「百合香、ひとつだけ言っておくわ」
リベルタは、釘を刺すように百合香を見た。
「下手な同情は必要ないからね。あなたの目的の妨げになる相手に、容赦するのは無意味よ」
そのリベルタの言葉に、他の三人も同調した。
「そうね。私達の立場を気遣ってくれるのは嬉しいけど、この城を消滅させるという目的は、ハッキリさせた方がいい」
ティージュの言葉にも迷いはない。たとえ自分たちが消滅する結果になろうと、この城を消し去るという決意は揺るがないようだった。
「…わかった」
百合香は厳しい表情で、短く答えた。リベルタが続ける。
「そもそも、悩んでる余裕なんてないのは私達より百合香、あなたの方よ」
「え?」
「ディウルナと接触したのなら、"魔氷胚"の話は聞いた?」
「まひょうはい?」
なんだ、それは。百合香は思った。聞いた気もするが、聞いてないかも知れない。聞いて忘れた可能性もあるが。
「まだ聞いてないか。魔氷胚っていうのは、簡単に言うと、地中に埋め込む事で地上を凍土に変えるための、人工的な結晶体らしい。私達も聞きかじった程度だけど、保護された例の猫レジスタンス達からの情報よ」
「地上を凍土に!?」
驚愕する百合香に、リベルタはアイスフォンに記録された写真を見せた。
「ぼやけて申し訳ないけど、こういう物体らしい」
それは本当に申し訳程度の画像だった。暗闇の中に、ピンぼけのうえ手ブレでなんだかわからない、米粒のようなものが見える。
「これを、まず城側は世界中の、あなた達人類の軍事拠点に仕掛けたらしい」
「それって、ディウルナが言っていた軍事拠点の凍結のこと?」
「そう。あなた達の兵器がどんなものなのか知らないけど、すでにその99パーセント以上が使用不能になっている、という話よ」
百合香は改めて戦慄した。ディウルナは、たとえ地上の核兵器を全て撃ち込んでもこの城は落とせないと言っていたが、そもそもそれを発射する事すら不可能ということだ。
「この城を侮ってはならない。あなたが考える以上に、人類文明について彼らは知っている、と考えた方がいいわね」
「その、魔氷胚っていうのは今後も使われるの?」
「それはわからない。けど、話によると猫レジスタンスの工作で、大量の魔氷胚がどこかに隠されたか、破棄されたかしたらしいわね」
それも、ディウルナの話と一致する。ディウルナは、レジスタンス達の活動で下界への影響が抑えられている、と言っていたのだ。
「…なるほど。ディウルナは嘘を言ってはいなかった、ということね」
「ディウルナ様を疑っていたの?」
「話を頭から信用するほど、お人好しじゃないわ。というよりディウルナの性格からして、むしろ物事を疑ってかかるようじゃないと、こっちを信用しないと思う」
「なるほどね」
リベルタは頷いた。
「百合香、あなたの事を私達は信じるわ。力も、知性もある。改めて、この城を落とすために、協力しましょう」
「こちらこそお願いするわ、リベルタ」
その時だった。リベルタの持つアイスフォンが振動を始めた。
「!」
その画面に表示された文字を見て、リベルタは少し険しい表情で通話に出る。
「…もしもし」
『…リベルタ、わたし』
「どうしたの」
『今まで、ありがとう…あなた達と会えて良かった』
「エラ!」
『気を付けて、ストラトスの…後ろに…』
そこで何かが砕ける音がして、通話は途切れてしまった。
狭い室内に、重い沈黙が訪れた。
「…エラ」
もう、エラの声が聞こえないアイスフォンを握り締めて、リベルタは肩を震わせた。
「待ってて。あなた達の魂は、必ず解放してあげる。たとえ私達の記憶がなくなっても、また必ず会いましょう」
毅然と立つリベルタ達に、百合香は声をかける事ができなかった。仲間を失うという事が、どれほどの重みを伴うのか。瑠魅香の魂は、百合香の中で眠ってはいても、氷巌城に囚われたわけではない。だがリベルタ達の魂は、死ねばその記憶を失って、再び氷巌城に囚われるのだ。
リベルタは、百合香に向き直って言った。
「百合香、これが私達の戦いよ。次は私かも知れないし、グレーヌ、ラシーヌ、ティージュかも知れない。そして、私達が勝つとしても、それはいま「敵」と呼んでいる誰かが死ぬ、ということに他ならない」
「そして、また魂はいつか、戦闘人形として誕生させられる。こんな馬鹿げたワルツ、もう終わらせなくてはならない」
グレーヌの言葉に、リベルタたち3人が頷く。リベルタは何も表示されていないアイスフォンの画面を睨んだ。
「エラは事切れる寸前、『ストラトスの後ろに』と言いかけていた。彼女はストラトスと交戦していたのね。そして何かを掴んだ」
「ストラトスを倒すための、何かかも知れない。エラ達の死を無駄にはしない」
ティージュの拳は震えている。
「…ストラトスっていうのは、どこにいるの」
それまで沈黙していた百合香が、静かに口を開いた。リベルタ達が、ハッとして見る。
「私が、あなた達の刃になる。ストラトスを倒しましょう」
「百合香。ありがとう」
「提案なのだけれど、まずサーベラスと合流するべきだわ。彼の戦闘能力はやはり頼りになる。それに…」
言葉を濁らせる百合香に、4人は怪訝そうな顔をした。百合香は答える。
「そろそろ、しびれを切らして勝手に動き出す頃だと思う」
百合香の想像は見事に的中していた。
「さっ、サーベラス様!!」
「やっぱり限界だ!!もう我慢ならん!!氷騎士の1体や2体、俺様1人で片付けてくれる!!」
「ゆっ、百合香さまごめんなさい!!」
ドアを開けて出て行こうとしたサーベラスの後ろで、オブラをはじめレジスタンス猫たちが合掌して詫びた。
だがしかし、サーベラスもまたドアを開けた瞬間、背筋を引きつらせて硬直したのだった。
「そろそろ限界だろうと思ってたわ」
開いたドアの向こうには、百合香が仁王立ちしていたのだ。
「ゆっ、ゆっ、百合香!!!」
「何?初対面でもあるまいし。はい、お待ちかねの出発よ。思う存分暴れてちょうだい。期待してるわ」
サーベラスは無言で首を縦に振ると、借りて来た猫のようにおとなしくなった。その様子を見た、百合香に同行してきたリベルタたち4人は驚きの目で見ていた。
「さっ、サーベラス様を」
「完全に手下扱いしてる…」
奇異の目でジロジロと見る氷魔少女たちを、サーベラスはジロリと見た。
「なんだ!見せもんじゃねえぞ!…って、百合香。そいつらは誰だ」
「新しい友達。頼りになるよ」
「第2層の女氷魔か。ふん」
威張ってみせるサーベラスだが、たったいま百合香に家臣扱いされているのを目撃したせいで、リベルタ達にはもはや何の威厳も通用しなかった。
「ぷっ」
「ふふふふふ」
リベルタ達に笑われ、サーベラスは憤慨して通路にノシノシと歩いて出た。
「何なんだ!くそ、やっぱり2層の奴らとは反りが合わねえ!」
結局オブラもガイド役で百合香たちに同行する事になり、少女氷魔4名に人間の女子高生1人、巨漢の元氷騎士1体に猫一匹という、やたらと賑やかなパーティーが結成された。
「サーベラス様、ソフトボールっていうゲームにハマってるって本当ですか」
「前にお見かけした時と、だいぶ口調変わってません?」
「新聞の写真で持ってた、あの変な棒はお持ちでないんですね」
氷の女子たちの質問攻めに遭い、サーベラスは困り果てていた。
「百合香、助けてくれ」
「あら、いいじゃない。女の子に囲まれて」
「お前の言うジョシコーセーってみんなこんなノリなのか?」
サーベラスは基本的に戦い一筋の氷騎士なので、四六時中おしゃべりするのには慣れていないのだった。
「お前ら、おしゃべりはいいが戦えるんだろうな!」
いい加減、女子トークにうんざりしたサーベラスが一喝する。もはや学校の教師じみてきているな、と百合香は思った。
「リベルタの強さは私が保証するわ」
百合香のフォローに、リベルタは手をヒラヒラと振る。
「あんまり期待しないでね。それを言うなら、私もグレーヌたちの実力は保証するよ」
リベルタにそう言われて、グレーヌたちは胸を張った。
「リベルタほどじゃないですけど、そこそこ戦える自負はあります」
「サーベラス様と一緒に戦えるなんて光栄だわ」
「でもサーベラス様にお任せしたら、私たち要らないんじゃない?」
あはははは、と百合香を含めた女子5人は笑う。サーベラスとオブラは顔を見合わせた。
「この先ずっとこのノリに耐えなきゃならんのか」
「サーベラス様にとっては地獄ですね」
「千の敵軍の方がましだ」
悪態をつきながら、まるで修学旅行の一団のようにサーベラス達は、通路を奥へと歩いて行った。
「オブラ、ストラトスの居場所の情報は掴んでるの?」
「居場所は難しい事はありません。この先です」
えらくアッサリと言うので、百合香は拍子抜けした。
「なんだ」
「ですが、問題があります。そこに辿り着くまでの途中に」
「なんの問題が?」
「我々レジスタンスの仲間が行方不明になった場所が、そのエリアなんです」
百合香は身構えた。
「グレーヌ、あなたも敵の氷魔たちに猫レジスタンスが捕まってるって言ったわね」
「ええ」
「まず、レジスタンスを助けないと…」
とはいえ、実際どこに捕まっているのかはわからない。
「グレーヌさま、捕まっている我々の仲間は生きていると仰ってましたが、あれはどういう根拠がおありなんですか?」
「根拠っていうか、証拠写真がある」
「は?」
グレーヌは、アイスフォンを取り出して数枚の写真をスライドさせてオブラに見せた。
「この子たち、あなたの仲間でしょ」
それは、少女氷魔たちに色んなポーズを取らされている探偵猫たちの哀れな姿だった。
「そそそ、そのとおりです!」
「彼ら、捕まってペットにされてるのよ。あなたに見せるのは気が引けたんだけど」
「ペット!?」
レジスタンスの誇りはどこに行ったのだ、とオブラは憤った。
「まあ、そう言いなさんな。たぶん脅されてるのよ、言う事きかないと殺すってね」
「うっ」
オブラは肩を落とした。
「そうか、そうですよね…」
「助けるの、手伝うよ」
「ありがとうございます。けれど、これでようやく合点がいきました。なぜ、人質を取って我々への脅迫の材料にしないのか、不思議だったんです」
オブラは、第2層の氷魔は城の管理から若干ずれている、という話を思い出していた。
「そうね。捕らえた事を報告すれば、身柄を城に取り上げられてしまう。可愛いものは自分達のものにしたい、という女子パワーのおかげで、皮肉なことに君たちレジスタンスは救われている、という事になる」
「……」
「兎にも角にも、生きているんだから。助ける事はできるわ」
その言葉は、重みを伴って聞こえた。いったい今まで、グレーヌやリベルタ達の何人の仲間が散っていったのか、百合香やオブラ達にはわからない。ふいに訪れた沈黙の中、6人と1匹は通路を進んで行った。
そこから5分も歩いただろうか。サーベラスが突然、ぴたりと足を止めた。
「どうしたの?」
百合香も立ち止まり、周囲を警戒する。
「囲まれてるぞ」
「なんですって?」
見た所、どこにも敵の気配はない。だが、サーベラスは大剣を構えて進行方向を向いた。
「百合香、そっち側は任せた」
「敵なんて、どこに―――」
怪訝そうに剣を構えた百合香だったが、即座に理解した。
誰もいないと思われた通路の視界が、ゆらりと透明な水面のように歪んだ。
「!」
「来るぞ!」
サーベラスの合図と同時に、その歪みが迫ってくる。
「リベルタ!」
「ええ!!」
百合香とリベルタは、その影に向かって剣を一閃した。
『きゃあっ!』
『あうっ!!』
何かが激しく砕ける音と、少女の悲鳴が轟いた。すると、床面にバラバラにされた氷魔の残骸が現れる。
「こっ、これは…」
「次も来るよ!」
リベルタは、グレーヌ達に指示を飛ばす。グレーヌはロングソード、ラシーヌはショートソードとナイフの二刀流、そしてティージュは優雅な外見に似合わない、大剣という武装だった。
「どりゃあーっ!」
サーベラスが大剣を一閃すると、一瞬で床に無数の氷魔少女の首が転がった。どうやら敵は何らかの方法で、姿を透明化させているらしい。倒された瞬間、その効力が失われてしまうようだった。
「すまねえ!」
誰にともなくサーベラスは詫びるが、リベルタは叫ぶ。
「遠慮は要らない!悼むのは後からでいい!」
「タフすぎるだろ!」
「みんな、覚悟の上なの!!」
そう言って、リベルタは剣に魔力を込める。
「せやあ――――っ!」
リベルタが剣を横薙ぎに払うと、雪の結晶のようなエネルギーが通路を走って、無数の氷魔少女の残骸が散らばった、いったい、何体の氷魔がこの通路に送り込まれているのかと百合香は思いながら、聖剣アグニシオンにエネルギーを込める。
「『メテオライト・ペネトレーション!!』」
圧倒的な炎のエネルギーの塊が、通路を駆け抜ける。
『うああぁぁ――――っ!!』
『ぎゃああ!!!!』
壮絶な悲鳴とともに、次々と氷魔の死体の山が現れた。その光景に、百合香は平静でいる事ができなかった。
「はあ、はあ」
百合香の一撃に怯んだのか、無数の足音が走り去って行くのが聞こえた。どうやら、撤退したらしい。
百合香は、学園の制服と同じ姿をした氷魔の少女たちの亡骸の山に、涙を抑える事ができなかった。
「ごめん…ごめんね」
リベルタは百合香の気持ちを尊重し、何も言わなかった。肩を落とすグレーヌたちを抱き寄せる。
「辛いよね。私もよ」
「覚悟してるなんて強がってみても、ザマないわ」
自嘲ぎみにグレーヌは笑う。
「ダメね。この程度の戦いで気落ちしてちゃ」
「ええ」
精一杯の勇気を示す少女たちに、サーベラスはただ一言だけ言った。
「…行くぞ」
その武骨な態度が、少女たちにはほんのわずかに頼もしさを感じさせた。サーベラスは、散乱する氷の少女たちの亡骸を踏まないように、その巨体を左右に揺らしながら歩いて行った。
戦闘があった通路を過ぎて少し進むと、扉のある行き止まりに辿り着いた。さきほど撤退した足音がこの方向に向かっていたので、どうやらこの奥に敵がいるらしい。
「開けるぞ」
サーベラスが何の迷いもなく扉に手をかける。ちょっと待て、と百合香は制止しようとしたが、もう扉は開けられていた。
扉の奥は、広い空間になっていた。体育館ぐらいある。中に、敵の気配はなかった。
「ここは…」
「私が弓を学んだ場所」
ぽつりと、リベルタが言った。百合香が振り向く。
「氷騎士ストラトスからね」
リベルタがその名を言ったのに合わせて、空間の奥に突然、人影が現れた。リベルタ以外の全員が身構える。
「久しいな、リベルタ」
蠱惑的な響きを伴う女性の声が、広い空間に響いた。人影もまた、女性の姿である。腕がむき出しの鎧を上半身にまとい、ゆったりとした腰巻きを垂らしている。氷魔にしては珍しく、ピンク寄りの明るい紫色をしたショートヘア―に、リベルタが言っていたとおりの悪魔のような角を備えていた。
「今なら許してやる。リベルタ、再び私のもとに来い」
「…私は誰にも許される必要などないわ」
「お前らしい答えだ」
その声色には、かすかな怒気が感じられた。
「ずいぶん大勢で押しかけてきたものだ。せっかく、お前と二人で語らえると思っていたのに」
「おしゃべりに付き合っているヒマはないわ。いま私の目の前にいるのは、ただ排除するべき敵よ」
リベルタの言葉に、氷魔はほんの一瞬悲しげな表情を浮かべた。リベルタは構わず叫ぶ。
「氷騎士ストラトス。ここは通らせてもらう!」