元の世界に無事戻れたアオは、日常を平穏に過ごしていた。
いつものように牧場の手伝いに精を出し、学校に行き、勉学に励み、家に帰ればドトウ達や家族と共に食事を摂り、入浴し、就寝する生活。
何気ない日常。平凡だけど暖かい毎日。
だけれども、やはり心残りはあって。行方不明になる前は親しかった友人達と会う事がほとんど無くなってしまった事だ。
居場所が分かったら自ら一人で再び会いに行って、10歳当時そのままの彼女がアオである事を信じる者信じない者それぞれだったけど。なんにしても以前のように友人付き合いは出来なかった。
「……忙しいもんね。みんな」
今現在の友人達と話題になっているゲームをタブレットで遊びながら、ぽつりと零す。
今の生活に不満があるかどうかといえば、学校では新しい友人も出来たし、ドトウやタイキが一緒に居る事もあって不満は無い。むしろ幸せだと思うくらいだった。
キッチンで鼻歌を歌って料理をしているドトウを横目に見る。ちゃんと成長していれば、自身も彼女と同世代くらいなのだろうとアオは思う。むしろ自分の方が年上だったのかもしれない。
「ドットさん。あたしの事アオお姉ちゃんって呼んでもいいよ?」
「へ?」
アオの冗談に、ドトウは素っ頓狂な声を上げて振り返った。
「いや、生まれ年から考えるとあたしの方が年上なのかなって」
突拍子もない冗談を言ってしまったと照れたように笑うものの、ドトウは少し考えてから。甘えるような声色でアオを呼んだ。
「アオお姉さ~ん♪」
「…………やっぱなし」
アオは恥ずかしさのあまり顔を覆った。
「オーダーシスターアオー♪」
一緒に夕飯の準備をしていたタイキシャトルまで便乗してきた。
アオにとってはなんだか幸せに感じたが、やっぱり大人達と友人付き合いは出来ない。こういう風に手玉に取られる。
過去を振り返れば、キリがない事は分かっていた。
今となっては目の前にある者達に誠実に向き合う事が、アオの罪滅ぼしでもあり恩返しでもある。
……無論、山林の世界で迷っている者がいれば助け出す事も使命だとは思っているが。
そちらに傾きすぎるあまり、周囲にいる人間達を蔑ろになどというのは二度としないつもりだった。
「……お母さんやお父さんたち、前よりだいぶ老けちゃったな」
アオを産んだ時点でだいぶ高齢だったけれど、今となってはそれ以上に年齢を重ねている。
年月が経ったのだからそれが当たり前なのだが、それでも寂しい。
「ワン!」
感傷に浸っていると、足元から鳴き声が聞こえた。
見るとそこには飼い犬であるウェルが居た。相変わらずの人懐っこさで、尻尾を振ってアオを見上げている。アオの方も出来る限り目線を合わせようとその場に座り込む。
「……お前も老けたねぇ。あたしより年上になったんじゃないかな」
この仔の寿命も、残りはそう長くない。アオにとってそんな大事な時間を家族たちと一緒に居られなかった事がとても悲しくて、辛い事ではあったけど。
今は、目の前の大切な存在を精一杯愛そうと心に決めていた。
「お前も、いっぱいの人に出会っただろうね。ほら、あたしが居なくなる直前にも、同じくらいのウマ娘を連れた一家族が……」
「だから、この世界は冷たくて、残酷なんだ」
「…………」
ウェルの頭を撫でていて、その時の事を思い返した。
アオはその昔、屠畜という事柄に対しての憎悪が行き過ぎたあまり、ちょうど失踪直前の辺りで同年代のウマ娘に八つ当たりした事がある。
アオが「死んだらその先がどうなるか分からなくて怖い」という話に合わせて「私は前世の記憶がある」と冗談を言ってくれるような不思議な子だった。
そんな子に対して、アオは八つ当たりじみた感情をぶつけるだけぶつけて、彼女の前からすぐ消えてしまった。
その事を再び会って謝罪したいと思えども、その子の名前を聞いていなかった。
ウマ娘だからレースで活躍しているのかとその子を探す事も兼ねて大きなレースの記録動画を毎日視聴しているが、未だ彼女らしき子は見つけられていない。
幼年期より見た目がだいぶ変わったのか。レースに携わっていないのか。それとも活躍出来なかったのか。
今となっては定かではない。
「…………あたしが思っているほど、この世界は残酷なんかじゃなかったよ」
あの日出逢った彼女が信じていたこの世界は、アオの想像よりもずっと優しかった。
お肉を得る為に動物を殺さなくていい……なんて、ご都合主義とはいかないけど。それでも、動物を蔑ろにする人なんてのは周囲にいなかった。アオ自身が思い描いていた世界と比べたらあまりにも綺麗すぎて、泣きたくなるくらい眩しかった。
「……ほんと、もったいない、なぁ……」
「わふ……?」
だからこそ、みんなと同じ時間を歩めなかった事がどうしようもなく取り返しのつかない事に思えて、アオは時々一人で泣きたくなる。
ドトウもタイキも両親も、周囲の人間が大事だからこそ、涙を見せて心配させたくない。
でも本当は泣いてしまいたいから、誰にも見えないところで静かに涙を流すのだ。
そんなアオの頬を、ぺろぺろと生暖かい舌が舐める。ウェルが心配そうな表情でアオの涙を拭っていた。
「……あはは、ウェルの前でも泣かないようにしないとね」
「くぅん……」
自分が器用ならもっと誰かに甘えていたかもしれないと思うけれど、自らが招いたのだからそんな資格は無いとアオは自戒する。
そうしている内に、ふと牧場の入口の辺りで誰かが佇んでる事に気づいた。
アオは「見学者の人かな」と思い、立ち上がってウェルと一緒に近寄っていく。
「こんばんは。今は見学時間外ですよ?」
声をかけたその人物は、えらく背の高いウマ娘だった。体格の良いドトウやタイキ達よりも背が高いかもしれない。
その女性は鹿毛の長髪を揺らしながら、アオを安心させるように微笑んだ。アオは涙を流していた事が悟られているのを理解して、頬を手で拭う。
「すいません。娘さんが戻ってきたと聞いたので、ひとめお会いしたくて」
それを聞いて、彼女が昔の知り合いの誰かだと理解した。同時に、やはり自分の顔を見ても分からないだろうなとも思っていた。長い月日が経っても10歳当時――今は11歳――の姿のままなのだから。下手すればその娘の、また実子と見定められてもおかしくない。
「あたしがその娘です」
一応、言ってみた。すると彼女は微笑んだまま、目を細めて言った。
「どうだ。この世界は冷たくて残酷だったか?」
――いきなりの言葉に、面食らってしまった。しかしそれで相手が誰であるのか理解した。
「……ううん、暖かくて優しかったよ」
それは過去の思い出を振り返るような言葉だった。そしてきっと、この答えだけで十分だろうとアオは思った。
その言葉で相手の女性は満足そうな表情を浮かべてから、背の低いアオに目線を合わせるように屈み込んでくる。
「彼の超一流のウマ娘であるキングヘイロー曰く……『一流たるもの常に余裕を持って優雅たれ』だそうだ。人前で泣くの我慢するのも大事だが、しすぎるのも余裕を持ってるとも優雅とも言えねぇな」
そう言いながらアオの頭に手を置いて、ぐしゃぐしゃと撫でてきた。
まるで子供扱いだが、アオは不思議と嫌な気はしなかった。
「お前がこれからどんな道を歩むのか私にはさっぱり分からんが、そう嘆く事なくお前はお前の思うままに生きるといい。動物を大事にしてると伝わってくるのが、お前のいいところだ。だから、決して焦るな。大事なモノを見失うな、君らしく生きてくれ」
最後にそう言って頭を撫で終えると、ウェルの頭もわしゃわしゃとしてから、踵を返して去って行った。
遠くなっていく後ろ姿を眺めながら、アオは思わず叫んだ。
「ちょっと、名前くらい教えてよ!」
その言葉に、相手は振り返る事なく手を振りつつ答えるのだった。
「『キングヘイローの取り巻きその参』だ! また来年! そん時またいなくなったりすんなよ!」
そう言い残して去っていく背中に向けて、アオはただただため息をついた。
「……貴女が走ってるレースの動画、見てみたいんだけどなぁ」
去り際に名乗らなかった相手の名前を知ってしまう機会を失った事に対して、残念に思うのだった。また、名前の情報無しにレース動画を見続けなければならない。