「……誰か来る」
ポツリと本から顔をあげて、ミノリが言う。
つまり、知らない足音の知らない気配の人が来た。
ピン……と瞬時に緊張で空気が張り詰める。
「ヒナが探る」
「僕も行くよ」
鉛筆で絵を描いていたヒナがユラリ立ち上がる。緊張した面持ちでガラス壁に近づいて、目を閉じた。何者であるかいち早く知るため、見聞色の覇気を使おうとしているのである。
その隣で黙ってハルトはヒナの手を握った。自分も不安だったから。体温がほしかった。
深呼吸して、少し前にでる。最悪な場合、自分に視線がいくようにと思って、少しヒナを隠すように立つのだった。
知らない大人、つまりこの施設の人じゃない。何しに来たんだろう。ドクターがいつも言ってるDr.ベガパンクだったらどうしよう。それが一番の最悪だ、つまりはお披露目、3人の誰かが連れていかれてしまう。
子供たちはそう考えてピリピリしていた。
誰かと言えばマぁ、四十万な訳である。当然知らない気配の知らない足音の変なオジサン。3人の警戒は最もである。奴はグラサンもしているので尚更怪しく見えることだろう。
一方で廊下の1番奥から言い知れぬ、殺気にも似た重々しい圧を素肌で感じ、四十万は唾を飲んだ。殺気に気圧された訳では無い、なんというか夏に聞く怪談のような薄ら寒さを感じたのである。うすら暗い廊と充満した薬品の匂いも相まって、気味が悪かった。
......あそこにハルくんが居るかもしれない。そうでなくても助けるべき子供達がいる。まずは接触しなくては。
肺の底から息を吐き出して、己に渇を入れる。ワゴンのグリップを握り直して。重いワゴンを押し進めた。
そうしてガラス扉に前にたどり着けば、ジッと固まってこちらを見る、光の抜け落ちた暗い瞳と目が合った。それは一瞬のことで、すぐにパッと可愛らしく笑いかける。
しかし、その一瞬があまりにも強烈で。目に焼きついて剥がれなくなった四十万は、カードキーを思わず取り落としたのだった。
- いや、顔怖っっ。
四十万は慄いた。ドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。
- えっ、ハルくん? ハルくん、だよね。
陽だまり丘で健やかに育った姿を見てきた四十万は、あの冷たい鉛の目をした少年、それが春兎……ハルであると認識することが出来なかったのである。
だって四十万が知っているのは、あの仔兎のような愛くるしい、春兎である。『あざとい』という言葉は、彼の愛らしさを表すために作った言葉であると言われても、納得できるような存在である。
向こうで「あのねぇ、四十万さん。僕ら焼肉食べたいな♡ 」とかわゆくオネダリされたことは数しれず。野郎に奢る趣味は無いのに財布を開いたことも数しれず。
ちまこい頃には、四十万によじ登って丸めた新聞紙でペチペチしてきた、あの愛くるしいクソガキが、汚物を見定めるような目で四十万を見ていたのである。
「こんにちは。お兄さん新しい人ー? 」
ニコニコと人懐こく話しかけてくれるが、四十万は頬が引き攣りそうだった。シンプルに悲しかった。
「そうなんだ、俺はシジマ。下っ端なもんで、今日から君たちの世話をやくことになったんだ、よろしくな」
そう挨拶を返すと、大きな翡翠をシパシパと瞬かせてハルはキョトンと惚けた顔をした。それから、眉を下げて
「んー。向いてなさそうな人だね」
そう笑った。
「え?」
なんかもう、いっぱいいっぱいだった四十万は素直に間抜けな声が出た。そして我に返り、「あれなんかまずい事したかしら」と慌ててカタカタ演算を始めた。
「お兄さん、優しいっぽい人でしょ」
それは、悪意のない声だった。むしろこちらを気遣うような、子供の拙い優しい声。
ー優しいっぽい、の真意とは。行動を起こすことは出来なくても、自分達に心を痛めてしまった世話係が何人かいた。人間なので小さな命に対して、情というものはどうしても湧いてしまうことがある。反抗して始末された職員や、耐え難くなり自ら去っていく人が居た。
事情を知る術を持たない子ども達にも、途中で居なくなった職員の傾向は
「……ここの人「世話をやく」なんて、まるで人間に対してつかうような言葉使わないので」
声につられて奥を見れば、もう1人はみのりん……稔だった。目を見開いて驚くシジマをよそに、こちらを見もせずに本を読んでいる。
その言葉は言葉通りでしかないのだが、それでも四十万には「偽善者って人種だろ」と言われたような、線を引かれたような気がした。
静かだけど優しくて、1番大人びてるけど遊びに誘ってやると喜んで着いてくる可愛い奴。3人の仲で1番慕ってくれてたのは稔である。無計画に買い込んだプラモデルを一緒に作ってくれたのも、ロマンに負けて買った仮面ライダーオーズのCMS変身ベルトやデラックス日輪刀で遊んでくれたのも、大人気なくゲームでボコボコにしても楽しく遊んでくれたのも子供たちの中では稔だけである。
思い返せば、どっちが面倒見てもらってるのかわからないが、何はともあれ1番の仲良しだったのに。こちらを一瞥もしようとしない。彼からの関心は無であった。
だめだ、情緒を素殴りしてくる情報量が多すぎる。
「そうかも。お兄さん心折れるかも」
既に泣きそうだった。
クイ、と裾を引かれる。四十万はあともう1人を視認できて居ないことを思い出した。
でもまぁ。ハルくん、みのりん、と来たら残る1人はもしかしなくても、キャストに当たりはつく。
「ね、ね、おじさん、はるを連れていくの? 助け出すって、なに」
ずいと、嘘は許さないとばかりに覗き込む目は深淵だった。ホラー漫画の見開き魅せコマばりの迫力ある真っ暗な目と至近距離で目が合ったオジサンのSAN値がゴリゴリ音を立てて削れてく。
ひなちゃんといえば、守りたいぴかぴか笑顔が代名詞の可愛い子である。素直で元気ないい子。周囲のどうかそのままで居てくれという願いを体現した、純真無垢が服を着て歩いているような、稔と春兎のことが大好きで仕方ない女の子。
四十万にも向けられていたお日様の笑顔は、その影もないどころか、貞子も伽椰子も逃げ出すホラー仕様だった。
貞子VS伽椰子VS
「そっかァ。ひなちゃん見聞色の覇気使えるのね……スゴいねぇ……」
シジマはもうダメかもしれない。記憶統合の弊害である。そんなに頻繁に会っているわけではないが、元気で素直な良い子達の3人とのギャップがデカくてしんどかった。明日、四十万は稔たちと縁日に行くのだ。絶対財布が緩む。
萎れたシジマは素直に子ども達に白状することにした。それから無自覚に使っている様子の覇気についても毎日少しずつ知識を与えた。それから暫く様子を見て食事の時間の度に、自分達がしようとしている壊滅作戦、この施設の構造や警備体制も伝えた。
なにも、あの時の消沈するまま、子ども達に打ち明けることにした訳ではない。
四十万はもっと鬱々とした無気力感に満ちた非力さを想定していたのだ。それがどうだ。あの暗い気迫に満ちた刃物のような目。絶対に何かやらかすに決まっている。四十万は確信した。
それならば、何も知らせずに居るよりは、知る限りのことを与えてやった方が幾らかマシになると判断したのである。
正しくはシジマを信頼してよい味方であると判断されなかった故なのだが。ファインプレーには間違いなかった。