絶対零度女学園 【長編ローファンタジー】   作:ミカ塚原

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覚醒

 巨大な氷の剣闘士の左手に掴まれた戦斧の闘士は、その手が開かれると上半身がバラバラになり、闘技場の床面に呆気なく打ち捨てられた。

 

 その光景を見て、百合香の胸にはこれまで体感したことのない感情が押し寄せてきた。

 戦斧の闘士は、時間にすれば遭遇してほんの30分も経ったかどうか、という所である。彼が百合香を闘技場に連れて来なければ、こんな事態にはなっていなかった。

 

 だが、経緯はどうあれ、彼は百合香の命をこの巨大な剣闘士から、一度だけだが「護って」くれた。そこにどんな意思、意図、または感情があったのかはわからない。

 

 その彼が、ただ左手で握られただけで、動く事のない残骸に成り果てた。

 

 

 いま、百合香の選択肢は二つある。ひとつは、巨大な剣闘士が倒れている今のうちに、あの剣闘士のサイズでは入って来られそうにない通路に引き返す。

 

 そして、もう一つの選択肢は。

 

「…何よ」

 百合香は、金色の剣を握る手がブルブルと震えているのがわかった。恐怖で震えているのか。そうではなかった。

 

 百合香のまだ動く右腕は、自分でも驚くべき事だが、「怒り」に震えているらしかった。

 一体、自分の感情はどうなっているのか?自分自身でも理解できないが、あの呆気なく握り潰された戦斧の剣闘士に、百合香は学園の生徒達に対するのと変わらない感情を有しているらしかった。

 

 私は、氷の化け物に友情を感じているのか。

 

 百合香の胸に理解不能な感情が押し寄せた時、「それ」は爆発した。

 

「うああああ――――!!!」

 百合香の絶叫に応えるように、胸から再び太陽のようなエネルギー球が現れた。その炎に煽られて、身に纏っていた学園の制服や身に付けている全てが燃えるように消え去り、替わって黄金の「何か」が全身を覆っていった。

 

 それは、鎧だった。胴体、腕、両足を、剣と同じ金色に輝く鎧が、百合香の全身を覆っていった。腰には、見たこともないような美しい素材でできた、真っ白なスカートが巻かれている。

 

 ―――天衣無縫。

 

 その言葉が百合香の心に浮かんだ。

 

 何の意図も飾りもない、心の底からの純粋な感情の爆発。それが百合香に起こった。

 それまで、極めて不安定に発現していたエネルギーの全てを、百合香は理解できると感じていた。左腕の痛みもすでに消え去り、指先はおろか、髪の一本に至るまで、エネルギーが満ちているのがわかった。

 

 目の前で、巨大な剣闘士がゆっくりと立ち上がる。その足元に、百合香をこの闘技場に導いた闘士の、戦斧が転がっていた。

 

「ウウウウ…」

 巨大な剣闘士は、百合香の全身に満ちるエネルギーに、明らかに動揺しているらしかった。その証拠かどうか、ほんの数センチだけその足が後ろに下がった。

 金色の鎧を新たに纏った百合香は、戦陣の先頭に立つ勇敢な女王のごとく、一切怯むことなく、剣を手に一歩ずつ剣闘士に迫った。

「アゴオオオ―――!!!」

 巨大剣闘士は、恐れを振り払うかのように、百合香めがけてその大剣を振り下ろす。その刃は寸分の狂いも無く、百合香の頭頂を狙っていた。

 

 一瞬だった。カキン、と甲高い音がして、剣闘士の大剣の動きが停止した。

 大剣は、百合香の金色の剣によって、百合香の眼前で受け止められていた。

「でえいっ!!」

 百合香は全身に力を込め、剣を払う。剣闘士の大剣は、上方に大きく弾かれた。

「うりゃあ――っ!!」

 間髪入れず百合香は、金色の剣を一閃する。巨大剣闘士の手首は、木の人形が折れるかのごとく、いとも容易く砕け折れてしまった。

 支えを失った大剣が宙を舞い、百合香に向かって落ちてくる。百合香が無言で剣を払うと、大剣は一瞬で粉々に打ち砕かれ、蒸発して消えて行った。

 

 巨大な剣闘士は、それまでの百合香と全く違う力に、今度こそ恐怖の色を見せ始めた。一歩、また一歩と後ずさる。

 百合香は尚も相手を追い詰めるように迫りながら、落ちていた戦斧を拾い上げた。

 戦斧は金色の光の粒子になって空中に滞留し、そのエネルギーが百合香の左腕に吸い込まれるようにして消えて行った。

 

 百合香は、たじろぐ巨大剣闘士に向かって、その左腕で宙を払った。

 すると、左腕からまるで戦斧のような形状のエネルギーが放たれ、回転し、剣闘士の肩の関節を直撃した。

「ウルオオオオ!!」

 放たれたエネルギーは剣闘士の左肩に深々と突き刺さり、その腕は力を失って垂れ下がった。剣闘士は苦悶の叫びを上げる。

 百合香は、試みにもう一度、その戦斧を放てないか試してみた。しかし、それはたった一度きりの能力らしく、2発目を放つ事はできないようだった。

「なるほど」

 百合香は、冷静に自分の能力を理解すると、金色の剣を両手でしっかりと構えた。

「仇討ちってわけじゃないけど、見てて」

 足元に散乱する、戦斧の闘士の遺骸に向かって百合香はそう呟く。握られた剣には、エネルギーが満ちていった。

「このエネルギーが何なのかはわからないけど、使い方の基本はわかった」

 百合香は、柄から切っ先までエネルギーをコントロールできる事を実感していた。今までの、剣に任せて力を放り出していた感覚とは全く違う。

 それは、光と炎のエネルギーだった。この、凍結した闇の城と対極の存在だ。

 

 巨大な氷の剣闘士は、怒りに任せて突進してきた。力任せに百合香を叩き潰してしまうつもりらしい。

 だが、今の百合香は逃げる事など考えなかった。何者が向かってこようと、負ける気など微塵もない。床を揺らして向かってくる氷の巨人に、百合香は剣を構えて真正面から対峙した。

 

 金色の刃に、今までにない鮮烈な煌めきが満ちる。それは、熱を帯びた波動となって闘技場全体を揺るがした。その強烈なエネルギーに気圧され、氷の巨人は慄いて立ち止まった。

 

 百合香は剣を大上段に構えて、床を蹴った。その跳躍は、巨人の頭にまで到達する。

 ためらう事なく、百合香はその輝く金色の剣を、全身全霊の力を込めて、真正面から氷の巨人に叩きつけた。

 

『スーパーノヴァ・エクスターミネーション!!!!』

 

 白金に輝く剣身から放たれた巨大なエネルギーの刃が、氷の巨人の頭頂部から胴体を一刀両断し、切断面から放射状に眩いエネルギーが走る。

 着地した百合香は、その輝きを直視できず顔を覆った。稲妻のごとき重く鋭い破裂音とともに、巨人の身体は光とともに爆発四散し、壁や天井にまでとてつもない衝撃が走った。

 

 衝撃が収まると、百合香は顔を上げた。相手の巨体はすでになく、光の粒子となって空間を漂っている。

 攻撃の余波は、散乱していた他の剣闘士たちの亡骸もまとめて一掃したらしく、戦斧の闘士も共に光となって消え去ったようだった。

 

 床や壁面、天井にはあちこちに深い亀裂が入っており、自ら放ったエネルギーの威力に百合香は戦慄するとともに、この力があれば、この奇怪な城を奥へと進む事も可能かも知れない、と思い始めていた。

「……」

 結果的に、あの戦斧の闘士が百合香に何らかの覚醒を促した事になる。百合香は複雑な思いだった。

 彼は本来は「敵」のはずだ。それなのに、悪意らしきものを感じる事はなかった。なぜなのか。この先も、時々あの戦斧の闘士の事を思い出しそうな気がした。

 

 その時、百合香に聞き覚えのある声が聞こえた。

『百合香。見事でした』

 その声は、何度か聞こえたあとで途切れてしまった、あの女性の声だった。

「誰!?」

『声を届ける事しかできず、ごめんなさい。ようやくあなたの姿を捉える事ができました』

「何度も私に声を届けていたのは、あなたね!?」

 百合香は、今度こそ声の主を逃すまいと叫んだ。

『落ち着いて、百合香。まず、私の言う通りにして、その場から身を隠しなさい』

 言われた事の意味が、百合香にはわからなかった。

「身を隠す?」

『そうです。さあ、聖剣アグニシオンを掲げなさい』

「アグニシオン?」

 百合香は、握っている金色の剣を見た。この剣には名前があったらしい。

「アグニって、インド神話の火の神様の名前よね」

 何か関係があるのだろうかと思いながら、百合香は騎士が王に礼を示すかのような所作で、目の前に聖剣アグニシオンを掲げた。

『唱えなさい。"汝、我に女神の間へ至る扉を開くべし"』

「長いな」

 とりあえず日本語である事に感謝しつつ、暗記が得意な百合香は復唱した。

 

「"汝、我に女神の間へ至る扉を開くべし"」

 

 百合香が唱え終わると、何秒かの間を置いて、剣身が真っ白な淡い光を帯び始めた。

『百合香、闘技場の中の、エネルギー粒子密度が最も薄い部分を見なさい』

「え!?」

 いきなりそんな事を言われても、何の事かわからない。エネルギー粒子って何のことだ。

 そう思いながら周囲を見渡すと、さっき倒した巨人の弾けたエネルギーが、まだ滞留している事に気付いた。そして、その中で一箇所だけ、粒子の密度が薄い部分を百合香は見つける事ができた。

「あそこ?」

『そのとおりです。よく見付けましたね』

 ふつうに教えてくれればいいんじゃないのか、と百合香は思いながら、何となく何をすればいいのかわかった気がした。

「あそこに、剣のエネルギーを向ければいいのね」

『そのとおりです。急ぎなさい』

「急かさないでよ」

 言いながら、百合香は剣を水平に構えた。切っ先を粒子が薄い空間に向け、エネルギーを放つ。

 細い光が渦巻くように回転しながら、空間に吸い込まれるように消えて行った。その直後、空間に扉のようなものが出現した。

「何、あれ!?」

『急いで中に入りなさい。話は後です』

「中に化け物とかいないわね!?」

 一番確認したい事を百合香は訊ねた。怪物はそろそろ食傷気味である。しかし、声の主の返答はない。

 一瞬だけ躊躇ったあと、百合香はそのドアを開け、その奥に続く光の空間に飛び込んだ。

 

 

 

「今の波動は…」

 冷たく暗い広間の奥、黒い玉座に腰掛けた、暗灰色の鎧を纏う人物が低い声で呟いた。

「確かに、この城のどこかで、強大な熱のエネルギーが発生した」

 鎧の人物は、立ち上がると窓の前に立った。眼下には、巨大な城の全容が見渡される。青紫に輝く壁面に、オーロラの光が不気味に煌めいている。

「予想外の出来事ではあるが…予想外の出来事に対処するために、この城はある」

 そう言うと、その人物は漆黒の艶やかに光るマントをなびかせて、どこへ向かうつもりなのか、足音を響かせながら広間を退出した。

 

 

 

 空間に現れたドアをくぐって、眩い光に細めた目を開いた百合香は、壮麗な広い、石造りの空間にいる事に気付いた。それまで彷徨ってきた、氷の城ではない。

 その部屋は面積にすれば、50から70畳くらいはありそうだ。六角形をしており、天井には光る石がはめ込まれ、煌々と室内を照らしていた。中央にはやはり六角形の、人口の泉がある。水は、澄んでいてキラキラと輝いていた。

「きれい…」

 それまでの重苦しい空間から、正体は不明だが美しく落ち着いた空間に移ったせいで、百合香の緊張はだいぶ和らいだ。ここに居るだけで、体の疲れが癒されるような気がする。

「一体、ここは…」

『百合香、よくここまで辿り着きました』

 突然、部屋全体に声が響いたため、百合香はまたしても心臓が止まりそうになった。

『もう、そのように驚かないでください』

「そ、そんな事言われても…」

 声の主はやはりあの女性の声である。百合香は、ようやくこの声の主と会えるのかと思っていたが、姿を見せる気配はない。

「あなたは誰なの?ここまで、本当に命懸けだったわ。何度、死ぬかと思ったかわからない」

『ごめんなさい。あなただけに辛い思いをさせて』

「…訊きたい事が多すぎて、整理がつかないけれど」

 百合香は、中央の泉の縁に腰掛けると、ようやく一息つける事に心から安堵しつつ、質問した。

「まず、あなたが誰なのかを教えて」

 百合香の問い掛けに、ほんの少しだけ間を置いて、声の主は答えた。

『私に名はありません。ですがそれでは不便ですので、あなたの学び舎から拝借して、『ガドリエル』とでも呼んでください』

「ガドリエル?名前がない?」

 百合香は面食らった。明確な知性と意思を持ちながら、名前がないとはどういう事なのか。

『以前呼ばれていた名前はありますが、それも借りた名前です。カグツチなどと呼ばれておりました』

「カグツチ…日本神話の、火の神ね」

『名前を借りただけです。本来そう呼ばれている大元の存在とは、何の関係もありません』

「あなたは神?それとも、天使かしら」

『あなた方人間の感覚で、どう区分けしていただいても構いません。女神、守護霊、天使、あるいは物の怪でも悪魔でも、ご自由に』

 悪魔とはまた穏やかではない。名前どころか、存在そのものが曖昧なようだ。ただ、人間を超越した、霊的な存在であるらしい事はさすがにわかる。

「わかったわ、ガドリエルね。それでいいわ」

『ありがとう、百合香』

「姿は見せてくれないの?」

『お察しかも知れませんが、私には姿もないのです。もちろん肉体もありません。ですが』

 ガドリエルがそう言うと、泉の中央が渦巻くように波立って、その上に浮遊する、立体映像のような人の姿が現れた。それは、燃えるような真紅のラインが走った、黒い豪奢なドレスをまとう長髪の女性だった。髪もまた炎のような橙色に金色のメッシュが入り、頭には黄金のティアラが輝いていた。顔立ちは、なぜかバスケ部のコーチに少し似ている。

『あなたの中にあるイメージをお借りして、便宜的に姿を創造してみました。これでいかがでしょう』

「日本のヴィジュアル系バンドの衣装みたい」

 小さく笑って、百合香はうなずいた。

「いいわ。色々注文をつけてしまったようね、ガドリエル」

『どういたしまして』

「ガドリエル、それじゃ私が一番聞きたい事を教えてちょうだい。学園のみんなは、生きているの?」

 百合香の問いに、また少し間を置いてガドリエルは答えた。

『生きています』

 何とも素っ気ない返答である。しかし、その一言で百合香はだいぶ救われた思いだった。心から安堵し、深く息を吐く。

「良かった」

『ですが百合香、安心してよいわけではありません。私の力が完全であれば、彼女たちを守る事はできたのですが、力を封じられているため、あなた一人を救うのが限界だったのです』

 唐突にそう説明されて、百合香の思考は混乱した。

「…どういうこと」

『順を追って説明しなければなりません。あなたが何度も問い掛けた疑問です。この城は一体何なのか、という』

 そうだ。それは現時点で最大の疑問である。ガドリエルは、どうやら知っているらしかった。

「…この城は、一体何なの」

『この城は、あなたの言語で言うなら…氷巌城、とでも表現しましょうか』

「ひがんじょう?」

『そう。氷魔と呼ばれる、極低温の精霊たちによって生み出された、全てが氷でできた魔城です』

 やはりそうなのか、と百合香は思った。何もかも、全てという全てが氷で出来ているという、百合香の実感は正しかったのだ。しかし、氷魔とは何なのか。百合香が問うより先に、ガドリエルは答えた。

『今、全てを説明しても、疲れたあなたには理解が追い付かないでしょう。いずれ順を追って説明します』

「ちょっと待って」

 百合香は、ガドリエルを遮るように言った。

「まるで、この先しばらくあなたと付き合う事になるような言い方ね」

『ええ、もちろんです』

「答えて、ガドリエル。学園や街を救う方法はあるの?」

『あります。そのために、私はあなたを導いたのです』

 またしても、あっさりとガドリエルは答えた。やはり最初から、ガドリエルには目論みがあったのだ。現在、どこまで目論み、期待どおりに運んでいるのかはわからないが。

「どうすれば?どうすればみんなを助けられるの!?」

『細かく話すとだいぶ長くなりますが』

「…かいつまんで話してくれると助かるわ」

『いいでしょう。あなたの、この城における役割は』

 やや長めの間があった。部活のコーチに似たガドリエルの唇が動く。

 

『氷巌城の城の主を封印し、城と魔物を全て消滅させる事です』


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