絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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白色矮星

 赤い輝きの嵐が収まったとき、ロードライトは全ての力を出し尽くしてその場に倒れた。魔晶巨兵は全身がズタズタになり、完全に沈黙したように見えた。

「ロードライト様!」

 氷魔の少女たちが慌てて駆け寄り、その身体を支える。

「ありがとう、大丈夫…でも、もうしばらくの間、戦う事はできそうにありません…」

「ロードライト様…」

 少女の一人が、ロードライトを抱えて立ち上がる。彼女を護りながら少女たちが立ち上がった、その時だった。

 魔晶巨兵の身体が、ギシギシと音を立てて、なおも立ち上がった。

「ま、まさか…」

 ロードライトは絶望するかのように呻いた。少女たちは戦慄しながらも、ロードライトの身体を守る事に全力を挙げた。

「あなたはロードライト様を安全な場所に!」

 ロードライトを抱えた少女にそう言うと、再び立ち上がる魔晶巨兵に少女たちは対峙した。だが、その巨体が足を鳴らすと、衝撃波で少女たちは吹き飛ばされた。

「きゃああ―――ーっ!!」

 少女たちが瓦礫に叩きつけられる様を、リベルタは残った左腕で必死に上半身を支えながら見ていた。

「百合香、お願い。みんなを助けて」

 震える声で、リベルタは太陽の輝きの中にいる百合香に呼びかけた。なぜ、そう思ったのか、リベルタ自身もわからなかった。

 魔晶巨兵は、ボロボロの身体を引きずるようにして、まだ立ち上がってくる。その狙いは間違いなく百合香だった。

「百合香!」

「百合香!」

 リベルタとマグショットが揃って叫ぶ。魔晶巨兵は、少しずつ百合香に迫ってきていた。もう、あと一歩で、百合香に腕を振るえる距離に到達する。

 その腕が、ついに百合香を叩き潰すため振り上げられた、その時、リベルタは叫んだ。

「百合香――――――!!!」

 その叫びに応えたのかどうか、百合香を包んでいた灼熱の太陽が、ふいに真っ赤な色に変色したかと思うと、突然あたかも星雲のような、巨大なオーラを周囲に放ち始めた。

「!?」

 全員が、その光景をまじまじと見た。そして次の瞬間、百合香を包んでいた真っ赤な太陽が収縮し、パーンとエネルギーが弾けた。

 

 星雲状のオーラが消え去った後に立っている百合香の姿に、リベルタ、サーベラス、ロードライトは驚愕した。

「ゆっ…百合香!?」

 それは、今までの百合香とは全く異質な百合香だった。肌は生気を失ったように青ざめ、その髪は鉛のような銀色に変色し、そして、全身を真っ白で重厚な鎧が覆っているのだ。

 その表情は、それまでの強い意志を感じさせる百合香のものではなく、何か悟り切ったような、あるいは絶望したような、冷たい表情だった。

「瑠魅香!瑠魅香、聞こえる!?百合香はどうしたの!?」

 リベルタは、百合香の中にいるはずの瑠魅香に呼びかける。しかし、返事はまるで違う方向から聞こえてきた。

『おーい、こっち、こっち』

「え!?」

『急いで。なんかヤバイよ』

 リベルタは、声がする方を見た。すると、そこにあるのは百合香が先ほど落とした、黄金の聖剣アグニシオンであった。そして、瑠魅香の声はアグニシオンから聞こえるのだ。

「まっ、まさかあなた…」

『うん、なんかね。百合香の中から弾き出されて、この剣に吸い込まれたみたい』

「どういうこと!?」

『あたしが知りたいよ。それより、悪いけど早く拾ってちょうだい』

 瑠魅香の言い分もだいぶ勝手ではあったが、ともかくリベルタは片腕でどうにか起き上がると、器用に弓を片手で背中にかけ、ダッシュして聖剣アグニシオンを拾い上げた。

「百合香はどうしたの!?」

『わからない。あたしが心の中で呼びかけても反応がない』

「百合香!」

 リベルタは、アグニシオンを抱えて百合香に駆け寄った。しかし、マグショットは叫んだ。

「百合香に近付くな!!」

「えっ!?」

「何かがおかしい!今の百合香は―――」

 マグショットがそう言った瞬間、百合香から何か得体の知れない力場のようなものが広がり、リベルタは弾かれてしまった。

「あうっ!」

『リベルタ!』

 リベルタは、柱の残骸に背中を打ち付けた。百合香は、無表情のままゆっくりと、魔晶巨兵に向かって歩き始めた。

「ゆっ…百合香…」

 リベルタの声は、まるで百合香には届いていない。百合香のオーラに一瞬怯んだ魔晶巨兵は、再び百合香にその右腕を振り下ろした。

「百合香―――!!」

 リベルタは叫ぶ。

 しかし、次に起きたのは想像もつかない出来事だった。

「えっ!?」

 リベルタは驚愕した。百合香は、魔晶巨兵が振り下ろした巨大な腕を、左手で難なく受け止めたのである。

「なっ…」

 驚くリベルタの眼の前で、百合香はさらに驚くべき事をやってのけた。その受け止めた魔晶巨兵の装甲に、白い鎧に包まれた百合香の指が猛獣の牙のごとく食い込んだのだ。

 もはや、驚きのあまりリベルタたちは声も出せなかった。百合香はそのまま物凄い力で魔晶巨兵の腕を引いて、その巨体を引き寄せた。

「あぶない!!」

 引き寄せた魔晶巨兵の巨体が、百合香に倒れてきた。しかし、百合香は右腕で、その胴体に思い切りパンチを喰らわせた。

 すると魔晶巨兵の胸が、まるで巨大な鎚で打たれたかのように陥没し、その衝撃で後方に大きく弾き飛ばされたのだった。

「つっ、強い…」

『でも、何か違う…あんなの、百合香じゃないよ』

 瑠魅香は冷静にそう言った。

 百合香は倒れた魔晶巨兵にゆっくりと近付くと、胸に脚をかけ、右腕を一瞬で引き千切った。その様子を、ゾッとしながらリベルタ達は見ていた。

 なおも百合香は攻撃を続ける。それは攻撃というよりは、無惨な処刑であった。関節を引き千切り、砕き、装甲を脚で打ち抜き、最後は腰椎を軽々とへし折り、魔晶巨兵はただの残骸の山と成り果てた。

 いったい、百合香に何が起きたのか。その時、瑠魅香はオブラから伝えられた、広報官ディウルナからの伝言を思い出していた。

 

『怪物と戦う者はその過程で、自らも怪物とならぬよう警戒しなくてはならない。我々が深淵を覗く時、深淵もまた我々を覗いているのだ』

 

 そう呟く瑠魅香に、リベルタは怪訝そうな顔を向けた。

「何それ」

『ディウルナから、百合香に伝えられた忠告』

「なんですって?」

 リベルタは、何か不吉なものを感じて百合香を見た。四人がかりで倒せなかった魔晶巨兵を素手で容易くバラバラに解体してみせたその力に、頼もしさよりも底知れぬ恐ろしさを覚えるのだ。

『百合香!』

 アグニシオンの中から、瑠魅香は叫ぶ。しかし、まるで百合香の反応はない。いつもの百合香なら、自分そっちのけでみんなの安否を確認しに来る筈である。

「どうしよう」

『リベルタ、頼みがある。私を、ギリギリまで百合香に近付けて』

「何する気」

『なんとか、百合香の中に入れないか、やってみる』

 瑠魅香の提案に、マグショットもリベルタも即答はできなかった。現についさっき、接近したとたん何らかの波動で弾かれてしまったのだ。

 すると、マグショットが指示を出した。

「一度だけだ。もし接近して、また同じように弾かれてしまったのなら、もう百合香には今までどおり接する事はできない、と判断する」

「…わかった」

 先輩格のマグショットによる指示は、リベルタ達が動揺しているこの場面では有り難かった。リベルタは瑠魅香が宿った聖剣アグニシオンを握り、ゆっくりと百合香の背中に近付く。

 先程までよりは接近できた。

「瑠魅香、いい?」

『うん。そのまま、剣を百合香に近付けておいて』

 リベルタは頷く。聖剣アグニシオンは、逆さまの状態で百合香の背中すれすれの位置に置かれていた。

 瑠魅香は、アグニシオンから百合香の肉体へと移動を試みる。

 

 しかし。

 

「あっ!!」

 アグニシオンは、百合香に弾かれた瑠魅香の魂と一緒に、弾き飛ばされてリベルタの手を離れてしまった。

『わーっ!!』

 瑠魅香の絶叫とともに、アグニシオンはリベルタの後方に投げ出される。瓦礫に何度も激突したあと、床をガラガラと滑ってようやく止まった。

「大丈夫!?」

『痛くはないけど、なんか感覚的には痛いような気もする』

「実際には痛くはないのね」

 リベルタはアグニシオンを拾い上げるため片膝をついて屈む。すると、そこに上腕部で折れた自分の片腕が落ちている事に気が付いた。

「あっ、わたしの腕」

『それ、元に戻せるの?』

 瑠魅香が訊ねる。

「わからない」

 腕とアグニシオンを一緒に抱えて、リベルタはマグショットを振り向く。

「マグショット、だっけ。どうする?」

「今の百合香に、迂闊に近付けない事はハッキリした」

「だからって、このままにできるわけない」

「そうだ」

 マグショットは思案したのち、再び口を開いた。

「瑠魅香、お前がさっき言ったのはどういう意味だ」

『え?』

「怪物と戦う者がどうの、という格言じみた話だ。広報官ディウルナからの忠告だと言っていたな」

『うん。オブラが、ディウルナからそう伝えろって言われたんだって。百合香に』

 マグショットは、それを聞いて腕組みして座り込んだ。幸いなのかどうか、百合香は全く動く気配がない。無表情で立ち、魔晶巨兵の残骸を見下ろしている。

「…そのディウルナという奴、百合香に関して何か知っているな」

「まさか!」

 マグショットの断言に、リベルタと瑠魅香は驚いた。マグショットは続ける。

「でなければ、そんな思わせぶりな忠告をわざわざ、オブラを使ってまで伝えると思うか?」

『そっ、それは確かに…』

「今の百合香の状態が、ディウルナの忠告と無関係ではない可能性も、あるとは思わんか」

 マグショットは探偵か刑事よろしく、得られた情報から分析を開始した。その指摘に、瑠魅香とリベルタも納得できる部分はあった。

「どうやらディウルナとやらに、直接会って確かめる必要がありそうだ」

『…ディウルナが敵かも知れないってこと?』

「敵とは限らん。だが、味方であるとしても、やり方が気に食わない事はある。話を聞くに、一筋縄ではいかん奴のようだしな」

 そう言うとマグショットは、リベルタを見た。

「お前達は兎にも角にも、まず回復を優先しろ。特にお前は…リベルタといったか。その腕では弓も引けまい」

 リベルタは頷きながらも、無言で佇む百合香を見て言った。

「百合香はどうするの?話もできない、といって近寄る事もできない。つまり、アジトに匿う事もできないのよ。だからって、ここに放っておくわけにもいかない」

『まあ、氷魔に襲われても殺される心配だけはなさそうだけどね』

 瑠魅香のジョークじみた指摘に、他の二人は頷く。魔晶巨兵を飽きた玩具のようにバラバラにできる強さがある以上、たとえ水晶騎士カンデラと戦っても瞬殺できそうである。

『私は、百合香を元に戻したい。今の百合香じゃ一緒に戦えない、とかいうんじゃなくて、友達として』

 アグニシオンから聞こえる瑠魅香の訴えに、意外な人物から返事があった。

「わたくしにお任せください」

 それは、配下の少女氷魔に連れられて退避していた、氷騎士ロードライトだった。ボロボロのドレスを着た人形が、ヨロヨロと歩いてくる。

「百合香さまのお身体、わたくしがここで見守らせていただきます。何かあればすぐに皆様に伝えます」

 その進言は、非常にありがたいものではあった。だが、リベルタは訝しげに返した。

「あなたを信用していいの?」

 その言葉に、ロードライトは強張った表情を見せる。リベルタは遠慮なく言った。

「マグショットと敵対した相手を、易々とは信用できない。もしマグショットの一件がないまま私達がここに来ていたら、間違いなく私達と戦っていたはずよね」

 するとロードライトは突然、瓦礫の山の上に膝をついた。

「わかりました。では、わたくしの首で、信用の証としてください」

 そう語るロードライトの背後に、手刀を構えた氷魔少女がいつの間にか控えていた。

「なっ…」

「あとの事は、この子たちに指示してあります。よろしくお願いいたします」

 ロードライトの言葉を受け、氷魔少女は何のためらいもなく、手刀に青白いエネルギーを込めて振り上げる。それがロードライトの首めがけて振り下ろされようとした、その時だった。

 何かが飛んで、少女の手刀を弾き、砕け散った。散乱したそれは、リベルタの落ちた片腕であった。ロードライトは驚愕の目で見る。

「なっ…何てことを」

「それはこっちのセリフよ」

 呆れとも、怒りともつかない表情をリベルタは向けた。

「信じられないくらい、不器用な人もいるものね。どこかの誰かみたい」

「どなたの事を仰られているのですか」

「ああもう、わかったわよ」

 もういい、とリベルタは手をヒラヒラさせた。

「あなたにお願いする。でも、これだけはお願い。百合香の存在を、城側に察知されないようにして」

「もちろんです。…ただし、もし仮に百合香さまが動き出された場合、我々の手で止める事はできないかも知れません」

「…もしそうなった場合は、手出ししないで。死ぬわよ」

 そう言うと、リベルタはアグニシオンを持って立ち上がる。

「マグショット、私たちのアジトに案内するわ。オブラに、ディウルナとのコンタクトを取ってもらいましょう」

「うむ。…道中、敵に出くわさないことを祈るとしよう」

 

 

 

 氷巌城第三層にある図書館から、水晶騎士カンデラが出て来たのはその日の閉館時刻だった。その手には、まとめられたレポートが握られていた。

 自分の居室に戻ろうと歩いていると、向こうから一体の、ほっそりとしたシルエットの長髪の氷魔が歩いてきた。

「おや、カンデラではないか。このところ顔を見なかったが」

「…お前か」

「ふふふ、これはご挨拶だ。そうそう、先日は何やら第一層で、例の怪物に食われた侵入者の死体を見付けたそうだな」

「うむ」

「城を騒がせた侵入者も、最後は呆気ないものだな」

 その言葉を、カンデラは複雑な気持ちで聞いていた。侵入者は水路の怪物に食われる直前、カンデラ自身と交戦して、おそらく致命傷を負っていたのだ。歩けたのが奇跡にも思えるが、怪物の前ではおそらく何ひとつ抵抗できず食われたのだろうな、とカンデラは考えた。

「話によれば、あのバスタードも怪物退治を試みて、敗れ去っていたというではないか。手柄を立てて第三層に戻るための点数を稼ぎたかったのだろうな」

「滅多な事を言うな。…まあ正直、バスタードはあまり肌に合わん奴ではあったが、城に対する忠誠心だけは持っていた奴だ」

「おっと、そうだな。俺とて、奴を悪く言うつもりはない」

 氷魔は、両手を上げて謝意を示した。

「そういえば、例の怪物だがな。研究班が派遣されて、解剖が行われているそうだ」

「なに?」

「うむ。これは、俺の筋から聞いた話だから、口外するなよ。怪物の腹の中の物は、砂のように粉々になっていたそうだ」

「一体、どういう怪物だったのだ」

 カンデラは腕組みして首を傾げた。地球上の生き物のように捕食して消化する氷魔など、聞いたこともない。

 だが、そこでひとつカンデラは気になる事があった。

「おい、その腹の中から、黄金の剣は出てきたのか」

「なに?」

「例の侵入者が持っていた、炎を放つという恐ろしい剣だ。あの剣も飲み込まれたのではないのか」

「いや、俺が聞いた話では、そんな情報はないな」

 長髪の氷魔は、伝聞の内容を思い出して確認したが、侵入者の剣についての情報などは聞いていない。怪訝そうに考え込むカンデラに、氷魔は訊ねる。

「あの剣がそんなに気になるか」

「い、いや…単に、どこに行ったのかと思っただけだ」

「そんなもの、身体や鎧とまとめて、怪物に粉々に噛み砕かれたのだろう」

 それ以外に何がある、と氷魔は笑ってカンデラの肩を叩いた。

「まあ、敵がいなくなって退屈しているのもわかるがな。じき、忙しくなるだろう。その時まで、せいぜい英気を養っていることだ」

「う…うむ」

 じゃあな、と長髪の氷魔は手を振って、その場を立ち去ってしまった。残されたカンデラは、立ち止まったまま考える。あの黄金の剣が、怪物の歯などに噛み砕かれるものだろうか。だが、水路の底にでも落ちたのでない限り、あんな目立つ物が誰の目にも気付かれないのは考えにくい。

 

 では、あの黄金の剣はどこに行ったのか。カンデラに、またも考え事の種がひとつ増えたようだった。


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