ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第10話  雪風の元に集う者たち(前編)

 第10話

 雪風の元に集う者たち(前編)

 

 友好巨鳥 リドリアス 登場

 

 

 トリステインが激動の火中に投げ入れられてから、早くも二日が過ぎた。

 時間の流れるのは速く、一日目は怪獣たちとの交戦でウルトラマンA、ガイア、アグル、ダイナが力尽き、二日目はクルデンホルフ領でジャスティスが戦い傷ついた。

 それと同時に各所で様々な交流や戦いが起こったが、それらもすべて飲み込んで時間は進み続ける。その流れの中では、人間の運命など細い糸のようでしかない。

 けれど、時間という大河に流されながら、それでも希望を紡ぐ細い糸は切れずに伸び続けてゆく。流されながらも切れずに絡まり、流されることのない太い綱へと変わる時のために。

 

 激動の二日目の中で、トリステイン軍はガリア軍へ向けて決死の出撃を決めた。それでも、ガリア軍と相対するのは翌日となるだろう。

 不安を人々の心に宿しながら二日目の太陽は西の空に沈んでいく。次に東の空から太陽が昇るときには、必ずトリステインの命運が決まるだろう。

 だがその前に、この夜の中で新たな糸が生まれようとしていた。絆という名の糸が……。

 

 

「きゅい……あ、れ……? ここは?」

 シルフィードが目を覚ました時、そこから見えたのはどこかの深い森の中だった。

 体を動かそうとして、翼の付け根がずきりと痛んで再び寝転がる。首を動かして周りを見回すと、立ち並ぶ木はそれぞれが船のように太く、天にも届くくらい高くそびえ立っていて、その巨木を使った樹上の家がいくつも並んで町を作っている光景が見えた。そのはるか上に見える夜空には月が輝いている。

 落ち着いてみると、自分はその森の中の町の中央に開けている広場の中で、柔らかいわらで作られたベッドに寝かされていた。

「きゅい……?」

 しだいに目が覚めて頭がはっきりしてくると、どうやら自分は助かったのだとわかった。けれど、狼の群れに襲われかけていたあの時にいったいどうやって……?

 すると、頭の上から澄んだ女性の声が響いてきた。

「ああ、よかった。目が覚めたのですね」

 視線を上に向けると、空から女の人が降りてくるのが見えた。ただし、その背中には白い翼が生えており、翼人だということがすぐわかった。

 彼女はシルフィードのすぐそばに着地すると、シルフィードの体の様子を確認したようだった。よく見ると、身体中にあった傷にも手当てが施されていて、まだ痛みはするものの、動けないほどではないようだった。

 けれどそれよりも、自分を看てくれているこの翼人の女性の顔に見覚えがあるような気がする。そう思ったとき、彼女のほうからシルフィードに話しかけてきた。

「お久しぶりです、韻竜様。その節では大変にお世話になりました」

「きゅ? え、ええと、お前は……」

「お忘れですか? アイーシャです。以前、韻竜様とタバサ様とキュルケ様に助けていただいた翼人の村の」

「あ、ああ、ああ! 思い出したのね!」

 それで、既視感の正体もはっきりして、シルフィードは飛び起きた。そして体に走る鈍痛でまた倒れ伏すことになったが、頭ははっきりして、以前のエギンハイム村でのタバサの任務を思い出していた。

 そう、もうだいぶ前のことになる。エギンハイム村の人間たちと、森に住む翼人の対立。それにつけこんで襲ってきたムザン星人との戦いのこと……そういえば、この樹上の村は翼人たちの住み処だった。そして、このアイーシャは翼人の長の娘で。

「久しぶりなのね。ヨシアとはあれから、仲良くやっているのかね?」

「思い出していただけたのですね。はい、あれから夫とは助け合いながら幸せに暮らしております。それもすべて皆様のおかげです」

 アイーシャの笑顔はあのときと変わっていなかった。翼人の村のほうも、あのとき怪獣たちが暴れた被害からすっかり回復したようで、前より立派になっているようにさえ見えた。

 けれど、なぜ自分はここに? シルフィードは改めて尋ねてみた。あのとき、自分は動く力さえ失って、狼に食われるのを待つだけだったというのに。それにあそこから翼人の村はかなり離れているから、翼人たちが見つけて運んでくれたとも思えない。

 すると、アイーシャは空を仰いでシルフィードに答えた。

「私たちではありません。『あの方』が、あなたを連れてきてくださったのです」

「あの方……? きゅいっ!?」

 シルフィードが首を傾げたとき、突風が吹いて森の木々を揺らした。

 何事かと空を見上げたシルフィードの眼に、視界を埋め尽くすほどの巨大な影が月を背にした姿が見えた。

 あれは! と、見覚えのあるそのシルエットにシルフィードは目を見張った。そして、村の広場に降りてきた青い巨鳥に、アイーシャは膝をつき頭を垂れて一礼した。

「リドリアス様」

 そう、彼は翼人の村で伝説の神鳥としてあがめられていた怪獣リドリアスに他ならなかった。

「ここに、戻ってきていたのね」

 あのとき、ガギとムザン星人を倒した後に飛び立ったリドリアスは、遠いどこかにいなくなったものと思っていた。実際、はるか遠くのサハラでの戦いに力を貸してくれたこともあるのだが、シルフィードはそこまでは知らない。

 そして、リドリアスの姿を見てシルフィードは理解した。気を失う前のあのとき、空から降りてきた影の正体はリドリアスだったのだ。

「ありがとうなのね。命の恩人と、大いなる意思に感謝するの」

 シルフィードが礼をすると、リドリアスは無言のままでうなづいて見せた。その巨大だが穏やかな姿に、シルフィードは竜の巣を出て以来会っていない母竜の姿を思いだし、懐かしさを覚えた。

 けれど、ほっとしていられたのもそれまでだった。アイーシャが、どうしてシルフィードだけで傷ついて運ばれてきたのかを尋ねてきたのだ。

「ところで韻竜様。あなたのご主人のタバサ様はいかがされたのですか?」

「あ……」

 シルフィードはすべてを思い出した。

 タバサの意思で記憶を消されて暢気にさまよっていたこと。シェフィールドに操られて、タバサと血みどろの戦いを演じさせられ、結局タバサに助けられてしまったことなど……すべてを。

「あ、あ……」

 悲しみと悔しさが溢れて、涙がこぼれ落ちてきた。そうだ、自分はなんということをしてしまったのだ。

 魔法で、ブレスで、タバサを痛め付けてしまった記憶がありありと甦ってくる。アンドバリの指輪で自我を支配されていたとはいえ、シルフィードの風韻竜の力は幸か不幸か、その支配に逆らって一切の記憶を保持させてしまっていた。

「お、お姉さま……シルフィの、シルフィのせいで……」

 あのとき、タバサの命をかけた魔法でシルフィードの洗脳を解くことはできたが、タバサも力を使いきってシェフィールドに連れ去られてしまった。それを、自分はただ見ていることしかできなかった。

 滝のような涙を流すシルフィードに驚いて、アイーシャは狼狽しながら呼びかけてきた。

「韻竜様!? どうしたのですか韻竜様! 私が何か、まさかタバサ様に何か?」

「ううん、お前のせいじゃないのね。みんな、みんなシルフィが悪いのね」

 アイーシャはぐずるシルフィードをなだめて、なんとか事情を聞き出した。そして、主人と相打つことになったのは驚いたけれども、それはあなたのせいではないと慰めてくれた。

「韻竜様、敵は我らと同じ精霊の力を味方につけた者でしたのでしょう。残念ですが、敵のほうが今回は上手だったということです。あまり、ご自分を責めないでください」

「ううん、シルフィがしっかりしてれば、あんな人間なんか一口にしてやったのに。結局、お姉さまに迷惑をかけただけで何もできなかったのね……」

 無力感にうちひしがれて、シルフィードは頭を抱えてうずくまってしまった。

 こんなことなら、あのとき死ねていればとシルフィードは思った。よりにもよって、この世で一番尊敬しているお姉さまに牙をむけてしまうなんて、完全に使い魔失格なのね、と。

 だが、自己嫌悪に陥って泣きじゃくるシルフィードにアイーシャが狼狽えていると、じっと見守っていたリドリアスが首を伸ばしてくちばしから何かをシルフィードの傍らに落としてきた。

「きゅい?」

 見ると、それは獲れたばかりの丸々と太った大きな魚であった。

 これを獲るためにどこかに飛んで行っていたのか? 食べろと言っているようなリドリアスの視線に、シルフィードはそんな気分ではと突っぱねようとしたが、空腹と魚の潮の香りの誘惑には勝てず、むしゃむしゃとかぶりついていった。

「ふう……ごちそうさまなのね」

 腹が満たされると気分も少しは落ち着き、シルフィードはアイーシャに謝った。

「ごめんなさいなのね。興奮して恥ずかしいとこを見せちゃったのね」

「いえ、お気になさらないでください。大切な人を失ってしまったら、きっと誰でも取り乱してしまいます。私も、もしヨシアを失ったら、きっと」

 憂えるアイーシャを見て、シルフィードはあのときと変わらない純粋な人なのねと思った。

 そう、思い返せばもうだいぶ前になる。異種族間での恋愛という、狂気に近い感情を持ちながら、宇宙人や怪獣の襲来という極限状態の中で、勇敢にも仲間や村人たちを鼓舞して立ち向かい、しがらみを越えて結ばれた彼女たちのことは忘れられない。

「ヨシアは、旦那さんは元気なのね?」

「はい、それはもうとても。結婚してからというもの、日々疲れを知らないように仕事をがんばっています。今では翼人のしきたりにも詳しくなって、新しく翼人と人間の架け橋になろうと日々頑張っていますわ」

「そう、アイーシャの人を見る目は正しかったのね」

「お恥ずかしい限りです。人間と翼人が分かりあって共に生きる。もちろん、まだ納得がいっていない人はどちらにもいますが、人間と翼人はそんなに異質な存在ではないと私は信じています。ヨシアのお兄さんのサムさんとも、少しずつ仲良くなれているんですよ」

 アイーシャの嬉しそうな顔はとてもまぶしく見えた。

 異種族の融和は簡単なことではない。単に知恵があるというだけでは解決できず、それぞれの生態、文化、伝統、譲り合いだけでは解決できないものが数多くあり、それは縄張りの住み分けという形でしかどうしようもない。人間と翼人は生き物として比較的近しかったからできた例外かもしれないが、それでもここに確かな幸せがあるのは嬉しかった。

 けれど、幸せに浸ってばかりはいられないと、アイーシャは空を仰いでその目に憂いを浮かべた。

「ただ、この村を囲む世界になにかが起こっていて、もうこの村だけ平和ではいられないとも感じております」

 アイーシャはシルフィードに、タバサたちに救われて後に起きた事件のことを語った。

 空が謎の暗黒に閉ざされた日、突然空から降ってきた大きな船。東方号というその船の人たちとの交流、そして突然襲ってきた鉄の巨人とウルトラマンAとの戦いのことを。

 それを聞き終えたシルフィードは驚くとともに、それが自分がジョゼフに捕らえられていて、かろうじて脱出したときと同時期だったと思い出した。

「あのとき、こっちでもそんなことが」

 大変なのは自分だけだと思っていたシルフィードは、みんないろんなところでがんばっていたんだと知った。

 そうだ、あのときもキュルケやタバサの母を救うために必死にがんばった記憶が甦ってくる。あのときにがんばれたのに、今回あきらめていいわけはない、けれど……。

「シルフィが張り切っても、お姉さまの邪魔になっちゃうだけなのかも……」

 自信を無くした様子でシルフィードはつぶやいた。

 これまでは、誇り高い風韻竜の血統である自分に絶対の自信を持っていた。様々な種族の中でも知恵と力を併せ持つ選ばれた血統だと、そんな自分を召喚したタバサを含めて疑ったことはなかった。

 けれど、タバサは自分の記憶を消して放逐してしまった。それはもう役に立たないと見なされたということなのかとシルフィードは思ってしまう。前のときも、タバサは結局シルフィードの助け無くして自力で帰ってきてしまった。

 なにより、操られたとはいえ主人に牙をむけてしまった自分にタバサを助けに行く資格があるのだろうか。のこのこ出ていっても、足手まといになってしまうだけなのではないのか?

「お姉さまは、風韻竜たる自分を倒してしまったのね。お姉さまは、お姉さまはシルフィよりずっと強い。なのに、弱いシルフィがどうやってお姉さまのお役に立てるの……?」

 タバサにとって、自分はどれだけ力になれるのか? 背中に乗せて空を飛ぶくらいしかないのではないか? それなら別の竜でも事足りる。

 自分の限界にぶち当たってしまったシルフィードに、アイーシャはなにも言ってあげることができなかった。 

 けれどそのとき、二人を見つめていたリドリアスがゆっくりと鳴いた。

「きゅ?」

「リドリアス様……?」

 それは人間の耳にはただの鳥の鳴き声にしか聞こえないものだったが、翼人と韻竜である二人には言葉として聞き取ることができた。

「迷ったなら……自分の思い出に聞いてみればいい……?」

 シルフィードはつぶやいた。リドリアスはそれだけを告げるとうずくまって目を閉じてしまい、シルフィードは戸惑いながらも、自分も目を閉じて心を落ち着けた。

 自分の思い出……シルフィードは、タバサに召喚されて今日までのことをひとつずつ思い出していく。

 出会いは使い魔召喚の儀の日。はじめは生意気な小娘かと思ったけど、すぐにすごい魔法使いだということがわかって、こんなかっこいいお姉さまといっしょに、どんな楽しい未来が待っているのかとワクワクした。

 そして、タバサとの日々はその期待を裏切らなかった。タバサに与えられる北花壇騎士の任務の中で、シルフィードは竜の巣では絶対に知ることのできなかった多くのことを体験した。

 もちろん、楽しいことばかりではなかった。タバサに居丈高なイザベラにはいつも腹が立ったし、無茶な作戦をとるタバサにはいつもハラハラした。なにより涼しい顔で自分にも死ぬかもしれない無茶ぶりを命じてくるタバサには、いつも怨めしく愚痴をこぼしていたりした。

 それからも、トリステインにヤプールが侵略をかけてきたときには、タバサは自分には得にならないにも関わらずに戦いに望み、シルフィードも初めて見る超獣や怪獣との戦いを経験した。

「この世に、竜よりも強い生き物があんなにいるなんて夢にも思わなかったね。でも、お姉さまはそれでも変わらずに立ち向かっていったのね」

 怪獣や超獣を相手にしても立ち回れるタバサの姿はまぶしかった。自分も、怖かったけれどもそれでも憧れるタバサのためにとがんばった。

 そして、ずっとそうしてこれたのも、タバサに文句を言いながらも付き合ってこれたのも、タバサがときおり見せる優しさのおかげだった。

「お姉さまは一人でいるときはずっと本を読んでばかりだけど、忘れたころにシルフィのことも気にかけてくれる不思議な人だったのね」

 扱いは酷かもしれないけれど、ぶっきらぼうな態度で、困ったときにはなぜかいつもやってきてくれた。

 スチール星人にさらわれたとき、タバサは怒った様子で助けに来てくれた。それに、ガギからニナを救うために戦った時は、タバサは追いかけてきてくれて、叱られたけれども、一人でがんばったのを認めて誉めてくれた。

 そうだ、あのときは誉めてくれた。自分のがんばりを認めてくれたのだ。タバサは、自分のことを便利な乗り物でも駒でもなく、自立した一人として扱っていてくれたのだ。

「お姉さま……」

 悲しさで、こんな大切なことを忘れてしまっていた。タバサとはもうとっくに、ただのパートナーではない関係になれていたというのに。

 それからも、タバサとは協力しながら戦い、ウルトラマンの危機を救うような活躍もしてきた。タバサの活躍の中で、自分が決して無価値ではなかったということは、自分自身が一番知っていた。

 でも、それならどうしてタバサは自分を置いていってしまったのだろう。あのとき、ジョゼフとオルレアン邸で会ったときからの記憶はない。シルフィードは静かにそれから後、タバサとの別れからのことを思い出した。

 野良の竜になって、しばらくはあまり不自由はしなかった。記憶は無くしても、元々竜は自然の中で暮らすものだし、竜の餌場に手を出そうとする生き物はまずいないから、食べるのにもそんな困りはしなかった。

 けれどそんな折、たぶん無意識にオルレアン邸の近くへと寄り付いてしまい、ジルと互いがわからないまま再会を果たした。そして、現れた超獣ギーゴンとの戦いでは、タバサははるばる助けに来てくれた。おまけに、久しぶりにタバサを背中に乗せて戦うことができた。

 こんな最近のことまで忘れてしまっていたのね……シルフィードは、悲しみはこんなにも心を曇らせるものだと思った。タバサは自分を捨てたわけではない。ちゃんと覚えて見守っていてくれた。そのときはタバサのことを忘れていたけれど、心の底のほうから充実感がわいてきたのは、使い魔の絆が切れていなかったからだ。それなのに、タバサはそれでも自分を連れていってはくれなかった。どうして……?

 シルフィードは、その答えを知るために、覚悟を決めて息を吸い込んだ。思い出したくない記憶……シェフィールドによってアンドバリの指輪で洗脳されて、タバサと戦わされたときのことを。

「きゅ……っ」

 思い出そうとしただけで虫酸が走る。あのジョゼフの手先の女は、こともあろうに精霊の力を悪用して韻竜たる自分の心をもてあそんできたのだ。それもよりによってタバサを捕らえるための手駒兼人質として、こんな屈辱が他にあるだろうか。

 いや、それ以上に許せないのは、怒りと憎しみに呑まれてタバサを嬉々として痛めつけてしまった自分自身だ。確かにタバサに対して不満はくすぶっていて押さえ込んでいたつもりではあったけど、あの凶暴な姿は心のどこかでこうしたいと思っていた真実のひとつだったのだ。

 屈辱に耐えながら、額に汗を浮かべて思い出そうとするシルフィードを、リドリアスとアイーシャはじっと見守っている。

 操られていた時の記憶はおぼろげで、正気を失っていたときの自分のやったことを思い出すだけでも不快極まりない。それでも、様々な魔法やブレスを使ってタバサを圧倒していたことはかすかに思い出せてくる。自分にまさかこんな力があったとは……年月を経た父竜や母竜を見てきたけれども、自分のことながら信じられない。

 それでも、タバサは人間の身で食いついてきた。傷だらけになりながら、人間の身を超えるほどの力で、立ち向かい続けてきた。

 やっぱりお姉さまはすごい……シルフィードは、今のタバサには父や母、大人の風韻竜でも簡単には勝てないと感じた。いや、タバサはシルフィードを殺すまいとかなりの手加減をしていたはず。もう戦闘に関しては、タバサに勝てる者は韻竜の中にもいないかもしれない。

 やがて、シルフィードはタバサがなぜそこまでして自分を救おうとしたのか、タバサの本心の言葉を聞いた。

「シルフィード、少しでも心が残っていたら聞いて……」

 それは、いままでシルフィードが聞きたいと思っても聞けなかったタバサの本心だった。こんな形で聞きたくはなかったけれど、心の底に刻み込まれたタバサの言葉が蘇る度に、シルフィードは涙を流した。

 そして、全力をかけたシルフィードのドラゴンブレスとタバサの最大魔法がぶつかる暴風の渦中。その刹那の瞬間に、タバサがシルフィードに向けた最後の言葉が蘇った。

 

「シルフィード、わたしはあなたにわたしの意思を継いでほしかった。わたしたち人間の寿命はせいぜい百年。けれどあなたには数千年の時間がある。あなたはわたしなんかより、はるかに多くの人を助けられる可能性がある。だから生きて……そのためなら、わたしの命も惜しくはない!」

 

 その言葉と決意を込めたタバサの眼差しを最後に、すべては光の中に消えた。

 タバサの真意、それを知ったときにシルフィードの目から流れる涙は、もう悲しくてなのか嬉しくてなのか自分でもわからなくなっていた。

「シルフィは、シルフィは、本当にばかだったのね」

 過去を悔やむというような話ではなかった。シルフィードの想像していたような小さな次元ではなく、タバサはずっと先の未来のまで見てシルフィードのことを考えてくれていた。

 単純に、今の評価しか考えていなかった自分のスケールの小ささが情けない。だが、そんな自分をこんなにまで高く評価してくれていたことがたまらなく嬉しい。

 そんなシルフィードに、アイーシャは困惑したような表情を浮かべていたが、涙をぬぐったシルフィードは毅然として言った。

「もう、大丈夫なのね。タバサお姉さまはシルフィの知ってる通りの、いいえずっと立派な人だったのね」

 シルフィードの顔から憂いが晴れたことを見ると、アイーシャはほっとしたように笑顔を見せた。

 そしてシルフィードはリドリアスのほうを向くと、できる限りの敬意を込めて頭を下げた。

「ありがとうなのね。あなたの言ったとおり、答えはもうシルフィの中にあったのね」

 リドリアスはなにも答えずに、静かに視線をシルフィードに流し続けているだけである。

 しかし、そうとわかればシルフィードのやるべきことは決まっていた。まだ痛む翼を広げようとし、慌ててアイーシャに止められる。

「お待ちください韻竜様! どこへ行かれようというのですか?」

「もちろん、お姉さまのところなのね。お姉さまは、自分の使命を犠牲にしてまでシルフィを助けてくれたのね。それなのに何もしなかったら、シルフィは二度と自分を韻竜だって誇れないのね!」

「しかし、まだあなたの体は飛び立てるような有り様ではありません!」

 アイーシャが止めるのも当然だった。シルフィードの体は死んで当然だった状態をかろうじてつなぎ止めただけで、先住魔法でも完全な治癒にはまったく及んでいない。いくら生命力と回復力に優れた竜であっても、一週間は絶対安静が必要な重傷なのだ。

 それでも、シルフィードは包帯に血をにじませ、翼をきしませる激痛に耐えながら飛ぼうとする。

「こ、こんなの、お姉さまはシルフィを助けるために、もっと痛かったに違いないの。シルフィは、えーと、そう、黒髪のチビの言ってた、ど根性がある子なの!」

 アイーシャだけでなく、気がついてやってきたほかの翼人たちも止めようとしているが、シルフィードは翼を羽ばたかせようとするのをやめない。アイーシャはすがるようにリドリアスのほうを見たが、なぜかリドリアスは赤いとさかの下の穏和な眼を細めてじっと見ているだけだった。

 けれど、このまま黙って行かせるわけにはいかない。アイーシャは先住魔法でシルフィードの動きを止める前に、もう一度シルフィードに呼び掛けた。

「お待ちください。敵は一国そのものなのでしょう? あなたお一人でどうするのですか?」

「う……そ、それなら、タバサお姉さまには他にも強いお友達がいるのね。その人たちに助けてもらえば、きっと……」

 シルフィードはキュルケやジル、学院にいる才人たちのことを思い浮かべた。自分の力だけでは及ばなくても、みんなの力を借りられればきっと。

 だがそう言いかけたとき、シルフィードの目にじっと見つめてくるリドリアスの瞳が映った。

”それで、いいの?”

 シルフィードは、リドリアスが自分にそう言っているように感じて、言葉を詰まらせた。

”本当に、それでいいの?”

 リドリアスは語りかけてきたわけではない。ただじっと座り込んだまま見つめてきているだけなのに、シルフィードは心の中にその響きを感じて、翼を止めた。

 それで、いいの? お姉さまを助けに行くのに、また誰かの力を借りてしまって? シルフィードの心にその疑問が湧く。

 思えば、これまでずっと誰かの力を頼ってなにかをやってきた。タバサがぐんぐん力を上げていくのに、シルフィードの力が目立って上がらなかったのは竜種ゆえの成長の遅さだけが原因ではないだろう。

 シルフィードは、自分の中に”困ったときは誰かに助けてもらえばいい”という甘えがあったことを自覚した。タバサは一人でも戦える……いや、一人になっても戦い続けるという覚悟の元で力を渇望し、常に自分を追い込んでいた。だからこそ、タバサの魂はその才能を死線の中で開花させていったのだ。

 かつてリドリアスも、果敢にムザン星人やガギに挑んでいったことをシルフィードは思い出す。勝ち目がうんぬんとかではない、やらねばならない使命があったから飛んだのだ。

 人の力をあてにしていたのでは何も生まれない。自分もかつてガギにさらわれたニナを救うために仲間の力を借りた。けれど、もし借りられなかったら自分一人で立ち向かう覚悟があった。あの覚悟を、もう一度……。

「わかったのね。シルフィは今こそ、誰の力も借りずに一人前にならなきゃいけない時なのね?」

 シルフィードがリドリアスの目をまっすぐに見て言うと、リドリアスはそうだと言う風にゆっくりとうなずいた。リドリアスのその顔は温厚だが、目には長い時間を生きてきた者だけが持っている凄みが宿っていた。

 ただの子供から脱皮する時は今! 覚悟を決めたシルフィードは翼を大きく広げ、今度は傷の痛みなんか気にせぬ強い決意で羽ばたく。

 もちろん、アイーシャはシルフィードを止めようとする。けれど、先住魔法を使おうとしたアイーシャたちを、リドリアスが強く鳴いて制止した。

「リドリアス様!? なぜ? 韻竜様、いけません!」

「アイーシャ、ありがとうなのね。でも、シルフィは行かなきゃいけない。お姉さまのためだけじゃない、シルフィ自身のためにも。シルフィが、大人になるためにも」

「韻竜様……わかりました。大いなる意思のご加護があらんことを、お祈りしております」

「そんな顔しなくても大丈夫なのね。お姉さまが、あのちびすけができたことがシルフィにできないはずはないのね。きっとまた、お姉さまといっしょに遊びにくるから、それまでちょっとだけさよならなの。じゃ、行ってくるのね!」

 シルフィードは翼を広げ、アイーシャとリドリアスの瞳に見送られて飛び立っていった。

「大いなる意思よ、どうかあのお方をお守りください」

 アイーシャは心を込めて祈った。シルフィードの行く先は間違いなく戦場になるだろう。韻竜といえど、帰ってこられる見込みは少ない。それでも、そこに待っている人がいる限りゆくのだ。

 シルフィードの去った空を見上げ続けるアイーシャ。その元に、木の葉を踏みつける足音が近づいてきた。

「アイーシャ」

「ヨシア」

 そこには、彼女の夫である青年ヨシアが、兄のサムといっしょに立っていた。

「アイーシャ、お疲れ様。君たちのおかげで、あの方は自信を取り戻したみたいだね」

「ヨシア、見ていたの?」

「うん、助けに出ようかと思ったけど、僕たちより君の方があの方は安心すると思ってね」

 ヨシアがばつが悪そうに頭をかくと、傍らのサムも肩に背負っていたものをどっかと下ろして苦笑した。

「ま、俺もヨシアも理屈立てて話せる学はねえからな。あのドラゴンさんが腹を減らしているだろうと思って大物の鹿を仕留めてきたんだが、無駄になっちまったのは残念だ」

 木こりで鍛えた体のサムの傍らには、まるまる太った大きな鹿が転がっている。これをシルフィードが見たら大喜びで平らげただろうが、まあ村人と翼人たちで肉を分ければいいだろう。

 シルフィードはすでに遠くまで行き、もう羽音も聞こえない。アイーシャは愛する夫に、不安げな様子で尋ねた。

「ヨシア、私、これでよかったのかしら?」

 このまま送り出して、死地に飛び込ませたのではないかと罪悪感をぬぐえないでいるアイーシャに、ヨシアは微笑みながら優しく肩を抱いて答えた。

「アイーシャ、心配いらないよ。あの方たちは強い。それは君も見てきただろう? それに、僕たちも以前、大切なものを守るためには恐怖を乗り越える勇気を出さないと奇跡は起こらないんだって、あの方たちから教わった。あの方は、今度は自分がそれを示そうとしている。だから大丈夫、僕たちの始祖も君たちの大いなる意思も、決してあの方を見捨てたりしないさ」

 勇気を出して困難に挑めば、きっと道は開かれる。奇跡は起きると諭すヨシアに、アイーシャはほっとしたように表情を緩めた。

 また、ヨシアの兄のサムも弟より少し強面の顔を引き締めながら言った。

「人生にゃ、いつかどっかで無理だと思っても勝負しないといけねえ時ってのが来るもんさ。それで逃げたら、一生自分を負け犬と思って生きていかなきゃいけなくなる。あのドラゴンさんは、今こそ男になろうとしてやがるんだ!」

「兄さん、あの方はメスです」

「う……」

 かっこいいこと言ったつもりで弟に的確に突っ込まれて赤面するサムを見て、アイーシャはくすくすと笑った。

 そしてリドリアスは、そんな微笑ましい人間と翼人たちの姿を見ながらじっと物思いにふけっている。今の時代に生きていても、リドリアスは六千年前の大厄災の住人……あの時代から思えば、今こうして異種族が安寧に暮らせている光景は夢のようにさえ思える。

 だが、闇はまだ深く、運命は若者たちに試練を与え続ける。本当の平和はいつ来るのか……リドリアスは、遠い過去にともに空を駆けた愉快なメイジと女剣士の二人のことを思い出した。

 君たちの目指した理想の世界にはまだ届かない。けれど見てくれ、世界はこうして進歩している。そう、きっとあの子も大丈夫だとリドリアスは信じていた。

 若者の作り出す奇跡は、いつだって老人の想像を越えて行く。古い世代の役割はそれを助けること……そういえばもうひとつ。リドリアスはシルフィードを救った後、思い出にある匂いをたどって撒いた種は芽吹いただろうかと、別の方向の空へと思いを馳せた。

 エギンハイム村と翼人の里に星は降り、この村から旅立った小さなドラゴンがこれから何をなすのか、期待するかのように瞬いていた。

 

 

 一方そのころ、リドリアスの蒔いたもう一つの種も、目覚めに向けて急いでいた。

 ガリアから一路離れたトリステイン。その夜更けの道をひた走る一台の馬車があった。

「急いで! 間に合わなくなる前に、もうすぐだから!」

 馬車に乗っているのは一人。御者のガーゴイルを叱咤し急がせているのは、夜目にも鮮やかな炎のような赤い髪をなびかせたキュルケだった。

 街道には戦争から逃げのびようとしている人々が列を作っていたが、馬車が身分の高い貴族のものだとわかると道を譲っていく。そしてキュルケの馬車は街道から外れた脇道に入っていった……その先には、かつてタバサといっしょにスコーピスと戦ったラグドリアン湖の湖畔が静かに広がっていた。

「着いた、のね……」

 馬車から降りたキュルケは、気が抜けたようにしばし立ち尽くした。目の前にはラグドリアン湖が静かな湖面をどこまでも連ねていく雄大な光景が広がっている。

 周りに人はおらず、湖畔にはキュルケひとりしかいない。こんな裏道の奥の場所などには、戦争が迫った今となっては釣り人さえもいなくなっていた。

 ラグドリアン湖は夜空の月を映して明るく輝いており、キュルケの心はそれを見て揺れた。

「どうしてわたしはこんな場所を知っているの? あの子と一緒に空から見たから……? あの子って、誰? その答えが、ここにあるの?」

 キュルケは胸元から小さな指輪を取り出した。それは昨日の夜に空から落ちてきた指輪の台座で、そこに残っていた魔法石の小さな欠片に触れた時、キュルケの中に一瞬だが強い何かが蘇った。

 そして、蘇った記憶のビジョンはこのラグドリアン湖へ行けと促していた。それに導かれて、一日中馬車を走らせてやっとここにたどり着けた。ここに、自分の失った何かがある。それを取り戻すために、キュルケは指輪を強く握りしめた。

「さあ、あなたとの約束通り、このアンドバリの指輪を持ってきてあげたわよ。姿を現しなさい! 水の精霊よ」

 キュルケは思い切り指輪を湖に向けて放り投げた。指輪はくるくると舞い、やがて水面に小さな水柱を立てて落ちて沈んだ。

 これで……キュルケは指輪の消えた湖面をじっと見つめて待った。けれど、波紋が消えてしばらくしても何も起こらない。

 だめ、だめなの? と、キュルケが落胆しかけたときだった。湖に大きな水柱が立ち、その中から人の姿をかたどった水の塊……水の精霊が姿を現した。

「よく来たな。かつて我と誓約した単なるものの、そのひとかけらよ」

「やっと現れてくれたわね。水の精霊、あんまり遅いものだから寝てるかと思ったわよ」

「我にとって眠りも覚醒もさしたる違いはない。しかし、お前たちとかわした誓約は覚えている。よくぞ、我の秘宝を取り戻してくれた。礼を言う」

 そう答えた水の精霊の体の中にはアンドバリの指輪が透けて浮かんでおり、どうやら喜んでいるらしいということはわかった。

 これなら、水のメイジでない自分でも水の精霊と交渉ができるかもしれない。キュルケはそう期待していたのがうまくいきそうなことに、心の中で喝采した。

「水の精霊、その指輪を取り返してきてあげたんだからお願いがあるの。聞いてもらえるかしら?」

「単なる者よ。お前が誓約を果たしたことにより、お前は報酬を受ける権利を得、我はそれに応える義務を負った。言ってみるがいい、善き願いには善き報酬を、つまらぬ願いにはつまらぬ報酬を与えよう」

 さすが話が早くて助かるとキュルケは思った。水の精霊は純粋ゆえに言葉を濁したりはぐらかしたりはしない。

 だが純粋ゆえに気まぐれだ。今はよくても一つ機嫌を損ねるだけで台無しになってしまう。ここからが正念場ねと、キュルケの額から汗が褐色の肌を流れていく。

「水の精霊、あなたに人の心を操る力があるというなら、わたしの心の中にあるはずの本当の記憶を取り戻して! あの子との、大切なはずの思い出を取り戻したいの」

 キュルケの魂からの叫びが湖の水面を揺らしたように見えた。

 望みは届き、偽りの記憶からキュルケは解き放たれることができるのか。懸命に呼び掛けるキュルケの姿を、彼女の使い魔のフレイムがじっと見つめ続けていた。

 

 

 続く


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