女の子にした私が言うのもなんですが、秀吉からアレをとるのはナンセンスだと思います。
でも女の子になった秀吉も見たいんです。心が2つある〜
演劇において重要な要素は多々あるが、その中の一つとして自己管理の徹底が挙げられる。
舞台に立つ役者は集中力に体力に加え、言葉や表情、果ては着ている衣装の動きまでも利用する卓越した表現力が求められる。
そして、それらを生み出すのは他でもない役者自身の肉体であり、
自他ともに認める演劇バカである
だからだろうか。
「……なんじゃ?」
昨年度の冬に当時の3年生と繰り広げた
日課であるランニングと発声練習に取り組むために起床した秀吉は、太陽の光が自室の窓から洪水のように流れ込み、掛け布団に不定形な図形を作っていく様子をベッドの上で身を起こしたまま眺めつつ、頻繁に女子と間違われる端正な顔立ちをくてんと横に傾けた。
昨晩床に就いたときには感じなかった明らかな違和感を、秀吉は起床して間もなく覚えていたからである。
それまであったものを失ったような、なかったものを得たような……。
「風邪……ではないようじゃが、なにやら釈然とせんのう。早いうちに原因を突き止めてスッキリしたいものじゃが」
言いようのない不安感に苛まれつつも、今自分にできることは無さそうだと早々に判断した秀吉は、気分を切り替えるために歯磨きや洗顔の前にランニング用のウェアに着替えることにした。
ベッドから降り、クローゼットからウェアを取り出した後に着用していたパジャマの上着のボタンをぷちりぷちりと上から順に外していく。そして、下がっていった両手をそのまま流れるように履いていたジョガーパンツに掛けて下ろそうとして、
「◎△$♪×¥●&%#+▼$~~〜〜ッッッ!?!?!?」
朝の木下家に怪鳥の鳴き声のような悲鳴が響き渡った。
「うっっっさい!! 今何時だと思ってんのよ秀吉!」
直後、荒々しい音を立てて部屋のドアが開け放たれる。
現れたのは寝惚け眼を擦りながらも全身から殺気を立ち昇らせている、桃色のパジャマを着た秀吉と瓜二つの容姿の少女。双子の姉の
先の絶叫で安眠を妨害されたからだろう、既に
「あ、姉上! ワシから盗ったのか!?」
「はぁ? 何の話をしてるのよ。とにかく、アタシはまだ寝ていたいんだから静かに──」
「何の話も何もなかろう! 盗ったのならば早くワシに返して欲しいのじゃ──!」
「──ワシの
◆ ◆ ◆
「朝から姉にセクハラだなんて剛毅じゃない秀吉。その度胸に免じて4つ目は勘弁してあげるわ」
「うむ、申し訳ない。気が動転していたのじゃ」
頭部に拳大ほどのタンコブを3つ作った秀吉は、床に倒れ伏しながらも優子に謝罪した。
確かに起きがけにするような会話ではなかったとはいえ、あの発言の直後足払いを喰らってマウントポジションを取られ、ゲンコツを叩き込まれるまでの流れがあまりに無駄がなく流麗だったものだから、驚きのあまり逆に冷静さが戻ってきたようだ。
むしろ優子の
「で? 何があったのよ」
うつ伏せになった秀吉を下敷きにするように、彼の臀部付近に腰を下ろした優子が尋ねてくる。
一応姉弟だからか、秀吉の身になにやらただならぬ異常が起こっていることは察知しているようで、意志の強さを感じさせる瞳からは微かに弟の身を案じる意思が感じられた。
「それなのじゃが……」
正直な話、「何があった」かは、未だに秀吉本人も全貌を把握できていない。それほどに今朝自身の身に起きた現象は不可解かつ衝撃的なものであるからだ。
ただ、可能な限り端的に表現するならば。
「ワシは……女子になってしまったようじゃ……」
「は?」
とどのつまり、そういうことである。
昨晩まであった
それらを総合して考えてみると、どう考えても自分は「女子になった」と解釈するしかない。受け入れ難いことだが。
非常に受け入れ難いことではあるが!
「なにそれ……? ありえないでしょ」
「ワシも同感と言いたいが、実際そうなっているのじゃからそうも言ってられんっ」
訝る優子に、手足をバタつかせながら答える秀吉。
そう、どれだけ否定しようとも事実はこれ以上ないほど間近に突きつけられている。否定しても意味がないし、しようもない。
ところでいつになったらこの姉は自分の尻から降りてくれるのだろうか。
そう秀吉が思っているとおもむろに優子が腰を上げ、秀吉が着替えかけたままのパジャマの下に手を差し込み、体をゴソゴソとまさぐり始めた。
「あ、姉上、何を」
「確認よ。体つきは元々貧弱だったから変化はよくわからないけど……うん……うん……」
「待つのじゃ、そこは……ひぅっ!」
「本当に無くなってるわね。それに胸も柔らかく……ん?」
無遠慮に服の中を撫で回され、秀吉の口から熱っぽい吐息が漏れ出す。
「ひぁ、んんっ! あ、姉上……!」
「なんだか若干アタシのより大きいような……!? なんでこのバカのポッと出の胸に負けなきゃなんないのよ……!」
「あっ……! 姉上違っ……! それは取り外しできるものでは……!」
無遠慮に胸部装甲を引っ張られ、秀吉の口から苦悶の声が漏れ出す。
相変わらずの恐ろしい握力だが、なんの前触れもなく理不尽に矛先を向けられるのは御免
しばらくして確認を終えたのか、優子が憮然とした態度ながらも納得したように溜め息を吐いた。
「信じられないけど本当に女子になってるみたい。現時点でもアタシより人気があるらしいのに性別まで変わるなんて、忌々しいことこの上ないわね──今のうちに始末しておこうかしら」
「り、理不尽じゃ! ワシとてこの現状は望むところではないのに!」
据わった目つきでボソリと呟いた優子から秀吉は素早く距離を取った。
肉親である優子を除き、秀吉の性別を正しく認識している人物として主に友人の
それは秀吉にとっての心の拠り所が自宅を除いて完全に消失することを意味しており、是が非でも避けなければならない事態でもある。
いや、誤解ではなく実際に性別が変わっているのだから、自宅での扱いすら危うくなる可能性も十分にある。両親にも極力現状の露見は避けるべきだ。
「故にワシは一刻も早く元の体に戻らなければならんのじゃ! 姉上にも助力を願いたい!」
「協力といってもアタシにできることは特に無さそうに感じるけど……まあ、いいわよ」
「よ、よいのか?」
「なによ、自分から頼んできたくせに」
アッサリと秀吉からの協力要請を受諾した優子に秀吉が拍子抜けしたように目を丸くすると、優子は苦虫を噛み潰したような表情をして続けた。
「仕方ないじゃない。女になったアンタがこの先妙な性癖を持った彼氏を作ったりしたら、巡り巡ってアタシまでそういう趣味の人だって見られるかもしれないし」
「中身は男なのじゃから彼氏なぞ作らんが!?」
なぜこの姉といい自分の友人たちといい、自分に恋人ができるという仮定をした際に決まって相手の性別が男になるのだろうか。
いや、今回は身体が女なのだからそれが自然なのだろうか? 考えると気が滅入ってくる。
「同性愛を否定する気はないわよ。ただ、以前アンタと入れ替わってから、一部からはアタシの異性の趣味は倒錯したモノとして見られかけてるんだからね。加えてアタシに風評被害をもたらしたらタダじゃおかないわよ」
「いや、姉上の異性の趣味が倒錯しておるのは事実じゃ(メキッ)ああああ姉上! ワシの腕はそっちには曲がらな……っ!」
「創作の趣味と現実の趣味は違うって何度も言ってるでしょうが! とにかく、その体でいる間はいつも以上に誤解を招く言動に気をつけなさい! いいわね!」
「りょ、了解じゃ……」
結局優子の関節技を喰らう羽目になり、秀吉は息も絶え絶えに優子の言葉に頷いた。
「それにしてもコレはそういう病気なのかしら……? だとしてもあまりにも急すぎる気がするし……何か他に原因が……」
この短い間に三度痛めつけられ、既に瀕死の秀吉を尻目になにやらぶつぶつとつぶやきながら考えを巡らせている様子の優子。
秀吉も最近は、数ヶ月前の演劇にすべてのリソースを振っていた頃と比較すれば勉強もできるようになったと自負しているものの、それでも成績は優子には到底及ばないし、こういった状況で必要となる思考力・推測能力に関しても同様である。
余計な口を挟むと今度こそ致命傷を負わされかねないので秀吉が口を噤んで見守っていると、ある程度考えがまとまった様子の優子が質問をしてきた。
「一応聞くけど、そうなった心当たりはないのよね」
「まったくない……と、言いたいところなのじゃが。よくよく考えてみれば、ないこともないのじゃ」
「へぇ?」
興味深そうに秀吉の次の言葉を待つ優子。
そう、今の秀吉のように誰かの性別が反転したという話に覚えはないのだが、それと同じくらい摩訶不思議な──『異なる二人の人格が入れ替わる』という事態が人為的に引き起こされたケースを、実際に目の当たりにしたのを秀吉は思い出したのだ。
現実に起きた非現実的な現象、という点以外に一切共通点はないのだが、今のところそれしか縋れるような心当たりは秀吉の中にはなかった。
すなわちそれは、
「
「代表の?」
秀吉たちが3年生に進級して行われた振り分け試験の結果、優子や雄二、そして霧島
昨年度でも優子と翔子が所属していたAクラスの代表は翔子であったため、優子が「代表」と呼称する人物は引き続き翔子のこととなる。
「うむ。性別の反転とはまた違うが、こういった面妖な現象を引き起こす心当たりのひとつとして、霧島が所持していた本が挙げられるのじゃ。というか、現状ワシにそれ以外の心当たりはない」
「どういう本なのよそれは……。とりあえず、学校で代表に話を聞いてみるしかないってことね。わざわざ秀吉を狙う理由が代表にはない気がするけど」
「そうじゃな……」
仮に例の本を利用して他人を女子に変える術があったとして、翔子が秀吉の性別を女にしよう! という考えに至る経緯がわからない。
しかし、なんにせよ自分たちに今できることは他にない以上、彼女に話を聞いてみるしかないだろうというのが優子と秀吉の出した結論であった。
「そうと決まればさっさと学校に行くわよ。ったく、アンタが騒いだおかげで、もうすっかりいい時間じゃない」
「申し訳ないのじゃ……」
優子に促され、肩を落としつつも登校の準備を始める秀吉。日課のランニングと発声練習をサボったのはいつぶりだろうか。
普段の日常通りの行動をとっていると、余計に普段とは違う体が気になり、秀吉は悩ましげに呻いた。
「うぅ……早く……、一刻も早く男の体に戻らなければ……」
突如自分の身に起こった原因不明の超常現象。
その影響で発生し得る今後の学園生活における安寧の危機。
さらにその影響で予想外の方向から迫り来る生命の危機。
たった一晩で生まれた数多の懸念に秀吉は頭を抱え、再びベッドに潜り込んで目を覚ませばすべてが夢だったということにならないだろうかと考えるのだった。
続きはまた来年!(不定期更新)