絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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嚆矢

 リベルタは、自分たちの手で葬った氷魔たちの亡骸を見下ろしながら語った。

「私の師は、氷騎士の一体。名は、ストラトス」

「ストラトス…それは、この第二層にいるの?」

 百合香の問いに、リベルタは頷いた。

「おそらく、順当にあなたが進めば最初に相手にする事になる」

「つまり、そいつはあなたのように、城に弓を引いてはいないということね」

「ええ」

「あなたは、そのストラトスとも戦うつもりなの?」

 その問いに、リベルタはすぐに答える事はなかった。やがて再び歩き出すと、通路を進みながらぽつぽつと語り始めた。

「師といっても、まだ私達に感情がなかった頃、単なる戦闘技術の指導を受けただけよ。特別な感情なんてないわ」

「じゃあ、さっきの子たちのように倒しても構わないという事ね」

「倒せたら、の話よ」

 立ち止まり、振り返ってリベルタは言った。

「私の不安は、師弟関係だとかの感情的な問題じゃないわ。ストラトスの実力は桁外れよ。私一人じゃ、止める事はできない。百合香、あなたでも勝てるかどうか、わからないわね」

「二人なら?」

「…わからない」

 そう言って、再びリベルタは歩き出す。百合香は訊ねた。

「どんな奴なの」

「短い髪に、悪魔のような角を生やしてる。あなたより長身の女氷魔よ」

「女…」

「私達に、人間のような性別はないけどね。あくまで感覚的なものだけど、とにかく女よ」

 女氷魔と言われて、百合香は第一層の拳法使い、紫玉を思い出していた。

「というよりも、百合香。この第二層は、ほとんどが女氷魔だと覚えておいて。幹部の、氷騎士も含めてね」

「そうなの?」

「ええ。そして、第一層であなたが戦ってきたような相手とは、性質が異なる個体が多い。魔法を使う氷魔もいるわ」

「魔法!?」

 百合香は言われてみれば、今まで魔法を放ってくる敵が少ない事に気付いた。むしろそのほとんど全てが、瑠魅香の放ったものである。

「…強いのよね」

「私が知らない個体もいるし、今回初めて出現した氷魔だっているはずよ。そしてあなたが言ったとおり、強いという事も認識しておくべきね」

 そう言って、リベルタは突然立ち止まると、右手の壁を睨んだ。百合香には、何となく既視感のある光景である。

 リベルタが壁をカンカンとノックすると、壁の向こうから声が聞こえてきた。

『北極のアデリーペンギンも少なくなりましたね。絶滅しないか心配です』

「それは南極ではなくて?」

 リベルタがそう答えると、壁におなじみの隠されたドアが出現した。氷巌城のレジスタンス達は、魔法でドアを隠すのが好きらしい。

「僕らと同じですね」

 オブラがドアノブに手を伸ばすも、悲しいかな猫の身長では届かなかった。リベルタはクスリと笑ってノブを回す。

「さ、急いで」

 周囲を見回して、百合香とオブラを中に入れると、リベルタも素早く身を入れてドアを静かに閉じた。

 

 室内はどことなく、授業用の準備室を思わせる広さと雰囲気だった。棚や箱の類が雑然と置かれており、ガドリエル女学園の制服と同じデザインの姿をした、少女氷魔が三人控えていた。一人の、ミディアムヘアの氷魔がリベルタを出迎える。

「リベルタ、よく無事だったわね」

「みんなもね」

「そっちの子は?」

 少女たちは見覚えのない、洗練された鎧を着込んだ百合香を見る。

「聞いて驚いてちょうだい」

 そう言うと、百合香を向いて頷く。百合香も頷いて、髪飾りの変色魔法を解き、人間の姿に戻ってみせた。

「人間!?」

「まさか、その子…」

 少女たちは、百合香とリベルタを交互に見る。リベルタは腰に手を当てて、なぜか自慢げに説明した。

「その、まさかよ。彼女は侵入者にして我らの英雄、百合香」

「まさか!生きていたの!?」

「あの報道はフェイクか。つまり…」

「ディウルナ様も城を裏切っていた、ということね」

 一瞬で事態を把握したらしいレジスタンス少女たちは、真剣な表情で百合香を見る。

「ようこそ、私達レジスタンス"ジャルダン"の仮アジトへ。私はグレーヌ」

「初めまして。ラシーヌよ」

「私はティージュ。よろしく」

 百合香は、突然同じような背格好の仲間が出来た事に戸惑いながら返事をした。

「百合香よ。よろしく」

 三人を代表して、グレーヌが百合香と握手を交わす。ラシーヌはシャギーの入ったボブカット風のショートヘア、ティージュは前をふたつに分けた、流れるようなストレートヘアが印象的である。

「わあ、これが人間の女の子の髪なんだ。きれい」

「みんな、あなたのような金色の髪なの?」

 ラシーヌが百合香の髪に指を滑らせる。百合香はその時、何が原因なのか自分がブロンドになってしまった事を思い出していた。

「わっ、私の国はほとんどが黒い髪なんだけど」

「そうなの?じゃあ金色の髪は珍しいの?」

「それがね、この城に来てから金色になっちゃって…って、違う!世間話してる場合じゃないでしょ!」

 うっかり本来の目的そっちのけで女子トークに突入しかけたので、百合香は軌道修正を試みた。しかし、グレーヌは笑う。

「いいじゃない。どのみち、今は身動きが取れないもの」

「…警戒が強まってるの?」

「あなたが"生きてた"時とは違う意味でね」

 

 グレーヌの説明によると、現在この第二層は、内的な緊張状態にあるという。もともと城の支配に対して自由奔放な性質の氷魔が多いフロアではあったが、強い感情が城全体の氷魔に発現した事の影響なのか、ここに至って明確に城に対して反旗を翻した氷魔が、他の階層より多いらしかった。

「だから、城側は私達レジスタンスの炙り出しに躍起になってる。ただし、表向きにはレジスタンスの規模は過小評価されているわ」

「レジスタンスが増えるのを警戒してる、ということね」

「そう。もっとも、私達自身も存在を知らないグループもいる」

「そうなの?」

 百合香は不思議に思った。

「階層全体の氷魔を、あなた達は把握してるんじゃないの?」

「大まかな数はわかってるわ。私達のような制服氷魔は、およそ2000近くいる。城の正規の兵士も氷騎士たちの下に配置されている。ざっと、600くらいかしら。それ以外にも把握しきれていない個体は当然いるけどね」

 そこへ、ラシーヌが口をはさんだ。

「制服氷魔は、三つの階級に分かれているの。私達はその真ん中の階級、ミドルクラス。下にいるのがロークラス、最上級がハイクラス。そして基本的にクラスが違うと、上下関係はあっても日常的な関わりは希薄になる」

「つまり、他のクラスの内情はわからないという事ね」

 百合香の問いに、ラシーヌ達は頷いた。

「…クラスが違うと、実力も違う?」

「それは個体による。リベルタなんて、たぶんクラスに関係なく強いよ。私達はリベルタほどの実力はない」

 百合香はリベルタを見る。やっぱり強いんじゃないか。リベルタは手を横に振った。

「私はそんな、強い弱いだのという話は嫌いだけどね。戦わないで済むなら、そうしたい。けど、ハイクラスの連中は私を毛嫌いしている。下のクラスのくせに、強いから」

 リベルタは、自分が強い事をサラリと認めた。百合香は、複雑な顔をして全員を見渡す。

「まるで人間そのものね」

「そうなの?」

 ティージュが興味深げに反応した。

「私の…ガドリエル学園はそれほどでもないけど、それでも階級が分けられてる雰囲気はある。何の意味もないのにね。目に見えない、自分達で勝手に作った階級という幻想で、勝手に人を見下す人達がいるわ。同じ空気を吸っている、ただの人間に過ぎないのにね」

「なぜ、人間はそんな事をするの?」

「さあ。もともと好きなんじゃないの、区別したり、蔑んだりするのが。人間でいるのが、嫌になる事がないと言ったら、ウソになるかもね」

 そこまで言って、百合香は言葉を途切れされた。

「…それでも、私は人間としての暮らしを取り戻したい。だから、この城に上がってきた」

 手に握った、黄金の聖剣アグニシオンを見つめる。百合香の心が生み出した、光と炎の剣だ。

「リベルタにも訊ねた事だけど。私は、この城を消滅させるつもりでいる。それは、あなた達が消え去る結果になるかも知れない。それでも、本当にいいと思ってるの?」

 百合香の表情は真剣だった。グレーヌも、重みのある口調で答える。

「…本音を言えば、私達だってもう、この姿に愛着がないわけじゃないわ」

「それなら…」

「けど、私達の存在が、あなた達人間の存在を否定して成り立つというのなら、やっぱりそれは違うと思う」

 グレーヌの言葉に、他の三人も頷いた。

「そうね。もし、他の生物や文明を踏みにじる事なく、私達が存在し続ける方法があるのなら、それを求める気持ちもある」

「それを探る事はできないの?」

「わからないわ」

 リベルタは素っ気ない。

 そのとき、百合香は広報官ディウルナの言葉を思い出していた。ディウルナは、生命のエネルギーを吸い尽くした時にこの城が消滅するという事実を、機を見て公表すると言っていたのだ。

「ねえ、オブラ」

 唐突に名前を呼ばれて、それまで黙っていた探偵猫オブラはギクリと背筋を伸ばした。

「はいっ、何でしょう」

「ディウルナに話をつけて、彼女たちと会わせる事はできない?彼なら、リベルタや私たちが知らない情報にもアクセスできる可能性があるんじゃないかしら。城の事についても、何か知っているかも」

「そっ、それは…ディウルナ様に伺ってみないとわかりません。ディウルナ様は行動に慎重を期されています。各階層のレジスタンスと接触したいとは思われているようですが、性急に動けば城側に察知される恐れがあるからです」

「ひとまず、話だけでも伝えてもらえる?おそらく、向こうも何らかの接点を持つ用意はあると思うの」

 百合香にそう言われて、オブラは首を横に振る事はできなかった。

「わ、わかりました。ただし、会ってもらえるという保証はありませんよ」

「それは向こう次第よ。もっとも、リベルタ。あなた達がそれを望まないというなら、この話は無しにするけど」

 百合香は、リベルタの目を見据えて言った。リベルタは、力なく笑う。

「参ったわね。そんなお膳立てをされたら、こっちは乗らざるを得ない」

 そう言って、グレーヌら三人の顔をうかがう。

「百合香はそう提案してくれているけど、みんなはそれでいい?」

「ディウルナ様なんて大物と接点ができる可能性があるなら、ぜひお願いするわ」

 グレーヌに、ラシーヌとティージュも頷く。

「決まりね。オブラ、頼んだわよ」

「わかりました。では、僕はいったん失礼します。サーベラス様がしびれを切らしてないか、確認もしないといけませんので」

「ふふ、じゃあ伝えておいて。斬り込み隊長からの指令よ。もう少しだけおとなしくしてて、って」

 百合香に頷くと、オブラは立ち上がり一礼した。すると、グレーヌがオブラを呼び止めた。

「オブラ、あなたの仲間が二匹、私の仲間に保護されているわ。敵に捕まってるのは三匹いるけど、生きてはいるはずよ」

「そうなんですか!?」

「ええ。あとで説明するけど、とにかく無事なのは保証するわ。安心して行ってらっしゃい」

「あ、ありがとうございます!」

 緊張していたオブラは表情を緩めて、警戒しながらドアの外に出て行った。相変わらず足音がしない。

「百合香。いまオブラが言ってたの、どういう事」

 リベルタが、百合香を問いただした。しかし、百合香は何の事かわからない。

「言ってたの、って?」

「サーベラス様の名前を出したでしょう。しびれを切らしてる、ってどういう事。まるで、どこかで待機しているみたいだわ。まさかあなた、サーベラス様までも味方につけたの!?」

「あ」

 百合香は、サーベラスがこの第二層に一緒に上がってきた事を説明していない事に気付いた。もう百合香にとってサーベラスは「頼もしい仲間」であり、氷魔側からすれば裏切り者の氷騎士だという事を失念していたのだ。

 

 

「ええい、もう我慢ならん!俺一人で、氷騎士の一人も片付けてやる!」

 猫レジスタンスのアジトで、ついに我慢の限界を迎えたサーベラスが立ち上がった。周りの探偵猫たちが狼狽える。

「お、落ち着いてくださいサーベラス様!」

「落ち着いていられるか!俺は休憩しに来たのではない、戦うために来たのだ!」

 すると、バンとドアが開いた。

「そんな事だろうと思いました!言わんこっちゃない」

 それは、俊足で駆け付けたオブラだった。

「斬り込み隊長からの指令です!もう少しだけおとなしくしていろ、との事でした!」

 自分の膝までしか背丈がない猫に指を差して言われたサーベラスは、ワナワナと震えていた。

「てっ、てめえ、百合香の名を出すのはズルいぞ!」

「ズルいも何もありません。隊長どのの指令に逆らうおつもりですか」

「ぬぬぬ」

 歯ぎしりするサーベラスを見ながら、冗談抜きで百合香を隊長だと認識しているんだな、とオブラは思っていた。

「くそっ」

 再び狭いアジトのど真ん中にドスンと座り込むと、サーベラスは不服そうに腕を組んだ。

「サーベラス様、お退屈でしょうから氷騎士の情報だけは入れておきます。最初に相手にする事になりそうなのは、弓を使う氷騎士だそうです」

「飛び道具か。厄介だな」

「楽しそうに言わないでくださいます?」

 オブラは、戦うのが楽しみでならない、といったサーベラスの本性を見て取り、素直に呆れていた。

 

 

「信じられない」

「あり得ない」

「凄いとしか言えない」

 グレーヌたちは、百合香をまじまじと見ながら口々に言った。

「サーベラス様が裏切ったという情報はみんな知ってるけど、まさか百合香、あなたの配下についているなんて」

「やめてよ。配下なんて、単なる冗談。サーベラスは頼もしい味方よ。何度も助けられた」

「いや、もう呼び捨てにしてる時点で…」

 リベルタは、改めて百合香という存在に敬服しているらしかった。

「参ったわね。この城、本当に落ちるかも知れないわ」

 その言葉には、かすかな希望が感じられた。百合香は、自分に決して小さくない期待を向けられている事に、緊張を覚え始めていた。それは、一年生の時にバスケットボールの試合で突然、二年生と交代して出ろと言われた時の感覚に似ていた。あの時は、無我夢中でプレイして、気が付くと勝利を手にしていたのだ。

 

 この氷の城を進むのは孤独な戦いだと思っていたのに、いつの間にか多くの仲間が現れた。もう、単に自分の町を救う事以上の何かが、この戦いにはあるのだと、百合香は思い始めていたのだった。


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