涼しい風が肌を優しく撫でる。2時間と少し寝ていたようだ。この星の、この国の、緯度と経度から時間を確認すると時間は15時頃。前みたいに息苦しくて起きた訳じゃないので寝起きはすっきりしている。夢の中で家族と会った。一緒にいる間はずっと鬱陶しいと思っていたが、長く会わないとあの喧噪が恋しくなるものだ。
休暇はちゃんとあるが、家に帰ってまた戻るだけの余裕がある日はそう多くない。最後に帰ったのも半年ほど前だ。異星にいる事もありホームシックになって来た。
ふと気になってジェーンに連絡を取ってみる。やはり繋がらなかった。無事だといいが…心配をしてもどうする事もできない。今は信じて聖プディング大学へ向かうしかない。だが、ジェーンの工作がないと気付かれずに中へ入るのは困難だ。どうしたものか。
あれこれと考えていると近くで弱々しい声が聞こえて来た。見渡すがここには俺と虚しかいない。彼女が寝言を言ってるらしい。
「必ずや、必ずや成し遂げてみせます…」
そんな事を言っていた。前に見た参考書から考えるに虚はまだ若い。その若さにしてはかなり苦労しているようだ。俺は彼女の隣に座ると膝の上に彼女の頭をゆっくり乗せた。あまり柔らかい体ではないが、枕ぐらいにはなるだろう。気のせいか少しだけ顔が穏やかになった気がする。
それからしばらくすると雨の勢いが弱くなってきた。しかしまだ外に出て活動できるほどではない。早く小雨になってくれないものか。
「父さん、母さん元気にしてるかな…」
見上げても厚い雲に覆われて母星も見えない。
「思えば遠い所まで来てしまったものだ。未だ道半ば。帰路は遠いな」
しんみりとそうつぶやく。
「…カブラン殿なら必ず帰り果せよう」
俺の膝の上で虚が言う。
「なんだ、起きていたのか」
「ああ。寝心地が良くてな。もうしばらくこうしていたいと思って狸寝入りしておった。…まだしばらく膝を借りてもよいだろうか」
「雨が上がったら返してくれ」
「承知した」
そんな変なやり取りにお互いに笑った。
「それにしてもこの辺りじゃ見ない身なりだが、異国の地から来たのか?」
「左様。カブラン殿は同じ邦国の言葉で話すが、同じ国の出身ではないのか?」
ああ…そういえば機械翻訳のせいでお互いに話す言葉が同じに聞こえているんだった。今更、自分がこの星のどの国の人間で、どういった技術を使っているとかそういう話をするために設定を考えるのも難しい。
とりあえず同じ邦国から来たと言う事にして話を合わせながら、彼女の地元の話を聞いたりした。この国に来てカルチャーショックを受ける事も多いようだが、特に食文化の違いが堪えているらしい。
「カブラン殿の故郷の味はパンチュパカブラ故、人や家畜の血なのだろう?」
冗談交じりに言った。この星の民はずいぶん前からパンチュパカブラの存在を知っている。しかし、それは彼らの科学力を用いて我々の存在を認知したためではない。今から百数十年前、我々の星の国々は自らの力と権威を他国に示すために科学力の高さを見せつけようと競っていた。
我が国の科学技術者達は大変優秀だったが、他国に先を越されないために安全、衛生、人権など様々なものが軽んじられた状態で実験が行われた。地球への着陸に初成功したのも我が国だった。帰る事ができないまま死ぬ者達も少なくなかった。
被験者となった彼らは決死の覚悟で母国に地球上での情報を送り続けた。呼吸器ができるようになってからは外での活動を行ったりしていた。
その際に見つかってしまったのがこの星で噂になって広がった。その話に尾ひれがついた結果、そういう話ができたのだろう。
「パンチュパカブラの女性は妊娠すると胃腸が弱くなる。消化不良も起こしやすい。だから血を吸ったり飲んだりして栄養を摂ろうとしたりした時代もあったらしい。だがそれは昔の話。今は血を飲まずとも消化のいい食料は沢山ある」
「む…そうなのか。カブラン殿は詳しいな」
「ま、まぁ、特殊メイクするぐらいだからな。そういう情報はチェックしている」
今夜は口がよく滑る。あまり下手な事は言わない方がいいかもしれない。話題を変えよう。
「虚も早く母国に帰れるといいな」
「…………」
虚は目を伏せ、右手を俺の膝の上に載せていた右手に少しだけ力が入る。
「それはできない。私の旅路は片道なのだ」
彼女が遠路はるばるこの地にやって来たのは敵討ちのためなのだという。他国への渡し賃は膨大な額になる。彼女が持っていた金は片道分だった。最初から敵を討った時点で、既に彼女の命は役目を終えるらしい。この国の言葉もロクに覚えずにここへ来たのも、敵を逃さないためだった様だ。
虚は左手で杖を強く握りしめる。
「お前は復讐のために死んで、それで満足なのか?」
「祖先の願いは私の願い。あろう事か、かの火の一族は主君を裏切り、我々一族の名誉と権威に泥を塗ったのだ。護るべき主も、築いたものも全て失った。我々血族は代々、子々孫々、一時もこの屈辱を忘れた事はなかった。200年の時を経て一族を根絶やしにして来た。残る末裔1人の命で贖う事で、臥薪嘗胆の日々も終わる。満足だとも」
「そうか…」
彼女は杖を握る左手を放し、急に俺に抱き着く。
「だが…本音を言えば寂しいのだ。とても悲しいのだ。もう二度と、愛した故郷の地を踏む事はできない。異郷の地で骨を埋めねばならない。親族は私に微笑みかけてはくれない。ああ…母様、父様、お会いしとうございます。うう…」
俺の胸に何か水滴が落ちる。上を見るが橋から落ちて来た訳じゃない。見ると虚の目から滴り落ちている。そういえば地球での探索レポートに書いてあった気がする。人間は感情が高ぶると顔を赤くして目から水滴をこぼすとか何とか…。
彼女の言う通り、寂しいと悲しいの感情が高ぶっているんだろう。俺は何も言わず彼女の背中を撫でた。
「…取り乱してしまった。申し訳ない。私はダメだな。初対面のカブラン殿に泣きついてしまうとは情けない」
「ひとえに俺の人徳とハンサム顔のせいだ。気に病むな」
虚は笑った。
「お前の素顔はパンツと特殊メイクで見えないだろう。それにしても、お前の体は特殊メイク越しでも暖かいな。まるで生身の様だ」
「何を隠そう、俺は本物のパンチュパカブラなんだ。お前の血を吸ってやる」
そういって両手を広げ襲うような仕草をすると虚はなお可笑しそうに笑う。随分愛らしい笑顔だ。彼女は泣き止むと俺から離れて隣に座る。先ほどまで燃えていた火はいつの間にかゴミを燃やし尽くして煙だけが風に揺られていた。
「虚、まだ恩返しがまだだったな。頼みたい事ができた」
「うむ。何なりと」
「生きて帰れ。母国の地を踏むまで死ぬな」
虚はきょとんとした顔をしていたが、やがてうっすらと微笑んだ。
「難儀な事を言う」
しばらくはお互いに寄り添っていたが、やがて雨も止んだ。お互いにこれ以上そばにいられない事がわかると、虚はジェーンのパンツを脱いで俺に返した。そして、どちらからともなくこの場を去った。
雨の後は人通りも多く進むのは容易ではなかった。少し進んでは隠れて、少し進んでは隠れて…多くの時間を薄汚いダストボックスの中でゴミと共に悪臭のひと時を過ごした。そうしているうちに、漁火の2枚目のパンツも使い切ってしまった。
ミーシャのパンツを被り目的地へ向かう。それからやっとの思いでジェーンが指定した下水道に向かうマンホールを見つける事ができた。
パンツも食料も心許ない。本当は今すぐにでも調達すべきだと思うが…夜が更けるまでは下手に動いても見つかるリスクが高いだけだ。なので俺は先に下水道に降りて探索しておく事にした。
マンホールの蓋を持ち上げている頃、メールが来た。ジェーンからだ。下水道の内部構造を緑色の線で大雑把に確認できはりアプリが送られてきた。俺は連絡を入れてみるが、繋がらなかった。もし、このアプリがジェーンを装った別の人物だったなら…そう警戒する。
しかし、仮にそうだったとしても今の俺には確認する方法もない。俺は下水道の中に入ると地図情報を読み取り、腕時計で道を照らしながら歩く。
「それにしても随分と見やすいな」
初めから表示されてるのは目的地まで殆ど余分な場所を省いたもの。表示する区画を増やせばごちゃごちゃするがよほど寄り道しない限りそんな機能に頼る事はないし、迷う心配はないだろう。
自分の現在地を地図上にピンを差すと、腕時計の上下左右、移動量を計算して地図上の現在地と連動させて今いる位置を正確に打ち出してくれる。行くべき道のルートは赤の矢印で着色されているから視認性もいい。
後はこれが罠じゃないことを祈るのみだ。俺は梯子を伝って下に降りる。これだけ内部の情報が載っていると迷うことはないだろう。俺は急ぎ足で聖プディング大学へ向かった。
「!!」
下水道の中から何者かが現れた。急いで応戦しようとするが、その腕裁きは尋常なものではなく突き飛ばされてしまった。俺は体勢を崩すと坂を転げ落ち、どこかの穴に落ちてしまった。
突き飛ばされる刹那に当てたライトで照らされたその姿は、意外にも俺の見知った人物で…。
あー、俺、修羅になっちゃったよー(棒)