それは、百合香には既視感のある光景だった。調度品のように鎮座していたと思っていた2体の巨大な女神、もしくは天使の像が、音を立てて動き始めたのだ。
「あっ!?」
その光景に声を上げたのは、ロードライトだった。
「なぜ…そんなはずは!」
ロードライトは何か知っていると思ったマグショットは訊ねる。
「どういうことだ」
「あれは私が管理を任されていた、魂を持たない戦闘人形の魔晶天使です。私の命令がなければ動く事はあり得ません」
ロードライトは慌てた様子で、魔晶天使と呼んだ巨像に向かって叫んだ。
「氷騎士ロードライトの名において命じる!在るべき場所に控えよ!!」
しかし、魔晶天使は2体ともに、その命令を聞き入れる様子など見えなかった。よく見ると外装の衣服に柔軟性はないらしく、動くたびに羽衣のような外装が割れ落ちて、人形のような関節がむき出しになっていった。
「奴は強いのか」
「魂を持たぬゆえ知能はありませんが、力そのものは氷騎士に匹敵するか、それ以上です!」
ロードライトの解説に、全員が震え上がった。ここにいる4人のうち、まともに動けるのは百合香だけである。その百合香にしても、鎧が不完全で防御が心もとない状況であった。
「逃げよう!こんなのと戦っても無意味だよ!」
百合香の提案に、全員が頷く。全速力で瓦礫の山をかいくぐり、出口を目指して走った。
しかし。
「あっ!!」
戦闘を走っていたリベルタが、驚愕して立ち止まる。なんと魔晶天使の1体が、その巨体にかかわらず、一瞬でリベルタの眼前に立ち塞がったのだ。
「なんて素早さなの!?」
「やるしかなさそうね」
百合香は聖剣アグニシオンを構え、炎のエネルギーを込めると、跳躍して一気に斬りかかった。
「ディヴァイン・プロミネンス!!」
眩く輝く炎の斬撃が、サーベラスの倍以上の巨体を誇る氷の天使像の胴体を捉える。激しい打音とともに、魔晶天使の身体は後ろにのけ反った。
だが、表面の装甲は砕けたものの、肝心の本体にダメージは及んでいないようだった。
「ダメか!」
「任せて!」
リベルタが、ストラトスから受け継いだ巨大な弓を引く。放たれたエネルギーの矢は、百合香が砕いた装甲の下にある、魔晶天使の胴体を直撃した。
だがそれは、胴体の表面がわずかに傷ついたに過ぎなかった。
「なんて硬い奴なの!?」
「マグショット!!」
百合香は、背後のもう1体がマグショットに接近するのに気付いて叫んだ。魔晶天使は、今にもその拳をマグショットに振り下ろそうとしていた。
「面倒そうな奴だな」
どんなピンチでも、マグショットの悪態は変わらないようだった。接近する巨像に怯む様子もなく、真っ直ぐに立ったまま相手の動きを見る。
「はっ!」
高速で振り下ろされた巨大な拳を、マグショットは跳躍してかわす。しかし、ロードライトとの戦闘でだいぶ消耗しているため、いつものような俊敏さがやや後退していた。
「ロードライト!こいつを止める方法はないのか!」
「わたくしの声がかかれば本来は停まる筈なのです!」
「だが、お前の声などまるで聞こえていない様子だったぞ!」
ロードライトは、相手の攻撃をかわしながら答えた。
「何かが起きたとしか考えられません!」
「何かとは何だ?」
「魔晶天使に組み込まれた作動呪文が、通常ではあり得ない何かに反応して、緊急作動した可能性もあります!」
「そんな専門的な話をされても、俺にはわからん!」
マグショットは訊いた張本人である自分を棚上げして、必死に相手の攻撃をかわした。
「狼爪星断衝!!」
どうにか隙を見付け、技を放つ。鋭い空気の刃が、魔晶天使の首を直撃した。しかし、その硬度は予想を超えたものであり、わずかに表面が剥離したにすぎなかった。
「ガーネットクラッシュ!!」
マグショットが作った隙を突いて、ロードライトもまた紅いエネルギーの塊を放つ。しかし、消耗した状態での攻撃は、まるで効き目がなかった。
「まずいですわね」
「おい、何か動きがおかしくないか」
マグショットは、魔晶天使の視線が至近距離にいる自分たちよりも、違う方向に向いている事に気が付いた。
すぐにマグショットはそれが何なのか理解して、振り向きざまに叫んだ。
「百合香!気をつけろ、こいつらの狙いはお前だ!!」
その突然の忠告に、他の全員が驚いた。
「なんですって!?」
攻撃を避けながら百合香は叫ぶ。すると、確かにもう1体の魔晶天使も、百合香目指して移動を開始したのだった。
「はああ―――っ!!」
マグショットは側面から波動を放ち、その脚を止める。さしたるダメージこそないものの、バランスを崩して魔晶天使は盛大に瓦礫の中に倒れ込んだ。
「どっ、どういうこと!?」
「思い出してみろ。この巨像どもは確かにこの広間にいたが、俺とロードライトが戦っていた間はピクリとも動かなかった」
「あっ!」
ロードライトがハッとして百合香を見る。
「そうだ。こいつらが動き出す直前、百合香がこの間に現れた。氷魔ではない、この城にとって異質な存在である百合香がな」
すると、それまで黙っていたもう一人の人物が会話に入ってきた。
『あたしが出る!』
百合香の背後から凛とした声が響いて、百合香の姿は一瞬で、紫のドレスと魔女帽を身に着けた、黒髪の魔女こと瑠魅香に変貌したのだった。
「くっ…黒髪の魔女!!」
その姿を初めて見るロードライトが驚く。
「ふうん、あたしもだんだん有名になってきたわね。悪い気分じゃないわ」
軽口を叩きながら、銀色の杖を振るう。
「エレクトリックバインド!!」
瑠魅香が放ったのは、おなじみの電撃のネットだった。2体の魔晶天使はその場に縛りつけられてしまう。しかし、パワーが生半可ではないらしく、早くも瑠魅香が張ったネットは軋み始めていた。
「ほら、何してんのリベルタ!今のうちにやっちゃうよ!!」
そう言うと、杖に青い炎のエネルギーを集中させる。リベルタもまた、慌てて弓を構えて弦を引いた。
「ドリリング・バーン!!」
「ストレート・アイシクル!!」
かたや青い炎の渦、かたや巨大な氷の矢が、それぞれ魔晶天使の頭部を直撃した。さすがにこれには耐え切れなかったようで、2体の両方の首に大きく亀裂が入る。
「マグショット!」
瑠魅香が叫ぶ。
「いくぞ、ロードライト!」
「はい!!」
マグショットとロードライトは、それぞれ脚にエネルギーを込めた。
「でやあ―――っ!!」
「ええ―――いっ!!」
渾身の蹴りが、魔晶天使の首を直撃した。すると、ビキビキと嫌な音を立てて、巨大な首はドサリと瓦礫の山に落ちてしまった。その光景を見て、全員が心の底から安堵した。
「た…倒した…」
「危なかったな。さすがの俺も、もうあと一撃放てるかどうか、という所だ」
マグショットが瓦礫の上に腰を下ろす。まだ対イオノス戦の疲労が残っているリベルタは、限界がきて片脚をついた。
「大丈夫?」
瑠魅香が手を差し延べると、リベルタは笑いながらその手を取る。
「ありがと」
『何よ、仲いいんじゃない、あなた達』
瑠魅香の中から百合香がボソリと呟くと、瑠魅香は笑った。
「なあに、どっちに嫉妬してるの?」
『ばーか。自意識過剰ね』
百合香が笑うと、瑠魅香とリベルタも笑い出した。その様子を、ロードライトは不思議そうに見ていた。
「信じられない。人間と氷魔が手を取り合うなんて」
「百合香が…あいつらが特別なだけかも知れんがな」
「…一体、どういう存在なのでしょう。人間が、この氷巌城でなぜ、自由に振る舞えるのか」
そこまで言って、ロードライトはハッとした。
「…ただの人間に対して魔晶天使が突然、本来の命令を無視して防衛行動を取るなどという事は、あり得ない」
「なに?」
「可能性はただひとつです。この城にとって最高レベルの危機を察知したため、魔晶天使は本来のプログラムを無視して防衛行動に出た。それ以外、考えられません」
ロードライトは、現在は瑠魅香の姿を取っている百合香を見る。何もかもが異質であり、異様な存在だ。
そしてロードライトが、瑠魅香に対して何かを伝言おうとした、その時だった。
突然、倒れていたはずの魔晶天使2体が、再び動き始めたのだ。
「えっ!?」
「なんだと!」
今度こそ、マグショットは驚愕した。眼の前で起きている事が信じられない様子である。
「しぶといな」
瑠魅香は再び杖を構えるが、リベルタは慌てて瑠魅香を弾き飛ばした。
「うわっ!!」
「逃げなさい!」
そう叫んだ次の瞬間、リベルタは魔晶天使の腕に弾かれて、瓦礫の山に投げ出されてしまった。
「うああーっ!!」
「リベルタ!!」
『リベルタ!!』
百合香と瑠魅香が同時に叫ぶ。駆け寄ると、リベルタは右の上腕が砕け、千切れてしまっていた。
「大丈夫!?」
「私の事はいい!逃げなさい!!」
「そんな事、できるわけないでしょ!!」
一喝するように瑠魅香は叫ぶと、杖を構えて魔法を放つ。
「コア・クラッシャー!!」
無属性のエネルギー波が、魔晶天使の上半身を直撃する。その瞬間、全身がバラバラに砕けて宙に舞った。
「どんなもんよ!」
瑠魅香は胸を張る。しかし、次に起こったのは、予想もしていない現象だった。
「…え?」
瑠魅香は、自分の魔法で砕け散ったと思っていた魔晶天使の破片が、そうではない事を悟った。それは、もう一体の魔晶天使の全身を、鎧のように覆い始めたのだ。
「なっ…!」
2体の魔晶天使は、あろうことか合体して、さらに巨大な魔晶巨兵となったのだった。その威容に、瑠魅香は一瞬戦意を喪失しかけた。
「こっ、こいつは…」
『瑠魅香、代わって!!』
危険を感じた百合香が、一瞬早く表に出て来ると、素早くその場をリベルタを抱えて飛び退いた。次の瞬間、床に強烈なパンチがめり込んで、大きく陥没する。その衝撃で弾け飛んだ瓦礫に、百合香とリベルタは全身を打たれて倒れてしまった。
「百合香!」
マグショットは百合香とリベルタの前に立ちはだかると、魔晶巨兵に対峙した。
「逃げろ!ここは俺が食い止める!」
「マグショット…!」
「はやく行け、ばかやろう!!」
だいぶ素が出て来たマグショットの背中を見ながら、百合香は自分の情けなさを呪っていた。
「私のせいだ…私にもっと力があれば…私が、弱いから」
『バカ、泣き言言ってる余裕なんてないでしょ!』
「もっと、もっと力があれば…力が…力が欲しい!!」
百合香は祈るように叫ぶ。眼の前では、マグショットとロードライトが必死に魔晶巨兵を押さえるため、残された力を振り絞って戦っていた。
その時だった。
「うっ!?」
百合香は、自分の胸が突然、激しく振動するのを感じた。
『百合香!?』
「百合香!」
瑠魅香とリベルタが、その異変に気付いて不安そうに叫ぶ。百合香は聖剣アグニシオンを床に落とし、胸を押さえてその場に両膝をついた。
「ううっ…!!」
『百合香、どうしたの!?』
「むっ、胸が…痛い…!!燃える…胸が燃えるみたい!!」
苦しむ百合香に、さらなる異変が起きた。胸から突然、炎の塊が現れたのだ。
「うああっ…!」
それは、氷巌城に登る直前に起きた異変と似ていた。何が起きているのか、百合香にはわからなかった。とてつもない重圧が身体にかかり、声を出すこともできなかった。
やがて、炎は百合香の全身に広がり、まとっている制服は一瞬で燃え尽きてしまった。百合香の裸身を、太陽のような巨大な炎の球が頭から爪先までを覆っていった。
「うっ…!」
リベルタはその熱に耐えきれず、這うようにして百合香から距離を置く。
「百合香!!」
燃え盛る太陽の中の百合香に、リベルタは叫んだ。
「ぐわあ―――っ!!」
「きゃああ!!」
マグショットとロードライトは、魔晶巨兵の払った腕に弾き飛ばされて、ついに瓦礫の上に倒れてしまった。
「くっ…こんな所で…」
「マグショット、逃げてください」
「どいつもこいつも同じ事を言う!」
マグショットは精一杯の力で腕を突いた。しかし、すでに立ち上がる事ができない。
その時だった。倒れている二人の前に、何体もの人影が立ちふさがった。
「あ、あなた達…!」
ロードライトは驚いていた。それは、マグショットが戦ったアルマンドの配下の少女たちであった。少女たちは、迫りくる魔晶巨兵に向かって拳の構えを取っていた。ロードライトは叫ぶ。
「何をしているの、逃げなさい!あなた達では勝ち目などありません!」
「命令に背く事をお許しください。我々はアルマンド様の配下です。そしてその主であるロードライト様をお守りする使命があります」
「共にいられた事、光栄に思います。それでは」
「マグショット様、どうかロードライト様のお力になって差し上げてください」
そう言って微笑むと、少女たちは魔晶巨兵に向かって行った。
「なんてこと…わたくしは、なんという情けない…」
ロードライトは、配下の者を死にに行かせる事しかできない己の無力さに打ちひしがれ、黙って下を向いていた。マグショットもまた、何もできない自分を恥じた。
だがその時、マグショットは完全に失念していた、ある物の存在を思い出した。
「…!」
そういえば、とマグショットは懐をまさぐる。まさかと思ったが、あった。それは、小さな瓶だった。
「ロードライト、これを使え」
「え?」
「ええい、面倒だ!」
マグショットは小瓶の栓を抜くと、中に入っている青紫の液体を、ロードライトの頭からかけてしまった。突然の出来事に、ロードライトは驚く。
「な、な、なんですの!?」
「胡散臭い錬金術師から預かって来た、氷魔用の回復薬だ!」
いきなり薬剤をぶちまけられたロードライトだったが、その青紫の液体は瞬時に身体の傷に染みわたり、その傷みを瞬く間に治していった。
「これは…!」
「錬金術師に感謝するんだな」
「マグショット、なぜ自分で使わずに!?」
ロードライトは小瓶をふんだくると、薬剤が僅かも残っていないのを見て愕然とした。マグショットは笑う。
「俺はここで見物させてもらう。せいぜい戦える所を見せてみろ」
「あなたという人は…」
「きゃあああ―――!!!」
氷魔少女たちは、魔晶巨兵の腕のひと払いでその半数近くが弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。残った少女たちは覚悟を決め、一斉に構えを取る。
だがその眼前に、わずかながら傷が癒えたロードライトが割って入った。
「ロードライト様!」
「お人よしの方が、傷を癒してくださいました。ロードライト、参る!!」
ロードライトは構えを取ると、全身に紅いオーラをみなぎらせた。
「続きなさい、あなた達!」
そう言って高く跳躍すると、ロードライトは魔晶巨兵の胴体に怒涛の蹴りの連撃を喰らわせる。その小さな人形の身体からは想像もできないほどの強烈な打撃の連続が、巨体を押し返した。それに勇気づけられた氷魔少女たちは、いっせいに跳躍して同時に蹴りを入れた。
「えや――――っ!!」
ロードライトの蹴りと少女たちの蹴りが重なり、ついに魔晶巨兵の身体は後方に倒れる。
「はあ、はあ、はあ」
完全に回復してはいない身体では、全力にほど遠いのをロードライトは痛感していた。しかし、残された力を振り絞る。
「ガーネット・スパークリング・ストーム!!!」
赤く輝くエネルギーの刃の嵐が、魔晶巨兵の全身を直撃する。その余波で、周囲の瓦礫が吹き飛ぶほどだった。
その場にいる誰もが、その一撃で全て終わる事を信じていた。