加えておこう。

 

 トリステインの地方領のひとつ、クルデンホルフ大公国。そこはヴァリエール家に次ぐトリステインの実質二位の大領主国であり、その位置が海岸線に面するという利点を活かし、ゲルマニアなどとの交易によって多大な富を蓄えてきた。また、幸運にもガリア王国との国境線の反対側に位置しているために、この騒乱からも直接の影響は受けずに一定の安定を保っている。

 けれど、一見蚊帳の外に置かれていると思われたクルデンホルフ大公国に、この日大きな惨劇が起きようとしていた。

 領主の館の門の前に、一台の豪勢な馬車が停車する。その扉が開くと、金髪をツインテールにした小柄な少女が降りてきた。

「ふわぁ、よく寝たわ。久しぶりに帰ってきたわね。お父様は本当に心配性なんだから」

 少しうんざりした様子でつぶやきながらベアトリスは馬車を降りた。彼女の傍らにはいつものエーコ、ビーコ、シーコの三人が控えて、馬車の前に赤じゅうたんをひいてムードを盛り上げている。さらにその後ろでは、パラダイ星人のティアとティラの姉妹が立っているが、ティアは長旅の疲れで立ったまま居眠りしてティラに肩を揺さぶられていた。

 そんな、部下であり友人でもある五人をベアトリスは呆れながらも温かい目でちらりと見ると、目の前の自分の屋敷を見上げた。そう、ここはベアトリスの故郷。戦争勃発を受けて、彼女はすぐに呼び戻されて帰ってきた。しかし、自宅を久しぶりに見る彼女の表情はうかなかった。

「姫殿下、まだ帰りたくなかったって不満なんですか?」

 ビーコがくすんだブロンドの髪をかきながら呆れたように言うと、ベアトリスは仕方ないでしょと言いたげにしぶしぶ答えた。

「今帰ったら、まるで逃げ帰ったみたいで嫌じゃないの。お父様の気持ちもわからないでもないけど……」

 本音を言えばベアトリスはみんなといっしょに学院にとどまりたかった。けれど、先日王宮での仮装舞踏会で事件に巻き込まれたということもあり、今回ばかりは両親の帰宅命令を断れなかったのだ。

 落ち着いたらすぐに戻るつもりでいるけれど、まったく気まずい。跡取りの一人娘なのだから大切にしてくれるのはありがたいけれど、いつまでも子ども扱いしてほしくないわね……と、昔の空中装甲騎士団をはべらせていた頃のベアトリスでは思いもしなかったことを考えつつ、彼女はまず両親へのあいさつをすませた。

 ベアトリスの両親は相変わらずで、熱烈な愛情を込めて彼女を迎え入れてくれた。だが、その溺愛っぷりはベアトリスもうんざりするほどで、これじゃ子ども扱いどころか赤ん坊扱いじゃないじゃないのと、ベアトリスは適当に理由をつけて早々に引き上げることにした。ただ、去り際に「お前が驚くものが待っているよ」と、意味ありげな言葉をかけられたのが少し気になったが、それ以上に彼女はくたびれていた。

 そうして、家族との対面を終えて戻ってくると、屋敷のホールではエーコたちが同じように疲れた様子で待っていた。

「お待たせ。もう、本当にお父様の話は長いんだから」

「あはは、でもそれって娘のことをちゃんと気にしてくれているって証拠ですよ。ちょっと……うらやましいです」

 そう言ってエーコが少しうつむくと、ベアトリスは彼女たちが両親を失っていることを思い出して、悪いことを思い出させてしまったと反省した。そして、つとめて明るく彼女たちに言った。

「よし、じゃあせっかく帰ってきたわけだもの。みんなにわたしの国を案内するわ。早めに来た休暇だと思って楽しみましょう」

「やった! わーい」

 さっそく一番遊び好きなシーコが食いついてきた。エーコとビーコは咎めようかと少し眉をひそめたが、彼女たちもまだまだ遊びたい盛りの少女である。結局は欲求に負けて、ベアトリスについていくことを承諾した。

「あれ? そういえばティラとティアはどうしたの?」

「ええと、待ちきれないから街を散歩してくるって、さっき出ていっちゃいました」

「はあ、しょうがない子たちね。じゃあ二人を探すついでにわたしたちも行きましょう」

 本当なら、戦争が起きていて、このクルデンホルフも一週間後にはどうなっているかわからない。しかし、だからといって今を楽しむのをやめてしまっては心が死んでしまう。

 今隣にいる人が明日もいるとは限らない。以前にエーコたちを失いかけたベアトリスは、かけがえのない友となった彼女たちをできるだけ大切にしようと誓っていた。

 

 しかし、なにげなく故郷の風景を見て回ろうとしたベアトリスは、見慣れているはずの海辺の城下町の、あまりの変貌ぶりに愕然とした。

「なによ、これ……」

 街は、ベアトリスが慣れ親しんできた、海産物や輸入品を扱う明るい港町ではなくなっていた。あちこちに工房のような建物が並び、山の方から大量の土砂がひっきりなしに馬車で運び込まれてきている。

 さらには街を貫く河や運河には土砂が流し込まれて黄色く染まった流れが海まで続き、町の空気は砂塵が立ち込めて息苦しい。

 街は、ベアトリスの知っている明るく豊かな雰囲気は無くなり、全体が暗く汚れた囚人街のようなものに変わってしまっていたのだ。

「姫殿下、ここって本当にクルデンホルフの街なんですか?」

 ビーコが戸惑ったように尋ねた。クルデンホルフのことはベアトリスから言葉では聞いたことがあるが、とても賑わっていて明るい、トリスタニアにも負けない最高の街だと聞いていた。

 しかし今は、道行く者も少なく、わずかな通行人も汚れた空気を避けるように大きくフードをかぶってうつむいて歩いていく。

 いったいどうしてこんなことに? ベアトリスは、通りすがりの平民の老人を捕まえて問いただしてみた。すると、驚くべき答えが返ってきた。

「へえ、実は先日山の方で新しい土石の鉱脈が発見されたんでございまする。しかも、かつてない埋蔵量だとかで、精錬して世界中に販売するとかで、領主さまは街を大きく作り替えられたのでございまする」

 まさに仰天の事実だった。精霊の力の結晶と言われる土石や風石などの魔法石は、魔法の触媒や練金の材料として大変な価値がある。その大規模な鉱脈が見つかったのなら、クルデンホルフ家はまさに金の湧く泉を手に入れたようなものだ。

 お父様の言っていたことはこれだったのね。クルデンホルフを世界一の貴族にするという野心を持つベアトリスは、期待に胸が熱くなるものを感じた。

 しかしそのとき、ベアトリスの前で老人が咳き込んでうずくまり、エーコが慌てて助け起こした。

「ごほっ、ごほごほっ」

「ちょ、ちょっとあなた、どうしたの。大丈夫?」

「も、申し訳ありませぬ。老いぼれの身には、今の街の汚れた空気は厳しいようで」

 その後、ベアトリスは老人の背中をさすって帰すと、ティアたちを探す前に今の町長に会いに行った。町長の屋敷は昔にベアトリスも行ったことはあるが、品性のある大理石の建物という雰囲気は無くなり、薄汚れた廃屋のような見た目に変わり果てていた。

 当然、ベアトリスたちはよい感触を持たなかったが、意外にも町長は快く面会を受け入れてくれた。

「おお、これはこれは姫殿下様。こんな下詮な場所においでくださるとは望外の極みです」

 町長は恰幅のよい中年の男だった。聞くところによれば、元は鉱山を探す山師の出だったそうだが、土石の鉱脈を発見して大きく名を上げ、さらに石炭や銅の鉱脈なども次々に発見した功績によって、クルデンホルフ公爵より直々に町長への任命と、町の開発を託されたのだという。

「新たな鉱脈の開発により、公国の収益は昨年の倍にもなる公算でございます。さらに新たな鉱脈の開発計画も進んでおり、公爵様には大変喜んでいただいておりますです」

 町長は誇らしげに自分の功績を語り、さらにベアトリスにも新たな開発への協力を要請してきた。

 しかし……ベアトリスは悪い話ではないと思いながらも、なぜかこの男を信用することができなかった。

「おもしろいお話ですわね。ですが、長旅で少々疲れていますので、詳しい話は後日あらためて伺いいたしますわ」

「もちろんですとも。では、よいお返事を期待しております」

 未熟ながらも優雅に礼をして、ベアトリスは退室した。町長は気分を害した風もなくにっこりと笑って見送ってくれ、それがまたどうにも癇に障った。

 エーコたちも、なんとなく町長にはよい印象を持たなかったようで、ベアトリスにぽつりとつぶやいた。

「妙な男でしたね」

「お父様は、昔から儲けられる人材には細かいことを要求しないのよ。それが、体面にこだわるほかの貴族と違って我が家が隆盛できた理由でもあるけど、たまにああいうのも混ざるのよ」

 良く言えば実力主義、悪く言えば節操が無い。やり方としてはゲルマニア人に近いところがクルデンホルフの特徴だとベアトリスは自嘲げに語った。

 ベアトリスが昔まとっていた傲慢で高圧的で高慢な雰囲気も、裏を返せばそうした有象無象になめられないようにするために教育された一面もある。

「行きましょう。ティラたちを探さないと……」

 

 町長の屋敷を出た四人は、ティラとティアを探しつつ、同時に街の現状をもっと見ておこうと方々を歩き回った。

 途中、街の宿や酒場で話を聞いたところによると、確かにクルデンホルフの収益は上がったらしい。そのおかげで民の懐も潤うようになり、世界中から商人が集まってくるようになったという。

 しかしその反面、街を去る者もいることをベアトリスは目にした。荷車を引いて街を出ようとしている家族を見て声をかけたところ、一家の主の男は悲しげにこう答えた。

「あっしらは代々この海で漁師をしてまいりましたが、海が街から流れ出てくる土砂で汚れて、もう魚がおりませんのです」

「おとう……いえ、公爵様にそのことを訴えないのですか?」

「訴え出ました。ですが公爵様は、魚は儲けた金でよそから買ってきてやるから、お前も土を掘れとおっしゃるばかりで。ですがあっしらは海を捨てられません。残念ですが、どこかあっしらを受け入れてくれる海を探します」

 そう言って元漁師の一家はつらそうに去っていった。ベアトリスは、公爵の娘であるということは知られなかったが、父である公爵があの漁師に言ったという言葉が強く胸に刺さっていた。

 父の言ったことは、恐らく間違ってはいない。領主として、増収に最短の道を選ぶのは当然のことだ。自分が領主でも、漁師の生活よりも採掘の収益を選ぶだろう。

 けれど、理屈ではそれが正しいと思っても、胸の奥にはなにかもやもやしたものが残って気持ちが悪かった。

「お父様……」

「姫殿下……公爵様は、街のことはこれでよいと思われているのでしょうか?」

「たぶん、知っているけど構っている余裕がないんだと思うわ。国中の貴族に借財を出してるし、投資している事業も少なくない。それで動くお金の額に比べたら、領地のことなんか微々たるものよ」

 クルデンホルフにはグラモン家をはじめ、多くの貴族が借金をしている。それに、怪獣に頻繁に国土が荒らされる今は、復興のために金が動く。

 儲かるほうに重点を置くのは当然のことだ。お金よりも大切なものがあると人は言うが、実際に世の中においては金が無いのは首が無いのと同じ。

 けれど、漁師に向けられた冷たい言葉は、ベアトリスの心に刺さって抜けない。

「お父様、悪気はなかったんだと思うわ。でも……」

「わかってますよ。公爵様がいい人だってことは、わたしたちみんな知ってますって」

 シーコが慰めるように言った。エーコたちは以前に、バキシムの策略でクルデンホルフが彼女たちの親の事業を盗んだと思いこまされてベアトリスを狙ったが、実はクルデンホルフ公爵は事業に失敗したエーコたちの親をできるだけ援助してくれようとしていたのだった。

 エーコたちがそれを覚えてくれていたことを聞いたベアトリスの頬にわずかに赤みが戻った。

「まったく、どっちが主人かわかりゃしないわ。さっ、行くわよ」

 気持ちを切り替えるようにベアトリスは言った。そして、そんなちいさなベアトリスの背中を見て、エーコたちは「姫殿下、変わったね」と、微笑みながら小さくささやきあっていた。

 

 街はどこへ行っても粉塵で薄暗くて息苦しく、まるで砂嵐に襲われた砂漠の街のように思えた。酒場やカフェも戸を閉めきって開いているのかすらわからなかったり、市場に行っても品物を厚い麻で覆っているような有り様だった。

 明るく聞こえてくる声は、やれ相場がなんだ取引価格がなんだといったものばかりで、昔に聞こえていた商店の客引きや買い物客などの声はほとんど無くなっていた。

 そこかしこから、山から運んできた原石を加工している音は聞こえる。しかし、それは東方号を建造した街で職人たちが良いものを作ろうと一生懸命に働いていた時の音とは、なにかが違うように思えた。

「お金が動いているのは感じる……けど」

 儲かればそれでいい。昔の自分なら迷わずにそう言ったはずだ。けれど、今は……

 ベアトリスたちと通り過ぎて、衛士隊の一団が走り去っていった。彼らの話し声を横に聞くと、どうやら儲けの取り分を巡って争いが起きたらしい。

 耳をすませば、加工の音に交じって「その原石は俺のだ」「この泥棒」のような争う声も聞こえてくる。街の人たちの心も、昔に比べて荒れ果てていた。

 それに、山からこれだけの鉱石を運んできているということは、山岳部に住んでいるパンドラやオルフィといった怪獣たちも棲み家を荒らされているかもしれない。

 やがてベアトリスは、海沿いにある公園にたどり着いた。

「ここも、変わってしまったのね」

 幼い頃、ベアトリスはこの公園に父や母に連れてきてもらってよく遊んだ。まだ跡継ぎのことなど考える必要なんてなく、この公園は昔は木々が程よく日差しを遮り、若草の上で子供が駆け回るのにはもってこいの美しい公園だった。その当時は公爵家もまだもっと下の爵位で、それほどの力を持ってはいなかったクルデンホルフ家は平民との境も薄く、幼い頃のほんのひとときだが、平民の子供たちといっしょに駆け回ったこともある。

 それが、すっかり灰色の砂漠に変わって、今では一人の子供の姿もない。砂に埋もれた芝生の上を足跡をつけながら歩いて公園の端まで行くと、そこからは海を一望できたが、かつては青かった海は泥に汚れた黄色い汚水の溜まりへと変わり果ててしまっていた。

「海まで……」

「これじゃ、もう魚はとれませんね……」

 エーコたちも、汚れきった海の光景に呆然とするしかなかった。海に流れ込む川は異様な色に染まって、鼻が痛くなる臭いが漂ってくる。なんでも、鉱石から一度に大量に魔法石を取り出すために石を溶かす薬品を使って、その廃液が垂れ流しなのだとか。

 ラグドリアン湖では、水の精霊の怒りを買わないようにするため、汚水を流すことが厳しく制限されている。けれど、そうした制約のないところでは、人間はここまで水を汚し尽くすことができるものなのか。

 そのときである。立ち尽くす彼女たちの隣から、悲しげな声が聞こえた。

「海が、泣いていますね」

 見ると、そこには緑色の髪を長く伸ばして小さな丸眼鏡をかけた美少女が寂しげに立っていた。

「ティラ、あなたいつの間に」

「ティアが、せっかく海に来たから泳いでいきたいとごねるから来てみたんですが、これではとても泳げませんね。ティアはすねてどこかへ行ってしまいました」

 苦笑しながら答えたティラに、ベアトリスたちはやれやれと肩をすくめた。

 ティラとティアの緑髪の姉妹は、有能さについては疑う余地がないが、たまにティアの無軌道な行動には振り回されてしまう。そろそろ、けじめをつけたほうがいいかもしれないとベアトリスは思った。

「しょうがないわね。そう遠くには行ってないでしょうからみんなで探しましょう。ちょっと、おしおきが必要みたいだものね。ふ、うふふふ」

 ベアトリスは呆れながら言って、最後に笑った。主に勝手に遊び歩くとはしょうがない部下だ、見つけたらじっくりお説教してやると、目尻が吊り上がって口元がサディスティックに歪む。

 さらにベアトリスにつられてエーコたちも意地の悪い笑みを浮かべ、ティラはティアが夕食抜きにされて泣いて謝る姿が目に浮かんで嘆息した。

「あーあ、知らないわよティアったら、久々に姫殿下らしい姫殿下に戻っちゃったわ」

 最近は丸くなってきているとはいえ、ベアトリスの本質は高慢だ。特にこの頃は発散する機会が乏しかったこともあって、避雷針役は大変なことになるだろう。

 ティアのことだから、きっと海沿いにぶらついていることだろうと、ベアトリスは肩を怒らせて海沿いの道を歩いた。

 海沿いには、漁港と貨物船の港の二つがあり、ベアトリスたちが歩いているのは漁港のほうになる。しかし、貨物船の港のほうは遠目に見ても大きな船が出入りしているのに対して、漁港は昼間だというのに閑散としていた。

「人がほとんどいないわね……」

「仕方ないわよ。こんな海で獲れた魚を食べようっていう人はいないでしょうし」

 エーコとビーコが口を手のひらで押さえながらつぶやいた。

 近くで見ると、海の水はドロドロに汚れ、放置された漁船の中には干からびた魚が腐臭を放っている。あの漁師の言った通り、クルデンホルフの漁業は壊滅状態にあるのは明らかだった。

 けれど、問題はそれだけではないようだった。放置されている船を見ると、なにか大きな力で傷つけられたり破壊されたりした跡があるものがちらほら見え、それを見たティラは思い出したようにベアトリスに言った。

「そういえば、街の人から聞いたんですけれど。姫殿下、あまり海には近づきすぎないようにお願いします」

「え? どういうこと」

「ちょっと信じられない話なんですけど……海沿いを歩いていた人が……」

 だが、ティラがそれを言い終わる直前だった。彼女たちの耳に、港の先の方から大きな悲鳴が聞こえてきたのだ。

「今の、誰かの悲鳴よね!?」

「近いわ、あっちよ!」

 悲鳴の大きさからしてただ事ではないと判断したベアトリスたちは走り出した。

 港は桟橋に積み上げられた物資や陸揚げされた漁船などで意外と見通しが悪かったが、悲鳴の元はすぐに見つかった。陸揚げされた漁船のそばにいた漁師の夫婦に、海から海草のような触手が無数に伸びて襲いかかっていたのである。

「うわあーっ、助けてくれぇーっ!」

 ベアトリスたちは、目の前の事態が飲み込めなくて一瞬立ち尽くした。だが、それは夢でも幻でもなかった。

「な、なによあれ!」

 汚染された海から、コンブやワカメに似た海草がヘビのように伸びて漁師たちを海に引きずりこもうとしている。その悪夢のような光景に、ティラは先ほど言いかけた続きを急いで話した。

「最近、海沿いで船が壊されたり人が海に引きずりこまれる事件が頻繁に起きてるらしいんです。でもまさかこんな」

「言ってる場合じゃないわ。助けないと!」

 漁師の夫婦は全身に海草を巻き付けられながらも、船にしがみついて必死に耐えている。

 昔のベアトリスなら見捨てたかもしれないが、東方号の母港で働いている平民たちと触れ合い、今は魔法学院でも多くの友達を持っているベアトリスは迷わず平民を助けることを選んだ。

「姫殿下は下がっていてください。ビーコ、シーコ、やるわよ!」

 ベアトリスは土の系統のメイジであるから海沿いでは力が出せない。エーコの指示で、ビーコとシーコはそれぞれの魔法を触手に向けて放った。

『エア・カッター!』

『ファイヤー・ボール!』

 風の刃と炎の球が海草の触手を切り裂き、焼き切った。そしてその隙に、エーコとティラは夫婦に駆け寄って助け出そうと試みる。

「大丈夫ですか? おじさん、おばさん」

「お、おお貴族さま。こ、これはなんとお礼を言えば」

 壮年の漁師夫婦は貴族が助けてくれるとは信じられずに驚いていた。

 だがエーコとティラは、とにかく話は後だと海草を引き剥がそうと急いだ。けれど海草は油にまみれているようにベタベタして、しかも毒物も含んでいるらしく、手が焼けるように痛くなってくる。

「なんなのよ、この気持ち悪い触手は!」

 エーコたちは毒づきながらも、なんとか触手を夫婦から引き剥がすことに成功して、そして、急いで海から離れようとした。

 しかし、すべての触手を除去したと思ったその一瞬の隙を突かれてしまった。一本だけ生き残っていた触手が夫婦の夫の足に絡みついて一気に海に引き釣りこんでしまったのだ。

「うわぁーっ!」

「あなたーっ!」

 悲鳴を残して海中に沈んでいく夫の姿に妻の絶叫が響いた。

 しまった! エーコたちは悔やんだが、相手が海の中ではこれ以上どうすることもできなかった。いや、ティラが責任を感じて飛び込もうとしたが、ティラの手をシーコが掴んで止めた。

「離してくださいシーコ先輩、わたしなら海の中でも」

「だめだよ! こんな海に飛び込んだらいくらティラでもただじゃすまないって!」

 確かに、汚れ切って腐った魚の浮く海に飛び込めば無事にすむ保証はない。けれど、ほかに海の中にまで助けに行ける者はない以上、ティラはシーコの手を振り切って飛び込もうとした、その時だった。

「ティラ、お先に!」

 短く切りそろえた緑色の髪を持つ少女が風のように飛び込んでくると、皆があっけにとられている前でためらいなく海に飛び込んでいってしまったのだ。

「ティア!」

 あの不敵な横顔は見間違えようが無かった。ティラの双子の姉妹は海中にしぶきを残して消え、濁った海ではもはや海上からは様子をうかがうことさえできず、残ったベアトリスたちはただその無事を祈るしかなかった。

 一方、飛び込んだティアは海生宇宙人パラダイ星人の能力によってイルカのように速く泳ぎながら、さらに濁った海の中でも引きこまれた漁師の位置を掴んで追いついていた。

「間に合った! けど、なんて汚れた水なんだ。こりゃ、あたしでも長居はできないな」

 漁師の体を掴まえたものの、まるでオイルの中にいるようで、泳ぎにくい上に体がしびれてきた。本来ならパラダイ星人は海中で無制限に行動可能だが、こんな毒水の中ではあと数分が限度だ。

 ティアはパラダイ星人の能力で爪を鋭く伸ばすと、漁師の足を捕まえていた触手を切断した。

 これで逃げれる。けれど触手はさらに深海から伸びてきて、今度はティアの体をからめとろうとした。胸や腰に触手がからみついて深海に引きずり込もうとしてくる。ティアは触手に含まれている毒に体を焼かれながらも、渾身の力で触手をまとめて切り刻んだ。

「このっ! 気持ち悪いんだよぉ!」

 触手を振りほどいて、ティアは漁師の体を掴んだまま陸地に向かって全力で泳いだ。

 後方からはしつこく触手が伸びてくるが、パラダイ星人の遊泳速度には追い付けない。やがて追いつくことをあきらめて触手は引き下がっていったが、ティアは深海に巨大ななにかの存在を最後に感じ取っていた。

「ぷはあっ!」

 水面から顔を出したとき、海上で心配していたベアトリスたちはすぐにティアと漁師を『レビテーション』の魔法で桟橋の上にまで引き上げてくれた。

 そして桟橋の上に漁師とティアは横たえられ、体の具合を確かめられた。漁師のほうは幸いにも気絶したおかげであまり水を飲まなかったらしく、少しの介抱で意識を取り戻した。だが、ティアの容体がそれから急に一変したのである。

「ううう、ああ、熱い! 体が熱い熱い熱いぃっ!」

 ティアは錯乱して暴れだし、ビーコとシーコが慌てて抑えつけた。さらにエーコがティアの額に手を当ててみると、やけどしそうなほどの熱を持っていた。

「ひ、ひどい熱だわ。どうしちゃったのよティア?」

「あの触手だわ。これの持っていた毒にやられちゃったのよ」

 ティラがティアの服に残っていた触手の残骸を取り除きながら答えた。汚れた海中で長時間動き続けたのもあって、大量の毒素を吸収してしまったのだ。

 ティアは熱い熱いと叫びながらもがき続けている。手足を抑え込んでいるビーコとシーコが力を緩めたら、そのまま自分の服を引き破って海に飛び込んでしまいそうな狂乱っぷりで、顔を青ざめさせたベアトリスはティラに言った。

「ど、どうしよう。そ、そうだわ、早く医者の所に連れて行かなくちゃ!」

「無理です。種類もわからない毒を浴びたんじゃ、医者に見せても手の施しようがないわ」

「じゃ、じゃあどうするの? わたしたちの誰も解毒や治癒の魔法なんてろくに使えないし、このままじゃティアが!」

「ともかく毒を洗い流さないと。水を、きれいな水をください!」

 ティラの言葉に、ベアトリスは皆を見渡した。

 だが、もちろん水を持ち合わせている者などいない。漁師の妻にも尋ねてみたが、この近くでは井戸水も腐ってしまったとかで、きれいな水が手に入るところは近くになさそうだった。

 と、なれば後は魔法しかない。しかし、ベアトリスの系統は土、エーコも土、ビーコは炎でシーコは風、水系統の使い手はいない。水系統の初歩で空気中の水蒸気を固めて水を作る『コンデンセイション』なら、水に近い風系統のシーコなら使えるけれども、ドットメイジのシーコには今必要な分の水を作るのは難しかった。

「『コンデンセイション』……やっぱりダメ。わたしの魔法じゃ、ほんのちょっぴりの水しか作れないわ」

 シーコが杖を握りながら泣きそうな声で言った。シーコが空気中から作れた水は一回でコップ半分程度、とても足りない。

 けれど、今はシーコの魔法しか頼るものはないのだ。ティラは必死にティアに呼び掛けて正気を保たせようとしており、見守るしかできないベアトリスも必死にシーコに頼んだ。

「お願いよシーコ、がんばって。わたしにできることならなんでもするから」

「はい、ここは海沿いですから水蒸気はあるんです。でも、何もないところから水を作るのは難しくて……せめて、少しでも真水があればそれを媒介にして水を増やせるんですが」

 無から一気に大量の水分を集めるのは、タバサ級のメイジでなければ難しい。

 しかし、ドットからラインクラスへの昇級でさえ、学生のレベルでは大変に困難なことだ。シーコが劣っているのではなく、タバサやキュルケといった顔ぶれのほうが異常なのである。

 それでもシーコは友達のために、涙をぬぐって杖を握りしめた。くすんだ緑色の髪の持ち主で活発なシーコは、ティアとは気が合って仲がよかった。絶対に死なせない、たとえ自分の力では無理でも、最後までやるだけやってやると魔法を唱えようとした。

 だが、そのとき。シーコの傍らに、乾いた音を立てて一本の水筒が放り投げられてきたのだ。

「使え」

 はっとして振り向くと、そこにはいつの間にか黒い服をまとった黒髪の女が立って、こちらを見下ろしていた。

「だ、誰よ!」

 見知らぬ女の出現に、ベアトリスたちは警戒して杖を向けた。けれど黒髪の女は眉一つ動かさずに背を向けると、短く告げてきた。

「早くしないと、助かる命も消えてしまうぞ」

 突きつけられた言葉に、ベアトリスたちは顔を見合わせた。

 もう一刻の猶予もできない。シーコは水筒の蓋を取ると、水をティアの体に振りかけて魔法の呪文を唱えた。

「お願い、成功してっ!」

 必死の祈りを込めた魔法がシーコの杖から輝き、その祈りは通じて大量に増殖された水が、数十杯のバケツで一気にぶっかけたような奔流となってティアの全身を洗い流した。

「ゲホゲホッ! あ、あれ、あたし……」

 水で毒素が流され、ティアは飲み込んでしまった水を咳き込んで吐き出しながら正気を取り戻した。さすが宇宙人であり、人間よりは強靭な体をしている。

 けれど正気に戻ってすぐに、ティアは感極まったベアトリスやシーコたちに抱きつかれて押し潰されてしまった。

「ティア、よかった! ほんとに生きてるのよね」

「ぐあああっ、姫殿下、みんな、重い、重いですってえ!」

 ベアトリスたちはみんな小柄だが、数人がかりでのしかかればそりゃあ重い。

 今度は別の意味で苦しむティアを、ティラはほっとした眼差しで見つめ、水筒を渡してくれた女の姿を探した。しかし、すでにどこにも見当たらず、仕方なくあの女が残していった水筒を見ると、簡素な木製の筒の裏側に名前らしきものが書いてあった。

「ウェストウッド……って、学院で働いてるエルフのメイドの子の名字じゃない……偶然よね」

 もしまた会えればお礼を言おうと、ティラは水筒を大切にしまった。

 

 そして、ベアトリスたちは助けた漁師の夫婦からもお礼を言われることとなった。

「ありがとうごぜえました。まさか貴族さまがお助けくださるとは、このご恩は一生忘れませんです」

「いいのよ、領民を守るのは貴族の務めだもの。それより、今は海沿いは危ないって言われてるのに、なんでこんなところにいたのよ?」

 子供とはいえ、こんなに大勢の貴族を前にして恐縮している漁師にベアトリスがたずねると、漁師の夫は朽ちかけた漁船を指差して答えた。

「あの船は、今はもうあんなオンボロになっちまいやしたが、あっしの親父の代から受け継いできた大事な商売道具なんでやんす。こんな海じゃもう漁には出られないんで、息子たちは出稼ぎに行き、漁師仲間たちは次々に廃業していきますが、あっしはどうしてもこのオンボロを見捨てられませんで」

 よほど思い入れがある船なのだろう。苦笑いしながら言った漁師の言葉どおり、その漁船はよく見ればあちこち継ぎ接ぎの補修がされた跡が残っており、帆だけは真新しい布が畳まれていた。

 また、夫に同調して漁師の妻もゆっくりと言った。

「もう、魚の獲れる海は戻ってこないかもしれないと思っても、わたしらにはこの船で若い頃からやってきた思い出しかありませんで。もしかしたら明日はと……あきらめきれないのでございます」

 寂しげに語った漁師夫婦は街中で出会った漁師よりも顔に深くしわを刻んでおり、とてもほかの海でやり直していくような力が残っているふうには見えなかった。

 希望が無くても、せめて最後まで故郷の海といっしょにいたいという思いは、まだ未熟なベアトリスたちの胸にも突き刺さり、ベアトリスは自分が公爵の娘であるということは伏せて、一つ尋ねた。

「この海をこんなにした……クルデンホルフ公爵を恨んでる?」

 罵声が返ってくるのを覚悟でベアトリスは聞いた。けれど、漁師の老人から返ってきた言葉はずっと穏やかであった。

「いいえ、時はうつろうものでございます。私らだって、何もないところに港を作り、魚を獲ってまいりました。我々が不要となり、新しい街が必要というのであれば、それも仕方のないことでしょう」

「あなたたちはそれで……それで本当にいいの?」

「寂しくないといえば嘘になりましょう。けども、年寄りは若いもんのために、その助けになることが役割です。あっしらも若い時分には、親父やじいさんに苦労をかけやした。けどそのおかげで、あっしは女房に会えて息子たちも生まれ、たっぷり楽しい夢を見ることができやした。この街が新しい夢を見たいと言っているのでしたら、あっしに止める権利はござんせん」

「夢……」

 ベアトリスはその言葉を聞き、以前にある男から聞かされた、夢にまつわるある一言を思い出した。

『どうせ夢を見るならば、みんなのハートがあったかくなる、誰もがいっしょにハッピーになれる、そんな夢を見たいものだと思うね』

 みんなが幸せに……夢とは本来そういうものであるべきではないのか?

 けれど、今のクルデンホルフの人々の見ている夢はどうなのだろうか? みんな、石ころを磨くことにだけ必死になって、街が汚れていくことすら気にも止めていない。

 エーコたち三人、ティラとティアもベアトリスを見つめる。そして、ベアトリスはきっと決意すると、漁師夫婦を正面から見据えて言った。

「夢……いいえ、今のクルデンホルフのみんなが見ているのはただの悪夢よ。こんなことを続けていたら、クルデンホルフはいずれ人間の住めない土地になってしまうわ。でも、今ならきっと元のクルデンホルフを取り戻せる! わたしがそうさせてみせる」

「あなたさまは、いったい……」

「そのうち嫌でもわたしの顔を見るようになるわ。だから、少しだけ待ってて。みんな! お父様のところに戻るわよ!」

 意を決したベアトリスは、五人を率いて急いで屋敷に戻っていった。

 足音も荒く公爵の部屋に乗り込んだベアトリスは、公務をおこなっていた公爵から喜んで迎えられた。

「おお、戻ったか。どうだ? 我らの領地の発展は、見事であったろう?」

「お父様、それについてお話があります」

 公爵は、大規模に発展した領地のことを誇るように娘に聞いてきた。やはり、領地のことは上がってくる書類や屋敷からの遠景くらいでしか知らないらしい。

 そして何も分かっていない風の公爵に向かって、ベアトリスは思い切り切り出した。

「お父様、単刀直入に申します。領内で進めている土石を含む鉱物の大規模採掘を中止していただきたく願います!」

「な、何を言い出すか。ベアトリス、我が娘ともあろう者が狂したか!」

 当然、公爵は烈火のごとく怒って叱りつけてきた。しかし、ベアトリスは一歩も引かず、無茶な鉱石の採掘がどれだけ領地を汚しているのか、どれだけ多くの人間がそのために苦しめられているかを丁寧に訴えた。

 このままではクルデンホルフは人の住めない土地になってしまう。そうなる前に、煤煙や汚水の流出を止めなければならないと。

 けれど公爵も単に感情的にはならず、今は多くの人間が努力すれば金持ちになれる機会に恵まれている。貧乏な者が這い上がるチャンスや、クルデンホルフがさらなる富を得る機会をふいにするのかとベアトリスに問いかけてきて、ベアトリスは苦悩しながらも答えた。

「お父様、わたしはクルデンホルフの外に出て、この者たちや多くの人々に教えを受け、自分がいかに小さな世界に生きていたのかを知りました。1スゥや1ドニエに悩み苦しむ人が大勢いて、そうした人々にとってお父様の鉱山開発が救いになっているということはわかります。けれど、それはあまりに性急に過ぎて、クルデンホルフは毒に侵された死の土地になろうとしているのです。もはやこれは、寒いからといって自分の家を燃やして暖をとるような暴挙です」 

 ベアトリスは父の圧力に怯みながらも理路整然とした反論を行い、怒っていた公爵もしだいにうなりだした。

 また、ベアトリスの姿勢に勇気をもらい、エーコたちも、街は土石を精錬する粉塵にまみれて息をするだけで喉が痛み、川や海は流れ込んだ汚泥によって毒沼と化している。自分たちはそれをこの目で見てきた。今はまだよくても、遠からず病人や死人が続出すると訴えた。

「公爵様、一代で公爵家をここまで大きくし、さらに上を目指しているあなた様の志は尊敬しております。ですが、今のあなた様は上がってくる書類には目を通しても、街に足を運んでそこがどうなっているのかを見ておられるのですか? そう、公爵様のお膝元では、もうコップ一杯の水さえ容易に手に入らないような惨状になっていることをご存知なのですか?」

 エーコの突きつけたその言葉に、公爵はすぐには反論することはできなかった。

 公務のためとはいえ、清潔な屋敷にこもり、外出はほかの貴族や商人との交渉にばかりかまけてきた。

 なぜなら、領地の経営よりも貴族たちへの金貸しの方が儲かる。そして得た資金でゲルマニアやガリアと交易すればさらに儲かる。領地のことは家臣に任せることが多くなり、すぐ近くの町さえ足を運ばなくなって久しかった。ベアトリスの想像したことは正しかったのだ。

「そうだな、私は確かに足元をおろそかにしていたのかもしれん」

 公爵は、自分の非を認めた。けれど、非凡な才覚で公爵家をのし上げてきたその眼は厳しく我が娘を見据えていた。

「だが、ベアトリスよ。この採掘の利権を放棄することで、どれほどの損失が出ると思う? それで我が家が傾くようなことになったらどうするのだ?」

「なにもすべてを放棄しろと言っているわけではありません。山に火をかければすべて焼き尽くすだけですが、少しずつ薪に変えれば暖炉で家を温めてくれます。それに、これほどの調子で採掘を続ければ、何年も経たずに掘りつくしてしまいます。そうなったときに取引先を失い、荒れ果てた領地しか残らない反動のほうが恐ろしいです。ですから今は損失を呑んででも、土石の採掘を少量ごとに切り替えるべきとわたしは考えます」

「……ふむ」

 公爵は考え込んだ。ベアトリスの言ったことは正論だ。娘がそこまで未来を見据えたことを言ってくるとはと、公爵は嬉しさを感じた。

 けれど、実業家としては別だ。公爵は感情を顔に表さないようにして、もう一度自分の娘に尋ねた。

「よいだろう。だがベアトリスよ。採掘を止めれば元に戻すために多くの金が要る。失業者も出る。糾弾の声が上がり、クルデンホルフの資産も評判も大きく減るだろう。お前はこの私に、その責を負えと言うのか?」

「いいえ、その責はこの私が負います!」

「な、なんと!?」

 公爵は、ひるむかと思っていた娘がそれどころか真っ向からぶつかってきたことに驚愕した。そしてベアトリスは、青い瞳に公爵に負けない強い光を宿して答えた。

「魔法学院を中退し、わたしが領地の立て直しをおこないます。人々には、わたしが公爵様に独断で事業を止めたことにし、お怒りになる方々には私が土下座して回ります。それで何年かかるかわかりませんが、このクルデンホルフを元の水の豊かな平和な土地に戻します!」

 その言葉に、エーコやティラたちからも、「姫殿下! 何をおっしゃるのです」と動揺した声があがる。だが公爵は落ち着いた体を保ち、さらに娘に問うた。

「それでお前の夢、私の後を継ぎ、クルデンホルフをさらに成長させるという目標はどうするのだ?」

「もちろん忘れてはおりません。ですが、わたしは瓦礫の塔の頂上で裸で笑う愚か者にはなりたくありません。どれだけ時間がかかっても、わたしはわたしのやり方で登り切り、たとえ頂点に立てなくても、信頼するこの者たちに囲まれて笑っている……そんな道を歩みたいのです」

「……甘い夢だな。お前がそんなことを言うようになるとは思わなかったよ」

「そうかもしれません。けれど、わたしはわたしのやり方で多くの知己を得ました。わたしとお父様のやり方は違いますが、わたしはこのやり方でお父様と同じ頂点を目指す覚悟です。遠回りになるかもしれませんが、わたしが届かなかったその時はわたしの子がそれを継ぎます。だから、お父様にも長生きしていただけるような、住みやすいクルデンホルフであってもらわなければいけないんです」

 真っすぐ言い放ったベアトリスを、公爵は同じように見つめ返し、やがて緊張を解くように息を吐いてから告げた。

「お前を送り出してから、たった一年ほどなのに、よくぞ変わったものだ。一年前、お前はよく言って私の写し絵だった。それが、よくぞ大きくなったものだ」

「お父様」

「可愛い子は旅に出せとはよく言ったものよ……ベアトリスよ、学院を辞める必要はないぞ。お前が初めて示したクルデンホルフの未来、私が代わって確認してみせよう」

 娘の肩を叩いて告げた公爵の言葉に、ベアトリスはぱっと顔を明るくした。

 そうして公爵は屋敷の窓を開け、汚れた空気を身に浴び、灰色になった街を見渡してから振り向いた。

「お父様、それじゃあ」

「いずれ、この国はお前のものとなる。そのお前が判断した道がどこにたどり着くのか、私も見てみたくなった。それに、クルデンホルフあってこそのクルデンホルフの繁栄であるべきだな。お前に譲り渡すのなら、きれいな姿で渡したいものだからな……心配するな、久しぶりに大損をするのも悪くはない」

「お父様……大好き!」

 ベアトリスは満面の笑みを浮かべて父の腕の中に飛び込んだ。公爵は成長した娘を抱きかかえて嬉しそうに微笑み、エーコたちはそんな親子を温かく見つめていた。

 

 だが、この場所に突然ありえない声が響いた。

「おやあ困りましたね。せっかくここまでお膳立てしてあげたのに、親馬鹿とはこのことですか」

 はっとして一同がそちらを見ると、そこにはいつの間にかあの町長が立ってこちらを見ていた。

「何用か? お前を呼んだ覚えはないぞ」

 公爵が威厳を込めて威圧するが、町長は顔色一つ変えずに悠々と立っている。その余裕は不気味でさえあり、なにかを察したエーコたちやティラとティアはベアトリスを守るように前に立ちふさがった。

「姫殿下、お気をつけください!」

「え? え?」

 意味がわからないベアトリス。それに対して、町長はティラとティアを見て、合点したように言った。

「ほう、そちらのお嬢さんたちはやはり。これはもう、隠しておくのは無理そうですな」

「やっぱりあなた……人間じゃないわね!」

「くく、はーっはーっはっ!」

 その瞬間、町長のシルエットがぐにゃりと歪むと、赤い頭部が体と一体化した星人の姿へと変わった。

「な、なんと!」

「メトロン星人……!」

 公爵は驚愕し、ティラがその特徴的なシルエットを見て呟いた。

 幻覚宇宙人メトロン星人。GUYSのドキュメントUGに記録があり、宇宙ケシの実の幻惑作用で人類を同士討ちさせて地球侵略を企んだ宇宙人だ。他にはドキュメントTACにメトロン星人jrが登録されており、ヤプールと手を組んで地球の壊滅をもくろんでいる。

 そしてメトロン星人はその作戦の傾向として、何かを利用して間接的に人類を滅ぼそうとしてきた。今回は……メトロン星人は顔の両側に並んでいる発光体を規則的に光らせながら言った。

「フン、公爵をそそのかして環境を破壊させ、やがては世界中を人間の住めない土地に変えて死に絶えさせて乗っ取ってやるつもりだったのに。娘に説得されたくらいで考えを変えてしまうとは情けない」

「なんだと、そんなことのために貴様!」

 公爵は激昂するが、メトロン星人は余裕を崩さない。

「欲に駆られた人間ほど騙しやすいものはない。本当ならハルケギニア全土に汚染を広げるところまでやってほしかったが、まあいい……少し早いがお前たちにメトロンの勝利の火を見せてやる」

 そう言うとメトロン星人の姿は揺らいで消え、外から地響きが聞こえてきて皆は窓に駆け寄った。

「外よ! あいつ、巨大化して街に!」

 見ると、メトロン星人は五十メートル級に巨大化して、屋敷から見下ろせる街の一角に立っていた。

 街の人々が悲鳴をあげて逃げ出していく。しかしメトロン星人は足元で逃げ惑う人々には目もくれず、その手を街に向かってかざすと、なんと街のあちこちの建物が観音開きになり、その中から巨大なミサイルが次々にせり上がってきたのである。

「あれは!」

「ファファファ、この街で作り出された汚染物質を満載したこのミサイルをハルケギニア全土に撃ち込んで、一気に人間を消毒してくれる。この星は、我々がふさわしい支配者として生まれ変わるのだ!」

 メトロンが腕を振り上げると、無数のミサイル発射台が仰角を上げていく。ベアトリスたちは「やめろ」と叫ぶけれども彼女たちにはどうすることもできない。

 猛毒を満載したミサイルなんかがばらまかれたら、ハルケギニア全土がここと同じように荒れ果ててしまう。クルデンホルフの……人間の生み出した汚染物質のせいで。

 だが、ミサイルが発射されようとしたとき、海に巨大な水柱が上がり、海中から巨大なものが姿を現した。

「なっ、なによあれは!」

 ベアトリスたちは愕然とした。汚染された海から、小山のような……いや、手足のようなものがついているからあれは巨大な生き物だ。

 全身が深緑色の海草のようなものでびっしりと覆われてうごめいている。あの海草はさっきの! ベアトリスたちは、海で襲われた海草のような触手があの怪獣の体毛だったのだと気が付いた。

 その姿は、メトロン星人と同じく地球のアーカイブドキュメントの中のドキュメントMATに登録されているヘドロ怪獣ザザーンに酷似している。あの怪獣もメトロン星人が? だがベアトリスたちの察しとは裏腹に、メトロン星人は狼狽した声を漏らした。

「な、なんだこの怪獣は! 知らないぞこんな奴は!」

 メトロン星人のしわざではないのか? だがメトロン星人がうろたえている前で、ザザーンのような巨大な海草の怪獣はつぶれたカエルのような鳴き声をあげて上陸してきた。

 陸上に上がったザザーンは、メトロン星人へと向かっていく。その巨体からはボタボタと泥が滴り、それを浴びた家屋は次々に腐食して崩れ落ちていく。

「く、来るな!」

 メトロン星人は向かってくるザザーンに向けて両手からロケット弾を発射した。しかし、ロケット弾は怪獣の表皮の海草を剥ぎ取りはしたが、その奥の泥の塊には食い込むだけで通用しなかった。

「こ、こいつは全身がヘドロの塊なのか! や、やめろ、おあぁぁぁぁ!」

 メトロン星人は瞬間移動で逃れようとしたが、狼狽したせいで一瞬遅れ、怪獣にのしかかられてしまった。

 もう逃げることはできず、全身をヘドロの怪獣に覆いつくされてしまったメトロン星人の悲鳴が響き渡る。ベアトリスたちや公爵は屋敷からその光景を呆然と眺めているしかできなかったが、悲鳴が消えてザザーンがその場を動いた時、後には特徴的なバナナ状の白骨をさらして溶かしきられたメトロン星人の屍だけが残されていた。

 とんでもない猛毒のヘドロだ。愕然とする一同の見ている前で、ザザーンはメトロン星人が残した発射されなかった汚染物質ミサイルを腕で掴むと体の中に取り込んでしまい、ティラとティアは愕然として言った。

「ミサイルの汚染物質を、食べてる!」

「まずいよ! ミサイルは街中に配備されてるのよ。あんなのが街中を動き回ったりなんかしたら」

 ティアの言った通り、ザザーンはミサイルを求めて動き出した。その巨体がうごめくごとに全身からヘドロがまき散らされ、呼吸をするごとに白い霧のようなガスが流れ出し、それを浴びてしまった人々は一瞬にして全身の肉を溶かされた骸骨となって死屍を転がしていった。

「硫酸の霧……しかもすごい濃度よ!」

 クルデンホルフを死の土地に変えつつ、怪獣はさらなる餌を求めて徘徊を続けていく。

 人間が生み出した猛毒の塊、ヘドロ怪獣……動き続けるうちにその体を覆っていた海草がメトロン星人のロケット弾を受けたところから剥がれ落ち、灰色のヘドロの表皮と、赤く輝く巨大な目玉があらわになっていった。

 このままクルデンホルフは滅ぼされてしまうのだろうか……破壊されていく街の惨状を、ある高い建物の屋上から、あの黒衣の女はじっと見つめ続けていた。

 

 

 続く


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