絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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 「ポカリスピリット」なる謎のスポーツドリンクを飲みながら、瑠魅香は百合香に女神ガドリエルから訊いた話を伝えた。

「あたし、ストレートに訊いたんだ。どうして女神様なのに、この城について知らない事が多いんだ、って。そしたら」

『うん』

 精神体、半透明の百合香が身を乗り出す。

「なんと、あの女神様自身が、自分が誰なのか完全にわかってないんですと」

『はあ!?』

 百合香は泉を見る。ガドリエルの姿はない。瑠魅香は続けた。

「うん。氷巌城とか氷魔と事実上「敵対」する存在である事とか、その対抗手段が百合香の持ってる聖剣アグニシオンである事とか、氷魔がどういう存在であるのかとか、そういう”情報”は知ってるんだけど」

『…それを知っている理由がわからないってこと?』

「ざっくり言うと、そういう事だね」

『どうしてそんな事になるんだろう』

 半透明百合香は、ベッドに身を投げ出した。だんだん、半透明生活にも慣れて来た感がある。

「それこそ、あたしらにはわかりようがない」

『そうだね』

「氷魔皇帝ラハヴェについても、何も知らないみたい」

『私達と同じじゃない』

 百合香は上半身を起こして、困惑するように下を向いた。

『…色々私に説明する過程で、”まだそれは説明できない”とか言ってたのは、知っているけど説明できないんじゃなくて』

「ひょっとしたら、彼女自身が知らない事がある、っていう事なのかも知れない」

 それは、ちょっとした絶望感を百合香にもたらした。いちばん頼りになると思っていた相手が、思っていたほど万能ではない、という事だからだ。そうなると、ここから先は百合香自身が、全てを知らなくてはならない事になる。

 

『どうしよう』

「あー、また弱気になってる」

『弱気にもなるわよ。私、16歳の女子高生なのよ、ただの』

 今まで言葉にしなかった事を、百合香は独白のように呟く。

『…ちょっと特殊な剣は振り回せるけど』

「そうね。せいぜい、小屋みたいなサイズの氷の化け物を一刀両断できるだけの、ただの女子高生でしょ」

『うっ』

 瑠魅香もだんだん、言葉が上手くなってきた。残っていたポカリスピリットを一気に飲み干す。

「ま、何か理由があるんでしょ。あの女神さまに何もかも期待するのも、可哀想かもよ」

『…うん』

「それに、このラブホテルを用意してくれてるだけでも、御の字じゃない。なかったら百合香、いまごろ死んでたと思うよ」

『うん…いや、ラブホテルじゃない!!』

「言ってたじゃん」

『ここはラブホテルか、って言ったの!入った事ないけど!』

「じゃあ、あたしが人間になったら一緒に行こうよ。よく知らないけど」

 半透明百合香は、頭を抱えて寝転んだ。

『わかった、ガドリエルの事はとりあえずいい。…もう疲れたから、まずは眠ろう』

「その姿で?」

『なんか、よくわかんないけど眠くなってきた』

 それは、不思議な感覚だった。肉体から抜け出して五感がないような状態なのだが、なんとなく「眠い」という感覚に百合香は襲われた。

『瑠魅香も、肉体を持って眠るっていう感覚を覚えておいてもいいかもね』

「じゃ、ベッドに入っていいの!?」

『どうぞ。私も隣で寝てるから』

「やった!」

 瑠魅香は、ベッドカバーを手で押してみる。

「…なんか硬くない?」

『それはベッドカバーって言って、寝る時は外すの』

「ふうん」

 丁度いい機会だと思い、百合香はベッドの使い方を瑠魅香に教える事にした。そして、そこでこの部屋のベッドが、ホテル仕様である事に気付いたのだった。

『…やっぱホテルじゃん』

 だんだん口調も瑠魅香に寄って来た百合香である。

 

 

 

 

「サーベラスめ、裏切ったか…まあ奴にそれ以上、何かを画策できるような頭もないが」

 ヒムロデは薄暗い部屋の奥で、立てかけてある鏡を見ながら低い声で呟いた。

「まさかとは思ったが…」

 その鏡には、サーベラスと戦う百合香の姿が映し出されていた。

「次に控える氷騎士は…奴か。奴ならば、しくじる事もあるまい」

 そこまで呟いて、ヒムロデは鏡を見る。静止画のようにぴたりと止まった百合香の握る、聖剣アグニシオンをヒムロデは睨んだ。

「あの娘の持つ剣…あれがもし本物であれば、厄介な事になる。なぜ、あの娘が持っているのか…あの剣を相手にするのであれば、厄介なことになる」

 しばらく無言になったあと、ヒムロデは鏡に背を向け、暗い部屋を静かに立ち去った。

 

 

 

 

 

 百合香は再び、夢を見ていた。

 

 そこは、まるで氷巌城内部のような空間だった。百合香は仰向けに倒れており、腹部には氷の剣が突き刺さっていた。大量の血が床を伝って、黄金の髪を真っ赤に染めている。血はすでに冷えて固まりかけていた。

 百合香の横に、涙を流す赤い髪の女性がいて、手を握っている。何か話しているが、聞こえない。

 

 女性は、百合香が手にしていた黄金の剣を拾い上げると、百合香の胸の上に横たえ、何か呪文のようなものを唱え始めた。

 

 すると剣は瞬く間に炎に包まれ、燃え盛る不死鳥の姿となって百合香の上で羽ばたきを始めた。

 

 不死鳥は、光となって百合香の全身に入り込んできた。暖かい。生命の根源に触れる気がした。

 

 そして、全てが真っ白になった。

 

 

 

 

 

 目覚めた時、百合香はまたしてもシャワーの音を聞いていた。

『…瑠魅香?』

 またシャワーを浴びているらしい。

『…どんだけ好きなんだ』

 瑠魅香がシャワーを浴びるというのは、要するに他人が自分の裸体をダイレクトに見て、触れているという事である。一応、女性のデリカシーというものについてはしつこく説明して、瑠魅香も理解したようではあるが、それでもやはり多少気になる。もっとも、いい加減だんだん慣れて来た感もあったが。

『……』

 その問題とは違う意味で百合香は、何か落ち着かない気分だった。

『なんか、すごく大事な夢を見たような気がするけど…思い出せない』

 夢を思い出せない、というのは非常にモヤモヤするものである。そういえば、クラスメイトで文芸部の吉沢さんいわく、夢を見るのは熟睡できてない証拠、であるらしい。本当だろうか。

 

 何の気なしに冷蔵庫を開けようとするが、いま自分は半透明の精神体である事に気付いた。

『…不便だ』

 瑠魅香がシャワールームから出てくるのを待つしかない。

 他にやる事もないので、ぐるりと部屋を見回すと、またしても見慣れない物が増えている事に気付いた。

『ん?』

 泉を挟んでベッドと反対側のあたりに、何か棚のようなものが見える。近付いてみると、それはなんと本棚だった。中にはぎっしりと本が詰め込んである。

『本だ!』

 百合香の目が輝いた。なんとなく本が読みたいとは思っていたのだ。

 しかし、本棚に近付いて並んでいる文庫本のタイトルを見ると、百合香は戦慄した。

 

 【ルミノサス・マギカ(1)/江藤百合香】

 【ルミノサス・マギカ(2)/江藤百合香】

  ~中略~

 【ルミノサス・マギカ(16)/江藤百合香】

 

 

『ぎゃああ!』

 思わず百合香は後ずさった。こそこそ書いていた小説が、文庫本になって並んでいる。

『なっ、なんで…』

 その下を見ると、ハードカバーのコーナーがあった。その中に、文芸部の吉沢さんの名前がある。

 

 【きなこもち殺人事件/吉沢菫】

 

 いったい吉沢さんは何を書いているんだ。きなこもちで殺人って、ハードル高くないか。もうちょっと効率的な殺害方法があるのではないかと、読んでもいないうちから百合香は突っ込みを入れた。ちなみにその隣には、【美人女将湯けむりダイナマイト電流爆破デスマッチ殺人事件】【ドキッ!水着美女だらけの殺人事件☆グサリもあるよ】という二冊も並んでいる。こっちはちょっと読みたい。

 

「いやー、いい湯だったわー」

 若干おっさん化が進行しているらしい瑠魅香が、バスローブの前を開けたままで歩いてきた。

『ばかー!!』

「え?」

『紐を結びなさい!!』

 

 体を交替して、百合香はバスローブの着方を教えた。

「左側を前にして、紐を結ぶ。こう」

『ふーん』

「叫んだらお腹すいた気がする」

 改めて冷蔵庫を開ける。しかし、食べ物はない。

「あー」

 百合香はうなだれた。この部屋にいる限り、食べなくても空腹にはならない。しかし、食べるという行為自体が

重要なのだ。

 

 通学路から少し外れたお店の、トマトとニンニクのスパゲティが食べたい。南先輩に連れて行ってもらったラーメン屋さんの、真っ赤なスタミナラーメンも恋しい。桃のコンポートが載ったパフェ。うな重。メロンの形の容器に入ったアイスは、本当にメロン果汁が入っている事を最近知った。78円のプロテインバーは不味かった。お母さんの焼くチーズスフレは、瑠魅香にも食べさせてあげたい。

 

「食べ物をありったけ想像しておこう。次に来る時は楽しみにしてて」

『うん』

 しかし、想像したものと微妙に異なるケースがこの部屋ではあるらしいので、多少の不安はあった。

 

 

「ここから、どうすればいいんだろう」

 コーヒーを飲みながら、百合香は呟いた。

「次の氷騎士を倒すルートなのはわかってるんだけど」

『どんな奴かもわからないけどね』

「そんなの、今までずっとそうだったわよ」

 いい加減、肝が据わってきた百合香だった。

『でも。前もって情報が得られるなら助かるよね。あの探偵猫たちも動いてくれてるとは思うけど』

「あ、そういえば」

 探偵猫、で百合香は思い出した。

「あの子たちが、この層にもう一匹、探偵猫がいるって言ってたよね」

 

 

 

 真っ白な通路の奥で、何かがぶつかり合う激しい音が響いていた。ドカッ、という打撃音とともに、剣を構えた氷の戦士が跳ね飛ばされ、壁に激突してバラバラになる。怯んだ他の戦士たちが、一歩、また一歩と後退した。後ずさる戦士たちを追い詰める、ひとつの影があった。その眼光は鋭い。

 

 戦士たちは、意を決してその影に、剣を振るって飛びかかった。

 

 影は、その剣を鮮やかにかわすと、まず一体の氷の戦士の首に攻撃をしかけた。首は一瞬で切断され、頭部がゴトリと冷たい床に落ちる。

 続けざまに、もう一体の戦士の背中に蹴りを入れる。戦士は正面から床に叩きつけられると、そのままピクリとも動かなくなってしまった。

「ふん。相手を見てから戦いを挑むべきだったな」

 低い声で言い捨てると、その影は通路の奥へと消えていった。


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