絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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再会

 ディウルナの差し出した、氷魔の言語で署名がされているらしい紙片を、百合香は瑠魅香に確認してもらった。

「これ、何なの」

 百合香の視界を通して、瑠魅香はその文面を確認する。

『これ…通行許可証だ。ディウルナの署名の』

「通行許可証?」

 百合香はそれをまじまじと見る。それほどきっちりと仕様が定まっている感じはなく、急いで用意しました、といった雰囲気だ。

「どこを通るための許可証なの」

「この層から、上層へ登る階段のゲートを通るためのものだ」

 あっさりとディウルナは言った。

「知ってのとおり、誰かのおかげで今、この城の警戒態勢は強まっている。君たちをあの新聞で誘導したのは、比較的警戒が緩いルートを通ってここに来させるためだ」

「どうりで、それまで遭遇してた兵士たちに出会わなかったと思った」

 百合香は、これまでの通路の様子を思い出していた。たびたび現れていた氷の兵士たちが、ぱったり現れなくなっていたのだ。

 ディウルナは、通行許可証について説明を続ける。

「現在、幹部クラス未満の階級の兵士は、層を移動するゲートを通行するために、幹部クラス以上の階級の署名が入った通行許可証を提示しなくてはならなくなった」

「まさか、これを提示してゲートをくぐれって言うの?私が現れた時点で、兵士が大挙するわよ」

「もちろん、安全な方法は考えている。私の手下の指示に従いたまえ。あるいは私が上層から行き来しているルートで、一気に第3層まで連れて行ってやってもいいが、今の君たちでは第3層の幹部には勝てんだろう」

 それを聞いて、百合香たちは驚いた。

「あなたまさか、第3層の幹部なの!?」

「ノー。いわゆる幹部とは、ちょっと違う。サーベラスのような戦闘能力もない。まあ、階級の上下で言えば、幹部と同格ではあるだろうがね」

「でも、こうして私達を手引きするということは…」

「そう。城側から見れば、裏切り者だ。そこは、ハッキリさせておいていいだろう」

「私達の味方だと思っていいのね」

 百合香は、そこもハッキリさせろ、という視線をディウルナに送った。デッサン人形の顔面では、表情はわからない。

「イエスだ」

 中途半端な事を言っても仕方ないと思ったのだろう、ディウルナはそう断言した。

「ただし」

 百合香が予想した事ではあるが、ディウルナは腕を組んで、うつむき加減の姿勢で語った。

「私は、それなりの立場にある。そういう存在がレジスタンス活動の手引きをするには、色々と制約が多い事は、わかってもらえると思う。味方なのは間違いないが、それを実行できる場面は限られてくる」

「それは…当然でしょうね」

「なので」

 そう言ってディウルナは、また抽斗を引いて何かスティック状のものを取り出した。

「これを渡しておこう」

「なにこれ」

 百合香は受け取って、それを眺めた。水晶でできた、マレットか太めのマドラーといった雰囲気だ。

「その壁面に、それで何か書いてみたまえ」

「え?」

 百合香は、言われるままに壁面に「Yurika」と書いてみた。すると、筆跡がオーシャンブルーに光って、壁面に残された。

「これ…」

「この光は、君たちと私と、私の手下だけに見える光だ。私も同じものを持っている」

「これで、どうしろっていうの?」

 

「それはですね」

 

 突然、デスクの背後から聞こえた聞き覚えのある少年のような声に、百合香は驚いた。

「今の声…」

『あいつだよ、あの基底部にいた探偵猫!』

「オブラ!?」

 百合香がその名を言うと、デスクの後ろから小さな影が素早く飛び出して、その上にちょんと座った。今回はニッカポッカにベスト、ベレー帽という格好である。

「覚えていてくださって光栄です」

「無事だったのね!…って、まさか」

 百合香はディウルナを見る。ディウルナはまたも、あっさりと答えた。

「そうだ。私の手下とは、彼ら”月夜のマタタビ”だ」

「妙に自信満々だと思ったら、バックがいたって事か」

「彼らの名誉のために言っておこう。私が彼らの存在を知り、実力を買ってスカウトしたのだ」

 ディウルナは、オブラを手で示しながらそう言った。オブラは、スティックを指差して説明する。

「百合香さま、実際に城の通路に出てから説明しますが、要するにこれで我々とのコンタクトを取る、ということです」

「これで?」

「はい」

「…ふうん、わかった」

 百合香は、オブラが言うならそうなのだろうと思って、それを懐にしまった。

 

 ディウルナは小さく頷いたあと、オブラ達との経緯を説明してくれた。

「氷巌城が実際に顕現するまでの準備段階から、レジスタンスがいるという話は聞いていた。しかし、なかなか尻尾を表さない。物理的に具現化する前の想念の段階から、すでに存在をくらまして活動している彼らの実力に、私は注目していた。実際、彼らの工作活動のために、下界への影響がある程度抑えられているという実績があるのだ」

「そうなの!?」

『そうなの!?』

 百合香と瑠魅香はユニゾンで驚きながらオブラを見る。オブラは自信あり気に言った。

「お二人ほどではありません」

「もちろん、この事は公表しないように、と私に上から命令が下っている。レジスタンスに邪魔されたなどという汚点が明るみに出れば、反乱分子が勢いづく可能性があるためだ」

 ディウルナは、腕を後ろに組んで部屋をゆっくり歩き、百合香の方を向いた。

「百合香くん、そして瑠魅香くん。たいへん情けない話ではあるが、我々の計画には君の力が必要だ」

 正直にディウルナは言った。

「頼もしい反乱分子は確かにいる。例えば、レジスタンスの風来坊、マグショットのようにね」

「知ってるのね、彼を」

「むろんだ。彼の他にも、確かな実力を持った者はいる。マグショットなら、サシで戦えば幹部の一体や二体は倒せるだろう」

 やっぱりそうなのか、と百合香たちは思った。あの実力は並大抵ではない。

「しかしだ」

 ディウルナは言う。

「相手は一人ではない。いうなればひとつの国だ。それに立ち向かえるのは、単独で強いだけの存在ではない。強く、かつ、旗を掲げられる存在だ」

「…旗」

「そうだ。旗といっても、権力ではない。理想だ。目に見えない理想の旗を掲げ、大勢を巻き込める者だ。イエス・キリストや、ゴータマ・ブッダのようなね」

「ちょっと、待って」

 半笑いで百合香が、焦ったように言う。

「あのね。私はべつに、イエスやお釈迦様になりたいと思ってるわけじゃない。ジャンヌ・ダルクになりたいともね。私は、ただ私と、大事な人達の日常を、取り戻したいだけなの。自由な存在を」

「そうであればこそだ」

 ディウルナは、見えない空を仰ぐように言った。

「イエスやブッダは、全ての魂は自由であると知っていた。そして、君もそれを知っている。自由であるはずの魂を束縛し、在り方を強要するのは、神の心ではない」

「宗教学はいいから」

「宗教だと?魂に宗教は必要ない。宗教は神を讃える芸術ではあっても、人を縛る道具ではない。人間は後者を選択する事が多いがね。だから戦争は絶えない。皮肉なことに、今この氷巌城が世界中の軍事拠点を凍結させてしまったおかげで、各地の紛争が停止してしまった。侵略者のおかげで、”STOP THE WAR”が実現したというわけだ」

 ディウルナのその知識の深さに、百合香は改めて驚いていた。一体、どこからこれだけの情報を得たのか。どこまで人類史を知っているのか。

「いいわ、イエス様でもお釈迦様でも。けれど、私がやりたいのは、この城を粉々に叩き壊す事なの。そのために、あなたは協力してくれるのね」

「そのとおりだ」

「じゃあ、教えて。宗教学の講義を受けているヒマはないわ。第2層に上がるには、どこに向かえばいいの?」

「彼が知っている」

 そう言って、ディウルナはオブラを示した。

「彼はゲートの場所を知っている。だが、問題がひとつある」

「敵がいるのね」

「そうだ」

 もはや百合香には、説明するまでもない事だった。

「強敵だ。サーベラスと互角以上の」

「サーベラスの実力が、私にはわからないわ。だって、彼とはソフトボールで戦ったのだもの」

「知っているよ。名試合だったようだね。私も観戦したかった」

 ディウルナは、一枚の新聞を示した。そこには、打席に立つサーベラスの姿が載っている。いつ、だれが撮影したのだろう。というか、写真があるのか。

「純粋な戦士としての実力なら、サーベラスは氷巌城でもトップクラスだ」

「そうなの!?上に行くほど、幹部は強くなるって聞いたわ」

「本来、彼は第3層にいるはずだった。謀反の嫌疑をかけられ、降格されたのだよ」

「…そういう事だったのか」

 サーベラスが、パワーなら他の幹部にも負けない、と言っていたのは本当の事だったのだ。百合香は訊ねた。

「じゃあ、もし本気で彼が私と戦っていれば…」

「今頃、君はこの世にいなかっただろうね。だが、君が彼の装甲を、いかに無防備とはいえ破ったのも事実だ。つまり、君には城の最上部まで登れる可能性がある、ということだ」

 言いながら、ディウルナは丸められた紙を広げる。そこには、見取り図が示されていた。

「それは…」

「君たちが、喉から手が出るほど欲しいであろう、この第1層の平面図だよ。ここが、君がソフトボールで戦ったグラウンドだ」

 ディウルナはひとつの区画を示す。その大きさから、全体の大きさを百合香は大まかに考えてみた。ディズニーランドより広いのではないだろうか。

「ちょっと待って、これ…」

 百合香は、初めて見る城の構造に首を傾げていた。

 

 渦巻き状になっている。

 

 全体としては四角いのだが、エリアとエリアが一本道で渦巻きのように連なっているのだ。

「どういうこと?」

「どうもこうもない。これが氷巌城なのだ」

 ディウルナは素っ気ない。

「…第2層はどうなっているの?」

「同じだよ。第1層の渦の中心に、第2層へのゲート、階段がある。第2層に登ると、今度は中心から外側に向かって渦を辿っていく。第3層は、外側から中心に向かう。その上に、キープ・タワー…君の国の言葉でいう、天守閣がある」

 百合香は、それを聞いて目まいを覚えた。つまり、城を全て巡らなくてはならない、ということだ。

「…そんな、のんびりツアーをしてるヒマはないわ。私は今すぐにでも、その天守閣に上がって大将首を獲りたいのに」

「まあ、落ち着きたまえ」

 ディウルナはまた、デスクに腰掛けて言った。

「城は広大だとは言っても、全ての区画に幹部や敵がいるわけでもない」

「そうなの?」

「今は警戒態勢が強まっているから、何とも言えないがね。ただ不安は、この地図がすでに役立たずになっている可能性がある、ということだ」

「…それって」

「うむ。城は、多少時間を要するが、構造を変えようと思えば変えられる。魔導柱への通路を遮断したようにね」

「壁をぶち抜く事はできないの?」

「ははは」

 突然、ディウルナは笑った。

「この城でいちばん強いのは誰か、知っているかね。この城自身だよ」

「…どれくらい?」

「君の世界で最も強大な兵器を思い浮かべてごらん。地上にあるそれを全て使い切っても、この城は崩れない。まあ、振動でこのペン立てを倒すくらいならできるかも知れないね」

 ディウルナは、デスクにあるペンスタンドをパタンと倒してみせた。

「しかし、百合香。バカ正直にこの城のツアーに参加する必要もない。オブラ」

 ディウルナにに言われて解説役を代わったオブラが、百合香の前に進み出る。

「百合香さま、いかに城の基本構造が渦巻き状とはいえ、抜け道はあります」

「そうなの?」

「もちろんです。ただし、だいぶ限られてはいるようです」

「ちょっと待って。ようです、って」

「はい。まだ全ての場所を掴んではいません」

 百合香は肩を落とした。

「そんなことだろうとは思ったけど」

「申し訳ありません。しかし、この第1層のゲートまでの抜け道は確保しています。…多少の危険は伴いますが」

「本当!?」

「はい」

 オブラは、地図の上のある個所を示した。波打つ模様が描かれた、太いラインである。

「ねえこれ、ひょっとして…水路?」

「そうです。まさかもう通られました?」

「渡ってきたの、そこを」

 オブラは、全身の毛が逆立つほど狼狽えていた。

「あぶない…その水路がまさに、抜け道なんです」

「え!?」

『え!?』

 またも百合香・瑠魅香がユニゾンで驚く。

「そうなの!?」

「そうです。その水路をこの方向に行くと、城の中心部に近付きます」

 オブラが示したのは、水路が第1層中心部に近付いたあたりの、池のようなスペースだった。

「距離的には一足飛びに、中心部に行けます」

『やったね、百合香。ここは行くしかないじゃん』

 瑠魅香は百合香の頭の中で嬉しそうに言った。

「ですが」

 水を差すようにオブラが言う。

「この池に、とんでもない化け物がいるそうです。僕は伝聞でしか聞いていませんが、巨大な蛇だとか、亀だとか」

「どっちなのよ」

「わかりません」

 正直な探偵猫に、百合香はまたも肩を落とす。オブラは続けた。

「そして、そこを抜けると、この層最後の氷騎士、バスタードがいます」

「ん?」

 唐突に固有名詞をオブラが言うので、百合香は訊ねた。

「バスタード?」

「はい。あのサーベラスがめちゃくちゃ嫌っている奴です」

「…その情報はどうでもいい。強いのかどうか教えて」

「めちゃくちゃ強いです。実力はサーベラスと同格だと言われています。でも性格に問題がありすぎて、第3層に置いてもらえないらしいです」

 どうでもいい情報がどうしても混じってくるが、とにかくサーベラスと互角の実力を持つ氷騎士が、この第1層のラスボス、ということらしかった。

「蛇だか亀だかを倒した直後に、そのバスタードっていうのと戦わないといけないのか。そこをすり抜けるルートはないの?」

「ありません。諦めてください」

 探偵猫は容赦がない。

『百合香、ここは腹をくくるしかなさそうだよ』

 またどこで覚えたのかわからない日本語を瑠魅香が言う。

「…そうね」

 マップを見る限り、本来のルートを辿れば、とんでもない時間を要する事になりそうだった。ここは危険を冒してでも水路を進むしかなさそうである。百合香は「よし」と言って、頷いた。

「わかった。ディウルナ、あなた達の情報を活用させてもらう」

「私も、君たちの力をアテにしている身だ。お互い様ということだ」

「この際、いちいちあなたが信用できるかどうか、なんて考えないわよ。私にそんな余裕はないから」

「それでいい」

 ディウルナは笑う。

 

 ディウルナの部屋を出る前に、百合香は振り返って訊ねた。

「上の層に行ったら、あなたと会う必要ができた場合、さっきのペンみたいなのを使えってことね」

「そうだ。道々、オブラが説明してくれるだろう。上層にも私のアジトは用意している」

「城のあちこちに勝手にアジトを作って、奴らにバレないの?」

「心配ない。それには理由があるのだ。そうだな、暇な時があれば説明しよう」

「…暇な時、ね」

 そんな時があるのだろうか、と訝しみながら、百合香は足元にいる探偵猫を見た。

「じゃあ、また頼むわよ、オブラ」

「任せてください」

「ディウルナ、いちおうお礼は言っておくわ。ありがとう。よろしくね」

 百合香の礼に、ディウルナは笑って答えた。

「こちらこそ、よろしく頼む。再来した救世主くん」

「なにそれ」

 くすりと笑って、百合香はドアノブを回した。

「じゃあ、また会いましょう」

「君もな。武運を祈る」

 挨拶を済ませると、百合香はオブラに先導されて、再び階段を登って行った。


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