やはり俺の行きつけがリコリコなのはまちがっている。 作:百合の間に八幡挟む
「『──ということは、逆説的に青春を謳歌していない者のほうが正しく真の正義である』」
喫茶リコリコと言えば、錦糸町北口から先に広がる静かな下町の、ほんの少しだけ入り組んだ先にある喫茶店である。
知る人ぞ知るというほどではないが、いわゆる隠れ家チックであるリコリコは木造建築で、下町に馴染んでいるとはお世辞にも言えないが、しかし良い意味で浮いているとも言える、少々小洒落た喫茶店だ。
落ち着いた──ともすれば、少しだけ大人向けのデザインでありながらも雰囲気は良く、手入れは行き届いており、妙な魅力のあるそこは行き交う人の足を止めてしまうことだろう。
客層は幅広く、それでいて治安が良い。
いつもであれば数人ほどの客がいるのだが、この日に限っては珍しく一人だけだった。
その中でアルバイトであろう、金に近い白髪の少女が俺の作文を読み上げている。
「『結論を言おう。リア充爆発しろ。』……だって! あっははははは! ヒッキー馬鹿じゃん! そりゃ怒られるに決まってるよ!」
「うるせぇな……」
俺の小言を意にも介さず、隣でケラケラと笑う少女の名前は
この『喫茶リコリコ』の店員であり、どこの学校に通ってるのかも分からん謎の女子高生である。
字面に起こすとヤバいやつ感が凄いな。
この通りテンションがやたらと高く、如何にも陽キャと言った女子だ。
「つーかヒッキー言うな。まるで俺が引きこもりみたいじゃねぇか」
「えー? 良いじゃん、可愛くない? ヒッキー♡」
「うわっ……」
「何鳥肌立ててんだよっ!」
ぅおーいっ! と元気良く俺を叩いてくる錦木。端的に言ってかなりうざかった。
なに? 今どきのジョシコウセイってやつは全員こんなもんなの?
クラスメイトの女子は全員俺を視界に入れもしないんだけどな……。まあ、それは男子もなんですけどね。それって全員じゃねぇか。
「しっかし、くひひっ、これって課題なんだったんだっけ?」
「……『高校生活を振り返って』だ」
「ふっ、ふふっ……あはははは! それで犯行声明を書き上げるとか、やっぱヒッキー変!」
余程つぼにハマったのか、再びカラカラと錦木は声を上げて笑い出す。
ここまで来るといっそ鼓膜破壊兵器にも思えてくるほどで、軽く眉を顰めた。
いつもであれば「こら、千束」なんて言ってブレーキをかけてくれる店長も、今は少し席を外している。
こいつと二人になるくらいであれば、そもそもここに寄りすらしなかったのだが……。
己の不運を嘆いていると、軽く頭をはたかれた。
「こーらっ、私といるのに目をドロドロ腐らせないの!」
「理不尽過ぎない? そもそも腐ってないから。良く見ろ、超活き活きとしてるだろ」
「んー、どっちかって言うまでもなく、腐った魚の目かな」
「……DHA豊富そうで良いな。賢そうだ」
ぷはっ、と錦木は笑みを深める。何でもかんでも笑い過ぎだろ。箸を転がしても笑う年頃ってのは怖いな。
「私、ヒッキーのそういう捻くれてるところ、結構好きだよ」
「そうか、奇遇だな。俺も俺のこういうところを気に入ってるんだ」
「つまり……私たちって相思相愛!?」
「どういう思考してたらそうなるんだよ」
相思してないし相愛もしてなかった。思ってるのも愛しているのも俺だけなんだよな。
以前までは錦木のこういう発言にドギマギさせられたものだが、もう一年近い付き合いになる。
流石にいい加減慣れた。
こいつは軽々しくそういうことを言うやつなのだ。
中学時代の俺が出会っていたら思わず告白してフラれていただろう。いやフラれちゃうのかよ。
「それで? なーんでこんな作文書いちゃったの?」
「お前は先生かよ、ちゃんと振り返った結果だっつーの。近頃の高校生なんてこんなもんだろ」
「穿った見方ばっかりするぅ……こういうのって普通、自分の生活を振り返るものなんじゃないの?」
「それも先生に言われたっての。ったく、そうならそうと前置きしろよな」
「出た! ヒッキー特有の屁理屈!」
「俺特有ってなんだよ……屁理屈だって、立派な理屈だろ」
言えば、じっとりとした目付きを向けてくる錦木だった。何か言いたげな顔である。
感情が忙しいやつだな。
「大体、ダメだったから書き直してるんだろうが。文句があるなら邪魔すんな」
「えー? だってヒッキーレアだし。私は暇だし、これはもう構うしかなくない?」
「何が”なくない?”なんだよ。何も理由になってねぇよ」
「なってますぅー! ほらほら、もっと私に構ってくれても良いんだよ!?」
「分かったからあっち行ってろ」
何も分かってない~! とぶーたれながらも押し黙った錦木が、隣に座ったまま見つめてくる。
カウンターに肘をつき、非常に不満げな顔で、だ。
無言による圧力である。
出たよ……と思わずため息を吐いた。
面倒くせぇパターンだよ。こうなるとテコでも動かねぇんだよな。
他にお客さんがいないので離れる理由もないし(錦木的には、という意味合いになるが)、このままでは集中できるものもできない。
「……レアってほどでもないだろ。結構頻繁に顔出してる方だと思うけどな」
「っ! いやいやいやいや、ヒッキーとまともに会ったのもう二カ月ぶりくらいなんですけど?」
「そりゃ錦木がいないってだけだ。週一くらいで来てるっての」
「それはヒッキーが私を避けてるからでしょ~。もうっ、外から様子窺って私を見つけたら大体入ってこないじゃん」
私が来たら来たでそそくさ帰っちゃうし! と、非難強めの声で錦木が言う。全くその通りなので特に何も言い返せなかった。
いやだってこいつ……見ての通り喧しすぎるんだよな。
読んだ本に影響されて散策を始め、見つけた喫茶店である上に、家からもそう遠くはないリコリコである。
他を探すのも面倒だし、雰囲気は悪くない。
勉強するにしても、読書をするにしてもちょうど良く、妹である小町も気に入ってる店であるので贔屓にしていたのだが、錦木がいるとどうにもペースを狂わされるのだった。
何なら今日はギリギリ大人しいくらいで、下手をすればあちこち連れ回されることもある。
疲れちゃうだろうが、こちとら休憩兼リラックスしに来てんだよ。
「でもさぁ、ヒッキーって体力ないし。これは……そう! 私なりの気遣いというやつなのだよ、分かるかね?」
「そういうのを世間一般では有難迷惑って言うんだけどな」
「あぁんもう辛辣ぅ~」
「急に艶めかしい声を出すな……」
「あはっ、ドキドキしちゃった?」
「いや、ゾワゾワした」
見ろこれ、と鳥肌が立ってる腕を見せれば無言で蹴りを入れられる。そうやってすぐ暴力に頼るの、八幡良くないと思うな……。
絶妙に痛いと痛くないの境界線にあるようなダメージを与えてくるあたり文句が言いづらかった。
お前は暴力を振るうプロかよ。
「っつーか、お前らが体力ありすぎなんだよ。何? 喫茶店のバイトってそんなに体力つくもんなの?」
「そりゃそーよ。満席の時なんてあっち行ったりこっち行ったりで忙しいんだから。あっ、ヒッキーもやる? バイト! お手伝いってことで!」
「やらん」
「即答!? どぉしてぇ~?」
お給与も出すからさ~良いじゃん~と駄々をこね始める錦木にハァ、とため息を吐く。
やれやれ分かってないな。
全く進まない筆を置き、俺は真剣な眼差しで錦木を見た。
なっ、なに……? と錦木が少したじろぐ。
「良いか、錦木。お前に良い言葉を教えてやろう」
「お、おう」
「──働いたら負け、だ」
「全然良い言葉じゃない!? かつてないくらい真剣な顔で言うことがそれで良いの!?」
「大切なことだからな、もう一回言おうか?」
「いらんわっ! どうしよう、このままじゃヒッキー、ダメ人間まっしぐらだよ……」
中々失礼なことを、これ以上なく真面目な顔で言う錦木だった。
やはり完璧な結論と言うのは万人に理解されるものではないということなのだろうか。
「え? それじゃあヒッキーって将来、何になるつもりなの……?」
「専業主夫だ」
「なんて?」
「だから、専業主夫」
「……どういうこと?」
「ん? ああ、専業主夫と言うのはだな、『稼得労働に従事せず、専ら家事や子育てなどを行う既婚男性』を指す言葉だ。ごめんな、難しい言葉使って」
「そういうんじゃないっ! 意味が分からなかったのはヒッキーの方で、言葉の方じゃないから!」
今日一鋭い蹴りが叩き込まれる。やばいな、超痛い。そしてすげぇ睨まれてる。
やっべー、超怖いわ。
「えっ? ていうか、え? ヒッキーって彼女いるの……?」
「……今はいないな」
別に嘘ではない。過去にもいなかったというだけで、それが現在進行形なだけである。
未来の俺が頑張ってくれることにも期待して「今」という部分を強調しておいた。
「だ、だよね!? ヒッキーに彼女とかできるわけないもんね!? やー、ビックリしたあ。そんなこと、天地がひっくり返ってもありえないよねぇ」
「ちょっと? 錦木さん? 流石に俺に失礼過ぎるでしょう?」
言い過ぎだろ、一体お前は俺を何だと思ってるんだよ。
幾ら俺でも泣いちゃうからね?
「でもさぁ、それなら専業主夫とか無理じゃない? どういう将来設計になってんの?」
「まあ、まずはそれなりの大学に進学するよな」
「ほうほう、真っ当だ」
「そして美人で優秀な女子を見繕い付き合い、結婚。最終的には養ってもらう」
「それは主夫というよりヒモだ!?」
「ばっかお前任せとけ、俺はヒモを超えたヒモになる気概だけはあるっ!」
「ヒッキーは本当、やる気を出す方向まで捻くれてるなぁ……」
全身捻くれ人間じゃん……と呟く錦木だった。どこぞのゴム人間みたいな言い方するんじゃねぇよ。
大体、俺が捻くれているのではない。世界の方が歪んでいるのでそう見えるだけである。
俺に優しくない世界とか超歪んでるからな。
「ヒッキーに一番優しくないのはヒッキー自身じゃん……」
「何言ってんだお前、俺に優しいのは俺くらいだっつーの」
飼い猫であるカマクラにすら距離を取られている説すらある俺である。
餌あげる時くらいだからね、すり寄ってくるの。小町にはべったりなくせに……。
全く誰に似たんだか、とコーヒーを一口飲んだ。
「……それ、コーヒーだったんだ?」
「逆にそれ以外の何に見えるんだよ……」
「いやだって……色! コーヒーの純黒が甘々な色に染まっちゃってるじゃん!?」
「ミルクと砂糖入れまくったからな」
「どーしてそういうことするぅー!?」
先生のコーヒーはそのままが一番なのにぃ~! と叫びながら肩をゆすられる。とはいえ、俺とて反骨精神的なものを以ってそうした訳ではない。
先生──この喫茶リコリコの店長の淹れてくれるコーヒーは美味しい。それは重々承知ではあるが、俺は千葉生まれ千葉育ちなのである。
生粋の千葉っ子はMAXコーヒーと共に育つからな、そもそもコーヒーってのは甘いものって認識なんだよ。
何なら練乳も入れたかったところをグッと我慢した俺を褒めて欲しいくらいだった。
それに、ほら。
「人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい……」
「んもぅ、しっかたないなぁ~! それじゃあこの千束様がぁ~特別にヒッキーを甘やかしてあげるよぉ」
「ねっとりとした言い方するのやめろ」
ついでに怖いから手をワキワキしながら詰め寄って来ないで欲しかった。碌なことにならない未来しか見えない。
常に暴走機関車みたいな女であることが有名な錦木である。
好きなようにされてしまっては若干以上に困る。
「ほらほら、こっちおいで~? ヒッキー」
「行動がはえーよ……てか、何やってんだ」
いつの間にやら座敷の方に移動していた錦木は正座してポンポンと自分の膝を叩いていた。行くわけねーだろ。
「あっちゃー、ヒッキーは童貞で照れ屋さんだからなあ。ちょっと難しかったかぁ」
「人を煽るついでに傷つけるのやめようね?」
俺のメンタルは繊細なのでもっと丁寧に扱って欲しかった。
錦木は俺を雑に扱って良いと思っている節があるのでなおさらである。
「大体、他に客が来たらお前どうするんだ」
「そうなったらヒッキー隅にやって接客するよぅ」
「俺は家具か何かかよ」
それが出来るなら今からもう放っておいて欲しかった。筆が一文字も進んでないんだよな。
作文の書き直しは急務という訳ではないが、出来ればさっさと済ませたいところだったんだが……。
まあ、今日はもう諦めた方が良いのかもしれない。
そもそも錦木に絡まれた時点で、静かにひっそり一人でゆったり進められる訳が無かったのだから。
「お? おぉ? ヒッキーが珍しく折れてくれる感じぃ?」
「寝言は寝て言え、コーヒー飲んだら帰ることにしただけだ」
「ちょーいちょいちょいちょい! 何でそうなんの!?」
「いる意味が無くなったからだろ……」
言って、グイッと飲み干せば襟を掴まれた。ぐぇっと声が出れば
「あはっ、カエルみたいな声出たねぇ」
なんて笑いながら引きずられる。何笑ってんだよ……!
抵抗しようにも錦木の膂力はそれなり以上なもので、座敷までズルズルと引きずられてしまった。
何でこいつ、こんなに筋力あんの? 走るのもクソ早いし、運動神経に恵まれすぎだろ。
「……随分と強引だな」
「ヒッキーにはこれくらいがちょうど良いでしょ? それにさぁ、ヒッキーは壁作り過ぎだし、いい加減もうちょーっとだけでも仲良くなりたいなーって思う訳ですよ、千束さんは」
やたらと柔らかく、優しい声で錦木が言う。いつになく真面目モードだ。
寝転がった俺の隣に座った錦木が、微笑みを見せてくる。
「だからさぁ、そろそろ名前で呼んでみない? ほらほらぁ、千束ってさ。リピートアフターミー、ち・さ・と♡」
「錦木」
「ち・さ・と!」
「錦木」
「ちー! さー!! とー!!!」
「声がデケェな」
特段こだわっているつもりはなかったが、こうも強調されると何となく抵抗したくなる俺だった。
それに、あまり距離を縮められると勘違いしちゃうかもしれないからな。
二度同じ轍は踏まない。それが比企谷八幡と言う男である。
がるるるるーっと互いに睨み合っていれば、不意にカランカランというベルが鳴った。
「ほら、お客様だぞ」
「くぅっ……! 明日! また明日絶対来るんだよ!? ヒッキー!」
ビッと指を指し、それから「いらっしゃぁーい!」と接客しに行った錦木を視界に収め、小さく息を吐く。
高鳴っていた心臓を抑えるように胸を抑えた。
──優しい女の子は嫌いだ。
一言交わせば気になるし、メッセージが重なればどうしても浮足立つ。
こうして直接会った時、身体接触も込みで絡まれてしまえば否が応でも考えてしまう。
けれどもそれは、優しさ故なのだ。
特に錦木はコミュ力が高くて、誰にでも平等に優しい女の子だから。
故にこそ、勘違いはしない。
そのパターンは一度味わった。俺は訓練されたぼっちだからな、過ちはもう犯さない。
いつだって期待して、勘違いして、希望を持ってきた。そしてその都度、それは間違いだと思い知らされてきた。
だから、だから──優しい女の子は、嫌いだ。
入ってきたのが客ではなく、店長であることを確認して戻ってきた錦木を見ながら、そんなことを考えた。