ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第16話  生きていたオルレアン公?

 第16話

 生きていたオルレアン公?

 

 円盤生物 サタンモア 登場!

 

  

 ガリア王国による突然のトリステイン侵略が始まって、早くも三日の時が流れた。

 最初の一日には電撃的に怪獣軍団がトリステイン各地を襲い、エースをはじめとするウルトラマンたちが迎え撃つも、そのエネルギーを使い果たしてしまった。

 二日目は、迫り来るガリア軍に対抗するために行動を起こし、三日目はガリアに潜入したふたつのチームがそれぞれ貴重な情報を手に入れることに成功した。

 誰もが、やがて来るであろうガリア軍との決戦をなんとかするために必死に頑張っている。しかしもし、何かの目的のためにトリステインに攻め込んできたという前提そのものが間違っていたとしたら?

 

 ルイズたち一行と、銃士隊一行がガリアに潜入してそれぞれ重要な情報を集めていた頃、トリステインでは信じられない事態が起こっていた。

 ジョゼフはその光景をグラン・トロワから遠見の水晶を使って眺めていたが、その表情は忌々しげに歪んでいる。

「許せよ……」

 必要なことであるが、その光景はジョゼフにとって一番大切なものに自ら泥をかけるような暴挙であった。ジョゼフは、良心などとうに失ったと思っていた自分が、あれほど望んだ胸の痛みが帰ってきたというのに、喜びを覚えることもできず、らしくもない詫びの言葉を漏らすことしかできなかった。

 だが、ジョゼフがそんならしからぬ行為に走らねばならないほどのものとは何なのであろうか。すべては、この数時間前にさかのぼる。

 

 太陽が頂点を目指している時間。トリスタニアから百リーグほど南下した平原において、アンリエッタ率いるトリステイン軍は侵攻してきたガリア軍と正面から対峙していた。

「これはまた、聞きしに勝る大軍勢ですわね……」

 敵軍はまだ数リーグ先と遠いけれども、その全容を目の当たりにしたアンリエッタの口からこぼれたのは、率直のままに表現するしかない壮絶な光景であった。

 人間が流れてくる……例えるなら、床に流したコップの水がじわじわと広がりながら浸食してくるように、万や十万では利かない人間の大集団が地を覆い尽くすように迫ってくる。

 これが、大国ガリアの総力。アンリエッタはかつて、アルビオンでレコン・キスタの軍勢と対峙したときのことを思い出したが、これはあのときよりもさらに強大だと一瞬で理解した。

「ド・ゼッサール将軍、もし我がトリステインが百万の兵を集めたら、このような光景を作ることができるでしょうか?」

「無理ですな。兵の頭数だけは揃えられても、それに与える武具や食料、率いる士官の絶対数が足りませぬ」

 冷たいほどにバッサリとド・ゼッサールは答えたが、アンリエッタは悔しいとさえ思えなかった。トリステインにも優秀な兵やメイジはたくさんいる。しかしそれを軍団としてまとめ、戦場に投入できるかは別の問題だ。つまりはそれが、国力の差というものなのだろう。

 対して、こちらが持ち込めた兵力はわずか千五百でしかない。本来なら二千まで用意できたはずだが、やはり急ゆえの輸送手段の不足や、敗北が決まった絶望感ゆえの脱走で五百もの兵力が欠けてしまった。もっとも、敵軍十万以上から見れば誤差の範囲でしかないが。

「ですが、ここで彼らを止めなければ、トリスタニアから逃げられずにいる大勢の国民が犠牲になります。そのためにも……信じてよいのですね?」

 アンリエッタは、少し離れた場所に控えている二人の貴族に問いかけた。その二人はいかにも身分の高そうな衣装を着込んでいるが、顔だけは他人に見せられないという風に深々とフードをかぶっていた。

「はい、これ以上女王陛下とトリステインに迷惑をかけるわけにはまいりません。我々は、そのために今日までを耐えてきました」

「ジョゼフの愚かな野望によって歪められた世界を、今日から正しく作り直すのです。それがあのお方の望みであります」 

 真摯に答える両者に、アンリエッタは無言でうなづいた。

 この両名は、先に王宮でアンリエッタの前に突然現れた者たちである。本来ならば、そんな怪しい者たちは即座に捕縛されてしかりなのだが、彼らのもたらしたある話が、アンリエッタを動かしたのだ。

「姫殿下、いや今は女王陛下でしたな。トリステインの爵位を捨てた我々が今さらお願いすることは筋違いだということはわかっておりますが、どうか、少しの間で良いのでガリア軍をこの場に釘付けにしてください。そうすれば……」

「我々は、この日のために幾年もの月日を堪え忍んできたのです。トリステインへのご恩を返すためにも、必ずやジョゼフの鼻をあかしてみせましょう」

 そう訴える二人の襟にはガリア王国の貴族章が縫いこまれていた。だが、彼らがまとう古ぼけたマントにはトリステインの百合の紋章があしらわれている。

 二つの国の紋章を持つ意味は、彼らが元はトリステイン貴族で、なんらかの理由でガリア王国へと帰化した人間だというわけだ。けれど、アンリエッタが彼らを重視しているのはそこではない。アンリエッタは目を細めると、迷っている様を気取られまいとするように尋ねた。

「城に残ったマザリーニ枢機卿が死にそうなほど驚いていましたね。あなたがたは、四年前にガリアで死んだはずだと……」

「マザリーニ殿には悪いことをしました。ですが、驚かれて当然……我々は五年前に、ガリアの次期国王に確実と言われたあのお方とトリステインを結ぶ綱となるべくガリア貴族と婚礼し、ガリアの貴族となりましたが、あのお方がジョゼフの罠にはまったのに続いて粛清の憂き目に合い……」

「ですが、我々は自らを死んだことにし、恥を忍んで生き延びていたのです。すべてはあのお方を救出し、ジョゼフを倒す日のために!」

 熱烈に語った彼らに、アンリエッタはうなづいてみせた。ジョゼフ、その名を彼らから聞いたとき、アンリエッタや彼女の家臣たちの中に電光のように記憶が甦ってきたのだ。

 そう、彼らは皆が記憶を失っている理由をこう語った。

「ジョゼフ王は、トリステインを侵略する日のために、エルフの魔術を使ってトリステインの人間の心をむしばんできたのです。我々は地下に潜んでそのカラクリを調べだし、記憶を戻す方法を持って参りました。これで、我らの言っていることが真実だとおわかりいただけましたでしょうか?」

 失われた記憶の復活、それが彼らを信用する要素となった。ジョゼフという名前に次いで、その男に関する知識も蘇り、ジョゼフという王はガリアで無能王と呼ばれている評判の悪い男だということも思い出した。そのジョゼフが我欲のままに、トリステインを侵略しようとしているという彼らの訴えは納得できるものだった。やはり、すべてはガリアの仕組んだ巨大な陰謀だったのだ。

 アンリエッタはこれを受けて、ガリアへの反攻に出ることを決めた。すでに旅立たせてしまったルイズたちには申し訳ないが、呼び戻している時間はない。ただ……記憶が戻ったという喜びの中で、アンリエッタらはひとつの違和感が心の底にひっかかっていることを忘れてしまっていた。もっとも単純な……"思い出せたのは、それで全部なのか?"ということを。

 とはいえ、ガリア軍の侵攻を止めねばならないのは現実に最優先の問題である。なりふりを構わないというならば、『烈風カリン』に思い切り暴れてもらえば、いかにガリア軍でも足を止めざるを得ないだろうが、いかに彼女でも精神力は有限である。

 それに、使いの二人からは「できるだけ兵の死傷者を出さないようにお願いしたいのです。操られているとはいえ、彼らもジョゼフの被害者なのです」と頼まれている。そしてそのために、彼らはアンリエッタにあるものを託していた。

 そうしているうちにも、ガリア軍は少数のトリステイン軍など目にも入らないとばかりにじりじりと進軍してくる。アンリエッタは、負傷療養中でここにはいないアニエスに助言を求められないのをもどかしく思いながらも、やむを得ないとド・ゼッサール卿に命じた。

「ゼッサール殿、お願いできますか」

「子供だましも極まるというものですが……ご命令とあらば、やってみましょう」

 ゼッサールは気が乗らないという感じではあったが、部下のマンティコア隊に命じて飛び立たせた。随伴してこれたのはわずか六騎にすぎないが、ゼッサールも将来を期待する精鋭たちだ。

 むろん、ガリア軍に突撃させたところで、進軍するガリア軍には数十騎の竜騎士が頭上を守っているので衆寡敵せず叩き落されてしまうのが落ちだろう。アンリエッタもゼッサールも、そんな無謀なことを命じるつもりはない。

 マンティコア隊は、トリステイン軍の頭上で旋回し、隊列を組み始めた。もちろん、その光景はガリア側からもはっきりと見えた。

「なんだ、奴らなにをするつもりだ?」

 ガリアの兵士たちは行進を続けながら怪訝に思った。彼らは洗脳されているとはいえ、完全に自我を消滅させられているわけではなく、命令への絶対服従と破壊行為への極度の興奮を刷り込まれているわけで、意識自体ははっきりしている。

 彼らは、トリステインと戦っていることは理解しても、なぜトリステインと戦っているかまではわかっていなかった。今も迷わずトリステイン軍を殲滅すべしと考えてはいても、それ以外の理性は正常に、当たり前な目でトリステイン軍の動きを見ている。

 すると、マンティコア隊は数騎が協力して、折り畳まれている大きな布のようなものを広げ出した。それはみるみるうちに大きく広がっていき、支えきれなくなると待機していた別の騎が支えに入り、ついに見渡す限りもある大きな旗になってガリア兵たちの眼前に姿を表した。

「あ、あれは、あの杖を交差させた紋章は!」

「なんということだ。あれは我がガリア王国の国旗ではないか」

 そう、それはガリア国民であらば平民でも知っている母国の紋章であった。それが巨大な旗となってトリステイン軍の頭上になびいている光景には貴族平民問わずに動揺して、さらに指揮官たちにも波及した。

「むうう、トリステインの者どもめ。我らを愚弄するつもりか、全軍で一思いに揉み潰してくれよう」

「しかし、司令官どの。このままきゃつらを攻撃すれば、あの大旗にも魔法が当たってしまいまする。それでもよろしいでしょうか?」

「ぬ、ぬうぅっ、そんなことができるか! おのれえっ、全軍いったん進撃中止!」

 司令官は苦渋の思いで命令を下した。自国国旗への汚損は国への忠誠を最大の使命とする貴族にとって最大の不名誉となる。意図的でなかろうとも汚点は残り、出世の道は狭くなる。

 理性を残した洗脳であるがゆえに有効な手と言えた。しかし、相手の誇りを人質にしたような姑息な手段であり、ド・ゼッサールが気乗りを見せなかったのはこれが理由である。

 だが、手段の是非はともかく、これでガリア軍の前進は止まった。津波のようだった軍団は足を止め、不気味などよめきを見せている。

 ただし、それもわずかな間だけだ。態勢を整えたら、怒る敵将の苛烈な攻撃が一瞬でトリステイン軍をもみつぶしてしまうであろう。トリステイン軍に同行していた水精霊騎士隊の少年たちは、数分後に迫った確実な死に背筋を震わせ、アンリエッタも杖を懸命に握りしめている。

 数分が過ぎ、ガリア軍が再び隊列を揃えた。今度は杖を構え、槍を並べ、突撃体型をとっている。もはやこれまでか……アンリエッタが自分の決断を後悔しかけた時、二人の貴族が空の一角を指差して我を忘れたように叫んだ。

「おお、女王陛下、あれを、あれをご覧くだされ!」

「ついに、ついにおいでくださいましたぞ!」

 はっとして東の空を見上げたアンリエッタたちの目に、それは飛び込んできた。遠くの空から、一隻の風石船がこちらに向かって飛んでくるのが見える。

「あれが、あれがそうだというのですか?」

「そうです。おお、我らの旗を目印に! ここです。ここにおいでくださいます」

 将兵たちの目にも、こちらへ向けて猛スピードで飛んでくる船の姿が映り、彼らも等しく指差してどよめいている。

 そしてガリア軍のほうも、トリステイン軍があらぬ方向を指して騒いでいるのを見て接近してくる船影に気付き、司令官は突撃命令を呑み込んで空を見上げた。

「空からだと? バカな、トリステインの艦隊が動いたとは聞いていないぞ。ええい、対艦戦闘用意だ!」

「お待ちください司令殿! 近づいてくるあの船の帆に描かれている旗は、我がガリアのものです!」

「なにい!?」

 司令官は愕然とした。援軍か? だが、空中艦隊が出撃したとは聞いていない。となると、あの旗のようにトリステインの謀略か?

 想定外の事態に司令官は混乱した。敵か味方かわからない船が近づいてくる。味方ならよいが、敵だとしたらいかに何万という軍団でも軍艦の砲撃には無事に済まない。敵とみなして先制攻撃しようにも、もし本当に味方だったら責任問題となる。

 その迷いが彼に命令を下す時間を奪った。風石船はものすごいスピードでこちらに向かってくる。いや、あれは船の速さではない、あれは。

「風石の炊きすぎで暴走している。いかん、こちらに落ちてくるぞーっ!」

 気づいたときにはもう何をするにも遅すぎた。風石船はブレーキをかけることもできないようなスピードで、帆や船体を千切りながら落ちてくる。ガリアの司令官とアンリエッタがほとんど同時にほぼ同じ命令を放った。

「総員、伏せろーっ!」

 ほかにできることはなかった。貴族も平民の兵も吸い込まれるように地面に伏せ、次の瞬間風石船はトリステイン軍とガリア軍の中間の地点に墜落した。

「うわーっ!」

 船が落ちた衝撃で、舞い上がった土煙と船の破片が雨のように降ってくる。船は五十メイルばかりのたいして大きくない船だったが、落着で船底が大きくひしゃげ、船体はくの字にへし折れている。

 呆然と落ちてきた船を見上げる両軍の兵たち。いったいこの船はなんなんだ? すると、傾きながらも雄々しくそびえ立っているマストの下から、帆に描かれたガリア王国の紋章を背負うようにして、一人の凛々しい男が現れた。

「我が忠勇なるガリア王国の臣民たちよ、今日まで大義であった!」

 彼は眼前に居並んだガリア軍の将兵たちに、風の魔法で増幅された澄んだ声で呼びかけた。

 たちまちどよめくガリア軍。無論すぐに、司令官から「何奴だ!」という叫びが届くが、そこにトリステイン側からあの二人の貴族の怒声が響いた。

「無礼者! ガリア王国元帥ダウリン侯爵、控えるがいい!」

「このお方をどなたと心得る!」

 その声に、攻撃しろと命じかけていた司令官は言葉を失った。

 どういう意味だ? その場にいるすべての人間の視線と意識がその男に注がれる。

「侯爵、私の顔を見忘れたかね?」

「なに? なっ、バカな、あなたはまさか。そのお顔は、その青い髪はまさか!」

 司令官の目と顔が驚愕に歪み、その場にいるほかの貴族たちも、その男の姿に記憶を呼び起こされて愕然とした。

 そんな馬鹿な、ありえない。しかし、あの凛々しいお姿、何よりガリア王族の証である空色の髪は確かに。

 

「聞け! すべてのガリアの民たちよ。我が名はシャルル、シャルル・ド・オルレアン。ガリア王家の血を引く、真の王位継承者である!」

 

 猛き宣言が空を震わせ、数万の人間の驚愕がそれに続いた。

 オルレアン公? あの、聡明で知られ、かつては次期国王には確実と呼ばれたオルレアン公シャルルだって? いや、しかし。ガリア軍の司令官は激しい動揺をなんとか圧し殺しながら、シャルルと名乗った男に問いかけた。

「そんな、そんな馬鹿な。オルレアン公は前王の死の直後に反乱の疑いで……」

「そう、処刑された。だがそれは表向きのことで、私は捕らえられて幽閉されていたのだ。恐らくはゲルマニアの王のように、王家の血をなにかに利用するつもりだったのだろう。しかし、潜伏して機会を待っていた同志たちによって私は助け出され、我がガリアが危機にあると聞いて飛んできたのだ!」

「し、しかし、まさか……」

「信じられないのも無理はない。ならばこの身を好きに調べてみるがよい。私は逃げも隠れもしない」

 そう告げるオルレアン公に、司令官は軍医の水のメイジを呼び出して、あの男を調べよと命じた。

 命令されたひげ面の老齢の軍医は護衛の兵に付き添われて船に上がり、オルレアン公に一礼すると、様々な魔法で彼を調べ始めた。彼は本物のオルレアン公と会ったこともあり、水のスクウェアメイジとしても名の高い人物であるため、その診断には信頼がおけた。

 ディテクトマジックや体内の水の流れなどを確認し、他人が変装している可能性を確認していく作業を、誰もが固唾を飲んで見守った。これだけの手を尽くせば、どんなに念入りに化けたとしても尻尾をつかめるはず。

 そして、軍医は最後の検査を終わると、彼の前でひざまづいて深々と頭を垂れた。

「おお、おお……本当に生きておいでだったのですね、オルレアン公」

 その言葉に、ガリア軍の将兵たちに衝撃の波が伝った。あのオルレアン公が帰ってきた、これは夢だろうか? しかし、まだ信じられないという顔をしている者たちに向かって、彼はこう告げたのだ。

「諸君、信じられないのも当然だ。だが、私は諸君らに私が正統な王位継承者である証拠を示すことができる。さあ、ガリア王国軍の諸君、『目を覚ますのだ!』」

 言葉が電光となり、その瞬間ガリア軍すべての耳から衝撃となって頭の中を駆け抜けた。

 将兵たちの脳裏にかかっていたもやが晴れ、彼らは一様にひとつの”当たり前”を思い出した。

「俺たちは、どうしてトリステインと戦争なんかしているんだ?」

 将兵たちの胸に困惑と、トリステインの町や村を蹂躙してしまった罪悪感が浮かんでくる。しかしオルレアン公は将兵たちの混乱が実体化する前に、皆に聞こえるように告げていった。

「諸君、戸惑うのももっともである。だがそれは、ジョゼフが諸君らにそうした暗示の魔法をかけて操っていたからで、諸君らに罪はない。そしてジョゼフは魔法が解かれないように、解除の手段は王家の人間の声によってのみおこなわれると設定していたのだ。しかし、王家の血を引く者はここにもいた。どうかね諸君、これでも私が本物のシャルルかと疑う者はいるか?」

 返答は、ガリア軍全体から立ち上った巨大な歓声であった。

「シャルル! シャルル!」

「オルレアン公万歳!」

 名君とうたわれたオルレアン公が生きていた。それも、悪辣な無能王を倒すために帰ってきてくれたという感動は貴族と平民の垣根を超え、歓喜と興奮となって沸き上がっていた。

 オルレアン公はしばらく歓呼の声を送るガリア軍の将兵たちに手を降って答えていたが、やがて手を下げて将兵たちを静まらせた。そして船から降りるとトリステイン軍のほうへやってきて、アンリエッタの前で深々と頭を下げて詫びた。

「お初にお目にかかります、アンリエッタ女王陛下。突然のことと、そして我が兄ジョゼフの暴挙によって貴国に多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたことを、深くお詫び申し上げます」

 それは作法に則った、一分の隙もない陳謝の礼であった。

 アンリエッタを始め、トリステインの将軍も士官も一人たりとてオルレアン公を責めることなどできなくなっている。それほどに気品に溢れた振る舞いを目の前の美々しい男は見せ、そんな彼の姿に涙を流しながら、あの二人の貴族はオルレアン公に駆け寄った。

「おお、シャルル様。生きてこうしてお会いできるとは夢のようでございます」

「この日のために、我ら一同耐え忍んでおりました。あなた様とともにジョゼフを倒し、ガリアをあるべき姿へと戻しましょうぞ」

 感涙しながら忠誠を示す二人の家臣に対して、オルレアン公は二人の肩に順に手を置くと、優しくねぎらいの言葉をかけられた。

「今日のこの日を始祖ブリミルに感謝しよう。君たちの忠誠は城いっぱいの金塊にも勝る宝である。私も諸君らのことを牢獄の中から忘れたことはなかった。私の全身全霊をもって皆の期待に応えることを約束しよう」

 まさに、王たる者の鑑と呼べる振る舞いに、それを見ていたトリステイン側からも感嘆の声が無数に流れた。

 そしてオルレアン公はあらためてアンリエッタに向き合うと、情けを乞うかのように頭を伏した。

「女王陛下、ガリアがトリステインにおこなってしまった罪は、お詫びのしようもありません。それも、兄ジョゼフの暴走を止められなかった私の罪、どうか、いかようにでもお裁きください」

「……オルレアン公シャルル殿、どうか頭をお上げください。わたしも正直、まだ気持ちを整理しきれないでいます。けれど、あのガリアの民の声を聞けば、あなたがガリアを良き方向に導ける方だということはわかります。過去に何があろうと、それで未来までも閉ざしてはいけない。そうではありませんか」

 アンリエッタは言外に、何の責任も問うつもりはないということを示していた。オルレアン公はアンリエッタに再度一礼し、青い眼差しを向けながら口を開いた。

「さすが、噂に名高いトリステインの新女王陛下。あなたのご活躍は、牢内にあっても度々耳にしておりました。女王陛下、私はこれよりこの者たちとともに、ガリアを本来のあるべき姿にしていくため、ジョゼフの元へ向かおうと思っています。その結果がどうなるかはまだわかりませんが、もしも私たちの理想が花開くことがあれば、ガリアを貴国の友好国にしていただけるでしょうか?」

「それは、つまりあなたはご自分の兄上を屠ることになってもよいとお考えなのですか?」

「できれば兄上が説得に応じてくれることを願っております。ですが、幽閉されている中で私も考えておりました。実の弟に対してこれほどの仕打ちをする兄に情けをかけることが、果たしてガリア王国の将来のためになるのかということを。最善は尽くす所存でありますが、もしも兄が譲ってくれないのであれば、私は兄を排除する覚悟を決めています」

 それが王族に生まれた人間の宿命なのだと語るオルレアン公に、アンリエッタは自分に兄弟がいなかったことは幸運だったのかどうかと自問した。もし自分に姉や妹がいて、国のためにその首を手にかけねばならないとしたら自分は耐えられるだろうか。

 王族としての責務と誇り。夫のウェールズらを通してさらに学んできたつもりであったが、まだまだ自分は未熟であったようだ。ならばこそ、目を背けるわけにはいかない。

「オルレアン公、ことはトリステイン一国にとどまるものではないため、この場で確約はできません。ですが、わたし個人としては、悪意なく手を差しのべてくる人に対しては、喜んでその手を取りたいと考えています」

「慎重なご配慮、噂通り貴女は賢明なお方らしい。私は、決まっていない未来を手形にするなど浅慮でありました。では、隣の国に住まう者同士の友情として、私がこれから差し出す手とは握手していただけるでしょうか?」

「喜んで」

 アンリエッタ女王と、次期ガリア国王であるオルレアン公は歩み寄ると、固く握手をかわした。

 その光景に、トリステインとガリアの両陣営からは空を震わせるような大歓声が鳴り響く。

「アンリエッタ女王陛下、万歳!」

「シャルル国王陛下、万歳! 万歳!」

 すでにガリアの者たちの中ではシャルルが王ということで決まっていた。ジョゼフの元々の不人気ぶりもあるが、オルレアン公がたった今見せた気品と威厳ある振る舞いがガリアの人間たちの心を捉えたのだった。

 まさに熱狂。貴族も平民も区別なく、共通の喜びを甘受し、共通の夢に思いをはせている。

 トリステインの側からも、アンリエッタとオルレアン公をたたえて万歳が繰り返されている。軍の片隅では水精霊騎士隊の少年が、ここにいないギーシュに「隊長、おれたちは歴史が動く瞬間に居合わせましたよ」と、涙ながらにつぶやいていた。

「ガリアとトリステインに、平和と栄光を」

「いいえ、平和はアルビオンにも……いえ、ハルケギニアすべてに必要なものです」

「では、ハルケギニアに平和と、新しい栄光を」

「栄光を」

 この瞬間、まだ正式にはなっていないが、トリステインとガリアの同盟が実質的に締結された。むろん、ガリア本国に残っている兵力はこの場にいるものをはるかに上回る強大さであるが、そんなものを恐れている者はこの場に誰もいなかった。

 一日も経てば、オルレアン公の生還とガリア遠征軍の離反は世界中に轟くだろう。新聞はこぞって書き立て、人々の口から口へと津々浦々にあっという間に知れ渡る。

 そうなったとき、世界は民からあっさり見放されたジョゼフを見限り、人望豊かなオルレアン公に近づくに違いない。ジョゼフ派の貴族も少なからず存在しはするけれど、ガリアの多くの国民がどちらに味方するかは火を見るより明らかだ。

 

 この日、人々は始祖の遣わした奇跡の瞬間を見たと、生涯の記憶に鮮烈に刻み込んだ。

 誰もが、これから来るオルレアン公によるガリアの解放と、ガリア国王となったオルレアン公による善政を夢見て幸福に酔いしれた。

 

 だが、希望に満ちた未来を信じる人たちの光が増す一方で、その影を追って走る者たちがいた。

 オルレアン公の復活から半日を経たガリア王国、北方地帯。リュティスから離れたそこで、トリステインを目指して急ぐ一団の姿がある。

「走れ! 一刻も早く、このことを女王陛下にお知らせするのだ」

 馬車の車軸が吹っ飛びそうなほど馬を走らせて、ミシェルたちの一行は必死に来た道を戻っていた。

 もはや、関所がどうだなど関係はない。第一、関所の軍隊や役人もオルレアン公帰還の報で仕事どころではなくなっている。まさに、オルレアン公という人物はただの一人でガリアを根底から揺さぶるほどの衝撃をガリア国民に与えたのだ。

 それほどの人物がかつてガリアにいたということには、ある意味羨望を禁じ得ない。いつの世も、大衆が望むのは有能な統治者である。ミシェルたちは今のガリアを見て、現国王がそこまでの暴君だとは思わなかったが、それだけかつてのオルレアン公は民衆の期待値が大きかったのだろう。

 ただし、それも本当に死んだはずの人間が帰ってきたなどということが起こったらの話だ。地下カジノでゴドラ星人からジョゼフの恐るべき計画を聞いたミシェルたちは、なかば強奪ぎみに馬車を手に入れるとリュティスを飛び出してきた。

「くそっ、遅い。もっと速くできないのか」

 ミシェルは額に汗をにじませながら吐き捨てた。空飛ぶ乗り物は軍隊に抑えられている。伝書鳩系の動物連絡もパンク状態の上に、使えたとしても確実性がない。自分たちで直接伝えるしかないのだ。

 しかし、十数人を乗せた馬車は重い。考えてみればリュティスに継続調査要員として半数くらい残せばよかったが、焦っていて思いつかなかった。

「いやああ! 私はもう無関係でしょ、おーろーしーてえぇぇ!」

「うるっさいわね。もうここまで来たら乗りかかった船でしょヴァレリー! あなたもトリステイン貴族なら国の大事に覚悟しなさい!」

 別の意味でやかましいのが二人いるが、先のこともある、何かの役に立つかもしれないから連れていたほうがいいだろう。

 行きのときの大変さを思えば、恐ろしいほど簡単に国境を越えられた。このまま走って、トリステイン軍へと飛び込んで報告する。そうしなければ……。

「女王陛下、早まらないでくださいっ」

 アニエスが一線を離れているのも痛かった。思えば、女王陛下を一人にしてしまったのが最大の失敗だったかもしれない。

 見慣れた道を駆け、山を越えていく。しかし、二つ目の峠を越えようとしたときだった。馬車の幌の中に、馬の手綱を引いていた銃士隊員の悲鳴が響いたのだ。

「きゃあぁっ!」

「どうした!?」

 悲鳴を聞き付けたミシェルはとっさに剣をとって飛び出した。すると、手綱を握っている隊員を、大きな鳥のようなものが襲っているではないか。

「このっ!」

 ミシェルは剣を振り、隊員を襲っていた鳥を斬り落とした。だが、落とした鳥の姿を見たミシェルは愕然とした。

「大丈夫か? うっ、こいつは!?」

 それは流線型の姿をした、鷺のように鋭く長いくちばしを持つ異形の鳥だった。こんな姿の鳥はハルケギニアのどこにも生息してはいない。しかし、ミシェルはこの鳥に見覚えがあった。

「まさか、うっ、あれは!」

 馬車の上を、巨大ななにかが飛びすぎていく影が通っていった。それと同時に、上空から今のと同じ鳥が無数に襲いかかってくる。

「ひっ、ひいっ!」

「だめだ止まるな! 駆け抜けろ!」

 怯えて手綱を引きかけた隊員を叱咤し、ミシェルは杖を構えて呪文を唱えた。すると、馬車の周囲から石が宙に飛び出して、弾丸となって鳥の群れを撃ち落とした。

「や、やりました!」

「まだだ。まだ来るぞ、全員で迎撃態勢をとれ!」

 油断せずにミシェルは命じた。見上げた空には、まだ多数の怪鳥が旋回してこちらをうかがっている。

 命令を聞いて、銃士隊員たちは剣をとっていつでも飛び出せるように構え、エレオノールとヴァレリーも遅ればせながら杖を手に取った。

「なに? どうしたって言うの?」

 ヴァレリーが不安そうに尋ねてくるが、そんなの決まっている。これは敵襲だ。自分たちをこれ以上進めないための、待ち伏せに違いない。

 そして、攻撃を仕掛けてきた奴は……この肌がざわつくような悪寒、思い出したくもない。

 そのとき、太陽が黒い影で隠されて、上空に居座る巨大な影が一行の目に入ってきた。

「副長、あの怪鳥、あの怪獣は確か!」

「そうだ、アルビオンのときの。だが、あれは確かにあのとき倒されたはずだ」

 ミシェルは苦虫を噛み潰したように言った。

 今襲ってきた小型の怪鳥をそのまま巨大化させたような、細長い体と鋭いくちばしを持つ巨大怪鳥。円盤生物サタンモアだ。

 だがあの怪獣は、そう、確かにあのとき……そのときだった。サタンモアから、二度と聞きたくなかった男の声が響いたのだ。

「はっはっは、久しぶりだね、銃士隊のレディ」

「やはり、貴様か……!」

 その気取ったヒゲ面は忘れようが無かった。とっくに地位をはく奪されているグリフォン隊の衣装をきざに着込み、見下ろしてくる顔はエレオノールにも見覚えがある。

「ワルド……貴様、城の地下牢に幽閉されていたはず!」

「あいにく、親切な人に助け出してもらえてね。こうして、恨み重なる君たちに復讐する機会をもらえたというわけさ」

 ワルドはサタンモアの背で高笑いしながら杖を振り下ろした。

 因縁と呼ぶにはあまりにも陰湿なワルドとの戦いがまたも始まる。不愉快極まりないが、奴を切り抜けなくてはこの先へは進めないようだ。

 憎悪に燃えた眼差しで見下ろしてくるワルド。しかしエレオノールは、ワルドは昔からいけすかない男ではあったけれど、あんなに復讐に燃えるような感情的な男だったかしらと、わずかな違和感を覚えていた。

 けれど、ワルドなどに時間を取られているわけにはいかぬ。ミシェルは、ワルドを忌々しく見上げていた目を街道の行く先へ向けると、まだ長い道のりに焦燥を込めてつぶやいた。

「女王陛下、どうか我々が行くまでは……そのオルレアン公は、そのオルレアン公は……」

 

 

 続く


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