生きる理由をなくした先にあったものが生きる理由になるとは、人生とは奇妙なものだ。そんな事を考えながら道なりに歩いている。腕時計の地図を見ながら歩いたが、まだ先は遠そうだった。なので一度パンツと食料を補給しに最寄りのマンホールから出る事にした。
多少なりと仮眠は取ったがやはり十分ではなく、疲れもかなり溜まっていた。それでも今は休んでいる場合じゃない。
ようやく下水道から出られる道も見えてきたと思う頃、隅に人影がある事に気が付いた。人影は何かを燃やして明かりを確保し、壁に背もたれながらぐったりとしていた。俺を落とした人物だろうか?俺は腕時計の明かりを消し、マチェットナイフを構え音を消しながら少しずつ歩み寄る。こんな所にいるのだ。ただの一般人という事はあるまい。
やがてその人影が見覚えのある人物である事に気が付いた。
「い…漁火??」
「!!!」
声をかけられた漁火が驚いて立ち上がり、投擲武器をこちらに投げる。俺はマチェットナイフで弾き落とした。漁火は次の投擲武器を投げようとしたが、顔をしかめるとその場にうずくまる。
「漁火、俺だ!カブランだ!敵じゃない攻撃をやめてくれ!!」
声をかけるとゆっくりと顔を上げる。
「頭にパンツ…、お主はいつぞやの……」
彼女は苦し気な表情をするとうずくまる。俺は彼女のそばに駆け寄る。
「大丈夫か、怪我をしているのか?」
「は、は…日輪如きに遅れを取ったのよ。笑え」
笑えない。彼女は腹のあたりを抑えている。手をのけて見ると打撲の痕がある。他も切り傷やあざができている箇所がある。今すぐに処置が必要なほど深い傷はないようだ。俺は少し安心した。
「とにかくしばらく安静にしているんだ。お腹が減っているなら何か食べ物でも取ってくるぞ」
「いい…お腹は、減ってない」
言ったそばから腹の虫が鳴る漁火。彼女は恥ずかしげに顔を伏せた。
初めて会った時は争う事もあったが、勝ち取ったパンツ1枚に彼女の温情でもう1枚くれたパンツにはとても助けられた。その恩は忘れたつもりはない。困っているのなら俺は少しでも助けになりたかった。
「外に行って近くに日輪とか言う怪しい奴がいないか確認して来よう。それに何か体に掛ける物と食べ物を探す。不安なのは分かるがそのままじゃ体を冷やしてしまうし、体調だって良くならない」
そう言って離れようとすると漁火は俺を呼び止める。彼女は腰に付けた袋を取ると中身を見せる。団子?のようだ。食べてもいいと言っているようで、俺に差し出す。
「私はこの町でバイトをしておるのだが、任務によっては長く家に帰れない事もある。そんな時のための長持ちする携帯食料。それがこれ、兵糧丸だ。食料はある。何ならやるから食べるといい」
「いや、怪我人から食べ物は受け取れない。俺の心配はいいから自分で食べてくれ。気にするな、俺もパンツを調達しなきゃならない。少しの間我慢してくれ」
「ば、パンツならここにある!」
そういって漁火は焦りながらパンツを脱いで俺に渡す。俺は断った。
「余計に体を冷やすだけだ。受け取れない」
「うう…恥を偲んで言うが1人にしないでくれ。この体で日輪に不意を突かれては死んでしまう。分かるか、ただ傍に居て欲しいんだ」
「分かった」
怪我をして弱っている事もあり、今は他の何よりも心の支えが必要なんだろう。俺はそう思い彼女のそばに座った。彼女が差し出したパンツは好意に甘えて受け取った。
代わりに前に貰っていた漁火のパンツを返した。貸したんじゃなくてあげたんだから返さなくて良いと言っていたが、無理にでも履かせようとすると観念して自分で履いてくれた。
「変態の考える事は分からんな…」
「分かる様になったら変態の仲間入りだな」
そんな適当な言葉を返した。
漁火は隣に座る俺にもたれかかりながら時々苦しげにうなっていた。
「刀に毒か何か仕込んであったのか?」
「影忍者を滅ぼすために数百年の時を超えて追って来る様な連中だしやりかねん。そう言いたいがそうじゃない。単に戦った時もそうだが逃げる時にも体をあちこち打ってしまっただけだ」
影忍者を滅ぼす??日輪が漁火の命を狙っている事は知っていたが、まさか影忍者と呼ばれる集団ごと滅ぼしに来ているとは…。しかし変だ。似たような話をどこかで聞いたような気がする。
「まるで火の一族を追う虚のようだ」
ふと考えた事が言葉に出た。漁火は驚く。
「なんだ、もう日輪に会ったのか。近寄るなと言ったのに」
「え?」
「日輪虚。それが奴の名。そして我々影忍者は代々、名前に火を入れる事になっている。だから火の一族」
ああ…なるほど。どうりで話に共通点が多い訳だ。
「主君を裏切ったと聞いたが…」
「厳島様を裏切った。我が国の歴史では世間一般ではそうなっている。だが事実ではない」
一呼吸をすると漁火は過去について語り出した。
昔、厳島時実という人物が統治する小さな国があった。領土こそ小さいが頭領、時実は非常に賢く武にも知にも長け、懐の深い人物だった。小さな国を潰し自国の領土にしようと難癖をつけ戦を挑む国々を返り討ちにし、降伏させて自らの領土とした。
弱小国家が力を持つ事を快く思わない国、戦った国と友好的だった国とも戦った。勝つばかりじゃなかったが、優れた話術や知恵もあり多くの国難を乗り越えた。
国土の拡大と度重なる戦で特に戦果を挙げた成り上がりの武将、山野重里に時実は日輪の苗字を授けた。恐れ多いと畏まる日輪家だったが、日輪の力と権威なくして厳島なしと言って説得した。それが日輪家の始まりだ。
一方、影忍者はと言うと、主君を持たない忍者だった。いくつもの百姓とつながりを持ち、情報を売ったり買ったりして、時に謀略や工作に加担していた。その正体は、行き場をなくした落ち武者。孤児。罪人だった。
卑しい身ではあるが、時実は彼らの能力を評価して自分の力とする様に働きかけた。元々百姓への扱いも良く火の一族でも人格者とされていた事、時実からの贈り物、様々なアプローチの結果、影忍者の頭領の朝露は一族共々厳島に仕える事を決めた。
百姓との繋がりも強く多くの国交に貢献した影忍者には時実より火の名前を与えた。影の中にこそ火は映える。力と権威の傘下に入れども翳る事ない輝き。その意味を込めてその名前を与えた。
日輪と火の一族は相容れない立場にあったが、日輪重里と灯火(朝露)は宴を通じて惹かれ合った。お互いの立場上決して結ばれる事はない恋だった…。お互いの結束や、名君時実もあり国はより強固なものになって行った。
「…ここまで話を聞いても日輪も影忍者も主君を裏切る様には聞こえないんだが」
「ところが裏切りは起きたんだ。厳島様は毒に倒れた。影忍者お手製の毒でな」
影忍者に代々伝わる毒、血濡れ衣。それは一般的には製法不明だが、見せしめのために用いるための毒だと知られていた。盛られた者は全身の至る所から血を噴き出して死ぬ。故に疑いは他に矛先向かう事なく影忍者に向けられた。
「厳島時実様の息子はまだ幼かった。当面の実権を握る事が出来たのは日輪家だった。恋愛関係にあった事を良い事に灯火を唆し毒を借り、主君を殺してその疑いを影忍者に向けた。あの時代に厳島家が対立していた勢力に与したと言ってな」
時実は影忍者を心から信用していたが、彼の家臣達は影忍者を快く思っていなかった。自分たちを監視している事への嫌悪感もあったが、卑しい身分の者達が自身の城を我が物顔で出入りする事がこの上なく不快で許せなかった。日輪に肩入れして共に影忍者狩りに加担した。
それから、影忍者の里でどんな事が起きたのか漁火は丁寧に話す。思わず途中で話を止める様に頼むほどに酷い内容だった。
「主君を欺き、恋人を一族ごと貶めて…そうしてまで栄誉が欲しかったのか…?」
「路傍の石として死ぬか、君主となって歴史に名を刻むか。そのために一喜一憂して争う時代。その栄誉が彼らにとってどれほど価値がある物だったか、今の時代の価値観で推し量る事はできん。厳島様に仕える事が我らの栄誉であったがために、忘れられず当代まで火の名前を継いでる我々も似たようなもの…」
その後、影忍者は実際に厳島家の対立勢力に与した。時実に心から信頼されていた影忍者の持つ情報は厳島領の生命線とも呼べるほど重大な物であり、燻っていた対立勢力の重鎮の野心を焚き付け情報を流して回れば、名君を失った厳島家を滅ぼす事はそう難しい事ではなかった。
漁火は虚ろな目で笑う。
「空に担がれた凡夫な日が主君を焼き殺し、主君を失った影の火は世間の風と共に消え失せ、支えを失った日は没した。ははは…。その日以来、重里が何をしたのか知らない日輪家は最早形骸と化した誇りと苗字を背負ったまま、屈辱を忘れまいと屈辱的な名前を付ける習わしになった。虚もそう。残り少なくなった日輪家を一網打尽にすべく漁火と婆様と爺様に名付けられた私もそう。空虚なものだ」
「ただの茶番じゃないか!そんな事を、数百年も経てやって来たというのか…。争いを止める方法はないのか??そんな事のために命を張るなんて間違ってる!!」
「…母は戦いから逃げるために私を連れて国を出た。だが日輪は追って来た。この因縁はどちらか一方が死に絶えるまで終わらん。二束三文の命が命を張る理由は、二束三文の動機で上等なのよ」
「漁火!!!」
彼女は目をつむって黙り込む。やがて1、2粒と涙を流した。
「迫る刃を前にして、走馬灯が見えた。私には死んでも悲しんでくれる家族がもういない。誰にも泣いてもらえず、覚えてももらえず、ひっそりと死んで行く。ただそれだけの事がこんなに怖い事だと思わなかった」
彼女はゆっくり立ち上がる。痛む体を起こして。
「退屈な話を長々と聞かせて済まなかった。体も癒えた。そろそろ発たねば。死神も首を長くして待っておろうからな」
「待て、虚には俺から…」
漁火は煙玉を投げる。あたりを照らしていた火は消え、あたりは真っ暗になった。急いで腕時計の光をつけるが、煙に遮られ姿が見当たらない。しかし声は聞こえた。
『そのパンツは私が生きていようがいまいが最後の餞別になる。大事に持ってて欲しい。さらばだカブランどの、君の旅路に幸あれ』
俺は走り出した。漁火は阿呆だ。ここから姿を消して下水道を出るにはすぐ近くの梯子から上るしかない。だからまだ間に合う。俺は急いで彼女を追う。お節介でもいい、漁火も虚も死なせたくない。
だから止める。必ず止める。マンホールを出る。少し前の雨雲はどこへやら、空には地上を照らす月が顔を出していた。漁火が影から影に伝って跳ぶ姿が見える。俺はその影を追って走った。
ギャグは浜で死にました