災禍と会ってからさらに約2週間後。その日もタバサは普段のようにバイトをしていた。
だが今日はいつもよりも明らかに客の数が少ない。ピークとなる昼時からその気配はあったが、本来ならまだ客足が途絶えないはずのこの時間でも早くも空席が目立ち始めている。
「3番、センシュースペシャルと半チャーハンとラーメンセット」
「はいよー。……にしても今日は客が少ないな」
タバサからのオーダーを受け取った春桃がポツリそう呟いた。
出前注文も少なく、タバサも店内を手伝っていたがそれでも若干手持ち無沙汰だ。
「またちょっと前にあったみたいに牛が街中を走り回った、とかかしら?」
やはりこちらも手持ち無沙汰気味の扇舟が会話に混ざってくる。
「そんなことそう何度も……。いや、起こらないとは言い切れないな。なんといってもここはヨミハラだし」
「……結局あれは確認できなかったな。もし今日客が少ない原因がそれなら今度こそ見に行きたいけど」
「お前も諦めが悪いなあ」
そんな他愛もない話で春桃と、つられて扇舟も笑う。
何気ない、よくある味龍の風景であった。
だが、タバサが常に身につけているスマホが震えたことに気づき、ディスプレイに「ふうま災禍」の文字が見えた時。
自分にとっての今日の平穏はここまでだと、タバサは直感していた。
以前災禍に会った時に、「保険として力を借りることがあるかもしれない」と言っていた。おそらくその時が来たということだろう。
「ところで春桃。有給っていうのを取りたいんだけど」
そんな風に考えをまとめると同時。タバサは普段と変わらない様子でそう切り出していた。
「どうした、急に? というか、本来ならそういう話は営業時間後が望ましいんだが……。まあ今は客足も少なめだからいいか。で、いつ取りたいんだ?」
「今から」
言いながら、既にタバサはエプロンを脱ぎ始めている。
「は!?」
「ごめん、どうしても外せない用事が入った。悪いけどちょっと出てくる」
「お、おいタバサ!」
「タバサちゃん!?」
春桃は料理で手が離せないらしい。代わりに扇舟が店を出て行こうとするタバサを止めようとしたが。
「扇舟」
振り返ったタバサの顔に、思わずその足が止まる。
タバサはほぼ無表情無感情だ。が、顔の中でも印象的なその目が普段よりも冷たく見える。何より、体から発する圧が普段と違う。
仮にも元対魔忍の扇舟は、その気配にそれ以上足を前に進められなかった。
「絶対に着いてこないで。お願い」
何か危険なことに首を突っ込もうとしているのかもしれない。扇舟はそうも思ったが、止めることは出来なかった。
「……わかった。でも約束して、必ず帰ってくる、って」
「それは勿論。言われるまでもないよ」
タバサは味龍の入り口をくぐって外へ出る。それから、ずっと鳴りっぱなしだったスマホを取り出して通話状態にした。
「災禍? 保険が必要になった?」
『ええ。残念だけどそういうことよ。バイト中申し訳ないとは思うけど……』
「それは大丈夫。で、どこに行けばいい? 災禍の泊まってる宿?」
『部屋まで来ると目立つわね……。宿の入り口を左側に出て、最初の路地で身を潜めていてもらってもいい?』
「ん、わかった。すぐ行く」
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タバサはフル装備に身を包みつつ、指定された場所に気配を殺して立っていた。
ヨミハラの路地といえば治安が悪い場所の代名詞のようなものだ。が、建物の陰に紛れつつ見事に気配を殺しきっているために、傍からパッと見ただけではそこに誰か立っていることすら気づけ無いだろう。
特に以前のレクリエーションの時から、気配の殺し方は更に進化を遂げてもいる。文字通り闇に紛れ、タバサは災禍を待っていた。
と、うつむき気味だったタバサが不意に顔を上げた。路地の入口側、誰も居ないはずのその場所をじっと見つめている。
「災禍? 来てる?」
「……驚いたわ。いるはずなのに確信を持ってそう思えないほどの見事な隠密っぷり……。同時に、自慢の新装備もタバサちゃんの前では効果なし、ってことかしらね」
その声が聞こえてきた直後、誰もいなかったはずのその場所に不意に災禍が現れていた。
しかし身についていた衣装が今までの黒と白のコントラストが映えた対魔忍スーツとは違う。
下地は今までのものと同じ黒。同時に災禍の特徴でもある義足を含め、股関節部分まではっきり見える。扇状的とも言えるそんな下半身部分のデザインは似ているものの、上半身に目を移せば、以前のスーツで露出していた肩は今は布地に包まれていた。
何より1番の違いとして、科学的な雰囲気を放つ緑のラインがところどころに走っているのが目を引く。
「ん? その格好、なんかあんまり対魔忍っぽくないデザインな気がする」
「ええ。このスーツはどちらかというと米連に近いかもしれないわね。特殊光学迷彩……って言っても伝わらないか。簡単に言えば、さっきみたいに姿を見えなくする機能がついた試作品なの。先日、試験的に実戦投入して効果があったんだけど……。やっぱりタバサちゃんが気づいたみたいに気配が読める人には通じないみたいね。結局、そこから完全に消えるわけじゃなくて、見えなくしてるだけだから」
「だとしても集中しないと気づかなかったし、効果はあると思うよ。……それも科学か。やっぱりすごいな」
感心したようにそう言ったタバサに対して、どこか得意げに災禍は小さく笑う。が、すぐに対魔忍としての表情へと引き締め直した。
「私のスーツの機能がわかったところで、本題に入りましょう。……静流さんが
「え……? 静流が?」
確かに静流の能力が荒事向きとは言い難いことは、以前共闘したタバサも気づいている。が、それでもこの闇の街で町内会長まで務めてしまうような女性だ。単純な戦闘力だけでは計れないこともまたわかっていた。
「攫った相手はフュルスト……」
「あ、知ってる。確か二車忍軍と手を結んで五車の反乱に加担したクズだっけ」
「ええ、その通り。私がこの間話した『大きな事件』の中核となる人物……。ノマドの大幹部、『だった』男よ」
「だった?」
災禍は、以前は詳細を伏せたままだった「大きな事件」について説明を始めた。
ノマドは超巨大組織であるために一枚岩ではない。特に幹部同士のいざこざはいつ起きてもおかしくないような状態であった。
その中でフュルストは野心のために厄介な外部の組織と密かに手を結び、イングリッドを暗殺しようとしたらしい。が、それは失敗に終わる。
この時点でフュルストは実質幹部としての肩書は失われ、それからはいつ粛清されるかと怯えながら過ごしていた。だが、イングリッドも組織の体裁を保つためにも手を出しにくい、という状況にあった。
そんな時、フュルストと因縁のある外部の組織がフュルストを討ちに来るという情報が入る。イングリッドはこれを利用し、外部の人間に処罰を任せることにした、ということだった。
一方で自らの身についに危険が及んだフュルストも行動を起こしていた。
そこで行ったのがヨミハラ町内会長にして潜入中の対魔忍でもある高坂静流の拉致。そして、姿を変えたフュルストの部下が静流に入れ替わる形で、任務と称して小太郎をヨミハラに呼び出したということだった。
「フュルストは若様とも因縁のある相手。だから、奴絡みの『大きな事件』が起きる時は若様も関連すると思ってタバサちゃんに保険ということで声をかけていたのだけれど……。まさかこんなことになるとは思っていなかったわ」
そう前置きをしてから、「だけど」と災禍は続ける。
「若様は相手が静流さんに化けた偽物だとすぐに看破された。同時に、これが罠だと気づきつつも、あえて騙されたフリをして捕まるともおっしゃられた。おそらく囚われているであろう静流さんの救出のためね。それで私に静流さんを助けるように命じられたわ。……結果的に、タバサちゃんの保険が私のサポートということで活きる形になったとも言えるわね」
災禍の説明を聞き終えたタバサは、明らかに怒りをにじませた声色と共に口を開いた。
「……つまりそのクズは静流をさらって、その上間接的にふうまにも手を出した形か。私の仁義を考えても、動く理由としては十分すぎる。……で、静流を助けに行くの? 私としては敢えて罠に飛び込むふうまが心配なんだけど……」
「それは問題ないと思う。いつものメンバーに、今回は若様の最強のボディーガードである御庭番を連れて来られるらしいから」
「……ライブラリーか。ならそっちは大丈夫そう。ん、静流を助けに行こう」
災禍としては小太郎を助けに行きたいと言われるのを覚悟でこの話をしていた。そこの説得の手間と万が一の保険とを心の中の天秤にかけた結果、後者側に振り切れたためにタバサを呼んだのだった。
よって、手間がかかってもどうにかして説得する、ぐらいの心積もりはあったのだが、その思惑は良い意味でハズレたことになる。
「彼のこと、信頼してるのね」
「強さが間違いなく本物なことはわかってる。それにおそらくふうまはふうまで作戦があるんだろうから、下手に私が首を突っ込んで台無しにするようなことはしたくない。……で、静流はどこに捕まってるの?」
「この街にあるフュルストの屋敷よ。ただ、気をつけて。あいつのことだから妙な魔術とかがかけてある可能性もあるし、今日あの家は間違いなく戦場になる」
「この世界の魔術のことはわからないけど、荒事なら問題ない。だから私を呼んだんだろうし」
違いない、と災禍は肩をすくめた。
「基本的に隠密行動で行くわ。私はこのスーツの機能を使って先導する。タバサちゃんはさっきみたいに気配を殺して、影から影に動く形でお願い。それだけでも並の相手には気づくことすらできないでしょう」
「気配を殺すことには自信がある。……ついでに敵を殺すことも」
頼もしいが、笑うに笑えないタバサジョークである。思わず災禍は顔を引きつらせることしか出来なかった。
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ヨミハラの街外れにあるというフュルストの屋敷は、傍から見ても不気味な気配を放っていた。
さっき本人の口から出たように、タバサはこの世界の魔術関係については知識がない。何かトラップのようなものが仕掛けてあるとしても、先行している災禍頼りであった。
災禍の新しいスーツは科学的による探知だけでなく、魔術的な探知からも身を隠せるらしい。
そのため、まずは彼女が裏口から単身で侵入。タバサの力を頼らざるを得ない状況になったら連絡するということだった。
「……災禍の案は正しいんだろうけど、暇だな」
屋敷が見える範囲内の影に身と気配を忍ばせ、仮面越しにタバサはボソッと呟く。
やることもなく手持ち無沙汰なために、彼女は仮面の下で目を閉じ、屋敷の中の気配を探り始めた。
(……さすがにこの距離だと完全には探り切れないか。でも4つ、覚えがある気配がある。多分ふうまと蛇子と鹿之助とライブラリー……。それに向かい合ってる2人はフュルストとその部下かな)
元々向けられる感情に敏感であり、それからライブラリーとの訓練を経てより正確に相手の内面を見抜けるようになったタバサ特有の能力。その後の集団模擬戦や味龍でのレクリエーション等を通してそれはさらに研ぎ澄まされ、結果として数百メートル先の館の中を探れるほどにまでなっていた。
しかし、そこで不意に小太郎の様子が少し変わったことに気づく。
(あれ……? ふうまのこの感じ……。まさかあの力を使おうとしてるんじゃ……)
これだけ離れていても感じられる、その異質な力に思わずタバサは総毛立つ。本人は何度も使っているから、と言うが、紫水も危険だと警鐘を鳴らす魔性の力だ。
言葉にし難い、全身にドロリと張り付くような不気味な感覚。それでも小太郎の周囲の人間、特に最強の手駒であるはずのライブラリーが動かないことにタバサはいらだちを覚えた。
(なぜ何もしないライブラリー……! ふうまのそんな近くにいるのに……!)
思わず焦ったタバサは飛び出したい衝動に駆られる。が、考えを巡らせ直し、どうにか踏みとどまった。
(……いや、ふうまがライブラリーをすぐ近くに置いておきながら無策なはずがない。あの力は危険だし本当は使ってほしくないけど……それに見合う何かをしようとしているはず。だったら私が行ってその計画を失敗させるべきじゃない……)
独特の呼吸法で大きく数度深呼吸。ようやく心が少し落ち着き、そのまま様子を見守る。
と、不意にライブラリーが動き、1人の命が消えた。おそらくライブラリーがフュルストの部下を始末したのだろう。それに慌てたのか、フュルストがそこから逃げていき、小太郎の魔の力の気配が消え、4人の元に多くの敵と思われる存在が集まってきたようだ。
同時にその時、タバサのスマホが数度震えた。
災禍からの合図、「援護を頼む」の指示だ。
(本当は数的に不利そうなふうまの方に行きたいけど……。いや、これ災禍側も数結構多そうだな)
改めて地下の雰囲気を探ると知っている気配が2つ、敵集団と思われる存在とぶつかっている。
ならばもう考える必要はない。災禍の指示通りに動けばいい。
タバサは気配は殺したまま、闇に潜む影のようにフュルストの館へ向けて疾走した。
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フュルストの館に囚われていた静流を救出した災禍は、地下になだれ込んできた大量の敵を相手にしていた。
あられもない姿ではあったものの、幸い静流はただ捕まっていただけだった。今は災禍から手渡された対魔忍スーツに身を包み、木遁で作った鞭を振るって災禍を援護している。
一応の目的は達成した。だが静流を連れた状態ではスーツの能力を使っても効果がない。敵に背を向けての撤退も考えたが、可能であるなら小太郎と合流したいと、災禍は襲いかかる敵を相手にしていた。
(静流さんの救出には成功、ここまでは計画通り。……とはいえ)
地下に来た敵の数は決して少なくない。個の力は2人に遠く及ばないとはいえ、如何せん数で押されかねない状況だ。
(この数は少し厄介ね。でもタバサちゃんが来てくれればおそらくなんとかなる。なるべく早く来てくれるとありがたいのだけれど……)
そんな事を考えながら、棍棒を振り下ろしてきたオークの攻撃を回避。逆に顔面へと義足による自慢の蹴りを叩き込む。顔面が陥没したオークが吹き飛ばされたが、今度はまた別のオークが襲いかかろうとしていた。
「キリがないわね……」
「しょうがない、私の木遁で毒の花粉をばら撒きましょうか。災禍さん、吸うと危険だから息を止めて……」
「その必要はないよ」
無感情なその声は、2人のすぐ側から聞こえてきた。いつの間にか両手に剣を持った、フードから仮面が覗く少女が静流の隣に立っている。
「た、タバサちゃん!? ……来てくれたのはありがたいわ。でもそんな敵みたいな現れ方をするとこちらとしても心臓に悪いんだけど……」
「気配を殺して来たらこうなっただけ。それより静流、大丈夫そうだね」
「ええ。捕まって何かされるのを覚悟したけど、あくまで人質にされただけだったから」
「よかった。……で、災禍。あとはそいつらを全滅させればいい?」
言っている内容が雰囲気にまるでそぐわない。「ちょっと散歩してくる」ぐらいの感覚でされた質問に思わず災禍は呆気にとられ、危うくオークの大振りな攻撃に当たりかけてしまった。
「え、ええ……。できるならばお願い」
大きく後退してどうにか回避しつつ、災禍は後のことをタバサへと任せることにした。
「ん、わかった。……というわけでお前ら」
タバサの姿が消える。得意の
今災禍への攻撃を外したオークの胸に両手の剣が突き刺さる。おそらく心臓を貫いたのだろう。悲鳴を上げる間もなくオークが絶命したのを確認し、タバサは敵対する者たちへの死刑宣告を通知した。
「皆殺しだ。全員死ね」
原作イベント「地下都市の用心棒」はタバサが関わっていないところで起こった、という形を取りました。
災禍のセリフの中にある「先日、試験的に実戦投入して効果があった」という部分がそこに該当しています。原作でも「機装災禍」はこのイベントが初登場で、スーツのステルス機能を使ってセリフの通りに活躍してます。
そしてここからは、原作ストーリーでも一つの山場であったメインチャプター51の「フュルスト」に当たる形になります。