ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第12話  魔の国を目指せ

 第12話

 魔の国を目指せ

 

 大羽蟻怪獣 アリンドウ 登場!

 

 

 トリステインとガリアの戦争が始まって三日目の朝が来た。

 ガリア軍はトリステインの領内に入って猛進を続け、対してトリステイン軍はアンリエッタのなんらかの考えの元で出陣した。

 両軍の激突の時は近づいている。このままガリア軍の蹂躙を許せば、トリステインが灰燼に帰すのも時間の問題であるが、ガリア軍に比してはるかに弱体なトリステイン軍を率いるアンリエッタに一体勝算はあるのだろうか?

 トリステイン領内は戦火を逃れようとする人々でなお混乱が続き、混沌という言葉しかない窮状をなおさらしている。

 だがそんな人々の中にあって、この絶望的な状況を変えるために道を急ぐ者たちがいた。

 

 トリステインの東南。ガリアとの国境近くに岩山が続く小さな地方領があることを知る者は少ない。

 この地方はド・オルニエール領などと同じく目立った売り物が無く、代官も不在で人口もわずか。今では、岩山に住む鹿を狩る猟師くらいしか住まうことはない忘れられた地であった。

 けれど、普段ならば旅人さえ寄り付かないこの地方に足を踏み入れている奇妙な一団がいた。

「ほんとに何もないところね。トリステインにこんな地方があったなんて知らなかったわ」

「まるで火星みたいなとこだぜ。けど、確かにこれなら誰の目にも止まらずにガリアに入れるかもしれねえな」

 一見すると戦火を逃れてきた農民のような姿をした彼らの正体は、変装したルイズや才人たちに水精霊騎士隊の一団だった。

 彼らは前日にトリスタニアを旅立ってから、国内の混乱を避けてこの地にやってきた。トリステインの外れ……ガリアとの境にあるここにやってきた目的はただひとつ、ガリアに潜り込むことである。

 眼前に立ちはだかる荒れた山々を見上げながら、ルイズは怖気ずいている水精霊騎士たちを叱咤するように告げた。

「あんたたち、わかってるでしょうね。女王陛下のご命令を? わたしたちの記憶がどこかおかしいのは、きっとガリアがなにか未知の魔法を使っているせい。それを調べてなんとかするっていう大切な任務をいただいたでしょう?」

 ルイズのその言葉に、不安をよぎらせていた少年たちはきっと表情を引き締めた。

 この戦争がただの侵略行為ではないことは、ルイズたちも気づいていた。なぜなら、アンリエッタに告げられてようやく意識することができるようになったが、自分たちの記憶からガリアに関することが欠け落ちていたからだ。

 誰も、ガリアの王様が誰であるのか、ガリアの詳しい国情について思い出せない。それが書かれているはずの資料を引っ張り出してきても、肝心な部分が黒く染められているように見えてわからない。

 これを、アンリエッタは当初ガリアがトリステインを侵略するに当たって、なんらかの魔法でトリステイン人の記憶を操作したものと推測した。しかし、一国の人間をまるごとマインドコントロールする手段があるのなら、わざわざ派手な戦争など仕掛けなくともトリステインを奪えるはず。なぜそうしない……?

 不可解なものを感じたアンリエッタは、ガリアに間諜を送ることを考えた。けれど、今すぐに動かせる人間は、水精霊騎士隊と銃士隊だけ……困難な任務にアンリエッタは迷ったが、これまで数々の戦いをくぐり抜けてきた彼らの力量を信じて送り出したのだった。

 ただし、ガリアに入るルートは戦争によって限られている。正面の街道はガリア軍によって封鎖されているだろうし、裏ルートも見張られているだろう。かといってゲルマニアなどから迂回していては時間がかかりすぎる。もちろん、空から東方号などを使う手は目立ちすぎて論外だ。

 けれど、ここからでならガリア軍の警戒をすり抜けてガリアに入れる可能性がある。

「確かにこりゃ、竜でも乗らないと越えられそうもない山だな」

 ギムリがぞっとしないというふうにつぶやいた。

 この岩山地帯は標高は低いものの、巨大な岩がごろごろと転がっていて見通しが悪く、道らしい道は存在していない。メイジならば魔法で難所は飛んで行けるかと思いきや、『ある理由』があって、密輸する悪党どもも敬遠するルートとして、トリステイン側にも国境警備の部隊は置かれていない。

 つまり、それほどまでの難所として知られる場所なのだが、このルートがガリアに気づかれず、かつ最短の距離でガリアの首都リュティスを目指せる道なのだ。

 ただ、いくら勇気があっても彼らだけで山越えを目指すのは無謀だ。昔、日本で山岳訓練をおこなった陸軍部隊が現地のガイドを断った結果、遭難して全滅するという惨事が起きている。この山を越えるには、山に慣れた先導者がどうしても必要……その役目を引き受けてくれたのは、片足を義足にした妙齢の女性だった。

「ガリアへの道案内なら、あたしに任せなとは言ったが、あんたらも無茶なルートを選ぶね。言っとくけど、ついてこれなくなったら置いていくから、あたしを恨まないでおくれよ」

 自信をただよわせながらも、冷たく不遜な態度をとった彼女は、ガリア出身だという猟師だった。まだ若くて美人といっていい顔立ちを持っているが、着こんだ革製の服からはがっしりした体格が伺え、背中に背負う弓と矢には使い込んだ風格が宿って見えた。さらに、美貌とは裏腹に、アニエスら銃士隊にもひけをとらない眼光は、単なる猟師とは違う何かも秘められているように感じられてくる。

 そしてここから先は彼女の先導なしでは進めない。全員の命を預けることになる相手に、ルイズはいぶかしげに尋ねた。

「ミス・ジル。本当に大丈夫なんでしょうね? 遭難して餓死なんてごめんよ」

「自然を相手に絶対なんてない。信用できないなら好きにしたら? あたしは言われた仕事をするだけだよ」

 そっけない答えにルイズは癇癪を起こしかけたが、才人になだめられてぐっと抑えた。ジルと呼ばれた女は気にしたそぶりもなく、山を見つめて飄々としている。

 まったく、なぜこんな無礼な協力者に頼らなければならないのかと、ルイズはいまいち彼女を信用できずにいた。ガリアまでの案内役が必要なのはわかるし、今は自分たちも農民に変装してはいるものの、雇い主に対して敬意のけの字もないところが気に入らない。

 それでも、このルートの案内人は彼女しかいなかった。途中の村で、この難所を案内してくれる者を探してみたが、誰も引き受けてくれなくて困っていた時、奇妙な女が声をかけてくれたのだ。

「あなたたち、あの人食いと呼ばれる山を越えようというのですか? では、私たちといっしょにまいりませんか? このジルさんでしたらガリアに詳しいですし、私どももお仲間が多いと心強いですわ」

 そう誘ってくれたのは、自分もガリアに逃げるところだという女だった。身分を隠すためか、頭からすっぽりフードを目深にかぶっているため容姿はわからないが、物腰柔らかで高貴な物言いから、どこかの貴族夫人かということは察せられた。

 水精霊騎士隊にとって、これはまさしく渡りに船。隊長代理のギムリは喜んで誘いを受け、その夫人が雇ったというジルとともにここまでやって来たのである。

 しかし、あくまでここはスタート地点。これから自分たちはこの難所を越えて、敵地に潜入せねばならないのだ。

「さあ行くぞ! 死にたくなかったら、私のあとを一列に続いて決して離れるな!」

「おおっ!」

 ジルの号令一過、一行はついに人食いの山越えに向けて歩き出した。

 今日中にはこの山を越えて明日にはガリアに。そしてガリア王がトリステインにかけた魔法をつきとめて打ち破る。

 ただ、山を登り始めたとき、ジルと彼女の雇い主の貴婦人が密かに話していたのに、気づいた者はいなかった。

「……あたしがこんな大勢の子守りをする羽目になるとはね。さて、何人が生きて山向こうまでたどり着けるやら」

「うふふ、そう言いながらジルさんは、かわいい騎士さんたちの一人一人に目を配ってらっしゃいますね。厳しい言葉の裏で、まるでお母さんかお姉さんのような方」

「やめてくれ。あなたにそう言われるとむず痒い。それにしても、ガリアに、か……あの日からあたしの頭の中にこびりついて離れないあの子のことも、ガリアに帰ればわかるのかね……?」

「動物は自分の知らないことでも、時に本能で察知して危機を脱することがあります。人間も動物のうちとすれば、あなたの心の底からの呼び声は、きっと重要なものなのですよ……」

 なにかに迷う様子のジルに、フードの貴婦人は優しく穏やかに、姉のように諭していた。

 先頭を行くジルがちらりと振り向くと、使命感を燃やしながら、山越えに乗り出した水精霊騎士隊一行が見えた。そんな顔なので怪しさいっぱいだが農民に扮しているため魔法は封印し、自らの足だけで斜面へと挑戦している。

 しかし、人のほとんど通らない岩山には道と呼べるものはなく、人間の何倍もありそうな巨岩が無数に転がって行く手を遮っている。一行はその岩のすきまを縫って山を登っていっているのだが、その過酷さは想像を絶していた。

「おういみんな! だ、大丈夫かあ!」

「だ、大丈夫ですう!」

 まだ登りはじめて一時間も経ってないというのに、ギムリ隊長代理の声に答える仲間たちの声はかすれていた。

 これは本当に、冗談抜きできつい。才人はさっき、ここは火星のようだと思ったけれど、足を踏み入れてみれば、大地震で壊滅した瓦礫だらけのビル街のようなものだ。ゴツゴツした岩ばかりで、まともに足を下ろせる場所さえろくにない。

 そしてなにより驚いたのは、そんな小山のような巨岩が転がる山肌を、ジルはカモシカのように軽々と最短のルートを見つけて登っていっていることだった。

「どうした小僧ども。もう泣きべそか?」

「ま、まだまだ!」

 息を切らせた様子さえないジルに、実力をいぶかしんでいたルイズも今では舌を巻いていた。

 しかもジルは片足が木製の義足。大きく不自由なはずなのに、まるでそれを感じさせないくらいに足取りは軽やかに見える。

 さらにである。皆がジルに唖然としたのは、ジルは弓矢などの装備を持ちながら、さらに雇い主の貴婦人を背中の背負い式の椅子で運んでいるのであった。

「みなさーん、がんばってくださいね」

 ジルに背負われている貴婦人が、フードの下から明るい声で応援してくれたのに笑い返すのもつかの間、ジルはどんどん先に進んでいく。片足が義足に加えて、背中の貴婦人を含めた荷物は百キロ近くはあるはずなのに、信じられない体力だ。

「あの人、ほんとにただの猟師か? 身分を隠した、どっかの国のコマンドーとかじゃねえのかよ?」

 才人たちは、ジルがどんな半生を送ってきたのかを知らない。知ればさらに驚愕するだろう。

 山道は登るにつれてさらにきつくなっていき、才人やルイズは、以前にシャプレー星人のせいで大陥没を起こした火竜山脈跡を歩いたときのことを思い出した。

 あのときは……そういえば、どうして火竜山脈なんかに行ったのかよく覚えていないが、完全に崩壊した山脈を歩くのは大変だった。けれど、ここはさらにきつく感じられる。

「ルイズ、気をつけろよ。足を踏み外したら大ケガするぜ」

「バカにしないでよ。こんなところ、社交ダンスより簡単なステップだわ」

 そう言いながらも恐る恐る岩場を越えていくルイズと、万一ルイズが足を滑らせたときのために抱き抱えられるよう構えながら才人は進んでいる。そんな二人を見て、成長したものだなあと後続の水精霊騎士隊はしみじみ思うのだった。

 やがて日が高く昇る頃には、なんとか山の中腹までたどり着いて休憩をとり、この調子であれば暗くなる前に山頂を越えることはそう難しくないのではと思われた。

「なんだい、人を食う山なんていうから身構えてたけど、案外普通の山登りと大差ないじゃないかい」

 水精霊騎士隊の少年の一人が弁当を頬張りながら言った。確かに険しい山登りだが、彼らも騎士として銃士隊に厳しく鍛えられた経験がある。東方号の艦橋をダッシュで登り降りする訓練を思えば、山歩きのコツさえ掴めばスタミナ切れするほどではなかったようだ。

 女子のルイズも、疲れは見せながらもまだへたばってはいない。そんな意気軒昂な少年少女たちの様子に、ジルは少しはやるなというふうに呟いたが、すぐに厳しい声色でこう告げた。

「お前たち、楽勝と考えてるなら今のうちにそんな考えは捨てておけ。これから先は、油断すると本当に……死ぬぞ」

 刺すような視線と、重い声色のその言葉は、腹ごしらえをしていた少年たちの背中に冷たいものを走らせた。

 けれど、山を見上げても、岩以外にはこれといって危険なものも見当たらない。ジルはなにを警告しているのかと、ギムリが代表して尋ねた。

「そう言われても、険しいけど今のところただの岩山じゃないですか。ミス・ジルは、この山を越えられたことがあるんですよね?」

「ああ、子供の頃に父に連れられてな。父が、『その頃は』用心深い猟師だったから助かったが、下手をすれば私も死んでいた」

 むしろ、この山を無事越えるという偉業を成し遂げたために、父はその後ファンガスの森という危険地域に住み着いたあげくキメラドラゴンに食い殺されるという悲劇に見舞われたのかもしれないと、ジルは内心で思った。

「そろそろあれの領域に入ってくるはずだ。鼻を効かせてみろ、なにか臭わないか?」

「なにって、なにがあるっていうんです? あれ、この臭いって……硫黄?」

 言われたとおりにしてみて、皆はわずかだが、火薬に使われる硫黄のつんと来る臭いを感じ取った。つまり、この山は噴煙こそ出ていないが火山というわけなのだろうか。なるほど、それならまったく草木の生えていない岩だらけの山肌もうなずける。

 けれど、それだけで人食いの山と恐れられるほどだろうかと才人たちは思った。確かに硫黄ガスは有害だが、窪地にガスが溜まるなどの悪条件がなければめったに致死量になったりはしない。

 しかし、ジルは違うと首を振ると、くっとあごである方向を指した。少年たちがその先を見ると、百メイルばかり離れた先に小川が流れており、その周辺には少ないが緑が生い茂って、花のようなものも咲いているのが見えた。

「なんだ、水があるんじゃないかよ」

 小川を見た才人は、山登りで張った足を冷やすために喜んで駆け出した。ほかの少年たちも同じように水を求めて勇んで駆け出す。だが、その足をジルの怒声が凍り付かせた。

「行くな! あそこに近寄ったら、死ぬぞ」

「え、えっ?」 

「目を凝らしてよく見てみろ」

 そう言われて、少年たちは足を止めて遠くの小川を見つめてみた。よく見ると、小川の周囲にその辺の岩とは違う白いなにかが無数に散らばっているのが見える。

 才人やルイズの視力では、それ以上は見えなかった。だが、遠見の魔法をこっそり使った少年が、背筋も凍るようなことを叫んだのだ。

「お、おい。あれって全部、白骨じゃねえか?」

 なんだって!? と、一同は騒然となった。

 白い散乱物は小川に沿って延々と散らばっており、あれが人間にせよ動物にせよ、白骨だとすれば百人や二百人の数ではすませられまい。

 だが、いったい誰があれだけの死骸を? すると、小川の周辺の岩が、よく見ると不自然に動いているのがわかった。

「あれ、岩じゃない、生き物だ! 虫……でっかいアリみたいな虫の群れだ!」

 なんと、おぞけの走ることに、仔牛ほどもありそうな巨大なアリが何百も小川の周りに群がっているのだった。

 ルイズはあまりの気持ち悪さに口を押さえて青ざめてしまった。動かないでいる巨大アリはぱっと見には岩と見分けがしにくく、あれに気づかずに近づいてしまえばたちまち巨大アリの大群に食い殺されてしまっていただろう。

 才人はあることを思い出して、携帯しているGUYSメモリーディスプレイを取り出して巨大アリを検索してみた。すると、思ったとおり巨大アリはドキュメントZATに記録のある、大羽蟻怪獣アリンドウの幼体であることがわかった。

 アリンドウは普通のアリが特殊な建材の副作用で突然変異を起こして巨大化したアリの群れが、さらに合体して誕生した怪獣で、東京の市街地にかなりの被害を出したとして記録されている。

「サイト、あれ知ってるの?」

「ああ、怪獣の元だよ。下手に手を出すなよルイズ。ドカーンなんてやったら合体してでかくなっちまうぜ。けど、ここじゃどうしてあんなもんが?」

 ハルケギニアにはアリを怪獣に変えるような化学物質は存在しないはずだ。しかもあのアリは記録にある巨大アリがせいぜいペットボトルサイズだったのに比べて五倍は大きい。

 と、そのとき才人は巨大アリたちが小川の周りに生えている植物の花から蜜を吸っているのが目に入り、その花の形に見覚えがあった才人は花を再検索してみたところ、やはり。

「やっぱり、ありゃミロガンダだ」

 戦慄したように才人は呟いた。

 ミロガンダ。ドキュメントSSPに記録があり、地球ではオイリス島という島だけに生息している植物である。特殊なケイ素を養分とし、幼年期には自ら動き回って生き物を補食する恐ろしい食肉植物でもある。その一方で、ミロガンダには他の植物を巨大化させる酵素も含まれており、これを使って野菜を増産しようと日本に持ち込まれたミロガンダが実験で突然変異して、植物怪獣グリーンモンスと化して暴れたという。

 けれど、見たところミロガンダは成熟した花ばかりで、動き回っている幼体は見当たらない。

 恐らく、この火山からはオイリス島のものに似たケイ素が川に流れ出しており、それを栄養にしてミロガンダが育った。そしてミロガンダの蜜を舐めたアリが蜜に含まれる成分で巨大化して動物を狩るようになり、ミロガンダはそのおこぼれをもらうことで共生関係をとるようになった。動き回る必要がなくなったミロガンダは幼年期の姿を捨てて、より蜜を多く出すように進化したのであろう。

 この険しい山を越えようとする旅人は、水を求めて自然と小川に近づいたあげくに巨大アリとミロガンダの餌食にされていったのだ。ジルが止めてくれなかったら、自分たちもあの白骨の仲間入りだったと、水精霊騎士隊の一同は背筋を震わせた。

 けれど、それだけでは人食い山の謎は解けない。唖然としている少年たちの横で、ショックから立ち直ったルイズがジルに疑問をぶつけた。

「ねえ、人食いアリが住んでいるのはわかったわ。けど、メイジならあんなの飛び越えていけるはずよ?」

「ああ、そう思ったメイジどもも大勢いただろうさ。だが……ちょうどいい、おあつらえ向きに馬鹿がやってきたぞ」

 ジルが空を指差すと、一頭ぶんの竜篭が山を越えようと飛んでいるのが見えた。どうやらどこかの貴族がトチ狂って、敵国であるガリアに逃げ込もうとしているらしい。

 しかし、無謀な貴族の行動は実らなかった。なにが起こるのかと見上げるルイズたちの耳に、突然甲高い咆哮が聞こえてきた瞬間、山頂からなにか巨大な物体が飛び出してきたのだ。

「えっ!? と、鳥?」

 ルイズの目にはそう見えた。太陽を背にとてつもない大きさの翼を広げるなにか。だが大きすぎる! ルイズの母カリーヌの使い魔のラルゲユウスと同等か、それ以上に大きい。

 巨大な鳥の影は、ゆっくり飛んでいた竜篭を逃げる間もなく巨大な鍵爪で竜ごと鷲掴みにしてしまった。乗っていたであろう人間が逃げ出せた様子はなく、巨鳥はそのまま獲物を山頂へと連れ去ってしまった。

 まさにあっという間の出来事。ぽかんとする水精霊騎士隊は、巨鳥の後ろ姿を見送るしかできなかった。

「あれって、鳥? いやでも、羽毛も毛もない、ワイバーンみたいな、あんな鳥がいるのか?」

 一行のほとんどは呆然として、今見た巨大な鳥のことが信じられなかった。先日トリスタニアを襲ったグエバッサーでさえ、まだ鳥らしい姿をしていた。鳥のようなくちばしを持つ頭はしていたが、全身は茶色で翼はコウモリのような被膜が張っていた。

 水精霊騎士隊も、ジルでさえ、今見た巨鳥の一瞬だがすさまじい存在感と、残していった衝撃波が肌を叩いていった余韻に体を震わせている。しかし、才人だけはわかっていた。それが鳥ではないことを。

「翼竜……プテラノドンだ。あれって、もしかして、あの、あれなのかよ」

 才人は、地球防衛のある記録……いや、以前にTVの再現ドラマで見たある事件を思い出していた。

 1956年。科学特捜隊ができるよりもずっと昔……九州、阿蘇で起こった炭鉱の異変。そこから出現した古代翼竜の生き残りにより、福岡が壊滅したことがある。

 そいつは、1954年にビキニ環礁の核実験で水棲爬虫類が突然変異して出現した怪獣と同じく、核実験の影響で古代生物が復活変異したものと言われているが、あれが核を受ける前の姿なのかもしれない。

 その折、翼竜により人間や家畜が食害される被害が起きたというが、なぜかルイズはは懐かしそうに翼竜の去った先を見ながらつぶやいた。

「あれって、そっか、あの鳥、ハルケギニアにもいたんだ……」

「ルイズ、知ってんのか?」

「うん、前にね……」

 ルイズは、欠けた記憶の中にも残っていた思い出のひとつを才人に語った。

 以前、才人と離ればなれになって別宇宙をアスカと旅していた時、ある惑星の湿地帯で巨大なトンボの群れに襲われたことがあった。そいつらが異常に凶暴で数が多く、逃げても逃げてももうだめかと思ったときだった。

「空からあの鳥が降りてきて、トンボを全部食べちゃってくれたの。別に助けようとしたわけじゃないでしょうけど、わたしにとっては命の恩人なのよ」

「なるほどな。そりゃあルイズには食うところがねえから、あだっ!」

「だ、誰の胸も尻もないですってえ。あんたはどうしてそういつも一言多いのよ!」

 激怒したルイズにしばかれる才人を見て、一行はよくもまあこんなときにまで漫才を続けられるものだと呆れ果てた顔を並べるのだった。

 ……だがその端で、フードの貴婦人が嬉しそうにくすくすと笑っていたことを誰も知らない。

 ともあれ、これで人食い山の謎はおおむねわかった。飛んで山を越えようとすれば翼竜の餌食になり、かといって歩いて越えようとすれば、慣れない者は巨岩だらけの地形で確実に道に迷い、水に引き寄せられて巨大アリのエサにされる。

「でも、どうしてあんな巨大な鳥がいるのに、いままで知られていなかったんだ?」

「たぶん、生息圏が南のほうなんじゃないかな。噂じゃ、ロマリアから海を渡ったずっと南には、人を寄せ付けない暗黒大陸なんてのがあるっていうから」

 少年たちも推測はするけれども、本当のことはわからない。ただ、テロチルスといいバードンといい、火山は巨大怪鳥にとって不思議と住みやすいところなのかもしれない。

 一行は休息を終えると、ジルの「さあ行くぞ!」という声を合図に進みだした。

 一定の標高を超えると山肌はさらに荒れ具合を増していき、足場として使えるところも減っていって、ほんの数メイル進むだけで体力を削っていった。

「サイト、息が切れてるわよ。なんならわたしがおぶってあげましょうか?」

「へっ、ルイズの肩を借りるほどヘタれちゃいねえって。それに、今頃ミシェルさんたちはもっと危険なはずなんだ。こんなことで弱音を吐いていられっか」

 硫黄交じりの空気は余計に体力を消耗させたが、才人は別ルートで旅をしているはずのミシェルと、銃士隊のみんなのことを思った。ガリアで起こっていることの詳細を少しでも早く確実に突き止めるため、彼らはあえて別行動をとる道を選んだのだ。

 あっちの道では……と、才人は考えかけてやめた。自分たちよりずっと強いミシェルたちならきっと大丈夫だ。それより、こっちはこっちでこの山を越えることに全力を尽くすべきだ。

 山肌のあちこちには白骨が散らばり、あの巨大アリに襲われて無念の最期を遂げた人間たちの亡霊が近くにいるような不気味さが漂っている。また、それとは逆に食いちぎられたりバラバラになった巨大アリの死骸も散乱しており、あの翼竜がこの山での絶対的な捕食者であることも察せられた。

 ジルはその用心深さと勘の鋭さで、アリのいないルートをかぎ分けて一行を先導していった。そのため遠回りになることもあるが、少年たちが良いと思ったルートを避けて登り、標高の高いところから見下ろせば岩影にアリが群生していたりと、ジルの勘の正しさを、最初は疑っていたルイズも認めるようになっていった。

 それはまさに、クモの巣をかいくぐって進むような慎重で紙一重な行進だった。アリには耳がなく、視力も弱いことを除いても、ジルがいなければとてもこの山を登れはしなかっただろう。

 山頂まであと少し、そこを越えればあとは降りるだけ。少年たちはそれを目指し、気力を振り絞って岩山を登った。

 

 だが、先頭をゆくジルは心の底から警鐘が響いてくるのを感じていた。

「順調すぎる……」

 

 そして、その予感は不幸にも的中することになった。山頂の直前、一行の前にアリの大群が横一列に並んで立ちふさがってきたのである。

「待ち伏せか!」

 ジルはほぞを噛んだ。安全に進めていたと思わせて、罠にはめられてしまったというわけか。

 いや、アリにそんな知能があるとは思えない。だが、本能によって山の稜線で待ち構えれば必ず獲物が通ると学習していたのだろう。

 一度見つかってしまったが最後、アリたちはフェロモンを撒き散らして一気に仲間を呼び寄せて一行を囲んできた。

 こうなったらもう変装がどうとかは言っていられない。隊長代理のギムリは杖を振り上げて仲間たちに命じた。

「水精霊騎士隊全員、杖取れぇーっ!」

 その声に応じて、少年たちは勇敢な雄叫びを上げていっせいに杖を振り上げ、また才人も隠していたデルフリンガーを抜いた。

「ルイズ、俺の後ろに隠れてろ。デルフ、やるぞ!」

「おう、やっと俺の出番か。存分に暴れさせてくれよ相棒」

「サイト、一人で手柄を立てようなんて思わないでよ。時間さえ稼いでくれたら、わたしが一気に吹き飛ばしてあげるから!」

 頼もしいルイズの言葉を背に受けて、才人は気合を入れた。

 いつもならこういうときはギーシュが命令を出すが、今の隊長代理はギムリだ。ギムリはギーシュとは特に仲が良く、お調子者や助平なところなどいろいろ似ているが、こうして本格的に一人だけで指揮をとるのは始めてだ。いつもは緑色のぼさぼさ髪の下にけだるげな眼を並べている顔を引き締め、ギーシュならどうするかと考えて指示を出した。

「全員、ご婦人方を中心に円陣を組め。大きな塊になるんだ!」

 それは、アニエスが見たとしたら、まずは及第点を出す指示だった。完全に敵に取り囲まれているときにとれる陣形は、被害覚悟で一点突破を図る楔型陣形か、防御に隙のなくなる円陣しかない。

 水精霊騎士隊の少年たちは、隊長代理の命令に従ってさっと円陣を組んだ。日頃の訓練の成果もあるが、ギムリも仲間たちから信頼されている証拠だろう。

 ただ、ギムリは内心で、皆の命が自分の指示ひとつにかかっているというプレッシャーに心臓をわしづかみにされていた。ギーシュはいつもこの重圧に耐えながら指揮をとっていたのかと、軟派なところばかり見てきたけれど、ギムリはギーシュの肝の太さに心から尊敬の念を抱いた。

”隊長、あんたすごかったんだな。今度おれの秘蔵の割引券で妖精亭に招待するぜ!”

 感謝の仕方が斜め上だが、少年たちはギーシュに恥じないようにと、じりじりと迫り来るアリを睨み付ける。

 そんな彼らの背中には、ジルとフードの貴婦人が庇われている。平民であろうと、名も知らない誰かであろうと、ご婦人をお守りするのは男の、貴族の、水精霊騎士隊の信念である。

 けれど、ジルは一行が貴族だとわかっても素知らぬ顔をしている。てっきり、驚かれるかと思っていたギムリたちは、ジルの目が訓練中のアニエスと同じだとわかって察した。弓を手に取り、他の何にも興味がないという眼光で、ただ敵だけを見据えている。

 となると、守るべき対象はフードの貴婦人だけだ。その方は、ジルの影でフードを抑えてじっとしており、少年たちはか弱いご婦人を是非にも守らねばと誓った。

 そして、円陣を組んで待ち構える少年たちに、ついに巨大アリたちはいっせいに襲いかかってきた。小さなサイズでも犬ほどもある巨体で鋭い顎を鳴らせながら突っ込んでくる黒い大軍に、少年たちの魔法が放たれる。

『ウィンドブレイク!』

『エア・ハンマー』

『ブレット!』

 種々の魔法。それらは彼らの努力によって、今ではラインクラスの威力を誇るようになっていた。

 だが、人間であれば全身を鎧で覆っていてもただではすまない威力の魔法を受けても、巨大アリの外骨格には効果が薄く、アリたちは死を恐れずになお向かってくる。

「う、うわああっ!」

 魔法が効かない敵に、数人の少年がパニックに陥りかける。ギムリはなんとか落ち着かせようとしたが、その前にジルの怒声が飛んだ。

「うろたえるな! 目や関節の急所を狙えば仕留められる」

 そう言って放たれたジルの矢が、巨大アリの眉間を見事に射ぬいて息の根を止めた光景に、ギムリたちは士気を取り戻して再度の魔法攻撃を加えた。

 風や石の弾丸が巨大アリの足の関節や、唯一柔らかい腹部を切り裂いて動きを止めていく。しかしそれでも一部は傷を受けながら円陣に迫ってきて、接近してきたやつには才人がデルフリンガーを振りかざして応戦した。

「でやあぁっ!」

 気合い一閃。極限まで磨ぎきった刃が巨大アリの首を宙に舞わせ、才人はデルフといっしょに歓声をあげた。

「すげえ、豆腐みたいによく切れるぜ。デルフ、お前の言うとおりに研いでおいて正解だったぜ」

「ああ、ふとサーシャが俺を研いでいたときのこと思い出せてよかったもんだ。だが相棒、間違ってもアリの体に刃を当てるなよ。あれに当たったら刃こぼれしちまう」

 才人の今の剣術の腕前は、そこらの騎士なら問題にならないレベルに達していよう。それに加えて、良い武器があれば鬼に金棒である。

 水精霊騎士隊が魔法で防戦し、それでも近寄ってくるアリを才人が斬り倒す。そして、時間を稼いだ間にルイズの虚無の魔法が完成した。

『エクスプロージョン!』

 切り札の特大の爆裂が頭上に炸裂し、アリの大群を一気に吹き飛ばした。

「やったか?」

 爆発の衝撃波と粉塵で咳き込みながら才人が言った。

 相変わらずすごい威力だ。百メイルには及ぶのではないかと思われた爆発が通りすぎた後には、巨大アリの群れが腹をさらして延々と転がっている光景が広がっていた。

 だが、ルイズが勝ち誇ろうとしたときだだった。周囲の地面が盛り上がり、地中からまたアリたちがおびただしくはい出してきたのである。

「ええっ!? なんなのよこいつら!」

「あははは、そりゃアリだもんな。地面からいくらでも出てくるっちゃそうだよな」

 才人が乾いた笑いをしながら言った。ひどいことに、この山の地下は巨大アリどもの巣らしい。ミロガンダの蜜をエサに、火山の地熱で昆虫にはめっぽう過ごしやすい環境で大繁殖したというわけだ。

「もしかして、今の奴等って単なる露払いだったりしたわけ?」

 ルイズがすっとんきょうな悲鳴をあげたが、渾身の思いで放ったエクスプロージョンが実質空振りになってしまった以上は仕方がないだろう。

 砂糖に群がるようなアリでも、大群ともなれば地面に落ちたセミを食い殺してバラバラに解体してしまう。徹底した数の暴力の片鱗を見た前に、意気込んでいた才人や水精霊騎士隊の少年たちも、こんな奴らとこれ以上戦えるかと浮き足立っていた。

「ギムリ隊長代理、まじめにやりあうだけムダだよ! また取り囲まれる前に、フライで一気に飛び越えていこうぜ!」

 少年のひとりがそう叫んだ。三十六計逃げるにしかず、アリを相手に名誉の戦死とか冗談にもならない。

 もちろんギムリにも異存はなく、フライを使っての強行突破を指示した。だが、少年たちがフライの魔法で浮かび上がった瞬間、アリの群れの中から羽を広げて同じように飛び上がってくるものが現れたのである。

「羽アリかよ!」

 才人が仰天して叫んだ。春などに街頭に群がってくるあれだ。小さくても気持ち悪いが、大きければなお気持ちが悪い。

 空を飛ぼうとしていた少年たちは羽アリが襲ってくる素振りを見せると慌てて地面に降りた。魔法は基本、一度に一つしか使えず、空を飛びながら攻撃魔法を使うにはタバサ並みの優れた才能や修練がいるのだ。

 これで空から逃げるルートも絶たれた。いや、そればかりか、事態はさらに最悪な方向へと動いた。今のエクスプロージョンの爆音で機嫌を損ねたのか、火口からあの翼竜が再び舞い上がって今度はこちらに襲いかかってきたのである。

「まずい、伏せろ!」

 ジルが叫んで、皆は慌てて地面に伏せた。間近で見ると翼竜はとんでもなく大きく、翼長は軽く百メートルは超えて、空に傘をかぶせてしまったかのようだ。

 だが、才人はその翼竜を見て恐ろしさだけでなく、翼がまとった被膜の鉄板のような分厚いたくましさや、頑強なくちばしから後頭部の三本角まで続くスマートな流線を描く頭部に、精悍な美しさを感じた。バードンやテロチルスのような狂暴な怖さとは違う、いうなれば、王者の風格とでも言おうか。

「かっけえ……」

 そんな場合ではないというのに、才人はぽつりとそうこぼした。理屈抜きで人間の心に訴えかける何かをもつもの、それが怪獣なのだ。

 けれど、危機的状況には何も変わりない。翼竜のくちばしが振り下ろされると、子牛ほどもある巨大アリが数匹まとめてついばまれ、硬い殻をなんなく噛み潰して破片を才人たちの頭上に降らせてくる。

 あれに捕まったら最後だ。だが、逃げようにも周囲は巨大アリに囲まれたままで逃げ場がなく、巨大アリは仲間が倒されようが食われようがお構いなしに数を頼りに包囲を狭めてくる。

 どうすればいい? 才人とルイズは考えた。最大級のエクスプロージョンを撃つには時間がかかる。テレポートでは全員は逃がせない。

 となれば、残った手は……。

「もう仕方ねえよ、変身してみんなを抱えて飛んでいこう!」

「サイト、あんた正気!? この状況で変身したら、確実にみんなにバレるわよ! それに、まだエースの傷は癒えてないのに」

「けど、ほかにどうしろってんだよ?」

 才人の問いにルイズは答えられなかった。今のところは皆地面に伏せているから翼竜に目をつけられずにいるけれど、頭を上げて立ち上がったりすればどうなるかわからない。

 だが、ルイズは前の戦いでエースバリヤーを使ったエースのダメージを心配していた。また無理をさせれば、今度こそ。

 それでも、ルイズに今の状況を変えられる方法は思いつかない。あきらめてウルトラマンの力に頼るしかないのか? 本当に万策尽きたのか?

 ルイズは、とび色の瞳に苦渋を浮かべて迷った。けれど、近づいてくる巨大アリを前に、ついにあきらめて才人に手を伸ばそうとしたそのときだった。二人の耳に、この切迫した状況には不似合いなのんびりした声が聞こえてきたのだ。

 

「あらあらまあ。あんなにいっしょうけんめいパクパクついばんで。よっぽどお腹が空いているのね。もっといっぱい食べられるご飯があればいいのにねえ」

 

 その声に二人ははっとした。今の声、まさか! 

 いや、確かめている余裕はない。ルイズは才人に杖に代わって鞭を突きつけて怒鳴った。

「サイト、あなたあのアリは怪獣の元だって言ったわよね。だったら……」

「お、おいマジかよ。だけど、うまくいくかどうか」

「そんなこと、やってみなきゃわからないじゃない! サイト、あなたいつから始める前からあきらめる意気地無しになったの? あんたの辞書に沈着とか自重とか書き込んでも似合わないでしょ!」

 それは罵倒なのか叱咤なのか、しかし才人はルイズのその言葉で自分を見直した。腹が立つが、自分は頭脳労働タイプじゃない。怪獣やウルトラマンが好きで詳しいだけで、思い付いたら一直線、インテリぶるなど柄じゃない。

「言ってくれたなルイズ、そこまで言われたからには、お前にも手伝ってもらうぞ」

「何度も言わせないで、逃げない者を貴族と呼ぶのよ」

 ルイズの決意した目に、才人は腹を決めた。ルイズにエクスプロージョンの詠唱を始めるように頼むと、伏せて震えているギムリに向かって叫んだ。

「おうい隊長代理! おれに考えがあるんだ。合図したら、火の魔法をみんなで放ってくれないか!」

「ひ、火の魔法だって!? 馬鹿言うなよ。火山に住んでるやつに火が効くわけがないだろ」

「いいから、説明してる時間はねえけど、うまくいきゃ助かる。地面に這いつくばったまま死んだら、ギーシュに笑われるぜ」

「ギーシュ隊長……わかった。信じるぜ、サイトオンディーヌ副隊長どの!」

 これで決まった。だが、まともに詠唱をしている時間はほとんどない。

 目の前にはもう数メイル先まで来ている巨大アリ。さらにそのアリを追って翼竜のついばみも目の前まできている。

 チャンスは一度、才人は叫んだ。

「いまだ! あのアリが集まっているところに向けて撃てえぇっ!」

「ああ、『ファイヤーボール!』」

 水精霊騎士隊の渾身の力を込めた炎の魔法が飛ぶ。だが、伏せながらの詠唱なのでその狙いはバラバラ……ではない! 一本の火矢がアリの群れの中心に落ち、それを目印に皆のファイヤーボールが集中したのだ。

「子守りは慣れてる……なぜかな?」

 ぽつりとつぶやいたジルのおかげで、水精霊騎士隊の魔法は散乱することなく一点に絞り込めた。そして、その点をめがけてルイズの第二波が炸裂した。

『エクスプロージョン!』

 詠唱未完だが、可能な限りの精神力を込めたルイズの爆発魔法がファイヤーボールの集中した中心に炸裂した。それは単純な威力では先ほどの完全詠唱版にはとても及ばないものだったが、ファイヤーボールの熱を吸収拡散して、巨大な火の玉となって燃え上がった。

 紅蓮の炎の中で巨大アリが燃え、翼竜はその炎に驚いて飛び上がった。しかし、才人とルイズの狙いはアリを倒すことではない。

 かつて、ドキュメントZATには巨大アリを駆除するために空中に群れを誘き出して火炎で焼き付くそうとしたところ、逆にエネルギーを吸収して合体巨大化してしまったという。

 いちかばちか、みんなの魔法とルイズの虚無の力を喰らえ! そのエネルギーの中で、巨大アリはさらなる成長と進化を遂げ、ルイズたちの眼前にまで迫ってきていたアリたちも、吸い込まれるようにしてエネルギー体に融合していく。

 そうして巨大アリたちは周囲の同族をまとめて取り込み、数千匹が黒い塊へと集合。そのすべてが合体することにより、ついに身長六十二メートルにも及ぶ大羽蟻怪獣アリンドウへと変身したのである。

「出やがった!」

 現れたアリンドウは、得た自らの巨体を喜ぶかのように雄叫びを上げて暴れだした。当然、その足元近くにいる才人たちは踏み潰されそうになり、ギムリが悲鳴を上げる。

「わああっ! おいサイト、なにが考えがあるだよ。死ぬ、おれたち死ぬって!」

「いいや、作戦どおりだよ。ほら、あっちから喜んで来やがったぜ」

 土煙で周囲が煙る中、才人は顔をひきつらせながら空を指差した。

 大空から翼竜が急降下してくる。鋭いくちばしを振りかざし、猛スピードでアリンドウの巨体をさらに上回る巨体で体当たりを食らわせ、アリンドウは山肌に叩きつけられた。

「うわぁっ!?」

「いまよ! みんな走って!」

 衝撃で周りがめちゃくちゃになる中でルイズは叫んだ。

 これがルイズの考えた作戦。アリどもを合体させて一匹の怪獣にすれば、翼竜はそっちを狙うかもしれない。そして二匹の怪獣が争っている隙に山を越える。それしかない!

 水精霊騎士隊はフライの魔法で飛び上がり、数人がかりでジルとフードの貴婦人を抱えて飛んだ。精神力を使いきってしまったルイズには才人が肩を貸し、恥ずかしがってる場合かと掛け合いながらおんぶして走った。

 山の峰まではほんのあと数十メイル。そこさえ越えればあとは滑り落ちてもいい! しかし、振り返って見えた二匹の怪獣の激闘は筆舌に尽くしがたいものであった。

「すげえ……」

 これまで数々の怪獣の戦いを見てきた才人でさえ、そう呟くのがやっとだった。

 アリンドウは巨大化したことで、それまでエサにされてきた自分達に代わって、向こうをエサにしてやろうといきり立っていた。体当たりから即座に起き上がり、コンクリートをも噛み砕く顎からよだれを垂らしながら、発達した前腕で殴りかかろうと突進する。

 しかし、翼竜はアリンドウに対して、くちばしを槍のように激しく突き立てまくり、巨大な翼で粉塵をあげながら叩き返して応戦した。その勢いはものすごく、攻めこんだはずのアリンドウのほうがひるんでしまったほどだ。

 それは少し想像してみればいい。自分に向かって他人が箸やスプーンをがむしゃらに突き立ててくれば、それがいかに危険で恐ろしいかを。

 カラスでさえ、ごみ袋に群がればあっという間にバラバラに食い散らかしてしまう。スズメから鷹まで、くちばしは鳥類共通の強力な槍でありナイフだ。しかも執拗に眼を狙ってくる攻撃に、アリンドウは苦悶の声をあげながら口から白い霧を吹き出して翼竜の顔面に浴びせかけた。

「蟻酸だ!」

 才人は叫んだ。アリの持つ酸の一種だが、アリンドウのそれはビルをドロドロに溶かしてしまうほどの威力を持つ。そんなものを顔に浴びせられたらさしもの……と思われたが、なんと翼竜はわずかに嫌がったそぶりを見せたが、かまわずそのままアリンドウの頭をつつき続けたのである。

 アリンドウの複眼がくちばしで突き破られて緑色の血が吹き出る。そればかりか、ひるんだアリンドウの体や腕にも翼竜はくちばしを突き立てて、強固なはずの外骨格にまでひびを入れ始めたのだ。

「うそだろ、アリンドウの体はタロウのストリウム光線にも耐える硬さのはずなのに」

 むしろ翼竜のほうが頑丈な体のようにさえ見えた。実際、地球に過去に現れた個体やその同族は、自衛隊のミサイル攻撃はおろか、ほかの怪獣の熱線や光線を浴びてもたいしたダメージは受けずに交戦を続けている。

 戦闘は、アリンドウが有利かもという才人の予想を覆して、圧倒的に翼竜の優勢で進んでいた。大きくなろうが、しょせん虫は鳥のエサなのか。

 二匹の怪獣の激闘。翼竜の羽ばたきから起こる突風にあおられながら、水精霊騎士隊は山越えを急いだ。のんびりしている暇はない。なぜなら、怪獣はこちらに来なくても、巨大アリは全部がアリンドウに融合されたわけではなく、地中からさらにはい出して追いかけてくるのだ。

 やがて、フライの魔法で飛んだ水精霊騎士隊が先に山頂につき、残るは才人とルイズだけとなった。その背後から巨大アリが迫ってくるのを見下ろしながら、ギムリたちは全員で必死に叫んだ。

「サイト急げ! あとちょっと、あとちょっとだ!」

 ここまでくればアリを魔法で追い払ってやれる。ルイズを背に抱えた才人はデルフをうまく振れない。

 だが、あと一歩となったところで、巨大アリが追い付いて才人のズボンの裾に噛みついてしまった。たまらず転倒した才人とルイズに巨大アリがいっせいに群がってくる。

「うわあぁっ!」

「きゃああっ!」

 まさに砂糖に群がるアリのように才人とルイズに巨大アリの大群が迫る。ギムリは杖をかざして二人を助けようとしたが。

「サイト! 今助けるぞ」

「待ってくれ隊長代理。今撃ったらサイトとルイズまで傷つけちまう!」

「なっ、だけど!」

 訓練を積んだ成果で、水精霊騎士隊の魔法の威力はラインの中級くらいには上がっている。無防備な人間を殺すには十分すぎる威力だ。しかし当てないように手加減して精密に撃つなんていう器用な真似は、普通のメイジにはできない。

 それでも、才人とルイズを見殺しにはできないと、ギムリは魔法を放とうとした。だが、ギムリの杖に誰かの手が優しく被さり、穏やかな声が少年たちを止めた。

「お待ちになって、優しい騎士さんたち。あなたがたのお友だちは、助かりますから安心なさって」

 振り返ったギムリの目には、フードから覗く笑みを浮かべた口元と、その傍らに輝く小さな杖が映っていた。

 そのとき、巨大アリに群がられた才人とルイズは、食われまいと必死にもがいていた。だがアリの体重はかなり重く、のしかかられて動けなくなり、もうだめかと思ったそのときである。二人に群がっていたアリたちがいっぺんに引き剥がされて、空が見えた。

「えっ? な、なにが?」

「サ、サイト? サイトが助けてくれたんじゃないの? あっ、あれは……」

 才人とルイズの視線の先には、二人のそばの地面から生えている土のゴーレムの姿があった。体格はざっと三メイルほどでゴーレムとしては巨大なほうではないが、とぼけたような温和そうな顔つきと丸っこい体を持つそのゴーレムが巨大アリをわしづかみにして、次々に二人の周りから投げ捨てていた。

 こいつが助けてくれたのか? けど誰が? 才人は今の水精霊騎士隊のメンバーにそんな使い手がいたかといぶかしんだが、ゴーレムのその姿に、ルイズは見覚えがあった。

「こ、このゴーレムってまさか! あっ、きゃあっ!」

 驚くルイズがそれを確かめる間もなく、ゴーレムは二人の襟首を掴むと、そのままひょいと山頂のギムリたちのほうへ放り投げたのである。

「どわああったあ!」

「うおっとお!」

 レビテーションを使う間もなく、飛んできた才人とルイズをギムリたちは体でキャッチした。

 間一髪だった。山頂まで来てしまえば、翼竜の縄張りのためアリどもはもう追ってこない。ほっとして、一行は翼竜とアリンドウの戦いに目を戻すと、戦いはまさに終結するところであった。

 翼竜のくちばしは鉄板でも軽くぶち抜けそうな鋭さで、アリンドウの全身を見る間にズタズタにしていった。アリンドウは最後のあがきに火炎を吐き出したがこれも通じず、翼竜は頭の角に稲妻を発生させ体を赤熱化させると、赤色の熱線を吐き出して浴びせ、とうとうアリンドウを倒してしまったのだった。

 断末魔の叫びをあげて倒れ伏すアリンドウ。翼竜はアリンドウの死骸に近寄ると、今度はそのくちばしをナイフのように使って解体を始めた。

 それは最初から最後まで、食うか食われるかだけの動物の殺しあい。少年たちは、その理性も知性も入り込む余地のない戦いに、ただ呆然と震えるのみだった。

「おれたち、よく生きてられたもんだ……」

 ぞっとする。こんな地獄のような山を、よくも全員生きて登りきれたものだ。

 見ると、アリンドウを解体した翼竜は、肉片を咥えると山頂に戻ってきた。山頂は100メイルはありそうな巨大な火口になっており、その中に巣が作られている。

 才人たちは巣に近づかれた翼竜が襲ってくるのではと身構えた。しかし、翼竜はもう人間には興味がなくなったのか、見向きもしないで巣の真ん中に降りると肉を下した。

 すると、火口の巣の影から小さな……といっても人間より数倍大きいのだが、幼い翼竜が這い出してきて肉をついばみだしたのだった。

「あれって」

「ああ、ヒナだ……」

 才人やギムリたちは、死の淵に立っていた今までのことが嘘だったかのような、そんな感覚を味わった。

 翼竜のヒナはまだ翼が未発達でうまく動かないのか、体をいっぱいにじたばたしながら肉をついばんでいる。親はその傍らにじっと立って、大きな翼でヒナを守りながら力強く見守っている。

 少年たちは、死とは反対の生命が育まれる光景に見入った。人を食う山、この山には無数の死が転がっているが、同じところで新しい生命がつむがれている。不思議だが、なんて神秘的な光景だろうか。

「これで、彼がどうして山に飛んでくるものを許さなかったのかわかりましたわね。ふふ、あんなに可愛い子供がいれば当然かしら、ふふ」

 そう微笑みながら言ったのは、あのフードの貴婦人……いや、もうその正体はルイズにはわかっていた。

 背格好といい上品な立ち振る舞いといい、そして何よりも動物の心を理解する純粋な心。ハルケギニア広しといえども、そんな人間はルイズの知る限り一人しかいない。

 才人もなんとなく感じていたようだが、ルイズはそもそも付き合った時間が違う。まさかと思ったが、もうそのまさかしか考えられない。ルイズは緊張の中に喜色を浮かべながら、こちらを試すようにフードを向けている彼女に問いかけた。

「もう、お顔を見せていただけてもいいと思いますわ。本当にいたずらがお好きなんですから……ちぃ姉さまは」

「フフ、ルイズならすぐ気づいてくれると思っていたのよ。ドキドキしたわ、お久しぶりねルイズ」

 さっとフードをとって見せたその素顔に才人たちは仰天した。ルイズと同じ桃色のブロンドの髪と柔和な笑顔、それは紛れもなくルイズの姉の。

「カトレアさん!」

「ええっ! ルイズのお姉さん!?」

 信じられなかった。どうしてこの人がここに? いつもは自分の領地で暮らしているはずなのに。

 呆然とする才人に、カトレアは以前に会った時と変わらない暖かな笑みを見せて言った。

「お久しぶりですね、勇敢な騎士さん。あのときの約束通り、ルイズを守っていてくれてありがとう」

「は、はい。おひさしし、ぶりです!」

 才人は緊張してしどろもどろになりながら答えた。それまで衣装で隠していたが、ルイズとは正反対に慈愛に溢れる笑顔とルイズとは真逆にふくよかなスタイルとおっぱいは才人の好みの直球を貫いて目が離せない。ただ、同時に以前殺されかけたことも思い出せてしまい、本能的に冷や汗も湧いてくるというちぐはぐなことになっていた。

 ルイズはそんな才人の顔面に裏拳を一発叩き込んで鼻血を吹かせて吹っ飛ばすと、あらためてカトレアに問いかけた。

「ちぃね……いえ、カトレアお姉さま。どうしてここに?」

「お母さまから手紙をもらったのですよ。戦争が始まったとエレオノールお姉さまが私のところにやってきてから少しして、「ルイズが危ない任務につこうとしている。今度ばかりはあの子たちだけの力では手に負えないだろうから、あなたたちで助けてあげて」とね」

「お母さまが……え? 「あなたたち」って」

 驚くルイズに、カトレアはにこやかに笑いながら、西の方角を望んだ。

 

 

 一方そのころ。ルイズたちのいる山から西方のトリステイン南方部でも、ひとつの戦いが起きていた。

 ガリア軍がトリステインに侵入してくる街道において、ガリア軍の後衛部隊とミシェルの率いる銃士隊小隊が対峙している。

「灯台下暗しでガリア軍の傍らをすり抜けていこうと思ったのは、やはり甘かったかな」

「副長、ここは我々が食い止めます。先に行ってください!」

 抜刀するミシェルたちの前には、彼女たちの数倍の数の武装兵士が立ちふさがっている。

 彼女たちは、ほかの街道の関所がつぶされているだろうことを考え、あえてガリア軍のそばを逆走してガリアに入ろうと試みた。ガリア軍はなんらかの魔法で意識を狂わされ、むしろここがもっとも警戒が甘いだろうという見込みがあったからだ。

 しかし、すでにトリステインに入った本隊とは違い、後続の補給部隊は正常だった。そして農婦に化けてやり過ごそうとものの、こういう後方支援部隊というものには目鼻の利く奴がひとりやふたりいるものである。

 怪しまれて検閲され、やむを得ず戦う羽目になった。だが、後方部隊にも本隊ほどではないとはいえ護衛がついている。数ではとてもミシェルたちはかなわない。

「副長、早く! せめてあなただけでも」

「無理だ、もう逃げ道はない。くそ、できるだけ無用な犠牲は出したくなかったが、こうなればできるだけ暴れたほうがサイトたちは安全にガリアに入れ……む?」

「これは? 副長、敵兵がどんどん倒れていきます!」

 ミシェルがやむを得ず、あの力で活路を開こうと決意しかけた瞬間、それは起こった。銃士隊を囲んでいた敵の兵隊が次々と倒れていき、あっという間に立っているのはミシェルたちだけになってしまったのである。

 まだ何もしていないのにこれは一体? 剣を下ろして呆然としているミシェルたちの前に、補給隊の馬車の影から一人の人影が現れた。

「まったく、意識を飛ばすご禁制の魔法薬なんて危ないものをいきなり使わせてくれるなんて、話に聞いていた以上に世話の焼ける連中みたいね」

「誰だ!」

「安心しなさい、味方よ。エレオノール・ド・ラ・ヴァリエールと言えばわかるかしら? 『烈風』の命令を受けて、あなたたちに加勢しに来たわ」

 

 試練を乗り越え、いよいよ舞台はガリアへ移る。

 そこで待つのは光か、それとも闇なのか。

 

 

 続く


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