第63話
小さな竜牧場物語
幻視怪獣 モグージョン
双刃怪獣 テリジラス 登場!
ハルケギニアの各国は今、ガリア動乱からの復興を急いでいる。
そんな中、浮遊大陸にあるアルビオン王国は、幸いにも直接の影響は受けていない。
しかしこちらでも、かつてのレコン・キスタの内乱で大きな被害を受けて、その傷跡は今でも生々しい。だが、ウェールズ新国王の新王政府の元で復興が進み、今では各国の中で一番元の平穏さを取り戻しているのはやや皮肉な話であった。
アルビオン王国は内乱から時が進んだこともあり、傭兵崩れの盗賊などの鎮圧もほぼ完了した。街々には活気が戻り、人の往来も盛んになって元の繁栄へと一歩ずつ近づいている。
道を行く商人に声をかければ、荷馬車に積んでいる品物が去年に比べて豪華になっているのがわかるだろう。
大きな戦いはバキシムとブロッケンが現れたレコンキスタと王政府の最終決戦が最後で、それ以来、これといった事件は起きていない。事あるごとに怪獣や宇宙人がらみの事件の起こる下界のニュースを聞くたびにアルビオンの民はアルビオンに生まれたことを始祖に感謝するほどであった。
しかし、天災は忘れたころにやってくると昔の人が諫めているように、アルビオンが完全に安全になったという保証はどこにもない。
これは、そんな時にアルビオンの一角で起こったとある事件のお話である。
アルビオン大陸は非常に大きく、平原もあれば山岳もある。広大な森林もあり、かつてティファニアがいたウェストウッドの森などが代表だろう。もちろんその中には人間以外の多くの生き物が住んでいる。
ここはアルビオン王国の首都ロンディニウムから遠く離れた草原にある小さな地方領。小高い山のふもとに草原が広がり、いくつかの牧場が軒を連ねている。
そんないくつもある牧場から少し離れた場所に、やや毛色の違う牧場が一棟あった。
そこは普通の牧場のように馬や牛を飼っているのではなく、別の生き物を飼っていた。それは。
「ハイヤー、いやっ」
「飛べっ、飛べフリーデ」
大きな羽音を立てて数頭の風竜や火竜が背に乗る若者たちの命令で、草原から空に舞い上がっていく。
そう、ここは竜を専門に飼育する牧場。入り口の看板には、ウィンザー牧場と書かれている。そして、この竜の牧場から赤いうろこを輝かせた火竜に乗って飛び立つ若者が一人。
「行けっ! 飛べウィンザー!」
茶髪をなびかせ、幼さを残しながらも精悍な表情で愛竜を駆る青年。地上では彼の妻が手を振りながら見送っている。
「ヘンリー、気をつけてね!」
上空の竜の騎乗から、ヘンリーと呼ばれた青年竜騎士は地上の愛する人に笑顔で手を振った。
地上50メイルほどの高度で五騎の竜が編隊を組む。彼らは地上の物見やぐらの上でこちらを見上げている老人が手を振り下ろすと、見事な編隊飛行をしてみせた。
宙返り、急降下、煙を引いて宙に図形を描く飛行。青空を背にした美しい飛行姿に、牧場近くに集まっていた平民たちからも感嘆の声が上がる。
ヘンリーは、愛竜ウィンザーの手綱を握りながら、戦争が終わった後でも毎日こんなに晴れやかな気持ちでお前と空を飛べる日々が来るなんてと、熱い思いを抱いた。そして、物見やぐらの上で満足そうに微笑んでいる老人を見つめた。
「こうして飛べるようになれたのも、きっかけをくれた貴方のおかげです」
やぐらの上の老人は、敬礼を送ってくるヘンリーに、自らも見事な敬礼で応えた。彼の胸には、白く光る流星のバッジが瞬いている。
だが、ここまでたどり着くには決して平坦な道では無かった。しかし、今ではそれも大切な思い出だ。
ここで時系列はいくらかの日数を戻そう。
今回のお話は、まだただの竜牧場だったここに、ひとりの旅人が立ち寄ってきたところから始まる。
「こんにちは。ミルクをいただけないかね?」
「ああ、おじいさん旅の人かい? 悪いけど、うちはそういう牧場じゃないんだよ。ここに来る途中に、牛を飼っている牧場があっただろう?」
牧場の門近くにいた若いメイジは、尋ねてきた旅人の頼みを聞いて渋い顔をした。
「無いのかね? ここに来れば、珍しい竜のミルクを飲めると途中の牧場で聞いたのだがね」
「ああ、そりゃ担がれたね。よその牧場の奴ら、竜なんかを飼ってるうちに嫌がらせしようとそんなことを。ともかく、ここは平民の来るところじゃないよ」
若いメイジは居丈高になるようなことはなかったが、露骨に不機嫌そうに旅人を追い返そうとした。ところが、そこに牧場の奥から別の青年の声が響いた。
「いいじゃないか。ミルクを出してあげなよ」
「ヘンリー?」
やってきたのは茶髪の若い青年貴族だった。貴族とはいっても竜に騎乗するための飛行服を着こんでいるが、顔立ちの端整さと芯の強そうなまなじりで育ちの良さをうかがい知ることができる。彼は旅人の前に立つと、仲間の非礼を詫びるように言った。
「仲間が申し訳ない。僕はこの牧場の責任者をしている、ヘンリー・スタッフフォードといいます。せっかくここまで来てもらったのです。竜のミルクは少しですが置いてます。味は保証しませんが」
彼が苦笑しながらそう言うと、旅人は温和そうに微笑んだ。やってきた旅人は、先ほどのメイジが言った通り白髪で老齢に差し掛かっているが、足腰はしっかりしていて、牧場の中へ案内するヘンリーにしっかりした足取りでついてくる。
牧場の中は竜のサイズに合わせて牧舎が大きいこと以外は普通の牧場とさして変わらないものだった。旅人はヘンリーと名乗った青年から竜のミルクを受け取ったが、飲むと少々難しい顔をした。
「うむ、これはなかなか……独特な味だね」
「ははは、そりゃ味を目的に育ててる乳牛とは違いますからね。孕んだ雌竜からたまにしか取れないので希少ではありますが、人間が飲むには合わないでしょう。栄養価はあるので僕たちは飲んでいますけれど」
「なるほど、それはそうだな。それにしても、私も長年生きてきたが、竜の牧場は初めて見たね。大きいものだ」
彼らが立つ牧柵の向こうでは、風竜や火竜が餌の肉を食んだり背中に人を乗せて飛んだりしている。ヘンリーは穏やかに笑うと、この牧場のことを話し始めた。
「ここは普通の牧場とは少し違います。ここの竜たちは、元々はアルビオン空軍で使われていたのですが、竜は戦争が終わると金食い虫でして。かといって野に放つと市井に被害を出すかもしれないので、こうして郊外で管理しているのですよ」
「興味深いね。すると君たちも、元は軍人だったというわけかな?」
「そうです。僕もアルビオン空軍の竜騎士でした。死ぬ覚悟で入隊しましたが、運よく生き残ってしまいました。ただ、そのまま退役しようとしたのですが……」
ヘンリーがそこまで言うと、一頭の火竜が降りてきてヘンリーにじゃれついた。
「こ、こらウィンザー、やめないか。はは、ずっと乗っていたこいつに懐かれて離れられなくなってしまいまして。それで、軍で余剰になった竜を預かる牧場を作る任務を、同僚たちと引き受けることにしたんです」
「ふむ、それでここはウィンザー牧場というのだね?」
旅人に微笑しながら指摘されると、ヘンリーは照れ臭そうにうなずいた。
「ええ、僕もこいつを置いて帰るのは忍びなかったもので。まあそれと……」
ヘンリーが照れ臭そうに口ごもると、牧舎の奥から若い女性の声が響いた。
「ヘンリー様! そろそろお食事の時間ですわ。あなたの好きなローストビーフのサンドイッチを作りましたから、早くいらっしゃいませ」
「ちょっと待っていてくれナージャ! ははは、国に残してきた許婚に「今度こそ逃がしませんわ」と捕まってしまって、軍にいられなくなってしまいまして」
「君は幸せ者だね」
「彼女から、「あなたが戦争で死んでいたら私もすぐに後を追っていた」と聞かされた時はぞっとしたね。ともかく、戦争中は何度もウィンザーのおかげで危ないところを生き延びたのを、今でもはっきり思い出せるよ。言葉こそ交わせないけれど、こいつは大切な友達なんだ」
ヘンリーはウィンザーの頭を優しくなでた。すると旅人もにこやかに笑ってウィンザーの頭に手を置いた。
「利発そうな顔をしているね。君たちの絆がとても強いのがよくわかるよ」
「……驚いたな。ウィンザーが僕以外の人間に触られるのを許すなんて。そういえば、あなたは平民なのにまったく竜を恐れない。いったい何者ですか?」
ハルケギニアの平民にとって、竜は災害に近い恐ろしい存在だ。野生の竜が人里に現れれば魔法の使えない平民は、ただ竜に家を壊され家畜をさらわれるのを見ているしかできない。それゆえ、飼育されているものであろうと平民は竜に近寄ろうとすらしないのが普通だ。
それに気づいてみたら、ヘンリーは、いつの間にか自分もこの名も知らぬ旅人に気を許していたことに驚いた。最初は追い返すのはさすがに忍びないから少しだけ相手をしようくらいのつもりだったのに、彼の柔和な雰囲気にいつの間にか……。すると、旅人は気さくに笑って答えた。
「なあに、知り合いに昔牧場をしていた者がいたのでね。それに、大きな生き物には少々慣れていてな。よく見たらかわいいじゃないか」
もしかしたら、どこかの国の軍人なんじゃないかと、ヘンリーは旅人を見て思った。思えば、こちらが紳士的にふるまっているとはいえ、メイジにまるで恐れを見せない。ということは彼もメイジなのかとも思ったが、メイジにありがちな仕草は感じられない。
旅人はそんなヘンリーの困惑を気にも止めずにウィンザーのアゴをなでて笑っている。
だがヘンリーが思い切って尋ねてみようと思ったその時だった。牧場の門の方から言い争う声が響いてきて、ヘンリーは厳しい表情になって吐き捨てた。
「あいつら、また来たのか!」
「どうしたのかね?」
「あなたには関係の無いことです。ここにいてください」
ヘンリーは身なりを整えると、門に向かって走った。門の前では彼の仲間のメイジたちと大勢の平民たちが押し問答を繰り広げていた。
「我々は関係ない。帰れ!」
「うるせえ! 俺たちの牧場の牛や馬がまたいなくなったんだ。お前らのとこの竜どもが食ったに決まってる!」
平民たちは近隣の牧場の牧場主たちだった。皆いきり立っていて、今にもウィンザー牧場に踏み込みそうな勢いで、ヘンリーは彼らの前に立って声を上げた。
「やめろ! ここの牧場の竜たちはみんなちゃんと我々が管理している。よその牧場を襲うようなことはしない」
「じゃあ竜以外のなにがどうやって一晩で何十頭もの牛や馬をさらっていけるっていうんだ。このままじゃ、オラたち飢え死にだ。いくら貴族だからって、もう勘弁ならねえ」
牧場主たちはヘンリーの必死の静止にも聞く耳を持たないようだった。普通は平民はいくら理不尽な目にあったとしても魔法を使える貴族に逆らうようなことはしない。にも関わらずに、こんなに迫ってくるということは本当に追い詰められているということだ。
「どうしても言うことを聞かないというなら、我々も容赦はしないぞ。貴族の力を思い知りたいか!」
メイジの一人が杖を向けて威嚇した。ヘンリーたちとて、平民を力でねじ伏せるのを是とするのをよしとは思ってはいないが、降りかかる火の粉は払わねばならない。
しかし牧場主たちも、今さら魔法で脅されたぐらいで引き返すくらいならばこんなところに来てはいない。手に手に持った農機具を武器にして、牧場に乗り込もうとしている。
一触即発。ヘンリーと仲間たちは、平民を無礼うちするのもやむを得ないと呪文を唱えようとした、その時だった。
「まあ待ちなさい」
穏やかな声が流れてきて、全員がそちらを見た。そこには、あの旅人が無防備に歩いてきていて、彼は牧場主たちの代表者に向けて話しかけた。
「暴力はいけない。君たちの怒りはわかるが、竜が君たちの家畜をさらっていくのを見た者はいるのかね?」
「う……それは。だが、竜以外に犯人が考えられるかよ!」
「誰もここの牧場の竜が犯人だと証明できないのだね。では、ここの竜たちを追い出してなお家畜がさらわれ続けたら、君たちは次にどうするのかね」
「それは……」
旅人はいきり立った牧場主たち相手にも落ち着いた様子で説得していった。その理路整然とした説得の仕方に、牧場主たちの怒りも鎮まっていった。
そうしてヘンリーたちが唖然として見守っている前で、旅人に説得された牧場主たちは帰っていった。
「どうしてもというなら、家畜をさらっていく犯人を確かめてからにしなさい」
「もし本当に竜の仕業だったらタダじゃおかないからな!」
冷静になったら、いくら相手が若者ばかりとはいえ貴族にケンカを売るのが恐ろしくなったのだろう。捨て台詞とは裏腹に牧場主たちの足取りはそそくさとしていた。
そうして牧場主たちが行ってしまうと、ほっとしたヘンリーは旅人に礼を言った。
「この牧場の代表として感謝します。おかげで荒事にならずにすみました」
「なあに、ミルクのお礼だよ。それにしても、大変なことになっているようだね」
旅人の問いに、ヘンリーは貴族の誇りから「あなたには関わりのないことです」と答えようとしたが、なぜかそう言うことができなかった。旅人は穏やかにたたずみ続けている。ヘンリーは迷ったが、彼自身この先に行き詰まっていた。仲間たちも同様のようで、ヘンリーはためらいつつも口を開いた。
「ええ、聞いての通りです。最近、このあたりの牧場で家畜が突然いなくなる事件が相次いでいるんです。犯人はまったく不明……幸い、この牧場にはまだ何も起こっていませんが、逆にそのせいでここを疑ってくる平民たちの気持ちもわからないではないのですが」
「そんなにたくさんの家畜が盗まれているのに、犯人を誰も見ていないのかね?」
「寝ずの番をした者もいたらしいです。ですが、いつの間にか家畜がいなくなっていたという話で、それでまた竜で空から盗んだと言われてしまいまして」
ヘンリーは、いくら竜でもまったく羽音を立てずに家畜を空からさらっていくなんて無理だと、ため息をついた。彼の仲間たちには憤慨して、わからずやな平民を無礼打ちにすべきだと息巻いている者もいるが、ヘンリーは声を荒げてそれを止めた。
「やめるんだ! そんなことをしたら、少ない国費からこの牧場を作ることを許して下さったウェールズ陛下の顔に泥を塗ることになる。平民と流血沙汰になんてなったら、この牧場は取りつぶされて竜たちは処分されてしまうぞ」
仲間たちは、説得されて悔しげに矛を収めた。ウィンザー牧場の竜たちはウィンザーだけでなく、ほかの竜たちも若い竜騎士たちの相棒たちだ。戦争が終わり、竜騎士隊も縮小を余儀なくされた。しかしヘンリーたち騎士の実家も戦費のために経営が苦しくなっており、竜騎士を辞めさせられても生活していけない。その上で戦友である竜の処分を受け入れられない竜騎士たちのために、ウェールズが与えてくれた苦肉の策が、この牧場を作ることだった。
それだからこそ、ヘンリーたちも怒りを抑えて今日まで耐えてきた。しかしそれも限界に近付いている。このままでは最悪共倒れだ。
すると、旅人がおもむろに言った。
「よければ私を少しここに置いてくれないかな。わずかだが君たちの助けになれるかもしれない」
「なっ、侮辱は許さないぞ。平民の手を借りるほどぼくたちは落ちぶれてはいない」
「確かに私は貴族ではない。だが、君たちより少し長く生きた経験がある。むろん、不要だと思えば追い出してもらってよいが、どうかね?」
ヘンリーはうなって考え込んだ。彼も若くても貴族らしい気難しさや誇り高さは備えていたが、自力では手詰まりだったのも事実。藁にもすがる思いでヘンリーは決断した。
「わかりました。お知恵をお借りします。そういえば、あなたのお名前をまだ聞いていませんでした」
「ハヤタ、私のことはそう呼べばいい」
旅人はそう言って笑った。
そして、ハヤタと名乗った不思議な旅人をヘンリーたちは牧場に招き入れた。
しかしハヤタは牧場の竜たちと戯れるばかりで、いっこうに動こうとしない。思い余ったヘンリーは苛立ちながらハヤタに問いかけた。
「あの、ミスタ……」
「私は貴族ではない、ミスタはいらないよ」
「では、ハヤタ……さん。今の状況を変えられる妙案があるというなら、早く教えてください」
ヘンリーは必死に我慢して言葉を選んでいた。リーダーとしての責任感で自分を抑えてはいても、彼もまだ若いのだ。
だがハヤタは穏やかな様子のままで、ウィンザーの顎を撫でながら言った。
「ここの竜たちは、どれもとてもおとなしくて賢いね。私のような他人にも吠えたりしないし、君たちが誇りにしているのもわかるよ」
「当然だ。ウィンザーだけじゃない、火竜も風竜も、みんな何度もぼくたちと死地を越えてきた立派な戦友だ」
誇らしくヘンリーは答えた。するとハヤタはこくりと頷いてヘンリーに諭しかけた。
「そう、それだよ。君たちは竜たちが人を害することはないと分かっている。しかし、彼ら平民はそうじゃない。魔法の使えない平民にとってみれば、竜は近づくのも恐ろしい生き物なんだ。君たちも、初めて竜を見た時は怖いと思ったろう?」
ハヤタの言葉に、ヘンリーたちは新兵だった頃を思い出した。うつむくヘンリーたちに、ハヤタはさらに告げる。
「彼らも怖いんだ。怖いから排除しようとする。しかも家畜が消えるという切実な状況で、後先を考えられないほど追い詰められている。真犯人を見つけても、今のままでは周りの牧場主たちとの確執は埋まらないだろう」
「なら、どうしろと!」
「ここの竜は危険でははないということを、言葉ではなく直接見せてあげてはどうかね? 例えば、定期的に彼らの牧場の上を飛んで怪しいことをしていないと見せてあげたり、平民たちに竜を触らせてみたりしては」
「っ! 我々の竜たちは見世物ではない!」
ヘンリーたちは激昂した。そんな平民に媚びるような行為は貴族の沽券に関わる。絶対に許されないことだ。しかしハヤタはウィンザーの頭を撫でながら臆することなく続ける。
「君たちの誇り高さは見習うべきことだ。しかし、君たちが一番に守りたいものは自分の誇りかね? それとも竜たちの幸せかね?」
「それは……」
「両方大切だろう。人は生きている限り、背負うものがどんどん増えていくものだ。だがね、背負うものが増えていくと、やがては重さで動けなくなり、自分が何を背負っているのかさえわからなくなってしまう。少し前のレコン・キスタの反乱も、王政府があれこれと理由をつけて動かないうちに手がつけられなくなったと聞いているよ」
「……」
悔しいがその通りだった。体面や手段などにこだわらなければ初動でレコン・キスタを止められたチャンスはいくらでもあったことを、軍属であるヘンリーたちは嫌というほど知っている。
「君たちは若くしてたくさん背負いすぎてしまっている。一度荷を下ろして、積み重ねてきたものから本当に大切なものを整理してみなさい。君たちならできるはずだよ」
優しく告げたハヤタの言葉に、ヘンリーたちは悔しげにしながらも反論できなかった。
貴族にとって誇りは絶対だ。しかし誇りにこだわったために一度アルビオン王国が崩壊したではないか。いや、自分たちだけが挫折するならいい。しかし居場所を失う竜たちは? ウェールズ陛下への恩義は? 目まぐるしく考えが移り変わる……そして。
それからのヘンリーたちの努力は、ある意味で戦場よりもずっと辛いものだった。
近隣の牧場に一件ずつ出向いて、竜とともに頭を下げて共存をお願いして回る。誇り高い竜騎士として生きてきた彼らには耐えがたい屈辱だった。
もちろん牧場主たちからは警戒され、罵声を浴びせられもした。しかし、ウィンザーをはじめとした竜たちのためにと我慢して説得を続けた。
ハヤタも牧場主たちとの交渉には口添えを続けてくれた。しかしそれでもプライドの高い余りに爆発しかけたヘンリーたちが何度も寸前で耐えることができたのは、ヘンリーの妻ナージャら若者たちの伴侶の献身的な訴えかけだった。
「わたくしたちの旦那様は、決して人の物を盗むような悪い人間ではありません。皆様のお気持ちはもっともですが、どうかご理解お願いいたします」
どんなに牧場主たちに拒絶されて追い返されても、彼女たちは熱心に通い続けた。平民に頭を下げるのは彼女たちにも屈辱であるはずだったが、ナージャたちはヘンリーたちに微笑みながら答えた。
「ヘンリー様は命がけでわたくしたちの国を守ってくださいました。今度はわたくしたちの番です。それに、ヘンリー様のご無事を祈りながら待った戦争中の日々に比べたらたいしたことありませんわ」
そうまで言われてはヘンリーたちも軽挙に出るわけにはいかなかった。ただ、女性たちも最初からこうだったわけではなく、以前は他の貴族のように平民を下に見るのが当たり前だと思っていた。しかし男たちが戦争に行って女たちが領地を守って待つうちに、戦争でどの貴族も資産を失ってゆき、生きていくために平民をうまく扱わねばと試みるようになった。それがやがて貴族といえども平民の力を借りなければ成り立てないという意識に変わっていった。
ヘンリーたちは、当初は妻たちがそうして耐えているのをへりくだっているように見えて悔しくて仕方が無かった。それが変わったのは、ある牧場を訪れて説得していた時、また牧場主に拒絶されて追い返されかけた時に牧場主の奥さんの老婦人が間に入ってくれたことだった。
「あんた、そろそろ勘弁してやりなよ。若い娘さんが頭を下げてるってのに、いい大人がいつまでも怒鳴り散らしてみっともない」
老いたりとはいえ眼光鋭い老婦人に睨まれては、いら立っていた牧場主もたじたじになってしまっていた。それでも牧場主は「だ、だけどなこいつらは」と、言おうとしたが、老婦人に「おだまり」の一喝で黙らされてしまった。
「すまないね。うちの旦那は頑固者だから。まあ、あたしもあんたらは胡散臭く思ってたさ。けど、あんたたちの真剣な姿を見てわかったよ。あんたらは悪くない。許しておくれ」
「いえ、わたくしたちこそ、突然この土地に押しかけて申し訳ございません。皆様には見慣れぬ竜たちですが、決して皆様には危害を加えませぬので、この土地に置かせていただけないでしょうか」
「好きにおしよ。なあに、飲んだくれのバカ亭主に比べたら竜なんて可愛いもんさね」
老婦人はそう言って、小さくなっている牧場主の隣でからからと笑った。
ヘンリーはその様子を、ウィンザーといっしょにあっけにとられて見守っていたが、そこにとことこと10歳くらいの子供が数人ヘンリーの足元にやってきた。
「おにいちゃん、これって竜なの?」
「かっこいい! ねえ、触っていい?」
牧場主の孫たちが、目を輝かせて寄ってくることに、子供に慣れていないヘンリーはあたふたとしたが、ウィンザーが頭を下げて「いいよ」というふうに喉を鳴らしたことで、思い切って子どもたちに声をかけてみた。
「よければ乗ってみるかい?」
「えっ、いいの? やったー!」
子供は相手が貴族でも物怖じしない。あっという間にウィンザーの赤い体の上によじ登って遊び始めた。
牧場主は慌てて止めようとしたが、老婦人に「ビビってんじゃないよ臆病もん」と首根っこを掴まれて自分が止められていた。どうやら、古今肝が据わっているのは女性の方なのは地球もハルケギニアも変わらないらしい。
子どもたちはウィンザーの長い首をすべり台にしたりしながら遊んでいる。ヘンリーはその様子をしばらく見つめていたが、無邪気に遊ぶ子供たちの姿にしだいに緊張が解けていった。
そうして、そこの牧場をきっかけにしたように、周りの牧場との緊張も少しずつ解けていった。後に聞いた話では、最初の牧場の老婦人があれから根回しをしてくれていたらしいが、あれほど悩んでいた平民たちのとの確執が緩んでいくことにヘンリーたちは初めての充足感を感じていた。
あんなに追い詰められていたのはなんだったのだろう。そう思うヘンリーたちに、ハヤタは穏やかに告げた。
「人間の心は複雑なものだ。しかし、同じ目線に立ってあきらめずに訴え続ければ、どこかに希望を見つけることは決して不可能ではない」
平民と同じ視線に立つ……これまでは考えもつかなかったことだ。正直、まだ釈然としないところは残っている。それでも、このなんとなく清々しい気持ちは一体なんなのだろう?
「誰だって、重荷を下ろせばすっきりするものだ。たまには積み減らしも悪くないものだろう?」
「積み減らし、か。そうかもしれないな。それにしても、貴族にそこまで言える平民はまずいませんよ。ハヤタさん、あなたやっぱりどこかで名のある地位にいたことがあるのでは?」
「昔少しね。まずは相手と話し合うべきというのも、その時の上司が教えてくれたんだ。もっとも、交渉役の同僚は大変なことになったものだが」
懐かしむようにハヤタは笑った。そしてヘンリーの目を見て言った。
「私は人間という生き物が好きだ。それは話し合って争いを避けられるからだ。もちろん、全ての話し合いがうまくいくことはない。話し合いで解決できることは100回のうちの1回だけかもしれない。それでも、100回全てを争いで終わらせるよりもはるかにいいと思う」
「ぼくらだって、無闇に争いたいと思っているわけではない!」
「もちろんそうだろう。君たちはそれだけの立派な理性を持っている。しかし、焦りというものは時に理性を失わせる。冷静に、常に冷静に、私の尊敬する上官が言っていたよ」
もっとも、そのキャップもよく慌てていたがね、とハヤタは付け足し、二人は揃って笑った。
そうして少しずつ平民たちの竜への恐怖心は和らいでいき、ヘンリーたちへの風当たりも弱まっていった。
ヘンリーたちが竜に乗って牧場の上を飛んでも怖がられなくなっていき、いっそ思い切って曲芸飛行を披露しようかという話も持ち上がり始めた。
しかし、その間にも家畜の行方不明事件は続き、犯人はなおも不明。
いよいよ後が無くなった牧場主たちは相談して最後の手段に出た。
「残った家畜を一つの牧場にまとめて全員で見張りをする」
もうそれしか残っていなかった。これ以上家畜を奪われたら牧場はつぶれてしまう。あちこちの牧場から羊や牛が一番大きな牧場に集められ、牧場の周りをすきや鎌を持った飼い主たちが見張る。さらにその周りをヘンリーたちが竜に乗って囲い、ネズミ一匹入り込めないくらいにがっちりと固めた。
「来るなら来い、牛泥棒め! 今度こそ捕まえて痛い目に会わせてやる」
牧場主たちは怒りをみなぎらせ、ヘンリーたちも濡れ衣を晴らす絶好の機会だと目を光らせる。
しかし犯人はこれまで誰にも気づかれずにどうやって家畜をさらっていたのだろうか? ヘンリーも軍属だった経験からいろいろと推測してみたが、いくら相手が平民でも納得のいく方法は思いつけなかった。
「まあいいさ、これだけの竜とメイジが見張ってるんだ。なんであろうと見逃すわけがない」
どんな手練れのメイジでも、ここに飛び込んでくるのは自殺行為だ。ヘンリーは自信を疑わなかった。
確かに、相手が人間であるならばスクウェアクラスのメイジでも無理だろう。しかし、ハヤタは何かに気づいたようにヘンリーに言い残していた。
「油断しないほうがいい。まだ何かとははっきり言えないが、何か悪いことが起きるような感じがする」
ハヤタはそう告げて、女子供たちと安全なところに避難した。
何か……ヘンリーは心にひっかかっているそれを拭い去るように頭を振った。何か……なんであろうと、やっと掴んだ平和な生活を守り抜かなければ。自分についてきてくれた竜騎士の仲間たちや、ウィンザーら竜たち、なにより愛するナージャを守ることが今の自分の責務だと、自分に言い聞かせる。
そうだ、自分は誇り高いアルビオン空軍の竜騎士。どこにいようと、それだけは変わらない。ヘンリーは跨るウィンザーの手綱を強く握りしめる。
時間が経つ……何も起こらない。警戒厳重すぎて犯人もあきらめたか? と、牧場主たちやヘンリーもほっとし始めた。
だが、ヘンリーが気を緩めかけた時、突然ウィンザーが頭を上げてうなり始めた。
「どうしたウィンザー? なにか感じるのか?」
火竜は元々獰猛な戦闘種族。外敵を察知する勘も人間より鋭い。きょろきょろと首を回してうなるウィンザーに、ヘンリーも周囲を警戒する。
「なんだ? どこから来るというんだ?」
戦争中にこんなことは何度もあった。何も無い平穏な空を飛んでいたはずが、ウィンザーが唸って嫌な感じがしたとたんに敵に襲われた経験を思い出す。
だが一体なにがどこから? ウィンザーも怪しい気配を感じてはいても、それが具体的になんなのかまでは掴んでいないようで、周囲を見回し続けている。仲間の竜騎士たちも同様に警戒を始めたが、結果も同様なようだ。
が、そのときだった。見張りをしていた仲間の一人の叫び声が響いた。
「おおーい! こっちに来てくれ!」
「どうした! な、なんだ? こんなところにこんな穴があったか?」
駆けつけたヘンリーは、牧場の一角に大きな穴が空いているのを見た。穴は数十メイルはある大きなもので、いつの間に空いたのか牧草の中にぽっかりと垂直に口を開いている。
「こりゃかなり深いぞ。底が見えないぜ」
「ん? なんか底で動いたような……あっ!」
そのとき穴の底で何かがフラッシュのように光った。その光を数人の竜騎士が見てしまうと、うずくまってもだえはじめたではないか。
「うわぁぁぁ!」
「おい、どうした! 落ち着け! どうしたんだ」
「あああ! うわぁぁぁ!」
光を見てしまった者たちは、何かに怯えたように錯乱している。ヘンリーは彼らを落ち着かせるために平手を打ったが、視界の端に映った穴からの光を直視してしまった。
「しまっ…………」
ヘンリーの視界が急に暗くなった。ぞっとするような闇の中に浮かんでくるのは、血まみれで横たわる仲間たちの死体、目の前には首のもげたウィンザーの死骸、そして腕の中には目を見開いたまま冷たくなっているナージャの体が。
「うわっ、うわぁぁぁぁぁ!」
「ヘンリーしっかりしろ! 目を覚ませ!」
仲間の平手が顔面を打ち、しびれるような痛みとともに恐ろしい光景が吹き飛んだ。
「い、今のは? ぼくは夢を見ていたのか」
「目が覚めたか。あの光は強力な幻覚魔法かなにかの類だ。みんな穴から離れたほうがいい」
幻覚魔法に詳しい仲間のメイジの言葉に従って、ヘンリーたちは怪しい穴から距離を取った。見ると、光を見てしまった仲間の数人はまだ混乱したままでいる。どうやら、あの光はその人間にとってもっとも恐ろしいと思う幻を見せるらしい。ヘンリーはなんとか回復できたが、恐ろしい敵だ。
ヘンリーは震える手で杖を握りながら仲間たちに叫んだ。
「穴の中に何がいても、光を見なければいい。みんな! 光を見ないようにしながら穴の中へ攻撃だ!」
合図を受けて、穴の中へと炎、氷、岩などの魔法攻撃が撃ち込まれていく。これだけの騎士の魔法攻撃を一度に受ければ竜だろうとひとたまりもないはず。
だが、穴の中から雄たけびが聞こえて土煙と地響きを轟かせながら赤いトサカを持つ巨大な影がせり上がってきたではないか。
「か、怪獣だ!」
ヘンリーたちと牧場主たちは悲鳴のように叫んだ。現れた怪獣は赤いトサカを持つ直立したモグラのような姿をしている。愕然として動けないヘンリーたちの前で、怪獣は集められた牛や羊に向けて大きな手のひらを向けた。すると、あの閃光が手のひらから放たれて家畜たちが錯乱し始めた。
「あの光は、あの怪獣が」
それだけではない。怪獣は錯乱する家畜に口から長い舌を伸ばすと、牛を一頭からめとって口に運んで平らげてしまったではないか。
「あ、あ、俺たちの牛や羊を盗んでたのは、あの怪獣だったんかあ!」
牧場主たちは事件の真犯人を知って怒りに震えた。これまで正体がつかめなかったのも当然、地底に潜んでいたからだ。
その様子を、ハヤタは少し離れた場所から見ながらつぶやいた。
「肉食性の地底怪獣か。見たことのない種類だが、光で獲物の動きを止めるところはまるでザラガスだな」
この怪獣の名は幻を見せるモグラという意味でモグージョン。モグラのようなとぼけた見た目に反して、他の生き物は何でも捕食対象にする狂暴な怪獣だ。
モグージョンは牧場の牛や羊に舌を伸ばして捕食していく。人間に目もくれないのは家畜のほうが大きいし味もいいからだろう。
しかし、家畜が食いつくされれば次は人間になるのは必然だ。平民たちはヘンリーたちに、貴族ならなんとかしてくれと言っている。恐ろしく無茶だが、それが彼らの持って生まれた責務であり、誇り、それはトリステインもアルビオンも関係ない。
「皆、杖を取れ! アルビオン竜騎士隊の誉れを見せる時だぞ!」
ヘンリーはウィンザーに、他の者たちもそれぞれの愛竜に飛び乗った。
相手は怪獣、まともにやりあったら敵わないのはかつてバキシムやブロッケンの破壊力を見て知っている。しかしそれでも、自分たちは竜騎士。再びアルビオン王国に危機が迫った時に命を懸けて王家をお守りするために、自らの命を授かったと信じている。
だが、ヘンリーたちがモグージョンの背後から奇襲をかけようとした時、モグージョンの動きが止まった。どうした? と思ったとき、モグージョンから逃げ惑っていた牛の一頭が突然宙に舞い上がった。そして、空中で消えてその後に残る咀嚼音。
まさか!? と思った時、モグージョンが頭のトサカから小型光弾を連続発射した。光弾は空中で軌道を変えて牛が消えた場所に殺到すると爆発して、爆炎の中から直立した鳥のような怪獣が現れた。
「ま、また別の怪獣が!」
現れた怪獣は、直立した猛禽類のような鋭いくちばしに加え、腕には翼の代わりにそれぞれ三本の赤く鋭い爪が長く伸びている。
モグージョンは新しく現れた怪獣に対して、雄たけびを上げて威嚇し、相手の怪獣もそれに対抗するように吠える。そしてモグージョンは手のひらを向けて閃光を浴びせようとしたが、相手の怪獣は空気に溶け込むように消えてしまった。
「また消えた?」
モグージョンもきょろきょろと周囲を見回している。するとモグージョンの背中に火花が上がり、カギ爪を振りかざした怪獣が現れた。振り返って応戦を始めるモグージョンと、カギ爪で殴り掛かる怪獣。怪獣のその能力に、ハヤタはネロンガのような透明怪獣の一種かと推測した。こいつも透明化能力を使って人知れず家畜を食い荒らしていたのだ。
この怪獣はテリジラス。恐竜テリジノサウルスが進化して怪獣化したもので、こちらも凶暴な肉食性怪獣だ。
テリジラスとモグージョンは威嚇し合うと、不倶戴天の敵のように戦いを始めた。モグージョンのトサカが回転カッターのように振動してテリジラスのカギ爪を弾き、返す刀でテリジラスのくちばしがモグージョンの胸を打つ。
いったいどういうことなんだと、見ている人間たちのほとんどが思ったが、これは動物的な本能によるものである。つまり、地上と地底で縄張りを張って互いにけん制しあってきたテリジラスとモグージョンが、エサが一か所に集められたことで、ついにエサ場をめぐって縄張り争いを始めたのだ。
殴り合いを続ける二大怪獣を、牧場主たちは恐怖に震えながら見守るしかない。
「な、なあこれって一体どうなるんだ?」
「どうっておめえ……勝ったほうがオラたちを食いに来るだけさ」
彼らにはどうすることもできない。相手が竜やオーク鬼だったら命をかけてでも家畜を守るつもりだった彼らだったが、二匹もいる怪獣の巨体の前には完全に心を折られてしまっていた。
ヘンリーは迷った。自分たちの力では怪獣を倒す力はない。しかし、この場で怪獣に対して”何か”をすることができる力を持っているのは自分たちだけだ。この力をどう使うか……決断したヘンリーは仲間たちに叫んだ。
「みんな、平民たちを竜に乗せれるだけ乗せてここから離れるんだ」
「ヘンリー! 何を言うんだ。逃げるなんて!」
「聞いてくれ。ぼくたちではどうやってもあれを倒せない。奴らは決着がついたら我々を狙ってくるだろう。貴族は有事に戦うことが平民との違い、それを違えるわけにはいかないけれど、今できることはこれしかない。さあ、早く行ってくれ」
「行けって、ヘンリーお前はどうする気だ」
「エサが逃げ出せば奴らは必ず追ってくる。ぼくは奴らを挑発して時間を稼ぐ」
「なっ! 死ぬ気か、やめろ!」
「ぼくとウィンザーなら大丈夫さ。さあ早く、決着がついて奴らがエサに集中するようになってしまったら遅い」
勇敢にもヘンリーは単身ウィンザーとともに飛び出していった。
残された仲間たちは迷ったが、彼らにも他に打つ手があるわけではない。苦渋を噛み殺して、彼らは竜を平民たちの元に下ろしていった。
「平民ど……いや、皆さん早く乗ってください!」
「私はいい、女性と子供たちを乗せていってくれ」
誘われた中で、ハヤタは自分の代わりに子供たちを乗せさせると、人知れずどこかに去っていった。
ヘンリーは仲間たちが平民たちを救助し始めるのを見届けると、ウィンザーの頭をなでて呟いた。
「ウィンザー、お前には何度も助けてもらったけれど、これが最後かもしれない。ナージャ、許してくれ、どんなことになろうとも、王国のために尽くすのがぼくの生まれた時からの変えられない仕事なんだよ」
ヘンリーは争い続けているモグージョンとテリジラスの鼻先へと風の魔法を放った。竜巻が二匹の鼻先をかすめて、二匹の目がヘンリーを向く。
「くっ、こっちだ! ついてこい!」
怪獣の視線が自分を向く恐怖を押し殺してヘンリーは叫んだ。とたんにモグージョンの手がゴムのように伸びてウィンザーを狙ってくる。
「避けろウィンザー!」
ウィンザーは身をひねってかろうじてモグージョンの手をかわした。続いてテリジラスがジャンプして空中から噛みつこうとしてくる。
「ブレスだ、ウィンザー!」
ウィンザーは口から真っ赤な炎のブレスを吐き出した。それはテリジラスに効くほどの威力は無かったものの、一瞬目くらましになって攻撃をかわすことができた。
「いいぞ、そのままついてこい」
モグージョンとテリジラスは横槍を入れられたことに腹が立ったのか、二匹ともウィンザーを狙ってくる。ヘンリーはそのまま二匹を撤退する仲間たちと反対方向に誘い出すために挑発を続ける。
彼の仲間たちや平民たちは逃げながらも、ヘンリーのその孤軍奮闘をハラハラしながら見守っていた。
「ヘンリー頼む、無茶しないでくれ」
「あの若いの、なんちゅう勇敢なんじゃ」
彼らにはヘンリーの幸運を祈るしかできない。しかし、二大怪獣の攻撃をいつまでもかわし続けられるわけがない。ウィンザーに確かな狙いをつけて、モグージョンの口から伸びる舌が伸びてウィンザーの足に絡みついた。
「ウィンザー! くそっ、離せ!」
引き戻されながら、ヘンリーは魔法を放ってなんとか舌を引きはがした。
だが、ウィンザーは失速寸前に陥ってしまい、舌を傷つけられて怒るモグージョンとテリジラスは一斉に浮くのがやっとのウィンザーに飛び掛かってくる。
「ヘンリー!」
仲間たちが、平民たちが、そしてナージャが悲鳴をあげる。
あれでは絶対に助かりようがないと、人々の目が悲観に染まる。だがその時、地上のハヤタは懐からベーターカプセルを取り出して空に掲げた。
あの勇敢な若者を死なせるわけにはいかない。決意を込めたハヤタの指がスイッチを押すと、フラッシュビームがハヤタの体を帯状に包み込んでゆき、その光の中で真の姿を現す。
二大怪獣とヘンリーの間に閃光が走り、赤い光の中から高々と腕を上げて立ち上がる銀色の巨人。その姿を見て目を丸くするモグージョンとテリジラス。そして、人間たちは驚きのままに、思い浮かんだその言葉をそのまま口にした。
「ウルトラマン!」
その言葉は半分当たって半分違っている。
そう、彼はウルトラマン。ただし、ただのウルトラマンではない。ウルトラマンという名の原初にして、ただ一人だけ純粋にその名を冠する始まりの巨人、初代ウルトラマンだ。
ウルトラマンはその背にかばったヘンリーに振り向いてゆっくりとうなづくと、二大怪獣に向かって腰を落として構えをとった。
「シュワッ!」
ウルトラマンは、トサカを高速振動させて突進してきたモグージョンを受け止めた。ウルトラマンの手と振動するモグージョンとのトサカとの間で激しい火花が散る。しかしウルトラマンはそのままモグージョンを掴んで投げ飛ばした。
「デヤアッ!」
モグージョンは背中から地面に叩きつけられて目から星を飛ばした。一瞬遅れて猛烈な衝撃波が空気を伝わってきて、ヘンリーたちはウルトラマンの投げの威力を察して息を呑む。
しかしテリジラスはモグージョンがやられたこれ幸いにと、ウルトラマンにカギ爪を振りかざして向かってくる。危ない! 人々は悲鳴を上げそうになったが、ウルトラマンはなんと腰に手を当てて仁王立ちになると、テリジラスの爪をその胸板で受け止めた。
飛び散る火花、しかしウルトラマンの胸板にはかすり傷ひとつついていない。まさか? テリジラスは何かの間違いだと思ったようにウルトラマンを切りつけるが、不動の姿勢のウルトラマンをいくら引っかこうともビクともせず、さらにくちばしで突き刺そうとするが逆にテリジラスのほうが弾き飛ばされて吹っ飛んでしまった。
「すごい、なんという鍛え抜かれた肉体なんだ」
ヘンリーは驚きで目を見張った。初代ウルトラマンの鍛え抜かれた大胸筋は、並みの防御技よりはるかに頑丈なのだ。
ウルトラマンは胸をどんと叩くとテリジラスに挑んでいった。ウルトラマンのチョップがテリジラスの首筋を打ち、テリジラスから鶏を絞めたような悲鳴が上がる。プロレスラーのチョップは一撃で常人を昏倒させるというが、ウルトラマンの重いチョップはテリジラスの厚い羽毛でも軽減できないのだ。
「ヘアッ!」
攻めるチャンスをウルトラマンは逃さない。両手を重ねたダブルチョップをテリジラスのボディに叩きつけた。かつてヘビー級の怪獣だったアボラスの突進を食い止めたほどのチョップをまともに受けてはテリジラスはたまらずによろめいて倒れ込む。
しかしそこへ、復活してきたモグージョンが戻ってきた。今度はウルトラマンを手強しと見たか、手のひらを向けながらウルトラマンに迫ってくる。あの光を受けたらまずい! ウルトラマンは腕を顔の前でクロスさせて光を遮った。
だが、それがモグージョンの狙いだった。モグージョンは自分の催眠光波の強力さをよく知っていて、相手が光を防御することをあえて誘ったのだ。ウルトラマンが光で視界を封じた瞬間にモグージョンの体当たりが炸裂する、はずであったが。
「デヤァッ!」
炸裂したのはウルトラマンのキックだった。目を隠しながら放ったキックが見事にモグージョンの腹にめり込んでいる。モグージョンはもだえながら信じられなかったに違いない。しかし、光を武器にする怪獣ならばウルトラマンはザラガスで経験済みだ。そして、そんな怪獣がなにを企むのかも読めている。読みの深さはウルトラマンのほうが一枚上手であった。
「ヘヤアッ!」
ウルトラマンはモグージョンの頭を抱えて頭上に何発もチョップを叩き込む。シンプルだが、締め技と打撃を両立できる強力な攻撃法だ。頭蓋を貫通するほどの衝撃がモグージョンを打つたびに重い打撃音が鳴る。
そこへテリジラスが突進してきた。ウルトラマンはモグージョンを投げ飛ばしてテリジラスにぶち当てる。二匹はもんどり打って倒れるが、起き上がって共にウルトラマンを威嚇してきた。これは絆に目覚めたわけではなく、単に単独ではウルトラマンに勝てないと悟ったからの保身からの行動だ。
「ヘヤッ!」
二対一になってもウルトラマンはひるまずに構えを取る。モグージョンとテリジラスは左右からウルトラマンを挟み撃ちにしようと迫ってくる。いかにウルトラマンといえども、二匹の怪獣に同時に迫られては危険だ。ヘンリーはまずいと感じて歯を噛みしめた。
しかし、ウルトラマンは冷静に二匹の動きを見ていた。しょせんはたった今組んだばかりの急造タッグ、必ず二匹の動きは同時にならずにズレが出る。そこに隙が生まれると、ウルトラマンは見逃さずにモグージョンをやり過ごして首筋にチョップすると、そのまま素早くテリジラスの腕を掴んで上手投げに投げ飛ばす。数に任せた浅知恵なんてウルトラマンには通じないのだ。
それでもモグージョンとテリジラスは起き上がって凶暴な叫び声をあげてくる。これまで牧場の牛や豚を散々食い荒らしてきた二匹だが、完全に味を占めてしまっている。獣が美食に慣れると、もう人里から離れなくなってしまう。
モグージョンが頭のトサカから光弾を連射してくる。ウルトラマンは手のひらを腰だめに揃えて三日月型の光弾を高速発射した。
『スラッシュ光線!』
連射されたスラッシュ光線がモグージョンの光弾を正確に捉えて撃ち落としていく。一瞬のうちに空中に咲く数十の爆炎の花火が舞い散り、ヘンリーたちはもう絶句して声も出ない。
しかしウルトラマンはさらにその先を冷静に見ていた。爆炎に紛れてテリジラスが接近しようとした瞬間、テリジラスは空から舞い降りてきた三本の光のリングに縛り上げられてしまったのだ。
『キャッチリング!』
体を回転させて放つウルトラマンの拘束技。爆炎を目隠しにしたのはウルトラマンも同じで、スラッシュ光線を放った直後に体を垂直回転させてキャッチリングを放っていた。これで一対一、ウルトラマンはダッシュしてモグージョンにキックをお見舞いする。
「トアァッ!」
至近距離からのドロックキックがモグージョンの蛇腹状の胴を売って火花を散らす。吹き飛ばされるモグージョン、仰向けに倒れ込んだモグージョンはそれでも手をゴムのように伸ばしてウルトラマンを串刺しにしようとしてきたが、ウルトラマンはモグージョンの手を掴んで逆に振り回した。
『ウルトラスゥング!』
風を切るとてつもないパワーでグルグルと振り回されるモグージョン。相手の目を回すことを得意とするモグージョンが逆に目を回され、ウルトラマンが手を放した瞬間に無防備で地面に叩きつけられる。
だがそれで終わらない。ウルトラマンはフラフラのモグージョンの首を掴んで背負い投げをかける。
「ダアアッ!」
激震で、遠くにいたはずの牛が宙に浮きあがるほどのパワーで叩きつけられたモグージョンの目が白黒となる。さらにウルトラマンはモグージョンの巨体を軽々と頭上に持ち上げ、前方へと放り投げた。
『岩石落とし!』
三度大地との激突を喰らったモグージョンは、倒れたまま腕を持ち上げて弱弱しく鳴いたのを最後に力尽きた。腕が地面に落ち、まぶたが閉じて動かなくなる。
倒した……ヘンリーたちは、格闘技だけで怪獣の一体が倒されたことに目を見張った。あの怪獣がもろかったのか……いやそんなはずがない、あの多彩な特殊能力とパワーはモグージョンがかなり強い怪獣だったことを示している。つまり、怪獣が弱かったのではない、あのウルトラマンが強すぎるのだと、ヘンリーたちは胸の奥から猛烈に熱いものが湧いてくるのを感じた。
その時、テリジラスはようやくキャッチリングを外していたが、モグージョンが倒されたのを見て、慌てて透明になって逃げに出た。
だが、こんな乱暴者を放っておくわけにはいかない。ウルトラマンの目から白い光線が走って透明化したテリジラスを捉える。
『透視光線』
テリジラスの透明化が解除されて姿が現される。自分の姿が露にされて、慌てふためくテリジラス。
すごい……ヘンリーたちは、ウルトラマンのパワフルかつテクニカルな、歴戦の戦士のみが持つ風格ある戦いぶりにすっかり目を奪われていた。あれだけ多彩な能力を誇っていた怪獣たちの能力がひとつも通用しないで、全てが的確に返されている。
そう、初代ウルトラマンの能力は非常にシンプルだが、その全てが無駄なくまとまっている。どんな怪獣に対しても、冷静に的確に己の力を駆使して対処する熟達した戦いぶりに、敬意を持って呼ばれるようになったウルトラマンの異名こそ。
【怪獣退治の専門家】
小細工などウルトラマンには通じない。もはや逃げ隠れもできなくなったテリジラスはやぶれかぶれでウルトラマンに突進してきた。そして、ウルトラマンは腰を落とす構えを取ると、突っ込んでくるテリジラスに向けて両手を十字に組んで必殺の光波熱線を発射する。
『スペシウム光線!』
白く輝く光針状の奔流がテリジラスの胴を貫く。暴食を欲しいままにしたテリジラス、しかし悪食には報いが来る。家畜という財産を奪われた牧場主たちの目の前で、テリジラスは仰向けに倒れると大爆発を起こして四散した。
「や、やったぞーっ!」
ヘンリーと仲間たち、そして平民たちから空高く歓声が上がる。
恐るべき怪獣たちは倒れた。ウルトラマンは怪獣たちの御霊を弔うように静かにうなづくと、人間たちを振り返った。喜びに沸く人間たちを見つめ、ウルトラマンは自分の役目が終わったことを悟ると空を見上げて飛び立った。
「ショワッチ!」
空のかなたへと飛び去って行くウルトラマンを、人々は目に焼き付けながら見送っていった。
そして、ヘンリーは戦いの終わりを見届けると疲れ果ててウィンザーとともに草原の上に軟着陸し、そのまま失神した。
それから数分か十数分か。ヘンリーが目を覚ました時、彼は仲間たちと、大勢の平民たちに囲まれて心配そうに見下ろされていた。
「おいヘンリー、大丈夫か。心配させやがって、この野郎」
「あんちゃん、気がついたんじゃな。無茶しおって、よかったわい」
「兄ちゃん、勇気あるんだな。俺は貴族なんて口だけな野郎ばかりだと思ってたよ。すまんかった、おめえは本物だ」
口々にヘンリーの無事を喜び、勇気ある行動を称えてくる。そして最後に、愛する妻のナージャが泣きながら抱き着いてきて、ヘンリーはその背中を優しく抱きしめた。
「ヘンリー、ヘンリー! あなたって人はまたもう! 今度こそはもう離しませんわよ」
「ごめん、ごめんよナージャ、僕が悪かったから」
こんなに多くの人が自分のために心を痛めてくれる。ウィンザーも首を伸ばして顔を舐めてきて、ヘンリーは、自分のやったことが間違っていなかったんだと胸を熱くした。
そして、牧場主たちは腕を高く掲げて叫んだ。
「さあ、牛泥棒は消えた。これから力を合わせて牧場を立て直していこうぜ!」
平民たちの歓声が響き渡る。そして、ヘンリーたちは彼らから手を差し伸べられて言われた。
「もちろんあんたたちも協力してくれるんだろ? 頼りにしてるぜ、竜のあんちゃんたち」
平民からの気安い呼びかけに、貴族ならば本来怒るところだろう。しかし、ヘンリーは自然に差し伸べられた手を取っていた。
「はい、わたしで……いえ、ぼくでよろしければ」
なんだろう、この充実感は。ヘンリーはこれまで国のために、誇りのために戦ってきた。しかし……ああ、そうか。
これが、誰かに必要とされる喜びなんだとヘンリーは悟った。相手が平民だろうと関係ない。自分は自分にできることをして、彼らはそれを喜んでくれて、その感謝が嬉しい。
何かをすることに見返りを求めるのは卑しいことだと教わってきた。だからこれまで貴族として、騎士として無心で働いてきたが……。
「ん? あ……そうか。ああ、まだまだ、学ぶことは多いのだなあ」
「ん? なんか言ったかあんちゃん」
「いえ、なんでもありません」
ヘンリーはウルトラマンの飛び去っていった空を見上げてつぶやいた。自分が今、ウルトラマンに向かって感謝している気持ち、これと同じなのだ。ウルトラマンは騎士であろうとしたわけでも感謝されようとしたわけでもないのに、今の自分たちはウルトラマンに自然と敬意と感謝を向けている。
つまりはそういうことなのだ。気高くあろうとすること、その答えはひとつではない。まだまだ自分の知らない騎士道の形はある。戦争の終わった世界で、騎士としてどう生きていくかの答えのヒントを、ヘンリーは見つけたような気がした。
「アルビオン王国万歳! これからここを、世界一の大牧場にしていこう」
貴族と平民の垣根のない歓声が青空に響き渡っていった。
その様子を、ハヤタは静かに微笑みながら見守っている。彼らの素晴らしい未来を守れてよかった、と。
これからヘンリーたちがどういう未来を描いていったかは語るまでもない。
だが、さらなる未来では別の試練が彼らの前に立ちふさがるだろう。
それでも、恐れることはない。未知を恐れず、未知から学んでいくことを知った彼らはきっと乗り越えていく……数多の世界の若者たちがそうであったように。
続く