転生したらうちはイズナでした(完)   作:EKAWARI

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ばんははろEKAWARIです。
漸くあらすじに内容が追いつきましたが、なんか日刊ランキング総合4位二次部門1位になっていました、ご愛顧いただきありがとうございます。
因みにこの話「転生したらうちはイズナでした」は全10~12話くらいで完結の予定ですので、このあたりで折り返しとなっております。


6.ただいま

 

 

 父である前族長の葬儀も終え、昨夜の弟とのやりとりにより腹が決まったマダラは、早速翌日の夜、集会所にて、女達を除く一族の主要メンバー全てを集め、「千手と同盟を結ぶ」と年若いながらも威厳を感じさせる厳かな口調でその決定を告げた。

 瞬間、ざわめきが場を伝播する。

「なんですと!?」

「正気か!?」

 途端高まる怒声。

 一族の反応は大きく三つにわけられている。

 一つは血走った目で怒りを滲ませ、青二才めと言わんばかりに族長になったばかりのマダラをにらみつけるもの。これは亡き父と同世代くらいの忍びが多い。

 一つはむっつりと考え込むように沈黙を保つもの。老人かあるいはマダラと同年代と、その少し上くらいのものが多い。

 一つは伺うようにマダラの隣に座る弟のイズナを見るもの。漏れなく揃いも揃ってイズナが手塩にかけ育てた世代であり、若い衆の実に8割がこの反応を返した。

「マダラ……様!」

 ギリっと、歯ぎしりせんばかりに憎々しげな顔を浮かべながら、父より一つ年上の男が声を上げる。

「わかっているのですか!? ご自分が何をおっしゃっているのか!!」

 それを皮切りに、その男の両隣に座っている男達も荒々しく立ち上がり続く。

「よりによって千手と手を組むだと!? ふざけるな!! 忘れたのか! 殺された親兄弟の事を!! 先祖の無念を!!! 貴様のような若造の決定など誰が認めるか!!」

「世のことも碌に分からぬ青二才が!! 貴様千手の犬に成り下がったのか、貴様など最早当主ではない!! 奴らを、千手を皆殺しにする、その時まで止まらず戦い続けるのだ……!! それが貴様がやるべき務めであろうが!!」

「……黙れ」

 一瞬だった。

 一瞬でずん、と腹の底に沈むような、悍ましくも禍々しく冷たいチャクラが場を包み、重圧に押しつぶされるように男達はへたり、と腰を落とした。

 殺気混じりのチャクラに、冷や汗が止まらない。

 直接その圧を向けられていないものも、年若いものなら気絶しないようにするのが精一杯なほどの威圧感で、そのチャクラの持ち主たる新当主マダラは、御簾のようにかかる長い黒髪の間から、赤く万華鏡を描きギラギラと輝いている瞳で睨み付けるというには無に近い、鋭く冷ややかな視線を覗かせている。真っ正面からその眼に晒された三人の男達は、はくはくと碌に息さえ出来なくなる。冷や汗がとまらない。

 そうしてすっかり刃向かう気概が消えたのを見て取ってから、スゥと涙袋が特徴的な青年は、赤く染まった禍々しい万華鏡を凪いだ黒に変え、それから静かな声で言った。

「先祖の無念を、兄を、弟を、父を奪われたこの怒りを、憎しみを忘れたことはねェ。千手は不倶戴天の敵だった、納得できない出来ねェって気持ちはよーく分かっているつもりだ」

 ガリガリと長い髪を鬱陶しげに掻上げながら淡々とマダラは続ける。

「だが、奴らを憎み続けてなんになる? 殺して殺されて、いつまで砂利どもを犠牲にし続けるつもりだ? ……どこかでこの連鎖を断ち切らねーといけねェんだ。それが今だった、それだけの話だ」

 オレはもう弟を亡くしたくねえと、ぽつり、戦場での鬼神の如き姿が嘘のように、苦悶と憂いを感じる表情で吐き出す涙袋が特徴の若き当主の姿に、はっと幾人もの一族のものたちが唾を飲み込む。

「亡くした先祖や親兄弟の無念を晴らしてやりたい気持ちもわかる。だが、それ以上にオレは、これからのほうが大事だ! 生きている弟の方が大事なんだ!! 弟に……いずれは生まれてくるガキどもに未来をくれてやりたい。だから、親兄弟を失った無念を、その怒りを飲み込んではくれねェか。オレの為にじゃねェ、ガキ共の未来のためにだ」

 

 そうは言うが、本当はマダラこそが誰より腑が煮えくり返っている。

 父を、兄を、弟達を殺した千手が憎い。憎くてたまらない。

 うちはマダラは愛情深く家族想いの男だ。誰よりも、血を分けた実の親兄弟こそが最も大切だ。その大切なものを奪われたのだ。それは敵だって同じだ。立場は同じで、これは戦で仕方なかったことくらいちゃんと分かっている、理解している。奪ったのはこちらも同じであることくらい。それでも、感情が叫ぶのだ、許せない!! と。

 その愛が深ければ深いほどに怒りも恨みも狂おしいほどに身を苛む。

 うちはの血の体現者ともいうべき男、それがうちはマダラだ。そういう性質だ。だからこそマダラは誰よりも強く、うちはの才に愛され生まれ落ちた。

 けれど、あの日の光もまた、マダラを捉えてやまない。

 ……あの日、あの河原で、マダラは陽の光に出会った。

 ダッサイ髪型と格好をした、同い年くらいの少年。

 鬱陶しくも絡んできて、こちらが怒鳴ったら一気に落ち込んで、やたらとテンションがコロコロと変わる。けれど、何故か……懐かしいような、近い何かを感じたのだ。

 少年は「柱間」と名乗った。

 弟が死んだとそう泣いた少年は、同じようにこの戦乱の世の中を変えたいと願っている、馬鹿な子供だった。

 そうして何度もあの河原で出会い、未来への希望を話して、馬鹿みたいにはしゃぎあって、術を競い合って……友と、なったのだ。

 柱間と過ごす日々は泣きたくなるくらい眩しくて、楽しかった。

 本当は、父に告げられる前からわかっていた。柱間がどこの誰なのか。聞かずとも特徴からわかった。それはきっと柱間も同じだ。それでも、ただのマダラと柱間でありたかったのだ。

 うちはマダラとしての自分は、兄弟を殺した千手を許せるはずがなかったのだから。

 だから、決別は決まっていた。

 それでも「にげろ」とそう石に書いて渡したのは、それはどうしてだったのか……。

 うちはマダラは情深い男である。

 だからこそ、もう心を傾けた柱間の存在を……他人と断じる事なんて出来なかった。

 あの馬鹿みたいにコロコロ表情を変える光に等しい友を、守りたかったのだ。

 けれど、唯一残った弟を危険に晒すならば話は別だ。

(柱間を、殺そう)

 オレはうちはマダラなのだから。そう、決意を固めると、身を裂かれるように痛む胸と引き換えに写輪眼を得た。友とかつて呼んだ宿敵の息子を殺すために得た力。

 そうして幾度も戦った。戦っている間は何も考えずにすんだ。奴と渡り合い、殺し合う。けれど拮抗するその実力に、もしかすると自分をも超えているのではないかと思える奴の強さに歓喜した。柱間と、奴との殺し合いが楽しくて楽しくて仕方なかった。

 それでも奴に「マダラ」と呼ばれる度に、心が揺れた。

 またあんな風に馬鹿な話をして、笑い合いたいと願う。そんな自分こそが許せなかった。亡くなった兄を、死んだ弟達を裏切っているようで許せなかった。だから、どんなに戦場で柱間に夢の続きを呼びかけられたとしても、首に降ることはなかった。奴を殺さなければと益々意固地になった。

 だから、思いもしなかったのだ。

『柱間さんの手を取りましょう』

 だなんて、イズナに……唯一生き残った弟に言われるなんて。

 弟が自分と同じ夢を、柱間が語った集落を同じく夢見ていたなんてマダラは知らなかった。

 でも、気づける余地はあったのだ、これまでも。

 

 弟のイズナは兄であるマダラから見ても、愛情深く繊細で心優しく他人の痛みに寄り添える、それでいて聡明な子だった。

 一度高熱で命が危ぶまれたことこそあったものの、物静かで落ち着いていて、何もかも見通すような凪いだ瞳をしていた。幼い頃から末っ子らしく甘えてくることは滅多になかったけれど、それでも他の弟達に比べれば自分には少し甘えたところも見せてくれていたと思う。

 イズナは不思議な子供だった。

 忍びの才に生まれつき恵まれ、戦神に愛されているようなマダラから見ても、末の弟は普通の子供とも自分とも異なっていた。それでも、血を分けた弟だ、自分を慕ってくれる小さな弟が可愛くて仕方なかった。

 イズナは末っ子だというのに、兄気質なのか、それとも老人共がほざくように本当に六道仙人の生まれ変わりかなんなのか、正直マダラにも見通せていないのだが、面倒見が良く子供が好きで甲斐甲斐しい。

 子供、といっても弟と同い年や中には年上も含まれていたのだが、イズナが彼らを見る目はとても同年代の子供を見るそれではない。慈しみ、庇護すべきものを見る目だった。

 そう、自分がイズナや死んだ弟達に向けているものと同じだ。

 イズナは少しでも多くのものが生き残れるよう、齢四つの頃には彼らの修行を見るようになった。

 子供が子供の面倒を見ている、なんて客観的に聞くと変な話だが、実際問題としてイズナは良き師であり、また良き父で、母で、兄だった。

 この戦乱の世に生まれた以上、たとえ齢五つの幼子だろうと親に甘やかされることは許されない。

 それがどれほど辛いことか。

 イズナは繊細で優しい子だ。だからこそ、わかっているのだろう。子供達の抱える寂しさを。

 イズナは時には敏し、褒め、悪いところは悪いと順を追って言い聞かせ、一人一人の名を呼び、その上で修行では手を抜くこともなく、口出ししすぎず、だからといって放置しすぎるということもなく、絶妙な距離感を維持しながら彼らと関わり続けた。

 それは親の愛に飢えた子供達にとって、理想の親の像そのものだったのだ。

 ボクを見て、ボクを褒めて! 子供ならあって当然のその欲求をイズナは見事に満たした。

 その上、礼儀正しく愛くるしい容姿をしている。

 故に、年寄りや女衆にもイズナはとても好かれたし、身内の贔屓目抜きでもイズナのようなものを人格者と呼ぶのだろうとマダラも思う。

 自慢の弟だった。

 そんな弟は忍びの才にも恵まれていた。

 己も大概天才と呼ばれているが、はたして自分と比べどちらが上かと聞かれると分からない、というのが答えだろう。

 マダラは弟に弱い。弟が可愛くて仕方ないし、弟を傷付けるものは全て殺してやりたいくらい憎い。だから、この弟と戦うなんて耐えられない。という理由もある。

 が、兄である自分から見ても、底が知れないというのもあった。

 チャクラ量に体力・膂力等はまずマダラの方が上だろう。しかし、気付いたときには兄も知らぬ技もイズナは当然のように行使している。

 好んで使用するのは幻術と、口寄せの烏を使った攪乱に手裏剣術、10を超えてからは火遁系統の術を使うことも多いが、隠し球の数も両手の指に収まらないほどありそうに見える。弟が全力で戦闘しているところなど、生まれてからずっと一緒にいるマダラでさえ見たことがない。

 一目で初見の術を習得に苦労することなく使えるところは、マダラもイズナも大差は無い。

 しかし、この弟は底を見せたことがないのだ。だから答えは分からない。

 でも強いことが果たして幸いであるといえるのだろうか?

 いや、弱いよりはいい。

 弱ければ簡単に他の兄弟のように死んでいる。

 そういう意味ではマダラはイズナに天賦の才があったことに感謝している。

 だが、強者との戦いに胸躍るマダラと違ってイズナは……戦が嫌いだ。

 殺すことは出来る。

 凡人のように殺すことが出来なくて逆に殺されると言うことは、まずない。

 でも表情一つ変えず人を男女の別なく殺すことは出来ても、それを愉しんだりは出来ない。必要だから、出来ると言うだけだ。イズナに、マダラのように戦いを悦ぶ嗜好はない。

 戦後仲間の死に、兄弟達の死に嘆く同胞を見ては悲しみを抱けど、自分たちのように敵への怒りや憎しみに駆られることはない。ただ、敵も味方も関係なく死者の存在に胸を悼めるだけだ。

 戦のない世の中が来れば良いと、本心から願っていたこと、兄であるマダラが知らないわけがない。

 ガキ共の面倒を見ているのも、子供達が死なないようにと、生き延びる力をつけさせる為だ。

 本当にあの子は、イズナは優しい子だから。

 

 マダラは千手を信用出来ない。

 柱間を、かつて友だった男を信じてやりたい気持ちはある。だけど、弟のようにはあれない。

 それはマダラがそういう気質だからだ。疑い深くネガティブ思考で最悪を常に頭にいれ続ける。イズナほどではないのかもしれないが、マダラもまた聡明な頭脳がある。先が見えすぎて、人の醜いところが見えすぎて、だからこそ他人を信じられない。

 それでも、弟が望んだのだ。

『兄さんと柱間さんの語った「子供が殺し合わなくて良い集落」という夢を見たい。あなたたちにその夢を叶えてほしい』と。

 ならば叶えるしかないではないか、兄として。

 ……本当は思っている。

 うちはの当主には戦うしか取り柄のない自分などより、イズナのほうが相応しいんじゃないかって。

 

 柱間が太陽なら、イズナは月明りのようだ。

 太陽は闇に生きるものには眩しすぎて、場合によっては憎々しくも忌まわしくもある。

 けれど夜闇を包み込む月の光は、闇でしか生きられぬものにも優しく寄り添い、安寧さえ与える。

 イズナの静謐で慈しむような微笑みは、望月の白い光によく似ている。

 その光に惹かれるように、イズナは色々な人に好かれ、愛されている。

 ……マダラなどよりも、ずっと。

 だけど、それでもマダラにとっては弟だ。唯一残された最後の弟なのだ。

 弟がそんなか弱くはないことぐらい知っている。愛くるしい見目に反して、繊細で心優しくはあるが同時に弟は誰よりもその心が強い。それでも守ってやりたいのだ、兄として。

 だからこそ、矢面に立つ族長の地位は自分が良かった。

「文句がある奴はオレを倒してみせろ。その手で、力尽くでオレから族長の地位を奪って見せろ。それすら出来ぬ弱者なら口を噤むんだな。……明日いっぱいまでは待ってやる」

 その言葉を締めに、解散させた。

 

 ……嗚呼、今日も良い月だ。

 まん丸とした満月もいいが、少し欠けた十六夜に衣のように雲がかかっているのも、また格別な風情がある。そんな中、神社の境内で月光を浴びるマダラの背後に人影が一つ。

「棟梁」

 そう己にかけられた若い男の声を合図に、くっきり浮いた涙袋と、ハリネズミの如き黒の長髪が特徴的な青年はゆっくりと振り返る。

 立っていたのは一族の若者の一人だ。イズナより三つほど年上の青年で、嫁を迎え家庭を持ち、大きくなった今も弟に良く懐いていた。

 確か、末弟の初陣の時も同じ部隊にいた筈だ。

「千手と同盟を結ぶなんて本気なんですか? 奴らを信用出来るとでも……?」

「本気だ。信用は……まァ、これからの奴ら次第だな。正直オレとて、信じ切れているわけじゃねェ。それでも、この戦乱の世を終わらせるには信じるしかねェだろうよ」

「イズナ様も……?」

 恐る恐るといった口調で弟の名が出された。

 ああ、これが本題か。だからあの場では聞かなかったのか、とマダラはなんとなく納得しつつ「そうだ」と答えを返す。

「イズナの望みだ。おそらくオレよりあいつの方が……千手柱間という男を信じている。うちはと千手が手を取り合うことによって泰平の世が来ること、それが作れると信じている」

 それを聞くと男は唾を飲み込み、それから苦悶に満ちた顔を見せ、くしゃりと自分の頭を押さえ込むと、絞り出すような声で「そう……ですか」と答えた。

「オレは……千手を信じることは出来ません」

 だろうな、オレもそうだ、と心の中でマダラも返す。

「オレの二番目の弟は、千手との戦が元で死にました……! 弟はまだ七つだったのに、目を潰され、体中切り刻まれて……! 痛みと恐怖に歪んだあの最期の顔を忘れることなんて出来ません……!! オレは、オレは……千手が憎い!! 憎くて、憎くてたまらない!!」

 見れば、赤く赤く血のように、男の瞳が三つ巴を宿して闇夜に輝いている。

「でも……オレは、あの人の事が好きです」

 ふっと、禍々しいほどに揺れていたチャクラの高ぶりが治まり、瞳が黒に帰る。

「あの人がいたから、今のオレがいる。あの人が戦い方を教えてくれたから、これまで生き延びてこれた。オレにとってあの人は恩人で……カミサマのような、人です。だから、あの人が望むなら、こんな感情捨てて見せます。胸の中で腑が煮えくり返っていたとしても、笑って奴らの手を取ってみせる」

 そうして本当に大切なものを想う慈しみに満ちた顔で、男は自身の体を抱きしめた。

「だけど、信用出来ないのは変わっていません。裏切られる可能性を捨てきれない。手を取った次の瞬間、背後から切り捨てられるんじゃないかって……だからお願いです、マダラ様。あの人を守ってください。オレにはあの人を守れるほどの力が無い。だからお願いです、マダラ様……!!」

 ガバリと勢いよくマダラより二つほど年下の男が頭を下げた。

「……言われるまでもねェ」

 静かながらも力強い声で、新たにうちはの当主となった青年が言葉を返す。

「イズナのことはオレが守る。この命に代えてもな」

 だから心配いらねぇよ、そう声をかけて後は振り返ることもなくマダラは去って行った。

 

 男は暫し立ち尽くす。

 ふと、その時優しい視線を感じて後ろを振り向く、するとそこには思った通りの人が立っていた。

「イズナ様、見てたんですか? はは……かっこつかないなァ」

 そう泣きそうな顔でくしゃりと髪を掻上げる男に対し、男より随分と線の細い年下の少年は男の名を呼びながら、ちょいちょいと手で招き寄せると、素直に近づいてきた年上の男に対し、額に人差し指と中指を揃えてトンと押すと、「許せ」とまるで小さな弟に呼びかけるような声で言った。

「お前達に負担をかけていることは分かっている。その選択が苦痛であることも。それでもオレは……」

「いいえ、わかっている……いいんです、そんなこと。……アナタ様が本当は戦などお嫌いだったこと、知っていましたよ、オレ達は。それに……オレと女房の間にだっていずれややこが出来る。イズナ様が、オレ達の子供の事まで考えてくださっていることくらい……わかっています」

 ただ、これだけは聞かせてくださいと男は言う。

「イズナ様、アナタは今幸せですか……?」

 それにふわりと、中秋の名月のような、慎ましく澄んだ微笑みを浮かべながら「ああ……」と返した。

「お前達のような理解者に恵まれて、オレは幸せだ」

「なら……いいです」

 そういって男もまた、くしゃりと泣きそうな顔を笑みに変えて、ぐちゃぐちゃの感情を無理矢理飲み込んで微笑った。

 

 

 * * *

 

 

 あの会合の二日後、全ての一族のものが千手と組むことに納得したわけではないが、しかしマダラに挑むような気概のある者もおらず、予定通り承諾の手紙をだし、更にその一週間後、うちはマダラ、千手柱間両名揃って火の国大名と会見し、里を興す承諾と援助を取り付けるため火の国首都へと旅立つことが決まり、その当日。

 

「おお、マダラァーーー!! 会いたかったんぞーーー!!」

「だぁああ!! 喧しい!」

 感極まって、かつての幼馴染みで秘密の友に抱きつこうとした満面の笑みを浮かべる千手の新しき当主の顔は、見事に炸裂したうちはの若き当主の長い足で蹴り飛ばされた。

「うう、酷いぞ、久々というのにマダラが冷たいんぞ……漸く戦場以外でも堂々と会えるようになったというのにつれないんぞ……オレはこの日が来るのを、こんなに楽しみにしてたのに……」

 ずうぅ~んとまるで、キノコでもそのまま生えてきそうな勢いで落ち込み始めた柱間を前に、「ウ、ウゼエ~!! お前、その落ち込み癖まだ治ってなかったのかよ!? 嘘だろ、おいっ!」とマダラは返して、それから「あー、蹴って悪かった。別にオレだって楽しみじゃなかったわけじゃねーよ。だから、そんなに落ち込むなよ、な?」と、幼い子供をなだめるように腰を屈め、ポンとこの旧友の肩を手を置いた。

 すると柱間は、それまでの地の底までめり込まんばかりに落ち込んだ姿はどこへやら、「マダラ~!!」と感極まった声をあげて、ガバリ。そのまま涙袋が特徴的な青年の体をしっかり抱きしめ、「やっぱり、マダラは優しいんぞーーー!!」と頬ずりする勢いでハグを続けた。

 はじめは「痛ェ、てめェいい加減にしろよこの馬鹿力が」だのと悪態を返すマダラだったが、旧友の目の端に浮かんだ水滴に気付いたからだろう。

「ったく、しょうがねェな」

 と、慈愛混じりのあきれたような声で言ってポンポン、子供の背をあやすように叩き、柱間の体を抱きしめ返した。

「ふふ、やはりマダラはマダラぞ。その優しさも暖かさも変わってないんぞ……ちょっと顔はイカツくなったけど」

 それまでよしよしと幼子の子守をするかのように接していたマダラであったが、最後にボソッと付け足された言葉を前にブチっと顔を怒りに歪め、そのままベリッと柱間の体を引き剥がした。

「だァーー!! うるせェ! 昔からなんでてめェはそう一言多いんだ!!」

「ガハハハ! そちらこそ昔と変わらぬな! マダラも元気そうで何よりぞ!!」 

 

 そんなコント染みたやりとりを繰り広げるうちはと千手の新当主二人の目の前には、当主の弟二人が真逆の表情で肩を並べて見物している。

 一方は微笑ましそうにニコニコとしながら兄二人を見ている、黒髪黒目の華奢な体格をした白皙の美少年。

 一方は、「オレは今何を見せつけられているのだ?」と言わんばかりの死んだような目をした白髪赤目の、少年と青年の間くらいの年齢をした男。まだまだ若いが、体格自体は殆ど大人と変わりない。

 言わずともわかるかもしれぬが、前者がうちはマダラの弟であるうちはイズナであり、後者が千手柱間の弟である千手扉間である。

 扉間は、頭が痛いと言わんばかりに額を手で押さえながら「兄者……これから自分たちが何をするのか本当にわかっておるのだろうな?」と確かめるように苦労人気質が染みた声で問うた。

 それに、カラカラと脳天気そうな明るい声で兄が言う。

「わかっておるわかっておる。これからオレとマダラは二人で火の国の首都に入り、三日後の大名との会談で里の設立とその援助を引き出してくるのであろう。マダラとオレが揃えば百人力よ。な~に、大船にのったつもりでこの兄に任せるが良いぞ!」

 と胸をドンと叩き、煌めくウインクのおまけ付きで告げる柱間であったが、弟の胸によぎるは不安ばかりだ。

 それはマダラとのやりとりを見て益々深まるばかりだった。

「兄者、前から言うておるが、やはり此度の会見はオレがいく。兄者は……」

「マダラがおるからいらん。お前は待機!!」

 ズビシッと指を突きつけ、即座にアッサリと柱間は弟の希望をはねのけた。それに益々死んだ顔になる弟。そのマダラがおるから心配なのだ! という、弟の心兄知らずとはこのことである。

 が、どうやらそんな柱間を見て不安感に駆られたのは扉間だけではなかったらしい。

 終始やたら浮かれたハイテンションで、旅支度というにはあまりに軽装をした千手の若き棟梁の姿を見て、うちはの新当主たる青年は、「おい、柱間、お前ちゃんと手ぬぐいは持ってるのか?」とか言い出した。

「ぬ? 持っておるぞ」

「水筒は?」

「大丈夫ぞ!」

「大名に提出する書簡は忘れちゃいねェだろうな?」

「大丈夫ぞ! ガハハハ!! マダラは母上みたいよのう」

「誰が母親だコラッ!!! こんな図体のでけェ手のかかる息子なんてお断りなんだよォ!!」

 と、ガハハ笑いを続ける柱間と、その体をガックンガックン揺らしながら感情を露わに怒鳴りつけるマダラ。そんな漫才にしか見えない二人を前に、扉間は酸っぱい顔をして、隣に立つ同じ境遇の筈の少年に言葉をかけた。

「おい、あれを見て貴様は何も思わんのか」

 それに対し、ちょっと癖のある長い黒髪を赤い髪紐で一つに束ねた、とても綺麗な顔立ちの少年がサラリと言う。

「嗚呼……あの二人、見ていて微笑ましいですよね。フフ、兄さん達が楽しそうでオレも嬉しいです」

 それはまるで菩薩のような、何一つ混じりっけの無い慈愛に満ちた顔だった。

 ……ここに集うはボケばかりか。

 扉間はツッコミを入れることを放棄した。

 

「それでは、扉間後は頼むぞ!!」

「イズナ……暫く留守にするが、気をつけろよ。まぁ、お前なら大丈夫だとは思うが……行ってくる」

「もういい兄者、さっさと行け。オレはもう何も言わん」

「はい。大丈夫ですよマダラ兄さん。兄さん達こそお気をつけて、お帰りお待ちしています」

 かくてマダラと柱間の凸凹漫才コンビは、仲良く肩を組んでそのまま旅立つのであった。

 

 

 * * * 

 

 

「千手とうちはが手を組む……同盟だと!?」

 ガタン、と音を立て立ち上がったブクブク肥上がった男は、吹き出物だらけの醜い顔に更に醜悪な表情を乗せながら、此度千手とうちはが共同で新しく集落をたてる、ついては火の国の認可を受けて新たな里として稼働したい、という申し出があることを部下の報告で受け憤慨する。

「ふざけるなッ!! 卑しい忍び風情がわしらと対等なつもりか!」

 男は火の国の役人であった。

 とはいえ、父の七光で跡を継いだだけであり、悪どいことは得意でも、仕事は不正以外は碌に出来ない国の癌のような男である。

 この時代、忍びは一族単位で雇われる。

 そして古来よりうちはと千手は不倶戴天の天敵同士で、また戦国最強と名高い二つの家は片方が別の大名家に雇われれば敵対する大名家はもう一方を雇う、というのが半ば常識となっていた。

 そして男は、同じ嗜好を持つものを集めてこっそり賭けの胴締めをしていた。

 名のある忍びは幾人もいる。その中で次は誰が死ぬのか、どちらが戦で負けるのか、だ。

 そもそも戦乱時代というが、死ぬのは忍びばかり。

 それを雇う国側からしたら、血と血で争う戦国の世も対岸の火事である。

 だが、戦国最強と名高いうちはと千手両家が組んでしまえば……賭けは成り立たない。

 男が憤慨するのは、身勝手ではあっても男の立場からすれば当然のことだった。

「もういい、大体奴らは元々敵同士なのだ! 少しの不和で簡単に綻びる! こうなれば奴らが疑心暗鬼で分断するよう工作員を放って……」

「それは困るな」

「……は?」

 ぞわり、突如男の体に怖気が走る。

 ばっと周りを見渡すも、誰も見えない。

「だ、誰だ!?」

 誰もいない、その筈だ。けれど、何か違う。ほんの数秒までのこの部屋と何かが……冷や汗が流れる。ドクドクと心臓が早鐘を打っている。呼吸が荒い。

「……だな」

 誰もいない筈なのに、秀麗な……声変わりを終えたか終えなかったかくらいのかすれた少年の声が、落ち着き払った声音で男の名を呼ぶ。

 役人の目には相変わらず何も見えない。でも、確実に何かがいる。

「うちはと千手、その同盟に……横やりを入れるのはやめてもらえないか?」

 だが、わかった。この物言いは確実に、この目に見えぬ侵入者は千手、もしくはうちはに属する忍びだ。

 悪寒は変わらない。けれど、相手が見下すべき忍び風情であるということが知れると、男は虚勢を保つためにも尊大な口調で「ハッ」っと吐き捨てるとベラベラと罵倒の言葉を続けて吐き出した。

「何故儂がそんなものに従わねばならん。大名にペコペコと付き従い金を集るしか能のない卑しい蛆虫風情が。忍びなどという下等種の分際で火の国の役人である儂に楯突くだと!? 身の程を弁えろ小賢しい」

「ならば、仕方ない」

 ……何故そこにいたのに気づけなかったのだろうか。

 そこには秀麗な少年が一人立っていた。

 男色も女色も問わず色事にも当然のように傾倒する男のような俗物から見れば、小姓にでもして寝所に呼び込みたいほどに美しい少年だ。

 少し癖があるも艶のある射干玉の髪、くっきりした二重まぶたの切れ長で涼しげな瞳。すっと通った鼻筋に、ぽってりと少し厚めの唇。小さな顔の作りに華奢な体躯に象牙色の肌。黒い髪と白い(かんばせ)のコントラストが美しい。

 変わった模様をした赤い瞳が不思議な輝きを帯びていた。

 そんな風に見惚れる男が正気に戻るより先に、「今からお前は24時間、追われ続ける」という言葉が届き、同時に男は見覚えのある森の中に連れてこられていた。

「は……? は?」

 そこは男が普段から使っていた狩り場だった。

 狐狩りも男の趣味の一つだ。猟犬を使い、獲物を追い立て、可愛い犬共が獲物を食い殺すのを、籠から眺めるのが娯楽の一つだった。

(なんだこれは?)

 男には理解できない。このどこまでもリアルな世界が幻術で出来ているということさえ、わからない。

 ガサガサと、草木の向こうからグルグルと飢えた猟犬が顔を出す。

 哀れな餌は、獲物は自身だった。

「ひいい!!」

 男は食われる。

(痛い! 痛い! イヤだ、助けてくれ!)

 心で叫んでも助けは来ない。

 脳裏にあの声が響く。

『うちはと千手に手を出すな』

「は、誰が……」

 それでも虚勢を張ってそう言ってのけると、気付いたら無傷で食われる前の場所にいた。そして草木の向こうからまた猟犬のうなり声が聞こえてくる。

 男はたまらず、逃げ出した。

 でも、終われない。終わらない。

 宣言された24時間が終わるまでは。

(助けてくれぇ……!)

 宴は続く。

 

 

 * * *

 

 

 月読にかかり、だらりと体を投げ出す男に更に幻術をかけながら、ため息を漏らす少年が一人。

 彼はうちはイズナ、今まさに火の国の大名と謁見のため旅立ったうちはの新族長の弟である。

 月読にかけられた男には、さぞかしうちはや千手に対する恐怖が植え付けられていることだろう。

 その恐怖という感情だけは残し、今宵己がここに現われたという痕跡を何一つ残さぬよう、通常の幻術を使い記憶の改ざんを施していく。

 うちはと千手、戦国最強と呼ばれ敵対してた二つの家が、消耗も少なく手を結ぶことを良く思わないものなどいくらでもいる。歴史上初めての忍び里なのだ、敵が多いのも当然と言える。

 故にイズナは千手と同盟了承の手紙を出してから、この一週間の間、当主である兄マダラの許可の元、諜報に長けた部下達を動かし、うちはと千手の同盟を阻むために動き出しそうなもののうち、国にとっても癌であろう悪巧みしか能のない真っ黒なものだけピックアップし、彼らと「おはなし」する為に直接動くこととした。

 それは父の死と同時に開眼した、万華鏡写輪眼の試運転も兼ねている。

 結果として、まあ開眼したあのときには既に気付いていたことなのだが……自分の目に宿ったのは左目は術者の質量時間まで自由に作られる幻術の「月読」、右目は視認する対象を燃やし尽くすまで消えぬ黒炎を発生させる火遁の「天照」……前世のうちはイタチの時と全く同じ能力だった。

 通常、万華鏡写輪眼は開眼者ごとに違う固有の能力を宿すものであるのだが……やはり魂が同じだからか、それともうちはイタチとうちはイズナはその人格が同一といっていいからなのか、結果は前世で慣れ親しんだそれと同じになった。

 ……まあ、使い慣れているほうが、瞳力を育てるにしても都合が良いのだが。

 なにせ万華鏡写輪眼の固有能力は強力な代わりに、体や目への負担もとんでもないので。永遠の万華鏡写輪眼で無い限り、使えば使うほど視力も失うそのリスクは前世のイタチの時によく知っている。

 多用できるような力ではないのだ、これは。

 とはいえ、慣れた能力であるし、使ったのは月読だけだ。

 疲労もたかがしている。

「イズナ様……」

「わかっている、行くぞ」

 イタチの知る歴史よりも柱間もマダラもまだ若い。

 それはそれだけ周囲に舐められるというわけで、敵は多いのだ。

 たとえ自分たちを危険視するものが敵対し、同盟が破綻するよう暗躍されたとしても、真っ当な相手ならあの二人なら何者が来ても正面から粉砕するのは簡単であろうが、それでも出来ることはしたい。

 今日のターゲットはあと三人、ただの敵対者ではない。

 国にとっても癌であろう奴らをおとなしくさせるため、イズナは夜闇を駆ける。

 

 

 * * *

 

 

「ただいま帰ったのだぞー!」

 旧友二人が大名との会談の為旅立ったその四日後、テカテカと精気に溢れた肌艶で陽気に笑いながら柱間と、ガッシリ肩を組まれて鬱陶しそうにしつつも、なんだかんだ満更でもなさそうなマダラが、とりあえず千手とうちは両集落の中間くらいの位置に木遁によって生み出された山小屋へと、無事帰還した。

「ったく、いつまでもガキみてェにはしゃぎやがって、いい加減離れろ。ただいま、イズナ」

 柱間を適当にあしらう傍ら、最愛の弟へ愛しさの隠し切れていない微笑みを浮かべるうちはの族長。

「おかえりなさい、マダラ兄さん、柱間さん」

 そう言って互いにお帰りのハグを始めるうちはの兄弟をチラリと見て、期待するような顔をこれまた自身の弟に向ける柱間であったが、扉間は兄のそんな視線をガン無視して、「それで首尾良くいったのであろうな、兄者」と尋ねる。

 そんな弟の反応にやや残念そうにする柱間であったが、切り替えの早さには定評のある男だ。

 ぱっと笑顔を浮かべて「無論ぞ、オレとマダラの二人がいて出来ぬことはない!!」と断言し、そのまま千手とうちは、それぞれ主要メンバー三人ずつの計六人しかいない小規模な宴会に移る。

 そうして道中男二人旅であった事や、首都でのことなどを面白おかしく……まあ殆ど喋っているのは柱間で、マダラはツッコミばかりだったのだが、側近と弟達に聞かせるのであった。

 因みに当然、両手の指で足りないくらい道中に襲撃があったようだが、そもそも相手はうちはイタチの知る歴史では「忍びの神」と謳われた千手柱間と「うちはの伝説」うちはマダラである。全く何の障害にもならず、当然のように蹴散らされた。

 一人でさえ相手したくないのが二人の二乗である。

 どう考えてもやばすぎるツーマンセル過剰戦力タッグであった。可哀想に、こんな人外と人外予備軍を敵にまわした刺客の冥福を祈ろう。合掌。

 そうやって、柱間が酔い潰れたのをきっかけにお開きとなり、扉間は兄をズルズル引きずりながら、マダラとイズナは酔い冷ましにゆったり歩きながらそれぞれの集落に帰ることとなった。

「ったく、柱間の奴、本当にどうしようもねェ」

 とかブツブツ言っている兄は不機嫌な顔をしているが、実のところ上機嫌なのは気配で丸わかりである。そんなマダラの反応が可愛らしくて、思わずイズナは「フフッ」と微笑む。

「なんだよ」

「蟠り、無事溶けたようですね」

 良かった、と告げる弟の目は澄んだ黒で凪いでいる。

 どこまでも、人の奥底まで見通しているような、瞳。

「イズナお前……」

 どこまで見えていた、と兄たる青年はそんなことを訪ねそうになって思わず口を噤み、それから左右にゆっくりと首を振ると、「……いや、なんでもねェ」と返した。

「星、綺麗だな……」

「ええ、そうですね」

 そんなたわいもない会話を最後にあとは無言で夜道を歩き続けた。

 

 里を興す許可を得たといっても、すぐに里が出来るわけでもない。

 男達が戦に出ている間に女達が世話をしていた畑や家畜、家の整理などもある。

 そうして柱間がある程度木遁で整えたという、里の予定地に実際に引っ越しに乗り出し移動が始まったのは、うちはと千手両前族長が亡くなり、同盟を組むことが決まった日から三ヶ月後のことだった。

 うちは側から一番最初に移動することが決まったのは、マダラとイズナの兄弟。

 他の者は次の日から順にやってくる。

 里までの、出来たての道を歩く。その度にイズナの胸に懐かしさがこみ上げる。

 そうして、たどり着いた。

 まだ、里と呼ぶのは烏滸がましい。小さな集落といった規模で、とりあえず柱間の木遁忍術で仮の住宅が作られている。

 その集落の真上にはあの崖……まだイタチの記憶の中にあるような顔岩は存在していないけど、よく知っている。この場所のことはおそらくこの場にいる誰よりも、イズナこそが一番よく知っている。

「!? お、おい、イズナ……お前」

 後ろから動揺し狼狽える兄の気配がする。

 けれど、胸がいっぱいで答えるような余裕がない。

「なんで、泣いてるんだよ?」

 言われて、気付いた。

 ぽろぽろと、音もなく次々に頬に滴が伝う。

 マダラの覚えている限り、この弟が、イズナが泣くなんて、物心ついてからは初めてのことだった。

「泣くなよ、な? な?」

 どうしていいのかわからず、おろおろと戦場での鬼神の如き姿が嘘のようにマダラは心底困った顔で、弟の肩を抱く。

 そんな兄を、静かに流れる涙もそのままに、イズナは「兄さん」と見上げる。

「いえ……少し、嬉しくって……感極まってしまったようです」

 そういって、イズナは懐にしまった手ぬぐいで自分の涙を拭った。

「そっか……」

 兄は酷く優しい顔をして、ぽんと弟の頭に手を乗せ、そろりと撫でる。

「はい、だから心配しないで大丈夫ですよ」

 そういって安心させるように微笑った。

 

(帰ってきた)

 

 その表現は正しくはない。

 ここはうちはイズナの故郷ではなく、木の葉隠れの里はこれからここから始まるのだ。スタートに漸く足が届いたところだ。だから、帰ってきたなんて表現は相応しくない。

 それでもイズナの魂が、心が訴えかけてくるのだ。

 嗚呼、漸く帰ってこれたのだ、と。

 だから、イズナは胸の内で、記憶の中だけにある自分の前世にあたるうちはイタチへと、その言葉をかけた。

 

 ただいま、と。

 

 

 続く


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