「空き部屋は人の手を入れないとすぐに傷むんですよ」
そこの掃除はもういいよ、と止めた真一郎に、少年は真顔で返した。
「もったいないんで。今夜の夢が朽ちたボロボロの部屋になりそう」
「そんなに?」
せかせかと掃除をする背に、ありがたいけどよくやるよな、と真一郎は思った。万作の葬式からは一週間、万作の自室が空き部屋になってからは、半月が経過していた。
役所の手続きは次から次へと、いちいち細かく難しく、 疲弊した頭ではなかなか読み解きにくいものだった。かつて申し訳無さそうな顔で開業申告についていろいろと尋ねてきた少年は、慣れた手つきで書類を選り分け、本当は俺が書いちゃだめなんですけどと弁解しつつ、書き込まれた申請書を差し出した。申し訳無さそうな顔はかつてとあまり変わりない。
「人に恵まれてるよなあ、万次郎」
真一郎の言葉に応えはなく、行き場のない独り言のごとく、空気に溶ける。実際そう大差もないと評価する者もいるだろう。彼の弟はすっかり無口になってしまった。
「風鈴どうします? 十月ですし、さすがに片付けちゃいますか」
「あー。……いや。もうちょっと置いとこうかな」
「さいで。じゃあちょっと拭いちゃいますね」
風に吹かれるたびに涼やかな音色が鳴る。夏場は雰囲気だけでも涼しさをもたらした。まだ置いておいてもいいだろうと真一郎は考える。ときどき、突然夏日のように暑い日もあるわけだし――万次郎の誕生日は真夏の真ん中にあったが、万次郎は起きてこないまま、またひとつ年をとった。
「はい、アンタのぶんと、エマのぶん」
「まじでサンキュー、助かる……あー、えっと、あのさ」
「なんすか」
「……こんなん俺が言うのもだけど。その、エマのこともうちょっと気にかけてやってほしくて」
真一郎の言葉に少年は眉を上げて、続いて、視線を脇に振った。
「……俺はあくまでも他人ですから、家族のようにはいきませんよ」
「うん。知ってる。ごめんな。無理言ってんのはわかってる」
「……つっても、アンタがいろいろと忙しいのはわかりますからね。あれだったら万次郎の介助、少し代わりましょうか? 連日とかはさすがに俺でも難しいですけど、今でもときどき代わってますし、その間にエマと」
「あー……万次郎のこともあるけど、なんつーか、俺は気の利いたこと言えねえし。……兄貴っぽいこともできてねえし。俺みたいなやつが気ィ回すより、エマのためになると思うんだ」
少年は、真一郎の言葉を聞いて、なんというか真一郎の語彙では正しい形容が思いつかなかった——変な顔をした。
「……どうした?」
「……まァ、俺のやれる範囲でやりますよ。約束できるのはそれだけですけど」
「うん、ウン助かる! ありがとな!」
一瞬、違和感があった。真一郎にも。飲み込まれた言葉は確かにあったことを真一郎も勘づいた。
それでも、彼は疲れていた。
本当に疲れていたのだ。
住み慣れた家を売り払い、引っ越して、風鈴は荷運びの際に割れてしまった。小さなアパートには、カーテンレールにちゃちな鈴をくくりつけるくらいのことしかできなかった。
ちりちりと、空き部屋に、金属めいた高音が鳴り響く。 風鈴のように尾を引いて溶けるような音でもなく、安物の鈴の音はすぐに断絶する。
数日前まで万次郎の自室だった空き部屋。
窓は大きく開いたまま、時折風が吹く。
そのたびに音が鳴る。
二〇二五年も終わりに近づきつつあります。
東京リベンジャーズ三天戦争編は二〇二六年放映予定。よろしくお願いします。