「さぁ、■■。次はこの勉強をしましょうね~」
私の母は勉強熱心な人であった。豊かな自然に囲まれた一戸建ての家の自室で、テーブルと勉強関係の本が所狭しと並べられているだけの部屋で勉強していた。父も定期的に参考書を買ってくる。誕生日も少々高そうな参考書だった。勉強漬けの日々に対して私は幸せを感じていた。
私はお金持ちの家ではない。中の下で満足していたのだ。自身よりも辛い生活を強いられている人がいる中で、私はまだ良いほうなのだ。そういう謎のプライドが芽生えていた。
しかし、両親はそれを許さなかった。その充足感を両親は許さなかったのだ。だからこそ上流階級へ登るために勉強をする。それでも私は幸せだったのだ。
「冬夜、冬夜!起きなさい!そろそろ学校へ行く時間じゃろう?」
突然夢から覚醒させられた。懐かしいと感じる夢を見た。母の顔も父の顔も真っ黒に塗りつぶされていたのだが、母と思われる人の夢を見たのだ。
涙が一筋流れる。記憶喪失の自分でも、もしかしたらいつの日か記憶を取り戻せる日がくるのかもしれないという事が分かったのだ。もちろん、ただの夢の可能性はあるが・・・。
いけない。そういえば学校へ行く時間だ。日めくりカレンダーを見た瞬間。目を疑った。
6月1日
これはいけない。長い間日めくりカレンダーを捲っていなかったようだ。いっけなーい☆冬夜君うっかりしちゃった☆とか冗談を心の中で言う。どうやらばあちゃんが朝ごはんの用意をしてくれたらしい。この様子だと昼の弁当も作ってくれているような気がする。
「おはよう、ばあちゃん」
「おはよう」
しわがれた声で言う祖母が応えてくれる。さっきの記憶について本来話すべきなのだが、時間がない。今日も天気予報で天気予報士が快活な声で天気について話している。
「本日6月1日は、昨日と同じく晴れです!最近は晴れの日が続いていますので、断水の危険性も――――」
1日。6月1日。何を馬鹿な事を言っているのか。それとも俺が寝起きで聞き間違いをしてしまったのか。行儀は悪いがばあちゃんの用意してくれた朝ごはんを食べながら新聞を見る。
6月1日。昭和58年6月1日・・・。
「どうしたんね。あんたが新聞を見るなんて珍しい」
「ば、ばあちゃん。今日何日だったっけ?」
「うん?今日は6月入りたて。1日じゃろ」
「・・・そ、そうだね」
頭がグルグルしている。もしかしてドッキリだろうか。テレビ全体を巻き込んだドッキリという事も有り得る。それとも俺の頭がおかしくなったかだ。
・・・よし。このままドッキリに付き合ってやろうじゃないか。俺も大人だ。大人の余裕というものを見せてやろう。そんな動揺する心を落ち着かせて朝ごはんを食べる。時間も迫っていたため、結局記憶の件を伝えることができないまま学校へ向かうことになった。さすがに学校はドッキリをしていないはず。子ども達はドッキリに参戦しているだろうが、知恵先生ならば挑発すればボロが出るはずだ!
学校の職員室へ向かい、日直と生徒たちのスケジュール確認をする。そもそも俺は6月1日の段階だと講師ではないはずだ。ふっふっふ、こんなところでボロが出るとはな!詰めが甘いぜ。
スケジュールを確認すると、至極まともなものしかない。知恵先生も校長先生もそんな冬夜の態度に訝し気な目を見せる。そんな目で見ないで。いつドッキリ大成功の看板が出てくるか分からないから緊張してんだ。しっかりと驚かないといけない。
畜生。見事に2日以降のスケジュールが予定に置き変わっていやがる。そこまでして驚かせたいとでもいうのか。
「知恵先生、今日って6月・・・」
「え?1日ですよ」
知恵先生まで俺を驚かそうとしているだなんて!
「知恵先生、私興宮で一見さんお断りのお店を知っているんですが、そこカレーも提供しているんですよ」
「え!?」
「今度一緒に連れていきますから、真面目に答えてください。今日は6月1日ではないですよね?」
「地田さん?今日は6月1日ですよ・・・?」
知恵先生がカレーに釣られないだなんて!?いいでしょう、そこまで本気ならこっちも最後まで貫き通してやりましょう!
「それで地田さん。そのカレーはいつ行きましょうか?」
「あ、それでは始業なので教室行きますね」
「ちょっと、地田さん!?地田さん!?」
一通り仕事をこなしていく。どうやら前回教えた内容よりも少し前のものをしているらしい。まさかそこまで用意周到だとは・・・。魅音ちゃんは受験生なんだから、そんな遊びしてないで真面目に勉強してくれよ。
しかし、前原君もおはぎ事件があったばかりだというのに、俺がいない間に解決でもしたのだろうか。快活な頃の彼に戻っていた。やはり杞憂だったか、いや、適当に思うのは止めておこう。そうやって行き当たりばったりにした結果、梨花ちゃんに説教されたのだから。
もしかして梨花ちゃんが前原君を説得してくれたのだろうか。そもそも熱は?もしかして、今までの事が、このドッキリの前座だったとかか?
そんなことを頭の中でグルグルしていたのだが、いつまでたってもドッキリが終わらない。授業が終わりに近づくにつれて、今まで目を逸らしていた現実が冷や汗とともに押し寄せてくる。
もしや、本当に6月1日だというのか。
授業が終わり、結局ドッキリだと告げられなかった。もうドッキリとか関係ない。この状況を誰かに相談するべきなのだ。タイムスリップ?してるみたいなんだ、と。
だめだ。頭のおかしいやつとでも思われるだろう。しかも恥ずかしい。結局恥ずかしさが勝ってしまい、全く誰にも相談できないまま一日が終わる。カレンダーを見て、頭を抱える。そして気づいた。学校関係者とは関係なく、どこか違う所で言えばいいのだ。そう、いつも週末に行くエンジェルモートとかね!
これは当分モヤモヤしたまま過ごしてしまう、と悩みながら帰宅途中のことである。後ろから声をかけられた。
「冬夜さん、今日はどうしたんですか?」
「魅音ちゃんか」
なぜ彼女がここに来たのかは分からない。明らかに園崎家とは真反対の道なのだ。もしや罰ゲームで何かされている最中なのだろうか。
「いや、今日は本当に6月1日なんだよな?」
「え?そうですよ。そろそろ綿流しですね!」
・・・。まさか本当なのだろうか。嘘を吐いているように思えない。
「この前おはぎ食べたじゃないか。6月17・・・」
「え?」
そういえば、俺はあの日、6月17日は梨花ちゃんと話した後、こうやって帰宅した記憶が無い。まるですっぽりそこだけ欠落しているかのような記憶は、まさしく記憶喪失と同じ欠落感を抱かせた。
「うん、大丈夫。心配しないで」
「そうですか。あ、今週の土曜日なんですけど、興宮で皆と遊びませんか?」
「別に良いよ。引率みたいなものかな?」
部活の延長線みたいなものだろうか。まさか教室だけでなく興宮まで遠征するとは思わなかった。何が目当てかは分からないが、魅音ちゃんから当日向かう先の住所を確認する。どうやら興宮のおもちゃ屋らしい。確かに興宮に行くと時々見かけるお店だ。
しっかりと確認をして魅音ちゃんと分かれた。うぅ、結局6月1日なんだ・・・。誰か真相を突き止めてくれ・・・。
ちなみに昭和58年6月1日は水曜日みたいです。こういうのってすぐ調べられるので楽ですね。