星間戦争の時代だった。
エイリアンが攻めてきて、たくさん人が死んで、どうにか返り討ちにできた地球人類が初めて執り行ったのは、全ての国を解体し統一政府を樹立して、自身らが生き残るためにありとあらゆるエイリアンを滅ぼす侵略文明への舵取りだった。
そうして地球はあちこちのエイリアンに喧嘩をふっかけ、侵略を繰り返していた。平和的に友好を結ぼうとした時代も統一政府樹立前にはあったと聞くが、大抵のエイリアンには人間的な友好が理解されないようで、結局のところ宇宙への進出……フロンティアとは膨大な数の殺し合いと異種族交流などない孤独を味わうために存在していた。
「ほんとうに行くの?」
駅のホームで、幼馴染のツァワリがそう言った。私は頷いた。
ツァワリは地球政府高官の娘だ。兵役義務のない特権階級。それでも幼馴染で、同い年の10歳で、丁寧に結われた黒髪が目を引くばかりのまだまだ気弱な女の子だった。
対し私はどこにでもいる平凡な少女。
これから宇宙へ出、軍の指示に従ってエイリアンを殺しに行く、どこにでもいる子供。
「行く、て言ってもさ。別にこの体が宇宙へ行くわけじゃないし」
残念ながら、地球人類の体は宇宙空間に適さない。なので機械に精神を流し込む。その間、本当の肉体は地球で冷凍睡眠処置を受ける。私がこれから行くのも、精神を機械装置に流し込むための施設。そこで私は全長1kmほどの異星種殲滅用恒星間航行外征船『殺戮天使』になって、地球から飛び出していく。
殺すための機械になる。
侵略するための天使になる。
エイリアンとの戦争は日常の延長線上にあった。
「……かえってくるの、どれくらい先になるのかな」
「どうだろ。最低でも3年だって」
「さんねん……」
ツァワリが、そのくりくりと大きくて丸い瞳に涙を溜める。足元の小石を蹴飛ばす。ブランドものの陶器じみた色つやをした革靴の表面に傷がつく。
「大丈夫。すぐ帰ってくるよ。そしたらツァワリはちょっとだけ私より大人だね。私はその時も10歳のままだけど、君の綺麗になった姿、見せてね」
「……うん。わかった。私、がんばる」
何をがんばるのかは分からない。
でも、私のためにツァワリが何かをしてくれるなら、それが嬉しい。
手を振り合って、駅のホームから専用電車に飛び乗った。ツァワリが手を振り続けていたのを瞼の裏に焼き付ける。
そうして私は殺戮天使となって地球を旅立った。
3年で文明が存在する25の星を襲い、25の種族を根絶やしにした。25の未知なる技術を接収して、あらかた資源を奪い尽くした頃、地球への帰還許可が降りた。
私は超光速機関を始動させて、故郷の星へジャンプする。
◇
「おかえり!」
3年ぶりの実家に帰ると、なぜかツァワリが出迎えてくれた。3年ぶりに見るツァワリは、随分綺麗になっていた。髪は長くなり、瞳には10歳の頃とは違う自信が宿っている。化粧を覚えたのだろうか、どこか眩い顔立ち。少女の繭を破ろうとする成長と精気を感じた。
背丈も、当たり前だけど私より高い。私はすぐ側に駆け寄るツァワリを見上げた。
「ただいま。ツァワリ。元気そうでよかった。でもなんで私の家に?」
「うん。今日ね、あなたが帰ってくるって聞いて、おじさんとおばさんにお願いしたの。おふたりとも、出張なんだって!」
ふうん。
ツァワリが私の頬を両手で包むように持ち上げた。そのまま伸ばしたり引っ張ったり、背の高い彼女にされるがままになっていると、ツァワリはようやく私が帰ってきたと実感できたようだ。感極まり思いっきり抱きしめてきた。
「嬉しい! 心配してたの」
むぐぐ、少し息苦しい。
「殺戮天使になって機体が破壊されても、別に死ぬわけじゃないよ」
精神を機械に落とし込む技術は、異星由来のものだ。昔、初めて地球人類が邂逅したエイリアンが持っていた技術。初めて出会うエイリアンに浮かれていた人類が侵略行為を受けて、返り討ちにした時に勝ち得たテクノロジー。
魂を肉体から分離して別の器へ定着させるこの技術は完全に解明されていない。精神の完全複製は未だに不可能だと聞いた。今の人類にどうにかできるのは、移植した精神が仮に破壊されても大丈夫なように“不完全なバックアップ”を肉体に残すことだけ。
「でも、バックアップから復元された精神は不安定になりやすいってきいたことがあるの」
ツァワリの言う通り、『バックアップ』はバグが散見されるらしい。本当に自分は自分なのか?という命題から逃れられなくなった精神が発狂に至りやすいとか、なんとか。
「それに、その……復元された精神はその人って言っていいのかな……」
言いづらそうな言葉。でも、随分はきはきと喋るようになったじゃないか。私はツァワリの成長が嬉しくて微笑んでしまう。場違いな表情でも、ツァワリは詰ったりしない。
「私、あなたにはそんな風になってほしくない」
「熱烈だねえ」
「もう! 真剣に言ってるの!」
ぷんすか怒ると眦が吊り上がるのは3年前から変わらない。
そうして私はツァワリの下へ帰ってきた。その日はツァワリと二人きりで過ごした。彼女が作ったやけに塩辛いトマトソースのパスタを食べ、二人でお風呂に入って、二人で同じベッドで横になった。
「ツァワリ」
「なあに?」
どこかとろんとした声。もう眠いのかもしれない。やっぱりまだまだ、ツァワリは私の知ってるツァワリだった。
「聞かせて。君が3年で何をしたのか」
「うん。いいよ。あのね、私ね、あなたにきれーになった私をみてほしくてね……」
夜は更ける。
ツァワリの言葉はいつの間にか溶けていって、聞こえるのは安らかな吐息ばかり。その時ふと、誰かの寝息が聞こえる世界に、どうしようもなく違和感を感じた。
宇宙にあって殺戮天使として生き続けた3年の内に、誰かとこうして眠ることなどなかった。宇宙のほとんどは音なんてなかった。機械の体に睡眠は不要だった。
「私、がんばったよ」
これが現実だ。
本来の肉体があり、物質として満たされる、この時間が。これが現実でいい。
私はきつく目を瞑る。
早く眠れと祈りながら、騒々しい夜は過ぎていく。
◇
「あなたとデートっ!」
スキップしながら隣のツァワリがそう言う。せっかくお洒落にめかしこんだのに、激しく動くからスカートの裾は暴れっぱなしだ。
帰還した私には待機命令が下された。兵役義務は小刻みに消化されるらしい。
ツァワリが今朝がたに「あなたと一緒に遊びたい」と呟くのを断る理由もない。そういうわけで、私は幼馴染と一緒に街中へと繰り出していた。
「3年で街並みも変わったね」
駅周辺は特に再開発が盛んらしい。3年前には見たこともない店の看板が無数にひしめいている。
ふふん、とツァワリが胸を張った。彼女の黒髪を後ろで結ぶリボンがちょこんと揺れる。
「今日は私が案内役になるわ」
「わぁ、ツァワリがお姉さんぶってる。可愛いねえ」
「も、もう! 茶化さないで!」
頭半分だけ背の高いツァワリが肩を怒らせる。けれど、今日は徹底して「お姉さんモード」になりきるようだ。こほんと咳ばらいを一つすると、「まずは服ね」と宣言した。
服。
ツァワリの格好に目を向ける。質のいいスカート、何て呼ぶのかわからないニット地の服。リボン。小物。品の良さは衣服の値段故か、それとも、ツァワリが備えつつある気品か。
「ツァワリの服を選べばいいの? 3年も地球にいなかった私じゃ、センス悪いと思うよ」
「それもしてほしいけど! 今日は、あなたの服を選ぶの」
ふーん。……そんなにおかしな服、着てるかな。
上着の裾を摘まむ。3年前から着ていたジャケットは別に違和感なく体になじむ。当然だ、冷凍睡眠で肉体年齢はストップしていたんだから。
「自覚ないかもしれないけど、あなたって可愛いの。もっとおしゃれしなくちゃ」
「そうかなあ」
「ね。これからは髪ものばしましょう、それがいいわ!」
「それは命令でありますか、軍曹どの」
「うむ。命令である!」
「さー、いえっさー」
即興のごっこ遊びにも自然に乗ってくるなんて。本当にツァワリは変わったね。
私はツァワリのされるがままになって、色んな服屋を連れ回された。
肉体年齢は10歳だからどうしても子供っぽい可愛らしい服ばかりになる。試着室で着替えるたびにツァワリがよだれでも垂らしそうな顔になって全て買うものだから、紙袋の数も随分増えてしまった。
「買いすぎ」
「ご、ごめんなさい。あなたの服を選べるのがたのしくて……」
「まさかここまで着せ替え人形にされるなんて」
「次! 次で最後にするから!」
まだあるのか。
連れてこられたのは、今の私には大人っぽすぎる雰囲気の店。というか、社交界にでも出なければ着ないような礼服のお店だった。3年間エイリアンと殺し合いをしてきたけど、場違いな雰囲気に足取りが硬くなる。そんな私にツァワリはくすぐったそうに微笑んで、手を差し伸べた。
「どうしたの? いこ」
「……なんていうか、慣れてるね、ツァワリは」
「常連なの」
さすが政府高官の娘。
ツァワリと手を繋いで店に入ると、きっちりと着こなした大人たちが深々と頭を下げた。すぐにやってきた女性は親し気な微笑みをしていて、ツァワリとは近い間柄だと感じた。
「お嬢様。ご来店ありがとうございます。今日はお友達もお連れになられたのですね」
「ええ。今日はこの子の服を選んでほしいの」
流暢な言葉。からかえばすぐ顔を真っ赤にした女の子ではない。
13歳のツァワリは、もう私にはないものを得つつあるのだ。──それが嬉しい。私の知らないツァワリを知れば知るほど、3年という時間が現実にあったことを確かめられる。
私は女性スタッフに採寸されながら、側にいるツァワリに訊いた。
「でもなんで私の服を?」
「出来るだけ私といっしょにいてほしいの」
一緒って?
「社交界にね、きてほしいの」
「なんでまた」
「……いつも一緒にいたいから。そ、それだけだけど?」
「ツァワリは甘えん坊さんだね?」
「甘えん坊じゃないもん!」
そうやって、ぷくうっと頬を膨らませるところがツァワリのいいところだ。3年前から変わらない。
変化と不変は今、ツァワリの中で同居しているようだった。
私にはそれも嬉しい。
ツァワリが私の笑顔に気付いて口を開こうとする。
「天誅! 天誅! 天誅! 支配階級のクソ豚どもに天誅を!!」
代わりに野太い叫び声が轟いた。私の肉体は自動的に『理解』する。殺戮天使に搭載された無数のセンサーがなくとも、生身の肉体がよこす震えから。
たった今店の中に飛び込んできた男。
『わかる』。
その手に握りしめられた短機関銃。
『わかった』。
今、命の危険が間近に迫っていること。
あの銃が狙うのは誰でもよくて、きっとこんな高級そうなお店に来る人間なら誰だって殺す、本物の殺意。
咄嗟に見た。ツァワリを。
状況を呑み込もうとする彼女の瞳。その輝き。1秒と経たず、恐怖で歪むだろう君。
大丈夫。
私は私がスイッチ一つで何でも殺せることを知っている。
だからツァワリ、君が怖がる必要は、ない。
右手をズボンのポケットへ。そこには私がずっと持ち歩いていた、子供でも扱える拳銃がある。護身用にと帰還してすぐ買ったものだ。
たった二発しか装填できない銃。
けど十分だ。
「──」
重要なのは、『そこ』に銃弾を『置く』イメージ。
引鉄を引いたのは一度だけ。その一度の銃撃は無差別射撃よりも速く、男の片手を撃ちぬいた。
吹き飛ぶ銃。呆然としていた店員の一人がハッとなって、すぐさま男に飛び掛かる。
悲鳴と怒号が轟き渡るなか、私はずっとツァワリの前に立って、残された銃弾を組み敷かれていく男へと向け続けていた。
◇
店内は慌ただしかった。無差別殺人が起こりかけたのだ、誰もがどこか現実感のない表情をして事後処理に追われていた。隣のツァワリは私に抱き着いて離れそうになかった。
男が駆けつけてきた兵士に連行される中、無言で、3歳年上の幼馴染が私を抱き寄せる。かたく。きつく。ツァワリのやわらかな甘い匂いが鼻をくすぐって、なんだか眠くなってくる。
「こわかった」
「ツァワリ。大丈夫だから」
「……怖くなかった?」
「ぜんぜん」
「私を守ってくれたの?」
「もちろん」
「それは、どうして?」
「君が大事だから」
ツァワリの瞳が濡れている。
「あなたは、すごい」
また、息苦しいくらいの抱擁。今度はすりすりと頬ずりまでセットだ。くすぐったい幸福に包まれていると、幼馴染の独り言が聞こえた。
「3年で、ほんとに。でも……なんていうか……ううん。なんでもない」
一体ツァワリが何を言おうとしたのか。
考えるけれど、結局答えが出ないまま1年が過ぎた。私には、また兵役義務が課せられた。
「ねえ。またいっちゃうの?」
「仕方ないよ。兵役義務、あるし」
4年前と同じ駅のホーム。
14歳になったツァワリが細い眉を苦し気に歪める。成長期なのだろう、たった一年でまた随分背が伸びた幼馴染は、もう私よりも頭一つ分視点が高い。
だけど中身はまだまだ私の知ってるツァワリらしい。
「──っとと。苦しいよ、ツァワリ」
「苦しくしてるの。苦しくしたいの」
唐突に私の視界はツァワリの着る服でいっぱいになった。11歳になったはいいが、特に背も伸びずちんちくりんな私は幼馴染に抱きしめられている。
ツァワリの鎖骨の形が服越しにもわかる。彼女からはいつもいい匂いがした。往来の人々から好奇の視線が降り注ぐけれど、それを気にするツァワリではない。
「……ずっとこうしていようよ」
耳元で囁かれる言葉は甘くて、ぐずぐずにされてしまいそうだ。この感情を、きっとツァワリも持っている。同じものを共有している。
「殺戮天使にどうして人の心が必要なのか、ぜんぜん、わかんない」
「それはね、最終的な判断を私達がしなければいけないからなんだって」
完全自律兵器を作ることは、今の地球人類でも可能だって軍の人は言ってた。実際、殺戮天使はほとんどの作業を自動でこなしてくれる。でも、最後の最後に人心が決断するプロセスは、絶対に外せない。機械単体での虐殺は命令の拡大解釈によって歯止めが効かなくなるから。
私がするのはスイッチを押すこと。
その重要性を、3年の外征で理解してしまった。
「ねえ。あなたが天使になるつもりだって、ほんとう?」
天使とは、殺戮天使になってエイリアンを殺しに行くことを職業化した者達のことだ。兵役義務としてではなく、職業軍人として。それは地球を守るために地球との時間同期を捨てた生き方だ。
「……わかったんだ。思ったよりもこの星は恨まれてる」
ツァワリは知らないかもしれない。
地球から約6万5千光年離れた位置で、銀河支配級異星種と私たち殺戮天使とがもう何百年も戦争を繰り返していることを。この銀河の支配権を掛けた戦争が大詰めを迎えていることを。そして約500光年の近距離に、恒星間航行技術を備えつつあるエイリアンがいることを。──彼らはきっと地球人をいずれ滅ぼす。何もしないままでは、間違いなく。
私はツァワリが暮らすこの星に滅びてほしくない。
だから、天使となって殺そうと思う。たくさんのエイリアンを。
そしてね、ツァワリ。
「君に幸せになってほしいんだ」
バッと少女は──まだ私と同じ少女でいてくれる──身を離すと、いつの間にか赤い顔で、私の両肩を握りしめた。祈るような力を感じた。
「私は……あなたと……」
「ツァワリ? どうしたの」
「……ううん。なんでもない。絶対、帰ってきてね。私、待ってる」
「うん」
「帰ってきたら、私、あなたに伝えたいことがあるの」
そっか。
なら、ちゃんと帰ってこないといけないね。
◇
『──っていうことがあったんだ。ねえ、何を伝えられると思う?』
『そんな惚気話聞かされるとはね。これが調整種ってやつなのかねえ』
『調整種?』
『受精卵の段階で調整が施された人類だよ。より殺戮天使への適性を高めた人間ってこと。とにかく判断が的確で、躊躇う事無くエイリアンどもを滅ぼせる。PTSDにも絶対にならない。ただまあ、戦闘に特化しすぎた調整のせいで、日常生活がおぼつかない奴もいるって話だ』
『それが私?』
『うん』
『……知らなかった』
別に軍事機密ってわけでもないけど、と隣の殺戮天使が独り言を漏らす。
『お前が初めて殺戮天使になったのは10歳なんだって? その若さが何よりの証拠さ。調整種の初陣はかなり早いと聞く』
『そうまでして、地球はどうして戦争を繰り返すのかな』
『侵略のしすぎで全方位に敵がいるんだ。現にもうすぐ接敵時間だろ』
そういえばそうだった。私たちは今、太陽系から大きく離れたとある星系近傍にまで来ている。もうすぐ、目下戦争中の銀河支配級エイリアンの輸送船団が通過するらしい。それを奇襲・殲滅するのが今回の作戦。
今日も今日とてエイリアンを殺す日々だ。もうすぐ3年になるか。そろそろ、地球への帰還命令が下りる頃かな。ツァワリはどうしてるだろう。
作戦開始までつらつらと考え事をしていた時だ。
前方。
塵と暗黒が支配する宙域に、突如として光が瞬いた。──まずい。
思考が殺戮天使を動かすよりも先に、船殻上面が吹き飛ぶ。
恐らく超光速機関を利用した爆撃だろう。私と僚機はエンジンを緊急始動、全ステルス機能をオフし宙域からの全速離脱を開始する。
そんな私たちを嘲笑うかのように、情報にはない方向から敵エイリアンの船団がわらわらと湧いてきた。
僚機が吠える。
『おい! 大丈夫か! クソ、奴らこんな超長距離を狙撃できる兵器があるなんて情報にないぞ。クソったれ、クソが!』
『どうやら私達のステルス機能が看破されたみたい。てことは他の殺戮天使も同じだね。これは重要な情報だと思う。今後の作戦方針を切り替えなきゃ。だからあなたは逃げて。時間稼ぎは私がする』
『合理的だな……!』
『気にしないで。ただまあ、頑張って生きてよ。私の大破を早めに報告してくれると助かる』
『……これだから子供は!』
最後に僚機に向けて私の記憶情報を送信し、それを別れの挨拶とした。
私は遠ざかる僚機を尻目に、ありとあらゆる兵装を展開する。究極最強のガンマ線バースト誘発弾、反物質爆弾、荷電粒子砲、光学照射兵器、テラトン級核ミサイル……最後に、自爆機能をタイマーセットしてオンに。
目の前に広がるのは敵、敵、敵。
ここで私は間違いなく終わりだ。機械にべったりと染み付いた精神が壊された時、どうなるのかなんてわからない。ああでもツァワリ、君には謝らないといけない。
ごめん。
私は一回死ぬみたい。
◇
冷凍睡眠から目覚めると、記憶の欠落が多々ある事に気づいた。
よく覚えていないけど、どうやら戦闘中に死んだらしい。今の私は『バックアップ』か。
軍医が言うには、僚機が持ち帰った記憶情報を『バックアップ』と結合したとかなんとか。
現実世界では3年が経過していて、私はだけど11歳のままだった。
記憶の混濁を解消するための投薬処置を受けて、問題なしと判断されてようやく、私には待機命令が下された。
「ただいま」
実家がある住所まで帰ると3年前から代わり映えの無い家が待っていた。
家の中には誰もいない。
両親は2年前に死んだらしい。死因は交通事故。
『バックアップ』の弊害なのか、両親の顔が曖昧で、私は何を感じればいいのかもわからない。
「一人かあ」
11歳の体では広い家だった。リビングのソファーに体を預けて、天井の染みを数える。
この家で両親とどうやって暮らしてきたのか思い出せない。気まぐれにテレビを点けても、飛び飛びの時間感覚では世界情勢のひとつも分からない。
ぼうっとニュース番組を見ていると、呼び鈴が鳴った。しばらく無人だった家に来客とは珍しい。
「誰だろ」
そう思って玄関扉を開くと、そこにいたのは一人の少女だった。一発でわかった。
ツァワリだ。17歳になったツァワリは、びっくりするくらい可愛くなっていた。髪が腰まで伸びて、雰囲気に華があって、どこか香水の甘い匂いがした。学校帰りだろうか、見慣れない制服を着ている。そして何より背は高い。ツァワリの目を見るのに、首の角度が辛かった。
「やあツァワリ、ただい──」
最後まで言うこともできず、私はきつい抱擁を受ける。
以前はツァワリの鎖骨が分かるくらいの身長差だったけど、3年の月日が、今度は彼女のお腹の柔らかさと腰のびっくりするくらいの細さを私に教えた。
ツァワリはどうやら抱き着き癖があるみたいだ。
数十秒近くそうしていただろうか。ツァワリはこわごわと抱擁を解くと、私に向かってうつくしい笑顔を見せた。完璧な、17歳の表情を。
「おかえり。ずっと待ってたの」
声にも落ち着きが増した。
同い年の幼馴染だったなんてもう誰も信じない。
「うん。ただいま。背、伸びた?」
「伸びた」
そりゃよかった。
「……このまま玄関開けたまま見つめ合う時間も素敵だけど、どうする?」
「も、もう。そのからかい癖、全然変わらないんだから」
ツァワリは慣れた動きで玄関を上がった。
あれ? ここ私の家じゃ?
制服姿のツァワリはそのままリビングへ移動する。後をついていくとキッチンでツァワリがお湯を沸かしていた。見たことないエプロンを身に着けて。
「この家、誰も住んでないわりに綺麗だよね」
「今は私が住んでるもの」
んん?
「今は私が住んでるの」
「なんで?」
ツァワリの、真珠みたいな色艶の頬が赤くなる。
「おじさまとおばさまのこともあったし、あなたが帰ってくる場所を私が守りたかったというか……。家も近いし」
「そっか。……ありがとう。ちょっと想像してなかった。じゃあしばらくツァワリと同棲ってこと?」
「そ、そうなる」
「楽しくなりそうだねぇ」
「! で、でしょ?」
なんだかんだ不安だったらしい。ツァワリがそわそわしたまま頷く。
幼馴染が淹れてくれたコーヒーを飲んで、まったりした苦みを味わっていると、すぐ隣にツァワリが座った。もっと離れてもいいのに、体がぴったりくっつく位置で。
「おじさまとおばさまの事、お悔やみ申し上げるわ」
「なんていうか実感ないな」
「そっか」
「うん」
「……」
「……」
なんだか変な雰囲気。
ツァワリは座ったまま微動だにしないし、顔も赤いままだし。でも、こうして見る17歳のツァワリは、横顔のラインがすごくきれいだ。
「ツァワリ、綺麗になったね。特に黒髪がすてきだ」
「そ、そう?」
照れ隠しにか長い黒髪を手で払うツァワリ。サラサラと波打つ長髪に目が行く。
「あ、あなたのために、綺麗にしてたの……!」
どうしてツァワリはそんなに緊張してるんだろう。
「髪ね、伸ばしてるの」
「毎日手入れ大変そう」
「じっさい大変。でもね、やってよかったって思うの。あなたが褒めてくれて、それだけで」
そっか。
頷いて、会話が途切れる。当たり前だ。私はツァワリの3年間を何も知らない。話題何てすぐになくなる。
私はありきたりな話題を口にした。
「恋人とかもういるの? そしたら私、邪魔じゃない?」
「……」
雑談代わりに選んだ話題で、ツァワリが押し黙った。どうしたことだ。緊張しっぱなしだったはずの幼馴染はリラックスした表情で前を向いている。
テレビの上に置かれた写真立てには、幼い頃の──まだ同い年だった私達が映っている。
「恋人は……いないわ」
「ツァワリならいい人、いくらでも見つけられるよ」
「いいの。私、心に決めた人がいるから」
覚えてる? とツァワリは私に体を向ける。
「3年前、あなたが旅立つ前に、帰ってきたら言いたいことがあるって伝えたでしょ」
覚えてなかった。だけど正直に言えなかった。
曖昧に頷く私に、ツァワリは安堵の息を吐く。
……『バックアップ』の欠落か、これが。
「私が恋人を作らない理由はね、あなたがいるからよ」
ツァワリは一語一語を重く、しかし出来得る限りの平静をもって、そう言った。
私の目を見て。
どういう意味か分からないほど愚かな生き物じゃない。
単純な帰結にも思えた。
幼馴染。
ただの幼馴染だけど、ツァワリはそれ以上のものを見ていた。
「……私、まだ11歳だよ」
「もうすぐ12歳になる」
「それでも5歳差だよ。きっとこれからも離れてく」
不老化の技術は未完成で、誰もが老いを平等に受け入れる時代だった。人類は創るより奪う技術を伸ばすと決めていた。肉体年齢の差は残酷に開き続けるだろう。
「あなたの心が17年生きてるって、私、わかるもの」
ねえ、年齢や性別が関係あるの?
ってツァワリの瞳は真剣に問いかけている。目をそらすことができない。私は考える。一体何がツァワリのためになるのかを。彼女の求めるものを。
考えて、考えて、──やがて気付いてしまった。
思わず吹き出した私に、ツァワリが眉をひそめる。
「ど、どうしたの?」
「色々考えたんだ。君に何をできるのかなって。でね、色々考えても全然答えは出ないんだけど、ひとつだけわかった」
それは、どんなに思考を巡らせてもツァワリのことばかり考えているということ。
答えは決まっている。
けれど素直に告げるのも悔しいから、私は私のからかい癖を発揮させた。
「君を幸せにできるかな。腕を組む時、ツァワリの腰を悪くさせてしまいそうだけど」
ツァワリが途端に笑顔になった。10歳の頃から変わらない表情で、私の手を取る。
「何を勘違いしているの? あなたを、私が幸せにするの。絶対に」
どうやらお姉さんポジションが気に入ったらしい。
肉体的には敵わないのが癪だから、私はこれからもツァワリをからかい続けようと思った。
出来得る限り。
君を守れる天使になれたならいい。
◇
ツァワリが18歳になり、私が12歳になった時、待機命令が解除された。別れはまた来て、私は沈むツァワリに不意打ちのキスをしてやった。
それからしばらく経ったある日のことだ。
地球人類と非常に文明レベルの近いエイリアンを滅ぼすため、無数の無人機を用いて星系規模の包囲網を敷いて、私は単独で殲滅戦に従事していた。なんてことのない日常業務のひとつ。その最中に、星系外へ逃げ出そうとする船団を発見した。
かつての私が奇襲を受けた反省として、この頃の殺戮天使はステルス探知機能を拡充しており、エイリアンの残党なんて見逃すはずもない。だが当の船団が救難信号を出し続けていることが気になった。
ふむ。
逃走中の身で大っぴらに存在を明かすなんて、変な話。
疑問と興味心から、私は船団へ通信プロトコル確立を要求。すぐさま確立された相互通信の中で、ちょっとした対話を行った。とはいえ種族も言語も別なので、エイリアン側からの『問い』に『答え』る形式を取らざるをえなかったが。
問い:なぜあなた達は我々を滅ぼすのか?
答え:生き残るため。
問い:我々はあなた達と友好条約を結びたい。
答え:それは出来ない。全てのエイリアンは殲滅対象。
問い:なぜ我々の通信に応じたのか。我々はそこに希望を感じ取っている。
答え:今、あなた達と相対している船は、殺戮天使と呼び、異星起源種絶滅を設計思想としている。
問い:それはどういう意味か。
答え:わずかでもエイリアンの生き残りが存在すれば、我々への憎しみがいずれ牙を剝く。故に殺戮天使は容赦ない兵器のみを積んでいる。生き残りの一体も残さず、敵性惑星に今後生命誕生の可能性を一切許さない、不毛の星とするだけの兵器群だ。
問い:何を言いたいのか理解できない。
答え:宇宙は広い。超光速航行が可能だとしても広すぎる。故に、異種族同士の同盟とは非常に難しいものだと我々は理解している。
問い:それがどうしたと言うのか。
答え:つまり、あなた達が滅んだ事実は、我々だけが知ることとなる。この宇宙に散らばる他のエイリアンが仮に恒星間航行技術を得、ここへやって来たとしても、生命の痕跡があったことすら分からない。だから我々への憎悪はエイリアン同士で共有できず、我々を討ち滅ぼす銀河規模の同盟が組まれることもない。
問い:……
答え:単一種族と複数種族を相手取る難易度の差を我々は理解している。我々は個別にエイリアンをひと種族ずつ滅すべきだと考える。それがどれだけ規模の巨大な種族でも、我々は誰かを殺すための兵器を作ることに注力した文明だ。故に生まれた殺戮天使は合理的な星系破壊級兵器と言える。
問い:……
答え:もっと言うなら、今まさにあなた達が周辺星系へ飛ばそうとしている、救難信号に偽装した我々の戦闘データは全てジャミング済みである。あなた達の悲鳴はどこにも届かない。この、狭く広い宇宙の片隅で、滅びるのみだ。
問い:……なにが天使だ。あなた達は悪魔だ!
答え:エイリアンに天使や悪魔の概念が通じるとは思わなかった。
問い:死ね!
最初から、エイリアンと友好関係を築くなんて無理な話なのだ。当の船団を数億発の荷電粒子砲で塵に変えると、包囲殲滅戦の残務を自動機械に任せることにした。
私は殺す。
今日も滅ぼす。
恒星がもたらす重力と輻射熱の祝福は、誰にも届かない。
◇
3年で地球に帰って、ツァワリと再会した。
21歳になったツァワリは18歳の頃からまた綺麗になった。かつての少女の未熟さは既になく、そこには開花した薔薇を思わせる淑やかな華麗さがあった。
この頃のツァワリは政治家を目標にしているらしかった。
何やら思惑があるらしい。
いいことだ。彼女がしたいことを十全に叶えられるために、私は天使なのだから。
そうして地球に戻ってきてから1年が経った。
私はようやく13歳に、ツァワリは22歳になった。
「また旅がしたいな。あなたと二人で」
成長期に入りかけた私はそれでも背が低くて、たぶん一生ちんちくりんなんだろうなと悟りつつある。つまりツァワリを一生見上げ続けるってこと。
でもまあ、それも悪くないのかもしれない。
こうして二人きりで白い砂浜に座り込んで、夕焼けが沈む海を眺める時なんか、ツァワリを椅子代わりにできるからね。
「いい気分転換になったかな」
「ええ。とっても」
22歳のツァワリは言葉の節々に知性が宿っていた。情感の乗った言葉というのは聴いていて心地がいい。
父親の秘書として忙殺されているツァワリに穏やかな時間を過ごしてほしくて、一週間ほどのバカンスを組んだのは正解だった。激務で帰宅が深夜になった時のツァワリのげっそりした顔は、正直あまり見たくない。
「帰ったらまた忙しい?」
「……今度ね、父の推薦で統一政府の重要なポジションに就けそうなの。そしたらまたあなたと会える時間が少なくなるわ」
はあ、と重いため息が波打つ音と混ざる。
ツァワリが寂しさを紛らわすように私を抱き寄せた。体が密着すればするほど心が満たされる気がした。
「へえ。それって出世ってこと? おめでとう。ツァワリ、えらいえらいしてあげるよ」
「もう。すぐそうやって子ども扱いするんだから」
「君の膨れっ面を見れるのは私だけだね。にしても、重要なポジションってどんな?」
「軍の長期達成目標を設定する部門、といえばいいかしら。どういう目標を定めて、どうやってそれを達成するのか考える……みたいな?」
噛み砕くと、つまりツァワリが私の上司になるってことだろうか?
「なんかすごいね」
「そんなことないわ。大変なのはこれからよ」
「そんなところで働くってことは、何かやりたいことでもあるの?」
立派なことを成そうとする幼馴染を誇りに思う。出来る限り、支えられればいいと願う。
でも、
「私ね、異星種と同盟を組むべきだと考えているの」
「──ツァワリ。それは無理だよ」
気付けば即答していた。
「殺戮天使は、星系外へ進出したエイリアンなら誰でも知ってる。出会えば最後、何もかも皆殺しにする殺戮の使徒だって。全方位に敵がいて、あちこちで戦争をしていて、宇宙へ進出する芽を摘んでるやばい奴ら」
言葉が勝手に流れ出た。経験したこと、見た宇宙の姿は、きっとツァワリには伝わらない。
事実彼女は押し黙って、私を抱きしめる両腕に力を込めた。それでも続けた。
「こんな私達と同盟を組む酔狂なエイリアンなんていない」
「……試してもいないことを、私は無理だなんて決めつけたくない」
「でも。」
「苦労するのは分かってる。いろんな人に負担を強いるってことも」
殊更に強い口調だった。ツァワリが苛立っていることが分かった。だけど私も引き下がれなかった。
「私は自分が天使になってよかったって思ってる」
ツァワリに生きてほしい。
だからエイリアンを殺し続ける。私はこの星が問題なく自転と公転を続けてくれればそれでいい。君が、満遍なく満たされた生をまっとうできるなら、もっといい。
「ツァワリを守れるならそれでいいよ」
「あなたが好きなの! もう空へ上げたくない!」
ついにツァワリが怒った。耳をつんざく悲鳴じみた叫び声は、私が初めて聞く、本心からの感情の高ぶりだった。
「私達はもうこんなにも離れてしまった!」
「離れてないよ。ここにいるよ」
「じゃあどうして一緒にお酒が飲めないの?」
「──」
「同い年だったのよ? 12年前には同い年だった! 一緒に生きて、一緒に成長して、あなたはとっても素敵な女性になるはずだった! 一緒に二日酔いになってみたい、あなたの運転する車でドライブに行きたいわ、くだらないテレビを見てあなたの肩にもたれかかったりしたい!」
心はツァワリと同じ22歳のつもりだった。
つもりだったけど、でも、赤の他人から見たら私は14歳の少女でしかなくて。
ツァワリと手を繋いで歩けば『仲のいい姉妹』だって受け取られる。
キスなどしようものなら奇異の眼で見られる。
私は、私とツァワリの間に横たわる、現実時間の齟齬をどうしようもないものと受け入れてしまっていた。
「どうして? あなたが当然のように得るべき9年間はどこへ行ってしまったの? なぜ私達は異星種を滅ぼさなければ生きていけないの?」
ツァワリはたぶん違う。変えたいのだ。
彼女は政府高官の娘だった。兵役義務のない特権階級で、普通の人間にはない『力』を振るう権利が許されていた。政界進出もきっと、ずっと前に決めていたんだろう。そのための努力を惜しまない人だって知ってる。ツァワリは理知的で、目標達成に何が必要かわかっていて、──私を愛してくれている。
だからこそ、これ以上の齟齬を恐れている。
「もう待ってばかりは嫌。星空を毎日見上げるのは嫌! 瞬く光のどこかにあなたがいるかもって、願って祈ってばかりでは何も変わらないって知ってるの。だから変える、もっと偉くなるわ、私の意志をこの星の光にしてみせる」
「……」
『私』。
私は、天使。
神様ではない地球人のためにエイリアンを殺すのが仕事な14歳の子供。
22歳の私は私をエイリアン殺しの天才だと思ってる。
これまでしてきたのは異種絶滅のためにスイッチを押すことばかり。最高効率でエイリアンを滅ぼすことだけ考えてきた。──ツァワリと会うための手っ取り早い手段だったから。
「……たぶん、誰かが、初めの一歩を間違えたんだ」
この世界は、地球は、おかしいのかもしれない。
一般人全員に兵役義務が課せられ、数度の宇宙外征が要求されること。ツァワリのように選ばれた人間はその義務から外れ、地球にいながら天使たちを自由に左右できる支配構造。そして調整種などと呼ばれる、殺戮天使への適性を高めるために遺伝子改造を受けた人類の創造。
私の両親は、受精卵を弄り回すことに疑問を覚えただろうか。
10年ほど前に無差別射撃事件を起こそうとした男は狂っていたのか。
創るための文明ではなく。
奪うための文明へ。
「あなただけがどこかへ行っちゃうの」
ツァワリの声音はもはや消え入りそうな悲鳴そのものだった。きっと泣いている。泣かせたのは私であり世界だ。
どうして彼女を悲しませなければならないのか。私はツァワリに幸せになってほしいのに。
「私はたぶん、錆びついてる」
何を言えばいい?
何なら救える?
「でも、ツァワリといると熱くなる。動ける気がする」
ぼんやりと見つめた太陽は今日も沈んでくれる。夕焼けは濃く、眩しく。
感動的なまでに物質的で、満たされた世界。
星はいつまで回るだろう。
いつまで太陽系の安全は守られる?
守っているのは誰だ? 神か?
私は神じゃない。
それでも守れるか?
「ツァワリがここにいてくれると嬉しい」
地球人類への憎悪が頂点に達したとき、私達が知らない未知の破壊兵器が地球を一瞬で壊したっておかしくない。仮にその時、ツァワリが未だに私を想っていたら、結末は不幸一色だ。
──何を言えばいいのか、知っている。
──何なら救えるのかも、知っている。
「ツァワリ」
この関係を止めるべき時が来たのだ。
「いや! 聞きたくない!」
私の幼馴染はすごく聡明だから、薄々勘づいていたのかもしれない。
ところどころ矛盾するかつての記憶。二人の間にあった絶対の信頼が、綻んでいる事実。
繋ぎ合わせればとても簡単なパズルだ。
「これ以上喋らないで!」
「ツァワリ、どうか聞いてほしい」
「やめて! やめてよ! そんなのありえない! だってあなたはいつも帰ってきた! 私のところへ帰って来てくれた! なのに、やめて、やめてよ……」
「私はバックアップなんだ」
実はもう何度も死んでいる。
『バックアップ』はその度に継ぎ接ぎの存在にすげ変わる。落ちぶれて、それでも、ツァワリのところへ帰るという意思だけは絶対に無くさなかった。
それは私の誇りだったし、生きる理由だった。
「あなたはもう、どこにもいないの?」
「わからない」
ツァワリがきつく抱きしめるこの体はもはや誰のものでもない。
ぽつりと彼女が漏らした一言は鮮烈に、沈み切った夕焼けよりも私の心に残り続けた。
「あなたの魂はこの星の外で……消えたのね」
──それきり、碌な会話もないまま私はまた、宇宙へ向かった。
殺戮天使の体は楽でいい。悩むこともなく作戦を遂行するため、常に思想調整を受けられる。
帰ってくるのはまた3年後かな。ツァワリとはもう、会えないだろう。
そんなことを考えて、地球からの通信圏外に入る寸前だった。
「?」
地球からの通信要請だった。相手の所属は聴いたことも無い部門で、軍関係者かも怪しい。だけどかなり上位レベルの権限を持っていることだけはデータベースから引き出せた。
一体誰が、こんなタイミングで?
通信要請を受諾し相互間通信が確立しても、なぜか数秒の間が生まれた。相手側の吐息だけが聞こえる。
『あの? 一体何でしょうか』
困惑から問いかけると、意を決したように。
『あなたを、』
その声。覚えていた。まだ忘れていない。
私は何も言えなくなった。
『あなたを、愛しています。この気持ちは本物だった』
殺戮天使の体は震えない。人体とは違う。異星由来の技術で数値化された精神が熱くなるなんてこと、あり得るのか、わからない。
『帰ってきて。必ず。どんな形でもいいから』
『……うん。ツァワリの下へ、必ず帰る』
◇
様々なエイリアンの子供を何千億体と殺した。
◇
地球へ帰還すると、26歳になったツァワリが出迎えてくれた。
差し出された婚約指輪と共に。
「結婚しましょう」
「私、まだ14歳だよ」
「だったら何? 本気よ」
「これからも殺戮天使となって宇宙へ行くよ」
「それでも──」
ツァワリの最後の言葉に、私がどんな返答をしたかなんて、特に説明する意味はないだろう。
近々、ツァワリは若干26歳にして地球政府の長に就任するという。そして彼女は、これまで連綿と続けられてきた侵略方針をがらりと切り替え、エイリアンとの融和政策をこれからは推し続けるつもりでいる。
全世界で賛否両論が紛糾するなか、それでもツァワリは自信漲る瞳をして、私にキスをした。
「見ていてね。私が世界を変えるところを」
だけどツァワリはあっけなく死んだ。
就任演説の最中、彼女の身辺警護に当たっていた私は間近で見た。彼女の胸に咲く赤い花を。的確に心臓を貫通した狙撃銃の弾丸を。
犯行声明を、異星種との戦争継続を望むテロ集団が声高らかに叫んでいた。殺戮天使がテロ集団のアジトを壊滅させるのをニュースで見た。代理で行政トップに就任した人間がこれまでの侵略方針を継続すると宣言した。
私は独りだけの家で、ツァワリと暮らした時間の中で、ずっと、ずぅううううっと自分の記憶を何度も掘り返していた。
ツァワリと最初に出会ったのって、いつだっけ。
……よく思い出せない。
私は。
私は、なんで。
何を。
「何を感じればよかったと思う?」
ツァワリが死んでからの時間経過は曖昧だ。とにかく、人目につかない廃屋の中で、目の前にいる女に私は問いかける。
手足を拘束し、銃を突きつけた、ツァワリ暗殺の主犯である女に。
「今更、エイリアンどもと手を組むなど出来るものか。やり直せるはずがない」
暗い瞳で女は言った。
女はかつて僚機として共同で作戦に当たったこともある天使だった。大破した私が殿を務めたあの時の。彼女も既に、『バックアップ』だった。
「わかるだろ! 誰かが最初の一歩目を間違えたんだよ!」
私と違い、女の精神は歪になってしまったらしい。振り乱した髪はボサボサで、碌に食事も取っていない様子が伺える。
「間違ったドミノ倒しを昔のクソ人類が始めやがった! そのツケを私ら天使が一生かけて返済し続けてる! もうとっくに借金取りが誰かも分からない!! こんな不毛な戦争、終えるには宇宙全域から異星種を消し去るしか方法がない!」
「そんな不毛さを止めようとしたんだよ、ツァワリは」
「殺戮天使になった事もないエリートに何がわかるんだ? ただ選ばれたからって、のうのうと地球で暮らして、軍縮なんて訴えて。エイリアンどもが私達を許してくれるのか!?」
そうだね。
私たち天使が殺した。
神でなく人間の代わりに。何万も、何億も、何兆も。
「憎悪の輪はこれからも続く……! 一度殺したら、根絶やしにするかされるかなんだ。生命が持つシステムなんだよ、それが!」
きっと、そんな女の憎悪が利用されたんだろう。彼女の裏には戦争継続を望む誰かがいて、今も殺戮天使がもたらす利益で潤い続けている。
殺しは終わらない。無限の殺戮は果てまで続く。
「私は、ツァワリや貴女のように、大志があったわけじゃない。ただただ帰りたかったんだ。ずっと。ツァワリのところに」
それだけでよかった。
それだけでよかったから、私は迷わなかった。疑問なんて抱かなかった。
ツァワリがいたから。
ツァワリがいるところへ必ず帰るってわかっていたから、──それだけだ。それだけの理由で何度も虐殺したんだ。
「……優しいね、お前は。お前はまっとうな人間として生きるべきだった」
「そうだね。私も、そうだったらいいなって、ずっと願ってた」
もう、いいだろう。
女から聞き出すべきことは聞き終えた。これ以上生かす理由もない。私は銃を構え直す。女は唾を吐いてから目を瞑る。
そして引き金に手を触れて──。
「……なぜ殺さない」
私は銃を下げた。女が疑問の眼差しを向ける。
独り言のつもりで呟いた。
「ツァワリはね、きっと、静かに怒っていた」
私に対して。
ツァワリのためにたくさん殺す私に対して。
「殺したって何も変わらない。これまでと同じなんだ。……誰かが間違えて、でも、いつだってやり直せた。私はそう信じたい」
きっとツァワリが望んだ私に、今度こそ。
「黙っててあげるよ。だから、一つだけ手を貸してほしい」
そして私は、とても悪いことを思いついてしまった。
◇
「あの女は死んでいる。これまでにも死者の精神を再利用する実験は行われたが、全て失敗に終わっている。それでも連れていくのか」
「うん」
ツァワリの葬儀に間に合ってよかったと本気で思う。
私は女と共に、殺戮天使化を行う施設に潜入していた。もう何度も来た施設だからどこに何があるかは頭に入っている。例えばそう、精神を肉体から分離して殺戮天使に定着させる設備とか。
人類は創る文明でなく奪う文明に切り替えた。未だに、魂をどうしたら自由にできるのか分からない。それでもよかった。ツァワリの死んだ脳から精神情報を吸い上げて、殺戮天使の体にインストールして。
「宇宙へ上がっても追手は来る。過酷な旅になるぞ」
そして私も、同じ機械の体に入り込む。
きっとツァワリは目覚めない。目覚めても怒られるかな。
「いいよそれでも」
女には諸々の手伝いを頼んだ。腐っても天使だ、ツァワリの死体を盗むのも、こうして殺戮天使化の施設に忍び込むのも、すべて上手くやってくれた。
殺戮天使の仕様を隅から隅まで調べ上げておいたのは正解だった。何故ならこういう時に、追跡ビーコンや思想調整機能、外部操作機能をオフに出来るのだから。
後は宇宙へ上がるだけだ。
そうして私が殺戮天使になった直後だった。
けたたましいアラームが響き渡った。操作室にいる女が、焦り混じりの声を漏らす。
「クソ。まずいな。バレたらしい」
さすがに、無理がありすぎたってことか。すぐに兵士がやってきて、逃げ場はなくなる。どうする? ここで辞めるべきか? いや、この機会を逃したらもう二度と殺戮天使にもなれないし、ツァワリの精神情報は失われてしまうだろう。
行こう。
宇宙へ。
「ごめん。逃げて。これ以上は危険だ」
「構うなよ。どうせ捕まったって死ぬ」
それに、と女はやけにさっぱりした笑みを浮かべる。
「あの時の礼がまだだったろ。今度は私が逃がす。……生きろ。お前のような者が生きるべきなんだ、こんな地球よりも、人類よりも」
……ありがとう。
女との通信はそこで切れた。私は設定シークエンスに従って大気圏離脱の準備を進める殺戮天使の体で、静かに、色んなことを考えた。
そして、空はひどく黒いものに切り替わって。
私は超光速機関を始動させる。
◇
星間戦争の時代だった。
死も破壊も殲滅も、きっとどこにでもあるんだろう。
ツァワリ。
26歳で、黒髪がすてきで、きっと幸せになれた人。
私の大好きだった人。
私はツァワリに何もあげることができない。できなかった。気の利いた台詞や洒落たプレゼントなんてあげられない16年間で──あったのは無数に積み上げた殺戮と、ツァワリとの4年間。
だから捧げられるのはとても寂しいものだけになる。
ねえツァワリ。
こんな宇宙でいいなら、二人だけで旅をしよう。
君と。御使いをやめた天使の体で。どこまでも深くへ。
人のいない世界でなら、きっと何者にもならないでいられるから。
それでね。いつか聞かせてくれないかな。
君がどれだけ私のことを好きでいてくれたのか。
君がどれだけこの星空を眺め続けていたのか。
天の光は全てが死数。
私が、ツァワリ、あなたと会うために殺し滅ぼし絶滅させた星々の叫び声。
ツァワリ。
フロンティアなんてクソくらえだね。
これからの悠久を全て、あなたと共に。
あなたが喜んでくれるなら、私はそれが嬉しい。