「まさか貴女と今日この場で
練習場たるグラウンドを包み込む喧騒の只中において、静かに呟かれたはずなのに嫌にハッキリと聞こえるその言葉と共に、私の眼前で佇む言葉を発した彼女はゆっくりと自身の手を私へと向けて差し出してきた。咄嗟にそれが握手の仕草だと理解した私は、差し出された彼女の手を慌てて握り返して握手を交わしたのだけれど、平静を装った表の仮面の顔とは裏腹に私の心は何故!? と、しじみ汁の様に慌てふためいていた。
青々と茂るグラウンドの芝、その内外に集まる人、ウマ娘、そしてまた人…………
走る恰好をしたウマ娘、制服を着て観戦しているウマ娘、空き時間を利用して見学している先生方教職員にトレーナー。学園主催の選抜レースと然して変わらない…………いや、普段は学園の行事ごと以外では生徒達に一般開放されているグラウンドを学園トップクラスの実績を誇るチーム『リギル』とはいえ、1チームが丸々グラウンド1つを貸切っているこの状況を考えれば十分に異常だろう。
沖野さんが持ってきたチーム『リギル』の選抜レースの提案。あの日私と沖野さんは一服した後にその足でおハナさんさんの元へと向かったのよね。
とりあえずは沖野さんの無茶苦茶に対しての謝罪。おハナさんは私に対しては気にしなくていいと言ってはくれたけど、それでも私の為に沖野さんが無茶ぶりをしたんだからと誠意を見せ、その上で自分の意思で出走したいこと、ただ私が参加する事で他の参加者が不利になっては困るから大外での枠順にして欲しい事などを話した。
いやだって、私は沖野さんの提案で担当契約を結ぶ条件である『選抜レースに1回は出走する事』っていう条件を満たす為に走るのであって、別に私はリギルに入部するのを目的に出走する訳ではないのだ。
勿論走るからには私は全力で勝ちに行く。これはウマ娘としても私個人としても走る上で絶対条件と言っていい。手を抜くなんて冗談じゃない。
私がおハナさんにお願いしたのはレースが始まるその前の段階、私の所為で枠順の不利を被る他の出走ウマ娘が居ない様にする為ということ。後から面倒ないちゃもんが来ない様にする為の予防策って訳。
この私のお願いに沖野さんもおハナさんも最初はビックリしていたけれど、私がキチンと理由を説明すると最後には納得して貰えた…………何故かおハナさんと一緒に居たマルゼンスキーさんは変な顔になっていたけれど。
そうしてこうして発表された出バ表を確認したりと私なりにレースに向けて調整して今日、リギルの選抜レース当日にグラウンドへと来た私は最初のおハナさんの選抜レースの開始と諸注意などの伝達事項をしっかりと聞いて、前半戦のマイル選抜レースを見学し、いざ私の出走する中距離選抜レースに備えてアップを始めようとしたタイミングで私は冒頭の通り見知らぬウマ娘に声を掛けられたって訳なのです。
いや…………見知らぬというのは語弊がある。自分から言うのは躊躇われるけど、比較的交友関係の狭い私でも少なくとも噂は聞いた事はあるし、資料や…………今回の出バ表にも載っていた。そう言った物を通して私は、対面に佇む彼女の事を多少なりとも知ってはいるのだ。
高級なシルクの様にサラサラと流れる暗めの鹿毛を大和撫子を彷彿とさせるおかっぱロングヘアーで流麗に整え、それに負けず鍛えられた
やや吊り上がった眼差しとそれによって醸し出される凛とした佇まいは、未来の生徒会長であるルドルフ先輩や友人のシリウス達とはまた違った周囲を引き付ける魅力や圧…………一種のカリスマ性の様なモノを漂わせていた。
シンボリ家、サトノ家、そしてメジロ家など、中央トレセン学園には多くの名家が在籍しているが彼女もまた、そんな名家とはまた別の意味で比肩しうる知名度を誇っている。
ミホシンザン
それが今私の目の前に佇んでいる彼女の、ウマ娘たらしめる魂の名前。この世界では史実とは違い親子関係では無く親戚関係らしいけれど、前世においては神馬…………もしくは鉈の切れ味とも称された末脚を持った5冠馬、シンザンの最高傑作。その競走馬の魂を継いだウマ娘。
「ナイスネイチャさん、貴女の噂は私も知っている。1年前のリギルの展示レースで上級生の先輩方に勝った事も、テンポイント生徒会長に目を掛けられている事も。」
「い、いやぁ…………私は別に「なればこそ」? 」
「私は貴女に…………ナイスネイチャに勝つ。私が頂いたシンザンの名に懸けて…………ただそれだけです。」
唐突に、彼女の言葉にやんわり否定しようとした私の言葉を遮って、彼女…………ミホシンザンはゆっくりと私と交わしていた手に力が籠めて来た。ギシギシ…………ミシミシ…………と、それと同時に解き放たれた彼女の威圧感はそう幻聴が聞こえてくる程に私の肌を、空間を刺激する。
合わせて、彼女の威圧感に触れた私が幻視したのは巨大な若木。未だ成長を止めないその巨木を有するのは遥か地平の先まで何処までも伸び続く山々…………まさに
例えるならば今の幻視は固有スキルにも似た物なのだろうか? それとも彼女の威圧感に私が無意識にイメージを抱いてしまったものなのだろうか?
周囲の喧騒は途切れ、今この時、この瞬間、この場所においてグラウンドへと集まっていたギャラリーや参加者の視線は私とミホシンザンの2人だけに集まった。
それはまるで舞台の主役にスポットライトが向けられる様に、まるで物語の主人公に読者の関心が集まる様に。私達2人の一挙手一投足に周りの注目が集まり続ける中で、私は彼女への確かな確信を得る。
いや、確信どころか断言出来る。ミホシンザンは今この時点において、ルドルフ先輩よりは劣るだろうけれど、確実にシリウスよりも強い…………いや、下手をすればシリウスどころか私達の世代でも1番の実力を持っているかもしれない。それほどの実力を私はトレーナー志望としても、そして共に走るライバルとしても感じてしまった。
(……………………)
一瞬の思案。相手はシンザンの血と名を継いだ強敵。別に今日此処でミホシンザン相手に無理に勝ちに走らなくても当初の目的は十分に達成出来る…………出来るのだけど
「…………良いよ。
迷った心を振り払う様に私はミホシンザンへとそう告げて、お返しとばかりに彼女の手を握る自身の手に力を込めた。例えるなら気分はまるでアーノ〇ド・シュワルツェネッガーとシルベスタ・ス〇ローンがその丸太の様な腕で握手しているかの様だ。互いに力を込めた腕は固く固定されたかの様に微動だにしない。交わした言葉と威圧感が負けるなと、勝って見せろと冷めた私の心の炉に火を灯す。1年前の夏休み、ルドルフ先輩の実家でシリウスと初めて会った時を思い起こさせる熱く燃え上がるこの感覚は、正しく私が持った闘争心と言う他に無いだろう。
(しまったなぁ…………彼女が此処まで強いとは思っていなかった…………此処まで強いんじゃ、おハナさんにあんな事お願いするんじゃなかったかな? )
ミホシンザンの宣戦布告を受けて自然と持ち上がる私の口角。同じ様にニヤリと嗤うミホシンザンを目にして私は少しばかりそう胸中で後悔した。
だがしかし、既に枠順は決まっているしそもそも言い出したのは私自身だ。甘んじてその後悔を受け入れるしかないだろう。
「では、お互い正々堂々と…………この行く末はターフの上にて。」
全てを凍て
そんな彼女と入れ違う様に
⏱
「よぉ。大丈夫そうだな。」
「まぁね。でも流石にこんなに視線が集まると少し緊張しちゃうかな。」
緊張感の欠片も無く、片手を上げながら私に話しかけて来る沖野さんに私は苦笑しながらそう返した。
「まさかあの場でミホシンザンに何か言われたのか? 」
「んにゃぴ。ちょ~ちミホシンザンから宣戦布告を受けただけ。そ・れ・よ・り、沖野さんこそ今私に話しかけて来ても良い訳? 一応ここはリギルの選抜レースなんだよ。」
沖野さんの言葉に、私は少しだけ肩の力を抜きつつそう返した。やや冗談交じりに返したのだが、私の返しを聞いた沖野さんはピクリと少しだけ肩を震わせ、バツが悪そうな表情を浮かべながら上げていた手を戻す事なくそのままポリポリと頭を搔いている。
「…………この心配性め。」
「あ、いやぁ……そりゃあ一応……な? 」
苦笑いを浮かべる沖野さんに私は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
(まったく…………この人は。)
沖野さんと知り合って未だ1年と少し。知り合いと言うにはいささか長く、さりとて相棒と例えるには未だ短い……なんとも中途半端な時間ではあるけれど、それでも私は今も目の前で気まずげに立っている沖野さんについて多少なりとも理解しているつもりだ。
冗談を言って言われて、揶揄いあって。ウマ娘の
今だって、まだ担当契約を結んでいない……しかも、今回の主犯は沖野さんであるとはいえ此処はおハナさんが率いるチームリギルが主催の選抜レースである。であるにも関わらず、この人は私がミホシンザンと険悪な雰囲気(実際にはただの宣戦布告)を察して周りの目を気にせず私の所へと気遣いに来る。
そのくらいは中途半端な付き合いの私でも分かる。そう言う人なのだ、沖野さんというトレーナーは…………
「大丈夫だよ沖野さん。ちぃとばっかし宣戦布告をされただけ。」
「宣戦布告ってお前…………」
「沖野さんも分かるでしょ? 強いよ…………ミホシンザンは。」
「…………あぁ、そうだな。」
何か言いたげだった沖野さんだけど私の言葉を聞いて静かに、それでいて真剣な眼差しで肯定を返してくれた。
彼も個人的に情報は集めていたのだろう。しかし事実は小説よりも奇なりとは良く言った物で、生で見たミホシンザンの実力は沖野さんの想像を超えていたみたいだ。
「…………勝つよ、
私は
既に炎は
そう
私の言葉に、沖野さんは少しだけ驚いた顔をする。だがそれも一瞬だけ。すぐさま真剣な表情へと戻すと、ポン…と小さく私の肩を叩いた。
「
今度は沖野さんが私そう言葉を返して、ゆっくりと沖野さんの手が私の肩から離れた。と同時に、私と沖野さんは示し合わせる事無くお互いがお互いの相手の手を軽く叩いた。うん…………私達の、私達だけのルーティーン。
まるであの日と似た私と沖野さんのやり取り。されどそこに込められたその熱量はあの時とは比べ物にはならない。そっと叩いた手を私は離して、自身のウォーミングアップを始める為に沖野さんに背を向ける。少なくとも、このレースが終わるまで私はもう沖野さんへと顔を合わせる事は無い。
私も沖野さんも、お互いに言いたい事は既に伝えた。後は全力でことを成すのみ。
まるで担当ウマ娘と担当トレーナーになっているかの様な雰囲気。周りに隠すこともせず行われた私達の会話のやり取りを見ている人にはどんな思いを抱かせるだろうか。そんな事を一瞬だけ思ってしまうけど、けど思いの外
何せ1か月以上伸ばされたんだ。僅か数分、数十分のフライングくらい3女神様も多めに見てくれるだろう。
踏みしめる芝生の感触。手のひらに感じるルーティーンの感覚と、未だピリピリと肌を刺激し続けるミホシンザンの圧…………その残滓。
トレーナーさんから受け取った確かな熱。
それらを感じながら、私はミホシンザンとは反対側へと歩いて行った。
決着は直ぐに分かる。ミホシンザンに言い訳を残さぬ為にも、今は念入りに体を準備しておこう。
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