秦の大将軍、騰は一向に落ちる気配の無い鄴を見ながら漏れる不安を隠しきれずにいた。
(何故落ちぬ?・・・)
じっと城壁の上でなびく紀彗軍の旗を見ていると、城内の様子を確認させるために出した斥候が戻ってきた。
「どうであった?」
「は・・・それが、そのどうにもおかしいのです・・・」
「?・・・何がだ?」
「城内はあまりにも静かで・・・誰もいないかのような・・・中へ入れた諜報員も誰も返答をしませんでした」
「誰もいない・・・?」
秦は鄴を攻めるにあたって、難民の中に秦の諜報員を潜り込ませていた。中の様子を探らせ、いざとなれば彼らが兵糧を燃やす手も考えていた。
騰はもう一度深く考え込む、目を閉じて数十秒ほど沈黙したあと突然立ち上がって命令する。
「急ぎ軍を朱海平原へ!鄴は絶対に落ちぬ!」
「は?し、しかし・・・」
「気が付くべきであった、あの投石器の岩がどこから来ていたのかを・・・既にあの城に難民は居らぬ、予め掘っていた穴から逃げ出している」
「は!?で、ですが流石にそのような・・・多くの人が動けば必ず違和感があるはず、我々の斥候が見逃すとは・・・」
「そのための投石器だ。我々はあの兵器のせいで遠目から包囲する羽目になり、中の様子を確認できなかった」
「それは・・・」
「とにかく急がねばならん!」
騰は全軍に指示を出して、軍を動かし始める。だが、その背を討とうと鄴から軍が出てくる。
「奴らを朱海平原へ行かせるな!一兵でも多く削れ!」
紀彗軍は城から全軍を出して、騰の軍を追撃し始めた。
「騰将軍!やつら・・・城を守る兵士すら残しておりません!今ならば鄴も落とせるのでは!?」
「・・・・・・」
乾坤一擲の構えで騰軍を襲う紀彗達に、騰は何か猛烈に嫌な予感を感じ、新たな指示を出す。
趙の兵士達は皆とつぜん現れた銀色に光る部隊に困惑していた。親衛隊が組んだ舞台に立った悼襄王は感慨深そうに趙と秦の兵士たちを見回した。
「ふむ・・・多いな。それに腐臭も漂っておる。あまり長くいたい場所では無いぞ」
「陛下、拡声器を使いましたらそういう言葉は控えて下さい」
いきなり兵士の士気を挫くような台詞を口走った悼襄王を李牧が慌てて諫める。
「わかっておるわ。さて、何を言おうか・・・いろいろ考えておったのだが、忘れたな」
「大丈夫ですか・・・?」
心配する李牧をしり目に悼襄王が拡声器を持って、息を大きく吸い込んだ。
「趙の王、悼襄王である!趙の民達よ!難しいことは言わん、侵略者を打ち倒し家族を守れ、私も共に戦おう」
秦王に比べれば、その演説は余りにもお粗末だった。拡声器を使おうとも、声量で負けている。
だが趙の人々は知っていた。
趙王が、彼らの王が毒に苦しんでいたことも、暗愚と言われ、家臣に民に蔑まれながらも、それでもなお決定的な失策は犯さなかったことを。
病を治そうとも、体は弱いままである。そんな王が戦場に出てきた意味を趙の兵士はみんな理解していた。
天を貫くような怒号が轟いた。空気がびりびりと震えている。
遠く離れていながらも、秦王と趙王の目が合う。お互いに抜いた宝剣の切っ先を相手に向ける。
「突撃!」
両軍が走り出す。衝突地点で血が噴きだし、人が舞うのが見える。朱海平原の決戦が始まった。
信と河了貂は、戦線の中央で戦いながら話し合う。
「俺たちが不利?」
「ああ、昌平君の策では、相手を士気で圧倒するはずだったんだ。でも悼襄王の参戦で、秦と趙では士気が同じになった」
「じゃあ、互角じゃねえのか?兵数だってそんなに変わらねえし・・・」
「装備の質が違うんだ!・・・このままじゃ秦は負ける」
「じゃあ、どうすりゃいい?」
「今、本陣で王翦将軍が考えてるはず・・・多分だけど、飛信隊は危険な場所に行くことになる」
真剣な表情で王翦の策を読んだ河了貂が話す。信は河了貂の頭にやさしく手を置いて、押すように離れた。
「なら、お前は本陣にさがってろ」
「信!私も戦う!」
「駄目だ、お前はお前のやるべきことがあるだろ?」
「・・・・・・」
歯を食いしばり、ぎゅっと目を閉じた河了貂は、数秒葛藤したあと、握り締めたこぶしを信に向ける。
「勝ってよ」
「おう」
信は背中で応えた。
王翦は本陣で盤面を見ながら黙り込む。隣の昌平君が状況を打開する策を思考している。
「やはり抜けぬか」
「今のままでは無理だ。騰将軍が来るのを待つしかない」
「西北からは蚩尤犬戎が近づいている。送った伝令では間に合わん」
「・・・騰将軍が気付いてくれれば・・・」
汗を浮かべた昌平君が必死に打開策を見つけようとする。じりじりと押されていく前線を見ながら逸る気持ちをじっと抑えていると、どたばたと音がして、伝令が入ってきた。
「西北より蚩尤犬戎軍が!南東より騰軍が来ています!両者ほぼ同時に戦線に到着いたします!」
がたんと音を鳴らして王翦が席を立った。
「勝った」
騰は紀彗軍の追撃を躱すため、軍を二つに分けた。騰軍で、騰を除けば最強の録嗚未に足止めを任せて最速で朱海平原へと辿り着いていた。
全速力で戦場へたどり着いた蚩尤犬戎軍が秦左翼へ、騰軍が趙左翼へと突撃する。
王翦は、万が一の場合騰から援軍を受けられるように、本軍を右翼側に配置していた。そしてその判断が両軍の命運を分ける。
「蚩尤たちは蒙武軍に阻まれる。そして李牧軍は騰将軍の突撃によって揺らいだ、陛下」
「最大の好機か・・・誰を行かせる?」
口元に手を当てて考える政に、王翦は迷うことなく答える。
「飛信隊、玉鳳隊、楽華隊の全てを」
「・・・理由は?」
「かつて、王騎は飛信隊を矢になぞらえて敵軍へ放ちました。今回は一本ではなく、三本を」
「王騎の策か・・・わかった。三方から突撃させよ!」
本陣から三方向に伝令が走っていく。すぐに左翼から楽華隊が、右翼から玉鳳隊が、そして正面を突破するように飛信隊が動き出した。
李牧は突撃してくる三つの部隊を見ながら、部下に指示を出す。
「舜水樹、玉鳳隊を。馬南慈は楽華隊を抑えてください」
「畏まりました。飛信隊は如何しますか?」
「彼らには、相応しい相手がいますよ」
薄く笑った李牧が、後ろに目を向ける。
李牧の強固な陣を食い破るように進んでいた飛信隊は、すでに李牧本陣が目に見える程の距離まで近づいていた。あと少しで辿り着く、飛信隊の誰しもがそう思った瞬間、先頭を走っていた騎兵が纏めて吹き飛ばされる。
人がひしめく戦場に、円形の空間ができて、その中央に一人の男が立っていた。信は無意識に矛を握り締める。うるさいはずの戦場が、静かになった気がした。
「やっと会えたな、龐煖!」
「・・・来たか、王騎の矛を受け継いだ者」
信は下馬して龐煖の前まで近づき、龐煖の矛が変わっていることに気が付いた。
「お前・・・なんだその武器は?」
「・・・神武不殺」
それはただの鋼の棒であった。殺意の無い武器を見て、信は困惑する。
「意味わかんねえ・・・お前、何があったんだ?」
「この数年、お前が深い人生を歩んだように、私もまた考え悩みながら歩いただけだ・・・戦場に残す思いなどなかったが、ただ一つの心残りはある」
空気が張り詰める、龐煖から発せられる莫大な気が空間を揺らして鳴っている。
「来い、決着をつけよう」
「っ!・・・上等だ!」
信が矛を袈裟懸けに振るう。龐煖は合わせるように掬い上げて迎え撃った。けたたましい金属同士の衝突音が響き、周囲の砂が衝撃に舞う。
膂力は龐煖が上であったが、信の矛はそれを正面から受け止める。その底知れぬ力の正体を、龐煖はようやく理解していた。
(受け継いだ者の力か)
龐煖の目には信に力を貸そうとする、過ぎ去った者たちの幻影が見えていた。一度目を伏せ、あらん限りの力で信を掬い上げる。
「ぐぉっ!・・・まだまだぁ!」
「ふん!」
打ち倒されても、立ち上がり矛を振るう信。龐煖は攻撃を受け止め、信の身体を狙って反撃する。両者の力関係はほぼ互角、戦いが長引いていく。
「ルオオ!」
「っはぁ!」
何百という衝突音が戦場に響く、いつの間にか周りの兵士たちは戦闘を止めてその決闘を見守っていた。
信も龐煖もお互いに傷だらけになりつつ、それでもなお揺らがぬ闘志をぶつけ合う。
「信・・・頑張れっ!」
「頑張れー信!」
「龐煖様っ!負けないで下さい!」
「龐煖様ぁ!」
信は薄れる意識の中で、羌瘣から教わった呼吸を思い出していた。すうと息を吸う、肺が大きく膨らんで肉体がより一層活性化する。全身全霊を込めて矛を振るった。
ばきんと割れる音が響く、二人の間で龐煖の棒と王騎の矛が割れている。
先に動けたのは信、背中に差していた宝剣が気付いた時には、既に手の中にあった。
本能的に剣を龐煖目掛けて突き出す。龐煖は剣を左腕で受け止める。肉を裂いて龐煖の腕を剣が貫通する。血が噴きだして龐煖の身体を赤く染めた。
飛信隊が叫ぶ。
「いけぇ!信!」
剣はそのまま心臓を狙おうとするが、龐煖が腕を思い切り下に捻じったことで止まる。
ぐらりと信の姿勢が崩れた。
「素手で戦うのは慣れている。お前の剣は良く見えるな」
「く、ほ、龐煖・・・がっ」
龐煖の掌底が信の胸に突き刺さる、口から血を吹き出しながら信は吹き飛んだ。ぴくぴくと身体を震わせる信を見ながら、龐煖は腕に刺さった剣を抜いた。
「信!しっかりしろ!・・・くそっ内気功だ!」
羌瘣が必死に治療を試みるが、複雑に張り巡らされた龐煖の気が邪魔をする。
「無理だ。お前には治せん、人を治療した経験が足りぬ」
「うるさい!やってみなければわからないだろ!」
頭を振って喚く羌瘣に、龐煖は静かに告げる。
「お前では不可能だ・・・だが、私なら治せる」
「っ!?・・・何を?」
「条件次第で治療してやってもいい。降伏せよ、飛信隊全員が降伏するなら助けよう」
からんと武器の落ちる音がして、羌瘣が剣を捨てた。龐煖に向かって地に頭をつけて願う。
「降伏するから、お願いします・・・信を助けてください・・・」
「・・・・・・羌瘣」
周りで見ていた飛信隊の面々は、羌瘣の迷いのない選択に言葉を失っていた。
蛇甘平原から信と共に歩んだ人間は、すぐ近くにある趙王の旗と信を交互に見る。最初に武器を投げ捨てたのは信と同郷の尾平だった。
「捨ててやる、信の為ならよぉ・・・今までの地位も功績も全部!」
「・・・ああ、そうだな兄ちゃん。全部捨てたって後悔ないぜ」
弟の尾到も武器を捨てた。ものすごく名残惜しそうな顔で趙王の旗を見ながら話す兄をみて、尾到は笑っていた。二人が武器を捨てたあと、他の将校や兵卒も次々に武器を捨てていった。
羌瘣がもう一度願う。
「頼む、信を治療してくれ」
「・・・ああ、承った」
飛信隊が完全に沈黙し、他の二部隊も動きを止めてしまったのを政は悲しそうに眺めていた。
(信・・・)
ぐっと叫びたくなる気持ちを堪える。目を見開いて次の策を考えた。昌平君が言いづらそうに口を開く。
「矢は止まりました。大王様・・・我々の敗北です」
「・・・いや、まだ矢は残っている」
「大王様・・・?まさか・・・!?」
「王翦!残りの全軍全てを掛けて道をこじ開けよ。俺が悼襄王の首を取る」
王翦は正気の沙汰ではない作戦に、賛同できずに諫言する。
「間違いなく死にますが?」
「悼襄王と李牧の首さえ取れれば、趙の士気を下げられるやもしれぬ」
「激高して向かってくるかと」
「その時は死力を尽くして戦い抜き、切り抜けよう」
昌平君が政の暴走を止めようと前へ出て跪く。
「大王様、およそ正気の策ではありませぬ。此度の戦に最早勝機はありませぬ」
「正気ならば、最初から中華統一の夢など持たぬ!今ここで決着をつけられねば、秦は早晩滅びる運命にある。王の首を取り、蚩尤が来る前に戦を終わらせる!」
昌平君は、顔を伏せて勝ちの目を探す。確かに、縁壱が来る前に戦が終わっていれば、蚩尤がそれ以上戦う理由は無くなる可能性はあった。彼の里の人間を傷つけないように扱い、李牧を討つ正当な理由が必要にはなるが。
塵よりも小さな可能性に、目の前の大王が懸けていることに気づきながらも昌平君は賛同する。
「畏まりました、大王様お一人を死地へと送るわけにはいきません。私もお供いたします」
「・・・助かる」
秦本陣の王翦軍が最後の突撃を始める。無理やりに道をこじ開け、趙王への道を作っていく。
その道を秦王、嬴政が真っすぐに進む。李牧はそれを見て慌てて悼襄王へ話しかける。
「これは・・・陛下!一度退避を!」
「ぬかせ、ここで王がさがれば趙は総崩れよ」
「しかし!」
「ふん、いいだろう秦王。俺がこの手で討ち取ってくれるわ!」
「陛下!」
「親衛隊!お前らは壁にすらならん、後ろにさがっていろ!」
悼襄王は銀の親衛隊をさがらせて、平原に足をついて秦王を待った。李牧はなんとか突撃を止めようとするが、最期を覚悟した秦軍は一気に趙本陣へと迫っており、既に退避の時間は無かった。
「く、陛下!」
「お前の相手は私だ」
趙本陣は完全な乱戦となっていた。敵味方が入り交じり、殺しあう。その混乱の中で李牧は昌平君に足止めを喰らった。悼襄王の元へ誰かを送らんと周りを見るが、カイネは介億と、傅抵は豹司牙とそれぞれ戦闘しており余裕は無くなっていた。
混戦の中、嬴政が悼襄王の前に立つ。
「・・・来たか秦王」
「悼襄王殿、天下の為、その首を取らせていただく」
「そう簡単にくれてやるとでも?」
政が剣を横薙ぎに振ると、悼襄王が自身の剣で受け止めた。
「病弱と聞いていたが・・・」
「く・・・まあ、間違っておらん。大分治ったが、やはり体力は、な・・・」
少しふらつきながらも政の攻撃を受け止めていく悼襄王に、政は問いかける。
「趙王よ!何故蚩尤という力を持ちながら、中華を統一しようとしなかった!争いにまみれた世界を平和にすべきとは思わなかったのか!?」
「この、間抜けが・・・誰がそのようなことを望んだ!」
「何を言う!中華の全ての民が、平和を、戦争の無い世界を望んでいる!」
政の怒声を聞いて、悼襄王は鼻で嗤う。
「は、幼いころ邯鄲で過ごしたらしいが・・・何も学ばなかったようだな」
「・・・多くを学んだ」
「いや、お前は学んでおらん・・・俺は田舎の里で数か月暮らしたことがある、里の長が厳しくてな、従者すら最初はつけられなんだ」
目を細め、懐かしむように、悼襄王は語る。
「あの里で生活していたものは中華の統一など望んでおらんかったわ。みな日々を楽しく、慎ましやかに生きたい、それだけであった」
「この世を、天下泰平にするためには・・・」
「誰も侵略など望んでおらんかったぞ秦王!お前は秦の民に訊いたことがあるか!?秦の将兵ではなく、村々に暮らす民達に!」
「・・・」
悼襄王は息を切らしながら、体をふらつかせながらも胸を張って言う。
「王たる者の務めとは!民を守り!国を安寧に次代に継ぐことよ!継国こそが王の本懐だ!」
政は言葉を探しながら、悼襄王に質問する。
「・・・他の国でどれほど民が苦しもうと関係ないと?」
「何故、趙の王が他の国の民の為に自国の民を苦しめる?神の使いですら手の届く範囲は限られていた。人に守れるものなどたかが知れている。我らは守れるものを守るのみ」
政は剣を深く握りしめ、切っ先を悼襄王へ向け、斬りかかる。
「それでは、未来永劫、戦は無くならぬ!」
「はっ・・・だから間抜けというのだ。今お前が戦を止めれば、少なくとも今の戦は無くなるぞ?先の戦は先の人が考えればよい話だ。今の人が未来をどうにかしようなど・・・傲慢が過ぎるわ」
政の掬い上げる一撃が、悼襄王の剣を弾き飛ばした。
「・・・よくわかった。悼襄王殿、未来を見据える俺と今しか見ない貴殿では決して交わらぬ・・・ここは戦場だ、最後は話し合いではなく殺し合いで決着をつけよう」
「ちっ・・・李牧!助けよ!」
悼襄王の声を聞いた李牧が何とか救援に向かおうとする。
「ここは通さん」
「くっ!・・・悼襄王様!お逃げを!」
悼襄王が反応する前に、政は剣で悼襄王を刺し貫いた。背中から剣が抜けて、血が滴る。
「がふっ・・・はぁ、はぁ・・・」
「俺と貴殿の違いがもう一つあった。悼襄王殿、貴殿があと二十若ければ、勝負の結果は違ったものになったかもしれぬ・・・」
「く、くくく・・・はぁ、若さ、か・・・はぁ・・・なるほど、若いなぁ秦王」
政が思い切り剣を引き抜くと、悼襄王の身体が仰向けに倒れこんだ。口から血を吐き、背中からは大量の血が噴きだし地面を染めている。
「・・・私の勝ちだ悼襄王殿」
政は大きく息を吸うと、勝利を宣言するために声を張り上げる。
「秦王、嬴政が!とう「主父様ぁぁぁ!!」・・・は?」
政の宣言を更に大声でかき消したのは、李牧だった。主父という聞きなれない単語に耳を疑う政。李牧は声をあげて周りに伝える。
「主父様が討ち死にされた!誰か!秦王を捕らえよ!」
目の前で李牧を見ていた昌平君が、汗を垂らしながら驚愕する。
「主父様・・・?趙の武霊王が退位後に名乗った・・・まさか李牧!?」
「・・・王に戦わせる臣下などいませんよ。昌平君。悼襄王陛下を失うことは許されざることではありましたが・・・私も陛下も全て覚悟の上」
政は呆然と倒れた悼襄王を見ていた。体の力が抜けていくのを感じる。すでに周囲の秦兵達は趙の兵士達に押され始めており、前へと進む道は無かった。
空の頂点にある太陽を、眩しそうに見ながら死んでいた悼襄王に声を掛ける。
「・・・悼襄王殿、王位を譲っておられたか・・・なるほど・・・」
政の周囲を趙兵が囲む、奥から銀の親衛隊に守られた趙王が出てくる。趙王は泣きそうな顔で倒れる悼襄王を見た後、力強い眼光で持って政を見据えた。
「銀霊王である」
「・・・秦王、嬴政だ」
「既に勝敗は決した。降伏されよ」
「・・・・・・頼みがある・・・秦人が何を言うかと思われるかもしれないが、我が首と引き換えに全ての秦兵の命を救って頂きたい」
「・・・よかろう。銀霊王の名と父祖の名に掛けて誓う」
「感謝する」
政は剣を自身の首に押し当てると、力を強く込めた。
血に染まった朱海平原を、李牧が黄昏ながら見ていると後ろから足音がした。
「帰ってきたら、全てが終わっていた」
「ふふふ、そうなるようにしましたから」
嬉しそうに李牧が笑う。縁壱は悲しそうに目を伏せていた。
「私がいれば・・・悼襄王殿も、誰も・・・」
「そうですね、そうかもしれません。ですが皆それをわかったうえで戦ったのです」
「・・・なぜ?」
「そうですね・・・まあ、ありていに言えば意地です。頼りっぱなしでは恰好悪いですから」
李牧の言葉が理解できない縁壱は、李牧の横まで行って真意を尋ねる。
「みな、意地で死んだと?」
「・・・我々は、蚩尤殿に頼り切りでした。貴方が深く悩んで、苦しんでいることは知っていたのに、それでも貴方に頼っていた」
「・・・」
「だから、一度くらいは貴方を助けたかったんです。私も蚩尤の人々も、悼襄王陛下も・・・」
縁壱は戦場の跡地へと目を向ける。夕日に赤く染まる平原の上で、多くの死体が秦と趙の兵士たちによって、丁寧に運ばれていくのが見える。
しばらく縁壱はその様子を眺めて、そしてポツリと呟いた。
「そうか・・・私は守られたのか・・・」
縁壱は深い悲しみの中、どこか安心するような柔らかい気持ちに包まれていた。
「ふふ、漸く貴方と対等の友達になれた気がします。蚩尤、秦までの長旅、お疲れ様でした」
「・・・ああ、李牧も」
「そういえば、影武者はどうされましたか?」
「飛信隊に渡した。今はどこかで戦後処理を手伝っている・・・李牧、他の所はどうなった?」
李牧は少し悲しそうな顔をして、そのあとすぐに表情を切り替え話し出す。
「順を追って話しましょう。まずは燕と斉、こちらは圧勝でした。すでに国として降伏しています」
「国として?」
「ええ、もう勝ち目がないと悟ったのでしょう。先に降伏して良い条件を貰おうとしたようです。これは魏と韓も同じでした。連合軍を慶舎が散々に打ちのめした後、すぐに降伏の使者が」
「そうか・・・楚は?」
李牧は少し言いよどんでから、答える。
「・・・廉頗将軍がお亡くなりになりました。楚の大将軍二人から挟撃され、完全に敵陣に孤立して・・・凄まじい奮戦ぶりだったと」
「楚には負けたのか?」
少し慌てながら縁壱が聞くと、李牧は首を横に振る。
「いいえ、孤立は廉頗将軍の罠でした。扈輒将軍と同じように、敵をできるだけ集めて、慶舎が砲で廉頗将軍ごと滅多打ちに・・・」
「それは・・・」
「あらかじめ、廉頗将軍の二人の腹心を慶舎に譲ってからの策だったそうです。最も被害が少なくて済む方法を選んだのでしょう」
「・・・・・・そうか」
縁壱は暗くなりつつある空を見た。夕日に濡れた頬が光っている。李牧は縁壱の横顔を見ながら、自身の頬も濡れていることに気が付いた。
「李牧・・・」
「なんでしょうか?」
「戦争は嫌いだ」
「・・・・・・ええ、私も」
紀元前 二三六年 急激に成長する趙へと六か国が仕掛けた合従軍は、大敗を喫した。
戦後すぐに秦、魏、韓、斉、燕が正式に降伏。残る楚も翌年には降伏した。
一般的には楚の降伏の年が、春秋戦国時代の終わりとされている。しかし実際には合従軍戦の終結が時代の変わり目だと主張する専門家も多い。
鬼神伝説で有名な蚩尤は、その後すぐに趙の奥地へと去り、政務の場に現れることは無かったと言われている。また資料が伝える蚩尤の記述については、到底実現不可能と思われる記述も多く、長らく伝説扱いされていた。
しかし、昨今の研究で黒羊の戦災と呼ばれる自然災害が、人為的なものだった可能性が浮上しており、蚩尤の伝説に似た記述が含まれることから議論が白熱している。
また、中華の三大軍師として必ず名の上がる李牧もまた、銀霊王の時代の途中に引退し、どこかの里で妻と子供と静かに暮らしたことがわかっている。
蚩尤犬戎の名は現代でも有名であり、その名前を継ぐ人々が世界中に散らばっていることでも知られている。人から外れたような身体能力と呼吸法は現代でもなお未知の技術であり、医療、スポーツ等の様々な分野で多くの人が活躍している。
医神として知られる龐煖もこの時代の人間であるという説が濃厚だが、龐煖は世襲制の名前で多くの医師が継いだため、実際に誰が最初だったかはわかっていない。
一つ確かなことは、この名前を継いだ者にやぶ医者は居ないということである。
最近になって、趙の近くの集落が情報を公開し、多くの考古学者が集落へと訪れた。その集落には古代とは思えないほどの設備が完備されており、間違いなく当時の世界最先端を走っていたことがわかっている。
集落の奥、その更に奥の山の中に、この辺りに住む人々にとって最も神聖な場所として扱われる土地がある。
太陽の地と呼ばれるそこには、小さな石碑がある。
学者たちが読み解いた碑文には、こう記されていた。
「継国縁壱、ここに降り立つ」
拙作はこれにて完結とさせて頂きます。皆様沢山の応援と感想を送ってくださり誠に感謝いたします。評価してくださった方にもこの場を借りて深い感謝をば。
拙作がまがりなりにも完結までたどり着けたのは。ひとえに皆様のお陰です、いや本当に。
後日譚も書こうかと思いましたが、すっきり終わったかな?という気分でもあるので微妙です。
それではまたどこかでお会いできれば幸いです。
重ね重ね、有難うございました。