バニーの日の騒動を終え、タバサと小太郎と紫水は静流が店長を勤める酒場の上にある宿泊所に来ていた。タバサにとっては唯一、この世界で我が家と呼べる場所と言っても過言ではないだろう。
「じゃあ、私の部屋はここだから」
「ああ、今日は助かったよタバサ。扇舟さんにも顔出したいから、明日出る前に一応声をかけるつもりだ」
「ん。わかった。じゃあ今日はお疲れ様、ふうま、紫水」
「おう、お疲れ」
「おやすみ、タバサ」
タバサが部屋のドアに手をかける。同時に伝わってくる室内の感覚と、人の気配。もしかしたらもう寝ているかもしれないと思った同居人が起きていることに気づいた。
小太郎に今の時点で顔を出してもいいんじゃないかと声をかけようかとも思ったが、既に2人の背中は少し遠くなっている。
「……まあいいか」
ドアを開け室内に入る。話し声が部屋の中まで聞こえていたのかもしれない。同居人は待っていた人が帰ってきたと、明るい表情でそちらを向いた。
が、直後、その顔に困惑の色が浮かんでいた。
「タバサちゃん……よね……?」
「私だよ。……あ、そっか。
仮面を外したその下から覗いた懐かしい顔に、ようやく彼女は心からの安堵の表情に変わった。
「よかった。部屋に書き置きと荷物があったし、今も声が聞こえてたからきっと帰ってきたと思ったんだけど、あまり見慣れない戦闘用の装備のままだったから驚いちゃった。……おかえりなさい、タバサちゃん」
「ん。ただいま、扇舟」
さあ、おかえりなさいのハグを、といった様子で扇舟が腕を広げる。タバサはその直前まで歩いていき――クルッと90度進行方向を変更、持ってきて冷蔵庫の側に置いていたクーラーボックスへと向かっていった。
「……飛び込んできてはくれないのね」
「何が?」
扇舟が何を言ってるかわからないと首を傾げるタバサ。
「いえ、いいの。それよりもそのクーラーボックス……。書き置きから予想するに、多分タバサちゃんが持ってきたんだろうなっては思ったんだけど、ずっと気になってて……」
「開けてなかったんだ。扇舟へのおみやげ。はい」
そう言ってタバサは扇舟の目の前にクーラボックスを持ってきて蓋を開けた。冷気が煙状になって立ち込め、扇舟は一瞬目を細める。そして、その冷気が晴れたところにあったのは――。
「うわぁ……! もしかして、稲毛屋のアイス!?」
扇舟らしからぬ、欲しい物を買ってもらった時の少女のような声だった。
パッと見て10個ほどあるアイスは個別に容器に入れられている。さらに保冷剤とともに動かないように発泡スチロールが敷き詰められ、アイス1個につき1ブロック分として固定されていた。
そしてその見えている上の段と別に下の段もあるようだ。つまり、都合20個の稲毛屋のアイスがこのクーラーボックスの中に入っているということになる。
しかも味は4種類用意されている。鉄板のバニラにストロベリー、チョコ、青いのはソーダだろうか。
稲毛屋のアイスはソフトクリームだ。故に凍らせたとしても形が崩れやすい。クーラーボックスの中が個別の容器、それを固定する発泡スチロール、そして温度を下げるための保冷剤と、ここまで徹底されているのは形が崩れないための工夫だと扇舟は気づいた。
「おばあちゃんにお願いして凍らせて持ち運べるようにしてもらった」
「すごい……。私なんかのために、わざわざここまで……」
「ただ、凍らせないで運ぶのは不可能で、でも凍らせると食感が変わるとかなんとかって。おいしく食べるために少し冷凍から戻す必要があるらしいんだけど、私はよくわかってない。そういった方法とか保管方法とかをメモしてくれたらしいから、あとは扇舟お願い」
タバサからメモが手渡される。が、それは2つあった。片方はメモ用紙だったが、もう片方は丁寧に封筒に入り、「井河扇舟へ」と記されている。
「ねえ、タバサちゃん。2つあるんだけど……」
「あ、もう片方は稲毛屋のおばあちゃんから預かった扇舟への手紙」
「夏……さんから?」
「ん、そう。でもそっちを読むのはアイスのメモを読んでからにしてほしいかも。……扇舟にとっても懐かしい稲毛屋のアイスだし、今食べたいでしょ?」
「そうね。えっと……」
保管は横に倒れないよう、固定用の発泡スチロールごと冷凍庫に入れるように、と書かれていた。そのままだとタバサが言った通り食感が変わってしまうため、冷蔵庫で1時間程度か、室温で10分ほど放置すると本来のソフトクリームに近い食感になる。急ぎであればレンジで10~20秒ほど温める方法もある、とのことだった。
「レンジ……? 溶けちゃう気がするけど……。それはちょっと怖いから室温で10分が無難かしらね」
「10分か。じゃあその間に汗流してくる。アイス保管したらおばあちゃんからの手紙でも読んで待ってて」
「わかったわ。……あ、タバサちゃんは何味食べるの?」
「ソーダ……だっけ。青いやつ」
言い残し、タバサは浴室へと入っていく。その間に扇舟はアイスをどうにか冷凍庫に詰め込み、固定に使われた発泡スチロールをスタンド代わりにして立てたまま自然解凍させることにした。タバサが食べる分のソーダと、自分が食べる分にアイスの鉄板であるバニラだ。
それから、気になっていた稲毛屋の夏からの手紙を手に取る。
「……タバサちゃんは行水だから、急いで読まないとね」
入浴に関して、扇舟は可能ならば湯船にお湯を張ってゆっくり浸かりたい、それが無理でもシャワーをしっかり浴びたいというタイプだが、タバサはさっきの彼女の言葉通り「汗を流す」ぐらいしかしない。
もたもたしていたら今にも浴室から出てきそうだと自分に言い聞かせるようにして、扇舟は封筒から便箋を取り出した。
五車の裏切者である自分に対して何が書かれているか。折りたたまれたそれを開くのにわずかに勇気がいったが、意を決して扇舟は自分への手紙を読み始めた。
『久しぶりだね、扇舟。あの子があんたと一緒にいると聞いて、この手紙を書いている』
そんな書き出して始まった夏の手紙は、扇舟の予想に反して自分への非難の言葉はなかなか出てこなかった。
社交辞令的な形式上の挨拶から始まり、タバサがバイトで稼いだというお金を持って稲毛屋に来たこと。ヨミハラにいる扇舟のためにどうにかしてアイスを届けたいと頼み込んできたこと。冷凍をした上でも大きく味が変化しないようにアイスに対する研究を行ったこと。そういった内容が書かれていた。
「……私のために、そこまで……」
思わず扇舟の目に涙が浮かぶ。
そして手紙の最後の方になって、ようやく扇舟自身に対しての言及があった。
『確かにあんたは五車を襲った加害者だけど、私は被害者でもあると思ってる。あの愚かな葉取星舟の娘として生まれてしまったために縛られ続けたんだからね。きっとアサギの嬢ちゃんも私と同じ考えだから、あんたに温情をかけたんだと思う。あんたも鉄華院の娘みたいに、親を見限って出奔でもできていれば、なんてことも考える。それに年のせいか、まだ私のアイスを食べることができて、私に懐いてくれていた幼い頃のあんたを時々思い出すよ』
自身の手を毒手に染めてからは稲毛屋のアイスを食べることはできなくなっていた。同時に、扇舟自身は井河長老衆に属していたために、派閥としては中立を貫き対立する形になった夏に接することも母親によって禁じられた。
「夏姉……」
思わず、そんなしがらみに縛られること無くつき合えた、遠い日に呼んだきりの愛称が口をついて出る。
母と同じぐらいの年齢差ではあったが、扇舟からすれば姉のような存在。幼い頃から特製の手作りアイスを食べさせてもらい、「夏姉」と慕って遊び相手をしてもらったことも、稽古をつけてもらったこともあった。
『タバサはいい子だ。危うい面もあるけれど、そこも含めて純粋なんだろう。あんたを友達、と呼んでいた。友達は大事にするもんだよ。確かにあんたは罪を犯したし、それを背負う必要もあると思う。でも贖罪がどうとか考え過ぎず、まずは友達を悲しませないように。そして、その友達と一緒に、生まれ変わったつもりでもう1回人生をやり直してみてもいいんじゃないかね。まあ、折角拾った命なんだ、楽しく生きな』
手紙はそう締めくくられていた。
「ありがとう……夏姉……」
ずっと心の中に引っかかっていたものがすっと取れたような。そんな感覚に、扇舟は嗚咽交じりにそう感謝の言葉を口にしていた。
使用者の命と引き換えに発動する“呪い”に命を狙われた。タバサに偶然助けられる形になったとはいえ、その時からずっと、もしかしたら自分は生きていてはいけない人間なのではないかと考え続けていた。
だが、夏は生きることを諭してくれた。友達を悲しませないように。そんな風に生きてみよう。扇舟は前向きにそう考えていた。
「お待たせ。……大丈夫、扇舟?」
と、そこでシャワーを浴び終えたタバサが浴室から出てきた。時間はまだ10分と経っていない。本当に行水だ。
「ええ。ちょっと手紙を呼んでたら懐かしい気分になっちゃっただけ」
「そっか。で、時間はそろそろ?」
「そうね。じゃあ、食べましょうか」
個包装のケースから取り出し、ソーダ味のアイスを手渡す。受け取ったタバサは「ん?」と下のコーン部分を見て首を傾げていた。
「ここの部分、いつもの稲毛屋のアイスと違う気がする」
「あ、手紙に書いてあったわ。お店で普通に使ってるコーンは冷凍に不向きで、どうしても食感が変わってしまうんですって。それで、このワッフルコーンっていうタイプに変えてみた、って」
「へぇ……。おばあちゃんすごいな。まあいいや、とりあえず食べよう」
いただきます、と2人が稲毛屋のアイスを口に頬張る。
扇舟にとっては何十年ぶりになるかという懐かしい味、一方でタバサにとっては五車滞在中にずっと食べた変わらない味。
「おいしい……! 確かに稲毛屋のアイスだけど……私が昔食べたときよりもすごくおいしくなってる!」
「ん、ちょっと食感が硬めだけどいつもの味だ。頼み込んだ時は『できるかわからない』とか渋い返事だったのに、さすが」
タバサはそのまま下のコーン部分もかじってみる。サクッ、とワッフルコーン特有の軽い食感が口に広がった。
「あ、この下の部分おいしい。下の部分は今後こっちにすべきだよ」
「本当? ……あら、すごい。アイスにいい感じにマッチしてる。タバサちゃんの言う通りかもね」
そんな具合にアイスに対する感想言いながら食べ進めているうちに、気づけば2人とも完食していた。
「やっぱりどこで食べても稲毛屋のアイスはおいしいな」
「そうね。……ありがとう、タバサちゃん。私のためにわざわざこんな……。バイト代をこれに使ったっても書いてあったし、なんだか申し訳ないような……」
「気にしなくていいよ。扇舟と一緒に食べたかったから。それより残りは?」
「冷凍庫に入れておいたわ。……でも今日はもうダメよ? 一度にたくさん食べたら、その分楽しみも減っちゃうんだから」
「……ま、それもそうか。仕方ない、今日は1個だけにしておこう」
タバサのこういう部分は子供らしいし、言い聞かせる自分はどこか母親のようにも思える。
(本当に……。ありがとう、タバサちゃん……)
扇舟は改めて、心の中でタバサにお礼を述べていた。
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翌日、朝の早い時間のうちに小太郎と紫水はタバサと扇舟に顔を出してからヨミハラを後にしていた。
「じゃあな、タバサ。何かあったらスマホで連絡をくれ。あと、たまには五車にも来いよ。……扇舟さん、タバサをよろしくお願いします」
「五車に来たら図書室に寄ってね。コロちゃんも待ってるって。凜子って人には言い聞かせておくね、だって」
そう言い残し、2人は帰って行った。
「あの2人……同じ部屋に泊まったの?」
それからしばらくして味龍へ向かおうという道すがら。扇舟がタバサにそんな質問をしてきた。
「さあ? なんで?」
「……いえ、なんでもない。……そうよね、タバサちゃんは、そういうことわからないか」
「ん?」
ああ、やっぱりこういう部分も子供っぽいと思わざるをえない。
そんな事を考えつつ、味龍に到着した。タバサにとっては久しぶりとなる職場だ。
「んー……。少し懐かしい気がする」
「仕事のやり方とか、忘れてない?」
「大丈夫。……扇舟、私のこと馬鹿にしてる?」
「してないしてない。一応の確認よ。……さあ、じゃあ久しぶりのアルバイト、頑張りましょうか」
「ん」
店に入ると同時、声を張った扇舟の声が響き渡った。
「皆おはよう! 今日からタバサちゃんが復帰するわよ!」
その声に、先に店で仕込みと開店準備をしていた春桃と葉月とシャオレイの表情が明るく輝いた。
「タバサ! 帰ってきたのか!」
「良かった……! もしかしたら帰ってこないんじゃないかと……クゥーン……」
「タバタバ、おかえりだヨー」
「ん、ただいま。……トラジローはまだか」
一気に駆け寄ってきた3人に頭を撫で回されたり、腕を握られてブンブン振られながらもタバサは相変わらずの無表情だ。そんなギャップに思わず扇舟が小さく吹き出してしまう。
「おはようなのだ。……お!? タバサか!?」
そこにトラジローもやってきた。
「あ、トラジロー。海ぶり」
「おお、あの時は助かったのだ。またお前と働けるのは嬉しいぞ」
さすがに3人にもみくちゃにされているところには入れないと、トラジローはあくまで言葉だけで再会を喜ぶことにしたようだ。
「よし、今日からタバサも復帰だ!」
味龍の店員全員が揃ったことで、春桃が頭を撫で回すのをやめてそう切り出した。
「それじゃあ今日も1日、元気に営業といくぞ! さあ、仕込みと開店準備の続きだ!」
扇舟と夏の関係は割りと捏造が入ってます。
原作で参考になるストーリーがウソか本当かわからないエイプリルフールのネタストーリーだけだったので……。
ちなみにこの2人、中の人が一緒だったりするんですよね。