夕闇が差し薄暗さが増す中、僕はTゲートに辿り着いた。
ゲートキーパーは最近完全にAI化されたらしい。つい先月までは、里菜さんの当番曜日を結構楽しみに来てたのだが、それもなくなり僕のモチベーションはこれまでないほどに下がっていた。
キーパーが話しかけてくる「識別窓を参照して下さい」。
言われたとおりに識別窓をのぞき込む。虹彩認証技術は現在のところ、個人認証とともに本人の健康状態まで判定できるところまで来ているらしい。
「…矢吹一太さん。個人認証出来ました。本日の訪問先を教えて下さい」
「入所管理局、衛藤麻里子局長補佐」
「…予定確認しました。お入り下さい」
入るとすぐ左手に、男性専用ゲートがある。女性用ゲートは通常の門扉だが、男性専用ゲートには厳重な鉄格子が設置されている。
最初ここに来るようになったとき、思ったものだ。突破しようと思えば、女性専用ゲートから簡単に突破されてしまうのではないか?幸か不幸か、それは杞憂だった。【ウーマンズランド】開設以降、そのような事故は1件も起きていない。
男性用ゲートは1回に一人しか通ることが出来ない。月末の各所定例訪問や、緊急事態発生時のインフラ整備要員が入所する際は、ここに長蛇の列が出来る。僕も一度、4時間近くかけてゲートを通る羽目になったことがある。
ゲートをくぐり終わると、14ある面談室の一つに通された。同時に、スキャンを終えた本日の納品物コンテナが、検収ロットに配置されているのが見えた。
面談室・会議室は、昔のテレビドラマ(僕はハイパーウェブのアーカイブでちょっと見たことがあるだけだ)で出てくる、「刑務所の面談所」を想起してもらうと解りやすいだろう。
面談者と被面談者(その95%以上が男性)の間に、超強化型ガラスでの仕切りが作られている。音と空気は相互に通すが、いざとなれば量子レベルの強化防弾柵に早変わりし、プロトン級爆弾の衝撃にも耐えられるらしい。
麻里子さんは、いつになく元気な感じだった。
「いらっしゃい。時間も遅くなってきたし、早速やってしまいましょう」
ラボからの納品物は年々少なくなっている。品目数もここ2年ほど全く変わっていない。検収そのものは10分かからずに終了した。
終わった後、僕は(自分で思うところの)持ち前の気安さで、話しかけた。
「麻里子さん、なんかいいことありました?」
【ランド】内で、女性をファミリーネームで呼ぶことは許されない。別姓闘争以降、この場所ではファミリーネームが完全な禁忌となっていた。
「…解っちゃうか。まあいいかしら、話しても」
麻里子さんは、ここでサウンドシールドを張ったのだと思う。口調ががらりと変わり、事務的な言い方がなりを潜めた。
「文恵さん、知ってるよね。」
「ええ。お話ししたことはありませんが、遠目で見たくらいには」
「今朝、レガシーボードメンバーを辞任したの。事実上の更迭ね。これで、初期のレガシーボードメンバーは全て交代となった。後任は私もよく知らないんだけど、レイラさんという24歳の子。思い切った措置を取ったものね」
「…なるほど。それでそんなに嬉しそうなんですね」
「ようやくね」
麻里子さんの言葉には、万感の思いが込められているように思えた。
男性からの一切の干渉を廃し、非武装中立を掲げ、女性だけの独立した疑似国家体制を目指した【ウーマンズランド】が設立されたのは、もう30年前だ。
その頃僕はまだ5歳だったが、当時の喧噪を何となく覚えている。母と非常に仲の良かった叔母が【ランド】の思想に共鳴し、早々に参画を決意したのだと聞いたのは、かなり後だった。
離婚を強いられる当時の叔母の夫は、当然ながら強く反発した。僕の2つ上の従兄弟も、母がいなくなるショックで不登校になっていたらしい。それでも、叔母は離婚を強行し、一人息子を置いて【ランド】へ行ってしまった。
現在の【ランド】の広さは500ヘクタール、セキュリティシステムの完成には5年を要し、ソラリス共和国から70億ドル近い資金が投入された。共和国のアーセナル前女王は、【ランド】創設者の一人だった。ソラリス共和国そのものが【ランド】と統合される、と言う噂も、ほぼ既成事実として語られていたらしい。
麻里子さんの話は続いていた。
「結局、レガシーボードメンバーは、本当の意味でのリーダーじゃなかったのよね」
「フェミニストと言われる人たちはね。闘争と革命が生き甲斐なの。常に何かに抗って、戦い続ける。敵がいないと、自分の存在価値を見失っちゃうのかもね」
「【ランド】が出来た頃は、彼女たちがみんなヒーローに見えた。違うか、ヒロインね。ここはまさに理想郷に思えたものよ。【ランド】の人口もうなぎ登りだったし」
麻里子さんの話は問わず語りの思い出になってきていた。
改めて、彼女の顔を見やる。眉間の脇に2cmほどの傷跡が、うっすらと浮かんでいる。
まだ21歳だった彼女が前夫のDVに耐えかねて、娘さんを連れて23年前に【ランド】に駆け込んだ…という話を聴いたのは、2年ほど前だった。彼女との付き合いは4年以上になるが、ご本人と話していても直接そういう話は全く出ない。
「責難は成事にあらず、って、誰の言葉だったかしら。結局、あの人達は誰かと戦って自分を示すこと以外出来なかった。人々をまとめたり、導いたり、悩みを聴いて共感したり、そういうことが一切出来ない人たちだった」
「ラボの方はどうなの?」
突然、麻里子さんが話を変えてきた。
「まあまあ、いつも通りですよ。バイオメトリクス関連の予算が少し盛り返しそうで、所長は喜んでますけど」
「そう。貴方の研究は?」
「ちょっとブレイクスルーがありましてね。それは…まあいずれ、キチンとした形で発表出来ると思いますが」
ひとりでに口が動きそうになったが、すんでの所で堪えた。麻里子さんは、微笑みを浮かべて僕の顔を見ている。
「そういえば、アーセナル前女王が見つかったそうですね」
「ああ、そうね。正式発表はかなり先になると思うけど」
「精神の均衡を完全に喪ってるとか」
「まあ、しょうがないかな。あんな形で【ランド】を追われてしまって。ソラリスは自国内にかくまうオプションをまったく持ってなかったみたいね。上海特区が保護してるのじゃないか、といううわさは前からあったけれど。
まったく、彼女以外の【レヴィンの災い】当事者は、そのほとんどが何の制裁も受けてないのに…」
わずかではあったが、表情の変化を隠すことが出来なかった。麻里子さんはとっさに気づき、口ごもった。
「…ごめんなさい」
「いえ」
彼女だって、こっちの事情を断片的に知っているに過ぎない。少なくとも麻里子さんは何も悪くない。大半の人は、何も悪くない。
「それでね」麻里子さんは話を続ける。
「…来月、ここを出ようと思うの。娘の結婚も決まったし」
「そうですか」
「長かったわ。少なくとも文恵さんがいる間は出るわけに行かなかった。【レガシーディバイド】からこっち、彼女の支持者は減る一方だったけど、完全に影響力がなくなったわけでなかったし、それに…」
「見捨てるわけにもいかなかったと」
「そうね」
【レガシーディバイド】は、【ランド】内の最初の抗争だった。その後の数度の抗争を経て、内戦と呼ぶべき【レヴィンの災い】で【ランド】は大きな傷を負い、男子社会との交渉・外部への女性流出を認めた。それ以来、【ランド】内人口は減少の一途をたどっている。
麻里子さんと文恵さんの関係性は、よくわからない。レガシーボードメンバーの中でも筋金入りの強硬派として知られた人物だったが。いろいろあったのだろう。
「行き先は決まっているんですか?」
「まあね。落ち着いたら連絡する。セキュリティ制限が解けるまで時間がかなりかかると思うけど」
「わかりました。」
一瞬だけ躊躇したが、思い切って言ってみた。
「僕が言うことじゃないと思いますけど、よかったですね」
「ありがとう」
切れ長の目の奥から、麻里子さんはもう一度僕をまっすぐ見つめた。
「…一太さん、あなたも元気で」
その目線で確信した。
この人は、僕が何をしてきたのか、多分察している。
回収した納品ボックスを見つめながら、この7年間を思い返していた。
ラボからの納入物資は、ほとんどが生活必需品だ。医薬品や生理用品などもある。【ランド】住民の全員が、間違いなくラボの納入品を用いる。
その中に、僕はある仕掛けを施していた。ラボの研究成果の転用、浸透圧を無視してヒト細胞の内部構造に進入し、細胞の活性化や老化をコントロールする、ある種のデバイスだ。単なる無機化合物なので、病理学的には何も証拠を残さない。
今日の納品物は、仕掛けを起動するいわば「起爆装置」だった。これまでの化合物を順次活動開始状態にし、老化をかなり劇的に早める。おおむね、50歳以上の女性に特に効果があり、ほとんどの人が向こう5年~10年の間に、老衰で死ぬだろう。
40歳以下の世代に大きな影響はない。若干、妊娠がしにくくなる可能性はあるが、その際の解除ロジックも、僕はラボ内で押さえてある。
繰り返すと、今日で全員引退したらしいかつてのレガシーボードメンバーは、長くても10年以内に全員死ぬことになる。
【レヴィンの災い】。
一連の抗争が激化し、【ランド】のインフラ整備のために特別派遣されていた無関係の男性作業員たちが暴徒の襲撃を受け、虐殺された。犠牲者は250人に及ぶ。
この事件で【ランド】内では数名の逮捕者が出たが、レガシーボードメンバーは誰一人として責任を取らなかった。代わりに、形式的なトップを努めていた旧ソラリス共和国のアーセナル前女王がすべての責任を取る形で、【ランド】から追放された。
僕の父は、かなり最後のほうに身元が確認された犠牲者の一人だった。あとを追うように、その半年後母は脳溢血で亡くなった。
もともと生体工学研究を行っていた僕は、母の死後すぐにラボに入り、【ランド】の混乱に乗じてラボに働きかけ、取引を開始し、バイオ工学系の物資取引・搬入を一手に引き受けた。ちょうど【ランド】と外界との接触機会が増やされるようになったことも、幸いした。
僕は責任者として、毎回必ず自ら物資を選択し、納品を行う体制を確立した。
ただ一人心配なのは、麻里子さんだった。計画を実行しても、まだ50歳になっていない彼女への影響は最小限にとどまると思いたかった。だが、影響個体差を完全に予測することは不可能だ。おそらく、40台・30台の女性たちにも被害はある程度及ぶ。
今日の納品は、一種の賭けだった。おそらく麻里子さんは【ランド】を去ると踏んでいたからだ。
これでもう、後ろ髪を引かれることもない。
これから、少なくとも5年見守らなければならない。この目で【ランド】の凋落を。
自分でここに来るのはもう最後のつもりだった。里菜さんも麻里子さんもいないんじゃ、ささやかな楽しみもない。そういえば、里菜さんはどこに配属されたんだろうか。
すっかり暗くなった空を見上げ、僕はステーションシャトルに乗り込んだ。