第58話
彼氏は誰だ?
吸血植物 ケロニア
砂地獄怪獣 サイゴ 登場!
ハルケギニアの夜は暗いが、空は明るく澄み渡っている。
この物語は、あのハイパーゼットンが倒された日の夜に、三つの流星が東から西に空を流れた。その一週間後から始まる。
「みんな、今回の仕事はとても大変でご苦労だったね。でも、君たちのおかげで僕らの理想にぐっと近づいた。今日はささやかだが前祝の席だ、思い思いに楽しんでくれ」
ある町外れにあるひなびた屋敷で、元素の兄弟の長男ダミアンが弟と妹たちを前にしてグラスを上げた。
ここは傭兵である彼ら元素の兄弟のいくつもあるアジトのひとつ。ガリアの動乱に参加して、イザベラの護衛に奮戦した彼らはイザベラとタバサの即位を見届けると、仕事は完了したと手を引いた。
その後、彼らはタバサに契約料として譲り受けた書類の住所に従い、あるガリア貴族の邸宅であった廃城に忍び込んだ。かつてオルレアン派であったここの持ち主はオルレアン公から多額の献金を受けており、その総額20万エキューの大金に昇る。
悲しくはジョゼフの即位によって粛清に遭い、集めた大金を使う間もなく処刑場の露と消えてしまったことだが、それゆえに現金が丸々残って元素の兄弟を待っていた。
「わぁお! こんな大金、久し振りに見たよ」
隠し場所を探り当てて、ドゥドゥーが興奮して叫んだ。案の定隠し部屋に置かれていたが、貴族のやり口を熟知している彼らにとってみれば怪しい場所など手に取るようにわかる。もし金が無ければダミアンの大目玉を一身で受けるつもりだったジャックも、ほっとしたように金貨の山を手に取っていた。
「あのお姫様、いやもう女王様の見立ては確かだったようだな。しかしこれだけの大金、ここの貴族も取引材料にすれば命くらいは助かったかもしれんが、最後まで欲が勝ったわけだ。死んだらなんにもならんというのに」
金は手に入れるのに命をかける価値がある。しかし命と引き換えにしてもいい価値はない。金はあの世に持っていけないのに、そこを分けられない愚か者は金を他人に盗られてもしょうがないなと、ジャックは遠慮なく全額をいただいていくことにした。
そうして彼らは大金を持ってダミアンの元に凱旋した。
勝手に仕事を受けたことについては三人とも叱りを受けたものの、前のドゥドゥーとジャネットの独断の時とは違ってちゃんと見返りを確認して行ったということで、今度は自分に確認をとるようにと念を押されて許された。
そうして、終戦から早くも1週間。彼ら自身もあれやこれやの面倒な後始末を終えて、大切な家族の時間を満喫していた。
傭兵集団元素の兄弟……十歳くらいの小柄な金髪の少年にしか見えないが、その目の輝きの異様さは子供のものではない長男ダミアン。顔にタトゥーを施した筋骨隆々の大男で、しかし理知的な落ち着きをまとう次男ジャック。細身ではあるが剣と魔法を振るって数々の敵を屠ってきた残忍な騎士メイジのドゥドゥーが三男。そして、紅一点の紫色の髪を持つ末娘のジャネット。
その仕事ぶりの狡猾さと手加減の無さから同業者からも恐れられているが、仕事を離れてプライベートの時間では普通の兄弟のように食卓を囲んでいる。
「兄さん、目標額に届かせるには、今回の稼ぎでもまだまだかな?」
「まだまだだね。そこらの城や領地を買うならまだしも、僕たちの目標はもっと遠大だ。幸い、昨今の動乱や戦争で仕事自体は豊富にあるけれど、いつまでも続くものじゃない。先は長いよ」
「そうか。ではまだ当分はこの窮屈な仕事が続くわけか」
「兄さんたち、こんな時くらいお金の話はよしておくれよ」
ダミアンとジャックの会話にドゥドゥーが抗議している。そんなドゥドゥーに、ジャックがお前ももっと自覚を持って仕事をしろと説教を仕返しながらも、家族の晩餐は和やかに進んだ。
「それでドゥドゥー、俺たちが預金や換金だので忙しい間、なにかめぼしい儲け話の情報はなかったか?」
「ないねえ。呆れかえるくらい平和な町だよ。ちょっとでも噂になってる話は、気がついたら知らないところに立ってたとか、家畜の牛や豚が最近元気がないとか、酔っ払いが空飛ぶ皿を見たとかとか、そんなのだけだよ」
休養するならともかく傭兵向きの町じゃないよとぼやくドゥドゥー。とはいえ兄弟で一番血の気の多いドゥドゥーも前回の戦いでは大変な目にあったので、まだ働きたくないと暗に言っていた。
そんな折に、ふとジャネットの食があまり進んでいないのを見て、ダミアンが声をかけた。
「どうしたんだいジャネット? 今夜のスープは、あまり君の好みに合わなかったかい」
「ああ、いいえ。ちょっと考え事をしていましたの」
「考え事? 君の”趣味”に関する事なら僕は何も言う気はないけれど、もし違うなら兄として相談されるのもやぶさかではないよ」
ダミアンが無邪気な子供のような表情でそう言うと、ジャネットは少し考えてから答えた。
「では、お兄様。男性の方って、どんなものを贈られると喜びますの?」
「ん?」
その瞬間、雑談をしていたジャックとドゥドゥーも含めて部屋の空気が凍った。しかしダミアンは、努めて平静を装いながらジャネットに尋ね返した。
「ごめんよ、よく聞き取れなかった。もう一度、ゆっくり頼む」
「実は、ある方に贈り物をしたくて悩んでいるの。お兄様でしたら、どんなものを贈られたら嬉しいかしら」
「……ふむ、そういうときは、贈り物で値踏みをするような相手はたいしたことがないから気にする必要はないね。君が思いつく範囲で手ごろなものならなんでもいいよ。そ、それより、いったい誰に贈るつもりなんだい?」
「それは秘密ですわ。ではお兄様たち、わたくしはもう眠いので今日はお先します」
そう言ってジャネットは退席していき、足音が遠ざかっていくのを聞きながら兄三人は呆然と固まっていた。
そして遠くのジャネットの寝室のドアが閉まる音を確認すると同時に、三人の兄は血相を変えて集合した。
「い、いいい、今の聞いたかいダミアン兄さんジャック兄さん!」
「……落ち着け、落ち着くんだ二人とも」
「これが落ち着いていられるかよダミアン兄さん。ジャネットが、あのジャネットがだぞ」
「ああ、ジャネットが……ジャネットが」
「「「ジャネットが色気ずいた!?」」」
天地がひっくり返ったような衝撃を受けてうろたえる兄たち。彼らは深呼吸をしてなんとか気を落ち着かせると、自分にも言い聞かせるように話し始めた。
「ジャネットが……いや、色気ずいているのは前からか。しかし、若い女にしか興味が無かった”あの”ジャネットが。ドゥドゥー、心当たりはあるか?」
「あるわけないだろ。男なんてみんなカカシにしか見えてないあのジャネットが男に色目を使ったらすぐわかるって……あ、でも、ここ数日あいつちょくちょく出かけてるし、もしかしたら」
「それを早く言え! ともかくだ。これは大変なことですよダミアン兄さん。もしも俺たちの仕事に影響が出るようなことがあれば」
ジャックとドゥドゥーに視線を向けられて、ダミアンは椅子にゆったりと腰かけると、子供のような顔に穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「落ち着くんだ二人とも。二人の気持ちはよくわかる。だがね、我らの夢や仕事に関することならまだしも、君たちのプライベートに干渉する権利は僕にはないよ。そもそも僕らはみんなもう子供じゃない。それぞれ自分で考えて動ける立派な大人なんだ。もしジャネットが自分で選んで伴侶を決めたというなら、祝福こそすれ邪魔する権利はない。素晴らしいじゃないか、あの嫁の貰い手なんか世界中にいないと思っていたような……まあ思い出してみたまえよ、昔からやんちゃで手のかかってきたジャネットが独り立ちなんて夢みたいだ。だが相手の男性はいったいどんななのか? あのジャネットが選んだわけなんだから並の男性なわけがないから安心なんだが兄としてはやはり万一の事態を考えて、つまりこれは干渉ではなく家族としての義務として相手を抹殺、いや確認する必要があるという結論にならざるを」
「いやまず兄さんが落ち着いてくれ!」
「ダミアン兄さんがこんなに動揺してるの初めて見たよ」
らしくなく長文が止まらないダミアンを慌てながら止めようとするジャックと、あっけにとられるドゥドゥー。
こうして三兄弟は眠れない夜を過ごすはめになった。
そして翌日……。
「ではお兄様たち、出かけてきますわ」
数日前から決めていたとおり、この日は仕事を入れない休息日となっていたので、ジャネットはさっさと出かけていった。
いつもの元素の兄弟ならば、プライベートで兄弟の誰がどこで何をしていようと干渉しないのが暗黙のルールだ。しかし、今回は違っていた。
町を行くジャネットをこっそりつける三人の影。
「こちらジョーカー、オズワルド応答せよ、オズワルド応答せよ」
「こちらオズワルド。ブラックキャットは我々の前方三十メイルを移動中。ダブルス、オーヴァー?」
「あー、こちらダブルス。今のところ目標に気づかれた様子はないよ。このまま追跡を続けます……はぁ、なにやってんのかな、ぼくたちは?」
物陰に隠れてジャネットをつけながら、ドゥドゥーがうんざりしたようにつぶやいた。
結局、ジャネットの相手が気になって後をつけて確かめることにした兄たちであった。まあそれはいい、尾行は闇社会の傭兵の自分たちにはよくある仕事のうちだ。しかしドゥドゥーが困惑したのは、今回に限って妙なコードネームが割り振られたことだった。
「ジャッ……オズワルドどうぞ。なんでこんなややこしいことしなきゃいけないんだい?」
「そりゃあ、ジャ……ブラックキャットの彼氏を狙ってるなんて万一にもバレるわけにはいかないからだろよ。ジョーカーには深い考えがある」
「絶対に動転してるだけだと思うけど。ところで何の意味があるのかな、このコードネーム」
「さあ、なにかの”なぞなぞ”なんじゃないか」
ダミアンが動転してるというのは、口には出さないがジャックも同感だった。厳格で超越的な振る舞いを絶やさないダミアンだが、次男のジャックは知っている。ダミアンが元素の兄弟という家族の長としていかに心を砕いて、皆の心配をしているかということを。
ジャックはちらりと後ろを振り向いた。五十メイルばかり離れてダミアンもついてきている。彼らの魔法の技量なら、このくらいの距離なら声を拾って会話できる。ジャネットの尾行は自分だけで十分だとジャックが止めても、ダミアンは聞かなかった。もっとも、コードネームの意味がわからないのは関係ないが。
(ダミアン兄さんがジョーカーでジャネットがブラックキャットなのはわかる。だが俺のオズワルドとドゥドゥーのダブルスは何だ?)
と、考えている間にブラックキャット……ジャネットは先に行ってしまう。ジャックたちは急いで後を追っていった。
「ダブルスよりオズワルドへ、ターゲットは現在高台の果樹園に向かっている模様、どうぞ」
「果樹園? ワインでも土産にするつもりか?」
ハルケギニアでは平民貴族を問わずにワインが主な飲料のため、果樹園を営んで町の足しにしていたり、タルブのようにワインまで自作して名産にしている所も少なくない。
この町もその類で、高地に作られた果樹園の近くでは醸造所と並列した売店が旅人にちょっとした人気となっている。
普段のジャネットなら、立ち寄ることはまずない場所のはずだがこれは怪しい。
「オズワルドよりダブルスへ。林に紛れられるとやっかいだ。見失うんじゃないぞ」
「はいはい、わかってますって」
一応真面目に役を演じるジャックとやる気のない返事をするドゥドゥー。
「オズワルドにダブルス。そのまま追跡を続行、必ずブラックキャットは目標の男と接触するはずだ。絶対に逃すな」
ダミアンは逸る気持ちを押さえつつ、ジャネットに気づかれないギリギリの距離を保って尾行を継続させた。
ジャネットが……あのジャネットが男と? 冷静になれと自分に言い聞かせても不安が無限に湧いてきて止まらない。どんな大貴族と交渉しても、死地に何度立ってもスリルこそあれ恐怖など無かったのに。
大丈夫だ、ジャネットももう子供ではない。男に騙されるなんて万に一つもあるはずがない。それを確かめればいいだけだ。
ダミアンも、ジャックたちに追いつこうと、フードで身を隠した姿を路地の影から翻らせた。だがその瞬間、ダミアンは背中に視線を感じて振り返った。
「……!」
そこには誰もいなかった。敏感に研ぎ澄まされた彼の敵を察知する感覚を駆使しても、気配を感じ取ることはできないほどに。
「気のせいか? いや」
錯覚だと侮ったら戦場では破滅する。では誰が? だが考えようとした所で、ドゥドゥーの声が彼を引き戻した。
「ダブルスよりジョーカーへ。これ以上離されたら見失っちゃうよ」
「わかった」
探っている時間は無い。ダミアンは切り替えて、ドゥドゥーたちを追っていった。
だがダミアンの勘は間違ってはいなかった。ダミアンたちの後ろ姿を、目深にマントを被った男が無言で見送っていたのだ。
ジャネットは町中を離れて、町に隣接している丘に作られている果樹園へとやってきた。
丘の斜面に沿って、ブドウだけでなくリンゴやオレンジなどの果実の木が規則正しく植えられている。その枝っぷりの立派さを見れば、この町を領有する貴族がなかなかのやり手なのがすぐに察せられた。
(こんな時でもなければ、用心棒でも暗殺者でも売り込むところだが……)
傭兵としての本能が金の匂いを嗅ぎ取るが、そんな場合ではない。
木々の間を隠れながら、三人の兄弟はジャネットを追って丘を登っていく。途中すれ違った人たちが振り返って二度見していくが、彼らの眼中には入っていない。
やがて、丘の中腹に備えられた醸造所に隣接した売店の中にジャネットは入っていった。上質で安価なワインは貴族平民問わずに良い贈り物になるため、近辺には何人もの人間がいて、誰がジャネットの目当ての相手だかわからない。
三人の兄弟は売店の外の物陰に身を潜めて、殺気を隠しながら待った。
「なるほど、ここなら待ち合わせの場所には最適だな。おっ、出てきたようだよ」
売店の扉が開いて、中からジャネットといっしょに緑色の髪をした端正な青年が現れた。
その男を見て、ジャックやドゥドゥーはほうとため息をつく。確かに貴族でもなかなか見ないような美青年である。あれならジャネットが惹かれるのもうなづける……そう感じたジャックはダミアンに指示を受けようと振り返ったが。
「どうします? あれがジャネットの彼氏らし、うおっ!」
「ぬ、ぐぐぐ……お、の、クソコウモリ野郎!」
鬼神、悪鬼、そうとでも言わなければ表現できないくらいの憎悪に満ち溢れた表情に歪ませたダミアンがそこにいた。
「に、兄さん、おち、落ち着いて」
「落ち着く? 僕はしごく冷静さ。ジャネットもなかなか見る目があるね。さすが僕らの妹だ。誇らしさこそあれ、怒りなんてないよ」
まるで絵本のページを逆にめくるように、ダミアンの表情は元に戻っていた。
ほっとするジャック。歩いていくジャネットたちが視界の端に映ると、改めてダミアンに尋ねた。
「ど、どうします? 踏み込みますか?」
「……いや、もう少し様子を見よう。軽率な判断は禁物だ。それでいいね二人とも」
「了解……」
「わかったよ。はーん、それにしてもあれがぼくの未来の弟かぁ、あいでっ! なんでぶつんだよぉ?」
たんこぶを作らされて涙目のドゥドゥーに、ジャックはため息をつきながら言った。
「一言多いんだよお前は……」
そしてジャネットたちを追って、三人は再び尾行を始めた。
果樹園は一般向けに散策コースも設けられており、ここを統治する貴族の先見性が……いや、今はどうでもいい。
ジャネットと青年は本当の恋人のように仲良さげに歩いていく。その後ろから、ものすごく怪しい集団が続いていた。
「オズワルドよりジョーカーへ、ブラックキャットは前方二十メイルを移動中。監視を続けます」
「まだそれ続けるの? ほんとジャック兄さんは変なとこで真面目なんだから。おっ、何か話し始めた様子。えーと、なになに」
聴覚強化の魔法の感度を上げると、二人の会話が兄弟たちの耳にも聞こえてきた。
「今日がよく晴れた日でよかったですわ。貴方の髪の緑に、明るい日差しはよく映えますわ」
「ありがとう。ここはいい土地です。温暖で水も豊富で、心が洗われます。ですが、強い日差しは貴女にはよくないかもしれません、ささやかですがこれを」
そう言うと、青年は傍らに抱えていた傘を差しだした。ジャネットが受け取って開くと、それは黒いこ洒落た日傘で、影がちょうどよくジャネットを包み込み、ジャネットは青年に笑みを返した。
「ありがとうございます。すてきな贈り物ですわ」
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
そのやり取りを見て、ジャックとドゥドゥーは「いきなり贈り物とはやるな」「しかも気が利いてるねえ」と、感心した。もっとも半瞬後のダミアンの無言の殺気に気づいたのはジャックだけであったが。
日傘を差したジャネットと仲よさげに歩いていく青年の姿は、本当に恋人のように見えた。戦争が終わって、散策道は他にも旅人や老夫婦などが通り過ぎてゆき、すれ違いながら挨拶をかわすジャネットはとても傭兵には見えない。
後ろ以外は平和な中で、ジャネットと青年の会話ははずむ。
「わたくし、お兄様たちと世界のあちこちを旅してまいりました。ですが貴方と会えて、まだ知らない世界があると知れたのは大きな喜びです。もっと、貴方のお国のお話を聞かせていただけませんか」
「私の国は、よいところでした。自然豊かで、食べ物も豊富で、我々の一族はそこで争いなく暮らしていました」
「素晴らしいところですわ。ですが、人が争いなく過ごし続けることなんて、できるのですか?」
「我々の先祖からの教えです。人のものを欲しがるのは心が卑しい証拠だ、卑しい心では決して大事なものは手に入れることはできないと。我々はずっとその教えを守ってきたのです」
「……わたしたちには難しいことですね。少なくとも、わたくしには真似できそうもありませんわ」
ジャネットは自嘲気に答えた。それを聞いていた三人の兄弟も苦笑いか忌々し気に頬を歪めるかの違いこそあれ、同じような反応をした。彼らは傭兵、誰かの物、誰かの財産、誰かの命を奪うことで糧を得てきた者たちだ。そんな聖者のような生き方の対極にあると言っていいだろう。
しかし青年は微笑して言った。
「いきなりできるようになれとは言いません。ただ、何かをしようとするたびにそれを思い出していただければ、何かを欲しがらなくても自分は満たされているんだと気づける日が来るでしょう」
「まるで神父様のようなことをお言いになられますわね。ですが、奪われる立場になってもそう思っていられますこと?」
「難しいですね。奪われるくらいなら奪う側になれというのも道ですが、それをやってしまうと、もう救われない身になってしまうように思えるのです」
「あら、それならわたくしは地獄行き確定ですわね。フフ、まあわたしは誰かを救いたいとも救われたいとも思ってはいませんわ。欲しくなったお人形は手に入れてきましたもの」
小悪魔的な笑いをこぼすジャネットに、ドゥドゥーやジャックは「素を出すの早すぎだろ」と引いていた。あれじゃ相手の男もドン引きして……と思いきや。
「うらやましいと思います。自分の力で欲しいものを手に入れる、そんな力がある貴女を」
「あら? 貴方の良識からしたらわたくしは対極なのではありませんの?」
「その場に居合わせたなら止めるでしょう。ですが、貴女が生きてきた道を否定する権利はありません。道がぶつかり合うなら私も引きませんが、あえて火種を作る必要はないでしょう。あ、小難しいとお思いですなら、同じ家の中で頑固なカミナリ親父と温和なお袋が同居してても誰もおかしくは思わないでしょう?」
「ぷっ、うふふ、そんな砕けたお話もできますのね。貴方のお国のお話、もっと聞きたくなりましたわ」
青年が思いもよらぬ形で衝突を避けたので、ジャックとドゥドゥーは感心して息を吐いた。
「あのジャネットに合わせられるとは、なんて心の広い奴だ。あなどれんな」
「ぼくもああいう理解のある人が兄になってくれると嬉しいねえ。ジャック兄さんもああすればモテるのに、いだっ! ぐえっ!」
「二言多かったなドゥドゥー……」
兄二人にどつかれてたんこぶを二つ追加する羽目になったドゥドゥーが糸目から涙を流すのを、ジャックはげんこつを握りしめながらげんなりして見下ろしていた。
ブドウの木立に隠れながら、子供と大男と涙目の少年がこそこそと進んでいく。そのシュールな姿はとても闇社会に恐れられた傭兵兄弟とは思えないものだったが、彼らは人生最大の緊張の渦中にいた。特に長男ダミアンはピリピリと無表情から殺気を撒き散らしており、その殺気を間近で感じざるを得ない弟二人は居心地が悪かった。
「……」
「ダミアン兄さん、まだ杖を抜くには早い。落ち着いてくれ」
こんな場所でダミアンに暴れられたら辺り一面灰燼に帰しかねない。めったに実戦には出ないが元素の兄弟の長の実力をよく知っているジャックは気が気ではなかった。
ダミアンは常人が見れば齢十ほどの金髪の子供に過ぎない。彼を見ればほとんどの人間は気を緩めこそすれ、警戒するものを感じることはないだろうが、タバサを見ればわかる通り魔法の実力に年齢は関係ない。増してダミアンの実年齢は見た目とは大幅に異なる。
伊達に曲者揃いの元素の兄弟をまとめ上げているわけではないのだ。そのダミアンがこうまでピリピリしていると、ちょうど真ん中のジャックなどは気が気ではない。対してのんきなのは三男のドゥドゥーで、うんざりした様子でジャックに言った。
「兄さんたち、いつまでこれやるんだい? ジャネットが誰と付き合おうとジャネットの勝手だろう。ほっておけばいいじゃないか」
「……あんなのでも、ジャネットは女の子だからな。ダミアン兄さんは心配なんだよ、悪い男に騙されやしないかって。いつかは真っ当に幸せになってほしいって思ってるんだよ」
「兄バカ……あいでっ!」
「ドゥドゥー……お前、反省する気が無いならもう黙ってろ」
「あい……」
魔法で体を固めてもダミアンのげんこつは痛かった。ジャックは呆れを通り越して哀れみを含んでドゥドゥーを見下ろしていた。
兄たちが見張る中で、ジャネットと青年は仲良さげに果樹園の散策を続けている。その中で、青年はジャネットに自分の故郷の話を続けていたが、その話にダミアンやジャックは首をかしげていた。
「……ずいぶんと平和で豊かな土地から来たと言っているね。ジャック、心当たりあるかい?」
「いいえ、そこそこ豊かな土地は知ってるつもりだが、そんな楽園みたいな土地があるとは聞いたことが無い」
少なくともトリステイン、アルビオン、ガリアに該当する場所はない。例外としてはルビティア自治領くらいだが、そこともどうも違うようだ。自分たちの知らないゲルマニアの僻地の可能性もあるが、そんないい土地があれば噂くらい聞くだろう。
胡散臭いな……ダミアンとジャックはいぶかしみ始めていた。しかし幾度も海千山千の貴族や商人を相手に取引をしてきたダミアンから見ても、嘘を言っているようには思えない。なによりジャネットも馬鹿ではない。現実離れした話かどうかくらいは聞き分けられるはずだが、相手の話を疑う様子も無い。
ダミアンとジャックは警戒心を強めていった。一方でどうでもよさげなドゥドゥーは二人の話は流し聞きで、通り過ぎていく通行人の話に耳を傾けていたが。
「また出たんだって? 緑色の化け物が?」
「ああ、馬飼いのボッシュのとこに出たんだってよ。慌てて逃げたんで、はっきりは見てないそうだけど、やっぱり、朝になったら馬どもが延びて荷車を引けなくなって困ってるってよ」
「うわあ、ここんとこ家畜のいるとこ連続じゃないか。まるで血を吸われたみたいに牛や馬が動けなくなって……まさか、吸血鬼の仕業じゃ?」
「バカ言え、吸血鬼は人間しか襲わないって言うぜ。しかし困ったもんだな。噂ってだけじゃ領主様に討伐をお願いするわけにはいかねえし」
そう言いながら通り過ぎていった村人の話を、ドゥドゥーは興味ありげに聞いていた。
(怪物ねえ。まぁ、火のないところに何とかっていうし、退屈な町だって思ってたけど少しはおもしろくなりそうじゃない。こんなことにさえなってなければなぁ……ジャネットめ)
ドゥドゥーもジャネットを大切に思っていないわけではない。むしろ歳が近い分だけ兄たちより距離感が近いから、深く考える必要が無いからである。
村が表向きは平穏なのは人間の被害者が出てないからだろうとドゥドゥーは思った。吸血鬼はハルケギニアで最悪の妖魔として恐れられている。もし一人でも被害者が出たら町全体が大騒ぎになっているはずだ。
(まあ今どきははぐれでもなければ、無暗に証拠を残していく間抜けな吸血鬼なんていないはずだけど)
少なくとも自分なら犠牲者の死体を隠すなりの配慮はする。町で聞いた噂の範疇では、行方不明者が出たという話は無かった。
これが終わったら、金にはならなくても暇つぶしに遊べるくらいにはなるかもしれない。ドゥドゥーがそう思った時、ジャックに「早く来い」と急かされて思考を中断させられた。
「ちぇっ、わかったよ」
ぶつくさ言いながらも兄の命令には逆らえないドゥドゥーはしぶしぶ尾行の再開に戻ろうとした。が、そこでジャックを手で制したのがダミアンだった。
「ダミアン兄さん? どうしたんです?」
「ちょっと気になることができた。ジャック、ジャネットから目を離さないように。すぐ戻る」
そう言い残すと、ダミアンは煙のように消えていってしまった。
「もう、ダミアン兄さんは気まぐれなんだから」
ドゥドゥーは腹を立てたが、ジャックはダミアンが仕事を途中で放り出すような真似をするとは思えず、顔には出さなくとも”何かが起きた”と察して緊張を高めていた。
(おいおい、ただでさえ面倒くさいところだっていうのに。これ以上まだ何か起こるのか? 勘弁してくれ)
仕事上のトラブルなら望むところだが、金にもならないことで振り回されちゃたまらない。
ともかく、こっちを早く終わらせてしまわないととジャックは思った。いいかげんにジャネットのデートも区切りがつく頃だろう。それで、あらためてダミアン兄さんと今後のことを相談しよう。
飽きっぽいジャネットのことだ。同じところでいつまでも話し続けることはないだろう。ジャネットの交際を認めるかどうかについては、それからでも遅くない。
ジャックは腹を決めると、ドゥドゥーを促して尾行を続行しようとした。だがそのとたん、二人の耳に信じられない言葉が飛び込んできた。
「ミス・ジャネット、貴女とお話するのはとても楽しい。このようなよいところで貴女のような人と出会えたのは、大いなる意志のお導きでしょう」
青年のその言葉に、ドゥドゥーとジャックの表情が一瞬で引き締まった。
大いなる意志、それはエルフや翼人などの亜人種が信仰する存在で、普通の人間は名前さえ知らないはずだ。やはり、あの青年はただの人間ではない。ドゥドゥーとジャックが警戒心を持って杖に手をかけた時、それまで精悍に歩いていた青年がよろめいた。
「うっ、ああっ……」
「もし、お体がよろしくないのですか?」
「いえ、違います。ずっと耐えてきましたが、私もそろそろ限界のようです……」
「わかりました。こちらへいらしてください」
「いいえ、そんなことをするわけにはいきません……」
「そうもいかないでしょう。わたくしなら大丈夫ですから、早くどうぞ」
体調を崩したらしい青年の肩を支えながらジャネットが道を逸れていくと、ドゥドゥーとジャックは急いで後を追おうと走り出した。だが、数歩もしないうちに少し離れた木々の間から爆音が聞こえてきて、二人はそれがダミアンの魔法によるものだと察して顔を見合わせた。
「ダミアン兄さん、なにやってるんだよ!」
「ぬぅ、なにがどうなっているんだ。ともかく今はジャネットを追うぞ、来い!」
見失っては事だとジャックはドゥドゥーをうながして先を急いだ。そうしているうちにも二度目の爆発音が聞こえてブドウ園を揺るがした。
一体なにが起こっているのか? ドゥドゥーとジャックたちから少し離れた場所で、ダミアンは黒いフードを被った男と対峙していた。
「僕たちの後をつけるとはやってくれたものだね。どこの差し金の者だい?」
「……」
「ノーコメントかい。ま、狙われる節なんて売るほどあるからそんなに興味ないけど、ね!」
ダミアンの放った魔法の雷がブドウの木の一本を黒焦げにした。その速さや威力はかつてのワルドのそれをゆうに超えているものだったが、相手は寸前でそれをかわしていた。
「今のをかわすとは。僕の知ってる中でそれほどの手練れがいたかな?」
それほどの人間がいれば噂くらいは耳にしたはずだとダミアンはいぶかしんだ。そして、これ以上目立つのはまずいがやむを得ないと杖を握る手に力を込めた時、相手は手のひらをこちらに向けてこう言った。
「やめろ、君たちと争う理由はない」
「なんだい? まあ悪いけど話を聞いてる暇が無くてね。まあ間が悪かったと思ってあきらめてくれ」
胸騒ぎがして弟たちの元にすぐにでも戻りたいダミアンは攻撃を続行した。いつもの冷静な彼なら相手に抗戦の意思が無いと知れば弟たちの元に戻るほうを優先して引いたかもしれないが、焦りがそれをさせなかった。
相手は説得が無理だと思ったのか、身をひるがえして避けに入った。しかしダミアンが様子見ではなく本気で殺しにかかったら風の精霊でさえかわすのは不可能であろう。
ダミアンの殺気がレーダーのように相手を捉える。これで決まり……だが相手は懐から銀色の銃を取り出すと、それをダミアンに向けた。その瞬間、ダミアンの背筋に悪寒が走る。ただの銃であれば身体を鋼のようにできる元素の兄弟の脅威ではないが、彼は本能的に脅威を感じてその場を飛びのいた。
男の銃が火を噴く。次いでダミアンのいた場所で爆発が起こり、道の石畳が吹き飛ばされた。
「なんて威力だい、まるで大砲じゃないか。怪獣でも撃とうっていうのか、あの銃は」
度肝を抜かれたダミアンは頭を冷やされた。いくらなんでもあんなもので撃たれたら自分でもただではすまない。
だが相手は二発目を撃ってこようとはせず、ダミアンにこう言った。
「こうしている暇はない。君の兄妹に危機が迫っているかもしれないんだ」
「なんだと……?」
困惑するダミアン。だが、彼にとって大切なものは最初から決まっていた。
そのころ、ジャックとドゥドゥーは必死でジャネットを追っていた。状況はまったく整理できないが、なにか普通でない事が妹に起きているという予感が二人を急がせていた。
ジャネットと青年が去った先を追って、ブドウ園の入り組んだ先を走る。相手がただの人間ならあっという間に追いつけるが、そこはさすがに彼らの妹だけはあって追跡者が迷うような道を通っていた。
だが体調不良の青年を抱えたままでは遠くへは行けない。さして間を置かずに二人の元に追いついた。しかし、そこでジャックとドゥドゥーの二人は信じられないものを見た。
「あ、ん……」
なんと、木に寄りかかるようにしたジャネットの首筋に青年が口をつけている。それだけでも二人は頭が真っ白になったが、ジャネットの首筋からつうっと一筋の血が流れたのを見て二人は正気に返った。
血を吸っている? 吸血鬼? ジャネットは? 操られているのか? 頭の中をそんな言葉が駆け巡っていくが、ジャックとドゥドゥーは弾かれたように飛び出していた。
「貴様ぁ!」
「ジャネットから離れろぉ」
息を合わせる間もなかった。ジャックが巨大なメイス型の杖で青年を殴り飛ばし、ドゥドゥーがジャネットをかばう。
矢も盾もたまらず妹を救うために飛び出した二人。だが次の瞬間には冷徹な傭兵の思考に戻っていた。
「やったのかい? 兄さん」
「いや、手応えがおかしかった。こいつ、人間じゃない」
ジャックがメイスを握り直して油断なく構えると、青年はゆっくりと起き上がった。並の人間なら頭蓋骨粉砕で即死しているくらいの打撃だったのに……しかも、頭を上げた青年の顔に二人は息を呑んだ。なんと、彼の顔は緑色の葉っぱを寄せ集めたような、大きく裂けた口を持つ怪人のものに変わっていたのだ。
「こ、こいつ」
「化け物め」
不気味な怪物に戦慄しながらも、杖を構えて呪文を詠唱する二人。だが緑色の怪物は手のひらを向けながら、怯えたように懇願してきた。
「待ってください! 私は貴方方の敵ではありません」
「聞く耳持たん!」
「ジャネットを傷つけて、よく言ったものだね。覚悟しろ」
ジャックもドゥドゥーも激高していて、そのまま魔法を放とうとしている。しかし魔法が放たれる寸前、二人を止めたのはジャネットだった。
「お兄様たち、お待ちください!」
「ジャネット!?」
「お前、まだ操られて!」
妹が盾になっては手が出せない。しかしジャネットは呆れたように息を吐くと、兄たちをなだめるように言った。
「落ち着いてくださいませ、お兄様たち。わたくしは正気を失っても操られてもいませんわ。まったくお兄様たちったら、仕事でもないのにレディの後を付け回すなんて失礼ですわよ」
その様子はいつものジャネットで、ジャックとドゥドゥーはあっけにとられてしまった。ジャネットは、兄たちの様子を見てだいたいを理解すると、心底呆れた様子で言った。
「はぁ、お兄様たちが何を勘違いされたのか分からなくはありませんが、わたしと彼とはそういう関係ではありませんのよ。血は安全な範囲で提供を申し出ただけで……ほんとに、もう少し詳しくお話を伺ってから紹介しようと思っていましたのに。仕方ありませんわね、わたくしたちの新しいお友達を紹介しますわ」
ジャネットが促すと、緑色の怪物はジャックとドゥドゥーに頭を下げてから、裂けた口で話し始めた
「初めまして、私たちはケロニアという種族で、ご覧の通りの植物人間です。このハルケギニアの東方にある大樹海からやってきました」
異形の怪物が丁寧な口調で話すのは違和感が激しかったが、ジャックとドゥドゥーはどうにか冷静さを取り戻すことができた。大樹海……ゲルマニアの東方で、エルフの住むサハラとの間には『未開の地』と呼ばれる荒野と森林の広がる人跡未踏の広大な危険地帯が横たわっている。
そこにはオーク鬼などの凶暴な生物がひしめいており、人間はほとんど足を踏み入れていない。住んでいるのは人間と交流のない翼人くらいで、そこに広がる樹海も当然、中のことはまったくの謎とされている。
元素の兄弟も、そこにこんな生き物が住んでいるとは知らなかった。ジャックとドゥドゥーは顔を見合わせて困惑しながらも、流暢に言葉をしゃべる怪物に対話を試みた。
「話が通じるのはわかった。だが、なぜハルケギニアにやってきた? ジャネットとはどういう関係だ?」
「我々は何千年も前から、樹海に住んできました。我々ケロニアは植物から進化した種族で、動物の血を栄養源にしています。樹海には動物も多く、食糧には不自由せず平和に暮らしてきました。ですが一か月ほど前、樹海に奴が現れたのです……」
ケロニアは悔し気にとつとつと話した。
話を要約すれば、広大な大樹海……そこにある日空から降ってきた隕石。そこから現れた宇宙怪獣は森林を枯らして砂漠に変え始めたのだ。
砂地獄怪獣サイゴ……追いかけてきていたダミアンの近くにいた男はそうつぶやいた。地球ではドキュメントSSSPに記録されている、砂漠のような荒れ果てた星に住む宇宙怪獣の一種で、非常に縄張り意識が強い性質を持っている。恐らく、樹海を自分のテリトリーにするために砂漠化させ始めたのだろう。
砂漠では植物人間のケロニアは生きていけない。ケロニアたちは住処を守るために戦った。しかし、乾燥した砂漠をホームグラウンドにするサイゴはケロニアにとって相性最悪の天敵と言ってよく、立ち向かっても体の水分を抜かれて枯れ木のようにされるばかりでまったく歯が立たずに敗走を繰り返した。
そうしているうちに樹海はどんどんと砂漠に変えられていき、住処を無くしたケロニアたちはやむを得ずハルケギニアに逃げ出し始めたのだった。
「今でも樹海では我々の同胞が必死の抵抗を続けていますが、それもいつまで持つかわかりません。我々は幸い、人間に姿を変えられる力を持っていたので、脱出した者たちは人間に溶け込んでなんとか隠れ住んでいます。しかし、血を吸えない飢えだけはどうしようもなく、家畜の馬や牛の血をこっそりと吸うことでしのいでいました。ミス・ジャネットとは、馬の血を吸っているときに目撃されたのをきっかけに知り合いました」
「噂になってる家畜の吸血事件はお前たちの仕業だったのか。だが怪しいな、人間に化けてこっそりとハルケギニアでよからぬことを目論んでるんじゃないのか?」
ジャックは傭兵の勘ですぐには信用しなかった。実際、自分のメイスで思いきりぶん殴られても平気なこいつらなら、並みの吸血鬼よりも恐ろしいこともできるはずだ。
だがケロニアは大きく首を横に振ると、真剣な声で否定した。
「そんなことは絶対にしません! いえ、確かに我々ケロニアは数千年前に愚かしい野心を抱いて外の世界への侵略を試みました。ですが、サハラのエルフとの戦いで大敗し、我々は滅亡寸前まで追い詰められました。しかしエルフたちは我々を許し、大いなる意志への信仰を教えてくれたのです。それから数千年、我々は樹海から出ずに大いなる意志の下で「知恵あるものの血は吸わない」ことを掟として平和に生きてきたのです」
その懸命な訴えは警戒していたジャックやドゥドゥーも一瞬気圧されるほどであった。
そしてジャネットも兄たちの前に立ってケロニアを擁護した。
「彼の言っていることは信用に値すると思いますわ。彼と会ってからこれまで、わたしがどんなに隙を見せても彼はわたしを襲おうとはしませんでした。彼は紳士だと、わたしが保証しますわよ」
相手が普通の男であればダミアンが激高しそうなほどの親しさをケロニアに向けるジャネット。異様な光景にドゥドゥーは返す言葉を失って見るからにうろたえているが、ジャックは努めて冷静さを保ちながら話を続けた。
「ず、ずいぶんジャネットと仲良くなったようだな」
「ええ、ミス・ジャネットには大変お世話になりました。人間の世界のことは何もわからなかった私たちに、丁寧に手取り足取りいろいろなことを教えてくださいました。本当に優しくておしとやかで、ミス・ジャネットのような素晴らしいレディを妹に持ったお兄様方が大切に思われるのもわかります」
いやいやいやいや、と、ジャックとドゥドゥーは心の中で油汗をかきながら必死に否定した。
優しい? おしとやか? レディ? ジャネットを妹として大切に思っているのは確かだが、そんな評価を他人から聞いたことはない。悪魔とか毒蜘蛛とか魔女とか、自慢じゃないがうちの妹はそっち方面なのだ。
ジャネットが猫を被っているのは間違いない。だが、何のためにそこまでするのか? ジャックは背中からのダミアンの視線に気づきつつ、ジャネットにもう一度尋ねてみた。
「あー、うむ。ジャネット、お前はずいぶんそいつの肩を持つようだが、そいつとはそういう仲じゃないんだよな?」
「だからそう言ってるじゃありませんか。わたしはまだお嫁に行くつもりはありません。彼に助力したのは、個人的に同情したのもないわけではありませんが、本質はあくまで実利優先ですわ」
「実利?」
この植物人間を助けることの何に利益があるというのか? 兄たちがわからないでいると、ジャネットは露骨にため息をついてから、両手を開いて誇らしげに語った。
「まだわからないのですか? 種族こそ違えど、この世に吸血鬼の国がすでに在るということですよ。それは、吸血鬼の国を作るというお兄様たちの夢にも大きな後押しになるではありませんの」
そう言って笑うジャネットの口元には小さな牙が覗いていた。
元素の兄弟が人間離れした力を持っている理由。それは彼らが、かつて魔法アカデミーで実験的に作られた人工吸血鬼であったからだった。そのため彼らは吸血鬼の膂力と魔法を持ち、人間のように日光の下でも平気で活動することができた。
そんな彼らであるから普通の人間として社会に溶け込むのはよしとせず、ただの妖魔と日陰者として扱われ続ける吸血鬼の解放を目指した。すなわち吸血鬼の国を作る。そしてそのためには膨大な金がかかるために、傭兵として大量の報酬を求め続けてきたのだった。
驚く兄たちにジャネットはさらに続ける。
「同胞を助け、さらに国の有り様を学べば夢の実現には一歩も二歩も近づきますわ。それなのにお兄様たちったら早とちりしまして」
「いや、それは悪かった。しかしこんなことを予測できるか? なあドゥドゥーよ」
「どんなに想像力があったって無理だよ。けどジャネット、植物吸血鬼の国は滅びかけてるんだろう? そんなのに手を貸しても面倒のほうが多いんじゃないか?」
「まあドゥドゥー兄様ったら。同胞を見捨てるような国を作っても、困ったときは誰が助けてくれるというのですか? 建国の翌年に滅亡した小国がこれまでどれだけあったかご存知ないの?」
「む……」
確かにそうだが、ジャネットに正論で反論されるとなんか釈然としない。
それに国を作るにしても自分たちにはノウハウも仲間も不足しているのは否定できない。お手本になるものがあるなら、それに越したことはないのも確かだ。
「ジャネット、まさかお前がそこまで俺たちの夢のことを真剣に考えてくれているとは思わなかったぞ」
「あら、わたしもこれでも元素の兄弟の末席としての自覚はありますわよ。それに、故郷を無くして放浪している彼らは他人には思えませんでしたので……ハルケギニアに国を再建するのは無理でも、放置された村を買い取って住んでもらうくらいはできると思いまして」
「気持ちはわかる。だが、ケロニアといったな。お前たちは察するに相当な数に上るのだろう? もし表ざたになるようなことになれば、俺たちではかばいきれんぞ。どうするつもりなんだ?」
ジャックが腕組みをしながら問いかけた。吸血植物の大群がハルケギニアに入り込んだことが知られれば、各国は恐怖して大規模な討伐隊が組まれるのは間違いない。そうなればいくら強くても一個の傭兵団に過ぎない元素の兄弟ではどうしようもない。
するとケロニアはうつむいて涙ぐむような声で答えた。
「はっきり言って、なにも計画はありません。追い詰められて、とにかく絶滅だけは免れるために我々は祖先の残したエアシップでここまで逃げてきましたが、ずっと樹海で過ごしてきた我らは外のことはほとんどわからなく、ミス・ジャネットに見つけてもらわなければどうなっていたか。できれば今すぐにでも故郷の樹海へ帰りたい……あの怪獣、あの怪獣さえいなければ……」
理不尽に故郷を奪われた悲しみと悔しさにケロニアが震えながら答えるのを、ジャックやドゥドゥー、ダミアンも無言で見守るしかなかった。
種族は違えど同じ吸血鬼の仲間、できればなんとかしてやりたい。しかし相手が怪獣となれば元素の兄弟でも打つ手がない。
だがその時だった。話をじっと聞いていた黒いフードの男がフードを脱ぎ去って整った髭を蓄えた精悍な素顔を見せた。そして彼は腰のマットシュートのホルスターを閉じると、決意を込めた声で彼らに告げた。
「ケロニアが侵略を働くのならば止めるつもりだったが、そういうことだったのか。ならば、怪獣は私が引き受けよう!」
そう言うと、彼、郷秀樹は右手を高く空へと掲げた。そして驚くケロニアと元素の兄弟の前で、彼の姿は光に包まれ、次の瞬間に見上げた彼らの前には銀色の巨人が聳え立っていた。
「ウ、ウルトラマン……!?」
銀の体に二重の赤いラインをまとった姿。そう、ウルトラマン……帰ってきたウルトラマンだ。
ウルトラマンは驚く彼らを見下ろしてゆっくりとうなづくと、空を見上げて飛び立った。
「ショワッチ!」
高度を上げたウルトラマンは東の空を目指して飛んで行く。それを見たケロニアははっとして。
「まさか……わ、私は後を追います! このあたりに私の乗ってきたエアシップが隠してありますから」
「待って、わたくしもいっしょに行きますわ」
「ジャネット! ううむ、我々も行くぞジャック、ドゥドゥー」
「むう、こうなればままよ!」
「退屈は嫌いだけど、こういうのは求めてないんだけどなあ」
それぞれの考えはあれど、元素の兄弟たちも乗せたエアシップも果樹園から浮上して飛び立った。
そして東方に何百リーグものかなた。ハルケギニアの東方の未開の地では、今まさに最後に残った樹海を守るためにケロニアたちが必死の抵抗を続けていた。
「ここを抜かれたら最後の水源地も奪われる。みんな、なんとか食い止めるんだ!」
最後まで樹海に残ったケロニアの戦士団が、砂漠を背に向かってくる砂色の四つ足怪獣を睨みつける。
砂地獄怪獣サイゴ。角ばった頭に爛々と光る目をケロニアたちに向け、真っ直ぐに向かって来る。迎え撃つケロニアたちはサイゴを引き付け、リーダーの「撃て」という合図でいっせいに目から破壊光線を撃ちはなった。
当たれば戦車さえ爆破できるケロニアの破壊光線。だが地底の生活に適応した強固なサイゴの身体にダメージを与えるまでには届かず、何発も命中するもすべて弾かれてしまった。かつてサイゴは科学特捜隊の宇宙タンクに倒されているが、これは宇宙タンクのSNKミサイルを開発したイデ隊員が天才すぎたことが大きい。
ケロニアの破壊光線をしのいだサイゴは、お返しとばかりに口を広げて猛烈な砂煙を吐き出した。一体のケロニアが砂煙を浴びて倒される。
「ぐああっ!」
「おい、しっかりしろ!」
「か、体が乾いて……」
砂に水分を吸い取られたケロニアの体は黄土色に変色してしまっていた。ウルトラマンのスペシウム光線を弾くほど強固なケロニアのボディも、植物である以上は乾燥にだけは耐えられない。
ケロニアたちの最終防衛ラインが越えられてしまう。懸命に飛び掛かるケロニアたちもサイゴは怪力で振りほどいてしまう。
もうこれまでか……だが、その時だった。
「あっ、あれはなんだ!」
西の空から矢のように飛んでくる銀の光。そして降り立った彼は傷ついたケロニアたちをかばうように立ち、サイゴに向かって構えをとった。
「シュワッ!」
「ウルトラマン……」
エルフから外の世界の噂として聞いていた、遠い世界からの救世主。ケロニアたちは呆然としながらも、胸の内に湧いてくる希望に胸を焦がし始めた。
「ヘヤッ!」
構えるウルトラマンに、サイゴは砂煙を吐いて攻撃してくる。砂煙に包まれるウルトラマンだが、ケロニアと違ってウルトラマンにただの砂が効くわけがない。砂煙を振り払ったウルトラマンはサイゴに突進し、あごの下に強烈なキックをお見舞いした。
「デアッ!」
キックの勢いで吹っ飛ばされるサイゴ。ウルトラマンはサイゴに馬乗りになり、チョップを連発して攻め立てた。
しかしサイゴも怪力でウルトラマンを振り払って起き上がり、ウルトラマンに突進してきた。ウルトラマンはサイゴを受け止めて、その首筋にエルボーを繰り出すが、サイゴはウルトラマンの足に噛みついてきた。
「グオォッ!」
サイゴはウルトラマンを噛みついたまま振り回し、そのまま放り出した。砂漠の上に投げ出されて砂丘に叩きつけられるウルトラマン。サイゴはそのまま突撃してきて、今度は自分がのしかかってきた。ヘラのようになっている前足で殴りつけられるウルトラマン、強力なパワーで押さえつけられてなかなか抜け出せない。
しかし、一瞬の隙をついてウルトラマンはサイゴの腹を蹴って脱出に成功した。むろん、サイゴはまた押さえつけてやろうと突進してくるが、ウルトラマンは直前でジャンプして、空中で回転した勢いをつけたキックをサイゴの頭に叩きつけた。
『スピンキック!』
今度はサイゴの頭が砂丘にぶつけられる。ウルトラマンは着地すると、サイゴの尻尾を掴んで振り回しにかかった。
だがサイゴは尻尾の力も強かった。ウルトラマンが引っ張る力よりも強く尻尾を振り回し、ウルトラマンを放り投げてしまう。
「フアァッ!」
倒れたウルトラマンに向かって、サイゴは再び砂煙を吐いてきた。破壊力はなくても目つぶししてから突進してくるつもりなのだ。だがウルトラマンは起き上がると、腕を風車のように回転させた。たちまち追い風が起こって砂煙をサイゴに向かって吹き戻していく。
『ウルトラ念力』
砂煙で目つぶしを食らうのはサイゴのほうになった。砂まみれになって動きが止まったサイゴに向けて、ウルトラマンは腕を十字に組んで必殺の光波熱戦をお見舞いする。
『スペシウム光線!』
ウルトラマンの手から放たれる青色の必殺光線がサイゴの頭部に炸裂する。
爆発が起こり、もだえるサイゴにケロニアたちの歓声があがる。だがそれでもサイゴには致命傷になっておらず、形勢不利と感じたサイゴは砂中に穴を掘って地底への逃亡を始めた。
逃がしてなるものか! ウルトラマンはサイゴの尻尾を引っ張って逃亡を阻止にかかる。だがウルトラマンもカラータイマーが赤く点滅を始め、必死のサイゴはすさまじいパワーを発揮してウルトラマンを振りほどいて地中に逃げ去ってしまった。
逃げられた……ケロニアたちから落胆のため息が漏れる。
どうする、ウルトラマン? するとウルトラマンは手を高く掲げる姿勢をとると、体を高速で回転させて地中へもぐり始めた。
『ウルトラドリル!』
ウルトラマンの体そのものが巨大なドリルとなって地底を進んでいく。
高速で地中を進んでいくウルトラマン。地底で何が起こっているのかは地上からではわからない。
だが突如砂漠の一角から砂煙が上がり、サイゴを持ち上げたウルトラマンが地中から飛び出した。
「おおっ!」
サイゴを持ち上げたまま上昇していくウルトラマン。そして十分な高度に達した時、ウルトラマンはサイゴにとどめの大技を繰り出した。
『ウルトラ投げ!』
背中向きに放り投げられたサイゴは猛スピードで頭から砂漠に叩きつけられた。
次いで着地するウルトラマン。サイゴは起き上がろうともがいていたが、やがて体を震わせてひと吠えすると砂の上に倒れこんだ。目から光が消え、動かなくなったサイゴにケロニアたちからいっせいに歓声が立ち昇る。ウルトラマンの勝利だ。
サイゴの絶命を確かめると、ウルトラマンは構えを解いた。目の前には、サイゴが砂漠に変えてしまった広大な元樹林が広がっている。乾燥しきった砂漠では、サイゴがいなくなってもほとんどの生き物が生きていけないだろう。
それでもケロニアたちは最後の緑を守り抜いたことで喜んでいた。たとえこの先に、どれほどの苦難が待っているとしても。
ウルトラマンはケロニアたちが心底から故郷を愛していることを知った。そしてウルトラマンはカラータイマーが鳴る中で空を見上げると、雲一つない虚空へと飛び立った。
「シュワッチ!」
ぐんぐんと高く昇り、飛び去って行くかに見えたウルトラマン。しかしウルトラマンは砂漠の上空で静止すると、体を横に大回転させて大きな空気の渦を作り出した。
『ウルトラプロペラ!』
ウルトラマンの作り出した空気の渦は砂漠の乾燥した空気を吸い上げて、大渦巻となって周辺から湿った空気を集めていく。そして砂漠の上空を黒雲が覆い、黒雲から大粒の雨が地上に向かって降り注ぎ始めたではないか。
「おおっ、雨だ!」
「雨だ! 雨だ雨だ。これで緑も蘇るぞ」
「ありがとうウルトラマン、ありがとう!」
枯れ葉のように乾いていたケロニアたちの体もみずみずしさを取り戻していく。
雨さえ降れば、強靭な樹海の植物は再び大地を埋め尽くすことができるだろう。
西の空へと飛び去って行くウルトラマンを、ケロニアたちは手を振って見送り続けた。
そしてウルトラマンとすれ違うように上空に浮かぶエアシップでは、ケロニアの青年や元素の兄弟たちがすべてを見届けたうえで見送っていた。
「よかった、本当によかった。これでみんな帰ってくることができます。本当によかった」
「おめでとう。よかったですわね」
「ありがとうございます。これも、貴女のおかげです」
「あら? わたくしはなにもしておりませんわよ」
「いいえ、貴女がかばってくれたおかげで、我々はハルケギニアで耐え忍ぶことができたのです。貴女がいなければ、我々は飢えと恐怖で取り返しのつかないことをしてしまっていたかもしれません」
「いえ、貴方方が紳士を通したからウルトラマンも助けてくれたのですわよ。その高潔な精神は、我々の国づくりにも参考になります。ぜひ、これからもご教授お願いできますか?」
「もちろんです。わたしたちの全霊を持ってご恩返しさせていただきましょう。大いなる意志の導きと、ミス・ジャネットの慈悲に心から感謝します」
その様子を、兄たちは憮然としながら見守っていた。
「ダミアン兄さん、これからぼくたちはどうするんだい?」
「変わらないよ。僕たちの夢を実現するためには、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんある。ただ、今回はジャネットに感謝しなきゃいけないかもね。僕たちだけだったら、どこかで行き詰まってたかもしれない。有力な協力者ができるのはよいことだ」
ダミアンの頭の中には、すでにケロニアの国を同盟国にした国造りの青写真が描かれ始めていた。東方を背景にした、他部族連合共同体を作る……荒唐無稽な壮大さだが、人間との衝突を考えるとそれぐらいのことを考える必要がある。幸い、一番敵対してきそうなロマリアが弱体化している今ならば邪魔も少ないだろう。エルフや翼人とも交流を結び……吸血鬼の長い寿命でも届くかわからない遠大な計画になるが、やる価値はある。
「楽しそうだね、ダミアン兄さん」
「そりゃそうさ。夢ってのは、追っている時が一番楽しいものだからね」
「じゃあジャネットの交際も認めるのかい? いてっ!」
「それとこれとは別だよドゥドゥー……なぜそんなことを聞くんだい?」
げんこつで制裁されて涙を流すドゥドゥー。ダミアンは、考え事をしていたせいで目を放していたジャネットとケロニアの青年の様子をジャックに指差されてぎょっとした。いつの間にか人間の姿に変身していたケロニアの青年とジャネットがじゃれあっているではないか。
「な、君たち何をしているんだい! ジャネット、用が済んだら僕らは帰るよ!」
「あらお兄様、彼らもまたこんなことが起きたときに外の世界に迷惑をかけないために、ハルケギニアのことをもっと知っておきたいそうですわ。恩を売る絶好の機会ではありませんか」
「それにしても距離が近い。僕は絶対に認めないからね! いいね」
必死に美男美女を引き離そうとする少年の姿は奇異そのものであった。ジャネットは兄の気持ちを知ってか知らずか、ひょうひょうと受け流している。いや、ジャネットはそこまで鈍感ではない……ということは、と……ジャックとドゥドゥーは背筋に寒気を覚えた。
「我が妹ながら、末恐ろしいものだな。お転婆なのは昔からだが、いつのまにダミアン兄さんまで振り回すほどになったのやら」
「たぶんあれだよ。こないだのガリアの女王様たちに影響を受けたんだよ。やだねえ、これまででさえ手に余ったのに、ますますいらない仕事が増えそうな予感がするよ」
ジャックとドゥドゥーは顔を見合わせてため息をついた。
女は怖い。これからも元素の兄弟はダミアンをリーダーにして傭兵の仕事をこなしていくのだろうが、ジャネットはより自由に奔放に引っ掻き回していくのだろう。その結果が名声なのか悪名につながるのかは、まだ誰にもわからない。
一行を乗せたエアシップは、わいわい賑やかに中で騒ぎながら、元素の兄弟を送り返すために西に戻ってゆく。
かつて地球では悪意の侵略者だったケロニア。しかし時の歯車が違えば、別宇宙で悪人と善人が入れ替わるように、このハルケギニアでは善良な種族として暮らしている。
しかし、安心してはいけない。コインは容易に表裏が入れ替わるように、今日が善であったものが明日は悪に変わるかもしれないのだから。人間は……いや、知恵ある生き物は常に心を試練にさらされている。
それでも、人の心は常にうつろいゆく。特に女心というものは全宇宙が消滅するまで永遠の謎だろう。今日はまだ大人しいジャネットも明日にはどうなるか……兄たちの気苦労は当分、終わりそうにないようだ。
続く