タバサがヨミハラへと戻り、味龍のバイトに復帰してから数日。
ブランクを感じさせない動きでオーダーを取り、出前を届け、仕込みまで手伝う。貴重な戦力の復帰に、店長代理の春桃は嬉しそうだった。
「いやあ、やっぱりタバサが戻ると違うな! 短期間で一旦抜ける形になっちゃったから仕事内容忘れてないか不安だったが、むしろ動きが良くなってるまであるし」
「まあ……修行みたいなことしたからかな。周りがよく見える。あの人注文してきそうだな、とか、あいつ暴れそうだな、とか」
「そんなことまでわかるようになったのか!? ……これは明日が楽しみだな」
「明日?」
何のことだろう、とタバサが首を傾げる。何故か話が通じていない、と春桃もつられたように首を傾げたところで「ああ!」と理由に思い当たって手を打っていた。
「そういえば言ってなかったか。明日は定休日だ。それで……」
「あ、わかった。海でトラジローが言ってったっけ。定休日に鍛錬してるとか」
「そうそう。わかってるなら話が早い。もう鍛錬というよりスパーリングし合うような状態になっちゃってるけどな」
「オレがトップなのは当然だが、最近扇舟も数回に1回はオレから1本取り始めて危うさを感じ始めているのだ。そんな扇舟から春桃は時々1本取れるぐらい、あとの2人はどんぐりの背比べなのだ」
トラジローが補足を入れた。が、「あとの2人」で括られた葉月とシャオレイは不満そうである。
「ボクは本来剣士ですよ! 素手じゃ劣るのはしょうがないじゃないですか!」
「ワタシだってこんな呪符さえなければ……。本当はもっと強いんだヨー!」
「フン、そうやって言い訳をしているうちはまだまだなのだ」
腰に手を当てて強者の余裕を見せるトラジロー。
「……とまあ、こんな風にライバル意識を持ったりすることで、お互いに切磋琢磨して高め合いつつ、店に来る悪質な客に対応できるように鍛錬するってのが一応のコンセプトだ。きっかけはタバサがいなくなったことで腑抜けてしまったあたしやセンシューに活を入れるためだったんだが……。恒例になりつつあってな」
「私は参加するけど、強制はしないわ。午前に集まって数時間程度汗を流して、昼食時には解散って形になる。……といっても、その後皆でご飯食べに行くことも少なくないけれど」
扇舟はそう言いつつも、選択自体はタバサに任せる、という口調だった。
「模擬戦は嫌いなんだけど……。でも素手か。とりあえず参加してみる」
「そんな堅苦しく考えなくていいわよ。それに闇の街の住人としては素手での戦いも慣れておくと何かと助かることもあるでしょうし」
「まったくだ。この店だって週に1度は暴れる輩が出てくるもんなあ。いつの間にか店の見世物みたいになりつつあるし……。こっちとしては勘弁してほしいよ」
やれやれ、という様子の春桃に思わず扇舟は笑ってしまう。
実際昨日も店内で客同士による乱闘騒ぎが起きかけた。丁度トラジローとタバサが出前に出ていたタイミングだったが、ホール担当だった扇舟があっさりと組み伏せて終わらせている。年と義手のせいもあり全盛期ほどではないにしろ、この鍛錬でカンが戻ったという彼女からすれば、もう街のチンピラ程度では相手にもならないのだ。
「わかった。……というか、扇舟から私に腕前を見せたがってる気配がするし、実際私も見てみたいから興味はある」
「……否定はしないわ。そこで私がトラジローちゃんと戦い合えている姿を見たら、タバサちゃんの私に対する評価も変わるかもしれないし」
「それとこれとは話が別というか、扇舟に危ない思いをしてもらいたくないってだけなんだけど……。まあいいか」
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翌日、タバサは扇舟に連れられてヨミハラの一角にある巨大な建物を目指して歩いていた。
ここから少し先にはスラムもあり、この建物は以前そんなスラムの者たちが体を売るような娼館だったらしい、と扇舟は移動しながら説明してくれた。しかも悪徳オーナーが取り仕切っており、スラム出身の働き口を見つけにくい相手の足元を見て劣悪な環境と安い給料で働かせ、私腹を肥やしているような状態だった。
しかしスラム住民からの直々の嘆願を受けてノマドがオーナーの処罰に動いた。その後、建物だけは残して娼館自体は取り潰し、代わりに今はヨミハラでも貴重な体を動かす設備の整ったジム兼武道場として生まれ変わったという経緯があるとのことだった。
「へぇ……。五車にいた時はノマドは悪い組織、とか聞いたけど、その話を聞くとそうは思えなくなる。実際イングリッドやリーナは話が通じるし」
「この街には娼館なんてたくさんあるからね。敢えてそういう悪質な店を潰して見せしめにして、他の店への警告にしたのかもしれない。とにかく、元が娼館で建物自体が大きかったのを利用してジムになったらしいの。……とはいえ、メインリングのある1階では週に何度か賭け試合とか行われているらしいけどね。評判の悪い娼館なんかよりそっちの方が稼ぎがある、ってノマドが考えたのかもしれないわね」
パッと聞く限りやはりヨミハラらしいエピソードであり、人によっては入口をくぐるのに抵抗があるかもしれない。が、何度も通っているであろう扇舟は慣れた様子で施設内へと入っていく。
入り口を入ってすぐのところに防弾仕様と思われるカウンターがあった。そしてフロアの中心には四方をロープで囲まれたリング。今も一組の男たちが防具をつけてスパーリングの真っ最中だ。
「いらっしゃい。……お、味龍んとこの姐さんか。そういや今日は定休日か。またひと暴れに来たってわけだ」
カウンター越しに声をかけてきたのは、スキンヘッドで顔に多く傷があり、さらに右目にはアイパッチ、おまけに右手も義手という、いかにもな男だった。どうやら受付らしい。
「ええ、まあね。……他の人たちはまだ来てない?」
「お前さんが……いや、お前さんたちが最初だ。……後ろの子は? 見ねえ顔だな」
「私と一緒で味龍のバイトよ。しばらくヨミハラを離れてて、最近戻ってきたからこの会に参加するのは初めて」
「へぇ。てっきり姐さんの子かと思ったよ」
自然な流れで扇舟が受付の男と世間話を始めたのを、タバサはなんとなしに眺めていた。
「……仲いいんだね」
それからポツリとそう呟く。
「え? ああ、まあここは何度か使わせてもらってるし、逆にお店に食べに来てもらうこともあるから……」
「俺も美人相手に話すのは嫌いじゃねえしな」
「じゃあさっき扇舟が私に話してくれた、ここの成り立ちとかもこの人から聞いたの?」
「ここは昔悪徳オーナーが取り仕切ってた娼館で、ノマドがそれを取り潰したって話か?」
受付の男の問にタバサは頷いてそれを肯定する。
「英断だよ。ほんとよくやってくれた。ノマド様々、朧様々だ」
「え……? 朧って、あの朧?」
「ノマドの朧様と言ったら1人しかいねえよ。……スラム一体とこの辺りまではあの人の管轄区域なんだ。あの人のことを悪女だとか残忍だとか言う人もいるけど、俺たちみたいなスラム出身者からしたら女神だよ。俺たちの意見にも耳を傾けてくれる。……といっても、あの人は悪いイメージの噂が流れるほうが相手をビビらせやすくて都合がいいってスタンスだから、面と向かって女神なんて言ったら怒られるけどな」
「ふーん……」
タバサが初めて出前に出た時、トラジローと一緒に孤児院であった朧のことを思い出す。
心の中がとても見通せない、油断のならない相手。会っていた時間は短く、言葉も交わさなかったが、あのトラジローが緊張を隠せないほどだということだけは、そのときにわかっていた。
「ここはジムなんて言ってるが、週に何度かそこのリングで賭け試合が行われる」
「さっき扇舟が言った通りか。ノマドとしては娼館よりそっちの方が稼げるから?」
「まあそういう理由もあるだろう。でもおそらくだが……あの人は、俺たちに這い上がるチャンスをくれたんだよ」
「這い上がる? チャンス?」
どういう意味だろうかとタバサが首を傾げる。扇舟なら何かわかるかと思って顔を見たが、彼女もわからない様子だ。
「まず、賭け試合ということで金が動く。ファイトマネーとして、勝てばスラムの貧乏暮らしでは数週間は働かないと得られないような金が一晩で手に入るから、ここででかい試合を行えるような闘士になろうと皆必死だ。次に、勝ちを上げ続ければここの母体であるノマド連中の目に止まり、兵士としてスカウトされたり、ノマド本部にある更に大きな賭け試合が行われる闇闘技場、デモンズ・アリーナに挑戦出来たりもする。後者は勝てば金も名誉も得られる分、負けるとそれは悲惨なことになるっていうハイリスクハイリターンではあるが、スラム出身の闘士には一攫千金を夢見る連中も少なくない」
へぇー、とタバサと扇舟の声が重なった。
「ま、俺はデモンズ・アリーナに挑戦するなんて度胸はなかったからな。スカウトされて兵士に志願したんだが……。この怪我をきっかけにそれも引退して、今はここの受付兼警備員ってわけだ」
男は義手の右手で右目のアイパッチを指さしながらそう言った。
「義手と義眼を揃えて続けるのも考えたんだが……。金がかかるからな。義眼は手術が必要になるから勿論として、戦闘用の義手も維持費だけで結構な出費になる。姐さんも義手だからわかるだろ?」
「ええ、そうね……。日常生活を送る程度ならメンテもそれなりで問題ないけれど、本格的に戦闘するとなると専用の義手のほうがいいし、消耗も激しくなる……」
「それに右目と右腕を失った時に、俺は元々力も才能も無かったってよくわかったからな。今はここでこうやってるほうが性に合ってるって思ってるよ。それでもスラムから抜け出す機会をくれた朧様には感謝してもしきれないけどな」
そんな会話が聞こえていたのだろう、リングでセコンドについている獣人が鼻で笑ってから会話に混ざってきた。
「ハッ! 力がないとかよく言うぜ。この間街にゾンビが溢れたときは、ねぐらを飛び出して真っ先にここに来たんだろ? そしてここを守るためにそのカウンターの中にある銃器引っ張り出してきて、ノマドの兵士たちと共同戦線とってたって話じゃねえか」
「昔取った杵柄、ってやつだよ。銃に頼り切ってたし、大したことはしてねえ。それに朧様が管轄してるこの店に何かあってみろ。俺は合わせる顔がねえよ」
「ゾンビが溢れたとき? ……もしかして、イセリアルに襲撃されたときのこと?」
タバサの表情が真面目なものに変わる。
「イセリアル……そんな名前だったかな。緑の結晶が生えた化け物とかいやがったっけ。この街は変な連中が湧くこともあるが、ありゃ初めて見たな」
まだ表情が険しいままのタバサに扇舟がそっと囁いた。
「間接的に、タバサちゃんはこの人を助けた、ってことになるかもね」
「……そうかな。結果的にそうなっただけだと思う」
「私と同じよ。形はどうあれ、助けてもらってる」
「……まあ、おかげでここが残った、っていうのなら、間違ったことをしたわけじゃないんだし、それでいいか」
もしかして照れているのかな、と思った扇舟だったが、相変わらずタバサの顔は無表情無感情で心が読み解けない。勝手に思っていればいいか、と扇舟はひとつ息を吐いた。
と、そこで味龍の残りのメンバーがジムの中に入ってきた。
春桃とトラジローは普段のチャイナドレスだが、葉月とシャオレイはなぜかジャージ姿。胸元には「サトウ」「タナカ」と名札が縫い付けられている。
「センシューにタバサ、もう来てたのか! 時間通りに来たつもりだったんだが……。待たせてすまなかったな」
「いえ、私たちが少し早く来ちゃっただけだし、世間話してたから気にならなかったわ」
「むしろゆっくり来てくれたおかげで美人な姐さんと話せたから、俺としては感謝してるよ。……で、今日はいつも通りの部屋と時間でいいのかい?」
「ああ、よろしく頼む」
「なんならメインリング使ったっていいんだぞ? 今使ってるあいつらと戦って勝ったら使わせてやるよ」
「おいおい、冗談はよしてくれ!」
丁度スパーリングのインターバルに入っていたらしい。リング上の男が口をゆすぎながら悲痛な声を上げた。
「味龍の店員は皆半端じゃなくつええんだからよ! あの店で暴れるのは無駄に腕に自信がある馬鹿か、ヨミハラのことを知らない馬鹿かのどちらかってまで言われるほどだぞ!」
「違いねえ。味龍、サイボーグ探偵の事務所、アスタロトの溶岩エステ店、桐生美琴のラボ……。今挙げたような場所で暴れるやつはただの馬鹿だって、もうヨミハラじゃ周知の事実だしな」
対角のコーナーにいる相手までそう言って話に乗っかってくる。さすがにうんざりしたように春桃が答えた。
「うちは暴力店じゃないぞ! あくまで他の客の食事を妨げないように自衛でやってるだけ、そしてこれはそう言う自衛のための鍛錬と、あとは店員同士の交流を深めるレクリエーションってだけだ! ほら、いつも通りの時間と場所で頼んだ!」
乱暴に春桃が金を置く。反省した様子もなしに、「へいへい」と肩をすくめながら受付の男はそれを受け取ったのだった。
エステ店あったり納涼祭やったりとヨミハラは何でもあり状態になってるから、捏造でスポーツジム兼武道場を設定したけど何もおかしくはないはず……。