絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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Welcome to the Freezing Parade

「音楽が聴きたい」

 百合香は、食後のルイボスティーを飲みながらボソリと言った。

『音楽?』

「知ってるでしょ」

『なんか、夕暮れになると校舎の3階から聴こえてたやつ?』

「それはブラバン。音楽は音楽だけど」

 全国の学校でおなじみの、放課後のブラバンの音は百合香も好きだったが、いま彼女が言っているのはそうではない。

『あー、J-POPとかいうやつ』

「それとも違う。…ほんと不思議なんだけど、あなたが覚えてる単語と、そうでない単語の線引がわからないわ」

『うん、学園をあちこち覗いてて、なんでか耳に残るのと、残らないのに分かれるんだわ』

 ふうん、と言いながら百合香はテーブルに片肘をつく。溜まっていた疲れがやってきて、途端に瞼が重くなり始めた。

『寝ちゃっていいよ。あたし身体借りてシャワー浴びておくから』

「第三者が聞いたら何の話か絶対わからないと思うわ」

 そんなことを言いながら、百合香の頭がグラグラと揺れ始める。

『おっと』

 間一髪で瑠魅香が百合香の身体に入ると、百合香の精神がふわりと外に押し出された。精神体のまま眠っている。

「かわいい寝顔」

 そう呟いて、瑠魅香は冷蔵庫の中を開ける。

「これ、百合香が飲んでるけど、美味しいのかな」

 瑠魅香が興味深そうに取り出した黒いドリンクのラベルには、「匠のアイスコーヒー」と書いてあった。

 

 

「なるほど。あなたにブラックコーヒーの味はまだ早かったか」

 目覚めて身体に戻った百合香は、半笑いで瑠魅香がグラスに残したコーヒーを飲んでいた。

『人類ってそんなもの飲んでるの?頭か舌のどっちか、あるいは両方おかしいんじゃない?口直しにポカリ一本飲んじゃったわよ』

 よもや生物種のレベルで罵倒されるとは思っていなかったが、百合香は笑った。

「私だって子供の頃は無理だったわ。大人だってブラックコーヒーが飲めない人もいるわよ。でも、だんだん苦味が美味しくなってくるわ」

『信じらんない』

 瑠魅香は舌を出して顔をしかめる。百合香はそれを可愛いと思った。

「次に帰ってくる時まで、ミルクとシロップを想像しておくわ。それを入れればあなたも飲めるかも」

『なんかもう、この部屋を使いこなしてるよね、百合香』

「さて」

 いつものように、ブラウスのリボンを締めると百合香は立ち上がった。

「行くか」

『そうね』

 二人の表情が、一瞬で「ダンジョン攻略モード」に変わる。瑠魅香は百合香に重なると、身体の中にすっと入った。瑠魅香が入ってくる瞬間、独特のゾクッとする感覚が百合香にはある。最初は少し気味が悪かったが、今では少し気持ちいいと感じるようになっていた。瑠魅香には言っていない。

 

 

 癒やしの間を出てしばらく氷巌城の通路を歩いていると、瑠魅香が唐突に足を止めさせた。

『百合香、ちょっとストップ』

「なに?」

『百合香のパワー、上がってるよね』

 その問いに、百合香は何の事だろうと思って訊き返す。

「たぶん上がってると思うけど、それがどうかした?」

『パワーが上がってるってことは、相手から居場所を察知されやすくなってるって事だと思うんだ』

 その瑠魅香の指摘に、百合香は背筋が緊張した。

「…なるほど。魔女としての意見?」

『まあね。魔力を扱う者は、魔力の出どころに敏感だから。敵の中には、おそらく強力な魔法の使い手もいると思う』

「で、何か対策はあるの?」

 百合香の問いに、瑠魅香は自信ありげに答える。

『簡単なことよ。ちょっと代わって』

 言われるままに、百合香は身体を交替して瑠魅香のする事を見守る。すると瑠魅香は、杖を一振りして何かを創り出した。

 それは、小さな青いイヤリングだった。

『なあに、それ』

「簡単に言うと、ダミーの氷魔エネルギーの結晶体」

『ダミー?』

「そう」

 瑠魅香は、それを耳につけると百合香に交替を促した。もう、それくらいは無言でやり取りできるくらい、二人の精神は近くなっていた。

 

 百合香の姿に戻っても、イヤリングは装着されたままである。

「これが何か役に立つの?」

『うん。簡単に言うと、百合香の発する炎のエネルギーの拡散を中和して、外部から察知しにくくなる』

「ほんとに?」

『本気でエネルギー燃やしてる時は無理だよ。でも、こうして移動してる時くらいなら、移動を察知されずに済むはず』

 百合香は、瑠魅香が造ってくれたティアドロップ型のイヤリングを触ってみた。ひんやりと心地よい。なるほど、確かに冷たさを伴ったエネルギーの拡散を感じる。

「なるほど。ありがとう、瑠魅香」

『お役に立てて何よりですわ』

「…それは誰の真似なの」

 百合香は瑠魅香がいったい学園のどういう所を集中的に覗き見していたのか気になって、道中あれこれ問い詰めたのだった。

 

 

「む」

 ヒムロデは、鏡を前にして何かを訝しんだ。

「現れたと思ったあの娘の気配が、消えた」

 魔力を鏡に張り、城全体を探る。しかし、それまである程度把握できていた百合香のエネルギーが、まるで感知できなくなった事にヒムロデは気付いた。

「何らかの対策を取ったという事か?見た限り、力で戦うタイプのあの娘に、そこまで複雑な事をやってのける能力があるとも思えんが…」

 しばし考えたのち、ヒムロデは鏡に張った魔力を解除し、その小さな部屋を後にした。

 

 

 

 百合香が瑠魅香と話しながらしばらく歩いていると、瑠魅香は何かに気付いたようだった。

『百合香、気を付けて』

「え?」

『氷魔の気配がする』

 百合香は、瑠魅香の言葉に周囲を見回した。美しく整ってはいるが、相変わらずの無味乾燥な通路が続いているだけである。

 ところが、さらに進むとその通路の右横に、下に下がる階段が現れた。

「階段だ」

『下りの階段に用はないわ』

「ええ」

 二人の意見は一致して、その階段は多少気になるものの、無視して進む事にした。

 

 ところが。

 

「あっ!」

 百合香は声を出して驚いた。前方の通路から、大勢の氷魔が現れたのだ。それも、10や20ではない。

『百合香!』

「考えてるヒマはない。強行突破よ!」

 そう言って、久々に聖剣アグニシオンを胸元から取り出す。

 しかしその時、百合香は背後に足音が接近している事に気がついた。

「しまった!」

 振り向いた時には、すでに至近距離に多数の氷魔が大挙しており、百合香は自分のカンの鈍さを呪いつつ、剣にエネルギーを込めようとした。

 しかし、瑠魅香の言葉がそれを遮った。

『待って。何か、変』

「え!?」

『見て』

 瑠魅香の指摘にしたがって、その氷魔たちを百合香は見る。容姿は女性というより、百合香と同世代くらいのイメージの印象である。短いスカート姿、ドレス姿、あるいは学校の制服みたいな個体もいる。顔は仮面のように動かないが、女の子とわかる顔立ちをしていた。無表情な者、笑みを浮かべる者、様々である。

 

 そして、奇妙なのはその行動である。百合香を無視して、下に降りる階段に、吸い込まれるように消えて行くのだ。

「な…何なんだろう」

『さあ』

「でも、私を無視してくれるなら好都合だわ」

 そう思って、百合香はその氷魔の女の子の群衆を避け、通路を進もうとした。しかし、その時である。

「えっ!?」

 百合香は驚いた。その群衆の一人が、百合香の腕を組んで一緒に歩き始めたのだ。

「ちょっ、ちょっと!」

 慌てて振りほどこうとすると、さらにもう一人が空いている腕を掴んでくる。そして、百合香は後ろからも押し寄せる”JK氷魔”たちに押されるように、階段の下に連れて行かれたのだった。

 

 

 階段を降りた先には、ドアがあった。そこをくぐると、中は教室ぐらいのスペースが広がっていた。手前のスペースに女子氷魔たちが群がって、妙に楽しそうにしている。くすくす、という笑い声も聞こえた。

 スペースの奥は劇場のステージのように立ち上がっており、左右にはなんとなく見覚えのある、箱状のものが積み上がっている。天井からは、青紫のレーザーのような照明がスペースを照らしていた。

「ま…まさか」

『なに?』

「いや、まさかとは思うんだけど」

 百合香が何を連想したのか、瑠魅香はわからなかった。

 

 しばらくしていると、こちら側の照明がふっと消え、ステージの左側から数名の氷魔が現れた。すると、JK氷魔たちから青白い歓声が上がる。

「うわっ!!!」

 その声色は、百合香の耳には強烈だった。頭の芯に響くもので、聴いているだけで全身の神経が痺れるようだった。百合香は思わずふらついてしまう。これを連続して聴いたら、まずい事になりそうだった。

 

 ステージにスポットライトが当たり、登場した4体の氷魔が姿を現した。ドレス姿、あるいは際どいへそ出しルックの者もいる。へそが氷魔にあるかどうかは、百合香にはわからなかったが。

 そして、各々が抱えている物体は、百合香には非常に親しみのあるものだった。

「ぎ・・・ギター!?」

 百合香は、右手に立った氷魔の下げている物体を見た。どう見てもエレキギターである。ちょっとトム・アンダーソンっぽい。ピックアップは上段がシングル、下段がハムバックになっていた。青白い光の弦が張られている。百合香はちょっと格好いいと思ってしまった。

 左手の個体が持っているのは、弦が5本ある。5弦ベースということか。真ん中の個体もエレキギターを持っている。そして後ろにはドラムセットとキーボードらしきものがあるが、このグループはドラマーのみでキーボードはいないようだった。

 

 百合香は、全てを理解した。

「け…軽音部のコピー氷魔だ!」

『あー、知ってる知ってる。なんかギャーギャー騒いでる、大丈夫なのかなって感じの子たちでしょ』

 さんざんな言われようである。実はロック好きの百合香には、多少カチンとくる言葉ではあった。しかし今はそういう問題ではない。百合香には嫌な予感があった。

「る、瑠魅香。出た方がいいと思う」

『え?』

「悪い予感が…」

 その時だった。右手の”ギタリスト”が、弦を激しくかき鳴らした。F#mを完璧に押さえている。

 問題は、その音だった。

「うぁっ!」

 百合香は、こめかみを突き抜ける激痛にたまらず頭を押さえた。さらにギターソロは続く。客席からは歓声が湧き起こった。

 

「ぐあぁぁぁ――――!!!!」

 

 百合香は絶叫した。その音は、百合香の持つエネルギーを直接攻撃する音色だったのだ。

 

 さっき、JK氷魔たちの歓声で、百合香はこの場の音が自分に干渉する事を本能的に察知していたが、行動が一歩遅れてしまった。

『百合香!』

「ぐ…」

 頭を抱えたまま膝をつく。音のダメージが一瞬で全身をめぐり、立ち上がる事もすでに出来なくなっていた。

『まずい!』

 瑠魅香は、危険を察知して即座に百合香と入れ替わった。

「百合香!」

 精神体になった百合香に語りかける。演奏はなおも続き、ベース、ボーカル、ドラムスが入ってきた。ややライトなハードロックである。歌は謎の言語で、何を歌っているのか不明だった。

『ぐっ…はあ、はあ、はあ』

「百合香!」

『だめ…この状態でも…痛みが襲ってくる…!』

 瑠魅香は焦った。なぜか瑠魅香は何ともないが、百合香の苦しみは尋常ではない。それは、百合香が普通の人間よりも強いエネルギーを持っているためだと瑠魅香は結論づけた。

 

 ここを脱出しなくては、と瑠魅香は杖を振りかざす。しかし、突然オーディエンス達が手を繫いでウェーブを始め、瑠魅香はそれに強制参加させられてしまった。

「あっ!」

 瑠魅香に、百合香ほどの腕力はない。その腕をふりほどく事はできなかった。演奏はなおも続く。百合香の精神がだんだん弱っていく事に、瑠魅香は気がついた。

「どうしよう、このままじゃ百合香が…!」

 やむを得ない。この子たちには申し訳ないが、魔法で全員吹き飛ばしてしまうより他に、百合香を救う方法はない。そう思った時だった。

『る…瑠魅香…逆位相よ』

「え!?」

 気力を振り絞って語り掛ける百合香に、瑠魅香は訊ねた。

「なんですって?」

『逆位相…音波は、反対の位相の音をぶつければ消える』

「そ、それって…」

 瑠魅香は、百合香の言っている事を感覚で理解した。ウェーブで揺れる杖に、必死で魔力を込めると、自らの身体にひとつの魔法をかける。

 

 輝く波が瑠魅香の全身を覆うと、ステージからの音がふっと小さくなった。

「やった!百合香、こういう事ね!?」

『グッジョブ、瑠魅香…ノイズキャンセリング作戦、成功ね』

 瑠魅香がアクティブノイキャン魔女になったおかげで、百合香は音波によるダメージからとりあえず助かった。しかし、この空間にいる限り、この後どうなるかわからない。

『彼女たちに、私達への敵意はないらしい…出ましょう』

「わ、わかったけど、この状態じゃ」

 瑠魅香は、相変わらず両サイドからガッチリと手をホールドしてくるJK氷魔の手を見た。

『私が代わる』

 改めて、百合香は表に出てきた。そして、強引にその手をふりほどく。

「よし、逃げるよ瑠魅香」

 いくらかダメージから回復した百合香は、オーディエンスの群れをかき分けて、氷のライブハウスを出ようとした。

 

 すると、ステージの演奏がピタリと止んだ。

 

「え?」

『ゆ、百合香』

 瑠魅香は、自分達に集中するその視線に戦慄した。

 

 睨んでいる。百合香を。

 

『◆§▲Ю☆―――――!!!!」』

 

 ステージのボーカリストが、何かを絶叫した。すると、オーディエンスが一斉に百合香に襲いかかり、手足をがっちりとホールドしてきた。

「こっ…こいつら!」

『百合香!』

 JK氷魔たちは、百合香の身体をステージの前に突き出す。すると、右手のギタリストが百合香に近付いてきて、やはり意味不明の言語で何かを怒鳴ってきた。

「●Ψ∀Щд!??」

「何!?日本語で言いなさい!」

 その百合香の返しもだいぶ無茶ぶりではあったが、とにかく空間全体の氷魔が、場を乱した百合香に怒っていることはわかった。

 ギタリスト氷魔は、その氷のギターを百合香めがけて振り下ろす。

『百合香!!』

 瑠魅香の悲鳴が響いた、次の瞬間だった。

 

「アアアアアア――――――!!!!!!」

 

 突然、百合香の喉からレッド・ツェッペリンのロバート・プラントじみた絶叫が響き渡り、百合香の全身が激しい炎に包まれた。

「!??」

 突然のシャウトに、バンドやオーディエンスは怯んで一歩下がる。

 

 百合香は、飛び上がってステージの真ん中に立った。全身を炎が弾け、その全身を真新しい黄金の鎧が覆っていた。

「楽器で人を殴るなんて、ミュージシャン失格ね」

 

 だいぶ頭にきているらしい百合香の全身からは、なおも黄金のエネルギーがスパークし続ける。ボーカリストからハンドマイクを奪い取ると、オーディエンスを指差して叫んだ。

 

「そんなにライブがやりたいなら、私のソロステージに付き合ってもらうわよ!!!」


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