「セイウンスカイさんがカッコよく描かれているイラストをお願いします」
ウマ娘達が師走を終えて繁忙期を過ぎた頃、コミッションにてそんな依頼が舞い込んだ。
依頼文を開いた瞬間、メジロドーベルは考え込むように顎に指を当てる。
「……カッコよく、ね」
セイウンスカイ。普段の彼女を知っている者ほど、その一文に少し考え込むかもしれない。
昼寝。飄々。のらりくらり。掴みどころのない笑顔。どちらかといえば……可愛い?
そういう印象が先に立つ相手だ。
いや、しかし。ふとした瞬間に見える鋭さや、他のウマ娘とは違った戦法や走り方が際立つのも、またセイウンスカイというウマ娘だった。
「……描けなくは、ないわね」
そう呟きながら、ドーベルは依頼内容をもう一度読み返す。
送信者名は『西野花』。いかにも本名ではなさそうな、柔らかな響きのハンドルネームだった。
本文は簡潔だった。
『できれば、普段のふわふわした感じではなくて』
『一瞬だけでも、見る人がドキッとするような』
『そんなセイウンスカイさんが見てみたいです』
「……このヒト。スカイの事が、好きなんだろうなぁ」
ドーベルは少しだけ口元を緩めた。
曖昧なようでいて、欲しいものの輪郭ははっきりしている。
こういう『好きなものを、あなたに描いてほしい』という依頼は、嬉しいものがある。
「……問題は、どう描いたものかって事だけど」
セイウンスカイ単体で「カッコいい」を表現する。
言葉にするのは簡単だが、いざ描こうとすると案外難しい。
可愛い、なら分かる。お昼寝している光景でも描けばいい。
気だるげ、も分かる。トレーニングをサボろうとしている場面を描けばいい。
掴みどころがない、も描きやすい。レースに向けて策戦でも考えている表情を描くとやりやすい。
だが『ドキッとするようなカッコよさ』となると話は別だ。
「勝負服で風を受けてる感じ……? いや、ちょっと正統派すぎるわね」
さらさらとラフを描いてみる。
悪くはない。だが、何か違う。
これでは雑誌のグラビアのようで、依頼文にあった“ドキッとする”には少し届かない。
「目線を鋭くして……顎を少し上げて……背景は空……ううん、安直」
紙の上に何枚かのセイウンスカイが増えていく。
どれも整ってはいる。だが、決め手に欠ける。
ドーベルは唸りながら鉛筆を止めた。
「……単体だと、比較対象がないのよね」
……カッコよさというのは、時に誰かとの関係性の中で際立つ事がある。
並んだ時の空気。視線の交差。距離感。
そういうもので、ぐっと印象が強くなる。たとえばウマ娘のレースを描く漫画なんかだと、手強い好敵手がいると主人公のカッコウよさが際立つ例がある。
そこまで考えてから、ドーベルはセイウンスカイにとってのライバルを思い浮かべた。
「……スペシャルウィーク……は、最近だとなんだかグラスとのイメージが強いわね。エルは…………うーん、走ってるレースはあんまり被らないし……」
そこらへんについて考え始めると、創作者としてわくわくして止まらなかった。――だから、変な結果になってしまったのかもしれない。
「……キングヘイローなんてどうかしら」
最終的に思い浮かんだのは、キングヘイローだった。
お嬢様なはずなのに泥臭く、不屈で、真っすぐで、なおかつ包容力もある。
セイウンスカイの飄々とした雰囲気と並べれば、対比として映えるかもしれない。
ドーベルは早速、ラフに二人を並べてみた。
トレーニング後、ベンチに腰かけるキングヘイローの隣で、セイウンスカイが片膝を立てて座っている構図。
キングヘイローは前を向き、セイウンスカイは少しだけ横目で見上げる。
「……うん。これ、なんか……」
悪くない。
悪くないのだが。
「……なんか、足りないわね」
ただ”それぞれがカッコいい二つのキャラクターを並べている”だけの絵。そう評するのが適切だった。その組み合わせは決して悪くない。だけど、それだけだ。
「……それなら、いっそ二人がお互いを見つめ合うのはどうかしら」
自分に言い聞かせるように呟く。
筆がピタリと止まる。なんか、以前――星空雲辺りの依頼で――似たような事をやらかしをやったような……。
「……いや、でもその方がカッコいい……わよね……」
描く。一度頭に思い浮かべてしまえば、筆が進む。
顔を見合わせ。セイウンスカイをカッコウよく、なんとなく男性的に――キングヘイローは柔らかな曲線が際立つように。二人で寄り添い合う構図。
「……コレよ、私が得意とするものは……!」
誰に言い聞かせるでもなく、独白する。また、久しぶりに悪い癖が出た。
ラフで終わらせて西野花に確認を取るつもりが、油断をしたドーベルは一気に描き上げてしまった。
セイウンスカイの指が肩へ食い込むほど強く触れていて、その力の分だけ、二人の距離は危うく縮まっていた。
鼻先が触れ合うほど近いのに、唇だけは重ならない。
だからこそ、頬を染めて震えるキングヘイローの表情も、こぼれかけた吐息も、にじんだ汗の一粒までもが過剰なほど際立って見えた。
このイラストは接吻そのものよりも、唇が触れる寸前で押し留めている戸惑いと支配で満ちている。
「……さすがに、一旦確認、入れた方がいいわよね。これじゃあ、ダメなかもしれないし」
たぶん。セイウンスカイがカッコよくはある。
ただし、その“カッコイイ”の方向性がかなり危うい。
「でも……この空気感、嫌いじゃないのよね……」
ぽつりと本音が漏れた。正直、自身の"好み"を押し詰めてはいる。
だがまずは依頼主の確認だ。
需要と供給が一致しなければ、コミッションとしては悲しい失敗でしかない。
ドーベルは意を決して、メッセージアプリを立ち上げた。
文面を打ち込む。
『ご依頼ありがとうございます。イメージ確認のため、イラストを送ります。もし方向性が違うようでしたら1から修正可能です』
1から。というのを念を押したのは、いくらか筆を滑らせてしまった自覚があるからなのかもしれない。
そして画像を添付し、送信。
「……よし」
送った直後から、胃がきりきりし始める。
もし『すみません、こういう意味ではなく……』と返ってきたらどうしよう。解釈違いのあまり、罵倒の言葉だってあり得るかもしれない。
ドーベルが頭を抱えかけた、その時だった。
スマートフォンの通知音が短く鳴る。
「っ」
反射的に背筋が伸びる。
恐る恐る画面を開くと、西野花からの返信が届いていた。
『ありがとうございます』
『まず最初に、すごく素敵です』
「……え」
思わず、ドーベルはその一文を二度見した。
続きが気になって、指先で画面を滑らせる。
『空気感がとても綺麗で、二人ともすごく魅力的です』
『セイウンスカイさんの表情も、ただ柔らかいだけじゃなくて、内側に強さがある感じがして……とても好きです』
『キングヘイローさんも美人で……絵としては本当に素晴らしいと思いました』
「……ほ、ほんとに?」
口をついて出た声は、独り言にしては情けないほど小さかった。
だが、胸の奥に張りつめていたものが少しだけ緩む。
少なくとも、全否定ではない。
それどころか、ちゃんと見て、ちゃんと褒めてくれている。
その事実だけで、胃の痛みがほんの少し和らいだ。
しかし、メッセージはまだ続いていた。
『ただ……すみません』
『こちらの説明が足りなかったのですが』
ドーベルの肩がぴくりと揺れる。
『私が見たかったのは、誰かとの関係性の中で際立つセイウンスカイさんというよりも』
『もっと純粋に、“セイウンスカイさんそのものが格好いい”と思える一枚でした』
「……ああ」
思わず声が漏れた。
拒絶ではなかった。むしろ、とても丁寧な言い方だった。たぶん、依頼者はとても優しい人なのだろう。
依頼者は、自分の出した絵をきちんと受け取った上で、欲しいものを言葉にし直してくれている。
それがわかる文面だった。
『たとえば、レースの前や最中みたいな、一瞬だけ鋭い顔になる時とか』
『普段は眠たげなのに、とても優しくて頼りになるけど、それでいて雲空みたいに不安定で、支えてあげたくなるような――』
『そういう、セイウンスカイさんの中にある格好よさが見てみたかったんです』
そこまで読んで、ドーベルは静かに息を吐いた。
――この人は、セイウンスカイが本当に好きなんだ。
「……そっか。私がただ描きたい絵と、この人の求めている絵は違うわよね」
そう感じた途端、自分が勝手に描いていた物語が恥ずかしく思えてきた。
セイウンスカイとキングヘイローが寄り添って、熱を帯びていくあの場面。あれはドーベルの中の解釈で、依頼者が求めるものとは違う。
ドーベルは画面に向かって小さく呟いた。
「ごめんなさい。私、あなたの気持ちを汲みきれていなかったわ……」
そしてすぐにメッセージを返した。
『了解しました。ご意見いただき、ありがとうございます』
『こちらの誤解により描いてしまいました。再び描き直したいと思います』
画面の向こう側の依頼者は、どんな人なのか想像する。
どこか照れ屋で、少し不器用で、でもちゃんと伝える強さを持っている。
そんな人だと、思った。
『追伸――ドーベルさんから見た、カッコいいスカイさんが見てみたいです』
その文字を見たとき、ドーベルは噴き出した。
身バレしてる。たぶん、依頼者はトレセン学園の誰かだ。前にマックイーンから「気づくヒトは気づく」と指摘されたが……。
ドーベルは悶絶するような声を出しながらもう一度、西野花という名前のハンドルネームを指でなぞった。
……自分の見方を知っている相手。自分の絵を知っている相手。
それでいて、きちんと求めるものを言葉にしてくれる相手。
少し気恥ずかしくて、でも嫌な感じはしなかった。
改めて、送った絵を見返す。
キングヘイローと並んだセイウンスカイは、たしかに自分の好きな“空気”を纏っていた。
寄り添い、視線を交わし、言葉にしないものを抱えた二人。
少女漫画のシチュエーションとしてそういうものを描くのは、好きだった。たぶん、得意でもある。
「……でも、この人が欲しかったのはそれじゃない」
ドーベルはそっとデータを閉じ、新しいキャンバスを開いた。
依頼者は、セイウンスカイの「誰かと並んだ時の魅力」ではなく。
セイウンスカイというウマ娘が、一人で立っているだけで伝わる強さを見たがっている。
――普段は眠たげで、掴みどころがなくて、のらりくらりとしている。
なのに、勝負どころでは誰よりも冷静で、鋭くて、先を見ている。
だけど、雲みたいに、ほっといたら、どこかにいってしまいそうで……。
「……描けるわよ。あの子がどんな風に頑張ってるか、私も知ってるから」
そう言って、ドーベルはタブレットにペンを走らせ始めた。
浅い海に足を浸しながら、セイウンスカイはただ一人、こちらに背を向けて空を見上げていた。
白と青の衣装の裾を軽くつまんだ両手、風に揺れる長い尾、華奢な背中の線。
その先に広がるのは、吸い込まれそうなほど濃い青空と、天へ向かって大きく膨れ上がる白い入道雲だった。
水面は陽光を受けてきらきらと輝き、周囲を舞う鳥影さえ、その景色の眩しさを際立たせている。
振り返らないその後ろ姿は、夏のただ中に立っているというよりも、ずっと遠くにある憧れの青空を、静かに見つめている。
後日『西野花』――もとい、ニシノフラワーは、メジロドーベルの横でスマートフォンを眺めながら小さく呟いた。
「スカイさん、カッコいいですよね」
ぽつりと零れたその一言は、絵に対してか。セイウンスカイ本人に対してか。
ニシノフラワーはまばたきも忘れたように、じっと完成したイラストを見つめている。
「空が、ちゃんと高いです。スカイさん、こっちを向いてないのに、すごくスカイさんだってわかります」
ドーベルは、少しだけ気恥ずかしさを覚えながら視線を逸らした。
「後ろ姿だけで伝わるようにしたかったのよ。いかにも“かっこつけてます”って感じじゃなくて……ああいう子って、そうじゃないでしょう」
ニシノフラワーの顔がほんのり赤くなっていて、何か図星を突かれたような表情だった。
「普段のスカイさんって、やわらかくて、眠そうで、気がつくとどこかへ行っちゃいそうなのに。でも、時々……本当に時々だけ、すごく遠くを見てるような顔をするんです。この絵、その感じがします」
そこまで言ってから、ニシノフラワーは、不安と、好意と、複雑なものが入り交じったような顔で言う。
「……私、そういうスカイさんを支えてあげたいんです」
まっすぐな言葉だった。
飾り気もなくて、だけどだからこそ、ドーベルの胸にすとんと落ちる。
「……そう」
短く返してから、ドーベルは改めて自分の描いた絵を見る。
最初に暴走して描いてしまった、キングヘイローとの妙に熱っぽい一枚とは違う。
これは、誰かと並んだ時の化学反応じゃない。
セイウンスカイというウマ娘を見つめ続けた誰かの気持ちに応えようとして描いた一枚だ。
「最初は、正直ちょっと見当違いなものを描いたと思ったわ。でも……西野――ニシノが何を見たくて、何が好きなのかを考えたら、描けた」
トレセン学園内の誰かと考えてみれば、突き止めるのはいとも簡単だった。依頼者のハンドルネームはあまりにもそのまま。当人は隠す気なかったのかもしれない。
ニシノフラワーは小さないたずらがバレた幼児のように、ふにゃりとやわらかく微笑む。
「最初の絵も、びっくりしましたけど。あぁいうスカイさんも綺麗でした。誰かを好きでいる気持ちとか、大事に思っている空気とか、そういうのを描くのが上手なんですね」
「……」
ドーベルは言葉に詰まる。的外れなモノをお出ししたというのは、なんともむず痒い。
「……あ、あたしは別に、そんな大層な……」
「でも、この絵はそこに“憧れ”もあって。だから、もっと好きです」
ニシノフラワーはそう言って、もう一度画面を見る。
青空を見上げるセイウンスカイの後ろ姿を、まるで大事な宝物みたいに。
「私、自分の好きなものを、好きだって言葉にするのがあまり得意じゃなくて。だから、ちゃんと伝わるかなって少し不安だったんです。でも、ドーベルさんが描いてくれたら、私が好きなスカイさんが本当にそこにいて……すごく、うれしいです」
それはきっと、依頼主として最高の感想だった。
ドーベルは小さく息を吐いてから、照れ隠しみたいに肩を竦める。
「……そう言われると、描いた甲斐があるわね。依頼って、こういう瞬間があるから、嫌いになれないのよ」
「はいっ」
「でも、それを描けたのはニシノの『好き』があったからよ」
そこまで言うと、ニシノフラワーは一瞬きょとんとして。
それから、みるみるうちに顔を赤くした。
「そ、そんな……! 私、スカイさんが好きというか……」
「好きなのよね?」
小さないたずらをされたから、小さな意地悪で返す。
「えへへ……」
笑ってごまかしながらも、ニシノフラワーの目元はどこか潤んで見えた。
本当に、この子はセイウンスカイの事が好きなのだろう。ドーベルには分かった。
少しの沈黙が落ちる。
気まずいものではなく、むしろ心地よい静けさだった。
やがてニシノフラワーは、絵を見つめたまま、小さな声で言った。
「私、ドーベルさんの事も好きですよ」
「は?」
あまりに予想外の言葉、ドーベルは間の抜けた声を出してしまった。
「だって、最初に描いたものを否定されたみたいで、嫌だったかもしれないのに。ちゃんとわたしの言葉を聞いて、描き直してくれて。それで、こんなに素敵にしてくれました」
むず痒くてたまらない。ドーベルは、ニシノから思わず顔を背ける。
「……別に。依頼なんだから、やるべき事をやっただけよ」
「そういうところがです」
即答されて、ドーベルは思わず押し黙る。
まっすぐな子だとは思っていたけれど、こういう風に照れなく言葉を返してくるのは、なかなかに手強い。
本当に、この子は自分よりも年下なのだろうかと思う事がある。
「……アンタね。そういう事、あんまりぽんぽん言わないほうがいいわよ」
「どうしてですか?」
「こっちが困るからよ」
そう返すと、ニシノフラワーは一瞬だけ目を丸くして、それから堪えきれないみたいに笑った。
「ふふっ。でも、本当にうれしかったんです。ありがとうございます、ドーベルさん」
その礼は、きっと絵そのものに向けたものでもあり。
自分の好きなものを一緒に大事にしてくれた事への礼でもあった。
だからドーベルも、ほんの少しだけ肩の力を抜いて答える。
「……どういたしまして。アンタの“好き”は、ちゃんと伝わったわ」
ニシノフラワーは、ふわりと花が咲くみたいに笑ってくれた。
「あ、あと」
……直後、何を思ったのか満面の笑みでドーベルへ詰め寄った。
肩を押さえられて逃げ道を失ったかと思えば、鼻先同士がぶつかるほどの距離まで一気に踏み込まれ、こつんと甘えるようでいて妙に圧のある“鼻キス”を食らわされる。
ニシノフラワーの表情は笑顔なのに、目だけは笑っていなくて……
「好きだからこそ、実はダメな事もあったりします」
その言葉に、ドーベルは顔を青ざめながら汗だくで硬直した。
そのまま震えながら結局は息を漏らすことしかできない。
――やっぱ、コミッションで勝手に指定外のカップリング作って恋愛要素ねじ込むのはやめよう……。
メジロドーベルは、今回の一件で肝に銘じた。