裏メニューの存在が囁かれるこのレストラン。
とある依頼を頼んだ羊人の男。
彼にある肉を使って料理を作って欲しいと語る男。
羊人の語る"最高の料理"とは?
恋人たる男にとある肉を使った料理を食べてもらいたい。
そう羊人種の男がそう言った。ここは地域で有名な高級レストラン。あらゆる食材の産地や工程に拘りを見せる評価の高い店である一方で、ある噂がある。
ーーこの店には裏メニューがあるらしい。それを食べたものは虜になる余り、そのメニュー以外を決して頼まなくなると。
あくまでも噂。或いは誇張表現と見なされ、誰もがそんな馬鹿げた噂を信じることは無い。
一部の人間を除いて。
今日この店に来店してきた羊人の男も、その類であるらしく、そんな裏メニューを頼んできた。
表向きは否定している噂だ。しかし、ある言葉を言えば、それは現実となる。
羊人の男はその言葉を唱えると同時に、とある依頼をした。
「彼にふさわしい最高の料理を生み出して欲しい」
ある羊人種の男はその男に心底惚れていた。焦がれた恋が愛に変わるのはそう長くは無く。相手も同じだったようで、互いが互いを深く愛していた。
しかし初めは対等であった立場も、過ごす内に段々とズレ始めていった。
愛した男は遠い雲の上の存在となっていくのをようやく理解した時、全ては遅かった。男は己の存在をよく思わぬ相手に嵌められ、無実の罪を着せられた。
不幸にも、その日は恋人と過ごす筈だった記念日であり、互いに相手を想った贈り物を渡す予定であった。
恋人たる男は当然手を差し伸べたが、その手を握ることさえ出来ずに地獄へと突き落とされてしまった。
そもそも共に過していた事が身分不相応であったのだと。犯した覚えの無い罪を問われ、ただ刑に服すことを強いられた。
濡れ衣を払うことも出来ず、いわれのない罪を責めたてる世間から忘れ去られた頃にようやく外へと出ることが出来た。
しかし外へと出る条件として、己の全てを塗り替えることを求められた。
顔も名前も経歴も。かつての自身の全ては黒く塗り潰され、別人として生まれ変わることを。
苦渋の決断でそれを受け入れた。暴力と悪意が蔓延した場所で過ごした日々は、どこまでも己の精神を擦り減らし。陽の下へと出ることが出来るのならば、と呑んでしまった。
それから数十年、愛した男の現在を知った。映像に映る男を見れば湧き上がる積年の思い。恋人となった時に己が贈ったものをまだ身に付けていると知った時は涙を流した。興味が失せたものは直ぐに捨ててしまうのだと語った男の顔を思い出す。まだ私の存在を覚えてくれているのか。会えるものならば会いたい。どれほど時が経とうと。しかし現実はどこまでも非常であった。
その時、余命を宣告された。残り少ない命をどう使うか。もはや己の人生に希望は無い。全てを塗り替えられた自分が、彼に近づける機会はもうないだろう。ならせめて、記憶に残りたい。そうしてふと脳裏を過ったのは、かつての男との他愛ない思い出。
忌まわしい歴史の中で行われたとされるとある行い。かつての己が、男に語ったことを。
ささやかな贈り物を。彼に捧げよう。
その男は幸運だった。
ある男の肉は特別だった。
なにせ、かつての歴史の中で高級品質と謳われた獣人種の肉なのだから。
羊人。古来から肉食獣人種に獲物とみなされ続けていた被差別種族。
狩られるだけの彼らは、長い歴史の中で様々な方向に利用され続けた。
賢い選択を取れるよう多くの知識を得た。それでも捕食者には叶わない。
知で勝とうとも、力には敵わない。
多くの羊人が奴隷として活用され、時に役目を終えれば主人の血肉となった。忌まわしい歴史を紡いだその先の現在。今の社会は幸運にも共存という形で互いを支え合っている。狩られるだけの存在から、ようやく対等な立場へと。
しかし一方で、彼らの肉体は裏社会では驚くほど高額で取引されている。
その長い歴史の中で利用され続けていた事実からも、彼等の肉は今でも高級肉として取引され、時に不幸な羊人が、或いは自ら売り払う者もいる。
……日々巨万の富が消費される裏社会でも珍しい肉。
依頼の内容を確認すると同時に、浮かぶ笑み。なかなか手に入らない高級品が手に入ったと知れば、高揚せざる負えない。
依頼人の依頼を叶えるには、なるほど確かに、最適である。出来れば、依頼には使わず取っておきたいくらいだが。
「お客様は神様です。神様の言うことは、必ずやり遂げねばなりませんからね」
依頼されたからには、愛がこもった最高の料理を生み出さねば。
料理人はそう細く笑み、最高の料理を生み出すべく取り掛かるのだった。
それが手に届いた時、酷く驚いた。
どれ程探しても見つからなかった、恋人たる男の名前がそれに刻まれていたからだ。あの時を胸に刻んでからどれ程時が経ったことか。
あの時、恋人と己を引き裂いた奴等は全てこの手で蹴落とした。多くの輩を破滅させ、あらゆる恨みを買った。
かつては潔癖だったこの手も、気付けば汚れた所は無いという程に穢れきってしまった。
あれ程人の悪意に怒りを抱いていたというのに、全ての事を終えた時には、その悪意すらも呑み込んでしまえるほどに肥えてしまっていた。
恋人たる男の名前が書かれたソレには、ただ場所と時刻が書かれているのみ。罠だろうか。だが、皮肉にも恋人たる男のあらゆる経歴は消されたはずだった。恋人に経歴を消すことを強いたあらゆる関係者は、既にこの世にはいない。ならば、本当に…。
罠でもいい。
そうして机の端に置かれた贈り物に目をやる。……あの時共に渡すはずだった恋人へのプレゼント。
置かれた料理と共に告げられたメッセージ。それはあの日会うはずだった場所の名と時間。
姿を現さない恋人たる男の姿。
落胆を覚えると同時に、
その肉を口に運んだ。
2人だけにしか伝わらない合言葉。
運ばれた料理は、シンブルな肉料理。
「こちらは、"絹の道"の産地の高級肉を使っておりまして…」
そんな説明を横目に、
その肉を口に運んだ時、最初に湧いたのは歓喜だった。咀嚼するごとに旨味を感じる。
思わず言葉をこぼそうとした瞬間に、違和感に気付く。
湧き上がる本能的な歓喜に、半ば無意識に理性が拒絶する。
脳は美味いと感じている。しかし一方で警鐘を鳴らしている。なぜ。
……"絹の道"という言葉に、違和感を覚えたからだ。
脳裏に過ぎる、記憶。
「絹の道って言うのは、確かに高級品の絹が輸出入されていたことから名づけられた」
「でもそれは、歴史の裏では、羊人のことを表していたともされるんだ。肉の産地としての説明で、絹の道なんて表現は滅多に使わない。……そんな裏事情があるなんて悲しいけどね」
思い返されるのはかつての恋人。羊人としての歴史に苦笑を浮かべる姿。
どれほどの月日が経とうと、不思議と恋人の姿は色鮮やかに蘇る。
様々な表情を見せる恋人の話に耳を傾けることに安堵を覚えていたあの頃。彼はなんと言っていた?
「……そう言えば、羊人が対等ではなかった頃、生涯を誓った主従関係の間で、ある出来事があったらしいよ」
何でも、死にかけた時、主人に食べられることを望んだ羊人が、どうせ死ぬならと自分を食べさせたらしいんだ。はは、凄いよね。……その頃の羊人の殆どが、望まない死を遂げていたって言うのに。
もし、僕が死にそうな時……君はどうする? 冗談はやめろって? こんな時代に、そんなことあるわけ無いだろうけど…。
「もし死んでしまうのなら、僕だったら、君に食べて欲しいな」
何気ない日常として刻まれた記憶。
ああ、有り得ないと否定する。馬鹿げている。ああけれど、認めてしまっている。メッセージと共に置かれていたプレゼントが、それを示してしまっている。
"記念日を祝って、君に最高の料理をご馳走しよう"
そのメッセージと共に置かれていたプレゼントであろう箱の底に隠されていた、もうひとつの伝言。
覚えのある癖の強い、力強い筆跡。見覚えのあるサイン。
"○月✕日の□□□
どうしても君に渡したかった"
"p.s もし僕に何かあったら、これを僕だと思って欲しい"
皿の上に置かれたそれを咀嚼する。
「……ああ、あああ…本当に……最高の料理だよ、」
『―――』
もう答えることの無い相手の名前を呆然と呟く。肉に対して、溢れる本能的な歓喜と、複雑に混ざりあう思いを、吐き出す事も出来ずに咀嚼し、ひたすら飲み込む。
愛した男の血肉になることを選んだある男。
最高の素材で生み出された最高の料理は、見事愛した男の血肉となった。
料理を出された恋人たる男は、恨み言を吐くことなく感謝の言葉を述べる。男が羊人の男を忘れることは無いだろう。
深い愛は、男を縛る呪いとなることを見越した上で。
羊人の男は酷く喜んでいた。ああこれで、あの人の心にずっといることが出来る。僕は幸せ者です。僕があの人の愛を忘れることがないように、あの人も僕への愛を忘れられなくなるでしょう!僕が死んでも!
羊人の男は永遠の愛を望んだ。
そうして男の願いは叶えられた。
一人の男の依頼は素晴らしい結果で終わりを告げた。
ここは地域で有名な高級レストラン。あらゆる食材の産地や工程に拘りを見せる評価の高い店である一方で、ある噂がある。
ーーこの店には裏メニューがあるらしい。
「腕によりをかけて、客様の御要望に沿ったメニューをお作りしますので…」
「またのご来店を、お待ちしております」