絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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剣闘士

 オーロラが不気味に輝く鈍色の空が、水晶のように澄んだ氷の窓から見える。

 豪奢な青い絨毯が真っ直ぐに引かれた大広間の最奥に、黒曜石のように滑らかに輝く素材で造られた座があり、そこに暗灰色の鎧を纏った何者かが足を組んで座っていた。顔は鎧と同じ色の仮面で覆われている。座は、その体格よりも幾分大きく見えた。

 

 その何者かは、座を立つと窓の前に行き、不気味に美しく広がる空を睨んだ。

 

 

 

 江藤百合香は、氷の階段を恐る恐る上り切ると、巨大な城の底部に開いている入り口に到達した。

 入り口の奥はやや長い通路になっている。100mより少し短いくらいか。学校の廊下より少し狭い。壁も床もゴツゴツしていて、とりあえず歩くためだけ造られた、という印象だ。

 

 学校指定の紐なしローファーは、こんな床面を歩くためには出来ていない。ファンタジーやバトル系の漫画やアニメで、紐なしローファーを履いた学生が悪役相手に飛んだり跳ねたりして戦っているが、あれはウソだろう。生きて帰ったのち本棚の漫画を読んだら、だいぶイメージが変わりそうだと百合香は思った。

「体育館でバスケのシューズ拝借してくれば良かった」

 そうつぶやいて、カチコチに凍ったシューズを拝借しても履きようがない事に気付く。

 

 そんな事を考えながら通路を進むと、通路は右に折れていた。

 壁じたいが微妙に透明感のある素材で出来ており、完全な暗闇ではないので、かろうじて視認はできる。注意しながら百合香は、通路を右に曲がった。

 すると、すぐに短い階段が現れた。奥は通路よりは明るく見える。

 百合香は、剣が手にあることを確認して、階段を上った先に何があるのかを確かめるため、身を屈めてゆっくりと移動した。

 

 物音を立てず、静かに階段から顔を半分だけ出す。すると、そこは通路だった。やはり切り出しただけの雑な通路だったが、だいぶ広い。ソフトボール部員がフルスイングで素振りをしてもお釣りがくる。

 等間隔で青白く光る、石のようなものが天井に埋め込まれていた。まさか電力など入っていない事は百合香もわかっている。たぶん、魔法のような超常的な原理の照明なのだろう。ここまで来ると、もう何でも頭に受け容れてやろうという気になっていた。

 前後どっちに進めばいいのかわからず、とりあえず階段から出てきた方向に向かって歩くと、通路は左に折れていた。

 

 その時の自分が迂闊だったと言われれば、そのとおりですと認めざるを得ない。百合香は何の警戒もせず、昼休みに図書室へ本を返しにでも行くかのように、その角を曲がった。

 

 本当に心臓が止まるかと百合香は思った。そこには、またもあの、青紫色の氷でできた、人形がいたのだ。しかも、ご丁寧に今回は槍まで持っている。

「!!!」

 本当に驚くと、悲鳴さえ出ないのだと百合香は知った。喉が引きつり、肩甲骨が持ち上がる。

 槍の人形は、百合香を認識すると当然のように攻撃してきた。百合香は焦ったが、戦闘も3度目である。突き出された槍を、ドリブルで相手をパスするようにかわすと、だいぶ細身の人形の右横に出た。相手は腕を突き出しており、胴がガラ空きになっている。

「えやっ!」

 百合香は、金色の剣で相手の手首を斜め上に斬り上げた。パーンと小気味よい音がして、砕けた人形の手首もろとも、長柄の槍が宙を舞い、床に落ちる。やればできるじゃないの、と百合香は心の中で自分に喝采を送った。

「ギィエエエ!!」

 鳥か獣かわからない不快な声を上げて、人形は残った左腕を落ちた槍に伸ばした。そうはさせまいと、百合香は間髪入れず剣を両手で振り下ろす。

「めーん!!」

 明らかに狙った先は面でなく小手なのだが、剣道部でもないので問題はない。ともかく、振り下ろされた剣は人形の左手首を切断し、槍を拾いそこねた人形はバランスを崩して、壁に激突した。

 チャンスだ、と百合香は剣を大上段に振り上げる。シュートできる一瞬のタイミングを突くように、人形めがけて全力で振り下ろした。

 

『ディヴァイン・プロミネンス!!!』

 

 再び、口をついて言葉が紡がれ、剣身が真っ赤な炎に包まれた。

 振り下ろされた剣は、炎とともに人形の頭から胴体を一刀両断し、割れたその身体は蒸発するように、光となって燃え尽きて行った。

 

「ふう」

 先ほどまでと異なり、百合香の呼吸は落ち着いていた。これは、戦いに慣れてきた証だと百合香は思った。スポーツも、慣れてくると疲労のしかたが変わってくる。たった3度の戦闘だが、スピードと一瞬の判断力が要のバスケットボールで培われた、百合香の経験値のなせる業だった。

 いける、化け物相手でも私は戦える、百合香はそう確信して、少しだけ自信を持つ事ができた。

 

 しかし、その自信もさっそく揺らぐ事になった。今の戦闘に他の怪物たちが音で気付いたらしく、同じ槍を持った人形が、今度は2体もガチャガチャと走ってきたのだ。

「わあ!」

 冗談ではない。百合香は咄嗟に足元に転がる槍を奪うと、歩いて来た反対方向に取って返した。

 しかし、百合香が握った槍は、百合香の手から拡がったエネルギーによって、だんだんと溶け出してしまった。

「何よ、これ!」

 役立たず、と百合香は通路に放り投げ、改めて自分の剣を構えて振り返る。

 再び剣に力を込めると、今度は大上段ではなく、横薙ぎに炎のエネルギーを撃ち放った。

「でえやーっ!」

 炎は、手前にいた人形の胴体を真っ二つにし、後方にいた人形の槍を打ち砕く。それに怯んだ人形は、一瞬その場に立ち止まった。

「せい!!」

 チーターのように一瞬で間合を詰め、切っ先を真っ直ぐに突き入れる。

「オゴエエエ!!」

 またも不気味な声を響かせて、人形はその場に崩れ落ちると、2体とも蒸発するように消え去ってしまった。

 さすがに2体も強引に倒すと、エネルギーの消耗がある。百合香は、他に追っ手がいない事を確認すると、身を潜める場所を探すためにその場を立ち去った。

 

 とても身を隠せているとは思えないが、通路の脇に少し凹んだスペースがあったので、百合香はそこに引っ込んで呼吸を整えることにした。

 予想できた事ではあるが、やはり城内には敵がいた。そして、どうやら敵にも色々な種類がいるらしい。最初に遭った2体は武器を持っていなかったが、さっき倒したのは槍で武装していた。

 ということは、他にも様々な種類の敵がいる、と見るのが自然だろう。

 

 それは、けっこう厄介な問題なのではないか。百合香は考える。槍があるなら、百合香と同じく剣を持った敵もいるかも知れないし、全く予想外のものを携えた敵だっているだろう。あるいは、文字通りの怪物もいないと断言はできない。

 

 再び、百合香を不安が襲う。私はとんでもない場所に、一人で乗り込んでしまったのではないか。

 今ならまだ、学校に引き返せる場所にいる。あの階段を降りるのはそこそこ恐怖を伴うかも知れないが。

 

 しかし、と百合香は思った。

 

「…何を、今さら」

 戻ったところで、無事でいられる保証はない。先に進めば、何かがわかるかも知れない。恐れてもいいが、立ち止まってはいけない、と百合香は剣を握りしめた。

 この剣があれば、何とかなる。それに、まだとてつもない何かをこの剣は秘めている、という確信が百合香にはあった。

 

 そういえばこれも今さらだが、この剣は一体何なのか。これがなければ、ほぼ間違いなく百合香は今頃、死んでいただろう。自分の中から現れて、氷の怪物を打ち倒してくれる、この剣はどこから現れたのか。やはり、自分の中にあったのか。持っている感覚では、2kgくらいあるように思う。これが外にある時と中にある時とで、体重は違うのだろうか。身体検査の時に、取り出してロッカーにしまっておけば、体重をサバ読みできないか。

 この状況でよくこんなバカな事を考えられるな、と百合香は自分にツッコミを入れる。案外と豪胆なのか、恐怖でおかしくなっているのか。

 

 兎にも角にも、百合香がこの剣を扱えるのは確かである。正体不明の怪物たちへの対抗手段がある、という事実は何よりも頼もしかった。

「よし」

 呼吸を整えて、百合香は立ち上がった。

まず、この城の正体を知ることが先決だ。どこまで情報を探る事が出来るのかわからないが、知らなくてはどうしようもない。

 

 そこで思うのは、あの怪物たちの知能程度だった。遭遇した個体は全て、動物並みの知能にしか思えない。

 氷の人形である時点で、人為的に生み出されたものである事はわかる。つまり、彼らを造り上げた何者かがいるという事だ。それは、高度な知性を持っている者に違いない。

 

 ―――知性。それは、ある意味では野生の本能よりも恐ろしい、と百合香は思う。本能で向かってくる野生動物は恐いが、知能をもって悪を行う人間も恐い。

 この城を奥に進めば ―進めたとすればの話だが― 、その何者かと対峙する事になるかも知れない。その何者かは、百合香に対してどう出るだろう。話が通じるか、それとも問答無用で襲いかかってくるだろうか。

「話なんて通じるとは思えない」

 百合香は歩きながら呟いた。これだけの事をしでかす存在が、説得に応えてくれるわけがない。

 

 そんなことを考えながらさらに通路を進むと、何やら奥から金属の打音みたいなものが聞こえてきた。一定ではなく、不規則なリズムだ。

 そして、聞き覚えのある濁った声も聞こえる。間違いない、あの氷の怪物の声だ。それも、大量に聞こえる。

 

 ――まずい。

 

 百合香は思った。どうやらこの先に、あの怪物たちが大勢いて、何かしているらしい。百合香を見付けたとたん、一斉に襲いかかってくるだろう。どう考えても、切り抜けられる気がしない。

 

 命の危機を覚えた百合香は、引き返そうと振り向いた。しかし、またしても百合香の心臓は止まりかけた。

「わああ!!」

 今度は声が出た。

 振り向いた百合香の前にいたのは、百合香より頭ひとつ以上背丈がありそうな、巨大な氷の鎧の闘士だった。

 百合香は、硬直して動けなかった。しかし氷の闘士は、なぜか攻撃してくる気配がない。

「……?」

 恐怖と混乱に陥っている百合香に、氷の闘士は全くもって意外すぎる行動に出た。百合香の両肩をがっしりと掴むと、振り向かせて背中をドンと押したのである。

「いたっ!」

 何なんだと闘士を見ると、今度は通路の奥を指差して、またしても背中を押してきた。痛い。

 行け、ということか。どうやら、怪物たちの声がする方に進ませようとしているらしい。それ以外に選択肢がなさそうなので、百合香は仕方なく前に進んだ。

 

 巨体の氷の闘士と共に歩くと、開けた円形のスペースに出た。その周囲がすり鉢状になっていて、座席のような段があり、多数の氷の怪物が座っている。

 

 見ると、氷の怪物どうしがスペースの真ん中で、剣を持って闘っている。その周りで他の怪物たちが声援、あるいは罵声を挙げていた。

 

 一目瞭然である。これは、闘技場だ。

 

 百合香を急かした巨体の闘士は、どこからか長柄の戦斧を持ち出してきた。

 闘技場を見ると、片方が相手の剣でバラバラに粉砕されている。勝った方はガッツポーズを取り、どこからか現れた係員ふうの氷の人形が、負けたほうの「死体」を片付けてしまった。

 いったい、彼らは何をしているのだろう。味方どうし戦っている。それも、どう見ても相手を殺すまでだ。あの氷の人形たちに「生」や「死」があるのかどうかは知らないが。

 百合香は、とにかく剣を握って、引き続き繰り返される闘技場の闘いを見守るしかなかった。ざっと見渡しただけで、闘う控えの剣闘士が20体はいる。上の観客席らしき場所にはその3倍はいそうだ。彼らに百合香が敵だと認識されたら、そこでもうお終いである。

 

 そこまで考えて、百合香はひとつ気付いた事があった。百合香が立たされているのは、控えの剣闘士たちと同じ場所である。

 つまり、信じられない事だが、彼らは百合香も自分達と同じ剣闘士だと認識している、ということではないのか。

 

 彼らに知性はない、という百合香の推測は正しかったらしい。同じような背丈で頭と四肢があり、剣を握っているということは、自分達と同じ剣闘士だと、そう認識されているのだ。だから、闘技場を後にしようとした百合香を、あの巨体の闘士は「おい、闘技場はあっちだぞ」と「親切心」で教えてくれたのだ。今まで生きて来た中で、いちばん余計なお世話である。

 

 何とか、隙を見て抜け出そう。どうせ知能は低い連中だ、一人抜けても気付くまい。そう思っていた百合香の希望は、秒速で打ち砕かれた。

 どういう順番になっているのか知らないが、百合香が闘技場の真ん中に出されたのである。

 

「ちょっ、ちょっと!!」

 完全に同類だと思われている。冗談ではないと思ったが、すでに対戦相手も剣を手にして百合香の前に進み出て来た。もう、闘う以外にない。

 相手は、最初にバス停近くで遭った個体と大差ない体格である。この程度、あの炎の技を繰り出すまでもなく勝てるだろう、という希望的観測のもと、百合香は剣を構えた。額には脂汗が浮いている。若干、破れかぶれの感は否めない。

 

 レフェリーのような人形が、サッと腕を降ろすと歓声が湧いた。どうやら、あれが決闘開始の合図らしい。対戦相手の剣闘士が、猛然と百合香に剣を振り上げて突進してきた。

「!」

 速い。ちょっと予想外だったので百合香は一瞬怯んだが、すぐに態勢を整えて、前と同じように相手の横に俊足で飛び込んだ。そして、がら空きになった側面から、剣を持った腕をはらい上げる。

 しかし、今度は簡単には行かなかった。相手は見た目より頑丈らしく、剣を叩き落とす事もできなかった。相手はすかさず振り向いて、剣を突き出してくる。

「くっ!」

「ギァアアア!」

 百合香は必死で相手の剣を躱す。今さらだが、自分の剣技は素人である事を思い出した。ふつうに考えれば、剣技をマスターしている相手には勝てない。

 

 どうするか。

 

 その時、百合香はどうしようもなく当たり前の事に気付いた。

 

 これはバスケットボールの試合ではない。

 

 要するに相手を倒せばいいのだ。チャージングも、ブロッキングもプッシングも、やり放題である。ホイッスルを鳴らしてファウルを数える審判もいない。

 そういう事なら、話は別だと百合香は考えた。

「アギャアア!」

 相変わらず奇声を上げて突進してくる剣闘士の剣を、百合香は何とか全力ではね返した。相手の腕が浮き上がる。その隙をついて、百合香は相手の胴体にチャージングを思い切り入れた。バスケットの試合なら、即退場レベルである。

 ドカッ、と鈍い音がして、相手は態勢を大きく崩す。間髪入れず、そのフラついた脚を思い切り引っ掛けると、相手は盾を取り落して転んでしまった。

 そこで、左足で相手の右腕を押さえ、今度こそがら空きになった喉元に、一気に剣を突き立てた。

 

 ボキッ、と嫌な音がして、相手の剣闘士の首が根本からゴロリと床に落ちる。闘技場は一瞬シーンと静まり、その直後に歓声が湧き起こった。百合香をわざわざここに連れて来たお節介闘士も、拳を突き上げて喜んでいる。百合香はどう反応するべきか迷った。こっちは、ここにいる全員を一気に葬れるなら即実行したいのだが。

 

 百合香は、まさか連戦なのかと身構えていたが、どうやらトーナメント制であったらしく、先ほどと違う控えの場所に立つように指示された。背後には巨大な闘士の彫像が立っている。知性がなさそうに見えるが、儀式的な概念も理解しているという事だろうか。

 ちゃっかり、対戦相手が落とした盾を頂いた百合香だったが、またしても盾が溶け始めてしまった。どうも、彼らの武器や防具は自分には装備できないらしい。

 

 完全に氷の怪物たちの同類扱いされてしまい、どうするべきか困惑する百合香の眼前で、次々と試合が続いて行った。

 


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