You Tubeのコメントで見た話を膨らませて書いてみましました。

引退したサイレススズカが、バイクに乗って走り始める短編。


1 / 1
サイレンススズカ未所持なので、口調とか変でも大目に見てクレメンスですわ!


サイレンススズカは2度風になる

「はっはっ……」

 

いつからだろうか。ターフを駆け抜ける私の脚に違和感を覚えたのは。

 

「はっはっ……くっ……」

 

イメージと体がズレる。脚が前に進まない。まるで粘度の高い液体の中にいるかのようだ。

 

「………っはぁっ!」

 

それを否定するように、殊更に激しく息を吐き、私は最終コーナーへと駆けていく。周りに競うべきライバル達はいない。それは、私が抜け出したからではなく、この走行が練習だからだ。レーンには唯一人、私だけがいる。

 

「はあぁぁぁ!」

 

激しい呼吸はいつしか雄叫びへと変わった。喉から溢れるそれを溢れるに任せ、インへと切り込むように鋭くコーナーを抜ける。

叫べばそれだけ肺から酸素が奪われる。しかし、そうして躰に鞭を打たなければ、イメージの自分を再現できない。

――まだ、まだ! もっといけるはず!

 

そんな心とは裏腹に、最終の直線に入った私の脚は伸びていかない。今まで積み上げてきた、経験と知識。それを完璧になぞっているはずなのに、脚だけがそこから置き去りにされる。

 

「もっと、先、なのに……!」

 

残り四百を告げるハロン棒。イメージでは既にそこを越えている。しかし、その四百を駆け抜けるべき脚はまだ、その外にある。

 

「くっ……っ!?」

 

下を向き歯を食いしばる。そうして、思うように動かないもどかしい脚に、何とか折り合いを付けていた、そのとき。一つの影が、後ろから私を追い越していった。

思わず、顔を見上げたその先には、一人のウマ娘のシルエットがあった。

細く、優美で、ともすれば夕闇迫るこのターフに溶けて消えてしまいそうなその姿。いつの間にか、他のウマ娘がターフを使い始めていたのだろうか。

 

――違う。あの影は私の中から飛び出していった。

 

私は、その考えに首を振った。確かにこのターフにいるのは私だけ。他のウマ娘の息遣いは感じない。

そして、何よりも、私の目の前にいるこのウマ娘は、その躰が向こう側の景色を透かしていた。

 

――これは幻。そう在りたいと願う、私が生み出した理想の私!

 

「…………はあっ!」

 

そう思った時には、私は既に渾身の力を振り絞り、ターフを駆ける緑の風となっていた。最早、距離などは頭にはない。ただ、ただ、その姿を追いかけていた。

しかし、私がどれだけ駆けても彼我の距離が縮まることはなかった。

必死に藻掻く私のことなど、まるで気にしないように、理想の私は軽やかに、舞うようにターフを駆けてゆく。

 

――まって、まって! まだ、私は、そこに……!

 

縮まるどころか、ゴールに向けて更に広がるその距離。気がつけば私はその背中に右手を伸ばしていた。

その瞬間、理想の私の躰がふわりと宙を舞った。

 

「あっ……」

 

私の差し出した右手は虚空を掴み、理想の私は隼のように沈みゆく夕陽に向かって羽撃いた。そして、残光がはるか遠くの街並みに消えるその瞬間、同じように空へ溶けて消えていった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

私は荒い呼吸のまま、茫然とその行く先を眺めていた。いつの間にか、躰はゴールを超えていた。

 

私――サイレンススズカ――が、ウマ娘としての完全引退を表明したのは、その翌日のことだった。

20歳での完全引退は、ウマ娘としてのキャリアでは短い方だったが、一度大きな故障をしてからの復帰という点では、我ながらよく保ったものだと思う。

引退のセレモニーは華やかに行わた。スペちゃんが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、私へのメッセージを読んでくれた時には思わず笑ってしまった。

これでもう、ウマ娘としてのキャリアに未練はない。そう思った。

 

――本当に?

 

私の胸の内で何が囁いた。

 

――――本当よ。

 

私は、何かに向けてそう応えた。

でもそれは、本当に私の声だったのだろうか。

 

 

 

◇◇◇3年後◇◇◇

 

 

早いもので、私が引退してから3年の月日が流れた。

あれから、私はどうしたのかというと、トレセン学園に出戻りしていた。私が今まで積み上げてきた「逃げ」の方程式。それを、後世に伝えないのは大きな「損失!」と、理事長に慰留されたからだ。だから私は、学園でウマ娘への授業や指導を担当する教官になった。走る側から、今度は走るものを支える側として、第二のキャリアを歩み始めたのだ。

そして今、私はデビュー前のウマ娘たちが練習でターフを駆ける姿を眺めている。それぞれのウマ娘に合った個別のメニューの作成は、本来は担当トレーナーの役目だが、トレーナーが付く前のデビュー前のウマ娘は、自分と似た脚質や適正距離の元ウマ娘の教官にアドバイスをもらう。私も、その役目を果たしているわけだ。

そんなことを考えているうちに、私の下に一人のウマ娘が駆け寄ってくる。先程の模擬レースでは8人中3番手で終わってしまった娘だった。

 

「はぁ、はぁ……スズカ教官! 只今のレース、アドバイスをお願いいたします!」

「そうね、貴女の脚質からすると、今の仕掛けは早かったわ。周りが早く仕掛けようとしても流されないで。もう少し、自分の力を信じてみて」

「はいっ! ご指導いただけて光栄です、スズカ教官!」

 

私が声をかけたウマ娘は、直立不動で返事をする。きっちりとしたその姿に、昔の自分たちを重ねてみて、あまりの違いに私は思わず苦笑を浮かべていた。

そんな私のことを、目の前の彼女は不思議そうな表情で眺めていた。

 

「……? どうかされましたか、教官?」

「ふふっ、なんでもないのよ。それよりも、そんなに固くならなくていいわ。むしろ、私なんて追い抜いてやる、位の気概で頑張って」

緊張を解すために、私がそう声をかけても、目の前の彼女は気をつけの姿勢を崩さなかった。案外、それが彼女の個性なのかもしれない。

 

「……はいっ! では、次のメニューがありますので、私はこれで!」

「ええ、お疲れ様」

 

走り去りながら、途中で何度も止まってはこちらを振り返り頭を下げる彼女に優しく手を振る。そして、彼女が校舎に消えると、それを見計らったように、次のウマ娘が声をかけてくる。そんなやり取りを、5回ほど繰り返して、ようやく私の前からウマ娘がいなくなった。

私はほっと一つため息を吐く。でもそれは、何もアドバイスをすることに疲れた訳ではない。

 

――彼女たちの姿が、今の私には少しばかり眩しいわ。

 

現役を辞めた身とはいえ、私は走れない訳ではない。何なら、教官としての力を維持するためのトレーニングは欠かしていないので、今でも並のウマ娘とならまだ余裕で勝てる位の脚力は維持している。

それでも、私は走ろうとは思わない。

 

――あの、“スピードの向こう側”へ駆け抜けていく理想の私を見てしまったら、もう走り続けるなんてできっこない。

 

常に最速を目指すウマ娘として、もう自分は最速に手が届かないのだと知ってしまった。その瞬間、私にとって走る意味は、最早なくなってしまったのだ。

 

――それでもまだ、私は走ることに何かを見出したくて、未練がましくここに残っている。

 

「……今日はこのあとはフリーね。たまには、早く帰ろうかしら」

 

なんだか、センチメンタルな気分になった私は、有給をとって早めに家へと帰った。

 

 

◇◇◇帰宅後◇◇◇

 

 

「ただいま」

 

私は、トレセン学園への就職を決めてからは一人暮らしをしているので、返事はない。それでも、一つの儀式として挨拶は欠かさない。

「さてと、早く帰ってはきたものの、どうしようかしら……」

 

なんだか気分が落ち込んだから、早く退勤したものの、これといってノープランだった私は、早速やることもなく茫然としてしまった。

 

「うーん、たまにはゆっくり寝てもいいのだけど、長く寝ると次の日に起きる気力が湧かないのよね。ディナーを食べに行ってもいいけど、何となく外に出たい気分じゃないわ」

 

私は、リビングを左回りでグルグル周りながら、色々なプランを考える。思考がまとまらないとき、こうやって左回りをしてしまうのは私の悪い癖だ。

その結果、今回も間の悪いことに、私はリビングのキャビネットに思い切り足をぶつけてしまった。

 

「う〜ん、久しぶりにスペちゃんに連絡でも取ろうかしらぁいたぁ!?」

 

ぶつかった拍子に、右足の小指を強かに打ち付けた私は、思わず下にしゃがみ込む。

 

「いたたた……あいた!?」

 

更に悪いことは重なるもので、今度はキャビネットの上に載せていた小物が、私の頭の上に墜落したらしい。私は小指を押さえていた手を、今度は頭に当てて涙目になった。

 

「ううっ、こんな姿誰にも見せられないわ……、それにしても一体何が落ちたのかしら。あら、これは……」

 

痛む頭に手を乗せながら、私は空いた左手で落ちてきたものを拾い上げる。

それは、一つの写真立て。中には一枚の写真が収められている。被写体は一人の男性と、一人のウマ娘だ。ウマ娘はもちろん私、そして男性の方は――

 

「……トレーナーさん」

 

――現役時代の私のパートナーであるトレーナーだった。この写真は、私が始めてG1のレースで優勝した記念に撮ったものだった。

 

「……懐かしい。トレーナーさん、今頃何をしているのかしら」

 

写真を見つめて、私は今はもうトレセン学園を離れてしまった彼に思いを馳せる。

トレーナーさんは、私と同じでスピードの魅力に取り憑かれた者の一人だった。背が低く、アイドルのように整った顔立ちの彼は、そこからは想像できない程、学生時代はやんちゃしていたらしい。

 

――“スピードの向こう側”の世界が見たくってね。

 

トレーナーさんは、ことあるごとに“スピードの向こう側”という言葉を口にした。聞けば彼は、そこに辿り着くために、毎晩バイクで深夜の街を爆走していたらしい。彼がどうして“スピードの向こう側”を求めるのか、その理由は聞けずじまいだったけど、彼が本気だったことはひしひしと伝わっていた。

結局、ウマ娘のトレーナーになってからは、バイクからは遠のいていたらしいのだが、“スピードの向こう側”にかける想いは消えていなかった。その哲学とも言えるスピードに対するトレーナーさんの考え方が、私のレースにかける想いと不思議とマッチした。だからこそ、私達は二人三脚でG1に勝利できたし、故障からも復帰できたのだ。

私が、トレセン学園を卒業するのと同時に、トレーナーさんは「地元に戻るね」と言い残して、私の前から姿を消してしまった。彼は、“スピードの向こう側”を見つけにバイクの世界に戻ったのだろうか。あるいは、私とのレースの中で、“スピードの向こう側”を垣間見て、満足して帰ったのだろうか。

 

「もっと、ちゃんと話しておけばよかったな……」

 

私は、慈しむような手付きで写真立ての埃を払うと、それを再びキャビネットに載せた。そのままソファに腰を下ろして目を瞑って天井を仰ぐ。疲れていたのか、私はそのまま少し微睡んでしまった。

 

薄暗い瞼の闇の中、バイクに跨ったトレーナーさんがいた。これから彼は、テールランプの尾を引きながら夜の街へと走り出すのだ。彼がバイクに乗るところなど、一度も見たことが無いのに。

キーを回しキック一発でエンジンをかけると、トレーナーさんはハンドルに手を伸ばす。アクセルを回す直前、彼は「着いてこい」というような目で、一度だけこちらを見た。

 

「ねぇ、待って」

 

右手を差し伸ばしてそう言う寸前に、私は夢から醒めた。現実の私の右手は、何もない虚空を掴んでいた。

気がつけば、窓の外は真っ暗だった。その闇の中、私の目には、夢のテールランプの赤が焼き付いて離れない。

 

「……バイク」

 

窓ガラスに手を押し当て、外の闇を眺めながら、気が付けばポツリと私は呟いていた。

 

――そうだ、脚が動かなくてもバイクなら。

 

私の脚はもう終わってしまったのかもしれない。けれど、もしそれの代わりになってくれるものがあるとしたらどうだろう。私の胸の内でまだ燃える“スピードの向こう側”を目指す想いを託すに足る脚があるなら。

 

「……よし」

 

そう呟いた私の手は、キャビネットの電話へと伸びていた。

 

 

 

◇◇◇数ヶ月後◇◇◇

 

 

「DREAM MOTORS……ここね」

 

トレーナーさんの夢を見てから数ヶ月後。

無事に大型自動二輪車の免許を取った私は、近所のバイクショップへと足を運んでいた。

トレセン学園が丁度夏休みに入るタイミングだったこともあり、教習所の合宿もあってトントン拍子に免許が取れたのはありがたかった。

 

――私が、サイレンススズカだってわかった瞬間、バイクと並走させられそうになったのはびっくりしたけれど。

 

バイクとウマ娘。この両者は、やはりシンパシーを感じるものらしく、教習所では、私のことを知る人やウマ娘も多かった。そのため、教習所ではいろんな人やウマ娘から話しかけられ、一緒に勉強して、なんだかトレセン学園の学生に戻ったようで楽しかった。同期のメンバーとは、ツーリングの約束も取り付けて“スピードの向こう側”を目指す以外の楽しみも一つ増えた。

 

――それもこれも、まずはバイクを買ってからね。

私は、覚悟を決めて自分の新しい脚となるバイクを選ぶため、店の扉を潜った。

 

「らっしゃーせー」

「すみません、バイクを1台見繕っていただきたいのですけれど」

「はいはーい……って、ええ!? サ、サイレンススズカさん!?」

 

少し、間延びした声で返事をしながら、陳列されたバイクの影から現れた若い店員は、私のことに気付くと思わず跳び上がった。

 

「はい、そうです。……やっぱり、ウマ娘がバイクに乗るのは変ですか?」

「いやぁ、そんなことはないですよ! むしろ、引退してからバイクを趣味にするウマ娘の方は多いんですよ! ささ、どうぞこちらへ!」

 

若い店員は必死で首を左右に振ってから、私を奥のテーブルへと案内する。店員の後に続いて私はテーブルの前に進む。

そこで店員が「すみません、在庫のファイルを取ってきますので、しばし座ってお待ちを」と言い残して、慌ててカウンターの奥へと消えていったので、私は言われるがままに席に座って店内を眺める。

店内にはピカピカに磨き上げられたバイクが所狭しと並んで、新しいオーナーを待っていた。

 

――すごい、これは全部、走るためだけに生み出されたものなのね。

 

「走る」という、その言葉が体現されたかのようなフォルムを持つバイク達。それに囲まれて、私は胸の内で炎が燃え上がり始めるのを沸々と感じ取った。

走るために生まれたものが集う場所、それはまさにトレセン学園の鏡写しだった。ウマ娘がトレーナーに見出されるのを待つように、このバイクたちもまた、オーナーに見出されるのをを待っているのだと思うと、私は胸を熱くしないではいられなかった。

しばらくして、店員が 「お待たせしました~」と、やはり間延びのする声を出しながらテーブルに戻ってきた。手には分厚いバインダーを持って、それをテーブルに置いてから、店員も席へと腰を下ろした。

 

「それでは、スズカさん、本日はご来店ありがとうございます。この度はどういったバイクをお求めでしょうか」

 

店員は、バインダーを開いてページを捲る。バインダーは、バイクの用途や排気量ごとにファイリングされているようで、スクーターから、オフロード用のブロックタイヤを履いたものまで、ページを捲る度に様々なバイクが現れた。

 

「そうですね、とにかくスピードが出る大型のがいいんですけれど……」

「ふーむ、大型でスピード重視ですかぁ。……スズカさんは、バイクは中古でも気になりませんか」

「中古ですか……」

 

今回、私は、予算は糸目をつけないで欲しい物を買おうと思っていた。レースの賞金や教官業で、蓄えにはかなりのゆとりがある。

しかし、私がお金を持っていることは店員も承知のことだろう。その上で、中古を薦めてくるのには何か意図があるのだろう。

そう判断して、私は「中古には何かしらのメリットがあるのでしょうか」と店員の言葉を促した。

 

「ええ、バイクに関しては新車の方が良いかというと、そういう訳でもないところがあるんですよ」

 

そう言った、店員が説明するところによると、どうやら排気ガスや速度規制などがあるため、近年のバイクはリミッターがつけられ、その本来のスペックが発揮できないものも多いのだという。

 

――私が目指すのは“スピードの向こう側”。なら、中古でも、とにかくスピードが出るモデルがいい。

 

そう考えた私は、新車だけではなく、中古も視野に入れることを決めた。

 

「なら、中古でも構いません。とにかく、スピードが出るものを見させていただけますか」

「ではリッターのクラスでも1200cc以上で旧式のモデルをご案内しますね。2階へどうぞ」

「はい、よろしくおねがいします」

 

店員に案内されて二階へ向かう。最近は、税金も安く維持が簡単な中型がよく出るので、大型の車両ほど店の奥へと追いやられるのだと、階建を登りながら店員が説明してくれた。

 

「走る楽しさは、大型に勝るものはないと思うんですけどねぇ。流石に、お客様の懐事情ばかりはどうにもなりません」

「私は蓄えがありますから、予算は気にしないでくださいね」

「それは嬉しいですねぇ。ぜひ、うちでいいのを選んでいってくださいね。では、こちらがリッタークラスのコーナーです」

「これは、凄いですね……」

 

リッタークラスのバイクを見て、私は思わず言葉を失った。下の階に並んでいた、中型やナナハンなども素晴らしいと思ったが、リッターはそのメカニックの重厚さに置いて、全く異質なオーラを放っていた。

 

――まるで、ウマ娘のむき出しの魂を覗いているみたい。

 

心臓ともいえるエンジンが、部分的にでもむき出しで見えるバイクは、まさに「走る」ために捧げた魂をそのまま眺めているかのようだ。

 

「じっくり見て選んでください。気になったものがあれば、スペックや中古なら状態などもご説明しますよ」

「分かりました。でも、こんなにすごいバイクの中から選べるかしら……」

 

私はバイクを矯めつ眇めつ、色々な角度から調べる。しかし、それは各メーカーの精髄とも言える作品たち。どれをとっても見劣りするところがない。

 

――なら、劣る部分ではなく、私にあっている部分を見るべきね。

 

そうして、バイクを見定める指標を決めると、私は1台1台のバイクを丁寧に見ていく。自分の躰の一部となるバイクだ、選ぶのに慎重過ぎることはない。だから、時間が許す限りじっくりと見て回ろう。私はそう心に決めていた。

しかし、それでも運命的な出会いというのはあるもので。

私にとってのそれは、一列目に陳列されていたバイクを見終わり、二列目のバイクを見に行こうとしたその時に起きた。1列目に陳列されていたバイクの影から、2列目のバイクが現れたその瞬間、私の目は1台のバイクに釘付けとなった。

 

――これは私のバイクだ。

 

ひと目見た瞬間、そう思えた。

ただ速く。ただそれだけを追い求めたかのような、攻撃的なルックス。だけど、それ以上に気に入ったのは、あの無限に広がるかのような、酸いも甘いも味わってきたターフを思い出させる緑のカウル。それはまさに、私の人生の延長にあるかのような車体。

 

「私、これがいいです」

「ああ! カワサキニンジャZX-12Rですか! こいつはいいですよ! 」

 

私が、指さした車体を見て、店員さんは破顔した。

 

「これは、そんなにいい車両なのですか?」

「ええ。こいつは、いわゆる300km/h規制の最中に造られたKAWASAKIの最高傑作の1つでして、特にこの2000年式はリミッターをかけられる前の、最高に活きのいいやつですよ」

「そうなんですね」

「水冷4ストエンジンで、タンク容量は20リッター。少し前にSUZUKIが出した名機、隼に対抗するべく開発されたんです」

「隼……」

 

その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、私を残して天へと駆けていく、理想の私の姿だった。

 

「その分、中々扱いにくいじゃじゃ馬で、一台目には薦めにくいんですけど。でも、ウマ娘のスズカさんなら問題なく乗りこなせるでしょうね」

「それは楽しみですね。手のかかる子ほど、乗りこなしがいがありそうですから」

「それは良かった、では、今から試乗などされますか? 何なら、他の車両も見てみますか?」

 

店員さんが言う言葉に私は首を左右に振った。

 

「いえ、もうこの子に決めました。多分、これ以上見てもこの子以上にときめくバイクには出会えないと思います」

「分かりました。では、ご成約ということで書類を書きに行きましょうか」

「はい」

 

それから、一階のテーブルに戻った私は、すぐに書類にペンを走らせた。あの子を早く自分のものにしたいから、支払いは一括払いで契約した。

 

「では、諸整備などありますので納車は一週間後となります。それまでに、装備などを揃えてお待ちください」

「はい、楽しみにお待ちしています」

「本日は、ありがとうございました」

「こちらこそ、良い車両に巡り会えました」

 

こうして、私は、店員に一礼をして店を後にした。

それからの一週間はあっという間だった。バイクの工具や、装備、ライダースーツなどを買うだけで一瞬で時間が過ぎていった。

そして、納車の日。私はライダースーツを身に纏い、片手にヘルメット、背中にライダーバッグという出で立ちで「DREAM MOTORS」へと向かった。この格好でウマ娘用レーンを疾走したので無駄に注目を集めてしまった。後から、タクシーで来ればよかったことを思い出して、赤面したのは言うまでもない。

そんなことにも気付かないほど、その時の私はあの子にお熱だったのだ。

 

「いらっしゃいませ〜、スズカさん。お待ちしてました」

「どうも、お世話になります」

「すぐに正面に配車しますので、少しおまちくださいね~」

「はい」

 

例の店員から間延びした挨拶を受けて、私は店の前であの子来るのを待った。

果たして、5分と経たない内にあの子は整備室から姿を現した。艶のある緑の車体に、今日は空の青を写して、まるでその姿は透き通る宝石のようだった。

 

「では、書類の方は既にご記入頂いておりますので、後は、受け渡し完了のサインだけいただけますか」

「はい」

 

逸る気持ちを抑えながら、書類にサインをすると、店員さんが鍵の束を渡してくれる。

 

「こちら、純正のキーとスペアキーです。おまけで当店のキーホルダーも付けてますので、トラブルや整備などご入用でしたらお電話くださいね」

「はい、ありがとうございます」

「それでは、よい旅を!」

「ええ!」

 

店員の見送りの言葉に、力強く応えると、私はヘルメットを被り、バイクに跨がる。ミラーの角度を確かめ、クラッチとブレーキレバーを握る。引き代は完璧だ。親指をボタンに乗せて押し込みセルを回す。

その瞬間、私の脚に命が吹き込まれた。

水冷4ストロークエンジンの刻む、力強い鼓動。ガソリンの燃焼で生まれる熱が、私の体温と混じり合う。最早、私とバイクに境目などなく、私達は一つになった。

 

「ふふっ、さぁ行こう」

 

ヘルメットの内でそう呟いて、私はギアを一速へと落とす。そのままアクセルを少し回しクラッチを繋ぐと、私は、その大きさには似合わない繊細さで走り出す。

 

「ああ、最高ね」

 

今は、まだ一般道だからスピードは出せない。すぐにでも高速に乗って、そこからが本番だ。

行き先は自由。私はまた、どこにだって走って行けるのだ。

でも、今日に限っては行き先は決まっている。バイクを買うと決めてから、初めての目的地はここにしようと決めていたのだ。

 

「一緒に“スピードの向こう側”を見に行きませんか、その一言だけで、準備して待っていてくれるなんて。ふふっ、相変わらずですね、トレーナーさんは」

 

高速への分岐点が来る。私は素早くそちらに向かう。後はアクセルを回すだけだ。

 

――そう、私は走れる。きっと今度は“スピードの向こう側”にだって。

そうして、私は 緑色の風となる。風はまだ吹き始めたばかりだ。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。