絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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あり得ない要素を排除して最後に残った真実

 百合香の意識はどうにか戻ったものの、瑠魅香の意識は眠ったままだった。その原因は、カンデラとの戦いにおいて、魂のエネルギーを消耗しすぎたためではないか、と錬金術師のビードロは、横たわる百合香に言った。

「魂のエネルギー?」

「正直、瑠魅香のやっている行為というのは、"摂理を利用して摂理に反する"行為なの。人間でいうところの、多重人格とは意味が違う」

「それで、瑠魅香の意識は戻るの」

 百合香は訊ねるも、ビードロの答えは要領を得ないものだった。

「まず、おそらく彼女の魂は、あなたの生命エネルギーに依存して存在できている。氷魔、正確には氷の精霊であることを放棄してね」

「つまり、どういうこと」

「あなたの生命が弱まれば、彼女の活動の基盤も弱まるということよ。わたしの推測だけど、あなたが回復すれば、自然に目を覚ますと思う」

 要するに、百合香の身体が治らないうちは、どうにもならないという事らしかった。

「…ねえ、ビードロ」

 百合香はぽつりと言った。

「血液を造れるなら、人間の身体を造ることはできるの?」

「夢ね」

 ビードロの回答は、予想外に素っ気ないものだった。

「あなた達、人間の"錬金術師"の歴史は、いちおう目を通したわ。けれど、おそらく人間の錬成に成功した人は、いないでしょうね。それどころか、生命そのものを生み出す事も」

「あなたはどうなの?」

 何気ない百合香の質問に、ビードロは長い沈黙を置いて答えた。

「…そうね。いつか、実現したいとは思っている」

「瑠魅香はね、人間になりたいんですって。だから、人間の肉体を得る方法を探してる」

「とんでもない事を考える子ね」

 ビードロは笑うが、目にはどこか真剣さが見え隠れしていた。

「人間の身体の錬成か。それができれば、人間になりたがる精霊も現れるかもね」

「現にここに一人いるわ」

 百合香は、胸に手を当てて笑う。

「身体はまだ痛む?」

「ええ、まだね。でも、もう少し休めば、歩くくらいはできそう」

「人間用のベッドが用意できなくて申し訳ないわ。私達はそうやって眠る習慣がないから」

 そう言われて、氷魔というのも今更だが奇妙な存在だなと百合香は思った。人間を模倣してはいるが、人間のような生活はしていない。精霊の生活がどんなものなのかは想像もつかないが、少なくとも氷魔のような、城の中で蠢いているだけの存在よりは充実していそうな気がする。

「…あなたは、精霊に戻りたいと思うの、ビードロ」

「え?」

「それとも、望んで氷魔になったタイプ?」

 すると、ビードロは小さく笑った。氷魔にしては珍しく、表情がわかるタイプだ。

「そうね。精霊の姿では、こうして錬金術の研究はできない。その点に関してだけは、氷魔でいたい、と思う事はある」

「そうなの?」

「ええ。でも、答えは出せないわね。精霊としての自由さは、あなた達人間に説明しても伝わらないから」

 精霊の世界。百合香には、ぼんやりとしか想像がつかない世界だが、瑠魅香はそこからやって来たのだ。

「逆に百合香、あなたは人間でいたいと思うの?」

「え?」

「氷魔が美しいと思った事はない?」

「……あなたのような個体ならね」

 百合香は目の前にいる、人間であれば美人で通るであろう氷魔を見て言った。

「嬉しいこと言ってくれるわね」

「人間は、そんなに美しい生き物じゃないわ。というより、生き物はそんなに美しいものじゃない」

 百合香は、心に秘めていた考えをぽつぽつと語り始めた。

「瑠魅香は人間に憧れている。だから私、言ったの。もし人間になれたとしても、人間の世界に幻滅する時が来るかも知れない、って」

「百合香は、人間の世界が嫌いなの?」

 それは、百合香の心の核心を突く問いかけだった。百合香は答えに窮して、だいぶ時間を要した。

「…わからない。でも、こんなふうに外側から、一方的に否定されるのは間違ってると思う」

「だから、この城に乗り込んできたのね」

「あの時は、そんなこと考える余裕なんてなかったわ。学園のみんなを助けなきゃ、って」

「そう。それならあなたは、やっぱり自分の世界を愛してるんだと思うわ」

 百合香の手を取って、ビードロは言った。

「瑠魅香が幻滅しないように、あなたが一緒にいてあげなさい。その時が来たなら」

「…ええ」

 その時百合香は、それまですっかり忘れていた事を思い出していた。

「そうだ…ビードロ、訊きたい事がある」

 

 百合香の問いに、ビードロは首を傾げた。

「人間を裏切って氷巌城に来た女…」

「そう。私がここに乗り込むより先に、間違いなく学園の人間が、入り込んでいるの。しかも、凍結したドアを難なく開けて、その後また閉じて凍結させていた。あなた、上層にいたんでしょう?何か知らないかしら」

 百合香は、凍結した学園で発見した、いくつかの証拠を挙げた。

「それは、女性に間違いないのね?」

 ビードロは強調して確認する。

「ええ。あのソファーに座っていたのは、間違いなく女性だわ。それも私のような少女ではない。大人よ」

「ふむ」

 しばし考えて、ビードロはひとつの謎を指摘した。

「そんなふうに凍結現象の中で平気で動けて、なおかつ凍結を解いたり、施したりなんていう事ができる人間、いると思う?」

「え?」

「あなた、なまじ賢いせいで物事を単純に考えられないタイプでしょう」

 なんだそれは、と百合香は憤慨した。ストレートに頭が悪いと言われるより癪に障る。

「シャーロック・ホームズだったかしら。どれほど信じられなくても、あり得ない事を排除していって最後に残ったのが真実だ、っていうの」

「…あなた達、けっこう人間の作品に詳しいのね」

「まあね。それでこの場合、"人間が凍結現象を操れる"などという事は"あり得ない"と言えないかしら」

 ビードロの指摘に、百合香はそれまでと違う戦慄を覚え始めた。

「…ちょっと待って」

「つまり、そんな現象を起こせる存在は、人間の中にはいない。それでは、私達の知識の中で、そんな離れ業をやってのけられる存在とは、一体何か」

 ビードロはわざとそこで言葉を途切れさせ、百合香の表情を窺う。

「ま…まさか、そんな事、あり得ない」

「ホームズなら、それが真実だと断言するでしょうね」

 ビードロは百合香が、辿り着いた答えを恐ろしくて口に出来ないのを見て取り、代わりに言った。

「そう。あなたの学園に、人間を装った氷魔が入り込んでいたのよ」

 

 

 

 氷魔皇帝ラハヴェは、ひとつの報告に落胆の色を隠せなかった。

「…わかった。よい」

 それだけ言うと、玉座を立ち上がり背を向ける。

「もとより、侵入者への関心は単なる余興にすぎぬ。それがすでに死んだというのなら、何も言うまい」

「はっ」

 ヒムロデは静かに、それだけ言った。

「お前も残念そうに思えるのは、私の気のせいか、ヒムロデ」

「…皇帝陛下の興が削がれたのであれば、臣下の私としても残念ゆえの事です」

「ふ…そうか」

 ヒムロデの胸の内を見透かしたように、ラハヴェは嗤う。

「この件はもうよい。それより、裏切り者どもへの警戒を強化しろ」

「はっ」

「ところで、例の計画はどうなっている」

「魔氷胚の消失という、想定外の障害に遭いましたが、それ以外は滞りありません」

「それでよい。どのみち、人間どもはまだこの城の存在にさえ気付いてはおるまい。多少時間がかかるのは大目に見る。確実に準備を整えるのだ。下がってよい」

「は。失礼いたします」

 ヒムロデは、深く礼をすると立ち上がって、ラハヴェの御前をゆっくりと後にした。

 

 玉座の間を出て廊下を進むと、脇にカンデラが控えていた。

「ヒムロデ様」

「なんだ。陛下がお怒りではないかと心配になったのか」

「め、滅相もない…」

「ふ、まあよい。お前としても胸のつかえが取れた気分であろう」

 図星を突かれたカンデラは、ただ黙って聞いていた。

「カンデラよ。計画が進行すれば、否が応でもお前の出番は回って来る。もし今、何か己自身に至らなさを感じているのであれば、なおの事それを己の忠義に換えて励むがよい」

「は…はっ!」

「ときにカンデラ、少々お前の手を借りたい」

 カンデラは、何の事かとヒムロデの顔を見た。

「あの、ヌルダの馬鹿者だ。呼びつけても一向に顔を出さぬ。そこで、私自ら奴の研究室まで出向く事にしたのだが、お前も同行せよ」

「な…いや、そのような事。ヒムロデ様がわざわざ出向かれる必要はございませぬ。私めにお任せください」

「そうか?ならば、あの遊び惚けている馬鹿者を、私の部屋まで引きずり出して参れ」

「はっ、かしこまりました」

 上級幹部の水晶騎士カンデラは、ただ人を呼び立てるという雑用のためだけに、きちんと敬礼してその場を後にしたのだった。

 

 

 

 ビードロのアジトを出て警戒にあたっていたマグショットが戻ると、サーベラス、オブラと3人で今後の作戦を練る事になった。

「最終的な目的は、皇帝ラハヴェの討伐としてです。現時点でどうするかが問題になってきます」

 オブラは、会議の進行役を務める体で話し始めた。

「当初の目的は、例の水路を通って第2層への最短ルートを目指す予定でした。しかし、それは百合香さまあっての計画です」

「カンデラの馬鹿が出しゃばってきたせいで、百合香がえらい目に遭っちまったからな。あいつだって例の大技を放って消耗してなけりゃ、あそこまで一方的に負けちゃいねえ」

「ですが、百合香さまのご容態は心配なものの、ひとつだけこちらに有利な状況ができたのも事実です」

「なに?」

 サーベラスは、ジロリとオブラを睨む。

「何が有利だというんだ」

「はい。百合香さまに指示されて行った工作が成功し、敵は現在、百合香さまが死亡したと信じています。すでにレジスタンスの仲間にも確認を取らせました」

「なるほど。要するに、敵の警戒が手薄になっているという事か」

「そうです。百合香さまはどのみち、回復までしばらく時間がかかるでしょう。当然その間、動く事はできません。百合香さまが現れなければ、死亡したという情報はさらに確固たるものになります」

「その隙をついて動くということか」

 サーベラスが頷くと、マグショットは「ふん」と鼻息を鳴らした。

「それで、具体的にはその敵の油断を、どう突くつもりだ」

「考えなくてはならないのは、本調子になった百合香さまを、いつ第2層に上げるかです。いずれ、どこかの時点で、百合香さまの生存は明るみに出ます。それは避けられません」

「つまり、それを少なくとも第2層に上がって以降に持ち込みたい、というわけか」

「そうです」

 オブラは、広報官であり新聞屋のディウルナから預かって来た、署名入りの通行手形を示した。

「僕の偽装魔法で兵士に化けた百合香さまを、これで第2層に上げます。それが、敵に勘付かれずに済む最善の方法です」

「その手形だって、お前の魔法で偽造できるんじゃないのか」

 サーベラスの指摘はもっともだったが、オブラは首を横に振った。

「これには、判別用の魔法が施されているんです。偽造で済むなら、僕らレジスタンスもすでに使っています」

「面倒な仕掛けを考えやがる」

「ですが逆に、これを使う事で完全に向こうを騙す事ができる、という事でもあります」

「そんなまどろっこしい事やってねえで、関所なんぞ力づくでぶち壊して進めばいいだけの話じゃねえのか」

 サーベラスの提案は、清々しいまでに彼らしかった。

「それができるならやっている。百合香と俺とお前の3人がかりでなら、関所の手前に陣取る、第1層の最後の氷騎士も敵ではない。だが、関所を破った瞬間に警戒態勢が元に戻る。オブラはそれを避けたいと言っているのだ」

 その程度の事がわからんか、という表情でマグショットはサーベラスを見た。

「じゃあ、どうすればいいってんだ」

 

「できるだけ短時間に、最後の氷騎士を打ち破るのよ」

 

 突然聞こえた声に、3人は一斉に振り向いた。

「百合香!」

 サーベラスが、壁に手を突いて立っている百合香を見て立ち上がった。

「お前、大丈夫なのか」

「大丈夫じゃない」

「あのな」

 心配を通り越して、呆れた様子でサーベラスは肩をすくめた。

「だから、多少無理をしてでも、私は急いで癒しの間へのゲートを見付ける」

「そうだな。そこにさえ辿り着けば、身体は治せるのだろう」

 マグショットも、止む無しといった様子だった。青ざめた顔で百合香は頷く。

「オブラ、あなたこの城の、エネルギー密度が低いポイントを探す事はできる?」

「エネルギー密度、ですか?」

「そう。そこなら、癒しの間へのゲートを開ける事ができるの」

「うーむ」

 オブラが悩んでいると、奥から何かを持ったビードロが現れた。

「まだ寝てなさいって言ったのに、無茶する子ね」

 そう言いながら、ビードロは手に持ったものをオブラに手渡した。それは、ストローのようなものが刺さった小さな瓶だった。

「オブラ、このシャボン玉を使って、百合香の言う”ゲート”を探すのを手伝ってあげて」

「シャボン玉、って何ですか」

「そのストローを吹いてごらんなさい」

 オブラが言われたままストローの端を吹く。すると、先端から青く輝く無数のシャボン玉が飛び出し、空間全体に広がって行った。

「わあ、きれいだ」

「これは私が調合した、氷魔エネルギーに反応して青く光るシャボン玉。エネルギー密度が低いポイントでは、光らないようになっているわ。これを利用して、ゲートを探しなさい」

「なるほど!わかりました」

 オブラは、まるで玩具を手にした子供のように研究室を飛び出して行った。

「ビードロ、ありがとう。世話になりっぱなしね」

「私は、実験の成果が活かせる事にワクワクしているわ」

「そう。ここ、変な人達が集まってるのね」

 百合香の一言で、その場の全員が笑った。

「みんな、聞いて。この層最後の氷騎士を、可能な限り素早く討ち取るの。関所の門番が気付かないほどの素早さで」

 そう語る百合香は、どこか指導者のようにその場の面々の目に映った。

「なるほど。その後で、オブラの魔法で全員氷の兵士に化けて、関所を通過するってことか」

「そう。氷騎士を倒した事が知れ渡る前に、それをしないといけない。倒すのに時間がかかればかかるほど、バレる確率は高くなる」

「スピード勝負か、面白い。腕が鳴るってもんだ」

 サーベラスの単純さは、この状況においては頼もしかった。マグショットもオブラも頷く。

 百合香は、ビードロを向いて言った。

「ビードロ、私たちに関わればあなただって命が危なくなる。いいのね」

「何をいまさら。ヌルダの下を出た時点で、こいつは立派な裏切り者だ」

 マグショットは半笑いで言う。

「ヌルダって誰?」

 その名前をまだ聞いていなかった百合香は、ビードロを向いて訊ねる。

「私に錬金術のイロハを教えた、水晶騎士の一角よ。騎士というより、奇人ね」

 

 

 

 氷巌城第3層の外縁部。ここに、錬金術師ヌルダが守護する、錬金術研究区画があった。守護とはすでに建前であり、ヌルダにとっては遊び場であった。

「ヌルダ、貴様いるのか」

 カンデラの声が、意味不明の物品がひしめき、煙たなびく研究室に響く。

「ヒムロデ様のお呼び立てを、無視し続けているそうではないか。立場が立場ゆえ大目に見てもらえるのをいい事に、無礼を続けるのも大概にせねば…聞いているのか!?」

 部屋の中央で怒鳴るカンデラは、その時ようやく部屋に誰もいない事に気が付いた。

「なんだ、おらぬではないか。全く…うおおっ!」

 振り向いたカンデラの目の前に、白衣をまとって眼鏡をかけた、ドクロの氷魔が現れた。頭の両脇からは、極太のネジの頭が飛び出している。

「なんじゃ、カンデラか」

「無言で人の背後に立つな!相変わらず気味の悪い」

「知らんわ。何しに来た」

「何しに、ではないわ。ヒムロデ様がお呼び立てだ、来い」

「ヒムロデじゃと?ああ、何やら用があると言っておったの。大した用ではあるまい」

 その言い草に、カンデラはいよいよ憤った。

「陛下の側近であるヒムロデ様を呼び捨てにするな!来い」

「うおっ、きさま、何をする!離せ」

 カンデラに引きずられるようにして、ヌルダはしぶしぶ研究室を後にした。


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