ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第33話  黒よりも黒きもの

 第33話

 黒よりも黒きもの

 

 異次元獣 スペクター 登場!

 

 

 リュティスの街を見下ろす巨大すぎる怪獣ハイパーゼットン。

 あれが本格的に動き出せば、ガリアを、いやハルケギニア全土を灰に変えてしまうこともたやすいことだろう。

 それを防ぐために、才人とルイズたちはすべての黒幕であるバット星人グラシエとの戦いを始めた。

 だが、グラシエはなにも心配することなどないと言う風にほくそ笑む。

「ウフフフ、いいですねえ一生懸命に頑張る人間というのは。自分のやることが明るい未来につながるんだと疑っていませんから」

 才人とルイズの攻撃を、わかっているかのようにかわしながらグラシエはハイパーゼットンを見上げる。

 確かに今のハイパーゼットンは未完成だ。巨大なエネルギーを内包してはいるが、周囲にビームを放つ程度が精一杯で、そのエネルギーを効率よく使う術を持たない繭でしかない。

「我々のこれからの課題は、いかにしてハイパーゼットンをコクーンから次の形態に進化させるか。それに必要なきっかけを見つけることでした。なにせ、これだけのエネルギーを秘めた怪獣にさらなる形を与えるためには並ではない刺激が必要になりますから。でも、それももうすぐ手に入りますよ。もうすぐね」

 もう誰にも止められない。計画は最終段階に入って、後は待つだけ。

 まあせいぜい楽しんでください。やがて全宇宙を滅亡へと導くであろう究極の邪神の実験台になれるとは、この上ない栄誉でありますよ。

 

 

 果たしてグラシエの待つ最後のきっかけとはなんなのであろうか? 邪悪な企みを知らぬまま、鏡の世界でジョゼフはシャルルを守るために怪獣スペクターへと立ち向かおうとしていた。

『エクスプロージョン!』

 ジョゼフの唱えた虚無の魔法が爆発でスペクターを揺るがす。しかしスペクターはさしたるダメージも見せずにのしのしと進撃を続けてくる。

「ちっ、このくらいで倒せたら苦労はしないか。硬い奴だ」

 ジョゼフは毒ずいた。今のエクスプロージョンは、単純な破壊力で言うならタバサでも苦戦するような大型のドラゴンでも倒せるくらいの威力があったはずで、ジョゼフも多少の自信を込めて放っていた。

 けれど、スペクターは全身が鏡になっているような外見どおり硬い体を持っている。かつては戦闘機マッキー二号のミサイル攻撃にも動じず暴れ続けていたほどで、いくらエクスプロージョンが強力であってもそれだけで倒すのは困難というものだった。

 スペクターはジョゼフに近づき、手の先から青色の毒ガスを放って襲ってくる。しかしジョゼフは逃げながら尊大に叫んだ。

「こっちだ! この俺がじきじきに遊んでやる。感謝しろ」

 砂地で足をとられるとはいえ、ジョゼフはそこらの騎士がやせぎすに見えるような壮躯の持ち主だ。常人ならば足をとられてしまうような砂地でも体をしっかりと保って走っていく。

『エクスプロージョン!』

 逃げながらジョゼフは再度攻撃を仕掛けた。スペクターの頭近くで爆発が起こり、スペクターは嫌そうに頭をよじるが、やはり効いた様子はなかった。

「自信をなくすぞ。シャルルに大口を叩いたばかりだというのに、これでは兄の沽券に関わる。少しは痛いふりくらいしろ」

 ジョゼフは、つまらない演劇の大根役者に不平を述べるようにつぶやいた。なにせこちらは人生最初で最後の見せ場なのだ、悪役には主役を立ててもらわなくては困るというものだが。

 スペクターの蹴りあげた砂丘の砂が雨のように降ってくる。どうやらあちらには空気を読むつもりは無いらしい。無粋な奴は気に入らんが、そういうことなら主役自ら場を盛り上げてやらねばなるまい。

「シャルルはうまく離れたかな? む、あいつめまだあんなところでこちらを見ておるか。ならば、少し驚かせてやるとするか」

 ジョゼフは少々いたずら心をわかせた。昔とは違い、今の自分にはシャルルの知らない力がある。

 迫るスペクターに対して、ジョゼフはあろうことか立ち止まった。もちろんスペクターは構うこと無く突き進んでくる。そのあまりにも無謀なジョゼフの行動を見たシャルルは愕然として叫んだ。

「なにをしてるんだい兄さん! 怪物が、怪物が来るよ!」

 だがジョゼフは聞こえてないというふうに無防備に立ち尽くしている。そしてスペクターは足を振り上げて、ジョゼフの頭上へと勢いよく落とした。

「ああっ、何てことだ。だから言ったのにどうして」

 シャルルはジョゼフの姿が怪獣の足の下に消えて悲痛な声を漏らした。しかし、次の瞬間。

「なんだ? 誰がどうなったというのだシャルルよ」

「えっ!」

 なんと、ジョゼフの姿はスペクターのはるか後ろにあった。シャルルは当然我が目を疑って、ジョゼフがなにをしたのかと考える。

「風の偏在? い、いや、兄さんがそんな高度な。それに、いくらなんでも速すぎる」

 ジョゼフはそんなシャルルの困惑顔を眺めて愉快そうに笑った。

「どうした怪物よ。俺はここだ、ここにいるぞ」

 ジョゼフをつぶしたと思いこんでいたスペクターは、まさかの出来事に慌てて再度ジョゼフへ向かっていった。だが、ジョゼフはやはり逃げるそぶりもなくスペクターの攻撃を受けると、また忽然と姿を消してしまったのだ。

「ま、また消えた……」

 シャルルは呆然とするしかなかった。古今東西のあらゆる魔法の知識を学んできた自分の知る中でも、こんなことができる魔法は思い当たらない。いや、自分が知らない魔法があるとしたら。

「兄さんは、虚無の系統に目覚めたと言っていた。虚無の魔法なんておとぎ話と思っていたけど、まさか」

「察しがいいな、さすが俺の弟だ」

 すぐ隣から声がして、シャルルはぎょっとして振り向いた先にジョゼフはいた。ジョゼフはシャルルの驚いた顔を見て、手品の種明かしをしたくてたまらない子供のように無邪気に説明した。

「これは俺の覚えた虚無魔法のひとつでな。『加速』というが、効果は名前の通りだ。お前から消えたように見えたのは、俺がそう見えるほど速く動いた、ただそれだけのことでたいした魔法じゃない」

 軽く語るジョゼフに、シャルルはなにが大したこと無い魔法かと愕然とした。メイジの目にも止まらぬほど速く動ける魔法があるとしたら、どんなことでも自由自在になる。そんなすごい魔法を、兄さんが?

 信じられない思いをするシャルル。そんなシャルルを見て、ジョゼフは内心で「お前のその顔を、もっと早くに見れていたらなあ。そうすれば、俺たちはこんな殺風景なところで駆け回ってたりすることはなかったのに」と思った。

 確かに俺は血を吐くほどにそれが欲しかった。だが、冬になってから野菜の苗を手に入れても空しいだけだ。欲しかったものを今頃になって手に入れさせてくれる、運命の神というやつほど悪趣味で残酷な神はいるまい。

「ああそうだ。ついでに神とやらは人の不幸を『試練』という言葉で美化したがるな。ただの迷惑だというのに」

 ジョゼフがつぶやいたとき、スペクターは水晶のように白くトゲだらけの頭をジョゼフとシャルルに向けて、そこから白色の破壊光線を放ってきた。

「ちっ」

 舌打ちしたジョゼフは再び『加速』を唱える。その効果でジョゼフの時間感覚が鋭敏になり、ジョゼフから見てスペクターもシャルルも止まっているようになり、光線さえもスローに見える特別な空間にいるように感じ始めた。

 まさに神の御業としか言い様の無い魔法。虚無の魔法は物質の最たる極小の粒に影響をもたらすものだと言うが、ジョゼフの脳の働きや身体能力を司る粒の動きを一時的に超スピード化しているのだろうか。

 だが、魔法学者が見たら腰を抜かすような神技を我が物にしながらも、ジョゼフの心は重かった。ジョゼフの見下ろす前で、シャルルは彫像と化したように固まっている。今なら煮るも焼くも自分の思うがまま。今の自分の力の前ではこんなにも非力なシャルルに、自分は長年嫉妬して劣等感に苛まされていたのか。

 優越感を超えて、馬鹿馬鹿しいとさえ言えない虚しさが湧いてくる。こんなくだらない感情のために、自分は長年を苦しんできたのか? だが、このままこの場所にシャルルを置いていけばスペクターの光線をまともに食らうことになると、ジョゼフはシャルルを肩に担ぎ上げた。

「軽いな」

 ジョゼフの筋力からすれば。いや、そんなことは関係なく、肩に伝わってくる重さは小さかった。

 もちろん、自分が重いだなんて思ったりはしていない。自分が王になってやったことの重みなんて、ほとんどが他人任せの手柄だ。その意味では、王をシャルルが継ぐべきだという考えには変わりがない。シャルルならば、あの無能な大臣どもなどいなくても立派に国政を担っていけるだろう。

 そのはずなのに、心にひっかかるものがとれないのはなぜだろう……?

「このあたりでよいな」

 スペクターから十分に距離を取ったと判断したジョゼフはシャルルを下ろして加速の魔法を解いた。

「はっ、ここは……兄さんが、僕を?」

「そうだ。わかったら今度こそ離れていろ。あいつを倒せば、もしかしたら元の世界に戻れるかもしれん」

「そ、それが……こ、腰が抜けちゃって立てなくて」

「なんだ、だらしない奴だ。まあいい、震えてるならこれでも羽織ってじっとしていろ」

 ジョゼフは自分のコートをシャルルに羽織らせてやった。そのコートは王家の者が身につけるにふさわしい高級で美しいもので、そうして見ているとシャルルが王になったように見えた。

 そうだそれでいい。王冠も玉座も本来はシャルルのものになってしかるべきもの、俺には似合わないものだ。俺はシャルルが王になるための捨て石でいい。

「精神力の溜め込みだけはあるのだ。怪獣よ、お前がくたばるまで魔法を食らわせてやるぞ」

 ジョゼフは猟で鹿を見つけた時のような狂暴な笑みを浮かべた。どのみち生き延びるつもりはない。シャルルを生還させるために刺し違えるなら望むところよ。

『エクスプロージョン!』

 爆発が起こり、スペクターがひるむ。今度は腹を狙ったが、やはり効いた様子はない。

 だがジョゼフはあきらめてはいない。この世に完全なものなど存在しないのだから、弱点が見つかるまで攻撃をし続けるまでだ。

「それに、これくらいであきらめていたら、無理強いを続けてきたシャルロットにも顔向けできんしな。シャルルだけならまだしも、あいつの娘にまで負けっぱなしではかっこうがつかなさすぎるわ」

 命はいらないけれど、男の意地までは捨てたくない。かっこうつけることまでやめてしまったら、男には老いしか残らないではないか。

 スペクターはジョゼフの抵抗にいらだってか、迫り来ながら頭から破壊光線を撃ってくる。それに対してジョゼフは加速の魔法でかわし、位置を変えてはエクスプロージョンで攻撃を繰り返した。

 連鎖する爆発と暴れまわる怪獣の轟音。まだ始まってから十分と経っていないはずなのに、シャルルはまるで神々の戦いを見ているかのように呆然とそれを見つめ、圧倒され続けていた。

「すごい。あんな巨大な怪物と互角に戦ってる。兄さんが、あんなにすごかったなんて」

 目にも止まらない瞬間移動と弾道の無い爆発の組み合わせ。シンプルだが、こんな戦い方ができるメイジに勝てる者などいるまい。仮に自分が対峙したとしても、捉えようもなくかわしようもないのだ。

 虚無の魔法……あれに比べたら、自分の魔法なんて木の葉のようなものだ。シャルルの心に、例えようもない虚しさと何かが浮かんでくる。

 そう、兄さんにあんな魔法なんて……。

 シャルルは兄のコートを握りしめて思った。そのコートの中で、熱い別の何かも膨れ始めていることに気づかないまま……。

 だが、戦いは決してジョゼフの有利に進んでいるというわけではなかった。確かにジョゼフはスペクターの攻撃を食らわずに攻撃を続けている。しかし、いくら虚無の担い手とはいえ人間だからという弱点が表れてきた。

「ハァ、ハァ……ちっ、いい加減応えたフリくらいしろ。こっちはもう若くないのだぞ」

 息を切らせ、額から汗を流しながらジョゼフは愚痴をこぼした。

 もうエクスプロージョンを何発撃ち込んだかわからないのに、スペクターは弱った様子も見せない。それに対して、ジョゼフは心身ともに消耗していく一方だ。

 これは一体……? シャルルは思ったが、結論を出すのに長い時は必要としなかった。

「そうか、加速の魔法とやらは瞬間移動するわけではない。いわば、時間を止めて自分だけ動けるようにするようなものだから、長時間使うほど精神力以上に体力が失われていくんだ」

 まさしくそれが『加速』の魔法の弱点だった。ルイズの使う『テレポート』に比べれば詠唱時間が短くて細かな調整も効くが、反面移動するのはあくまで自分自身の足でなので長距離移動には向かず体力の消耗も大きい。移動の魔法としては相互互換の関係にあると言ってもいいだろう。

 このまま戦いが長引けば、いくらジョゼフが鍛え上げた壮躯の持ち主だとしても疲れはてて限界が来る。対して、スペクターはいくら動き回っても疲れる気配さえない。実はジョゼフは知らないことだが、スペクターは四十時間も動き続けて疲れないという驚異的なスタミナを持っているのだ。

 長期戦となればスペクターにかなうものはいない。ジョゼフの体力もそう長くは続かない。さしものジョゼフも、これはまずいなと焦り始めたその時だった。

『ジャベリン!』

 砂嵐の中から飛んできた氷の槍がスペクターの頭に鐘のような音を立てて命中した。スペクターはその一撃に悲鳴をあげながらのけぞり倒れる。

「あの魔法は!」

 砕けた氷柱の氷の破片を見上げながらジョゼフとシャルルは叫んだ。そして、砂嵐の中から飛び出す青い影。

「シャルロット!」

 間一髪。戦いの気配を辿って駆けつけてきたタバサが間に合ったのだった。

 タバサは場を見渡して現状を理解した。ジョゼフが父を守って必死に戦ってくれていたという現実は、一昔前なら夢想だにせず唾棄したであろうが今は違う。

「ありがとう。あとはわたしがやる」

 ジョゼフに対して礼を言うなんて、これもありえるわけがないことだった。だが、現実とは時として太陽が西から昇るよりでたらめなことが起きる。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ……」

 タバサは運命など信じない。だがもし運命の筋書きを書く神がいるとしたら、それはジョゼフ以上に殺意をもよおす相手となるだろうと確信を持っている。その苛立ちを込めて、タバサは起き上がろうとしているスペクターの鏡の体へ向けて死の吹雪を放った。

『ウィンディ・アイシクル』

 無数の鋭い氷のナイフが飛翔してスペクターの全身を切りつけた。その威力はものすごく、ジョゼフやシャルルも一瞬見とれてしまったほどだった。

 いくら強力な怪獣でもこれならば……。ジョゼフとシャルルはタバサの力のすさまじさに、驚嘆しながら思った。しかし、その淡い期待は数秒と持たなかった。スペクターは全身に貼り付いた氷を振り払うと、叫び声をあげながら全身の鏡に傷ひとつない姿を現したからだ。

「っ、なんて固い怪獣」

 タバサも、さすがに無傷でしのがれるとは思っておらず舌を巻いた。なるほど、虚無の担い手であるジョゼフが手を焼くわけだ。

 いったい、この怪獣を倒す方法はあるのか? タバサは眉をしかめた。他に使える攻撃魔法はまだある。しかし、ウィンディ・アイシクルで無傷の相手に対して、もっと強力な氷風の魔法で攻撃して仕留めきれなかったら、いくらタバサが豊富な精神力を持つと言っても息切れが怖い。

 スペクターはタバサに標的を変え、頭部の髪のような異次元水晶から破壊光線を撃ってくる。タバサはフライの魔法で飛んでかわすが、スペクターは容赦なく迫ってくる。

「考えている時間はない」

 となればあとはライトニング・クラウドのような電撃魔法か。鏡という鉱物質な相手に効く目算は低いけれど、試すしかない!

 だが、タバサの戦いを見ながらジョゼフは別のことを考えていた。

「なぜだ? 俺の虚無でもシャルロットの吹雪でもびくともしなかった奴が、不意打ちだったとしても最初のジャベリン一発でああも悲鳴をあげて倒れたのだ?」

 殺傷力ではウィンディ・アイシクルのほうが強かったはずだ。なのに奴はウィンディ・アイシクルではダメージを受けなかった。その違いはなんだ? その違いに、奴を倒すヒントがあるとジョゼフは考え、そしてスペクターの鏡のような体を見て、自分たちがここにさらわれてきたときの、鏡が砕けた光景を思い出した。

「そうかわかったぞ、俺の爆発も効かないわけだ。シャルロットよ聞け! その怪獣の体をいくら傷つけようとしても無駄だ。そいつは鏡の化け物だ、鏡を割るように固い衝撃をぶつけるしかない」

 ジョゼフの叫びにタバサもはっとした。なるほど、それならジャベリンの大きな氷塊をぶつけられたときにだけ悲鳴をあげたのも納得ができる。固いものは傷つきにくい反面、衝撃に対してはもろい。

 実際、かつてのスペクターもMACの攻撃は通用しなかったが、ウルトラマンレオの手刀ハンドスライサーの一撃でバラバラに砕かれてしまっている。鏡ゆえの長所と鏡ゆえの短所である。

 タバサは、それがわかれば奴を倒す方法もあると、助言をくれたジョゼフに小さく礼をした。本当に、ジョゼフに助けられることになるなんて、なんという皮肉だろう。しかし、味方にすればその智謀は実に頼りになる。タバサは、自分が幼いころには優しかったジョゼフを思い出して、わずかだが笑みを浮かべた。

 だが、タバサとジョゼフが怪獣に意識を奪われているうちに、シャルルの中でどす黒い何かが渦を巻き始めていた。

「ああ、シャルロット。いつの間に兄さんとそんなに仲良くなったんだい? シャルロットは、私だけのいい子なのに」

 シャルルの表情が嫉妬に歪む。それと同時に、シャルルは無意識にあるものを握りしめていた。それはシャルルの手の中でコートごしに鈍い輝きを放ち始めている。

 けれど、目の前の怪獣を倒す。それができなくては最低限の道も開けない。タバサとジョゼフは全身全霊をあげて、スペクターを倒すために意識を集中していた。

「強い衝撃を与えたら恐らくこいつは砕ける。けど、こんな巨大な怪獣を倒せるほどの衝撃なんて……」

「俺とシャルロットの精神力も、そう何発も大技には耐えられん。なんとか一撃で致命傷を与えねば」

 タバサはジルから学んだ狩人の心で、ジョゼフはシャルルと張り合ってきた悪知恵で、それぞれスペクターの攻略法を考えていた。

 強い衝撃、言うのは簡単だがミサイルすらはじき返す固さのスペクターの体を砕くくらいの衝撃となれば半端なものではダメだ。それこそウルトラマンの必殺技くらいの威力がいるものでなくてはならないが、それをこの二人は人間の身で発揮せねばならない。

 考えている間にも、スペクターは減らないスタミナで暴れまわり、飛んで逃げようとすれば破壊光線を放ってくる。並みの人間ならば集中できずに逃げ回るだけで精一杯であろうが、そんな中でもタバサとジョゼフの肝は据わっていた。

「ジャベリンをぶつけて効果があったなら、岩でもなんでも叩きつけられるものがあればいいのだが」

 見渡しても、鏡の世界はどこまで行っても砂ばかりで、スペクターにぶつけられるような固いものはどこにも見当たらなかった。

 ここはスペクターの安全地帯というわけである。ジョゼフは相手の悪辣さに愉快ささえ覚えた。転んでも石ひとつない砂地であれば、鏡の怪獣がいくら暴れても安全というわけだ。

 だが、安全地帯にいる奴には必ず隙がある。なにか固いものがあれば、そしてその固いものに怪獣をぶつけられれば勝てる。もっとも、そういうのを世間一般では『無理難題』と言い、これまでジョゼフがタバサにさんざんやらせてきたことなのだが。

「因果応報というのはロバ・アル・カリイエの言葉だったかな。まったく、悪いことはするものではないなどと、今さらになってわからせられても困るわ」

 神は本当に性悪だ。悪事の報いを受けて思いしらされるくらいなら、最初から人間が悪事を働かなくてもいいようにしてくれればいいものを。

「だがまあ、シャルロットにも叔父らしいことを一度はやっておかねば地獄の席も狭かろうな。さて、周りには砂以外になにもない。頼りになるのは俺とシャルロットの魔法だけ……ここからどうやってチェックメイトを決める? ジョゼフよ」

 かつて何度もシャルルと対局したときのように、ジョゼフは頭脳をフル回転させた。少ない手駒、短い持ち時間の中で最適手を見つけ出す。かつてはそれでもシャルルには勝てなかったものだが、今は四年の経験の積み重ねがある。これで勝てる手を打てないようなら、自分に価値は本当にないことになる。

 リミットはタバサが怪獣を食い止めていられるわずかな時間だけ。そうしている間にも、タバサは突破口を開こうと、スペクターに大技をぶつけた。

『アイス・ストーム』

 氷の竜巻がスペクターを飲み込み、その全身を凍結させた。これならさすがに……だが、スペクターの無機質な体は冷気を寄せ付けず、すぐに体中の氷を砕いて動き出してしまった。

「だめ……」

 凍結させて動きを封じる手も通じないのかとタバサは歯を食い縛らせた。いくらタバサでもそんなにあと何度も大技は使えない。だが、そのときだった。

「でかしたぞシャルロット!」

「!? ジョゼフ?」

「今のお前の一手で詰みへの筋が見えたぞ。シャルロットよ、お前が凍らせるべきはその化け物ではない。そして俺の魔法はそいつを吹き飛ばせる。あとはわかるな!」

「ええ……わかった」

 タバサは即座にジョゼフの考えを理解した。確かに、それしかこの怪獣を倒す手段はない。

 スペクターはなかなかつぶせない二匹の虫にいらだったのか、さらに激しく暴れ狂っている。この状態の奴は危険だ。だがだからこそ、最後の一撃を決めるための隙ができる。

 タバサは最大限の精神力を込めて呪文を唱える準備に入った。そのために意識を集中して動きの止まったタバサにスペクターは狙いをつけるが、その時にはタバサはすでに対策を打っていた。

「ラグーズ・ウォータル……」

 呪文を唱えるタバサへ向け、スペクターは頭を向けて破壊光線を放った。その一撃は一直線にタバサを貫き、大爆発を起こした。

 スペクターは喜び、踊っているようにステップを踏んだ。だが、ジョゼフは悠然として嘲笑いながら言った。

「バカな獣め、本物のシャルロットは後ろだ」

 そう、さっき爆破されたタバサは魔法で作られた分身だった。風の『偏在』、高等な魔法を同時に使うことは今のタバサには難しいことではないが、無駄な精神力を使わないようにし、かつ片方の魔法は最大級で発動という難しい調整のできる器用さは凡人のなせるところではない。

 偏在に気を取られてスペクターはタバサに背中を向けている。常なら魔法を叩き込む絶好のチャンスだが、タバサはあえてスペクターの周囲の砂丘へ向けて魔法を解き放った。

『アイス・ストーム!』

 氷の嵐がみるみるうちに砂丘を凍結させていく。そうだ、柔らかい砂といえども凍ってしまえば氷そのものだ。硬く固まってしまった周囲にスペクターは戸惑っている。

 しかし、スケートリンクで尻餅をつくような生易しいショックで許してやるつもりはない。ジョゼフは今こそ渾身の力を込めて魔法を放った。

『エクスプロージョン!』

 スペクターの頭上で特大の爆発が起こり、その強烈な爆風はスペクターを氷河と化した砂丘に叩きつけた。

 衝撃で、ガラスが割れるのを何百倍にしたような轟音が鳴って氷が砕けた。だがそれ以上に強烈なショックを加えられたスペクターは瞬時に全身に亀裂が走り、次の瞬間には床に落としたコップのように粉々に砕け散ったのだった。

「倒した……のか?」

 ジョゼフは自分のやったことがすぐには呑み込みきれなかった。幼い頃からシャルルと競いあっては負け、王族ゆえに他の貴族の子弟も本気になっては相手をしてくれない立場だった自分が、勝ったのか……? 怪獣を、倒したのか?

 確信の持てないジョゼフは、ふとタバサのほうを見た。すると、タバサはジョゼフに対して、杖を構えて貴族がとるべき高位の礼をジョゼフに示した。それは、タバサがジョゼフの功を認めたことの証、いまだにジョゼフに対して恨みの念が消えたわけではないけれど、一人のメイジとして正しく評価しているというそれを見て、ジョゼフはようやく自分がやったことの実感を持つことができた。

「そうか、これが達成感というものか……悪くないものだ」

 これまで陰謀や策略を成功させたことはある。だが、そうした暗い喜びとは違う、自分の手と汗で成し遂げるさわやかな心地よさ。子供のころから久しく忘れていたそれを、初めて味わうようにジョゼフはしばらくかみしめていた。

 人は自分に自信がなければ生きていけない。その、自信を得る方法は人によって様々だが、自分を褒められるようにすることが第一だ。よいことをして自分を褒められれば自分に自信を持てる。逆にどんなに悪いことで成功して悪人や愚者から賞賛されようとも、それでは自分を心から褒められないから人はどんどんすさんでゆく。ジョゼフはやっと、昔の自分が欲していたものの一端に気づくことができたのだった。

「俺はせめて、親父の肩くらい叩いてやればよかったのかもしれんな。とっくに手遅れだが、まあ最後の最後にシャルルとシャルロットを救えたからよしとするか。さて、怪獣を倒したから、元の世界へ戻れるか……?」

 そのまま元の世界に帰される様子はない。ならばと、スペクターが倒された場所を見てみると、スペクターの残骸の周りに妙に空間の歪んでいる様子が見えた。

「あれが元の世界への扉というわけか」

 わかりやすくていいとジョゼフは苦笑した。怪獣相手に大立ち回りして疲れているというのに、この上さらに謎解きなどまでさせられてはたまったものではない。

 空間の歪みにはタバサも気づいたようで、急ぐようにジョゼフをうながしてきた。

「早くして。少しずつ歪みが小さくなってきている。早くしないと、この世界に取り残されてしまうかも」

「ああ、わかっている」

 ジョゼフにしても、こんなところで死ぬのはごめんこうむりたい。シャルルが王位につくのを見届けて、大罪人として処刑台に上がって死ぬためにこれまで手を尽くしてきたのだ。

 そのシャルルはどこだ? ジョゼフが見まわして捜すと、シャルルは砂丘の一角でうずくまっていた。

「大丈夫かシャルルよ。心配はいらん、怪物はもう倒した」

「……ああ、兄さんが、倒したんだね」

「まあな。それより急がなくてはならん。立てるか? むう、仕方がないな。俺の肩に掴まれ」

 立ち上がろうとしないシャルルをジョゼフは手を貸して起こさせ、なかば無理やり背に担いで歩き出した。

 急がなくては、空間の歪みはあと何分も残っていないだろう。歪みの直前ではタバサが急ぐように促してきている。ジョゼフは足を速めた。自分もタバサもさっき精神力を一気に吐き出しすぎたおかげで、すぐに魔法を使う余力がない。だがこれなら、なんとか間に合いそうだと思ったとき、背のシャルルが話しかけてきた。

「兄さん、すごかったね。兄さんがこんなにすごいなんて、驚いたよ」

「そうだ、そうだぞ。虚無だ、伝説の虚無の系統だぞ。お前は昔、兄さんは目覚めていないだけなんだと言ってくれたが、その通りだったぞ」

「そうだよ、僕はずっと言ってたじゃないか。兄さんは本当はすごい人なんだよって」

 シャルルを背負いながらジョゼフは急いだ。こうしてシャルルと語り合える日が来るなんて、なんと喜ばしいことだろうか。しかも、シャルルからの世辞ではない賞賛まで得られている。

 このまま時が止まればいい。あるいは、このままであの日に戻れたらどんなに幸せだろうか。だが、けじめはつけねばならない、どんな理由があろうとシャルルへの償いは自分の命を持ってつけるしかない。

 走るジョゼフの前に、次元の歪みがあと少しに見えてくる。これなら余裕を持って間に合うだろうと思えたとき、背負ったシャルルが再び話しかけてきた。

「兄さん、虚無の系統だなんてすごいね。伝説の魔法まで使われたんじゃ、もう僕はとてもかなわないよ」

「なにを言うシャルルよ。魔法など抜きでも、お前はあらゆるもので俺をしのいでいたではないか」

「そうだね。でも、どんどん追いついてくる兄さんに勝ち続けるために、僕がどれだけ努力してきたかは知らないでしょう。どんなに引き離しても僕の後ろには兄さんがいたんだよ。そんな僕の気持ちがわかるかい?」

「シャルル?」

 ジョゼフはシャルルの声にピンと違和感を覚えた。シャルルは何を言おうとしている? こんなときに何を言い出すのだ?

「僕はね、生まれたときから努力するしかなかったんだ。だってそうだろ? 兄さんは兄さんだから生まれたときから王になることが決まってるけど、僕は生まれた時から兄さんの予備だ。僕が認められるには実力を示すしかないじゃないか、どんな方法を使っても」

「シャルルよ、だからか? だからあんなことにまで手を染めたというのか? 馬鹿者め……そんなことをしなくても、俺はお前こそが王にふさわしいとずっと思っていたのだ。さあ戻るぞ、ガリアに帰ればいよいよお前が国王になるのだ」

「そうだよ、僕は王様になるためにずっと努力してきたんだ。そして、王様になるためにどうすればいいのか、やっとわかったよ」

「シャル、ぐっ!? がっ!」

 答えようとしたジョゼフは、突然背中に激痛を感じて言葉を失った。視界がぐらりと歪み、全身から力が抜けて、巨躯が砂の上に崩れ落ちる。

 なにが起きた!? 体の自由がきかなくなり、ジョゼフは必死に自分がどうなったのか知ろうと試みた。

 手を背中に伸ばし、痛む個所に触れると、べったりと血がついていた。それと同時に、タバサの悲鳴が響き渡る。

「ああああ、お、お父さまぁ!」

 まるでらしくもない動揺しきったタバサの声。だがそれでジョゼフは確信した。シャルロットが、こんなに取り乱す相手など一人しかいない。そして必死に首を後ろに向けると、そこには血まみれの鏡の破片をナイフのように持って立ち尽くしているシャルルの姿があった。

「シャ、シャルル?」

「兄さんが悪いんだよ。兄さんさえいなければ、全部に優れた僕が玉座についてすべて簡単におさまっていたはずなんだ。あは、あははは、最初からこうしておけばよかったんだ!」

「シャルル、お、お前っ、シャルロットの前でこんなことを」

「はは、あははは、あはははは! 知らないよ、僕は悪くない。これがガリアのためになるからね! はははは!」

 哄笑するシャルルを見上げて、ジョゼフとタバサは愕然とした。

 シャルルがまさかこんなことを。タバサは父のあまりの凶行に思考が止まってしまって、言葉を出すことさえできずに震えながら立ち尽くしている。だが、ジョゼフはシャルルの狂気に染まった目を見上げて気づいていた。

”違う! あの残酷な目はシャルルのものではない。シャルル、何がお前に起こったというのだ!”

 シャルルの口にしたコンプレックスが本当だとしても、シャルルはこんな凶行に出るような浅はかな人間ではないはずだ。ジョゼフは苦しい息の中でシャルルを見つめた。傷は思ったより深く、気を抜くと意識が飛んでしまいそうだ。

 すると、シャルルが羽織ったジョゼフのコートの中から、オレンジ色に輝く不気味な石が取り出された。

「兄さんごめんよ。でも、まるで始祖の啓示のように僕の心に声が響くんだ。我慢するな、お前の欲しいものを手に入れろって、この石がとても気持ちよく本当の僕を呼び起こすんだよ!」

「その石は! し、しまった」

 ジョゼフは自分のうかつさを呪った。あれは、かつてエギンハイム村の事件の際に回収したムザン星人の魔石。邪悪なエネルギーが満ち、そのエネルギーを目当てにずっとジョゼフが持ち続けていたあの魔石にはジョゼフ自身の怨念もたっぷりと染みついているはず。元から善悪のこだわりを捨てているジョゼフにはほとんど影響がないから気にもしていなかったが、シャルルは魔石の邪悪さにあてられてしまったのだ。

「シャルル、それを捨てろ。お前はその石に操られている!」

「兄さん、馬鹿なことを言わないでよ。こんなに気持ちよくてすがすがしい気持ちが嘘なわけないじゃないか。ああ、兄さんさえいなければ僕の人生はバラ色だったんだ。この石がそれを気づかせてくれたんだよ」

「正気に戻れ! お前は、お前はそんなことを言う男ではない」

「兄さんに僕のなにがわかるのさ。さよならだ兄さん、とどめを刺したいけど時間がないようだから、このままこの砂漠で朽ち果てておくれ」

「待て! 待てシャルル」

 呼び止めようとしてもシャルルは聞かず、失血の多い体は立ち上がることさえできなかった。

 時空の歪みに飛び込もうとしているシャルルの前にタバサが立ちふさがる。

「お父さま、元のお父さまに返って」

「シャルロット、いけない子だ。でもお前に私が討てるかい?」

 タバサは呪文を唱えられなかった。当然だ、いかにおかしくなっていようとタバサに父を攻撃できるわけがない。

 動けないタバサにシャルルは歩み寄っていく。そこに、ジョゼフが必死の思いで叫んだ。

「シャルロット! 石だ、その石を奪え。その魔石さえ手放させれば」

「わかった!」

 タバサは承知し、杖を振り上げた。石だけを奪うくらいは、今のタバサにはそう難しい問題ではない。

 だが、魔石の影響で好戦的になったシャルルの動きはもっと早かった。

「いけない子だ。おしおきが必要だね」

 シャルルは魔石を掲げると、そこから禍々しい電光が放たれてタバサを襲った。

「あぁぁぁっ!」

「シャルロット、夢だ。父さんの長年の夢にもうすぐ手が届くんだよ」

「だ、め……そんな夢は、間違ってる」

「お前まで私の邪魔をするのか。おのれ……王の座は、王冠は僕のものだぁぁぁっ!」

 シャルルは狂ったように時空の歪みの中へと飛び込んでいった。杖に寄りかかってかろうじて立つだけのタバサは、その背中に必死に呼びかけるしかできなかった。

「だめ! 行かないでお父さま。お父さまぁーっ!」

 タバサの叫びも虚しく、シャルルの姿は時空の歪みの中へと消え、次いで歪み自体も消滅してしまった。

 

 

 シャルルは歪みを通り、現実世界へと帰還した。だがその場所は、今のシャルルにはふさわしくも残酷な場所であったのだ。

「はははは、リュティスが箱庭のように見渡せるぞ。これが今日からすべて私のものなのだ。ふははは!」

 今のリュティスにあって、リュティス全体を見渡せるような高い場所はただひとつ。そう、それはハイパーゼットンの頭の上であった。

 地上百メートル以上はある巨大怪獣の頭に乗っているシャルル。普通ならそれだけで発狂しそうなものだが、すでに狂気に呑まれてしまっているシャルルはけたたましく笑い続ける。

 そして、シャルルの登場を持って、ルイズたちをからかい続けていたグラシエの計画も完成段階に入ろうとしていた。

「フフフ、来た来た、来ましたねえ。待っていましたよこの時を!」

「何よ、何が来たっていうの! 答えなさい」

 ルイズが戦いの最中に笑いだしたグラシエへ怒鳴った。するとグラシエは実に嬉しそうに語り始めた。

「ウフフフ、ハイパーゼットンを成長させるためには強烈な感情のエネルギーが適しているのだという研究テーマまではできていたのですよ。ですが、そこまで強烈な感情は常人ではそうそう得られるものではありません。そこで、育てていたのですよ、この瞬間に爆発するように調整した人材をね」

「あなた、そのためにジョゼフ王を!」

「Win-Winの関係だと言ったでしょう? まあ、本来は王様にそうなってもらえればと思っていたのですが、これはこれでいいでしょう。では、私は仕上げがありますのでお話はまた後で」

「待て! 待ちやがれ」

 才人たちを軽くあしらってグラシエは消えた。

 練り上げた計画は貴重なデータを残し、待ちに待った最終実験段階に入る。

 ハイパーゼットンの頭部にテレポートしたグラシエ。そこではシャルルがハイパーゼットンの身体の中に吸い込まれるように取り込まれていこうとしていた。

「私のガリア……私の王国、私の王冠……私、私こそが王になる……」

 ムザン星人の魔石の光に包まれながら、シャルルはハイパーゼットンの中へと埋没していった。もはや、妄想と執念の夢うつつの中に惚けているシャルルには正気はない。だが、その執念と欲望から生まれるある感情だけは健在で、グラシエはそれを得ることのできた歓喜に打ち震えた。

「実にワンダフル! 望もうとも手に入らないものを求め続け、手に入ったとしてもそれは無価値……まったくの無から生じる、その感情こそ”虚無!”。無意味であろうとあがかずにはいられない、その強い感情こそがハイパーゼットンの成長を測るための重要なキーだったのです! 元々はジョゼフさんこそが、虚無の感情を誰より強く宿しているから協力をお願いしたかったのですが、いやはや血は争えないものです。良かったですねえシャルルさん、あなたも兄上と同じ立派な虚無の担い手だったのですよ。そして今こそあなたはガリアの王になるのです。もっとも、ガリアを滅ぼす恐怖の大王にですがね」

 シャルルの放つ底知れない虚無の感情を受けて、ハイパーゼットンは禍々しい輝きを放ちだしている。

 

 

 こんなはずでは……今や現実世界から隔絶されてしまった鏡の世界で、ジョゼフはやり場のない憤りに胸を詰まらせていた。

 俺がシャルルの本心を見抜けていなかったように、シャルルも俺のことを誤解していた。俺はシャルルのことを完全無欠な天才と思い込み、あいつが陰でしていた努力や不正を想像もできなかった。シャルルは俺みたいな奴を強敵だと思い込み、自分を偽って天才を演じながら幻と戦っていた。どちらも互いの本心に気づこうともしなかった、その結果がこれだ。

 この砂以外になにもない鏡の世界は、まさに俺とシャルルの心の中のような虚しいだけの世界だとジョゼフは思った。強く風は吹いてはいるが、ただ砂を巻き上げる以外になにも起こらない無意味な世界。

「俺の死に場所にはふさわしい……か」

 あのときこうしていればと考えるのも虚しい。俺たちはずっと自分の世界からだけ相手を見ていて、気づくことなどできようもなかった。

 背中の傷からは血があふれ、倒れ伏すジョゼフから血の気が失せていく。

 もう何分も生きてはいられまい。ジョゼフがすべてをあきらめ、目を閉じようとしたとき、彼の目の前にタバサが立っていた。

「ジョゼフ……」

「シャルロットか……ちょうどいい。お前たち親子から奪ってしまったものを返してやろうとあがいてみたが、このざまだ。俺は、どこまでも最低な兄だった。さぞ俺が憎かろう。こんなものしかないが、俺の首をとっていくがいい」

 もはやそれ以外にジョゼフに償いのできる方法は思いつかなかった。

 シャルロットの魔法にかかって無様に散る、最低な俺の人生の結末らしい。自分が生まれてきたことを神に呪い、ジョゼフは裁きの瞬間を待った。

 だが、待っても氷の刃で貫かれる感覚も風で切り裂かれる感覚も来ない。それどころか、背中の痛みが和らぐ心地よさを感じて目を向けると、そこにはなんと自分に治癒の魔法をかけているタバサの姿があったのだ。

「シャルロット? お前、なにを」

「……あなたの罪が、死んで償えるような軽いものだと思わないで」

 ジョゼフを見下ろすタバサの目には、怒りと悲しみ、だがそれにも増してジョゼフを許さないという強い決意が込められていた。

「あなたと……お父さまのために多くの人が傷ついた。あなたには、どれだけ生き恥をさらそうともその後始末をする義務がある」

「だが、俺にもはや何ができるというのだ?」

 ジョゼフにはわからなかった。しかし、タバサはその青い瞳に怒りのあまりに涙すら浮かべながら、ジョゼフの胸倉を掴まん勢いで叫んだ。

「できるできないじゃない! あなたは兄なのでしょう。兄なのに、弟が苦しんでいるのを見捨てて逃げようというの? お父さまにも非はあった。だからこそ、兄であるあなた以外に誰がその罪を叱ってあげられるというの! わたしは絶対にあなたに償わせる。だから死に逃げなんて絶対に許さない」

 タバサとは思えないほど感情をむき出しにしたその叫びは、あきらめようとしていたジョゼフの心に一点の火を灯した。

「そうか……俺は王としても人間としても最低な男だったが、最低でもまだ兄貴ではあったのだな。なるほど、弟がバカをやったときに兄貴が叱りに行くのは当然だ」

「お父さまが狂ったのは、あの魔石のせい。でも、お父さまの心に後ろ暗いものがあるままだったら、王になれてもいつかは道を踏み外していた。だからお願い……お父さまを、お父さまを救えるのは、もう、あなたしかいない」

 大粒の涙をこぼすタバサを、起き上がったジョゼフは優しく頭をなでた。タバサの治癒は強いものではなく、傷口はふさがってはいないが、こんな傷よりも何倍もタバサの心は痛いはずだ。

 自分たちは世界で一番愚かな兄弟だ。だが、このままでは終われない。兄として、まだできることがあるのならば。そしてタバサへの償いのために。

「わかったぞシャルロット。ともに行こう、シャルルのもとへ。そして思いきりシャルルをひっぱたいて、ごめんなさいと言わせてやろう。ああ愉快だ、シャルルを叱りつけるなどという、こんな愉快なことがあるとは知らなかった。だが、いっしょに俺もあいつに謝ろう。シャルロットよ、見届けてくれるか?」

 タバサがうなづくのを見て、ジョゼフは杖を構えた。

 待っていろシャルル、王の座などもうどうでもよい。ただ一人の兄として、俺はお前に会いに行く。

 

 

 続く


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