亜希とナーサラがタバサに会いに来た翌日。2人とミニナーサラに連れられる形でタバサはクーラーボックスを肩にかけ、朝一に宿泊所を出発していた。
その道中、亜希は少し前に自身が体験した奇妙な出来事と、今回小太郎に呼び出された理由を話してくれた。
亜希はふうま
さらに、この世界とは全体的に少し違っていたということだった。
例えば、亜希自体が存在しておらず、アサギは今よりも若く、小太郎も幼かったが両眼を開いており、扇舟によって殺されたはずのふうま弾正も健在、しかし亜希の知っている姿からはかけ離れているといった具合である。また、その扇舟もまだ毒手が残っている状態で、井河とふうまの間の仲は良好という感じだ。
一方でヨミハラは完全に魔族によって支配されており、この世界とは似ても似つかない状況だという話だった。
「いやあ、私の記憶の中の弾正様は戦国武将って感じで渋い方だったはずなんだけどね……。こういっちゃなんだけど、冴えないおっさんみたいな人が出てきて『誰これ!?』ってなっちゃったよ。……でも小太郎はあっちの方がかわいかったな、うん」
「ふーん……。そういう異世界もあるのか。……あ、今ふうまの家に居候してるさくらが元いた世界とかかな」
「それはどうだろう。でも、私が飛ばされたのも多分そういう並行世界の類だと思うから、状況としては近いような気もする」
「へぇ……」
相槌を打ちつつ、タバサはずっと気になっていた質問を切り出した。
「で、その世界に私はいなかったんだよね?」
「そうだね」
「私がいた世界の存在も?」
「多分いなかったんじゃないかな。ただ、1ヶ月間いたわけだけど最初のヨミハラ以降はずっと五車にいたから。詳しいことはよくわからないな」
やはりケアンの情報は何もなしか、とタバサは小さく肩を落とす。
亜希はそんなタバサの様子に気づかないのか、それとも気にしないようにするためか。それからも話を続けてくれた。
向こうの世界で世話になったのは、こちらの世界で襲ってきたはずの魏蓮だった。最初にヨミハラで助けてくれたために別人、あるいは何か事情があると判断し、加えて正体を知る意味でも同行したほうがいいと考えた亜希は、異次元の五車にある彼の家でしばらく過ごしたのだと言う。
だが、彼は地下室で何かをしていたようだった。そしてふとしたことから、亜希は魏蓮がやろうとしていたことに気づいたのだ。
それは、忍法を持たない子どもたちに闇の化け物を埋め込み、後天的に邪眼を得るという研究だった。
魏蓮自身、後天的に磁力を操る邪眼を得ていたが、忍法を手に入れるまでは里の中でも爪弾きにあっていたという状態だった。そんな思いを忍法を持たない子どもたちにさせたくない、ということだったが、子どもが大好きな亜希からすればそんなものは詭弁と感じるに違いないだろう。
「……私が奴の企みに気づけたのは扇舟のおかげというか、彼女が私の話を聞いて地下室に忍び込もうとしたんだ。私がそのことに気づいて駆けつけたときには、もう血溜まりの中に倒れてて……」
「え……。じゃあ、その世界の扇舟は……」
「ごめん、どうなったかはわからない。直後にナーサラちゃんが助けに来てくれて、私はこの世界に戻ってくることができたから。……でも、あれだけの出血量じゃ、多分……」
「……その魏蓮って奴、どこにいるの?」
明らかにタバサの殺気が高まった。いくら別次元の存在とは言え、友人を手にかけられたということで怒っているのだろう。
「もうこの世にはいないよ。……最初に言った通り、私のあの1ヶ月はここでは一瞬だった。だけど、私はあいつとの関係を追体験したみたいな形になったのかな。ナーサラちゃんに連れ戻してもらって、最後はこの世界で戦うことになって、ちゃんと私がケリをつけた」
「……そっか」
「でもね、あいつに勝てたのは扇舟のおかげなんだ。……あの世界の扇舟は、魏蓮のやつに惚れていた。だから、あいつが暴走するのを止めようとして、1人で先に地下室に入って……。それで返り討ちに合ってしまった。だけど、扇舟は大きなダメージを受けながらも毒手を魏蓮を打ち込んでいて、そのおかげで奴に隙が生まれて私が勝つことができたんだ」
どこか遠い目をしつつ、亜希はそう言った。
「別の次元の扇舟だけど、私の命の恩人みたいなものだから感謝してるし、助けられなかったことを残念にも思ってる。だからといって、この世界の扇舟にお礼を言ったところで、当人はなんのことだかわからないと思うんだけどさ」
「毒、か。……やっぱり扇舟が行き着くところはそこってことなのかな」
ポツリと意味ありげにタバサが呟く。その後、ナーサラの方へ振り返った。
「今の話だとナーサラは亜希を連れて戻ってきたわけだよね? つまり別次元へ干渉する力がある。と、いうことは……」
「タバサの世界へは無理。亜希は飛ばされる瞬間、私がいたから次元、特定できた。それでも時間、かかった。それに、亜希が別次元の似た世界に行ったの同様、タバサの世界にも似た世界が無数にあると推定。その中のひとつを見つける、困難」
「つまり、ケアンではあるけど、私の代わりに私じゃない別な“乗っ取られ”がいる、みたいな世界がたくさんあるかもしれないってこと?」
「肯定。認識、多分それで合ってる。タバサが探す世界、探し当てられたとしても、それがタバサのいた世界とは限らない」
「うーん……。この手の話は全然わかんないや」
お手上げ、と言った具合でタバサはそうこぼした。
ようやく話がひと段落ついた。それを確認してから、亜希が再び口を開く。
「……で、ものすごく長くなったけどここまでが前置き。本題は今回小太郎に呼ばれた理由なんだけど。……なんかさ、今五車に異世界から3人ぐらい迷い込んできちゃってるらしいのよ」
「……は?」
思わずタバサは間の抜けたような声を上げた。
亜希が言うには、荒廃したこの世界の未来からやってきた対魔忍。未来ではあるが文明レベルで異なる、超がつくほどの未来からやってきた公国の姫。そして次元を渡り歩き破壊をもたらす、空飛ぶ巨大クジラの「ケートス」を狩る使命を帯びたブレインフレーヤー。その3人が今五車にいるとのことだった。
ケートスを狩ることで3人が元の世界に戻るだけのエネルギーは回収できるらしい。そのため、この手の問題に対処可能な能力を持つナーサラ、つい先日次元漂流を体験した亜希、そして異世界人であるタバサを呼び寄せた、と説明してくれた。
「じゃあそのケートスってやつを倒せれば、私も元の世界に戻れる?」
「ごめん、どうも小太郎の口調だとそれはできないみたい。その3人は元の次元の座標がわかるだとかなんだとかで大丈夫らしいんだけど、タバサちゃんの場合は小太郎の家に居候してるさくらと同様に迷子状態みたいなものだとかで……」
「ふーん……。ま、何か情報が得られるかもしれないか。それにそろそろ五車に戻ってふうまとこの間のことをちゃんと話しておきたいとも思ってたし。あと、稲毛屋のアイスも食べたいし」
「あ! もしかしてそのクーラーボックス……。稲毛屋のアイスをヨミハラに持って帰るため!?」
「ん、そう。扇舟へのおみやげ」
そういうことか、と亜希は天を仰いだ。が、直後に探偵事務所の面々に買って帰るだけの金もなければ、買って帰ったところで一瞬で食い尽くされるであろうという想像も脳裏をよぎる。
「……ナーサラちゃん、稲毛屋のアイスは私たちだけで食べよう。2人分ぐらいなら私の手持ちでなんとかなる。でもクーラーボックスを買った上であの面々の分のアイスも買って帰るとなると、申し訳ないけど割が合わない。だから私たちだけの秘密だ」
「秘密、了解。ナーサラ、口は硬い」
前置きとアイスの話がほとんどで本題に大して触れてないのではないか、とタバサはここでようやく気づいた。
とはいえ、亜希が言った情報以上のことは実際に五車に行ってみなければわからない、というのも事実であろう。とりあえず数ヶ月ぶりとなる五車訪問、そして小太郎との再会。まずはそこからかと、稲毛屋のアイスの話で盛り上がる探偵事務所の2人見つつ、タバサは考えていた。
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一方、その頃。
タバサを見送った「この世界の」命をつなぎとめることに成功した扇舟は、ヨミハラの中心部を離れ、外れの方へと足を進めていた。
この辺りまで来ると娼館の数も減り、治安も少々怪しくなってくる。事実、扇舟が1人で歩くのを見かけた3人のチンピラが獲物を見つけたと小声で仲間たちと話しているのが耳に入ってきた。
「おい……。あの女、娼館に売ったらいい値段になるんじゃねえか……?」
「あ? ……いや、ありゃやめとけ。味龍の店員だ。俺たちじゃ手に負えねえ」
「何ビビってんだよ。こっちは3人だぞ」
「俺は降りる。やるなら勝手にしろ」
「あ……。俺もパスで……」
「何だお前ら、それでもヨミハラの住人か? もういい、俺1人でやる。分け前も独り占めだしな。……おいそこの女! 止まれ!」
ハァ、とため息をこぼしつつ、指示通り扇舟は立ち止まった。
「全部聞こえてた。お友達の言う通りにしたほうがいいわよ」
「なっ……! 舐めやがってこの女!」
チンピラが刃物をチラつかせ、扇舟目掛けて大ぶりで振り下ろす。
おそらくは脅し目的だろう。間合いも取れていなければ振りも甘い。こんなのは「好きに料理してください」と言っているようなものだ。スッと体を捌いて刃物の軌道上から逃れつつ、反撃しやすい位置を取る。そのまま刃物を持った腕を取り、相手の力を利用しての投げに移行するだけで呆気なく勝負はついた。
「ぐあっ!? いでででででっ!」
宙を舞った体は背中からコンクリートの地面に叩きつけられ、さらにそのまま手首の関節を取られる。その痛みで刃物が手からこぼれた相手は、為す術なく悲鳴を上げるだけだった。
「こんな街だからやるな、とは言えそうにないけれど、相手は見定めるべきね。あと、お友達の忠告もちゃんと聞きなさい。場合によっては返り討ちに合って命を落とすわよ」
まだ関節を取ったまま、男の仲間の方へと視線を移す扇舟。
「待った待った。俺たちにやり合う気はない。止めはしたんだが……」
「さっきの話が聞こえてたからそれはわかってる。代わりと言ったら何だけど、この人のことはあなたたちに任せても?」
「ああ、悪かったよ。よく言っておく」
「そう。……この辺りも物騒になったわね」
ようやく取っていた手首を離し、扇舟は目的の店へと向かうことにした。背後から恨み言となだめる声が聞こえるが、これ以上は気にかけるだけ時間の無駄だろう。
表通りを離れればこんなのは日常茶飯事だ。もっとも、それがヨミハラであるし、だからこそ脛に傷を持つ者は身を隠しやすい。
さて、そういう意味で考えるならば、これから向かう店の主はそういった事情があるからだろうか。それとも、タバサ同様にこの街を気に入って住んでいるのだろうか。
そんな世間話にも興味はあるが、探られたくない過去もあるかもしれない。自身がそういった過去を持つ扇舟としては、やはり聞くことは憚られる。
とにかく自分がすべき話だけをしようと、目的の店の扉を開けた。
店に入ると同時、独特の草の香りが鼻をつく。
ここは魔草屋。味龍の名物メニュー・センシュースペシャルなどに使われているヨルの魔草同様、魔界の植物を取り扱っている店である。
「いらっしゃいませ~。あら、扇舟さんじゃないですか」
その店内に、のんびりとした女性の声が響き渡った。
声同様の優しげな顔立ちにピンクの髪。この店の主、魔草使いのメルメ・エルヒェムである。
メルメは常連というほどではないが、時々味龍を訪れることもあった。そこでセンシュースペシャルを食べ、ヨルの魔草が使われていることに大層驚き、メニュー考案者の扇舟と色々話しているうちに仲が良くなったのだ。
今ではメルメは味龍に料理を食べに、扇舟はハーブティーの原料を買いに店を訪れる形で交流が続いている。
もっとも、扇舟個人としてはハーブティーを飲むことは好きなのだが、甘さにまみれた清涼飲料水を知ってしまった同居人が「そんな味がしないのよりジュースがいい」とあまり飲んでくれないため、ハーブを買いに来る機会は減ってしまっていたりもする。
「お久しぶりですね、お茶用の魔草ですか~?」
「ちょっと別件で……。最近飲むことが減ったせいでここからも足が遠ざかっちゃって」
「あらあら。健康に良いんで是非続けて飲んでほしいんですけどねぇ~」
自分には効果がありそうだが、果たして高い治癒能力を誇る異世界人の彼女にはどの程度効果があるかは疑問だ。とりあえず愛想笑いでその話題をやり過ごし、ひとつ咳払いしてから扇舟の顔に硬い色が浮かんだ。
「……今日ここに来たのは、私が個人的に必要としている魔草を手に入れるため。おそらく、メルメならこのリストのものを揃えることが可能だと思ってるから、お願いしに来たの」
そう言うと、扇舟はメモが書かれた紙を手渡した。
「はいはい、拝見しますね~。えーっと……」
そしてメモを読み始めたメルメだったが。
読み進めていくうちに、そのおっとりした顔が強張っていくのがわかった。
「あの……扇舟さん。このリストに書かれている魔草がどういうものか、わかっていますか……?」
声も緊張した様子が窺える。
まあそれも仕方のないことだろう。なぜなら、そのリストに書かれていたものは――。
「ここに書かれている魔草……。それぞれではさほど毒性の高くないものばかりですが、調合すると、
「勿論、わかってお願いしてるわ。……私の忌むべき知識。でも、武器としてすがるしかない知識……」
多くの同胞を殺め、小太郎の父の命を奪った毒。だが、再び戦いへ身を投じるに当たり、戦闘用の義手に加えてその力に頼るしかないという結論に達していた。
「お願い、メルメ。そのリストに書いた魔草がどうしても必要なの。……もう一度、私が戦う力を手に入れるために」
魏蓮の話はメインチャプター52の「亜希の次元漂流記」に当たり、タバサのパートはストーリーイベントの「未来からの皇女さま」に当たります。
個人的にはこの2つは重要度的な意味で、メインとイベントの割り当てを逆にしたほうがしっくり来ると思うのですが、まあ時期的なもので仕方なかったんだろうなと思ったり。
ところで同じLilithのゲームである「宇宙海賊サラ」の敵キャラに「ギーレン」という双子の姉妹がいたので、魏蓮も何か関係あるのかなとか思ったんですが多分全然無いですね……。