カミハルムイ城主・ニコロイ王は、王宮広間の玉座に座り、微動だにしなかった。自ら「仏壇」と呼ぶこの席を、ニコロイは極端に嫌ってきた。亡き母アグシュナの思い出と密接に関わっているのだから、なおさらだ。だがここ1ヶ月ほど、彼は殆どの時間をこの玉座で過ごすようになっていた。
「ヘルガ大僧正様がお見えになりました」側近が告げた。
ニコロイは黙ってうなずいた。程なくしてヘルガが玉座室に入ってきた。CW勃発後、アズランのキリカ修道会は緊急の軍事体制を敷き、ヘルガを王国軍補佐として昇格させていた。ここ1ヶ月、ヘルガはずっとカミハルムイ領に詰めている。
「息子さんの具合は大丈夫かね?」ニコロイは尋ねた。
「ご心配頂きありがとうございます。先ほどタケトラ領主がカムシカ隊をよこしてくれました。アルノーは一旦アズランに帰そうと思います。フウラ嬢とアルノーは仲が良いので、ちょうど良いかと」
「そうか。済まないな、このような状況となって」
ヘルガは少しだけ微笑んだが、いつもの酷薄にも見える冷静な表情にすぐ戻った。
「防衛線の状況ですが、第2大隊への兵站補給を今朝指示しました。食料は向こう10日分を想定しています。一方で、ヒメア様の意向によりアズランの商業ギルドに対し、当面の食料供給のために即時の融資を実行すると…」
報告内容はごく当たり障りのない進捗確認だった。ヘルガは話をしながら、手元に筆と記録紙を持ち出し、何かを書き付けていた。
ニコロイはやはり微動だにせずに話を聴いていた。口頭での報告は単なるカモフラージュである。ウルベアの古代技術を用いたと推定される【からくり盗聴器】の存在が半月前に明らかになってから、ニコロイへの機密事項連絡は全てのこの方式で伝えられるようになった。盗聴器の発見は、ごく一部の幹部しか知らない事実だ。
「…となっております。では殿下、こちらにてサインをお願い致します」
ヘルガは話しながらメモを書き終えた。よく話をしながら全く違うことを書き付けられるものだと、ニコロイはいつも妙な感心を覚えていた。
手元に渡されたメモをニコロイは一瞥した。ニコロイは大きくうなずきつつ、ヘルガに目線を預けた。
「僧正、ご苦労だった。この通りにすすめよう。引き続き防衛線のケアを頼む。貴殿も体に無理がないようにな」
「解りました。ありがとうございます」
ヘルガはエルフの僧正を極めた者特有の、殆ど音を立てない優雅なしぐさで退出した。
ニコロイは今手に取ったメモを袖の奥にしまった。1時間以内には焼却しなければならない。ここからは時間勝負だ。ニコロイは素早く席を立った。
まずは、ラグアス王とルシェンダ様に連絡をせねば。その後、我々も行動を起こす必要がある。