世界がゆっくりと動く。一秒一秒がスローモーションになって、いつしか時が止まっていた。冬夜も、目の前にいる鷹野さんも身体を動かすことができない。
これがいわゆる走馬灯というものだろうか。いや、走馬灯なら今までの記憶が映像のように駆け巡るというらしい。今はそのような事が起きていない。角巫女は身体を動かせているらしい。まだ悲しい表情を浮かべたまま、冬夜ではなく、その後ろを見ていた。
「よくやりました。あなたは罪をその命で償うことができるのです」
「後ろから話しかけられても、どう答えれば良いか迷うんだ。俺は身体が動かないんだから、俺の視界に入ってほしいところだ」
口は動いていないのに、言葉を出すことができた。明らかに怪奇現象で気味が悪いのだが、さっさと話を済ませて欲しい。
話しかけてきた声の主は冬夜の視界に入るように移動する。オヤシロ様がそこにいた。
「み、巫女服が二人・・・!」
「その状況で未だにそれを言えるのは恐怖を抱きます」
おっといけない。今は興奮すべきではない。
「恨みますか?」
「恨むも何も、これが運命だろうに」
冬夜は目の前にいるオヤシロ様も、もう一人の角巫女も恨むことは無かった。それは自身の償いを晴らせる行為が死ぬことだからである。
死にたくないと言えば嘘になる。しかし、それ以上に自身の曲げられない信念が死の恐怖を凌駕したのだ。
「そんな悲しむなって。俺は『地田冬夜』だ。君の知っている人間じゃない」
角巫女はなおも悲しい表情で冬夜を見ていた。祠を清掃していた記憶を失う前の自分の存在が死んでしまうことに悲しんでいるのか。それとも自身が死んでしまうことに悲しんでいるのか。
しかし、冬夜にはもはや関係の無いことであった。もうじき死ぬ。死ねば何もかも終わるのだから。
「なぜそこまでして死にたいの?」
「梨花・・・」
いつの間にか冬夜の隣には、古手梨花が立っていた。冬夜は顔を向けることができないために、声でしか分からない。冬夜は突然の声の主に驚いた。
「梨花ちゃん・・・」
「・・・」
古手梨花は黙ってオヤシロ様の元へ向かう。明らかにオヤシロ様の顔は焦っていた。
「あ、あぅあぅ」
「羽入?なぜこうなったのか知らないけれど。私は誰かを犠牲にした未来なんていらないわ」
「り、梨花。これは必要なことなのです。梨花の未来が、本来歩むべき道が汚されそうに―――」
「もう一度言うわ。私は誰かを犠牲にしてまで未来を掴みたくない。それは今まで何百年と生きてきて得られたこと。それは誰にも変えられない。神様だろうと何だろうと」
それだけ言うと、古手梨花は冬夜へと振り向く。今まで見えていなかった彼女の顔が明らかになった。彼女は怒るわけでもなく、涙を流すわけでもない。まるで全てを見透かしているかのような眼差しに、冬夜は怯む。
「冬夜。なぜそこまで死にたいのです?」
「・・・お、俺が死ぬことで、目の前にいるハイリューンの巫女も消滅するからだ」
「嘘」
「・・・」
「絶望したのでしょう?自分の生きてきた証が、数度の世界で貴方がもたらした結果が全く意味の無いものだと知って」
冬夜は強く胸を打たれるかのような衝撃が走った。今まで考えないようにしていた事を、目の前の少女に見抜かれたからだ。
「記憶を失って流れ着いた場所で、俺は主人公気取りだった。悟史君が失踪した時、まるで物語が始まったかのような高揚感が有ったんだ」
「そう・・・」
「俺が先生になった時も、圭一君が雛見沢症候群に罹った時も、何もかも主人公が解決していく物語なんだって思った」
結局、地田冬夜という人物は主人公でも何でもなかった。ただの邪魔者だったのだ。それだけではない、冬夜は皆の人生を滅茶苦茶にしてしまったという罪悪感が有ったのだ。自身の馬鹿みたいな勘違いが到底許されない事をしてしまったのだ。
古手梨花は答えない。しかし、その目つき変わらず見透かしているかのような目だ。
「自分が主人公ではないと知った時、自分が行った行為が誰かを苦しめていると知った時。あなたは死のうと決断した」
そう言って、冬夜に向けていた目線を、次に鷹野三四へ向ける。まるで長い時が過ぎているというのに、鷹野は一切顔を変えない。彼女はこの走馬灯のような世界には来ていない。
今まで見えていなかったが、いつの間にか鷹野は銃を撃っていたらしい。弾が発射されている。
「『全てを視せられて』、なおも助けようとするだなんて思わなかった」
「助ける・・・?」
ゆっくりと古手梨花は銃の軌道を沿って、弾へ視線を向ける。そして、そっと弾を手で包んだ。さらに、冬夜の握りしめていた刀身を易々と手に取った。
冬夜はいつの間にか世界が動いていた事に気づいた。雨が止み、いつの間にか晴れ間が見えている。
「良いじゃない。あなたが自分を主人公だと思わなくても。私には貴方が話かけてきたとき、主人公だと思ったのだから」
鷹野三四は呆然としていた。まるで何が起きたのか分からないような顔をしている。それは冬夜も同じだ。何が起こったのか分からない。
「二人とも。私たちのために有難う。でも、決して死ぬことが償いになるわけじゃないのだから」
初めに膝を落としたのは鷹野だった。そして大きな声で泣き始める。背負わされていた荷物が無くなったことに喜んで泣いているのだ。
それを見た冬夜も立ち尽くしたまま涙を流した。
あれから、番犬部隊と思われる大人たちが鷹野三四を拘束する。そこで有った富竹さんの人問答は語らなくても良いことだろう。いつの間にか、部活メンバーがお互いを抱き合い、喜んでいる。全てが終わったことを物語っていた。部活メンバーの中には、オヤシロ様と同じ顔をした少女がいる。
冬夜は本来、鷹野の横にいた角巫女が隣にいることに気づいた。
「お疲れ様」
冬夜は言う。巫女は答えない。
「
「そうじゃ」
「全く、記憶を失う前の俺はどんな男だったのかねぇ」
「良い男じゃった」
角巫女は多くは語らない。その全てを語りたくは無いのだろう。それはおそらく記憶喪失前の自分の存在が関係しているのだろう。
サラサラと、角巫女の身体がまるで砂のように溶けて消えていく。
「ありがとう」
他にかける言葉が有っただろうに、冬夜は結局感謝の言葉を言う。もう冬夜は角巫女を見ることは無い。それは既に角巫女の姿を見ることが出来なかったからだ。
「冬夜、行きましょうなのです」
いつの間にか部活メンバーの輪から抜け出した少女に手を差し伸べられる。他の子たちは、なぜ先生が?と言っていたが、それは仕方のないことだろう。
冬夜は笑って皆を見る。今まで悩んでいたことが吹き飛んでしまった。なぜ冬夜が笑っているのか、それを理解してくれる者は限りなくいないだろう。
ひぐらしが鳴く。明日は綿流しだ。