児童相談所が閉館する時間は早い。急いで目的地へ着くとスタッフに案内される。役所の案内は遅いイメージがあったのだが、存外スムーズに対応をされた。
「それでは今回の用件をお聞かせください」
「雛見沢に住んでいる、北条沙都子さんについてです」
「申し訳ございませんが、あなたと北条沙都子さんの関係は・・・」
「先生と生徒の関係です」
そうして話を進める中で争点となったのが、北条鉄平の育児放棄である。一年間にかけて北条家に帰ることなく子どもが友人宅にお世話になっていることである。
それ以外には子どもの身体に虐待の痣があるかどうか、である。医者などに身体の確認をしてもらい、そういう証拠を揃えることができれば保護が可能なのだという。
しかし、今回は児童相談所の職員が北条家へ確認をしに行くということらしい。児童相談所の人間であれば解決策も出してくれるかもしれない。今回は報告をして、何か進展がありしだい連絡をもらうこととなった。
「それで、どうだったのかしら」
帰宅をしてすぐに話しかけてきたのは梨花ちゃんだった。諦めの顔は変わらない。児童相談所へ相談をしたことを伝えると、梨花ちゃんは顔を横に振った。
「沙都子は、おそらく児童相談所には通報もしないし虐待の事も伝えないわ」
「それはもし何かあれば北条君の部屋が荒らされるから?」
「そうね、それも有るけれど・・・。沙都子は立ち向かおうとしているの、悟史が去年叔母に立ち向かったように、耐え忍ぶ覚悟なのよ」
それはまるで地獄のような覚悟だと思った。立ち向かうことではなく耐えることを選んだということであれば、確かに児童相談所へも通報しないだろう。しかし、それでは一向に解決しない。
冬夜は決して諦めたくなかった。今の古手梨花も北条沙都子も見ていられない。どうにかして早く解決しなければならない。
翌日には児童相談所から連絡がきた。北条沙都子さんから虐待の疑いはないと否定をされたということらしい。
昨日梨花ちゃんが言っていたように、やはり北条さんは児童相談所への相談を断ったらしい。冬夜は学校に来れていない北条沙都子にまず会うために、一つ策を練ることにした。
それは入江診療所の手を借りることである。児童相談所が言うには、身体に虐待の痕があるかどうか診断があれば、ということだった。それならば医者である監督に協力を願い出ようと考えた。
「つまり、沙都子ちゃんが実は病気だったということにして、沙都子ちゃんに診療所へ通院してもらう。ということですね」
「そうです。重い病気にかかっているということにして、北条さんの身体検査をしてもらえばと思ったんです」
「しかし、あの北条鉄平が応じるでしょうか?」
学校にすら来させない状況。北条さんは現在熱が出ているということで欠席をしている。それが本当であれば病院に行かせると思ったが・・・。熱が出ても診療所には検診をしていないとのことである。
「命に関わる病気、ということにすれば良いのでは?北条さんが通院しないせいで亡くなったら、育児放棄で警察に連行されるかもしれない。そう思わせることができれば診療所へ行かせるのでは?」
そういうと監督が考え込む。しょせん二人とも法律であったり育児関係のことは分からないのだが、どうにかして救いたい気持ちは変わらないのである。
「そうですね。私もどうにかしたいと思っていました。今日中に北条家に電話をしてみます」
「分かりました。北条さんが診療所へ来ることになったら連絡ください」
砂漠の中のダイヤモンドを探すかのような手探りの状況で、果たして北条沙都子を救えるのか分からない。自身の非力さに腹が立つ。子ども達の中でも不安が爆発しそうな雰囲気だ。魅音ちゃんが言うには爆発しそうなのは前原君らしい。何とか場を治める毎日ではあるが、そろそろ限界だという事は目に見えて明らかだった。
監督から連絡があり、すぐに北条家へ連絡をしたところ、北条さんを本日中に診療所へ行かせるということになったらしい。北条鉄平が応じたことに少しばかり驚いた。やはり大事が起こらないようにしたいのだろうか。
あとで監督に詳細を聞けば問題は無かったのだろうが、居ても立っても居られなくなり、もう一度診療所へトンボ帰りをした。梨花ちゃんにも内容を伝えると、北条さんの安否を知りたかったのか一緒に診療所へ向かった。
「地田さん、今沙都子ちゃんの検査をしていますので少々お待ちいただけますか?」
診療所へ着くと、ナースさんが対応をしてくれた。確かこの女性は鷹野さんと言う方でご老人方にも人気の人だったように思える。あまり関わりは無かったのだが、どうやら鷹野さんも事情を知っているような口ぶりだった。
そうして少し待つと監督から呼ばれた。隣には北条さんもいる。
「今回の検査をしまして、すみませんが・・・」
どこか監督が言い辛そうだ。何か問題でも起きたというのだろうか。診察室で話を聞くと、やはり北条さんの顔ではなく胴体には痣が多く見つかった。明らかに虐待の痕であろうということだ。しかし、北条さんは頑なに虐待を認めない。どうしようもなく冬夜と、その隣にいる梨花ちゃんに説得をしてほしいということだった。説得について監督から説明を受けている間、北条さんは鷹野さんと話をしていた。
梨花ちゃんはどう説得すればよいのか分からないらしい。俺も分からないのだが、ここが正念場だということは分かる。北条さんを呼んで、話を聞くことにした。
「ごめんね、北条さん。だいぶ疲れてるでしょ?」
「大丈夫ですのよ。久しぶりに監督とお話できて楽しかったですわ」
北条さんの目は前から変わらず生気が無い。まるで生きた屍のような状態だった。
「北条さんは虐待は無いと言うんだね」
「そうですわ・・・。虐待なんてことないですの」
「なんで北条さんは虐待を認めないのかな?」
え?そう北条沙都子は困惑の顔を見せた。そういった質問など今までされたことが無かったからである。まるで冬夜自身が感じている疑問を吐露したかのような問いかけに、どう返答すれば良いのか分からなかった。
「北条君の部屋を荒らされないため?それとも耐えれば何かご褒美でもあるのかな?」
冬夜は古手梨花から聞いている。北条沙都子が虐待を認めないのは、耐え忍ぶ事を決めたから。その背景には北条悟史の意思を受け継ごうとする彼女の覚悟があるからである。それと同時に北条悟史が家出をしたのは、自身が情けなかったからなのだ。もっと強ければ、もっと耐えていたら愛する兄は失踪などしなかったかもしれない。そう思えば思うほど、綿流しが近づくほどに実感するのだ。
実際に北条悟史はどう思って叔父叔母の虐待の日々を過ごしていたのだろうか。その日々を冬夜は知らない。しかし、失踪する前の彼を見た冬夜は確信する。
「俺は彼が耐えていたわけじゃないと思うんだよなぁ」
それは確信を持って言えることだった。もちろん、撲殺事件を起こしたからと言うわけではない。目の前で妹が虐待に遭っている時に、あの優しい彼が、身を粉にして妹のプレゼントのために頑張っていた彼が、ただ耐えていたという情景を思い浮かべることができなかった。
「どうだった?お兄さんは立ち向かってなかった?」
それは説得ですらなかった。ただの吐露である。何が北条沙都子を縛っているのか分からない。どう説得すれば良いのか分からない状態で気づけば出ていた言葉だった。
北条沙都子は口を震わせ、目は涙に溢れている。彼女は一切語ろうとはしなかった。しかし、その彼女が見せる態度が決定づけていたのだ。今の彼女は自身の非力さに泣いている。
「沙都子」
「梨花・・・」
「私にはどうやっても沙都子の説得はできない。貴女が立ち向かわない限り誰も手を差し伸べることができないの」
いつもの少女らしい口調ではなかった。素の彼女が北条沙都子に話しかけている。北条沙都子も彼女のそのどこか大人らしい話し方に驚いていた。
「お願い、決して耐えることが強さではないの・・・」
そういって、古手梨花は静かに泣いた。これ以上は話すことができないのだろう。嗚咽が混じり言葉になっていなかった。それでも北条沙都子の心に届かない。あと一歩の所なのだろうが、その一歩が遠いように思えた。
「北条さん。明日、俺は警察の人とお家に訪問する。その時に答えを聞いても良いかな」
「・・・」
「北条君が振り絞った強さを、俺にも見せてくれ」
北条沙都子は答えなかった。しかし、目にはどう答えれば良いのか分からない困惑した瞳を見せていた。